【キングダム解説/考察】#11 誰も知らない豆知識(呂不韋と嬴政は親子!?)・小ネタ※史実(春秋戦国時代)
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- Опубликовано: 3 окт 2024
- こちらは、アニメ・漫画『キングダム(KINGDOM)』に関する、誰も知らないニッチかつ超細かい小ネタ(トリビア的な)豆知識を解説・考察する動画(Part11/第11回)になります。
(インターネットやRUclipsで検索しても出てこない情報を取り扱っております。)
キングダムにスポットは当ててますが、同時に古代中国史『春秋戦国時代』も勉強することができますので、是非最後までご覧いただければと思います。
※春秋戦国時代は史実として残っている情報が少なく、考察がメインとなっております。(諸説ありと捉えていただければ幸いですm(__)m)
【今回のテーマ】
・嬴政と呂不韋『親子説』の背景など ※史実・歴史文献での描かれ方
・『親子説』肯定派・否定派のそれぞれの見解について
・キングダムにおける『親子説』の描かれ方(原先生はどっち派?)
こちらの動画を見ていただければ、『キングダム』をより楽しんでいただけること間違いありませんので、ご興味ある方は、高評価およびチャンネル登録よろしくお願いいたします!!
#キングダム#解説#春秋戦国時代
呂不夷列伝を読めば、「呂不夷は子楚(後の荘襄王)に己の子を身籠もった愛人を不快に思いながらも献じた」と書いてあるんですね、全く曖昧じゃありません。
どう読んでも「嬴政は呂不夷の不義の子である」と書いてあるのです。
ただ妊娠した事を隠して12ヶ月後に政が生まれたとなっている。
ここでおかしくなるんですね、現代だろうが紀元前だろうが妊娠期間は十月十日であり司馬遷がそれを知らなかったワケがない。
要するに司馬遷は嬴政を「秦の正当な王では無い」という事にしたかった。
だから定かで無い噂話をいかにも本当らしく記事の中に入れ込んだ。
ただ歴史家の良心として本当の真実を無視することは出来なかった。という事なんだと思います。
司馬遷の家系は『史記太史公自序』『漢書司馬遷伝』に詳しいですが、堯・舜・夏・殷・周と代々天文・地史を世襲によって司り、晋・秦と移り変わり、項羽と劉邦の争いで当初項羽に仕えながらも劉邦の陣営に移ったことが窺えます。
かなりコロコロと転職してるんですね、忠誠心が皆無と言ってもイイぐらい。
この当時の感覚で言えば「変節漢」と揶揄されても仕方のないレベルでしょう。
だから司馬家の人間に取ってみれば、項羽や嬴政は善良であっては困る、悪党であって貰わないと自分達の正当性を保てないのです。
「項羽や嬴政を裏切り漢朝に仕えた我々の先祖は立派だった」という事にするためにも項羽や嬴政の不評を強調せざるを得なかったのでしょう。
なるほど、自身の立場を考えると、嬴政を悪者にしたいものの、歴史家としての矜恃がそれを完全には許さず、あの表現に落ち着いたのかもしれないですね!
秦始皇帝を考えるにあたり、その後の時代背景も加味して考えることはとても重要なことだと思いますので、勉強になりましたm(_ _)m
そして、ご視聴ありがとうございました!