【三國志8REMAKE:董白編02】牛輔に董旻董璜、西涼に決起せよ董一門!李傕郭汜を破り上洛→呂布討伐に向かうぞう!【結婚しないぞ】

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  • Опубликовано: 21 ноя 2024

Комментарии • 5

  • @kazt20030508
    @kazt20030508 9 дней назад

    嫌悪が付いている武将が君主の勢力にはおそらく絶対に登用による仕官はできないと思います。
    所属した勢力や城が勧告により下った場合は仕官します。おそらく馬騰は相克が解消されても関係は嫌悪になっていると思います。
    ちなみに嫌悪の武将でも会えれば物上げて関係改善することはできます。(嫌悪だと通常は会えませんが、所属さえいていれば太守以上であれば物は上げられますからね)

    • @udonR-1A
      @udonR-1A  9 дней назад +1

      や、実は李傕(馬騰仇敵)の登用前から馬騰は登用×状態なんですよね…
      なので諦めて李傕を登用して今に至るのですが、今のとこ理由不明ですね~

  • @hymkyk
    @hymkyk 9 дней назад

    出陣画面の(兵糧/30日分)が、敗北側はそっくりそのまま
    全部失うんですよね(退却時の扱いは分かりませんが)
    正直個人的には、攻/防とあとは積極性だけが馬鹿みたいに上がるだけの
    調整って今までも好きじゃなかったんですが、とにかくCPU側は
    気持ち良いくらい全力で兵が出せるような、超級であって欲しいと思います。

    • @udonR-1A
      @udonR-1A  9 дней назад

      敵勢力が動かない不満→防御一切考えない出撃アプデでビックリした三国志11を思い出しましたw

  • @yasutakeshibata
    @yasutakeshibata 9 дней назад

    劉焉が幽州にいたのは演義での話で、劉焉親子は黄巾の乱の頃は洛陽で都勤めですね。
    黄巾の乱の前後に洛陽から離れたがったっていた時に益州牧が空いたので三男の劉瑁だけを連れていったらしいですが理由までは書かれてないです。
    ただ、その後に劉焉が東州兵を組織したり、五斗米道と組んだりして独立の様子を見せたので、献帝が劉焉を諫める使者に自身の側近だった劉璋を送ったらしいです。
    その際に劉焉は使者として来た劉璋を都の長安には返さずに、馬騰と組み、都に残ったいた長男たちと李傕を襲撃計画を立てるものの失敗し、長男、次男は死亡してます。そのショックで劉焉は病に倒れ死亡。益州の有力者によって劉璋は劉焉の後釜に据えられます。三男の劉瑁は呉懿の妹(のちに劉備と結婚する呉氏)と結婚済みと地元の有力者とパイプがあったので、劉璋の方が色々と都合が良かったんでしょうねw
    劉璋が劉焉の元に使者に出されるのが193年、劉焉が亡くなるのが194年の出来事なので、ゲーム期間中に劉璋が劉焉の元にいるのは演義準拠の黄巾の乱184年と193年、194年だけです。
    他のシナリオは基本的に皇帝所在都市の君主に仕えていますが、呂布の反乱のイベントでは何故か呂布派に入るので呂布配下として曹操と戦ってたはずですw
    書いてて思いましたが、都勤め中の劉璋はけっこう面白いプレイ出来そうですね。