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新幹線上野開業前に友達と上野~小山までざおう1号の指定席に乗車しました。硬券の急行券・指定席券が欲しいために南武線の鹿島田駅で買いました。小山~水戸線・常磐線で水戸まで行って、帰りは水戸始発の14時03分ときわ号(ディーゼルカー)の自由席グリーン車に乗車して帰って来ました。(もちろん硬券の切符を購入して)ざおう号は直通で山形に行けるとあって年配の方々が多くて満席に近かったです。水戸始発のときわ号は3分前に特急ひたち号があったので、グリーン車はガラガラでした。上野までの1時間40分の旅良かったです。
国鉄時代の長距離・長編成の急行いいですね!
ボックスシートで料金取られるってなると、結構しんどいですね。末期の急行がどんどんリクライニングシートになったり、特急格上げされていったのも必然だったんだなあ。
またまた、聞きに来てしまいました。鉄道唱歌で始まる車内放送これにつきますね🚂沢山の特急、急行、鈍行、乗車している気分で楽しませて頂いています。✌️
到着予定時刻を24時間制と12時間制の両方で案内して下さる丁寧さがいいですね~
鉄道ジャーナルの記事で、東北新幹線大宮暫定開業時にも残った「まつしま」「ざおう」。記者が乗車して、それぞれの編成の乗客に感想を聞いたところ、後者の方では「新幹線なんか関係ねぇだすだ!」と言った厳しい意見が多かったとか。福島か仙台乗り換えがそれだけネックになり、かつての直通が無くなった事に不満だらけとの事だった。それが山形新幹線の呼び水だったのだろうか。ちなみに「ざおう」のこの列車、新幹線開業前は季節運転だった。
そういう事情で山形新幹線開業前日まで上野直通の特急つばさが一往復残ってましたね。確かにエスカレーターを使うにしても福島駅の乗り換えは年寄りには大変苦痛なものでした。
高校2年の時ざおう1号&まつしま3号乗車しました。指定席券の硬券が欲しくて乗りました。小山まで。小山から水戸線に乗って水戸へ。水戸からディーゼルの急行ときわ号のグリーン車乗って上野に帰ってきました。
なかなか贅沢な鐵旅ですな!
国鉄末期の頃ですね🎵まだ禁煙車が無かった時代は停車駅が2~3少なかった🍀知ってる人はほとんどいないと思うけど、まつしまにはビュッフェが付いてた☕️東北本線の急行は本当にお世話になりました☺️
自由にタバコが吸えたあの頃が懐かしい。
え゛~‼️ビュッフェが⁉️それは利用しますよ~ 😋合理化もいいけど、たくさんの「何か」を失ってはないのかなぁ 😢
上野を発車する時の旅情感がたまらなかったのを思い出します。1968年頃はよく荒川橋梁の上で徐行をしたり止まってました。あれは何だったのでしょう?工事か何かかもしれませんね。
小さい頃、祖父の家に行く時よく「まつしま」や「ざおう」を使ってました。鉄道唱歌を聞くと、旅に出た、と感じたものです。
オルゴールチャイムにベテラン車掌長のお国訛りや名調子のアナウンスは旅情を掻き立ててくれますよね。長距離列車の始発・終着時くらいは車掌の肉声によるウェルカム放送をすべきで、自動放送は全く歓迎感がなく、何が「ご乗車ありがとうございます」だ・・・と呆れてしまいます。
なかなか懐かしい。。
急行型のオルゴールは撤去と言うよりもグリーン車の連結が不可欠でした。旧客や12系は全てに装備されていましたが、急行型電車の場合は、グリーン車のみにオルゴールが搭載されていました。グリーン車の連結が無くなった急行では必然的にオルゴールが鳴らなくなり、またグリーン車からの放送でない場合には、鳴らせませんでした、
485系などは、モハ484などから撤去したオルゴールを転用してクハ481の老朽化したオルゴールを交換していましたが、それでも不足し電子オルゴールの導入となりました。ただし、サロ455やサロ165などは廃車が見込まれましたから、新規投資は避けられ、壊れたら撤去されたままでした。急行「東海」の165系などは音が欠けたり回転速度も不安定になりながらも、最後まで交換できないまま使用され続けました。JR西日本の165系は「リバイバル鷲羽」運行時に、廃車発生品のオルゴールを運転台に据え付け、「鉄道唱歌」を各駅で流していました。
1:30 「…米沢・糠野目・赤湯…」懐かしく何度も繰り返し聞きました。現:高畠の当時:糠野目は、急行のみの停車でした。
交直流急行型電車東日本 455系(451系)西日本 475系交直流近郊型電車東日本 415系西日本 423系
懐かしいですね♪両親の実家が郡山で小学校時代は春夏冬休みは急行を使って帰省してました。新幹線開業後は使用する機会も減りましたが、85年頃はシ-ト生地がリニュ-アルされてたのですね。基本はまつしま・ばんだいがメインでしたが、時折ざおう併結、あづま、いいでも使用しましたね。当時は特急に憧れ急行には不満たらたらでしたが、今振り返るとのんびりして良かったです!小山〜郡山も停車駅増えてますね。新幹線開業後変わったのか?
上野発車後に放送している車掌さんは宇都宮車掌区の方でしょうか?JR東日本発足後も、上野~宇都宮~黒磯間の115系と211系でこの車掌さんらしき声を聞いたことがあるような気がします。
ひばり等の最優先特急電車が新幹線開業で消えて以降も、活躍した記憶があります。先日大宮の鉄博で485系と並んだ455系を見て、非常に感慨深かったです。
急行「くりこま」などは特急に負けない俊足列車で有名でしたね。東北新幹線は大宮暫定開業ということで、しばらくは急行「まつしま」「あづま」なども生き残りましたね。
ランチトレインで駅弁食べれるよ。
はじめまして。貴重な音源ありがとうございます♪一つ指摘点が有ります。。。この車内放送ではまつしま3号が「3両」、ざおう1号が「6両」となっています。この体裁になったのは1984年2月改正以降かと思われます。。。1984年2月改正で、東北本線の客車普通列車の一部が電車化され、455系の3両が登場しています。それに伴い、東北本線筋の急行も減量され9両編成が登場していますが、この放送は1984年2月改正以降の収録ではないでしょうか??改正以前は、「ざおう」、「まつしま」共6両で12両だった記憶があります。
この音源は85年1月のものでした。訂正させて頂きます。この頃は普通列車にも455系が運用され、仙台-福島間528Mなどサロ455(グリーン車)も普通車扱いで開放され、乗り得列車で何度か乗車しています。
常磐線仙台駅以南にも時を同じくして普通車扱いに。時より気動車も普通車で走ってました。それ以前はEDが牽引する国鉄型客車でした。
今のやまびこ つばさ号みたいな行先みたいですね
奥羽線も東北線もかつては、これだけ特急や急行が走っていて、その間を縫って各駅も走っていました。この編成は、東北新幹線と山形新幹線への伏線だったような気がします。
そうだね!便利になったけど旅➡移動手段に。味気ない 😢
懐かしいです。蔵王は上りで赤湯から上野まで乗りました。やはり福島で松島と併結。ちなみに上野から赤湯までは秋田行のおが1号(キハ58系)に乗って行きました。
鉄道唱歌のオルゴール旅情を誘う・・・
24時間基準と12時間基準の時間をいうのは珍しいのではないのでしょうか?車掌さんのサービスでしょうか?
以前は特に珍しいということはありませんでしたが、最近ではレアかも知れません。デジタル世代では、24時間制、暦も西暦の方がしっくりきます。
この列車は自由席が多いんですね。親父の田舎が福島の白河なので何回か乗った記憶が有り、それ以外臨時列車を利用する事が多く客車B寝台を使用した臨時列車を、白河80号だったかな??、往復を数回利用した覚えが有ります。この当時の時刻表が見てみたいですね。
東北新幹線開業前は、東北本線には多くの特急・急行が運行されてましたね。停車駅も列車によって異なり、白河クラスの駅ですと注意が必要でした。「はつかり」は通過でしたが「ひばり」は停車しましたね。こじんまりとした街を包みこむようなカーブした小高い場所のホームが遠い記憶にありますね。
七尾線の455系にオルゴールは付いてるんでしょうか?
多分撤去されてるかもですね…
日暮里ですれ違う新幹線車両って何? 200系には見えなかったのですが。
E1系では?
上野〜仙台が急行でも5時間かぁ。ボックス席じゃ、仙台着く頃は足腰ヘロヘロかも。それを思うと新幹線って有り難いんだね。
💺 シートの違いはあれど、L型の特急ひばりでさえ上野-仙台間は約4時間だった記憶が。詳しい方の補足をお願いします! 🙏
新幹線上野開業前に友達と上野~小山までざおう1号の指定席に乗車しました。硬券の急行券・指定席券が欲しいために南武線の鹿島田駅で買いました。小山~水戸線・常磐線で水戸まで行って、帰りは水戸始発の14時03分ときわ号(ディーゼルカー)の自由席グリーン車に乗車して帰って来ました。(もちろん硬券の切符を購入して)
ざおう号は直通で山形に行けるとあって年配の方々が多くて満席に近かったです。水戸始発のときわ号は3分前に特急ひたち号があったので、グリーン車はガラガラでした。上野までの1時間40分の旅良かったです。
国鉄時代の長距離・長編成の急行いいですね!
ボックスシートで料金取られるってなると、結構しんどいですね。末期の急行がどんどんリクライニングシートになったり、特急格上げされていったのも必然だったんだなあ。
またまた、聞きに来てしまいました。
鉄道唱歌で始まる車内放送これにつきますね🚂
沢山の特急、急行、鈍行、乗車している気分で楽しませて頂いています。✌️
到着予定時刻を24時間制と12時間制の両方で案内して下さる丁寧さがいいですね~
鉄道ジャーナルの記事で、東北新幹線大宮暫定開業時にも残った「まつしま」「ざおう」。記者が乗車して、それぞれの編成の乗客に感想を聞いたところ、後者の方では「新幹線なんか関係ねぇだすだ!」と言った厳しい意見が多かったとか。福島か仙台乗り換えがそれだけネックになり、かつての直通が無くなった事に不満だらけとの事だった。それが山形新幹線の呼び水だったのだろうか。ちなみに「ざおう」のこの列車、新幹線開業前は季節運転だった。
そういう事情で山形新幹線開業前日まで上野直通の特急つばさが一往復残ってましたね。
確かにエスカレーターを使うにしても福島駅の乗り換えは年寄りには大変苦痛なものでした。
高校2年の時ざおう1号&まつしま3号乗車しました。指定席券の硬券が欲しくて乗りました。小山まで。小山から水戸線に乗って水戸へ。水戸からディーゼルの急行ときわ号のグリーン車乗って上野に帰ってきました。
なかなか贅沢な鐵旅ですな!
国鉄末期の頃ですね🎵
まだ禁煙車が無かった時代は停車駅が2~3少なかった🍀
知ってる人はほとんどいないと思うけど、まつしまにはビュッフェが付いてた☕️
東北本線の急行は本当にお世話になりました☺️
自由にタバコが吸えたあの頃が懐かしい。
え゛~‼️ビュッフェが⁉️それは利用しますよ~ 😋
合理化もいいけど、たくさんの「何か」を失ってはないのかなぁ 😢
上野を発車する時の旅情感がたまらなかったのを思い出します。1968年頃はよく荒川橋梁の上で徐行をしたり止まってました。あれは何だったのでしょう?工事か何かかもしれませんね。
小さい頃、祖父の家に行く時よく「まつしま」や「ざおう」を使ってました。鉄道唱歌を聞くと、旅に出た、と感じたものです。
オルゴールチャイムにベテラン車掌長のお国訛りや名調子のアナウンスは旅情を掻き立ててくれますよね。長距離列車の始発・終着時くらいは車掌の肉声によるウェルカム放送をすべきで、自動放送は全く歓迎感がなく、何が「ご乗車ありがとうございます」だ・・・と呆れてしまいます。
なかなか懐かしい。。
急行型のオルゴールは撤去と言うよりもグリーン車の連結が不可欠でした。旧客や12系は全てに装備されていましたが、急行型電車の場合は、グリーン車のみにオルゴールが搭載されていました。グリーン車の連結が無くなった急行では必然的にオルゴールが鳴らなくなり、またグリーン車からの放送でない場合には、鳴らせませんでした、
485系などは、モハ484などから撤去したオルゴールを転用してクハ481の老朽化したオルゴールを交換していましたが、それでも不足し電子オルゴールの導入となりました。ただし、サロ455やサロ165などは廃車が見込まれましたから、新規投資は避けられ、壊れたら撤去されたままでした。急行「東海」の165系などは音が欠けたり回転速度も不安定になりながらも、最後まで交換できないまま使用され続けました。JR西日本の165系は「リバイバル鷲羽」運行時に、廃車発生品のオルゴールを運転台に据え付け、「鉄道唱歌」を各駅で流していました。
1:30 「…米沢・糠野目・赤湯…」懐かしく何度も繰り返し聞きました。現:高畠の当時:糠野目は、急行のみの停車でした。
交直流急行型電車
東日本 455系(451系)
西日本 475系
交直流近郊型電車
東日本 415系
西日本 423系
懐かしいですね♪両親の実家が郡山で小学校時代は春夏冬休みは急行を使って帰省してました。新幹線開業後は使用する機会も減りましたが、85年頃はシ-ト生地がリニュ-アルされてたのですね。基本はまつしま・ばんだいがメインでしたが、時折ざおう併結、あづま、いいでも使用しましたね。当時は特急に憧れ急行には不満たらたらでしたが、今振り返るとのんびりして良かったです!小山〜郡山も停車駅増えてますね。新幹線開業後変わったのか?
上野発車後に放送している車掌さんは宇都宮車掌区の方でしょうか?
JR東日本発足後も、上野~宇都宮~黒磯間の115系と211系でこの車掌さんらしき声を聞いたことがあるような気がします。
ひばり等の最優先特急電車が新幹線開業で消えて以降も、活躍した記憶があります。
先日大宮の鉄博で485系と並んだ455系を見て、非常に感慨深かったです。
急行「くりこま」などは特急に負けない俊足列車で有名でしたね。東北新幹線は大宮暫定開業ということで、しばらくは急行「まつしま」「あづま」なども生き残りましたね。
ランチトレインで駅弁食べれるよ。
はじめまして。貴重な音源ありがとうございます♪一つ指摘点が有ります。。。この車内放送ではまつしま3号が「3両」、ざおう1号が「6両」となっています。この体裁になったのは1984年2月改正以降かと思われます。。。1984年2月改正で、東北本線の客車普通列車の一部が電車化され、455系の3両が登場しています。それに伴い、東北本線筋の急行も減量され9両編成が登場していますが、この放送は1984年2月改正以降の収録ではないでしょうか??改正以前は、「ざおう」、「まつしま」共6両で12両だった記憶があります。
この音源は85年1月のものでした。訂正させて頂きます。この頃は普通列車にも455系が運用され、仙台-福島間528Mなどサロ455(グリーン車)も普通車扱いで開放され、乗り得列車で何度か乗車しています。
常磐線仙台駅以南にも時を同じくして普通車扱いに。時より気動車も普通車で走ってました。それ以前はEDが牽引する国鉄型客車でした。
今のやまびこ つばさ号みたいな行先みたいですね
奥羽線も東北線もかつては、これだけ特急や急行が走っていて、その間を縫って各駅も走っていました。この編成は、東北新幹線と山形新幹線への伏線だったような気がします。
そうだね!便利になったけど旅➡移動手段に。味気ない 😢
懐かしいです。
蔵王は上りで赤湯から上野まで乗りました。
やはり福島で松島と併結。
ちなみに上野から赤湯までは秋田行のおが1号(キハ58系)に乗って行きました。
鉄道唱歌のオルゴール旅情を誘う・・・
24時間基準と12時間基準の時間をいうのは珍しいのではないのでしょうか?車掌さんのサービスでしょうか?
以前は特に珍しいということはありませんでしたが、最近ではレアかも知れません。デジタル世代では、24時間制、暦も西暦の方がしっくりきます。
この列車は自由席が多いんですね。親父の田舎が福島の白河なので何回か乗った記憶が有り、それ以外臨時列車を利用する事が多く客車B寝台を使用した臨時列車を、白河80号だったかな??、往復を数回利用した覚えが有ります。
この当時の時刻表が見てみたいですね。
東北新幹線開業前は、東北本線には多くの特急・急行が運行されてましたね。停車駅も列車によって異なり、白河クラスの駅ですと注意が必要でした。「はつかり」は通過でしたが「ひばり」は停車しましたね。こじんまりとした街を包みこむようなカーブした小高い場所のホームが遠い記憶にありますね。
七尾線の455系にオルゴールは付いてるんでしょうか?
多分撤去されてるかもですね…
日暮里ですれ違う新幹線車両って何? 200系には見えなかったのですが。
E1系では?
上野〜仙台が急行でも5時間かぁ。
ボックス席じゃ、仙台着く頃は足腰ヘロヘロかも。
それを思うと新幹線って有り難いんだね。
💺 シートの違いはあれど、L型の特急ひばりでさえ上野-仙台間は約4時間だった記憶が。詳しい方の補足をお願いします! 🙏