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ガッツが自分の内の負の感情を受け入れ、乗り越え「個性化」を果たした刻にはじめてガッツの刃は今のグリフィスに届くんだと思います。幻造世界を元の世界の姿に戻すのがガッツのこれから先の戦いであり、物語のゴールなのかなと思いました。
初めて積極的にユングの著作読みたいと思えた。明日本屋に行ってみます。
どんな結末になろうと完結までどうか描いてほしいですね。三浦先生の意志を受け継いだ以上逆に途中で終わる事は許されない物語になった気がします。
描くことは間違いないと思いますがね。最近スタッフの募集もありましたし、作るの大変なんでしょうね😂
小学校の朝の新聞配達の時、ゴミ箱から拾ったヤングアニマル。そこにあったベルセルグ第一話。そこから中学、高校をへて自分で読むようになりました。と同時に当初この「深淵の神」の扱いは、当初世界そのものがダークなイメージばかりで、神そのものもダークな感じで考察し辿っていくのがこの作品の世界感だなと受け取りましたが、その後どんどん変わっていきました。闇だけではなく、光の部分もまたこの世にはあるというのを三浦氏は描き始めた。三浦氏も成長をしながら描かれていたのでしょうね。友人とふれあい、思いを共にする人を見つけ、家族を作り、自分の居場所と幸せを感じる。その中に人が生きる意味や価値があるという事も。何処かで三浦氏の対談で最後はハッピーエンドにしたいというのがありましたが、闇だけではなく、そうではない人類が常に求め続ける方向を向こうとしたのかなと。ゆえに、手塚治虫が初期「ブッダ」を描き、この世の矛盾や愛別離苦、四苦八苦、生老病死を描きましたが、最後は新約聖書を描くに至りました。救いの無いこの世でも、最期は救世主なるものが居り、この世は祝福され意味がある世界であるという意味を込めて。多分そこへ至る途中だったのかもしれません。
初めて83話を読んだときとても強く感じたのは、グリフィスの描画がものすごくアキラの鉄雄を感じさせたってことです。自分色に消化しきれてない感じが少し三浦先生らしくないと感じてました。これは単なるデザインの話ではあるんですが、その印象があったため、83話全体がまだ三浦先生の中で煮詰めきれてない状態で描かれた早産のアイデアだったのかなぁと感じてました。どういう役割になるにせよ最終回を迎えるまでに深淵の神にまた登場してもらいたいです。
深淵の神をリアルタイムでは読めませんでしたが、後からこの話の存在を知ったとき、私も思い浮かべたのがユングの元型でした。それを今回の考察で聴けて、嬉しくも興味深かったです。
深淵の神はペルソナ2のニャルラトホテプみたいな奴だね。あっちも人間の集合無意識の影の側面が生み出した存在だし、ゲーム的には倒せるけど本質的には戦うとか勝つとかいう概念の外側にいる存在。
この考察を見て気になったのがグリフィスがファルコニアの住民を深淵の神の生贄に捧げる未来があるのかもしれないと思いました。シラットの「人智が及ばぬものに委ねて良いものか。」この台詞がかなり気になります。
「はるか遠き過去よりお前はここにあるべく定められていた ~ お前の望みは我が望みでもある お前の行い自体が種としての人間に相応しいものになるだろう」作中の上記の辺りはグリフィスの望みが叶うシナリオの場合には当てはまりますがガッツや髑髏騎士の存在や作品のラストと整合性が取れるのか?疑問があります。特にガッツの蝕からの脱出は予想外の出来事ではなくグリフィスのその後の運命に用意されたもののように読者に受け止められると三浦先生の意思と違ったものになると考えたのかもしれません。深淵の神はグリフィスを「選ばれし者」と呼んでますがゴッドハンドだけではなく使徒も「選ばれし者」である場合、作中の「お前の行い自体が種としての人間に相応しいものになるだろう」の部分は使徒の行動にあてはまるのか?疑問です。人の望みは悪だけではなく善もあるので善い神もいるのでは?とも思ってしまいます。私は、深淵の神についての説明が丁寧すぎて融通が利かないから上手い設定が思いつくまで保留したと考察しました。
深淵の神を初めて見た時、心臓か子宮のような臓器みたいに見えました。産み出すもの、命を繋ぐもの。最終話で似たような描写があるんだろうな。
宮城県生まれの俺にはホヤに見えてしまった。ので「こいつ食えるの?美味しい?」と思ってた。
面白かったです。
深淵を覗くとき、深淵を覗いているんですよね
ファルコニアは次のゴットハンドの蝕のための前夜祭な気がする。ガッツは次の髑髏の騎士。次の一人目は誰になるかわかりませんが。
同じくそう思います。ただ、ガッツは髑髏の騎士との因果を壊すんじゃないかなと予想しています。
@@berserk7834 返信ありがとうございます。ただ、三浦先生のハッピーエンド発言はどこを指しているのかがわかりません。グリフィスを倒して、キャスカとガッツが地獄で皆と再会なのか・・・、グリフィスを倒し、現世でキャスカと暮らすのがいいのか。ベヘリットと髑髏の騎士がどうなるか見ものですね。因果律次第でしょうか。
答えをはっきり書きすぎたので謎にしておくために消したんじゃないかな
いつも楽しい動画をありがとうございます!「望むままに行え(欲するところに従え)」という命題は、昔グループSNEが『ソード・ワールド』RPGで創造した「フォーセリア世界」における暗黒神「ファラリス」を思い起こさせます(^^)。
bgmの名前知りたい
もはやグリフィスが神に近づきつつある
ワンパンマンの神みたいな存在?「ボイドお前は没収だ!」みたいな笑
凄まじい考察お疲れ様です!いや凄いです。ここまで深くベルセルクを掘り下げると、最早研究書ですね。人が神を作ると言うのは、現在ChatGPTでその領域に入っていこうとしていますね。ただ、あちらが作ろうとしているのは理であるとは思いますが。余談はさておき、イデアですが、前も書いたことになりますが、理と対立する存在ではないかと思っています。今の理という理不尽への対抗手段としての魔、ですね。これを積み上げ、共通認識を更に集め、新しい理を作る。深いところまで考察が出来ないので、これは宿題にさせて下さい。次にグリフィスなのですが、以前コメントに後程書きますと書いていましたので、ここでふと思っていた事を書きます。グリフィスは、世界を手に入れる為に、人ではないものを幻造=呼び込んでいます。グリフィスは、夢を手に入れる為に沢山の屍の山を築き上げ、それを背負って来ました。これがグリフィスの重荷になってきていたと思います。グリフィスの望みは、世界を手に入れるだけでは無く、その背負って来た荷物を下ろすことも望みであると思われる事です。1つ目 人と戦わないこと。2つ目 自分の夢で亡くなった人に救済を与える事3つ目 共通の敵=共通認識=目標を持たせ人を纏め上げること。もしかすると、共通認識=神からの脱却が最終目標かもですね。グリフィスの身体についてグリフィスが何故光の鷹になったのか。実は光の鷹になっているのは月下の少年の力では無いかと思いました。グリフィス自体は闇の鷹のままであり、月下の少年に取り付くことによって光の鷹に偽装していると思っています。下手すると、人の魂を天に帰す力は月下の少年の力なのかと。
グリフィスについてですが、個人的にはグリフィスであってグリフィスではないと思います。今のグリフィスは己の野心を満たすための存在と言うだけではなく、『救世主に救われたい』と言う民衆の欲望を満たす器でもあるのでは無いでしょうか?グリフィスの光と言うのは結局の所人々の『救世主に救われたい』と言う欲望の反映でしかなく、ある意味では幻、偽りの光ではとグリフィスは世界の王になる事を望み、人々は苦難から救ってくれる救世主を求める(幾つかの苦難はゴッドハンドが引き起こしているマッチポンプでも有るのですが)そうやって作り出された『救世主』が今のグリフィスなのではと
@@鈴木千裕-t2xコメントありがとうございます。偽りの光だとすると、魂を天に帰す行為も偽りと言うことにもなりますね。使徒であるグリフィスが、なんでそんな事出来るんだ?と思ってましたが、そもそもフェイクであれば納得はいきます。
R-TYPEのゴマンダーみたいな見た目だな
そもそも「人間の欲望」=「負の感情」という事ではなく、「欲望」とは受動する側の感情に(ハラスメントやポリティカルコレクトネスの定義のように)依存する事象であって必ずしも「負」とは言えない。「復讐」が主題であるベルセルクには(否、ベルセルクだからこそ)「二元論」的思考よりも人間の業による「因果」律という考えのほうが過不足なく合っていると三浦先生は考えていたのではなかろうか?またスイスのある心理学者によると、人間は呪術的・超自然的な非論理的思考による世界(いわば幻造世界)の認識を経て論理的な「因果律」の思考に到達出来るよう・・・ベルセルクという作遺品は人が人たらしめる物語であるといえよう。
うん、しっくりきます!
通りすがりの者ですがコメント失礼します。ベルセルクは本当に壮大なストーリーで好きなので楽しく拝見させて頂きました。が、、、失礼ながら早口での解説に活舌が追い付いていない感がありますのでもっとゆっくりと解説して貰えれば聞き手としては非常に聞き取りやすくなりさらに動画としての完成度が上がるのに、と感じました。お気に障るかもしれませんが率直な意見としてコメントさせて頂きました。失礼します(_ _)
滑舌苦手なんですよね、、検討してみます、、!お心苦しい中コメントいただいて嬉しいです、ありがとうございます、、!
だとすれば神も神の使徒も人が作り出した、人が望んだ存在。
深淵の神の話はたぶんもう出てこない気がする。なんかそんな気がする。
そうですよね、流石に出ないだろうと思ってます。
三浦先生って、『神』っていう、人間如きが想う事すら烏滸がましい宇宙の様な、どうしようもない存在を、単純なのに複雑な、複雑な様で単純な『ニンゲン』を表現する材料として使わなそう。『神』すら『神の中の神』の存在の前では凡って感じだし。深淵の神をちょこちょこ出されると、宇宙に放り出された様な、何もかもちっぽけ過ぎてどうでも良くなってしまう気がする、そんな気がします_φ(・_・
私見ですが、 この展開 タニス・リー の「幻魔の虜囚」(ハヤカワFT文庫) の影響も有るかも?。
オリジン弁当?
元型はoriginじゃなくarchetypeですよね?originも面白いけど。
グリフィスとガッツてもう決着ついてる?
神様なんざ知らねえよ的な考えかたのガッツが主人公なので、実際に神の存在を描くのは作品のテーマと矛盾してしまう恐れがあったのかなとも思います。あと概念とも言える神を視覚的に描くことはやっぱり難しいのかなとまたゴッドハンドさえ正体が不明で、倒せるのかどうかも分からないので、そこに神まで出てきてしまうと扱いきれない気はしますね。まずバトル漫画としてゴッドハンドの扱いをどうするのか?(倒せるか否か)を先に読者に提示したほうがいい気はします
いつもお世話になっております。年齢を伺ってもよろしいでしょうか?
フローラの言う複雑な世界というのは存在それぞれは違うということをゆるし共存を実現させるということ。人々の欲望が集合体に集って事をなすというのは代理的なもの。つまり個人ではだめだが集団もしくは強者に委ねるという一種の利用行為にもなる選択をして納得させること。深淵の神の存在又はセリフは人個人の自己都合を周りに対して正解であるようにして自ら望んだように又は巻き込み従わせるということを表していると僕は考えました。深淵の神は大人でもあり子供でもある。それは掟を理解しながらも従いたくないという望みがあるのだと思えるんです。この存在は人類の願望の集合体とするなら人類皆深淵の神でもあるんです。それは望むまましたくてもできないというしたいとできないの狭間から生じる解放の願望が深淵の神だからです。その点ゴッドハンドや使徒、人外達はそこから解かれた存在ということなのでしょう。人類とは仕方なく掟に束縛されるものであると共に解放を求める存在なのですよ多分。それか苦痛を苦痛として認識しなくなるために苦痛に納得して身を守るという防衛意識を有する納得の化身なのかもしれないですよね深淵の神は。ガッツ達は苦痛を苦痛として認識して苦痛に立ち向かうということだから深淵の神側の敵になるんでしょうね。つまりガッツ達は行動する正直者であり自助努力の現実主義者の集まりということになりますね。因みに。僕が準備の一環で人と関わることをしてた時の記録みたいなものですけど、そもそも人類自体矛盾した存在であり対極というより双極の概念を有する存在であるみたいなんですよね。大人でも子供のような趣味趣向や思考、又は面影が残ってる。それは人類を存続させる為の双方にある支えのように捉えています。どちらかがなくなると人類は人類でなくなる。人類は矛盾の存在であるとともに狭間に存在する者という解釈をしてます。それが人類の総合力にも影響をあたえるんでしょう。
すみません、ちょっと何言ってんのか解りません。理解しようと何度か読みましたが、理解し様が無いのは私だけですか?🙇♂️
@@angelgivemeさん。すみません。僕も改めてコメントを確認してみたのですが言ってる意味がわからなくなってきました。ただ言いたかったことは、深淵の神側の存在は人類の隠れた願望であると考えているということです。
@@ヒユウショウ火裕勝 様。わざわざご返信恐縮です。人類の隠れた欲望という言葉の『隠れた』ってのが気になります(p_-)私は、人間は単純な生き物なのに、自ら複雑に考えて迷って悩んで苦しんで、でも幸福への道が切り拓けた瞬間、その道を歩いた経験、どうやらこの道が正解だと確信していく答えって、驚くほど単純で簡単なんです。深淵の神🟰最高神🟰人類の隠れた欲望、ならばこれらそのものは人間にとって何ですか?人それぞれ『神』と聞いてイメージするものは違います、なので辞書と掛け離れている人と会話する際、お互いの辞書を合わせてみないと話が進みません😅神って抽象的な言葉で議論するってちょっと無理があるかもですね🙇♂️三浦先生が使用した『深淵の神』の存在が何なのか、人間とどう関わってるのかを知れば、目から鱗が落ちると信じてます笑あと、あなたのコメント文章について、まだまだ気になる事は沢山ありますが、コメント欄では纏まらないくらい長くなりそうなので、この辺で失礼します😇
喜怒哀楽や煩悩・不平不満等の感情の原因は100%それを感じる人の持つ固定観念にある。観念に強く執着すればそれだけ湧いてくる感情も強くなるここで言う固定観念とは、個々人が持つ固着観念、既成概念、主観、評価基準、先入観、世界観、見識、信条、思想、哲学、イデオロギー、主義主張、教義(ドグマ)、掟、美学、パラダイム、思考パターン、思考様式、 思い込み、自己スキーマ、予断、バイアス、偏見、マインドセット、迷信、レッテル貼り、規範、規定、規則、思考癖、命題、格言、教訓、方針、希望、期待など、無意識的にせよその人が「これは正しい」「かくあるべし」等と認めている価値観、定義付けのこと笑いや感動や驚愕、動物の意思(縄張り意識や生存本能)も観念に依って起こる。但し、摂食や性交等による肉体的快楽や脊髄反射・生理反応等については、直接観念(脳)が作用しないので論外如何なる事象も最初から意味のあるものはない。ただ「起きている」だけ。見た人が各自の視点・観点から定義を与えて初めて、意味や価値が生じる。種々の形態の情報も、元を辿ればただの光の濃淡や空気振動等に過ぎない貴方がたった今目にしているこの文面も、実態は単なる画面に映った黒白模様に過ぎない。日本語という共通キーを手掛かりに、貴方が現在持っている固有のフィルタ・色眼鏡を通して解読し意味を判断している読者が触れ得た情報をどう読み取ってどう活用するかは、完全にその読者の勝手自由。例えそれが誰かに教わった考え方・見解であっても、読み手が他者に「強要」されることなく自由意思でそれを選んでいれば、その結果に対する責任は読み手自身にある例えば貴方がある情報に接してどれほど憤りを覚えたとしても、それはあくまでも貴方の判断基準・尺度に照らして貴方自身が無意識的にせよ選んだ解釈の結果であって、その情報の発信者には「貴方の憤りに対する原因・責任」は全くないここで言う「強要」とは肉体に対して直接的物理的な実害が及ぶケースのみであり、暴言や誹謗中傷についても、騒音となるもの以外「強要」に当たらない。例えそれが脅迫文でも、恐怖心を抱く事自体は読み手の勝手な所為、自業自得ということつまり人は本来(ネットやTV鑑賞等に於いては絶対に)自分の感情を他人のせいにはできない。怒りの矛先を少なくとも自分以外の誰かに向けるのは、筋も間も勘も気も思いも場も見当も御門も違う。これに気付いていない人同士が互いに鏡となって矛盾を見せ合う行為・現象が「争い」である従って貴方が誰かに嫌悪感を抱いても、その原因は常に「貴方の持つ固定観念・定義付け」であって「相手」ではない。逆に誰かが貴方に嫌悪感を抱いても、全く一切何ら断じて金輪際ちっとも全然まるっきし貴方のせいではない。「生意気だから」「ムカツクから」等といういじめやその報復の口実も、全く言い訳にならないそもそも何を見てどんな印象を抱きどう感じるかは個人の自由。もし貴方がその自由に制限を与えようと(例えば相手に自分の理想を押しつけようと)すれば、その瞬間に貴方も不自由(苛立ちなど)を感じる羽目になる(人を裁けば自らが裁かれる)これが「貴方が与えたものを貴方が受け取る」という、この世界の仕組み(仏教で言う因果応報、物理学で言う作用反作用)逆に言えば、仮に貴方が意図せずに誰かを怒らせたり悲しませても、相手が自前の了見・価値基準で勝手に感じている事なので、貴方が後悔や自責の念を感じる必要は一切ない相手が幾ら貴方に罪悪感や劣等感を感じるよう仕向けたとしても上述のように御門違いなので、何ら貴方が自己嫌悪に苛まれるべき理由にならない(これは無論、迷惑を掛けたり失敗しても反省や訂正や改善をしなくて良いという事ではない)感情自己責任とはいえそれを表現すべきではないという事では決してない。感情は自己表現の一つであり自他共に己を知らしむチャンスなので、寧ろ積極的に感じたままを間を置かずに表現すべき実際、感情を抑圧する者ほどそれを爆発させやすく、感情の自己責任が取れていない者ほど他者の表現の自由を制限したがる(自分が傷付かなくて済むように)自称知識人の多くは自覚がないが、「何かを批判・非難する」ということはその対象に関して中途半端な知識しか持っていない証拠(無知の無知)。これが、批判・非難が一時的表面的解決にしかならず、実態は益々隠蔽され問題が長期化する所以感情に限らず人生で体験する全て(外界)は「体験者がどんな固定観念を持っているか(内界)」を映し出す“鏡”に過ぎない。従って感情的な批判や非難は全て自己矛盾する例えば、極悪非道な犯罪者に対して「あんな思いやりのない人間がいるなんて信じられない」などと責め立てる人ほど、その罪人の立場を思いやれていないように何かと差別問題化したがる偽善者の心の中にこそ根深い差別心があるのも同様。内部に矛盾がなければ外部に矛盾を見る事はできない人は100%、当人が与えた定義付け通りを体験する。「人生は必ずしも思い通りにならない」と定義していれば、正にその通りの(必ずしも思い通りにならない)体験をする従って、繰り返したくない体験に出会ったら「どんな固定観念がこの体験を見せているのか」「その固定観念は執着に値するのか」と考えてみると良い。原因となっている観念を変えれば、似たような体験をしなくなる(変えなければ似たような体験を繰り返す)「体験が先で観念が後、という観念」も含めて、常に「観念が先で体験が後」。常に本人の現時点の固定観念が、過去や環境を定義している個々人のみならず集団・社会においても観念は具現化する。グループ全体が抱いている観念はそのグループ内で起こる出来事となって現れる。例えば貧困は人々の中にある「飢餓への恐怖」、犯罪は「自己存在の喪失に対する恐怖」が顕在化したもの全ては必然であり、起こるべくして起こっている。偶然や奇跡、運不運、矛盾、不合理、理不尽、不条理などは、その現象・物事の因果や必然性を理解(説明)できない人が言い訳として用いる概念に過ぎない同じように「闇」も存在しない。存在するのは「知覚能力の限界」。同様に「客観」も存在しない。存在するのは「共有された主観」真実は「人の数だけ」ある。「真実は一つ」は、数ある真実の中の一つに過ぎない。だからいつの世も「唯一の真実」に拘る人だけが、争いを通して己の矛盾を体験する以上は、どこかの一般人が短い生涯の間に知り得た狭い視野から捻り出した独断と偏見の賜物、即ち単なる個人的主観。真か否かを判断するのは貴方自身であり、いずれにせよ貴方は貴方が信じた通りを体験する
深淵の神が居るのなら浅瀬の神も居るのかな?🤔
弱そうで草
グリフィスとシャルロットに子供ができたら、それは人なのか悪魔なのか😅
あれ、繰り返し見てくれてますかもしかして!!!子供できてても全然おかしくないですが、風呂敷がさらに広がりますね、、、そっちの子が、グリフィスの闇の部分を持ってるとか、、
@@berserk7834 繰り返し見る?😳グリフィスくらいなら一発で妊娠させられそうですよねw😘
深淵の神は人造神ですよね?それを深淵の神がグリフィスに伝えたので、未収録になったのではないかと…あとは、当時の三浦先生は、単純に早く終わらせようとしていたので、グリフィス側の様子を描いたのではないのでしょうか?ラスボスの深淵の神を描いてしまったので、重大なネタバレとして封印したのではないですかね?話が変わりますが、昔に主がガッツのベヘリットはどうなるか考察しましたよね?あれ、グリフィスがガッツ達を捧げて使徒になりましたが、ガッツがグリフィスを捧げたらどうなるのでしょうか?
物語で答えは出ていたはず。一度生贄に捧げられているら無理と。
@@さいきよさ なるほど…
動画最初の方、導入の時点で、心構えをさせずに表現を勝手に変えていて、掲載事実なのか考察なのか区別がつかなくて大混乱しました。「その内容に踏みこんでいきます」じゃ具体性が無くわからない、「表現を変えていますが掲載内容をまとめると次にようになります」と枕をしっかりさせて視聴者に準備させないと駄目だよ。
最初は再開を喜んだが、漫画としての継続より作者から聞いた展開と結末を箇条書きでまとめてくれた方が良い気がしてきた。そんぐらい再開後の中身がなんというか借金の利子しか返してないような薄さに感じてしまう。
全然連載されないけど どうなってるんだろう早く描いてほしいわ昔はこんな長期で描かない作者いなかったのにな
早く描かないのではなく、早く描ける様な軽い物は出さないし出せないんです。それ程に、このベルセルクは超越してるモノが詰め込まれてきてます。私にとって今世に出てる作品(漫画に限らず)の殆どに飽き飽きしていて、漫画でいうところの一巻を読んだ時点で結末は大体想定内ばかりです。何千年も前からの偉人も現代の偉人もみーーーんな行き着く答えが同じってのがもう証明されてて、もう大体の何観ても聞いてもつまらないんですが、このベルセルクはそんな私に次どうなるの?何を教えてくれるの?が止まらないって程、三浦先生の脳ミソは異次元です。私なんかが今から100年生きたって追い付けない異次元の答えを、ベルセルクに落とし込もうとして生きた、有難い書物なんです。そんな凄い漫画だったっけ?って疑ってもう一度読み返してみる事をお勧めします!
この作品はもう未完の大作として眠らせてあげてほしい。先生以外がどんな技術で描いて違うものにしかならないとスタッフ自らが証明しているだけになっている。お願いですからそっとしておいてほしい。
その考え方だと、世の中にある伝統工芸や美術なんて全て無くなってしまうなぁ...お前が読むのをやめればいいそれだけの話だろ。己の中で勝手に眠れ
連載しろよ❗
今月の29です
ガッツが自分の内の負の感情を受け入れ、乗り越え「個性化」を果たした刻にはじめてガッツの刃は今のグリフィスに届くんだと思います。幻造世界を元の世界の姿に戻すのがガッツのこれから先の戦いであり、物語のゴールなのかなと思いました。
初めて積極的にユングの著作読みたいと思えた。明日本屋に行ってみます。
どんな結末になろうと完結までどうか描いてほしいですね。
三浦先生の意志を受け継いだ以上逆に途中で終わる事は許されない物語になった気がします。
描くことは間違いないと思いますがね。
最近スタッフの募集もありましたし、作るの大変なんでしょうね😂
小学校の朝の新聞配達の時、ゴミ箱から拾ったヤングアニマル。
そこにあったベルセルグ第一話。
そこから中学、高校をへて自分で読むようになりました。
と同時に当初この「深淵の神」の扱いは、当初世界そのものがダークなイメージばかりで、
神そのものもダークな感じで考察し辿っていくのがこの作品の世界感だなと受け取りましたが、その後どんどん変わっていきました。
闇だけではなく、光の部分もまたこの世にはあるというのを三浦氏は描き始めた。
三浦氏も成長をしながら描かれていたのでしょうね。
友人とふれあい、思いを共にする人を見つけ、家族を作り、自分の居場所と幸せを感じる。その中に人が生きる意味や価値があるという事も。
何処かで三浦氏の対談で最後はハッピーエンドにしたいというのがありましたが、闇だけではなく、そうではない人類が常に求め続ける方向を向こうとしたのかなと。
ゆえに、手塚治虫が初期「ブッダ」を描き、この世の矛盾や愛別離苦、四苦八苦、生老病死を描きましたが、最後は新約聖書を描くに至りました。
救いの無いこの世でも、最期は救世主なるものが居り、この世は祝福され意味がある世界であるという意味を込めて。多分そこへ至る途中だったのかもしれません。
初めて83話を読んだときとても強く感じたのは、グリフィスの描画がものすごくアキラの鉄雄を感じさせたってことです。自分色に消化しきれてない感じが少し三浦先生らしくないと感じてました。これは単なるデザインの話ではあるんですが、その印象があったため、83話全体がまだ三浦先生の中で煮詰めきれてない状態で描かれた早産のアイデアだったのかなぁと感じてました。
どういう役割になるにせよ最終回を迎えるまでに深淵の神にまた登場してもらいたいです。
深淵の神をリアルタイムでは読めませんでしたが、後からこの話の存在を知ったとき、私も思い浮かべたのがユングの元型でした。
それを今回の考察で聴けて、嬉しくも興味深かったです。
深淵の神はペルソナ2のニャルラトホテプみたいな奴だね。
あっちも人間の集合無意識の影の側面が生み出した存在だし、ゲーム的には倒せるけど本質的には戦うとか勝つとかいう概念の外側にいる存在。
この考察を見て気になったのが
グリフィスがファルコニアの住民を深淵の神の生贄に捧げる未来があるのかもしれないと思いました。
シラットの「人智が及ばぬものに委ねて良いものか。」
この台詞がかなり気になります。
「はるか遠き過去よりお前はここにあるべく定められていた ~ お前の望みは我が望みでもある お前の行い自体が種としての人間に相応しいものになるだろう」
作中の上記の辺りはグリフィスの望みが叶うシナリオの場合には当てはまりますがガッツや髑髏騎士の存在や作品のラストと整合性が取れるのか?疑問があります。
特にガッツの蝕からの脱出は予想外の出来事ではなくグリフィスのその後の運命に用意されたもののように読者に受け止められると三浦先生の意思と違ったものになると考えたのかもしれません。
深淵の神はグリフィスを「選ばれし者」と呼んでますがゴッドハンドだけではなく使徒も「選ばれし者」である場合、作中の「お前の行い自体が種としての人間に相応しいものになるだろう」の部分は使徒の行動にあてはまるのか?疑問です。
人の望みは悪だけではなく善もあるので善い神もいるのでは?とも思ってしまいます。
私は、深淵の神についての説明が丁寧すぎて融通が利かないから上手い設定が思いつくまで保留したと考察しました。
深淵の神を初めて見た時、心臓か子宮のような臓器みたいに見えました。産み出すもの、命を繋ぐもの。最終話で似たような描写があるんだろうな。
宮城県生まれの俺にはホヤに見えてしまった。
ので「こいつ食えるの?美味しい?」と思ってた。
面白かったです。
深淵を覗くとき、深淵を覗いているんですよね
ファルコニアは次のゴットハンドの蝕のための前夜祭な気がする。
ガッツは次の髑髏の騎士。
次の一人目は誰になるかわかりませんが。
同じくそう思います。
ただ、ガッツは髑髏の騎士との因果を壊すんじゃないかなと予想しています。
@@berserk7834 返信ありがとうございます。
ただ、三浦先生のハッピーエンド発言はどこを指しているのかがわかりません。
グリフィスを倒して、キャスカとガッツが地獄で皆と再会なのか・・・、グリフィスを倒し、現世でキャスカと暮らすのがいいのか。
ベヘリットと髑髏の騎士がどうなるか見ものですね。
因果律次第でしょうか。
答えをはっきり書きすぎたので謎にしておくために消したんじゃないかな
いつも楽しい動画をありがとうございます!
「望むままに行え(欲するところに従え)」という命題は、昔グループSNEが『ソード・ワールド』RPGで創造した「フォーセリア世界」における暗黒神「ファラリス」を思い起こさせます(^^)。
bgmの名前知りたい
もはやグリフィスが神に近づきつつある
ワンパンマンの神みたいな存在?「ボイドお前は没収だ!」みたいな笑
凄まじい考察お疲れ様です!いや凄いです。ここまで深くベルセルクを掘り下げると、最早研究書ですね。
人が神を作ると言うのは、現在ChatGPTでその領域に入っていこうとしていますね。
ただ、あちらが作ろうとしているのは理であるとは思いますが。
余談はさておき、イデアですが、前も書いたことになりますが、理と対立する存在ではないかと思っています。
今の理という理不尽への対抗手段としての魔、ですね。
これを積み上げ、共通認識を更に集め、新しい理を作る。
深いところまで考察が出来ないので、これは宿題にさせて下さい。
次にグリフィスなのですが、以前コメントに後程書きますと書いていましたので、ここでふと思っていた事を書きます。
グリフィスは、世界を手に入れる為に、人ではないものを幻造=呼び込んでいます。
グリフィスは、夢を手に入れる為に沢山の屍の山を築き上げ、それを背負って来ました。これがグリフィスの重荷になってきていたと思います。
グリフィスの望みは、世界を手に入れるだけでは無く、その背負って来た荷物を下ろすことも望みであると思われる事です。
1つ目 人と戦わないこと。
2つ目 自分の夢で亡くなった人に救済を与える事
3つ目 共通の敵=共通認識=目標を持たせ人を纏め上げること。
もしかすると、共通認識=神からの脱却が最終目標かもですね。
グリフィスの身体について
グリフィスが何故光の鷹になったのか。
実は光の鷹になっているのは月下の少年の力では無いかと思いました。
グリフィス自体は闇の鷹のままであり、月下の少年に取り付くことによって光の鷹に偽装していると思っています。
下手すると、人の魂を天に帰す力は月下の少年の力なのかと。
グリフィスについてですが、個人的にはグリフィスであってグリフィスではないと思います。
今のグリフィスは己の野心を満たすための存在と言うだけではなく、『救世主に救われたい』と言う民衆の欲望を満たす器でもあるのでは無いでしょうか?
グリフィスの光と言うのは結局の所人々の『救世主に救われたい』と言う欲望の反映でしかなく、ある意味では幻、偽りの光ではと
グリフィスは世界の王になる事を望み、人々は苦難から救ってくれる救世主を求める
(幾つかの苦難はゴッドハンドが引き起こしているマッチポンプでも有るのですが)
そうやって作り出された『救世主』が今のグリフィスなのではと
@@鈴木千裕-t2x
コメントありがとうございます。
偽りの光だとすると、魂を天に帰す行為も偽りと言うことにもなりますね。
使徒であるグリフィスが、なんでそんな事出来るんだ?と思ってましたが、そもそもフェイクであれば納得はいきます。
R-TYPEのゴマンダーみたいな見た目だな
そもそも「人間の欲望」=「負の感情」という事ではなく、「欲望」とは受動する側の感情に(ハラスメントやポリティカルコレクトネスの定義のように)依存する事象であって必ずしも「負」とは言えない。「復讐」が主題であるベルセルクには(否、ベルセルクだからこそ)「二元論」的思考よりも人間の業による「因果」律という考えのほうが過不足なく合っていると三浦先生は考えていたのではなかろうか?またスイスのある心理学者によると、人間は呪術的・超自然的な非論理的思考による世界(いわば幻造世界)の認識を経て論理的な「因果律」の思考に到達出来るよう・・・ベルセルクという作遺品は人が人たらしめる物語であるといえよう。
うん、しっくりきます!
通りすがりの者ですがコメント失礼します。
ベルセルクは本当に壮大なストーリーで好きなので楽しく拝見させて頂きました。
が、、、失礼ながら早口での解説に活舌が追い付いていない感がありますのでもっとゆっくりと解説して貰えれば聞き手としては非常に聞き取りやすくなりさらに動画としての完成度が上がるのに、と感じました。
お気に障るかもしれませんが率直な意見としてコメントさせて頂きました。失礼します(_ _)
滑舌苦手なんですよね、、検討してみます、、!お心苦しい中コメントいただいて嬉しいです、ありがとうございます、、!
だとすれば神も神の使徒も人が作り出した、人が望んだ存在。
深淵の神の話はたぶんもう出てこない気がする。なんかそんな気がする。
そうですよね、流石に出ないだろうと思ってます。
三浦先生って、『神』っていう、人間如きが
想う事すら烏滸がましい宇宙の様な、どうしようもない存在を、単純なのに複雑な、複雑な様で単純な『ニンゲン』を表現する材料として使わなそう。
『神』すら『神の中の神』の存在の前では凡って感じだし。
深淵の神をちょこちょこ出されると、宇宙に放り出された様な、何もかもちっぽけ過ぎてどうでも良くなってしまう気がする、そんな気がします_φ(・_・
私見ですが、 この展開 タニス・リー の「幻魔の虜囚」(ハヤカワFT文庫) の影響も有るかも?。
オリジン弁当?
元型はoriginじゃなくarchetypeですよね?originも面白いけど。
グリフィスとガッツてもう決着ついてる?
神様なんざ知らねえよ的な考えかたのガッツが主人公なので、実際に神の存在を描くのは作品のテーマと矛盾してしまう恐れがあったのかなとも思います。あと概念とも言える神を視覚的に描くことはやっぱり難しいのかなと
またゴッドハンドさえ正体が不明で、倒せるのかどうかも分からないので、そこに神まで出てきてしまうと扱いきれない気はしますね。まずバトル漫画としてゴッドハンドの扱いをどうするのか?(倒せるか否か)を先に読者に提示したほうがいい気はします
いつもお世話になっております。
年齢を伺ってもよろしいでしょうか?
フローラの言う複雑な世界というのは存在それぞれは違うということをゆるし共存を実現させるということ。
人々の欲望が集合体に集って事をなすというのは代理的なもの。つまり個人ではだめだが集団もしくは強者に委ねるという一種の利用行為にもなる選択をして納得させること。
深淵の神の存在又はセリフは人個人の自己都合を周りに対して正解であるようにして自ら望んだように又は巻き込み従わせるということを表していると僕は考えました。
深淵の神は大人でもあり子供でもある。それは掟を理解しながらも従いたくないという望みがあるのだと思えるんです。
この存在は人類の願望の集合体とするなら人類皆深淵の神でもあるんです。それは望むまましたくてもできないというしたいとできないの狭間から生じる解放の願望が深淵の神だからです。その点ゴッドハンドや使徒、人外達はそこから解かれた存在ということなのでしょう。人類とは仕方なく掟に束縛されるものであると共に解放を求める存在なのですよ多分。
それか苦痛を苦痛として認識しなくなるために苦痛に納得して身を守るという防衛意識を有する納得の化身なのかもしれないですよね深淵の神は。ガッツ達は苦痛を苦痛として認識して苦痛に立ち向かうということだから深淵の神側の敵になるんでしょうね。つまりガッツ達は行動する正直者であり自助努力の現実主義者の集まりということになりますね。
因みに。僕が準備の一環で人と関わることをしてた時の記録みたいなものですけど、そもそも人類自体矛盾した存在であり対極というより双極の概念を有する存在であるみたいなんですよね。
大人でも子供のような趣味趣向や思考、又は面影が残ってる。それは人類を存続させる為の双方にある支えのように捉えています。どちらかがなくなると人類は人類でなくなる。人類は矛盾の存在であるとともに狭間に存在する者という解釈をしてます。それが人類の総合力にも影響をあたえるんでしょう。
すみません、ちょっと何言ってんのか解りません。
理解しようと何度か読みましたが、理解し様が無いのは私だけですか?🙇♂️
@@angelgivemeさん。
すみません。僕も改めてコメントを確認してみたのですが言ってる意味がわからなくなってきました。ただ言いたかったことは、深淵の神側の存在は人類の隠れた願望であると考えているということです。
@@ヒユウショウ火裕勝 様。
わざわざご返信恐縮です。
人類の隠れた欲望という言葉の『隠れた』ってのが気になります(p_-)
私は、人間は単純な生き物なのに、自ら複雑に考えて迷って悩んで苦しんで、でも幸福への道が切り拓けた瞬間、その道を歩いた経験、どうやらこの道が
正解だと確信していく答えって、驚くほど単純で簡単なんです。
深淵の神🟰最高神🟰人類の隠れた欲望、ならばこれらそのものは人間にとって何ですか?
人それぞれ『神』と聞いてイメージするものは違います、なので辞書と掛け離れている人と会話する際、お互いの辞書を合わせてみないと話が進みません😅
神って抽象的な言葉で議論するってちょっと無理があるかもですね🙇♂️
三浦先生が使用した『深淵の神』の存在が何なのか、人間とどう関わってるのかを知れば、目から鱗が落ちると信じてます笑
あと、あなたのコメント文章について、まだまだ気になる事は沢山ありますが、コメント欄では纏まらないくらい長くなりそうなので、この辺で失礼します😇
喜怒哀楽や煩悩・不平不満等の感情の原因は100%それを感じる人の持つ固定観念にある。観念に強く執着すればそれだけ湧いてくる感情も強くなる
ここで言う固定観念とは、個々人が持つ固着観念、既成概念、主観、評価基準、先入観、世界観、見識、信条、思想、哲学、イデオロギー、主義主張、教義(ドグマ)、掟、美学、パラダイム、思考パターン、思考様式、 思い込み、自己スキーマ、予断、バイアス、偏見、マインドセット、迷信、レッテル貼り、規範、規定、規則、思考癖、命題、格言、教訓、方針、希望、期待など、無意識的にせよその人が「これは正しい」「かくあるべし」等と認めている価値観、定義付けのこと
笑いや感動や驚愕、動物の意思(縄張り意識や生存本能)も観念に依って起こる。但し、摂食や性交等による肉体的快楽や脊髄反射・生理反応等については、直接観念(脳)が作用しないので論外
如何なる事象も最初から意味のあるものはない。ただ「起きている」だけ。見た人が各自の視点・観点から定義を与えて初めて、意味や価値が生じる。種々の形態の情報も、元を辿ればただの光の濃淡や空気振動等に過ぎない
貴方がたった今目にしているこの文面も、実態は単なる画面に映った黒白模様に過ぎない。日本語という共通キーを手掛かりに、貴方が現在持っている固有のフィルタ・色眼鏡を通して解読し意味を判断している
読者が触れ得た情報をどう読み取ってどう活用するかは、完全にその読者の勝手自由。例えそれが誰かに教わった考え方・見解であっても、読み手が他者に「強要」されることなく自由意思でそれを選んでいれば、その結果に対する責任は読み手自身にある
例えば貴方がある情報に接してどれほど憤りを覚えたとしても、それはあくまでも貴方の判断基準・尺度に照らして貴方自身が無意識的にせよ選んだ解釈の結果であって、その情報の発信者には「貴方の憤りに対する原因・責任」は全くない
ここで言う「強要」とは肉体に対して直接的物理的な実害が及ぶケースのみであり、暴言や誹謗中傷についても、騒音となるもの以外「強要」に当たらない。例えそれが脅迫文でも、恐怖心を抱く事自体は読み手の勝手な所為、自業自得ということ
つまり人は本来(ネットやTV鑑賞等に於いては絶対に)自分の感情を他人のせいにはできない。怒りの矛先を少なくとも自分以外の誰かに向けるのは、筋も間も勘も気も思いも場も見当も御門も違う。これに気付いていない人同士が互いに鏡となって矛盾を見せ合う行為・現象が「争い」である
従って貴方が誰かに嫌悪感を抱いても、その原因は常に「貴方の持つ固定観念・定義付け」であって「相手」ではない。逆に誰かが貴方に嫌悪感を抱いても、全く一切何ら断じて金輪際ちっとも全然まるっきし貴方のせいではない。「生意気だから」「ムカツクから」等といういじめやその報復の口実も、全く言い訳にならない
そもそも何を見てどんな印象を抱きどう感じるかは個人の自由。もし貴方がその自由に制限を与えようと(例えば相手に自分の理想を押しつけようと)すれば、その瞬間に貴方も不自由(苛立ちなど)を感じる羽目になる(人を裁けば自らが裁かれる)
これが「貴方が与えたものを貴方が受け取る」という、この世界の仕組み(仏教で言う因果応報、物理学で言う作用反作用)
逆に言えば、仮に貴方が意図せずに誰かを怒らせたり悲しませても、相手が自前の了見・価値基準で勝手に感じている事なので、貴方が後悔や自責の念を感じる必要は一切ない
相手が幾ら貴方に罪悪感や劣等感を感じるよう仕向けたとしても上述のように御門違いなので、何ら貴方が自己嫌悪に苛まれるべき理由にならない(これは無論、迷惑を掛けたり失敗しても反省や訂正や改善をしなくて良いという事ではない)
感情自己責任とはいえそれを表現すべきではないという事では決してない。感情は自己表現の一つであり自他共に己を知らしむチャンスなので、寧ろ積極的に感じたままを間を置かずに表現すべき
実際、感情を抑圧する者ほどそれを爆発させやすく、感情の自己責任が取れていない者ほど他者の表現の自由を制限したがる(自分が傷付かなくて済むように)
自称知識人の多くは自覚がないが、「何かを批判・非難する」ということはその対象に関して中途半端な知識しか持っていない証拠(無知の無知)。これが、批判・非難が一時的表面的解決にしかならず、実態は益々隠蔽され問題が長期化する所以
感情に限らず人生で体験する全て(外界)は「体験者がどんな固定観念を持っているか(内界)」を映し出す“鏡”に過ぎない。従って感情的な批判や非難は全て自己矛盾する
例えば、極悪非道な犯罪者に対して「あんな思いやりのない人間がいるなんて信じられない」などと責め立てる人ほど、その罪人の立場を思いやれていないように
何かと差別問題化したがる偽善者の心の中にこそ根深い差別心があるのも同様。内部に矛盾がなければ外部に矛盾を見る事はできない
人は100%、当人が与えた定義付け通りを体験する。「人生は必ずしも思い通りにならない」と定義していれば、正にその通りの(必ずしも思い通りにならない)体験をする
従って、繰り返したくない体験に出会ったら「どんな固定観念がこの体験を見せているのか」「その固定観念は執着に値するのか」と考えてみると良い。原因となっている観念を変えれば、似たような体験をしなくなる(変えなければ似たような体験を繰り返す)
「体験が先で観念が後、という観念」も含めて、常に「観念が先で体験が後」。常に本人の現時点の固定観念が、過去や環境を定義している
個々人のみならず集団・社会においても観念は具現化する。グループ全体が抱いている観念はそのグループ内で起こる出来事となって現れる。例えば貧困は人々の中にある「飢餓への恐怖」、犯罪は「自己存在の喪失に対する恐怖」が顕在化したもの
全ては必然であり、起こるべくして起こっている。偶然や奇跡、運不運、矛盾、不合理、理不尽、不条理などは、その現象・物事の因果や必然性を理解(説明)できない人が言い訳として用いる概念に過ぎない
同じように「闇」も存在しない。存在するのは「知覚能力の限界」。同様に「客観」も存在しない。存在するのは「共有された主観」
真実は「人の数だけ」ある。「真実は一つ」は、数ある真実の中の一つに過ぎない。だからいつの世も「唯一の真実」に拘る人だけが、争いを通して己の矛盾を体験する
以上は、どこかの一般人が短い生涯の間に知り得た狭い視野から捻り出した独断と偏見の賜物、即ち単なる個人的主観。真か否かを判断するのは貴方自身であり、いずれにせよ貴方は貴方が信じた通りを体験する
深淵の神が居るのなら浅瀬の神も居るのかな?🤔
弱そうで草
グリフィスとシャルロットに子供ができたら、それは人なのか悪魔なのか😅
あれ、繰り返し見てくれてますかもしかして!!!
子供できてても全然おかしくないですが、風呂敷がさらに広がりますね、、、
そっちの子が、グリフィスの闇の部分を持ってるとか、、
@@berserk7834 繰り返し見る?😳
グリフィスくらいなら一発で妊娠させられそうですよねw😘
深淵の神は人造神ですよね?
それを深淵の神がグリフィスに伝えたので、未収録になったのではないかと…
あとは、当時の三浦先生は、単純に早く終わらせようとしていたので、グリフィス側の様子を描いたのではないのでしょうか?
ラスボスの深淵の神を描いてしまったので、重大なネタバレとして封印したのではないですかね?
話が変わりますが、昔に主がガッツのベヘリットはどうなるか考察しましたよね?
あれ、グリフィスがガッツ達を捧げて使徒になりましたが、ガッツがグリフィスを捧げたらどうなるのでしょうか?
物語で答えは出ていたはず。
一度生贄に捧げられているら無理と。
@@さいきよさ なるほど…
動画最初の方、導入の時点で、心構えをさせずに表現を勝手に変えていて、掲載事実なのか考察なのか区別がつかなくて大混乱しました。
「その内容に踏みこんでいきます」じゃ具体性が無くわからない、
「表現を変えていますが掲載内容をまとめると次にようになります」と枕をしっかりさせて視聴者に準備させないと駄目だよ。
最初は再開を喜んだが、漫画としての継続より作者から聞いた展開と結末を箇条書きでまとめてくれた方が良い気がしてきた。そんぐらい再開後の中身がなんというか借金の利子しか返してないような薄さに感じてしまう。
全然連載されないけど どうなってるんだろう
早く描いてほしいわ
昔はこんな長期で描かない作者いなかったのにな
早く描かないのではなく、早く描ける様な軽い物は出さないし出せないんです。
それ程に、このベルセルクは超越してるモノが詰め込まれてきてます。
私にとって今世に出てる作品(漫画に限らず)の殆どに飽き飽きしていて、漫画でいうところの一巻を読んだ時点で結末は大体想定内ばかりです。
何千年も前からの偉人も現代の
偉人もみーーーんな行き着く答えが同じってのがもう証明されてて、もう大体の何観ても聞いてもつまらないんですが、このベルセルクはそんな私に次どうなるの?何を教えてくれるの?が止まらないって程、三浦先生の脳ミソは異次元です。
私なんかが今から100年生きたって追い付けない異次元の答えを、ベルセルクに落とし込もうとして生きた、有難い書物なんです。
そんな凄い漫画だったっけ?って疑ってもう一度読み返してみる事をお勧めします!
この作品はもう未完の大作として眠らせてあげてほしい。先生以外がどんな技術で描いて違うものにしかならないとスタッフ自らが証明しているだけになっている。お願いですからそっとしておいてほしい。
その考え方だと、世の中にある伝統工芸や美術なんて全て無くなってしまうなぁ...お前が読むのをやめればいいそれだけの話だろ。己の中で勝手に眠れ
連載しろよ❗
今月の29です