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戦時歌謡の中でも名曲中の名曲ですね。さらば祖国よ栄あれ..,の下には涙が出ます。
今は亡き父は、晩酌のたびに「南方に行く際、開聞岳を見て、これが最後の日本だと思った。そして、ポロリと涙が出たのは忘れられない。」と言いながら、いつもこの曲を歌っていました。この曲を聴く度にその父を思い出します。 そして、その姿を思うと、今、私も涙がこみ上げて来ます。(父は、ビルマから、叔父は、サイパンから生きて帰りました。 祖父は、退役海軍軍人でした。)
私の父は昨年9月に他界しました。生前、酔っ払うと、よくこの歌を歌っていました。昭和16年8月南支の部隊に配属され、その時、上海の食堂で偶然、陸軍兵器学校の同期に出会ったそうです。叔父は支那戦線から引き抜かれ、フィリピンで壮絶な戦死をしたと聞かされてます。
😭
100歳を越える男性が、輸送船に乗る際2番を皆で歌ったんだと仰っていました。21歳だったそうです。海軍に選出されるのはイケメン揃いで米軍への畏敬だったとも伺いました。
軍歌は色々言われるが、心を奮い立たせ勇気が出ますね☺軟弱な人間にはなりたくない❗
これがフルコーラスだったのですね。アップロードありがとうございます。
素晴らしい声量ですね。元気を貰えます。歌詞の内容の一部は当時仕方なかった一面もあると思います。こうしないと世に出してもらえなかった。こうした歌を批判する今のマスコミも、随分世に迎合している(批判が売れる)と思いますよ。
涙出ますね。
正に涙ものであります
一緒に来た愛馬と、国に残した妻を思う歌ですね。中国大陸で撮影された映画の中で使われた曲です。決して玉砕の歌ではありません、良い歌ですよね。
本当に良い歌で有ります。
玉砕の歌ですよ。この頃は既に、戦地からの生還など可能性は皆無だったのですから。正確に言えば、玉砕覚悟で戦地に向かう男性が国に残す妻子を思い、涙ぐんでいる情景です。
@@なろあす-h5yこの歌は、太平洋戦争の開戦前、日中戦争の歌です。
@@satokotooi6413 様:そのとおりですね。玉砕という言葉はアッツ島守備隊が全滅した時点で初めて現れた日本語。「玉砕の歌」と早とちりする人たちは、そういう歴史を知らず、詩の意味を深く考えることなく「月の光で走り書き」あたりを聞いて単純に思っているだけの話。歴史を学ばないまま、字面だけの判断でものをいう。知的怠慢の極致みたいなものです。恥ずかしくないのかと思いますね。Satoko Tooi様はこういうことをご存じの上で、「日中戦争の時の歌」と返信しているのですが、ものを知らぬ(正確には学ばないままものをいう)人たちには何のことやらわからないでしょうから、あえて記述しました。そもそもシナ事変の時には勝ち戦が多く、「生還の可能性は皆無」なんて話はない。現に私の父の兄は中国各地を転戦した歴戦の勇士で、何度も話を聞きましたが、「生還の可能性ゼロ」などという素っ頓狂な心持ではなかったですよ。
@@今村哲也-x7w さま日支事変では63会戦してわずか4敗ですね。チャイナの一個師団が動くと日本軍一個大隊が迎え撃つという戦が多く、兵力比はほぼ10倍でした。ただ、チャイナの軍隊は現在のロシア軍のように腐敗しており、3分の2くらいの弾薬、兵装、食糧を売り払っていて、実際は10倍ではなく、3倍程度だったという研究もあります。
思えば軍歌は戦意高揚・天皇神聖化という記憶から、今日その幾たりかは固く封印されて闇の中に消え去る運命にあるのではないだろうか。この藍川さんの歌には「さらば祖国よ 栄えあれ」ときわめて格調高く詠われている。(私の父を含め)あの時代、召集の兵士らは国難という絶対の状況に面し、そこから卑怯卑劣な態度で逃げることなく従容として戦場に赴いたように思われる。その輸送船の甲板上で、軍服で武装した彼らの胸中に澎湃として湧き上がった想いがこの言葉であったろう。その兵士らの切々とした愛国の心情を非難できる者はいない。かつて藍川さんは、戦時歌謡を歌って「右翼の手先だ」と決めつけられ、脅迫状を送りつけられたことがあったらしい。送りつけた側の幼稚かつ独善的な正義感に失笑せざるを得ないであろう。一人の人間を右翼だ左翼だ保守だリベラルだ、或いはハトだタカだと、或るカテゴライズによって一括分類する風潮が一般的である。夫々のイデオロギーによる云い分はあろう。併しながら、それで簡単・短絡的に割り切れるほど人間の実存は単純なものではない。すばらしい歌声だと思う。UPに感謝(長文失礼)。2023/04/25
涙、そして感謝。ありがとうございました。
「暁に祈る」は伊藤久男さんの定番であり、歌唱力は他の男性歌手など足元にも寄せ付けないが・・・・この藍川さんの美声と声量には圧倒された。この二人が他の歌手と根本から違うのは、この歌(=詩)の意味をきちんと理解しているからだろう。
4:17
先人に敬礼!あなた方のお陰で独立国家日本は存続しています。
昭和45年生まれ先人のご功績に感謝
いろんな方がこの唄を歌っていますが、私は藍川由美さんの歌唱が一番心に沁みます。
1分12秒位に出て来るドングリ目の俳優は藤田進で、高倉健の網走番外地にも渋い演技で出演して居ります。
フルバージョン。今では珍しいですね。
当時が忍ばれます、おなくなりなった、ご冥福をお祈り申し上げます!🛐
朝ドラ、エールだと村野鉄男が恩師の藤堂先生を思い描いた歌詞だったけど… 福島三羽烏あっての暁に祈るだね!
すごい声量ですね。東京芸術大学卒業の高レベルが分かります。
玉砕の歌ですね。本土防衛の為に死力を尽くして戦い、矢尽き刀折れたのち最後の力を振り絞って敵陣に突っ込んでいく。その勇ましい姿、雄叫びが、目に見え耳に聞こえてくるようです。祖国の弥栄を祈り、興亜の実現を信じて、桜の花びらのように散って行かれた雄々しい御霊。この上なく崇高な日本精神だと思います。凱歌をあげるのは戦いに勝った時。 アジアの開放と共栄の為という戦争目的の正当性への信念でしょうね。聴くたび胸が震えます。一番好きな軍歌です!
この凱歌ですから玉砕ではありませんよ
disagree
玉砕の歌は、朝日新聞が作った【アッツ島血戦勇士顕彰国民歌】で作曲がクラシックの山田耕作氏で朝日新聞が一般公募、審査して制定した、玉砕の文字はこれが初登場、以後、朝日の新聞で玉砕の二字が多く使われた❗
日本を守ると信じ、若い命を散らした特攻隊員も大切な日本の永遠の霊魂です。
歌唱は藍川由美さんです。今から20年近く前の吹き込みですので、全盛期のころ、ということになりますかね。 youtubeについては私も同感です。せっかく歌詞を付けてもアップした瞬間におかしくなることがたびたびあります。最近では「あゝ紅の血は燃ゆる」がそうです。個人的にギリギリ許容範囲だったのでそのままにしてありますけど。
hiro kawanakax
覚悟が決まってる。決死だよ。武士道だね。このときより平和に、長生きできる時代だというのに、何故人の目は死んでいるのだろうね。
😭😭😭😭戦前戦中の日本人は立派でした。
生き残った人は復興に汗水をかいたもの。
有難う、
涙が出てきますょ......😪😪 この時代の人達に比べ 今は何なのだ..? 国会議員からにして鹿馬じゃないのかね😡💢💢💢
投票したのは誰だ。
こんばんは、hiro kawanakaさん。どなたが歌ってるんでしょうか?非常に上品な歌唱ですね、軍歌というジャンルの垣根を越えた素晴らしい曲ですね。いつもながら、素晴らしい画像処理です、また拝見させてもらいますね。最近youtube システム崩壊してますね、ここに、先ほどコメントしたのに、消えていました、スパムでなく、綺麗さっぱり。。。
素晴らしい歌声!聞き惚れて涙がでます。
伊藤久男さんと双璧ですね。素晴らしい歌唱力ですね。
歌唱は藍川由美さんだそうです。素晴らしい歌声。
ありがとうございました
小生の父親は明治38年生まれ、明治の人間には珍しい身長173cm、旧制商業の柔道部主将3段ですが、ド近眼で徴兵を外れて居りましたが、昭和18年小生誕生後志願して、陸軍少佐待遇でインドネシア・スマトラ島の司政官として出征しました。然しながら偶々その地で戦闘は起こらず2年間の捕虜生活を経て帰国しました。
高等試験合格者であればある程度の理解はできますが?。主計官と司政官の区別がされてないようで、因みに大勲位中曾根氏は東大法卒で尉官でした。
@@tamotsusuzuki6473 主計官ではなく、司政官です。高等試験の合格は知らないが、旧3商大の一つを卒業し、佐藤栄作が大阪駅長をして居る時、親父の方が階級が上で、敬礼されたのがネタの一つです。中曽根は主計官で、小生家内の伯父は海軍経理学校の校長で准将でした。
@@筑紫の新平 旧軍に准将は居ないと思います、経理学校長であれば最低少将。准尉は存在しました。高等官試験合格者かを調べるのが手始めと思います。
@@tamotsusuzuki6473 色々のご指摘有難う御座います。残念ながら、本人が准将と云って居る訳です。(他人が少将と呼ぶ例も有りますが。と、云うのは、小生80歳、昔、会社の上司に元主計将校が何人か居り、伯父の教え子でした。)親父の履歴書を紛失しましたが、記憶で勲五等・従四位だったと記憶します。
@@筑紫の新平 叙勲・叙位から拝察すると、高等官でもそれなりの功績が無ければ、一般人が得るには不可能ですね。それと伯父上様は階級詐欺に近いですね、軍隊で階級を偽るのは犯罪です。因みに貴兄とお父上は、小生と父親とが同年代です。
車で聴いてたなぁ
小野田少尉の靖国での言葉の重みを想う。
そうですね。男声とはまた違った味わいがありますね。
藍川由美 さんが歌っているのでしょう。
沖縄戦だけでも八万人の兵隊が死んでいった。それを翁長国王は今だに沖縄は虐げられていたといっている。情けない!!悲しみは共有しなくちゃ
北野政次
Chu2007pae しかしその日本軍の奮闘が無ければ、もしかすれば、沖縄処か日本も無かったかもしれない
北野政次 さんほんとですよ!大和だって沖縄を助けに行ったんじゃないですか。男の方に話すのも何ですが、島民が困っているだろうと軍人さんが奔走して、女性の整理用品まで都合つけて積んだそうですよ。この方々の命のことはどう考えてるんですかね? 軍人だから死んでもいいと言うんでしょうか?特攻までして沖縄を守ろうとしたのに!?彼らだって皆誰かの父であり、兄弟であり、息子であった人たちですよ。いい加減自分達だけが犠牲者、被害者という意識は、やめにして頂きたいです。
Chu2007pae 本土だって空襲で一家全滅した家はいくらでも有りますよ!と私があえて言ったのは喧嘩を売ったのでは無く、被害は比べるものでは無いということが言いたかったから。いい加減、沖縄だけが特別という考え方はやめにしたら?日本全土が空襲で焼かれ、原爆も二つも落とされた。ひどい目にあったのはみんな同じですよ。軍人だって死力を尽くして戦ったんです。守備隊も安閑として敵の侵攻を許したわけではありません。 皆同じ日本人ですよ?国難だったんです。悲しみを共有しようというのは真実です。 それとも沖縄は琉球王国で日本では無いんですか?もしかしてコリアのような意識、立ち位置なんでしょうか?それならば、なにをかやいわん、ですね。
@@小川邦子-q6u様:そうなんです。そしてこの生理用品の確保はもう一つ別の意味があるのです。よく、大和の出撃は昭和天皇が(米軍の沖縄上陸(4月1日)後、陸軍の苦戦を聞いて、もう海軍にフネはないのか、と永野修身軍令部総長にご下問があり、海軍は全力を挙げて沖縄に行く、と答えたのが大和が出撃することが急に決まった理由、とされている。多くの人がそれを信じている。ところが、10年ほど前に総合誌(たぶん中央公論??)に、三菱商事だったか三井物産だったかに、正月明けに生理用品30万人分を3月までに集めろ、という命令が下った。(物資不足の折から)そんな大量の品をどうするのか、と聞いたら「軍機だから答えられない」との回答。ともかく何とかして3月末までに集め、呉に送った、という証言が出てきた。大和の出撃は(沖縄か台湾かーーー米軍の攻撃地点がどちらになるか1月時点ではわからなかったが)ずっと前から計画されていた、ということなのです。ではなぜ昭和天皇の発言のせいにしたのか?実際にそれに近い発言はあったことも事実とされる。しかし伊藤長官以下突入部隊幹部は大反対、草鹿参謀長をはじめ多くの幕僚も成功に見込みがほとんどないことから反対。そこでこの昭和天皇の発言を利用した、ということなのです。陛下のご意思ならば反対のしようがない。これを利用した。(この不条理な意思決定、ほとんどの人が失敗するとわかっていながら不条理な意思決定がなされるメカニズムは、慶応大学、菊澤研宗教授が経済学理論を応用して見事に説明しています。一般向け書籍の中で説明されているのでお読みになると面白いですよ)
エールにあったやつだ!
この歌も、モンテンルパも兵士を送る歌も最高です、涙が出る、お花畑の国民に右翼団体の皆様は街宣車で流して欲しい、今の日本人は自分の私利私欲にはしり目が死んでいる、こんなことでは国を守れない‼️
貴方おいくつですか?。父親が国の無謀さに殺された家族の気持ちがわかりますか?。
愚かな戦争を賛美することは断じてあってはならない。歌や音楽はそれだけのものでしかない。部下に過酷な命令を下した将校たちが戦後に国から軍人恩給を貰い90歳以上の寿命までのうのうと生き延びた。これが戦争というものの現実だ。
この歌も(出征兵士を送る歌)も何故か『大君』が歌詞の中から意図的に外されているようだな。
「出征兵士を送る歌」は『我が大君に召されたる』で始まりますよ
よく陸軍省が採用したものと、思いませんか。決して、戦意高揚の詩と思えません。
採用者は栗林忠道大佐のようだが、2番の歌詞で戦死を覚悟して6番の歌詞で勝利したとあるだろ
戦意高揚というよりも、軍馬に関心を持ってもらうために作られた映画の中の歌です。まだ、太平洋戦争は始まっていません。
聞くと、涙は出ます。民間なら共感が得られるでしょう。しかし、現役の軍部がやる戦意高揚施策ではない気がします。下手すると、厭戦気分を招くかもしれない。まだ、大東亜戦争は始まっていませんが、日中戦争の最中、戦意高揚の意識はあったのはず。陸軍省としては弱気で、兵の気持ちを忖度しすぎなのではないだろうか⁉️味方が幾ら死のうが戦争には勝てないかもしれない。敵に勝つことが目的で、敵兵をどれだけ倒すかが目標のはず。敵の血油をキャタピラのグリースにしてでも、勝って生きて帰えろうぐらいの気概があってもいいのではないでしょうか⁉️現役の軍部省なのですから。
りよか
暁に祈る、といえば春日八郎。
自らの死を覚悟しつつ国家の繁栄を願い国民、家族を想い戦地へ行かれ亡くなられた多数の兵士の皆様、今ある日本の繁栄は世界に冠たる国家となりました、心よりお礼もしあげます🙇
今日の「日本」を作ったのは生き残り,歯を喰いしばりガンパった世代です。わが父は志半ばでビルマの何処かで亡くなり、その後は母塗炭の苦しみで国に奉仕し対価はありません、歯の浮くセリフは言わないで欲しい。
満州に送られた兵士の半分くらいは2.26事件のクーデターに加わった将校(銃殺刑は免れた)と下士官ですよ! (TT)(TT)(TT)(忠義の為の決起が叛乱罪、逆賊ですよ!たまんねーな!)(TT)(TT)(TT)(TT)
@@peyfuru110 日本ではクーデターは成功しないって事かな
そうですね!日本はクーデターは絶対成功しません!
?????関東軍は60-70万人くらいいたのではなかったかな?「2,26参加者の半数が送られた」の意味????
戦時歌謡の中でも
名曲中の名曲ですね。
さらば祖国よ栄あれ..,の下には涙が出ます。
今は亡き父は、晩酌のたびに「南方に行く際、開聞岳を見て、これが最後の日本だと思った。そして、ポロリと涙が出たのは忘れられない。」と言いながら、いつもこの曲を歌っていました。この曲を聴く度にその父を思い出します。 そして、その姿を思うと、今、私も涙がこみ上げて来ます。
(父は、ビルマから、叔父は、サイパンから生きて帰りました。 祖父は、退役海軍軍人でした。)
私の父は昨年9月に他界しました。生前、酔っ払うと、よくこの歌を歌っていました。昭和16年8月南支の部隊に配属され、その時、上海の食堂で偶然、陸軍兵器学校の同期に出会ったそうです。叔父は支那戦線から引き抜かれ、フィリピンで壮絶な戦死をしたと聞かされてます。
😭
100歳を越える男性が、輸送船に乗る際2番を皆で歌ったんだと仰っていました。21歳だったそうです。海軍に選出されるのはイケメン揃いで米軍への畏敬だったとも伺いました。
軍歌は色々言われるが、心を奮い立たせ勇気が出ますね☺軟弱な人間にはなりたくない❗
これがフルコーラスだったのですね。アップロードありがとうございます。
素晴らしい声量ですね。元気を貰えます。歌詞の内容の一部は当時仕方なかった一面もあると思います。こうしないと世に出してもらえなかった。こうした歌を批判する今のマスコミも、随分世に迎合している(批判が売れる)と思いますよ。
涙出ますね。
正に涙ものであります
一緒に来た愛馬と、国に残した妻を思う歌ですね。中国大陸で撮影された映画の中で使われた曲です。決して玉砕の歌ではありません、良い歌ですよね。
本当に良い歌で有ります。
玉砕の歌ですよ。
この頃は既に、戦地からの生還など可能性は皆無だったのですから。
正確に言えば、玉砕覚悟で戦地に向かう男性が国に残す妻子を思い、涙ぐんでいる情景です。
@@なろあす-h5yこの歌は、太平洋戦争の開戦前、日中戦争の歌です。
@@satokotooi6413 様:そのとおりですね。玉砕という言葉はアッツ島守備隊が全滅した時点で初めて現れた日本語。「玉砕の歌」と早とちりする人たちは、そういう歴史を知らず、詩の意味を深く考えることなく「月の光で走り書き」あたりを聞いて単純に思っているだけの話。歴史を学ばないまま、字面だけの判断でものをいう。知的怠慢の極致みたいなものです。恥ずかしくないのかと思いますね。Satoko Tooi様はこういうことをご存じの上で、「日中戦争の時の歌」と返信しているのですが、ものを知らぬ(正確には学ばないままものをいう)人たちには何のことやらわからないでしょうから、あえて記述しました。そもそもシナ事変の時には勝ち戦が多く、「生還の可能性は皆無」なんて話はない。
現に私の父の兄は中国各地を転戦した歴戦の勇士で、何度も話を聞きましたが、「生還の可能性ゼロ」などという素っ頓狂な心持ではなかったですよ。
@@今村哲也-x7w さま
日支事変では63会戦してわずか4敗ですね。チャイナの一個師団が動くと日本軍一個大隊が迎え撃つという戦が多く、兵力比はほぼ10倍でした。
ただ、チャイナの軍隊は現在のロシア軍のように腐敗しており、3分の2くらいの弾薬、兵装、食糧を売り払っていて、実際は10倍ではなく、3倍程度だったという研究もあります。
思えば軍歌は戦意高揚・天皇神聖化という記憶から、今日その幾たりかは固く封印されて闇の中に消え去る運命にあるのではないだろうか。
この藍川さんの歌には「さらば祖国よ 栄えあれ」ときわめて格調高く詠われている。(私の父を含め)あの時代、召集の兵士らは国難という絶対の状況に面し、そこから卑怯卑劣な態度で逃げることなく従容として戦場に赴いたように思われる。その輸送船の甲板上で、軍服で武装した彼らの胸中に澎湃として湧き上がった想いがこの言葉であったろう。その兵士らの切々とした愛国の心情を非難できる者はいない。かつて藍川さんは、戦時歌謡を歌って「右翼の手先だ」と決めつけられ、脅迫状を送りつけられたことがあったらしい。送りつけた側の幼稚かつ独善的な正義感に失笑せざるを得ないであろう。一人の人間を右翼だ左翼だ保守だリベラルだ、或いはハトだタカだと、或るカテゴライズによって一括分類する風潮が一般的である。夫々のイデオロギーによる云い分はあろう。併しながら、それで簡単・短絡的に割り切れるほど人間の実存は単純なものではない。すばらしい歌声だと思う。UPに感謝(長文失礼)。2023/04/25
涙、そして感謝。ありがとうございました。
「暁に祈る」は伊藤久男さんの定番であり、歌唱力は他の男性歌手など足元にも寄せ付けないが・・・・この藍川さんの美声と声量には圧倒された。この二人が他の歌手と根本から違うのは、この歌(=詩)の意味をきちんと理解しているからだろう。
4:17
先人に敬礼!あなた方のお陰で独立国家日本は存続しています。
昭和45年生まれ先人のご功績に感謝
いろんな方がこの唄を歌っていますが、私は藍川由美さんの歌唱が一番心に沁みます。
1分12秒位に出て来るドングリ目の俳優は藤田進で、高倉健の網走番外地にも渋い演技で出演して居ります。
フルバージョン。
今では珍しいですね。
当時が忍ばれます、おなくなりなった、ご冥福をお祈り申し上げます!🛐
朝ドラ、エールだと村野鉄男が恩師の藤堂先生を思い描いた歌詞だったけど… 福島三羽烏あっての暁に祈るだね!
すごい声量ですね。東京芸術大学卒業の高レベルが分かります。
玉砕の歌ですね。
本土防衛の為に死力を尽くして戦い、矢尽き刀折れたのち最後の力を振り絞って敵陣に突っ込んでいく。
その勇ましい姿、雄叫びが、目に見え耳に聞こえてくるようです。
祖国の弥栄を祈り、興亜の実現を信じて、桜の花びらのように散って行かれた雄々しい御霊。
この上なく崇高な日本精神だと思います。
凱歌をあげるのは戦いに勝った時。 アジアの開放と共栄の為という戦争目的の正当性への信念でしょうね。
聴くたび胸が震えます。
一番好きな軍歌です!
この凱歌ですから玉砕ではありませんよ
disagree
玉砕の歌は、朝日新聞が作った【アッツ島血戦勇士顕彰国民歌】で作曲がクラシックの山田耕作氏で朝日新聞が一般公募、審査して制定した、玉砕の文字はこれが初登場、以後、朝日の新聞で玉砕の二字が多く使われた❗
日本を守ると信じ、若い命を散らした特攻隊員も大切な日本の永遠の霊魂です。
歌唱は藍川由美さんです。今から20年近く前の吹き込みですので、全盛期のころ、ということになりますかね。 youtubeについては私も同感です。せっかく歌詞を付けてもアップした瞬間におかしくなることがたびたびあります。最近では「あゝ紅の血は燃ゆる」がそうです。個人的にギリギリ許容範囲だったのでそのままにしてありますけど。
hiro kawanakax
覚悟が決まってる。決死だよ。武士道だね。このときより平和に、長生きできる時代だというのに、何故人の目は死んでいるのだろうね。
😭😭😭😭戦前戦中の日本人は立派でした。
生き残った人は復興に汗水をかいたもの。
有難う、
涙が出てきますょ......😪😪 この時代の人達に比べ 今は何なのだ..? 国会議員からにして鹿馬じゃないのかね😡💢💢💢
投票したのは誰だ。
こんばんは、hiro kawanakaさん。
どなたが歌ってるんでしょうか?非常に上品な歌唱ですね、軍歌というジャンルの垣根を越えた素晴らしい曲ですね。
いつもながら、素晴らしい画像処理です、また拝見させてもらいますね。
最近youtube システム崩壊してますね、ここに、先ほどコメントしたのに、消えていました、スパムでなく、綺麗さっぱり。。。
素晴らしい歌声!聞き惚れて涙がでます。
伊藤久男さんと双璧ですね。
素晴らしい歌唱力ですね。
歌唱は藍川由美さんだそうです。
素晴らしい歌声。
ありがとうございました
小生の父親は明治38年生まれ、明治の人間には珍しい身長173cm、旧制商業の柔道部主将3段ですが、ド近眼で徴兵を外れて居りましたが、昭和18年小生誕生後志願して、陸軍少佐待遇でインドネシア・スマトラ島の司政官として出征しました。然しながら偶々その地で戦闘は起こらず2年間の捕虜生活を経て帰国しました。
高等試験合格者であればある程度の理解はできますが?。主計官と司政官の区別がされてないようで、因みに大勲位中曾根氏は東大法卒で尉官でした。
@@tamotsusuzuki6473 主計官ではなく、司政官です。高等試験の合格は知らないが、旧3商大の一つを卒業し、佐藤栄作が大阪駅長をして居る時、親父の方が階級が上で、敬礼されたのがネタの一つです。中曽根は主計官で、小生家内の伯父は海軍経理学校の校長で准将でした。
@@筑紫の新平 旧軍に准将は居ないと思います、経理学校長であれば最低少将。准尉は存在しました。高等官試験合格者かを調べるのが手始めと思います。
@@tamotsusuzuki6473 色々のご指摘有難う御座います。残念ながら、本人が准将と云って居る訳です。(他人が少将と呼ぶ例も有りますが。と、云うのは、小生80歳、昔、会社の上司に元主計将校が何人か居り、伯父の教え子でした。)親父の履歴書を紛失しましたが、記憶で勲五等・従四位だったと記憶します。
@@筑紫の新平 叙勲・叙位から拝察すると、高等官でもそれなりの功績が無ければ、一般人が得るには不可能ですね。
それと伯父上様は階級詐欺に近いですね、軍隊で階級を偽るのは犯罪です。
因みに貴兄とお父上は、小生と父親とが同年代です。
車で聴いてたなぁ
小野田少尉の靖国での言葉の重みを想う。
そうですね。男声とはまた違った味わいがありますね。
藍川由美 さんが歌っているのでしょう。
沖縄戦だけでも八万人の兵隊が死んでいった。それを翁長国王は今だに沖縄は虐げられていたといっている。情けない!!悲しみは共有しなくちゃ
北野政次
Chu2007pae しかしその日本軍の奮闘が無ければ、もしかすれば、
沖縄処か日本も無かったかもしれない
北野政次 さん
ほんとですよ!
大和だって沖縄を助けに行ったんじゃないですか。
男の方に話すのも何ですが、島民が困っているだろうと軍人さんが奔走して、女性の整理用品まで都合つけて積んだそうですよ。
この方々の命のことはどう考えてるんですかね? 軍人だから死んでもいいと言うんでしょうか?
特攻までして沖縄を守ろうとしたのに!?
彼らだって皆誰かの父であり、兄弟であり、息子であった人たちですよ。
いい加減自分達だけが犠牲者、被害者という意識は、
やめにして頂きたいです。
Chu2007pae
本土だって空襲で一家全滅した家はいくらでも有りますよ
!と私があえて言ったのは喧嘩を売ったのでは無く、被害は比べるものでは無いということが言いたかったから。
いい加減、沖縄だけが特別という考え方はやめにしたら?
日本全土が空襲で焼かれ、原爆も二つも落とされた。
ひどい目にあったのはみんな同じですよ。軍人だって死力を尽くして戦ったんです。
守備隊も安閑として敵の侵攻を許したわけではありません。 皆同じ日本人ですよ?
国難だったんです。
悲しみを共有しようというのは真実です。 それとも沖縄は琉球王国で日本では無いんですか?
もしかして
コリアのような意識、立ち位置なんでしょうか?
それならば、なにをかやいわん、ですね。
@@小川邦子-q6u様:そうなんです。そしてこの生理用品の確保はもう一つ別の意味があるのです。よく、大和の出撃は昭和天皇が(米軍の沖縄上陸(4月1日)後、陸軍の苦戦を聞いて、もう海軍にフネはないのか、と永野修身軍令部総長にご下問があり、海軍は全力を挙げて沖縄に行く、と答えたのが大和が出撃することが急に決まった理由、とされている。多くの人がそれを信じている。
ところが、10年ほど前に総合誌(たぶん中央公論??)に、三菱商事だったか三井物産だったかに、正月明けに生理用品30万人分を3月までに集めろ、という命令が下った。(物資不足の折から)そんな大量の品をどうするのか、と聞いたら「軍機だから答えられない」との回答。ともかく何とかして3月末までに集め、呉に送った、という証言が出てきた。
大和の出撃は(沖縄か台湾かーーー米軍の攻撃地点がどちらになるか1月時点ではわからなかったが)ずっと前から計画されていた、ということなのです。
ではなぜ昭和天皇の発言のせいにしたのか?実際にそれに近い発言はあったことも事実とされる。しかし伊藤長官以下突入部隊幹部は大反対、草鹿参謀長をはじめ多くの幕僚も成功に見込みがほとんどないことから反対。そこでこの昭和天皇の発言を利用した、ということなのです。陛下のご意思ならば反対のしようがない。これを利用した。(この不条理な意思決定、ほとんどの人が失敗するとわかっていながら不条理な意思決定がなされるメカニズムは、慶応大学、菊澤研宗教授が経済学理論を応用して見事に説明しています。一般向け書籍の中で説明されているのでお読みになると面白いですよ)
エールにあったやつだ!
この歌も、モンテンルパも兵士を送る歌も最高です、涙が出る、お花畑の国民に右翼団体の皆様は街宣車で流して欲しい、今の日本人は自分の私利私欲にはしり目が死んでいる、こんなことでは国を守れない‼️
貴方おいくつですか?。父親が国の無謀さに殺された家族の気持ちがわかりますか?。
愚かな戦争を賛美することは断じてあってはならない。
歌や音楽はそれだけのものでしかない。
部下に過酷な命令を下した将校たちが戦後に国から軍人恩給を貰い
90歳以上の寿命までのうのうと生き延びた。
これが戦争というものの現実だ。
この歌も(出征兵士を送る歌)も何故か『大君』が歌詞の中から意図的に外されているようだな。
「出征兵士を送る歌」は『我が大君に召されたる』で始まりますよ
よく陸軍省が採用したものと、思いませんか。決して、戦意高揚の詩と思えません。
採用者は栗林忠道大佐のようだが、2番の歌詞で戦死を覚悟して6番の歌詞で勝利したとあるだろ
戦意高揚というよりも、軍馬に関心を持ってもらうために作られた映画の中の歌です。まだ、太平洋戦争は始まっていません。
聞くと、涙は出ます。民間なら共感が得られるでしょう。
しかし、現役の軍部がやる戦意高揚施策ではない気がします。下手すると、厭戦気分を招くかもしれない。
まだ、大東亜戦争は始まっていませんが、日中戦争の最中、戦意高揚の意識はあったのはず。陸軍省としては弱気で、兵の気持ちを忖度しすぎなのではないだろうか⁉️
味方が幾ら死のうが戦争には勝てないかもしれない。敵に勝つことが目的で、敵兵をどれだけ倒すかが目標のはず。敵の血油をキャタピラのグリースにしてでも、勝って生きて帰えろうぐらいの気概があってもいいのではないでしょうか⁉️
現役の軍部省なのですから。
りよか
暁に祈る、といえば春日八郎。
自らの死を覚悟しつつ国家の繁栄を願い国民、家族を想い戦地へ行かれ亡くなられた多数の兵士の皆様、今ある日本の繁栄は世界に冠たる国家となりました、心よりお礼もしあげます🙇
今日の「日本」を作ったのは生き残り,歯を喰いしばりガンパった世代です。わが父は志半ばでビルマの何処かで亡くなり、その後は母塗炭の苦しみで国に奉仕し対価はありません、歯の浮くセリフは言わないで欲しい。
満州に送られた兵士の半分くらいは2.26事件のクーデターに加わった将校(銃殺刑は免れた)と下士官ですよ! (TT)(TT)(TT)(忠義の為の決起が叛乱罪、逆賊ですよ!たまんねーな!)(TT)(TT)(TT)(TT)
@@peyfuru110 日本ではクーデターは成功しないって事かな
そうですね!日本はクーデターは絶対成功しません!
?????関東軍は60-70万人くらいいたのではなかったかな?「2,26参加者の半数が送られた」の意味????