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キハ35好きな方は、おるとね。?
通勤用のロングシートディーゼル車両なので、あまり華やかさはありませんが、奈良から快速湊町(現JR難波)行きに運用されていたときは、今の電車による大和路快速よりも速かった印象があります。
タブレット通過あったんね?キハ35で。
蒸気機関車が牽引する貨物列車がタブレット通過する映像を見た記憶があるので、蒸気機関車とキハ35が併存した時期があることを考慮すると、キハ35のタブレット通過も考えられるわけですが、単線区間ではキハ35は各駅停車になるので、タブレットは駅員さんが持って歩いて交換していたのではと 思います。
貴重な映像、ありがとうございました、俺も去年までは、亀山に住んでたので、関西線や、草津線でよく、京都や、大阪に行きましたよ。
くんかあ さん、コメントありがとうございます。亀山からだと、JRが便利ですよね。国鉄時代には、草津線経由で名古屋・京都を結ぶ急行「平安」や修学旅行で姫路から鳥羽まで走る臨時列車があって、京阪神とのつながりは今よりも強かったと思います。いつになるかわかりませんが、リニア中央新幹線の亀山駅ができるときには、関西本線や草津線の強化が図られるものと期待しています。
@@shiros33 へぇ、姫路から鳥羽行きがあったんですね?初耳ですわ。名古屋〜奈良を結ぶ急行かすがもありましたね!リニア亀山駅は、何処に作るのかな?現存の亀山駅に併設するのかな?亀山駅前は前より改築工事に入ってて周りの建物も立ち退いてるよ。
個人撮影のカラー動画はなかなか無いので🤗貴重です。アップしていただき、ありがとうございました🙌
プリムあたる さん、コメントありがとうございます。この頃はまだ8mmビデオはなくて、8mmフィルムでした。写真屋さんで現像してもらって、映写機でスクリーンに映すまでどのように撮影されているかわからないところが、フィルムカメラの味わいと共通するのかもしれません。
昭和55年3月3日に草津線は電化され、それに合わせる形で従来までの湖西線用113系700番台のシートピッチ改善型113系2700番台を追加で新製導入しましたが、結局草津線専用とはならず最終的に湖西線と共通運用されることが正式に決まりました(既存の700番台が草津線運用にも入り、逆に追加で新製導入した2700番台が湖西線運用にも入るようになった)。
rhscm989さん、知らない情報を教えていただき、ありがとうございます。
信楽線懐かしいな。C58撮りに行ったよ。ロケハンで沿線歩いてたら紙漉きの音がしたり、良い雰囲気だったな。
私も信楽線へ蒸気機関車の写真を撮影に行ったことがあります。おそらくC58だったのでしょう。
この動画配信は関西本線の伊賀上野付近のものですがちなみに関西本線の伊賀上野付近は近鉄伊賀線(現)伊賀鉄道が走っていたところです、
孝一郎巽さん、コメントありがとうございます。この8mmフィルムの直前の時代には、近鉄伊賀線で大正時代に製造された生え抜きの電車が走っていました。今は全車両が東急電鉄から購入したものになっています。
キハ35快速好かん‼️かつて名古屋から奈良までの関西線にキハ35気動車が走っていました。オールロングシート冬は隙間風ひどい車両でした。北九州市生まれ愛知県在住62歳会社員より!
父親が通勤でこの客車に乗り大津まで往復してました。帰宅後すぐに嗅ぎにいった背広(!)に染み付いた匂いが石炭から重油に変わったのも覚えています。京都-柘植(亀山)が下りの方が一本多かったので昼間に確か京都-草津回送扱いの運用があって、草津駅の6番線?から東海道本線を跨いで貴生川に向かうのに何度か乗りました。不良高校生が客車の便所で喫煙したり他校生をカツアゲしたり車掌マイクで喋ったり...思い出は美しいものばかりではありません。
rokusin129さん、コメントありがとうございます。編成が長いと列車内で悪さをするやつが出てくるものなんですね。草津駅の一番北にある6番線は、私が彦根から帰るときに、草津線経由で名古屋や鳥羽へ行く急行に乗車するため、よく利用していました。
@@shiros33 平安・志摩・くまの なんて走ってましたね。気動車の柘植行・信楽行の貴生川での増解結も懐かしいです。
@@rokusin129 名古屋と京都を結んでいた急行「平安」は、所要時間と運賃を考慮すると、今でも競争力があると思いますが、亀山でJR東海とJR西日本に分かれてしまっているので、復活は考えられず残念です。
@@shiros33 急行廃止のずーっと後にできた南草津に停車なんて面白いですけどね。
亀山は、今は、JR東海と西日本の接点ですね。加茂行きの関西線あまりに寂しいですね。?
@user-qi7yy1jb6mさん、コメントありがとうございます。お示しのように、亀山はJR東海とJR西日本との境界駅になっていますので、交通系ICカードを両社のエリアを越えて使えないとか、列車接続が必ずしもよくないとか、いろいろ課題はありますが、徐々に改善に向かうと期待しています。加茂~亀山間の非電化区間については、今年(2023年)4月頃から、車の方が便利なところでも、あえて関西本線の気動車を利用して確認していると、1両だけということがあるものの、概ね座席はうまっているという感じです。加茂発亀山行きの最終列車などは、満員で乗り切れないほどの乗客がいて、不満が出ているとの話も聞きます。今月7日には、新堂駅前にDMG森精機さんが大層立派な施設 SHINDO YARDSをオープンし、2025年には同一敷地にワイナリーが整備される予定ですので、それを目的に関西本線気動車を利用する方が増えればいいなと思っています。
キハ35は、ダサい❗
なつかしいですね。たしか、加太でスイッチバックしてましたね。 笑この時代の、8ミリって高級品でしたね。
ジルヴィルヌーブさん、コメントありがとうございます。中在家信号場のスイッチバックは有名でした。その頃の蒸気機関車D51をぜひ撮りたかったですが、私はそのころ小学生から中学生ぐらいのときで、そこへ行く手立てがなかったです。結局8mmフィルムカメラを買ったのは関西本線の蒸気機関車が引退した後のことで、近鉄伊賀線の古豪5181形の引退に何とか間に合ったという感じです。
@@shiros33 こちらこそ、レスありがとうございます。小生は、ブルトレ500番台や、DF50のころから、撮り鉄をしていました、まだ、特急くろしおが、名古屋から走っていたころですかね、歳がバレちゃいますね。 笑JRに、なってから特急のヘッドマークがなくなって寂しくなりましたね、
@@ジルヴィルヌーブ 名古屋まで「くろしお」が行っていた時期というと、先頭車両が独特なキハ81形だったでしょうか。一度これで紀伊半島一周をと目論んでいましたが、叶いませんでした。JR東海とJR西日本とに分かれている在来線区間は、もはや通しで乗るのがほぼ不可能になってきているようで、残念です。
@@shiros33 はい、ボンネットのくろしおですね。紀勢本線の、新宮から西が電化されて、振り子車両に変わって、名古屋から紀伊勝浦までの、特急南紀が誕生しまね。当時、国鉄の、いい日旅立ちのコマーシャルに出てくる、くろしおかっこよかったですね。そのころまだ、名古屋から紀伊半島をぐるっと1周して天王寺まで行く、夜行鈍行はやたまも走っていましたね。電化区間は、ゴハチが牽引して、非電化区間は、デデゴイチでしたね。 笑
今と比べて列車長も長いですね。関西本線なんて今や小型のキハ120が1~2両で走っています。
@関目高殿-d3mさん、コメントありがとうございます。関西本線の前身である関西鉄道株式会社が、当初1890年に草津―四日市間を開通させたこともあってか、国鉄時代にも京都から草津線を通って亀山に至るディーゼル機関車牽引の列車が8両編成で運行されていました。草津線経由の急行も「平安」「志摩」が走っていた懐かしい時代です。
草津線の50系客車の動画も貴重ですね。京都~柘植は各駅停車ですが、上りの瀬田駅は通過してました。下りは覚えてないです。
たけいち さん、コメントありがとうございます。京都から貴生川方面へ行く乗車ニーズに対応して、この頃は客車を8両も牽引する列車がありました。私は彦根からの帰りに使っていて、草津では京都方面からの乗客が多く、なかなか座れなかった記憶があります。柘植を越えて亀山まで直通する列車もありましたね。
概要欄にもありますが最初の映像は草津線の油日~柘植間の五反田陸橋からの映像ですね。
ご指摘のとおり、電化前の草津線気動車を五反田陸橋(大橋)から撮影したものと思われます。
列車の走行する姿が力強く見えるのは、編成が長いからだろう。
この時代には、ディーゼル機関車が8両の客車を牽引して、京都から東海道本線、草津線、関西本線経由で亀山まで走っていました。
車両を置き換えれば最近の動画と気が付かない車窓。寧ろ編成は短くなる一方。
単にキハ30は関西線を東に移動して走っただけ?奈良を軸に活躍した後に非電化区間に活躍の軸足を移した感じに思います
キハ30(35)はたしか通勤用に開発された車両で、1960年代には亀山始発の奈良から快速湊町(現JR難波)行きに使用されていました。奈良から天王寺まで殆ど停車しなかったので、ものすごく早かった記憶があります。その意味では、奈良を軸に活躍した時期があったと言ってよいと思います。
キハ35は、オールロングシートで乗客に対してどこか侮辱したかように思います。客車とは、月とすっぽんです。北九州市生まれ愛知県下在住62歳会社員です。松島和哉より!
キハ35好きな方は、おるとね。?
通勤用のロングシートディーゼル車両なので、あまり華やかさはありませんが、奈良から快速湊町(現JR難波)行きに運用されていたときは、今の電車による大和路快速よりも速かった印象があります。
タブレット通過あったんね?キハ35で。
蒸気機関車が牽引する貨物列車がタブレット通過する映像を見た記憶があるので、蒸気機関車とキハ35が併存した時期があることを考慮すると、キハ35のタブレット通過も考えられるわけですが、単線区間ではキハ35は各駅停車になるので、タブレットは駅員さんが持って歩いて交換していたのではと 思います。
貴重な映像、ありがとうございました、俺も去年までは、亀山に住んでたので、関西線や、草津線でよく、京都や、大阪に行きましたよ。
くんかあ さん、コメントありがとうございます。
亀山からだと、JRが便利ですよね。国鉄時代には、草津線経由で名古屋・京都を結ぶ急行「平安」や修学旅行で姫路から鳥羽まで走る臨時列車があって、京阪神とのつながりは今よりも強かったと思います。
いつになるかわかりませんが、リニア中央新幹線の亀山駅ができるときには、関西本線や草津線の強化が図られるものと期待しています。
@@shiros33 へぇ、姫路から鳥羽行きがあったんですね?初耳ですわ。名古屋〜奈良を結ぶ急行かすがもありましたね!リニア亀山駅は、何処に作るのかな?現存の亀山駅に併設するのかな?亀山駅前は前より改築工事に入ってて周りの建物も立ち退いてるよ。
個人撮影のカラー動画はなかなか無いので🤗貴重です。アップしていただき、ありがとうございました🙌
プリムあたる さん、コメントありがとうございます。
この頃はまだ8mmビデオはなくて、8mmフィルムでした。
写真屋さんで現像してもらって、映写機でスクリーンに映すまでどのように撮影されているかわからないところが、フィルムカメラの味わいと共通するのかもしれません。
昭和55年3月3日に草津線は電化され、それに合わせる形で従来までの湖西線用113系700番台のシートピッチ改善型113系2700番台を追加で新製導入しましたが、結局草津線専用とはならず最終的に湖西線と共通運用されることが正式に決まりました(既存の700番台が草津線運用にも入り、逆に追加で新製導入した2700番台が湖西線運用にも入るようになった)。
rhscm989さん、知らない情報を教えていただき、ありがとうございます。
信楽線懐かしいな。C58撮りに行ったよ。ロケハンで沿線歩いてたら紙漉きの音がしたり、良い雰囲気だったな。
私も信楽線へ蒸気機関車の写真を撮影に行ったことがあります。おそらくC58だったのでしょう。
この動画配信は関西本線の伊賀上野付近のものですがちなみに関西本線の伊賀上野付近は近鉄伊賀線(現)伊賀鉄道が走っていたところです、
孝一郎巽さん、コメントありがとうございます。この8mmフィルムの直前の時代には、近鉄伊賀線で大正時代に製造された生え抜きの電車が走っていました。今は全車両が東急電鉄から購入したものになっています。
キハ35快速好かん‼️かつて名古屋から奈良までの関西線にキハ35気動車が走っていました。オールロングシート冬は隙間風ひどい車両でした。北九州市生まれ愛知県在住62歳会社員より!
父親が通勤でこの客車に乗り大津まで往復してました。帰宅後すぐに嗅ぎにいった背広(!)に染み付いた匂いが石炭から重油に変わったのも覚えています。京都-柘植(亀山)が下りの方が一本多かったので昼間に確か京都-草津回送扱いの運用があって、草津駅の6番線?から東海道本線を跨いで貴生川に向かうのに何度か乗りました。不良高校生が客車の便所で喫煙したり他校生をカツアゲしたり車掌マイクで喋ったり...思い出は美しいものばかりではありません。
rokusin129さん、コメントありがとうございます。
編成が長いと列車内で悪さをするやつが出てくるものなんですね。
草津駅の一番北にある6番線は、私が彦根から帰るときに、草津線経由で名古屋や鳥羽へ行く急行に乗車するため、よく利用していました。
@@shiros33 平安・志摩・くまの なんて走ってましたね。気動車の柘植行・信楽行の貴生川での増解結も懐かしいです。
@@rokusin129 名古屋と京都を結んでいた急行「平安」は、所要時間と運賃を考慮すると、今でも競争力があると思いますが、亀山でJR東海とJR西日本に分かれてしまっているので、復活は考えられず残念です。
@@shiros33 急行廃止のずーっと後にできた南草津に停車なんて面白いですけどね。
亀山は、今は、JR東海と西日本の接点ですね。加茂行きの関西線あまりに寂しいですね。?
@user-qi7yy1jb6mさん、コメントありがとうございます。
お示しのように、亀山はJR東海とJR西日本との境界駅になっていますので、交通系ICカードを両社のエリアを越えて使えないとか、列車接続が必ずしもよくないとか、いろいろ課題はありますが、徐々に改善に向かうと期待しています。
加茂~亀山間の非電化区間については、今年(2023年)4月頃から、車の方が便利なところでも、あえて関西本線の気動車を利用して確認していると、1両だけということがあるものの、概ね座席はうまっているという感じです。加茂発亀山行きの最終列車などは、満員で乗り切れないほどの乗客がいて、不満が出ているとの話も聞きます。
今月7日には、新堂駅前にDMG森精機さんが大層立派な施設 SHINDO YARDSをオープンし、2025年には同一敷地にワイナリーが整備される予定ですので、それを目的に関西本線気動車を利用する方が増えればいいなと思っています。
キハ35は、ダサい❗
なつかしいですね。
たしか、加太でスイッチバックしてましたね。 笑
この時代の、8ミリって高級品でしたね。
ジルヴィルヌーブさん、コメントありがとうございます。
中在家信号場のスイッチバックは有名でした。その頃の蒸気機関車D51をぜひ撮りたかったですが、私はそのころ小学生から中学生ぐらいのときで、そこへ行く手立てがなかったです。
結局8mmフィルムカメラを買ったのは関西本線の蒸気機関車が引退した後のことで、近鉄伊賀線の古豪5181形の引退に何とか間に合ったという感じです。
@@shiros33
こちらこそ、レスありがとうございます。
小生は、ブルトレ500番台や、DF50のころから、撮り鉄をしていました、
まだ、特急くろしおが、名古屋から走っていたころですかね、
歳がバレちゃいますね。 笑
JRに、なってから特急のヘッドマークがなくなって寂しくなりましたね、
@@ジルヴィルヌーブ 名古屋まで「くろしお」が行っていた時期というと、先頭車両が独特なキハ81形だったでしょうか。一度これで紀伊半島一周をと目論んでいましたが、叶いませんでした。
JR東海とJR西日本とに分かれている在来線区間は、もはや通しで乗るのがほぼ不可能になってきているようで、残念です。
@@shiros33
はい、ボンネットのくろしおですね。
紀勢本線の、新宮から西が電化されて、振り子車両に変わって、
名古屋から紀伊勝浦までの、特急南紀が誕生しまね。
当時、国鉄の、いい日旅立ちのコマーシャルに出てくる、くろしおかっこよかったですね。
そのころまだ、名古屋から紀伊半島をぐるっと1周して天王寺まで行く、
夜行鈍行はやたまも走っていましたね。
電化区間は、ゴハチが牽引して、非電化区間は、デデゴイチでしたね。 笑
今と比べて列車長も長いですね。
関西本線なんて今や小型のキハ120が1~2両で走っています。
@関目高殿-d3mさん、コメントありがとうございます。
関西本線の前身である関西鉄道株式会社が、当初1890年に草津―四日市間を開通させたこともあってか、国鉄時代にも京都から草津線を通って亀山に至るディーゼル機関車牽引の列車が8両編成で運行されていました。
草津線経由の急行も「平安」「志摩」が走っていた懐かしい時代です。
草津線の50系客車の動画も貴重ですね。京都~柘植は各駅停車ですが、上りの瀬田駅は通過してました。下りは覚えてないです。
たけいち さん、コメントありがとうございます。
京都から貴生川方面へ行く乗車ニーズに対応して、この頃は客車を8両も牽引する列車がありました。
私は彦根からの帰りに使っていて、草津では京都方面からの乗客が多く、なかなか座れなかった記憶があります。
柘植を越えて亀山まで直通する列車もありましたね。
概要欄にもありますが
最初の映像は草津線の油日~柘植間の五反田陸橋からの映像ですね。
ご指摘のとおり、電化前の草津線気動車を五反田陸橋(大橋)から撮影したものと思われます。
列車の走行する姿が力強く見えるのは、編成が長いからだろう。
この時代には、ディーゼル機関車が8両の客車を牽引して、京都から東海道本線、草津線、関西本線経由で亀山まで走っていました。
車両を置き換えれば最近の動画と気が付かない車窓。寧ろ編成は短くなる一方。
単にキハ30は関西線を東に移動して走っただけ?奈良を軸に活躍した後に非電化区間に活躍の軸足を移した感じに思います
キハ30(35)はたしか通勤用に開発された車両で、1960年代には亀山始発の奈良から快速湊町(現JR難波)行きに使用されていました。
奈良から天王寺まで殆ど停車しなかったので、ものすごく早かった記憶があります。
その意味では、奈良を軸に活躍した時期があったと言ってよいと思います。
キハ35は、オールロングシートで乗客に対してどこか侮辱したかように思います。客車とは、月とすっぽんです。北九州市生まれ愛知県下在住62歳会社員です。松島和哉より!