2024年6月30日「嘆きは喜びに」

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  • Опубликовано: 2 июл 2024
  • さがみ野教会の主日礼拝の説教動画です。
    6月30日は日本中会の一斉講壇交換で、渋沢教会の大井啓太郎牧師が説教をしてくださいました。
    聖書:詩編第30編1から13節
    説教題:喜びも悲しみも歌とする
    先日、私は興味深いTV番組を見ました。題名は『なぜ人は歌を歌うのか』というNHKBSの番組です。認知症の人でも言葉は忘れても、歌は忘れない、どうして歌は忘れないのか?という研究や、アフリカのバカ族の生活と共にある歌、オウムが歌に合わせてリズムをとる姿などを紹介し、色々な意味で人間に歌が重要であることを伝えていた番組でした。最新の研究では、認知症治療に音楽が有効であることが実証されたそうです。それほど、歌や音楽が人に影響を及ぼす理由は、社会性すなわち絆を確認し合うためであると語られていましたが、なるほど国に国歌があり、学校に校歌があり、教会に讃美歌があるのは、国民として、生徒として、神の家族として絆を確認しているのです。
    今日の詩編30編も、1節に「賛歌。神殿奉献の歌。ダビデの詩」とあり、もともとは歌のようなリズムやメロディーが付けられていたのではと考えられます。また、「ダビデの詩」とは、詩編は全部で150編が聖書におさめられており、そのうちの73編に「ダビデの詩」という注が付けられてダビデが作ったと、考えることもできますが、現代の研究では73編全てダビデが作ったものではなく、「ダビデに献上された」とか「ダビデについての」「ダビデを偲んで」「ダビデの指示によって」という意味で、「ダビデの詩」と記されていると考えられています。しかし、誰がこの詩を作ったにせよ、ダビデの人生を知ればこの詩をより深く理解できるでしょう。
    ダビデは、最後の士師サムエルによって見いだされ、初代の王サウルに次いで王として選ばれ、油注がれました。彼は、主なる神に忠実で、竪琴を弾き、歌を歌うような才能の持ち主でしたが、時に人間的な過ちを犯し、主から罰を受けました。聖書にはダビデが犯してしまった罪とその罰が、いくつか挙げられていますが、一番有名なのは、部下ウリヤの妻バト・シェバを奪い、自分の妻としたことです。その罪に対して主は預言者ナタンを遣わして、その罪を暴き、ナタンはバト・シェバとの間にできた子どもが死ななければならないことをダビデに告げました。また、ダビデは自らの欲望で人口調査をしたことがありました。サムエル記下24章に詳しく記されていますが、この時は、預言者ガドから3つの選択肢を示され、結局3日間の疫病の流行を選び、ユダヤ全土で7万人が死んだと記されています。今日の詩編30編は、重病をいやされた人の感謝の歌です。ですから、この3日間の疫病の流行の後に疫病の流行が収まり、ダビデが主なる神に感謝をささげたものなのかもしれません。
    私たちも、3年に及ぶ新型コロナウイルスの世界的流行を経験しました。私自身も、今年になって初めて感染し、39℃以上の熱が2日間続き、味覚障害の後遺症も経験しました。幸い、味覚障害も今は治りましたが、残りの人生が味が分からないままだったら、と絶望的な気持ちにもなりました。何が起きるのか、本当に分からないのが人生です。7-8節にあるように何もない平穏な時には、神様を信頼できても、いざ思いがけない困難に直面すると途端に信仰が揺らいでしまうのです。
    しかし、そのような絶望の淵に立った時、私たちは自分の全存在をかけて神様と本当の意味で向き合えるのです。祈りが生まれます。新しい道を探すようになります。そして、呼び求める声に主は応え12節「嘆きを踊りに変え」て下さるのです。神様が私たちにどんな良いものを用意してくださっているのか、期待しましょう。

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