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20年前、当時乗務していた貨物列車に編成されていた貨車で、メタル焼けの経験があります。神原係長の言う通り、キーンという普段にない音と、車軸発熱による発煙があり、溶けたホワイトメタルが滴る程であったことが思い出されます。入区させなければ処置できないから、冷ましながらも運転継続でした。電車整備士も経験しましたが、私はコロ軸受けしか経験がないので、平軸受けのお話は貴重な経験談です。教科書でしか見たことがありませんでしたが、本当に毛糸が巻いてあるのですね!
ほんの十数年前まで のせでんの鉄道模型は自作するしかなく、工作が得意なほんの一部の人のものでしかありませんでした。今は鉄コレのおかげで精密模型がお手軽に入手しやすくなりました。現場の社員さん達にとってもうれしい事なんだなと伝わってきます。平軸受は今でも保存蒸気機関車や客車などで問題になりがちですね。元々が古いので車軸を支えるフレームや台車も歪みが出て修正できず、どうやっても発熱が止められない…など色々苦労話は漏れ伝わってきます。
冒頭の茶番、演技お上手でほんとに神原さん遅刻してるのかと思ったw他社さんの公式チャンネルだとどうしても棒読みっぽさが出て茶番なのすぐ分かるもんですが、これはのせでんチャンネルの凄さの一つですね。
小学生のころにまだ地上駅だった阪急川西能勢口駅からチラ見えする610型にテンションが上ったものでした
まさか、あの大阪の路面電車ですか?
昔の電車(というか鉄道車両全般)は、車輪の支持に平軸受を使っていたので、潤滑は重要だったようですね。要は油を詰めた円筒に車軸が通っているもので、油が足らないと金属面どうしが擦れて焼き付くわけです。焼き付くと走れなくなるし修理も面倒なので小さな円筒を車軸の周りに並べたコロ軸受、さらに金属球のボールベアリングになり、摩擦が減って焼き付きもほとんどなくなりました。平軸受だと停車中に車両の重みで油膜が切れるので、発車時の始動抵抗が大きくなります。貨物など長大編成を機関車が牽く場合、すべての車両を一度に動かそうとすると抵抗が大き過ぎて引き出せないということになります。そこで連結器に遊間を設け、1両ずつ軸受に油を回しながら引き出します。昔の貨物列車が発車時に先頭側から順に連結器がガガガガッと音を立てていたのは、これのためです。
え?阪堺電車…?次が楽しみすぎる
ギリギリ中学生の頃の部活の遠征で610系に乗りました。懐かしいです
阪堺電車、楽しみですね。古い戦前製の電車、乗りました。
懐かしすぎます。昔幼稚園の遠足や妙見に行く時のせでん利用しましたがその当時阪急も非冷房車走ってた時代で扇風機やファンデリア珍しかったです。
懐かしい話です。昭和57年9月から昭和58年10月迄「鶯の森駅」に引越し、通勤で能勢電のお世話になりました。当時の主力は610型でしたが、500型の5連(?)にも乗った様な記憶が微かに残っていますし、廃車になった320型を山下駅まで見に行きました。それと61型の最後の活躍を川西能勢口~国鉄川西間で撮ったことも懐かしい想い出です。
我孫子道でおじいちゃん電車と!…次回もむっちゃ楽しみです😉👌
私が多田グリーンハイツに引っ越してきたとき(1974年3月末)、その時は小さな320型・500型が主力でした。懐かしい話ですね。夕方のラッシュ時、能勢口から臨時の妙見方面の電車が地上の外側のホーム(多分4両か5両編成)に来て、それで平野まで帰った記憶があります(時刻表に乗っていない?電車だったのかも)。昭和49年・50年頃の話です。
南海グループと阪急グループ、よくOK取れましたね❤いろんな会社が、RUclipsやってますが、この二人が最高❤🎉あびこ車庫編楽しみです。また、DVD化も考えて下さい。ナレーターの女の子と合わせて3人のやり取りが、面白い、いつかナマで見たいです
阪堺さんと能勢電さんは朝日新聞主催の南北ウォークやお互いの鉄道まつりでブース出し合ってたりもするので、割と交流はあるみたいですよ。
2:46 現場猫ww
中学生の頃平野の車庫を覗いたら木造の32型が倉庫に使用されていました
まさかのあびこ道!!
黙々と整備してはる神原さん見てみたいなぁ。
追申 オリックスリーグ優勝おめでとうございます!
懐かしいです。自宅が尼崎から川西に引っ越してきたのが、1979年でちょうどその頃に320型、500型、610型が走ってました。今は横浜に住んでますが実家は川西なので、帰省のたびに車両が新しくなっていくことに驚きを感じます。
昔々、京阪神急行の検車係やったじいちゃんが、池田車庫で810型の屋根機器点検中に架線にヒットしミイラの様な姿で帰宅したと子供の頃寝物語に聞きました。「600Vで良かったわー、1500Vやったらじいちゃんお前に逢われへんかったわw」って・・・直流はほんま恐ろしゅうございます・・・
広岡課長補佐と神原係長が入社された時に活躍していた50系、320系、500系の600V小型電車懐かしいですね。320系、500系は宝塚線で活躍していましたね。阪急500系は広島電鉄にも譲渡されていましたね。広岡課長補佐と神原係長のコンビ解説はとても良い勉強になります。模型は広岡課長補佐の所有品なのですね。
子供の頃に一度320型か500型かわかりませんがすごく年季の入った電車に乗った記憶があります妙見口に栗拾いに行った時かなぁドアにステップが付いてて運転席と客席がドアではなく棒で仕切られてました子供心にこんな古い電車がまだあるのかーと興奮したのを覚えてます
俺が生まれた前後に入社とか人生の大先輩(・ ∀ ・)出張て、広島行くんちゃうんかい⁉️🤣🤣呑まんと帰ってこいって、あの辺は誘惑いっぱいやからなぁ😂😂
自分は阪急で言うところの旧1000系大好きでした。まだクーラー乗せてない頃❗能勢電では扉部をオレンジ色にしてた頃に乗りました。重厚感と当時としては洗練された感じ。ところで係長タイガースファンじゃなかったですか?🎉
そう、工具類の整理整頓は重要ですね!。
79年と81年入社、私が通学で乗っていた71年〜78年のときの車掌さんなどより後輩の方ですね。お一人顎のしゃくれた紳助みたいな車掌さんいて、その後運転手されているの見ました。通学に利用始めた頃は320型、500型入線後間もない頃だったらしく、当時客扉には「自動扉」って書いてありましたが、どれだったか1両の一枚の扉だけ間違って「自働扉」って書いてあったの覚えています。610型入線時の案内ポスターには大型車と書かれていました。15メートル車でも2700ミリ幅規格の初めての登場で、ホーム幅の変更と320型、500型へのステップ設置がされましたね。あれ、かつて箕面線で経験して2回目でした。
私が川西に住んでいた時の車両は、まさに机の上の形式でした。阪急の車両と言えばナニワ工機・アルナ工機ですが、大昔は川崎車両。銘板が懐かしいです。
5100系再販してほしい…
320×520の鉄コレが欲しかったので参考に見せていただきました。昭和の鉄道の話大好きなので嬉しい!
次回の阪堺電気軌道も楽しみですね。
能勢電鉄では最後まで非冷房車として残った610形。1992年まで2000系に置き換えられ、全車引退。同時に能勢電鉄は冷房化率100%を達成。
私がよくお世話になった日生〜山下間のアンティークな内装の車両は500型っていう名前やったんですね!当時中学生、引越ししてきて半年間は毎日利用してました高校からは日生〜川西能勢口に乗ってましたが、アンティークなあの車両が懐かしくて…
2:48 どこかで見たことあるネコの絵やと思ったら、トラ猫さんのヤツやw最後でどこか一発でわかりましたwお二人より少し若いくらいやから、古い車両はみんなわかるし、みんな乗りましたわ(あ、51形はさすがに乗ってへんか)🚋💦
阪急伊丹線に610型がたくさんいましたね。 そこに600型がT車で付属してました。運転士用の扉がないリベット車両。320の車内灯は100w電球6子直列でデッドセクションでパンタグラフ毎にデッド電気が消えていたことがおもいだされました。
いやいや、そこはあえて梅田で飲んでお3人の座談会をアップしましょうよ✨
かっこいいでん車かっこいいゃりゃわ1700と7200と5100
私は1975〜80年まで阪急蛍池駅近くに住んでいました。確か客車を半分に切った車両もあった記憶がありますが、あれはどんな用途で使用された車両なのですか⁉️それと当時はストがよくありましたね。その際はホームの下にあった避難場所❓を基地にして遊んでいました。その当時の車両も動画があれば紹介して下さい🙇記憶に残る車両は何系かはわかりませんが、デコにヘッドライトが一つ乗っかっていた車両です。
1700系のASMR動画見たい()
能勢電の思い出は、夜加速時に暗くなる証明、なぜか床下にある鉄製の突っ張り棒と平野付近の道路横の単線路床の線路でした。
せーの・・・ のーせ 最新の7200系のモーターは密閉型でしょうか?とすると、ブラシの交換が要らないどころか外部からチリほこりの異物の清掃も要らないんですね。直流だとずっと電気流れ続けて危ないんですね。
320型の電球変えていて感電した話ですが、あのころ320型っって力行すると電球が暗くなってノッチオフするとポっと明るさが戻る・・山下で上下同時発車すると更に電球が暗くなって両者ノッチオフで2段階で明るくなる状態だったから室内灯はMG通さずに架線電圧を直接抵抗を通して白熱電球を直列ツナギで点灯する回路だったんだと思いますが、そうすると広岡さんが感電した時って架線からの一回路になっていた(爆)ってことですかねえ。感電した時はその他の電球がボワーと発光したんかな・・・・・コワイなあ。 因みに自分が使っていた頃の320型、510型は日中に能勢口~妙見口の運転でも2両と言うのが有り、まだ610導入前だったのでステップも有りませんでした。 う~ん、色々思い出してきた・・鉄コレの320型買っちゃおうかな・・・・。
片道w
320型買いましたよ
今の若手運転手は模型も買えない賃金体系ですね
出張費片道しか出ないとか、そんなに経営状態がやばいのか?
20年前、当時乗務していた貨物列車に編成されていた貨車で、メタル焼けの経験があります。
神原係長の言う通り、キーンという普段にない音と、車軸発熱による発煙があり、溶けたホワイトメタルが滴る程であったことが思い出されます。
入区させなければ処置できないから、冷ましながらも運転継続でした。
電車整備士も経験しましたが、私はコロ軸受けしか経験がないので、平軸受けのお話は貴重な経験談です。
教科書でしか見たことがありませんでしたが、本当に毛糸が巻いてあるのですね!
ほんの十数年前まで のせでんの鉄道模型は自作するしかなく、工作が得意なほんの一部の人のものでしかありませんでした。
今は鉄コレのおかげで精密模型がお手軽に入手しやすくなりました。現場の社員さん達にとってもうれしい事なんだなと伝わってきます。
平軸受は今でも保存蒸気機関車や客車などで問題になりがちですね。
元々が古いので車軸を支えるフレームや台車も歪みが出て修正できず、どうやっても発熱が止められない…など色々苦労話は漏れ伝わってきます。
冒頭の茶番、演技お上手でほんとに神原さん遅刻してるのかと思ったw
他社さんの公式チャンネルだとどうしても棒読みっぽさが出て茶番なのすぐ分かるもんですが、これはのせでんチャンネルの凄さの一つですね。
小学生のころにまだ地上駅だった阪急川西能勢口駅からチラ見えする610型にテンションが上ったものでした
まさか、あの大阪の路面電車ですか?
昔の電車(というか鉄道車両全般)は、車輪の支持に平軸受を使っていたので、潤滑は重要だったようですね。
要は油を詰めた円筒に車軸が通っているもので、油が足らないと金属面どうしが擦れて焼き付くわけです。
焼き付くと走れなくなるし修理も面倒なので小さな円筒を車軸の周りに並べたコロ軸受、さらに金属球のボールベアリングになり、摩擦が減って焼き付きもほとんどなくなりました。
平軸受だと停車中に車両の重みで油膜が切れるので、発車時の始動抵抗が大きくなります。貨物など長大編成を機関車が牽く場合、すべての車両を一度に動かそうとすると抵抗が大き過ぎて引き出せないということになります。そこで連結器に遊間を設け、1両ずつ軸受に油を回しながら引き出します。昔の貨物列車が発車時に先頭側から順に連結器がガガガガッと音を立てていたのは、これのためです。
え?阪堺電車…?次が楽しみすぎる
ギリギリ中学生の頃の部活の遠征で610系に乗りました。懐かしいです
阪堺電車、楽しみですね。古い戦前製の電車、乗りました。
懐かしすぎます。昔幼稚園の遠足や妙見に行く時のせでん利用しましたがその当時阪急も非冷房車走ってた時代で扇風機やファンデリア珍しかったです。
懐かしい話です。
昭和57年9月から昭和58年10月迄「鶯の森駅」に引越し、通勤で能勢電のお世話になりました。
当時の主力は610型でしたが、500型の5連(?)にも乗った様な記憶が微かに残っていますし、廃車になった320型を山下駅まで見に行きました。それと61型の最後の活躍を川西能勢口~国鉄川西間で撮ったことも懐かしい想い出です。
我孫子道でおじいちゃん電車と!…次回もむっちゃ楽しみです😉👌
私が多田グリーンハイツに引っ越してきたとき(1974年3月末)、
その時は小さな320型・500型が主力でした。
懐かしい話ですね。夕方のラッシュ時、能勢口から臨時の妙見方面の電車が
地上の外側のホーム(多分4両か5両編成)に来て、それで平野まで帰った
記憶があります(時刻表に乗っていない?電車だったのかも)。
昭和49年・50年頃の話です。
南海グループと阪急グループ、よくOK取れましたね❤
いろんな会社が、RUclipsやってますが、この二人が最高❤🎉
あびこ車庫編楽しみです。
また、DVD化も考えて下さい。
ナレーターの女の子と合わせて3人のやり取りが、面白い、いつかナマで見たいです
阪堺さんと能勢電さんは朝日新聞主催の南北ウォークやお互いの鉄道まつりでブース出し合ってたりもするので、割と交流はあるみたいですよ。
2:46 現場猫ww
中学生の頃平野の車庫を覗いたら木造の32型が倉庫に使用されていました
まさかのあびこ道!!
黙々と整備してはる神原さん見てみたいなぁ。
追申 オリックスリーグ優勝おめでとうございます!
懐かしいです。自宅が尼崎から川西に引っ越してきたのが、1979年でちょうどその頃に320型、500型、610型が走ってました。今は横浜に住んでますが実家は川西なので、帰省のたびに車両が新しくなっていくことに驚きを感じます。
昔々、京阪神急行の検車係やったじいちゃんが、池田車庫で810型の屋根機器点検中に架線にヒットしミイラの様な姿で帰宅したと子供の頃寝物語に聞きました。
「600Vで良かったわー、1500Vやったらじいちゃんお前に逢われへんかったわw」って・・・直流はほんま恐ろしゅうございます・・・
広岡課長補佐と神原係長が入社された時に活躍していた50系、320系、500系の600V小型電車懐かしいですね。
320系、500系は宝塚線で活躍していましたね。
阪急500系は広島電鉄にも譲渡されていましたね。
広岡課長補佐と神原係長のコンビ解説はとても良い勉強になります。
模型は広岡課長補佐の所有品なのですね。
子供の頃に一度320型か500型かわかりませんが
すごく年季の入った電車に乗った記憶があります
妙見口に栗拾いに行った時かなぁ
ドアにステップが付いてて運転席と客席がドアではなく棒で仕切られてました
子供心にこんな古い電車がまだあるのかーと興奮したのを覚えてます
俺が生まれた前後に入社とか
人生の大先輩(・ ∀ ・)
出張て、広島行くんちゃうんかい⁉️🤣🤣
呑まんと帰ってこいって、あの辺は誘惑いっぱいやからなぁ😂😂
自分は阪急で言うところの旧1000系大好きでした。まだクーラー乗せてない頃❗能勢電では扉部をオレンジ色にしてた頃に乗りました。重厚感と当時としては洗練された感じ。ところで係長タイガースファンじゃなかったですか?🎉
そう、工具類の整理整頓は重要ですね!。
79年と81年入社、私が通学で乗っていた71年〜78年のときの車掌さんなどより後輩の方ですね。お一人顎のしゃくれた紳助みたいな車掌さんいて、その後運転手されているの見ました。通学に利用始めた頃は320型、500型入線後間もない頃だったらしく、当時客扉には「自動扉」って書いてありましたが、どれだったか1両の一枚の扉だけ間違って「自働扉」って書いてあったの覚えています。610型入線時の案内ポスターには大型車と書かれていました。15メートル車でも2700ミリ幅規格の初めての登場で、ホーム幅の変更と320型、500型へのステップ設置がされましたね。あれ、かつて箕面線で経験して2回目でした。
私が川西に住んでいた時の車両は、まさに机の上の形式でした。阪急の車両と言えばナニワ工機・アルナ工機ですが、大昔は川崎車両。銘板が懐かしいです。
5100系再販してほしい…
320×520の鉄コレが欲しかったので参考に見せていただきました。
昭和の鉄道の話大好きなので嬉しい!
次回の阪堺電気軌道も楽しみですね。
能勢電鉄では最後まで非冷房車として残った610形。1992年まで2000系に置き換えられ、全車引退。同時に能勢電鉄は冷房化率100%を達成。
私がよくお世話になった日生〜山下間のアンティークな内装の車両は500型っていう名前やったんですね!
当時中学生、引越ししてきて半年間は毎日利用してました
高校からは日生〜川西能勢口に乗ってましたが、アンティークなあの車両が懐かしくて…
2:48 どこかで見たことあるネコの絵やと思ったら、トラ猫さんのヤツやw
最後でどこか一発でわかりましたw
お二人より少し若いくらいやから、古い車両はみんなわかるし、みんな乗りましたわ(あ、51形はさすがに乗ってへんか)🚋💦
阪急伊丹線に610型がたくさんいましたね。 そこに600型がT車で付属してました。運転士用の扉がないリベット車両。320の車内灯は100w電球6子直列でデッドセクションでパンタグラフ毎にデッド電気が消えていたことがおもいだされました。
いやいや、そこはあえて梅田で飲んでお3人の座談会をアップしましょうよ✨
かっこいいでん車かっこいいゃりゃわ1700と7200と5100
私は1975〜80年まで阪急蛍池駅近くに住んでいました。
確か客車を半分に切った車両もあった記憶がありますが、あれはどんな用途で使用された車両なのですか⁉️
それと当時はストがよくありましたね。
その際はホームの下にあった避難場所❓
を基地にして遊んでいました。
その当時の車両も動画があれば紹介して下さい🙇
記憶に残る車両は何系かはわかりませんが、デコにヘッドライトが一つ乗っかっていた車両です。
1700系のASMR動画見たい()
能勢電の思い出は、夜加速時に暗くなる証明、なぜか床下にある鉄製の突っ張り棒と平野付近の道路横の単線路床の線路でした。
せーの・・・ のーせ 最新の7200系のモーターは密閉型でしょうか?とすると、ブラシの交換が要らないどころか外部からチリほこりの異物の清掃も要らないんですね。
直流だとずっと電気流れ続けて危ないんですね。
320型の電球変えていて感電した話ですが、あのころ320型っって力行すると電球が暗くなってノッチオフするとポっと明るさが戻る・・山下で上下同時発車すると更に電球が暗くなって両者ノッチオフで2段階で明るくなる状態だったから室内灯はMG通さずに架線電圧を直接抵抗を通して白熱電球を直列ツナギで点灯する回路だったんだと思いますが、そうすると広岡さんが感電した時って架線からの一回路になっていた(爆)ってことですかねえ。感電した時はその他の電球がボワーと発光したんかな・・・・・コワイなあ。 因みに自分が使っていた頃の320型、510型は日中に能勢口~妙見口の運転でも2両と言うのが有り、まだ610導入前だったのでステップも有りませんでした。 う~ん、色々思い出してきた・・鉄コレの320型買っちゃおうかな・・・・。
片道w
320型買いましたよ
今の若手運転手は模型も買えない賃金体系ですね
出張費片道しか出ないとか、そんなに経営状態がやばいのか?