【琴彈八幡宮】神仏習合が残る源氏“頼朝・義経”ゆかりの社!!

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  • Опубликовано: 26 янв 2025

Комментарии • 2

  • @hama9856
    @hama9856 2 года назад

    琴弾八幡宮、素敵な所ですね☺️
    豪華なちょうさが9台並んだところ、実際に見たら、ほんとにすごいんでしょうね〜😆
    ずっとのんじさんの足元にいたネコちゃん、めちゃくちゃかわいかったですね🥰

  • @森岩光
    @森岩光 Год назад

    元八幡宮。の一つで観音寺の地名の由来の神社。
    (琴弾八幡宮の神宮寺が観音寺)
    兎佐神宮(宇佐ではなく、兎佐がふさわしい)
    八幡さま(兎佐神宮の主神、媛大神)は
    素兎神、
    月読尊(月の女神)ですから。
    月神を信奉するがゆえに
    ウサギ族と号した。
    後にウサ族に変化した。
    彼らは女性優位の母系社会だったから
    信奉する月神は女神だと考えた。
    月の満ち欠け、運行は日月の移ろいの暦を読むよすがとなるから月の女神を
    月読尊と崇敬した。
    ウサギ族、ウサ族が信奉する月読尊を奉る神宮が
    兎佐神宮。
    いわゆる邪馬台国の女王卑弥呼。こと、
    都万(物部)豊(宇佐)連合王国の女王
    親魏倭王 兎佐 豊玉媛命
    は亡夫と物部王家の宿願、
    全国制覇に向けて
    兎佐神宮の神前で全軍を集結させて
    華々しく出陣式を挙行した。
    この際、宇佐神宮に
    魏帝国の正規軍旗の黄色幡が八幡、翻った
    これが宇佐神宮を八幡宮と称する源泉となった。
    いわゆる神武東征は結果的に宇佐神宮の神威により成就した形。
    リアル神武の物部イクメ大王(垂仁天皇)が樹立した
    物部王朝の政権の要の
    月読尊の姫巫女だったようです。
    この3世紀~4世紀当時の四国は
    西半分が豊国だったらしい。
    観音寺辺りは三豊郡、三豊市の地名から
    古代は豊国の勢力圏内、
    豊国宇佐族がいたのかと。
    その所以から八幡大神が琴弾山に暫し逗留したのでは?
    同じ事(観音寺の後、)が淡路島の福良でも。
    何故か海路の難所、鳴門海峡を超えて福良に回船。
    八幡さまが休憩した故地には福良八幡宮となった。
    少し内陸部の賀集八幡宮には丹生大明神と八幡宮が並立。(同じ神様)
    歴史の闇~、
    稚日女神。
    豊受大神。
    ウズメ尊。
    丹生都媛大神(丹生大明神)
    豊明の神(豊の明かりの神)