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0:00 前置き0:50 花束についての私の基本スタンス1:46 麦の「有害な男性性」について6:15 連想した映画作品9:16 麦の方がもともと社交的だった…と思える場面3選13:07 タイトルの意味は?
最後の手を振るシーン、互いに相手が振り返るって思ってたのかなって少しだけ思った笑
居酒屋で、麦とサークル(?)が同じと思われる女性の先輩が、麦に話しかけるシーンで、絹があからさまに不機嫌になってお金を置いて帰る絹ちゃんを見て、「いくらなんでも怒りすぎではないだろうか?初対面の人にそんな嫉妬する?」と感じ、ひっかかりました。 このシーンは絹が自分よりも社交的な麦に対する嫉妬や独占欲を、単に現しただけではなくて、「好きなサブカルの世界から動かない、それらを邪険に扱うであろう人々に能動的に関わろうとしない絹」と「比較的いろんな人と関わろうとする、その関わりの数を増やしていく中で、ついついマウントをとってしまう麦」という社交性という軸における対比を感じてしまいました。また絹は、自分からは関係性を作らないので誰も来てくれない小さな世界にいる。そこに自覚があるので、麦に絡んでる先輩に、嘘ついてまで唐突に帰宅しようとするほど、深く嫉妬している。ただ、治したいとは思っているので行きたくもないのに、カラオケに見えないカラオケに行ったりコリドー街に行こうとしているのではないでしょうか?そうすると、オダギリさんに「私ってどうですか〜?」と酔って迫ったと、会社の人から告げられるシーンにも納得がいきます。また映画の中で、絹ちゃんが自分から話しかけて、仲良くなるシーンが、唯一麦だけなのも意図的ではないかなと感じました。絹と先輩の彼女ナナさんの2ショットがちょくちょく入りますが、2人が仲良くなったきっかけは、先輩の彼女が「わたしこの子、気に入った」と言って話しかけたことでしたよね。絹は人との関わりを、自分で作りあげることが苦手、もしくは避けているように見えました。意図的に排除して制作されていたとしたらとても面白いですよね。一方麦は、ストリートビューのことをクラスのみんなに見せていたり、先輩のコミュニティいったり、会社の懇親会に出ようとしたりして、能動的に出会いを求めにいくシーンが、絹と比べて多くあると思います。麦は「サブカル」好きかどうか関係なしに、他者と関わることができる人だと感じました。長文失礼いたしました。
なるほどたしかに!
私も絹に同じような嫌悪感を抱いてました。なんでこの子はwa sakiさんが書かれてるような性格になっちゃったんだろう?というところで、①親が安定した職に就いていて守られて生きてきたというのと、②優秀そうなお姉さんの存在が影響しているのではないかなと考えていました。そういう意味で、麦は地方の出身で、かつ大学で上京してきた度胸もあると思います。二人が上手くいかなかった原因にお互いの育ってきた環境のギャップはかなり響いてる気が私はしてます。
@@アマノジ 育ってきた環境の違いで価値観や感性の違いが生まれるのはありますよね。納得です。
もしかしたら絹は麦との恋愛を通して成長したかもしれないですよね新しい彼氏も出来てたみたいなんで
うわーこれだわ、、、
クリスマス(?)の映画デート後、麦くんの「またして欲しいことあったら言ってね」というセリフは麦くんにとって優しさのつもりが無意識に上から目線になってしまってるあたり、無意識の暴力性正にそのものなのかなと感じました。
私はそこは上から目線には感じませんでしたけど、どうなんですかね。
それ!デートって2人でするものじゃなくてしてあげるものなんだ…ってなりました笑
確かに「してほしいこと」じゃなくて「したいこと」って聞くべきでしたよね。僕も上から目線に感じました。
わかります〜麦はそんなつもりないのかもしれないけど"自分はしたくないけどあわせてあげるね"ってのが根底にはある気がします。動画にもあるように支配的な男性脳(?)の芽生えであのまま結婚したらそのうち"せっかく俺がやってやってるに!"とかなりそう
「また」と言っている時点で、好き嫌いにかかわらず、その日のデートはやってあげていること、という風にとらえました。
絹ちゃんがイヤホンについてドヤ顔で解説してる時、「2人で一緒に聞きたいんだろ」と言ってた今彼は優しくて大人な発言だなと思いました。大事なのはそこじゃないってわかってる。それでも絹ちゃんの話はちゃんと聞いてるし。でも、絹も麦も今彼今カノの話上の空。状況が状況なだけにってのもあったのだろうけど、最後の振り向きもしないで手だけでバイバイとか何だコイツらって感じで、そんな二人だからこそそれぞれ違うパートナーと生きてった方がもっとちゃんとした優しい大人になれる可能性があるはず、復縁したら絶対ダメなやつと思いました。
帽子のつばが広い人ほど自尊心が高いのとこで野田洋次郎思い出して笑った
待って同じこと思いながら見てた笑笑
思ったw
スナフキン
絹ちゃんが花の名前を教えなかったのは、一つとして別れた時に思い出さないようにみたいな意味があったけど、結局一緒に過ごした時間や場所や物全てが花で、何をみても思い出してしまうから花束という表現なのかなと思ってました。少しロマン的になってしまいますが😅
喧嘩のシーンと別れ話のシーンで相手の気持ちを引き留めたいがために結婚しようという言葉を切り札のように使っている麦くんに、鑑賞中、純粋に怖っ。と思ってしまったので大島さんの意見にとても納得しましたし、より理解が深まりました。昨日やっと映画観に行けて考察一気に観ました!いつも素晴らしい動画ありがとうございます!長文失礼致しました、、!
題名の解釈は特に自分でしようとはしませんでしたが、とても納得しました。そして話し方が上手すぎて何本でも見れる!
野に咲く花のような恋は長続きするけれど花束の恋のほうを最期に思い出してしまうんじゃないかな、と思ったり・・・
麦は女性に対してというより、自分は社会に会社にこれだけやっているんだという自己顕示しているように感じました。後輩の楽観的な言葉に紙を投げつけようとしたり、海に投げ捨てた運転手を否定したりするところなど。最初のストリートビューをみんなに見せびらかすところでも、麦くんは元々自己顕示欲の強い人だったんだなって思いました。
確かに、社会との関わりについてはそれ自体が目的になってしまうまで考えすぎてしまってる人(誰にでもありうること)として描かれてる気がしますね!
この人の考察見てから2回目見に行ったけど面白かったやっぱ泣いた
すごい。ありがとう
先輩のお葬式の次の日の朝、絹ちゃんが麦くんに打ち明けようとしたことってなんなんですかね?「昨日ナナさんからメールあってね…」みたいなとこですナナさんがDVされてたこととか?
そうだと思います。先輩がナナさんにDVをしていたことを知っていた絹は麦と同じように悲しめなくて、次の日に打ち明けようとしていた‥?でも、それだとメールの意味がわからなくなりますね‥
@@user-rv2uj7ht2k メールはすぐに打ち明けなかったことを隠す絹ちゃんの嘘って感じがしますね。悲しみを共有できないことに憤っている麦くんに気付いて、一晩経って今さら説明するための理由が欲しかったんじゃないでしょうか。
あそこで、聞いて!こうこうこうだったんだよ、だから私は心から悲しめないでいるの、昨日一緒に話を聞いてあげられなくてごめんねってあの時言えるくらいの熱量が絹ちゃんにもしあれば、結末は違ってたのかな、、たらればの話だけど、、
タイトルの考察すんっと心に落ちました、野に咲く花のような恋をしてほしい映画観てからのモヤモヤが晴れました、素敵な考察〜
ありがとうございます!
しんどい男性性・無意識の暴力性の部分が描かれているってことに気づける男性と出会えたらいいな…と思いました。
もう本当に考察すごすぎる。また見たくなってきた
インスパイアソングの"勿忘"から、ワスレナグサの花言葉を調べてみました。花びらの色ごとに意味が違う(諸説あり)みたいで、桃色が「真実の友情」、水色が「真実の愛」、白色が「私を忘れないで」。この3色だけでも様々なので、ひとつの花にも色々な意味がある=ひとつの恋にも色々な、という意味があり、それを花束みたいな、と表現しているのかも、とも思いました。前回の動画でネイルの色や服の色についての考察をされていたので、色の持つ意味やイメージに着目してみるの面白いなと思いました。いろんな角度の考察、毎度たのしみにしています!
おそらくお笑い好きでない2人がアクセサリーとして買った天竺鼠の単独ライブのチケットを持っていたことが2人にとって大きなきっかけのひとつだったと思います。あの時にどちらかが本当に天竺鼠のファンで熱量を持ってネタの話とかをしていたとしたら、その後の展開に影響していたと思いますか?2人はお互いの知識や熱を超えてしまうことは決してなくて、その上で成り立っていたように思います。(もし自分が同じ単独ライブのチケットを持っている人と話すことになれば、好きなネタの話とかしてしまっていると思います。)
麦くんは先輩みたいにはなりたくなかったんだなって俺は感じました。でも先輩のこと好きって矛盾か
花恋の考察動画沢山出してくれて嬉しいです!しばらくはこの映画の余韻に浸れそうです😌
マーガレットの名前を教えなかったあと、麦くんが仕事の帰りで絹ちゃんが飲み会の帰り?で2人がばったり電車で会ったシーンがあったと思うんですが、そこで絹ちゃんがマーガレットの花柄のワンピースを着ていたことについては何か意味があると思いますか?
地方では特にある種暴力的な男が稼ぐという価値観はまだ根強くあると思います。麦の出身が長岡だった事も、仕事を始めて店主関白な性格に変わっていく部分に影響したのではないかなと思いました。
絹ちゃんのお母さんは広告代理店勤務で身綺麗にしててバリキャリっぽかったですしね。絹ちゃんは考え方は甘くて子供っぽいところはあれど、親や麦くんにきちんと反抗したり割と負けん気が強いですよね。
絹ちゃんのお母さんが「社会に出ることはお風呂に入る事」って言ってたのが先輩がお風呂で死んだ事の伏線になってるよね。
うん、過去の動画で既出の話題
国際映画祭へ招待されることが決まったみたいですね!英語版タイトルが「We Made a Beautiful Bouquet」とのことなので、2人が綺麗なものを集めて作った恋は花束みたいなものだった、という解釈で良さそうです。次は自然の野花のような恋ができているといいなぁと自分も思います。
深く考えずにコンテンツを消費してしまう現代人への皮肉も込められているのかなとか思いました。表層だけでも恋愛映画として十分楽しめるように作られてるとことか、、、
"男性性の支配" って話が自分の過去の恋愛での失敗に通じている様な気がしてゾッとした…。
そこにゾッとするのがメインの映画だと思ってます!笑
わたしも2回見ました1回目は麦を毛嫌いしてたのですが2回目麦に共感してしまいました麦が影響されたのはカメラマンの先輩もそうだし、会社も同じくそうだし、何より自分自身のイラストの仕事が社会に潰されたことだと思います「どうでもよくなった」時点で恋愛は終わりだったんですよねそこから家族になるか、別れるか、で彼らは別れることを選んだもともと合わなかったんですよね、最初から
なんかこのカップル、いい意味でも悪い意味でもダサいなと思った。でもそう思う自分がダサいなというか…よくわからない気持ちを持ったまま映画見終わって、大島さんの考察で気付く部分と、言葉にできなかった気持ちを代弁してもらってるようで面白くて、何本も出してほしい。
動画関係ないけど、大島さん肌めっちゃ綺麗笑
僕は、タイトルの意味を少し違う感じに解釈しました!「好きな人に花の名前を教えてもらうと、その花を見る度に好きな人を思い出す。」みたいなセリフを絹が言ったかと思います。この映画において、様々な趣味を持つふたりは、お互いに、新たな知識を与えあった。ガスタンクもそうだし、ミイラ展もそう。それらのものを見かける度に、恋人のことを思い出してしまう。それら一つ一つ(花)が、日常の中に沢山ある(花束)。そのような解釈をしました。しかし、僕の考えだと、花束の要素が薄いなーと思っていました。その点で、大島さんの、ピックアップして作るのが花束であり、瞬間的なものである、といった考えは面白かったです。また、“した”という過去形になっているところからも、説得力がありました。いつも面白い考察などありがとうございます。これからも頑張ってください。大島さんをみると、楽しむための教養をつけようと勇気づけられます。
タイトルの意味の解釈を聞いて「始まりは終わりの始まり」って言葉がよぎった。
6本目の動画も納得したし、共感したし、とても面白かったです!大島さんの考察大好きです!!
おもろっすぎて全部の解説みてもうた(笑)解説みてから映画2回目みたら感じ方ぜんぜんちゃうかった!!
ありがとう!!!
私は絹ちゃんにも仕事を紹介…って言われた時に麦君が先輩方面に流されなくて良かったと思っていました!これからも考察動画楽しみにしております。
そこで流されないことで、「そこまでクズじゃない、根は優しい麦」がちゃんとずっとあるのが伝わって余計に苦しいです。
やっぱり話し合いとか大切だと思った。ってことでいいんだよね
たまたまですが同時期くらいに流行っているドライフラワーという歌と花束みたいな恋をしたの最後の方の展開が頭の中でリンクしました。変化していく成長していく過程で相手の変化とかを受け入れることができれば、無事に恋から愛に2人は移行できてたのかな、とか、絹が仕事人間になっていく麦を私が支えるからみたいな古風なタイプの女性だったら結婚できたかもしれませんが、時代の変化や女性の社会進出で、女が男を支えないといけないという考えは今はないですもんね。それなのに麦は、自分が稼ぐから絹ちゃんは家で好きなことしてれば良いみたいな言い方をしていたので、2人の恋愛物語のように見えて、現代に起こっている男性と女性の根本的な価値観の違いと男女平等を目指す社会とのギャップを感じました。
もうそろダムの言い間違え好きになってきた
やめて〜笑同じ日に撮ったので気づけず!
カルテット引きずってるのかな
RUclipsのいろんな考察のなかでいちばん刺さった考察でした。昭和から平成の価値観を具現化したのが麦くんで、絹ちゃん(とかファミレスのおねえさん)が(もしかすると脚本家も意図せず)コロナ後のアイコンだと感じました。仕事(つらいのが仕事/楽しくあるべき仕事)、結婚前の浮気(許されない/ばれなきゃOK)、人生観(夢は夢で生活は現実/楽しく生きなきゃ意味がない)。ストリートビューに狂喜乱舞する彼のすがたはよくいえば客観的わるくいえば世間軸・他人目線だし、自分で感染リスクを取れるくらい落としたトーストを躊躇なく口にできる彼女はリスクアペタイトを体現してる。だれにでもできる仕事がいやで職場放棄した麦くんの同僚のエビソードはDX時代の、次世代に向けた脚本家の強烈なメッセージで震えました。山口周氏の「ビジネスの未来」を読むと、「現代社会は人間が個性を発揮したり好きなことをできなくなっていて、かつ多くの人がそれに無自覚である。マーケットが未達の欲求があるところに生まれるとすると、将来は自分が好きなことを志向する社会に向かっていく」という原理に気付きます。5年後にこの映画をみたら、またちがった感想をもつのではないでしょうか。
なんか今日、いつもどおり的確でありつつ、いつもより優しげできゅんとしちゃった
麦くんが意外と現実的なタイプなところが私と似ていると思って凄い感心しました。この考察見てもう一度見に行こうと思いました。
出会った時に飲んでいたスーパードライは350mlで、別れた後にあるって飲んでたのは500mlで大人になった感をそういうところでも表現しててすごいなぁと思いました。
酒量が増えてる、、、
個人的に「あのこは貴族」のコンテンツ全部見考察聞きたいです。
素晴らしい考察。ありがとうございました!
今日、映画を見てきて、興味深く考察を6本拝見しました。とても、興味深く、再度、映画について考えることができ、楽しかったです、ありがとうございます。今までの考察で触れられていなかった点で、私が感じた事もあったので、長文で恐縮ですが、一つの感想としてをお伝えしますね。二人の大きな違いとして、麦君は、ある意味主体性のない、雰囲気というか情緒、情感的なものが大切な人、言い換えると、モノより人の方が重要な人、絹ちゃんは、自分の嗜好がはっきりしていて、情緒的な事以上に、人やモノ自体のコンテンツ的な部分の興味の方が強い人、言い換えると、人よりモノの方が大切な人、かなと思いました。麦君は、どこに行って何をするか以上に、誰とどんな時間を過ごすのかが重要で、劇中で描かれるサブカルもそのモノが好きというよりも、それを取り巻く空気感や情感、それを好きな自分が好きといったもの方が大きく、よくも悪くも周りに合わせたり、影響を受けやすい、ネガティブに言えば流されやすい人なので、周りの環境や状況が変わるとそれに伴って自分も変わっていくタイプの人なのかなと思いました。故に、将来や結婚に対しても、自分の価値観や考えが強くあるというよりも、周りの考えや空気感に悪い意味での影響を受けた結果、好きだったものからは離れ、それをアップデートすることもなく、加齢という事を理由に世間や周囲の常識に飲み込まれていく人。絹ちゃんは、誰とどんな時間を過ごすか以上に、何を見るか何をするかの方が重要で、いろんなサブカルに触れたけど、嗜好がはっきりしているので、好きなものは好きで残っていき、興味がわかなかったもの(劇中での天竺鼠とか)は自然と自分の中で淘汰されていく。良くも悪くも周りに流されなく、雰囲気や情感よりも自分の興味関心に忠実なので、最初の居酒屋の退席の仕方や絹の両親に対しての態度など、自分が好まないモノに対しての反応がある意味冷たい。自分の興味関心がはっきりしている分、よくも悪くも周りに流される事なく、自分を貫き通す人。先輩の死に対しても、情緒的に悲嘆する麦君に対して、人間性を考えると先輩を人として素直に評価できない絹ちゃん、など、同じものを好きで気が合うように見えても、それに対しての関わり合い方の根本が違う二人という描写を細かくしているように感じました。そういう意味では、麦君のサブカル好きはどちらかと言えば表面的なものであるのに対し、絹ちゃんは好きだったものがたまたまサブカルだっただけなのかなと思いました。最後のグーグルストリートビューもそうですが、麦君にとっては、絹ちゃんやサブカルを愛した日々は過ぎ去った若き日の思い出、あの時にしか味わえなかった素敵な雰囲気や情緒を掻き立てるものであり、好きだった物事はアップデートされることはなく、歳を重ねていくのに対し、絹ちゃんは、最後の別れ際も麦君を待つこともなく、先に手を振る描写があったりと、思い出や情緒的なものを心に秘めつつもしっかりと今の興味関心に対して生きている感じがしました。その前のファミレスでの別れのシーンのそうですが、「別れよう」とはっきり言わなかったり、雰囲気や感情に流されて復縁、結婚を提案しはじめる麦君に対して、あふれる感情はありつつも物事をしっかり見つめている絹ちゃん。よく、男性は恋愛を「名前を付けて保存」、女性は「上書き保存」と言われますが、そのあたりは、男女の違いとしての描き方かなと思います。個人的に、興味深かった描写は、絹ちゃんが「ストレンジャー・シングス」の、それもシーズン2を見ていたことです。学生時代にミニシアターや劇場が好きで、大人になってからもそこのノスタルジーにとどまってるのではなく、時代の流れにしっかりと乗っていてNetflixでリリースしたての新しいモノもしっかりチェックしているという、知的好奇心が衰えていない絹ちゃんに対し、パズドラしかできなくなってる麦君という、表面的なものを使って、深部を描いているというこの映画ならではの部分の一つだと思いました。長文、失礼しました。
水商売を提案された時麦くんムッとしてなかったっけ? 忘れてしまった
無意識の暴力性。。。なんかどっかやってもうてる気がする。。。
最後の方の別れるシーンで麦くんが【空気みたいな家族】(間違ってたらすみません)と言ってたのですが、そこについて大島さんがどんな解釈をしてるのかお聞きしたいです!
空気(無くては生きていけない、存在するのが当然、自然な)家族恋愛感情なくなっても、結婚生活送ってる人、たくさんいるよ?空気みたいに、一緒にいるのが当然な家族、になろうよ、みたいなこの映画比喩が何個もあって、文学好きの2人の物語だからですかねおもしろかったですね!
オダギリジョーカップルがそのまま絹麦カップルの悪いところを反映してる気もする。オダギリジョーは麦くんのマッチョな部分だし、彼女の方は彼女の方で「かわいそうな女」を演じながら麦くんに色目を使う感じが、麦くんとの喧嘩では決して悪者にはならないけど裏で浮気してた絹ちゃんに似てる。割と性別に関しては一般性のない踏み込んだ作品なんじゃないかな。
オダギリジョーカップルではない気が!
考察1〜6まで全部見て、今日映画2回目見てきました笑笑もう胸キュン映画には見えなかった…^^
怒られるかもしんないけど見てもないのに全部の考察見てる🥱見たくて見たくてたまらん子育て中だから行ける日を見計らってるんだけど、、🙄
服の色も変わってるよね笑だんだん暗くなってる
映画のタイトルについて、動画主さんの考察に大いに納得しました!私は、野に咲く花のような恋ももちろん素敵で理想だと思いますが、花束の恋って最高に美しく見えるし皆が欲しくなるものだと思っていて。刹那的な美しさを持っているからこそ、思い出の中でひときわ輝いて忘れられないものに思えるんじゃないかなと思いました。だからこそ物凄く切ないんですけど…当分悲しくて見られません(;´д`)笑
絹ちゃんの新しい彼氏への靴を選んであげる、という台詞で野に咲く花のような恋になるのかなと希望を持ってしまいました💐
同棲初日の2人のお揃いの靴が並んでいるシーン、レンズの関係かもしれませんが左の靴のつま先(絹ちゃんの)が外側を向いていた気がします。これは僅かなりとも2人の考え方が異なっていることを表現しているのかな、と映画を見ながら感じましたが考えすぎですかね…?公式のムービーでも確認できたような覚えがあります。
絹のバイト先のジェラート屋さんの不倫シーンはなにか意味があるんですかね?
後に絹ちゃんが仕事先の先輩(オダギリジョー)との浮気をにおわせるような(ラーメンを食べに行こうと誘われる)シーンがありますが、「仕事場で出会った人」「上下関係」「パートナーへの不満が原因となってしてしまう不倫もしくわ浮気」というような共通点があるな~とは思いました。
私は、世間知らずだった絹がはじめて世間の汚さに直に触れたシーンとして捉えてました。あと、あのバイト先に関する言及って「ジェラート屋さんでバイトを始めた。店長とバイトの子が不倫してた。」の二言しかなくて、たった二言の中でもわざわざそこに言及することによって、絹ちゃんが恋愛に割と興味がある人物ってことを示唆してるのかなと推測します。こういうコミュニケーションは積極的にしたい、と言ったり、セックスレスを気にかけてたり、オダジョーに酔ったら私どうですか?と迫ったりもありましたし。ふしだらという意味ではなく、あくまで健康的に性に興味があるのかなと。
2回目みに行ってきました男子大学生です。大島さんがおそらくまだ触れてなくて気づいたこじつけをコメントします。1.さわやかのハンバーグである必要性を考えると、さわやかは美味しそうに目の前に運ばれてくる時は丸い一つのハンバーグで、目の前でナイフで二つに切って押しつけて中に火を通すという提供方法。ある意味これも幸せそうに見えた2人の中も2つに分断されて、世の中の就職という流れに押しつけられるという構造は似てるのかなって思います。(厳密には押しつけられながら最後に別れるから違うかも」2.最後のファミレスで、麦が「4年前、、、」と別れを切り出す場面でそれまでごちゃごちゃだった「あの席」が綺麗にバッシングされる。頭の整理がついたっていうこと?以上
改めてみたけど、すごくおもしろかったです
ちょくちょく出てきたSMAPというキーワードの考察、気になります。サブカルと真逆に位置する気がしますが、絹ちゃんがその名前を出すのが特に印象に残っています。単に坂元裕二さん若しくは土井監督が好きだから、とも思いきれず。何か意味があったのかなと(既出だったらすみません)
この動画見たいが為に映画見に行きました。ほぉ〜へぇ〜なるほどなぁ〜。面白いなぁ〜。中で不意のダムで吹きました。
鼻筋がかなりきれいだな
どこかで話してたら申し訳ないんですけど麦と絹の靴がよく写ってるのが気になって、何か理由があるんでしょうか?麦の靴だけずっと綺麗で絹の靴は少し汚れてるように見えました。
最初は同じブランドでおそろいだったけど就活とかを経て少しずつばらばらになっていくっていう描写かなと思いました。麦くんの靴だけずっと綺麗だったのは気づきませんでした!なにかあるんですかね?( 'ч' )
麦くんの靴がずっと綺麗なのは麦くんは新しく変化しているからなんですかね?過去から変わったから新しい、新品を表しているのかなと絹ちゃんの靴が汚れているのは過去に固執する、過去を求めている辺りから同じものを大切にしているのかなと思いました!
今考えましたが麦の靴がずっと綺麗なのは、「ビジネスマン」特に営業マンになったことを示しているのではないでしょうか?ビジネスマンは靴が命と言いますし、トップの人ほど綺麗に手入れされてますから…対して絹ちゃんはバイトのみなのでそこまで神経質になっていなかったのかなと。
映画本体に対する考察とはややズレますが、坂元さんが執筆段階で有村架純と菅田将暉を主役に想定していた理由について気になります…
この映画より重い映画があります。それがブルーバレンタインです。主役はライアン・ゴズリング ヒロインはミシェルウィリアムズです。ぜひ考察お願いします!
絹ちゃんの転職に反対の姿勢を見せた麦くんの男性的支配性も意外でしたが、絹ちゃんが受付という女性的な仕事に最初に就いたのも本当に意外でした。
求人探してると、学歴ぱっとしない人間でも働ける仕事って女性向けだと受付が多いんですよね。後はコールセンター、工場、介護職などで、絹ちゃんは映画中盤まではパン屋さんと受付でしか働いてなくて、精神的負荷が高い仕事や重労働はしたくないという思いがそこからも見て取れるなぁと思いました。加えてこの動画にもあるようにジェンダー的な意味合いもあるのかなと…。
「花束みたいな恋をした」の花束についていわゆる花束というのは枯れていくもの。1番美しいところを切り取ったもの。という意見に加えて、花束の象徴性とトイレットペーパーとの対比について考えていきたい。まず、花束の象徴性についてだが、花束は一つ一つの花が集まってできたもの。この映画では同じ趣味に小さな幸せと、一つ一つの幸せという花が集まってできた5年間だった。これが花束みたいな恋という名前の一つ。カーテンを広げること、カーテンを畳むことはまるで束を作ること、無くすことを象徴するかのように2人の生活の始まりと終わりを表している。また、トイレットペーパーとの比較だが、これは麦と絹の人間性の対比にも近いものがある。想像していただきたいのは、最初はトイレットペーパーという現実味を帯びた無機質なものを抱えていた2人だが、最後のシーンでは麦がトイレットペーパーを、絹が花束を持っている。(画像参照)これは麦→ガスタンクが好き。トイレットペーパーを持っている。仕事を優先してしまった。ということから、ガスタンクという実用性、トイレットペーパー、仕事という「生活に欠かせないもの」を優先してしまったという価値観の違いの暗示であり絹→ミイラ展が好き。花束を持っている。好きなこと以外はやりたくないとイベントの道へ。というように、「現実性はなくて良い。ミイラや花束のように実用性がなくても好きなら良い。だからゲームもやるし漫画も読む」という好きなことを優先する価値観の暗示である。これらが2人のすれ違いを暗に示す要素であった。
インスパイアソングと絡めた考察も聞いてみたいです
新しい恋人できたら昔の恋人なんて忘れるわw
一連の考察、非常に興味深く頷きながら拝見しました。1~2年前のANNで、ビューティフル・ドリーマーを観た菅田さんが「よくわからなかったけどすごかった」みたいな(うろ覚えですが)事を言っていて、そんな菅田さんが益々好きになったのを、この映画を観て思い出しました。菅田さん作品関連で、MIU404の菅田さんも素晴らしかったですが、それに関する考察等がもし既出であれば、是非拝見したく…→すみません、みつけましたので1話目から拝見しています。
一度この映画を見に行って、大島さんのこの映画の考察動画をみて、もう一度観に行きたくなったので2回目見に行きました。大島さんの動画を観たのもあって、考えが深まって2回目の方がもっと泣けました。後半の方で、麦と絹が夜の営みをしたような(?)シーンの後バロンだけを写して、音で麦と絹が水を飲みにキッチンへ行くのを表す描写がありましたが大島さんはそのように映したことにどのような意味があると考えたか聞きたいです。
絹と麦の社交性の対比について。そこまで演者たちは、意識して演技してるんでしょうか。深読みかなとも思いましたが、仮に監督や演者たちが、表情でそういったキャラクター性まで狙って演出しているのだとしたら、すごい。
絹のすいませ〜ん とか、もう一個いいですか?とかもアドリブらしいので、多分できると思います。あの二人なら。
あ〜私この作品あまり面白いと思えなかったのに何年経ってもこの作品に納得できなかったの麦くんが無理なのはそうなんだけど、男性性とかホモソーシャルにすごく嫌悪感を感じるタイプの人間でそこを言語化できなかったからかなこの動画見てすごい納得した
俺も彼女と今日見てきた。めっちゃ面白かった。
気まずくならなかったですか笑
作品は最高だけどカップルムービーとして向かないから。気まずくならない?
自分も1ヶ月前に見た、その1ヶ月後に付き合った
気まづくならなかったです!むしろ深まった気がする
@@いいいいいち なら良かったですね。
無粋。
0:00 前置き
0:50 花束についての私の基本スタンス
1:46 麦の「有害な男性性」について
6:15 連想した映画作品
9:16 麦の方がもともと社交的だった…と思える場面3選
13:07 タイトルの意味は?
最後の手を振るシーン、互いに相手が振り返るって思ってたのかなって少しだけ思った笑
居酒屋で、麦とサークル(?)が同じと思われる女性の先輩が、麦に話しかけるシーンで、絹があからさまに不機嫌になってお金を置いて帰る絹ちゃんを見て、「いくらなんでも怒りすぎではないだろうか?初対面の人にそんな嫉妬する?」と感じ、ひっかかりました。
このシーンは絹が自分よりも社交的な麦に対する嫉妬や独占欲を、単に現しただけではなくて、
「好きなサブカルの世界から動かない、それらを邪険に扱うであろう人々に能動的に関わろうとしない絹」と
「比較的いろんな人と関わろうとする、その関わりの数を増やしていく中で、ついついマウントをとってしまう麦」
という社交性という軸における対比を感じてしまいました。
また絹は、自分からは関係性を作らないので誰も来てくれない小さな世界にいる。そこに自覚があるので、麦に絡んでる先輩に、嘘ついてまで唐突に帰宅しようとするほど、深く嫉妬している。
ただ、治したいとは思っているので行きたくもないのに、カラオケに見えないカラオケに行ったりコリドー街に行こうとしているのではないでしょうか?
そうすると、オダギリさんに「私ってどうですか〜?」と酔って迫ったと、会社の人から告げられるシーンにも納得がいきます。
また映画の中で、絹ちゃんが自分から話しかけて、仲良くなるシーンが、唯一麦だけなのも意図的ではないかなと感じました。
絹と先輩の彼女ナナさんの2ショットがちょくちょく入りますが、2人が仲良くなったきっかけは、先輩の彼女が「わたしこの子、気に入った」と言って話しかけたことでしたよね。
絹は人との関わりを、自分で作りあげることが苦手、もしくは避けているように見えました。意図的に排除して制作されていたとしたらとても面白いですよね。
一方麦は、ストリートビューのことをクラスのみんなに見せていたり、先輩のコミュニティいったり、会社の懇親会に出ようとしたりして、能動的に出会いを求めにいくシーンが、絹と比べて多くあると思います。麦は「サブカル」好きかどうか関係なしに、他者と関わることができる人だと感じました。
長文失礼いたしました。
なるほど
たしかに!
私も絹に同じような嫌悪感を抱いてました。なんでこの子はwa sakiさんが書かれてるような性格になっちゃったんだろう?というところで、①親が安定した職に就いていて守られて生きてきたというのと、②優秀そうなお姉さんの存在が影響しているのではないかなと考えていました。そういう意味で、麦は地方の出身で、かつ大学で上京してきた度胸もあると思います。二人が上手くいかなかった原因にお互いの育ってきた環境のギャップはかなり響いてる気が私はしてます。
@@アマノジ 育ってきた環境の違いで価値観や感性の違いが生まれるのはありますよね。納得です。
もしかしたら絹は麦との恋愛を通して成長したかもしれないですよね
新しい彼氏も出来てたみたいなんで
うわーこれだわ、、、
クリスマス(?)の映画デート後、麦くんの「またして欲しいことあったら言ってね」というセリフは麦くんにとって優しさのつもりが無意識に上から目線になってしまってるあたり、無意識の暴力性正にそのものなのかなと感じました。
私はそこは上から目線には感じませんでしたけど、どうなんですかね。
それ!デートって2人でするものじゃなくてしてあげるものなんだ…ってなりました笑
確かに「してほしいこと」じゃなくて「したいこと」って聞くべきでしたよね。僕も上から目線に感じました。
わかります〜
麦はそんなつもりないのかもしれないけど
"自分はしたくないけどあわせてあげるね"
ってのが根底にはある気がします。
動画にもあるように
支配的な男性脳(?)の芽生えで
あのまま結婚したらそのうち
"せっかく俺がやってやってるに!"
とかなりそう
「また」と言っている時点で、好き嫌いにかかわらず、その日のデートはやってあげていること、という風にとらえました。
絹ちゃんがイヤホンについてドヤ顔で解説してる時、「2人で一緒に聞きたいんだろ」と言ってた今彼は優しくて大人な発言だなと思いました。大事なのはそこじゃないってわかってる。
それでも絹ちゃんの話はちゃんと聞いてるし。でも、絹も麦も今彼今カノの話上の空。状況が状況なだけにってのもあったのだろうけど、最後の振り向きもしないで手だけでバイバイとか何だコイツらって感じで、そんな二人だからこそそれぞれ違うパートナーと生きてった方がもっとちゃんとした優しい大人になれる可能性があるはず、復縁したら絶対ダメなやつと思いました。
帽子のつばが広い人ほど自尊心が高いのとこで野田洋次郎思い出して笑った
待って同じこと思いながら見てた笑笑
思ったw
スナフキン
絹ちゃんが花の名前を教えなかったのは、一つとして別れた時に思い出さないようにみたいな意味があったけど、結局一緒に過ごした時間や場所や物全てが花で、何をみても思い出してしまうから花束という表現なのかなと思ってました。少しロマン的になってしまいますが😅
喧嘩のシーンと別れ話のシーンで
相手の気持ちを引き留めたいがために
結婚しようという言葉を切り札のように使っている麦くんに、鑑賞中、純粋に怖っ。と思ってしまったので大島さんの意見にとても納得しましたし、より理解が深まりました。
昨日やっと映画観に行けて考察一気に観ました!いつも素晴らしい動画ありがとうございます!長文失礼致しました、、!
題名の解釈は特に自分でしようとはしませんでしたが、とても納得しました。
そして話し方が上手すぎて何本でも見れる!
野に咲く花のような恋は長続きするけれど
花束の恋のほうを最期に思い出してしまうんじゃないかな、と思ったり・・・
麦は女性に対してというより、自分は社会に会社にこれだけやっているんだという自己顕示しているように感じました。後輩の楽観的な言葉に紙を投げつけようとしたり、海に投げ捨てた運転手を否定したりするところなど。
最初のストリートビューをみんなに見せびらかすところでも、麦くんは元々自己顕示欲の強い人だったんだなって思いました。
確かに、社会との関わりについてはそれ自体が目的になってしまうまで考えすぎてしまってる人(誰にでもありうること)として描かれてる気がしますね!
この人の考察見てから2回目見に行ったけど面白かったやっぱ泣いた
すごい。ありがとう
先輩のお葬式の次の日の朝、絹ちゃんが麦くんに打ち明けようとしたことってなんなんですかね?
「昨日ナナさんからメールあってね…」みたいなとこです
ナナさんがDVされてたこととか?
そうだと思います。先輩がナナさんにDVをしていたことを知っていた絹は麦と同じように悲しめなくて、次の日に打ち明けようとしていた‥?でも、それだとメールの意味がわからなくなりますね‥
@@user-rv2uj7ht2k メールはすぐに打ち明けなかったことを隠す絹ちゃんの嘘って感じがしますね。
悲しみを共有できないことに憤っている麦くんに気付いて、一晩経って今さら説明するための理由が欲しかったんじゃないでしょうか。
あそこで、
聞いて!こうこうこうだったんだよ、だから私は心から悲しめないでいるの、昨日一緒に話を聞いてあげられなくてごめんね
ってあの時言えるくらいの熱量が絹ちゃんにもしあれば、結末は違ってたのかな、、
たらればの話だけど、、
タイトルの考察すんっと心に落ちました、
野に咲く花のような恋をしてほしい
映画観てからのモヤモヤが晴れました、素敵な考察〜
ありがとうございます!
しんどい男性性・無意識の暴力性の部分が描かれているってことに気づける男性と出会えたらいいな…と思いました。
もう本当に考察すごすぎる。また見たくなってきた
インスパイアソングの"勿忘"から、ワスレナグサの花言葉を調べてみました。
花びらの色ごとに意味が違う(諸説あり)みたいで、桃色が「真実の友情」、水色が「真実の愛」、白色が「私を忘れないで」。
この3色だけでも様々なので、ひとつの花にも色々な意味がある=ひとつの恋にも色々な、という意味があり、それを花束みたいな、と表現しているのかも、とも思いました。
前回の動画でネイルの色や服の色についての考察をされていたので、色の持つ意味やイメージに着目してみるの面白いなと思いました。
いろんな角度の考察、毎度たのしみにしています!
おそらくお笑い好きでない2人がアクセサリーとして買った天竺鼠の単独ライブのチケットを持っていたことが2人にとって大きなきっかけのひとつだったと思います。
あの時にどちらかが本当に天竺鼠のファンで熱量を持ってネタの話とかをしていたとしたら、その後の展開に影響していたと思いますか?2人はお互いの知識や熱を超えてしまうことは決してなくて、その上で成り立っていたように思います。(もし自分が同じ単独ライブのチケットを持っている人と話すことになれば、好きなネタの話とかしてしまっていると思います。)
麦くんは先輩みたいにはなりたくなかったんだなって俺は感じました。でも先輩のこと好きって矛盾か
花恋の考察動画沢山出してくれて嬉しいです!しばらくはこの映画の余韻に浸れそうです😌
ありがとうございます!
マーガレットの名前を教えなかったあと、麦くんが仕事の帰りで絹ちゃんが飲み会の帰り?で2人がばったり電車で会ったシーンがあったと思うんですが、そこで絹ちゃんがマーガレットの花柄のワンピースを着ていたことについては何か意味があると思いますか?
地方では特にある種暴力的な男が稼ぐという価値観はまだ根強くあると思います。麦の出身が長岡だった事も、仕事を始めて店主関白な性格に変わっていく部分に影響したのではないかなと思いました。
絹ちゃんのお母さんは広告代理店勤務で身綺麗にしててバリキャリっぽかったですしね。
絹ちゃんは考え方は甘くて子供っぽいところはあれど、親や麦くんにきちんと反抗したり割と負けん気が強いですよね。
絹ちゃんのお母さんが「社会に出ることはお風呂に入る事」って言ってたのが先輩がお風呂で死んだ事の伏線になってるよね。
うん、過去の動画で既出の話題
国際映画祭へ招待されることが決まったみたいですね!
英語版タイトルが「We Made a Beautiful Bouquet」とのことなので、2人が綺麗なものを集めて作った恋は花束みたいなものだった、という解釈で良さそうです。次は自然の野花のような恋ができているといいなぁと自分も思います。
深く考えずにコンテンツを消費してしまう現代人への皮肉も込められているのかなとか思いました。表層だけでも恋愛映画として十分楽しめるように作られてるとことか、、、
"男性性の支配" って話が自分の過去の恋愛での失敗に通じている様な気がしてゾッとした…。
そこにゾッとするのがメインの映画だと思ってます!笑
わたしも2回見ました
1回目は麦を毛嫌いしてたのですが
2回目麦に共感してしまいました
麦が影響されたのはカメラマンの先輩もそうだし、会社も同じくそうだし、何より自分自身のイラストの仕事が社会に潰されたことだと思います
「どうでもよくなった」時点で恋愛は終わりだったんですよね
そこから家族になるか、別れるか、で彼らは別れることを選んだ
もともと合わなかったんですよね、最初から
なんかこのカップル、いい意味でも悪い意味でもダサいなと思った。でもそう思う自分がダサいなというか…よくわからない気持ちを持ったまま映画見終わって、大島さんの考察で気付く部分と、言葉にできなかった気持ちを代弁してもらってるようで面白くて、何本も出してほしい。
動画関係ないけど、大島さん肌めっちゃ綺麗笑
僕は、タイトルの意味を少し違う感じに解釈しました!
「好きな人に花の名前を教えてもらうと、その花を見る度に好きな人を思い出す。」みたいなセリフを絹が言ったかと思います。
この映画において、様々な趣味を持つふたりは、お互いに、新たな知識を与えあった。ガスタンクもそうだし、ミイラ展もそう。
それらのものを見かける度に、恋人のことを思い出してしまう。それら一つ一つ(花)が、日常の中に沢山ある(花束)。
そのような解釈をしました。
しかし、僕の考えだと、花束の要素が薄いなーと思っていました。その点で、大島さんの、ピックアップして作るのが花束であり、瞬間的なものである、といった考えは面白かったです。
また、“した”という過去形になっているところからも、説得力がありました。
いつも面白い考察などありがとうございます。
これからも頑張ってください。
大島さんをみると、楽しむための教養をつけようと勇気づけられます。
タイトルの意味の解釈を聞いて「始まりは終わりの始まり」って言葉がよぎった。
6本目の動画も納得したし、共感したし、とても面白かったです!大島さんの考察大好きです!!
おもろっすぎて全部の解説みてもうた(笑)解説みてから映画2回目みたら感じ方ぜんぜんちゃうかった!!
ありがとう!!!
私は絹ちゃんにも仕事を紹介…って言われた時に麦君が先輩方面に流されなくて良かったと思っていました!
これからも考察動画楽しみにしております。
そこで流されないことで、「そこまでクズじゃない、根は優しい麦」がちゃんとずっとあるのが伝わって余計に苦しいです。
やっぱり話し合いとか大切だと思った。
ってことでいいんだよね
たまたまですが同時期くらいに流行っているドライフラワーという歌と花束みたいな恋をしたの最後の方の展開が頭の中でリンクしました。変化していく成長していく過程で相手の変化とかを受け入れることができれば、無事に恋から愛に2人は移行できてたのかな、とか、絹が仕事人間になっていく麦を私が支えるからみたいな古風なタイプの女性だったら結婚できたかもしれませんが、時代の変化や女性の社会進出で、女が男を支えないといけないという考えは今はないですもんね。それなのに麦は、自分が稼ぐから絹ちゃんは家で好きなことしてれば良いみたいな言い方をしていたので、2人の恋愛物語のように見えて、現代に起こっている男性と女性の根本的な価値観の違いと男女平等を目指す社会とのギャップを感じました。
もうそろダムの言い間違え好きになってきた
やめて〜笑
同じ日に撮ったので気づけず!
カルテット引きずってるのかな
RUclipsのいろんな考察のなかでいちばん刺さった考察でした。昭和から平成の価値観を具現化したのが麦くんで、絹ちゃん(とかファミレスのおねえさん)が(もしかすると脚本家も意図せず)コロナ後のアイコンだと感じました。仕事(つらいのが仕事/楽しくあるべき仕事)、結婚前の浮気(許されない/ばれなきゃOK)、人生観(夢は夢で生活は現実/楽しく生きなきゃ意味がない)。ストリートビューに狂喜乱舞する彼のすがたはよくいえば客観的わるくいえば世間軸・他人目線だし、自分で感染リスクを取れるくらい落としたトーストを躊躇なく口にできる彼女はリスクアペタイトを体現してる。だれにでもできる仕事がいやで職場放棄した麦くんの同僚のエビソードはDX時代の、次世代に向けた脚本家の強烈なメッセージで震えました。山口周氏の「ビジネスの未来」を読むと、「現代社会は人間が個性を発揮したり好きなことをできなくなっていて、かつ多くの人がそれに無自覚である。マーケットが未達の欲求があるところに生まれるとすると、将来は自分が好きなことを志向する社会に向かっていく」という原理に気付きます。5年後にこの映画をみたら、またちがった感想をもつのではないでしょうか。
なんか今日、いつもどおり的確でありつつ、いつもより優しげできゅんとしちゃった
麦くんが意外と現実的なタイプなところが私と似ていると思って凄い感心しました。
この考察見てもう一度見に行こうと思いました。
出会った時に飲んでいたスーパードライは350mlで、別れた後にあるって飲んでたのは500mlで大人になった感をそういうところでも表現しててすごいなぁと思いました。
酒量が増えてる、、、
個人的に「あのこは貴族」のコンテンツ全部見考察聞きたいです。
素晴らしい考察。
ありがとうございました!
今日、映画を見てきて、興味深く考察を6本拝見しました。
とても、興味深く、再度、映画について考えることができ、楽しかったです、ありがとうございます。
今までの考察で触れられていなかった点で、私が感じた事もあったので、長文で恐縮ですが、一つの感想としてをお伝えしますね。
二人の大きな違いとして、
麦君は、ある意味主体性のない、雰囲気というか情緒、情感的なものが大切な人、
言い換えると、モノより人の方が重要な人、
絹ちゃんは、自分の嗜好がはっきりしていて、情緒的な事以上に、人やモノ自体のコンテンツ的な部分の興味の方が強い人、
言い換えると、人よりモノの方が大切な人、かなと思いました。
麦君は、どこに行って何をするか以上に、誰とどんな時間を過ごすのかが重要で、劇中で描かれるサブカルもそのモノが好きというよりも、それを取り巻く空気感や情感、それを好きな自分が好きといったもの方が大きく、よくも悪くも周りに合わせたり、影響を受けやすい、ネガティブに言えば流されやすい人なので、周りの環境や状況が変わるとそれに伴って自分も変わっていくタイプの人なのかなと思いました。
故に、将来や結婚に対しても、自分の価値観や考えが強くあるというよりも、周りの考えや空気感に悪い意味での影響を受けた結果、好きだったものからは離れ、それをアップデートすることもなく、加齢という事を理由に世間や周囲の常識に飲み込まれていく人。
絹ちゃんは、誰とどんな時間を過ごすか以上に、何を見るか何をするかの方が重要で、いろんなサブカルに触れたけど、嗜好がはっきりしているので、好きなものは好きで残っていき、興味がわかなかったもの(劇中での天竺鼠とか)は自然と自分の中で淘汰されていく。
良くも悪くも周りに流されなく、雰囲気や情感よりも自分の興味関心に忠実なので、最初の居酒屋の退席の仕方や絹の両親に対しての態度など、自分が好まないモノに対しての反応がある意味冷たい。
自分の興味関心がはっきりしている分、よくも悪くも周りに流される事なく、自分を貫き通す人。
先輩の死に対しても、情緒的に悲嘆する麦君に対して、人間性を考えると先輩を人として素直に評価できない絹ちゃん、など、同じものを好きで気が合うように見えても、それに対しての関わり合い方の根本が違う二人という描写を細かくしているように感じました。
そういう意味では、麦君のサブカル好きはどちらかと言えば表面的なものであるのに対し、絹ちゃんは好きだったものがたまたまサブカルだっただけなのかなと思いました。
最後のグーグルストリートビューもそうですが、麦君にとっては、絹ちゃんやサブカルを愛した日々は過ぎ去った若き日の思い出、あの時にしか味わえなかった素敵な雰囲気や情緒を掻き立てるものであり、好きだった物事はアップデートされることはなく、歳を重ねていくのに対し、
絹ちゃんは、最後の別れ際も麦君を待つこともなく、先に手を振る描写があったりと、思い出や情緒的なものを心に秘めつつもしっかりと今の興味関心に対して生きている感じがしました。
その前のファミレスでの別れのシーンのそうですが、「別れよう」とはっきり言わなかったり、雰囲気や感情に流されて復縁、結婚を提案しはじめる麦君に対して、あふれる感情はありつつも物事をしっかり見つめている絹ちゃん。
よく、男性は恋愛を「名前を付けて保存」、女性は「上書き保存」と言われますが、そのあたりは、男女の違いとしての描き方かなと思います。
個人的に、興味深かった描写は、絹ちゃんが「ストレンジャー・シングス」の、それもシーズン2を見ていたことです。
学生時代にミニシアターや劇場が好きで、大人になってからもそこのノスタルジーにとどまってるのではなく、時代の流れにしっかりと乗っていてNetflixでリリースしたての新しいモノもしっかりチェックしているという、知的好奇心が衰えていない絹ちゃんに対し、パズドラしかできなくなってる麦君という、表面的なものを使って、深部を描いているというこの映画ならではの部分の一つだと思いました。
長文、失礼しました。
水商売を提案された時麦くんムッとしてなかったっけ? 忘れてしまった
無意識の暴力性。。。なんかどっかやってもうてる気がする。。。
最後の方の別れるシーンで麦くんが【空気みたいな家族】(間違ってたらすみません)と言ってたのですが、そこについて大島さんがどんな解釈をしてるのかお聞きしたいです!
空気(無くては生きていけない、存在するのが当然、自然な)家族
恋愛感情なくなっても、結婚生活送ってる人、たくさんいるよ?
空気みたいに、一緒にいるのが当然な家族、になろうよ、みたいな
この映画比喩が何個もあって、文学好きの2人の物語だからですかね
おもしろかったですね!
オダギリジョーカップルがそのまま絹麦カップルの悪いところを反映してる気もする。オダギリジョーは麦くんのマッチョな部分だし、彼女の方は彼女の方で「かわいそうな女」を演じながら麦くんに色目を使う感じが、麦くんとの喧嘩では決して悪者にはならないけど裏で浮気してた絹ちゃんに似てる。割と性別に関しては一般性のない踏み込んだ作品なんじゃないかな。
オダギリジョーカップルではない気が!
考察1〜6まで全部見て、今日映画2回目見てきました笑笑
もう胸キュン映画には見えなかった…^^
怒られるかもしんないけど見てもないのに全部の考察見てる🥱見たくて見たくてたまらん
子育て中だから行ける日を見計らってるんだけど、、🙄
服の色も変わってるよね笑だんだん暗くなってる
映画のタイトルについて、動画主さんの考察に大いに納得しました!
私は、野に咲く花のような恋ももちろん素敵で理想だと思いますが、花束の恋って最高に美しく見えるし皆が欲しくなるものだと思っていて。
刹那的な美しさを持っているからこそ、思い出の中でひときわ輝いて忘れられないものに思えるんじゃないかなと思いました。だからこそ物凄く切ないんですけど…
当分悲しくて見られません(;´д`)笑
絹ちゃんの新しい彼氏への靴を選んであげる、という台詞で野に咲く花のような恋になるのかなと希望を持ってしまいました💐
同棲初日の2人のお揃いの靴が並んでいるシーン、レンズの関係かもしれませんが左の靴のつま先(絹ちゃんの)が外側を向いていた気がします。これは僅かなりとも2人の考え方が異なっていることを表現しているのかな、と映画を見ながら感じましたが考えすぎですかね…?公式のムービーでも確認できたような覚えがあります。
絹のバイト先のジェラート屋さんの不倫シーンはなにか意味があるんですかね?
後に絹ちゃんが仕事先の先輩(オダギリジョー)との浮気をにおわせるような(ラーメンを食べに行こうと誘われる)シーンがありますが、「仕事場で出会った人」「上下関係」「パートナーへの不満が原因となってしてしまう不倫もしくわ浮気」というような共通点があるな~とは思いました。
私は、世間知らずだった絹がはじめて世間の汚さに直に触れたシーンとして捉えてました。あと、あのバイト先に関する言及って「ジェラート屋さんでバイトを始めた。店長とバイトの子が不倫してた。」の二言しかなくて、たった二言の中でもわざわざそこに言及することによって、絹ちゃんが恋愛に割と興味がある人物ってことを示唆してるのかなと推測します。
こういうコミュニケーションは積極的にしたい、と言ったり、セックスレスを気にかけてたり、オダジョーに酔ったら私どうですか?と迫ったりもありましたし。
ふしだらという意味ではなく、あくまで健康的に性に興味があるのかなと。
2回目みに行ってきました男子大学生です。
大島さんがおそらくまだ触れてなくて気づいたこじつけをコメントします。
1.さわやかのハンバーグである必要性を考えると、さわやかは美味しそうに目の前に運ばれてくる時は丸い一つのハンバーグで、目の前でナイフで二つに切って押しつけて中に火を通すという提供方法。ある意味これも幸せそうに見えた2人の中も2つに分断されて、世の中の就職という流れに押しつけられるという構造は似てるのかなって思います。(厳密には押しつけられながら最後に別れるから違うかも」
2.最後のファミレスで、麦が「4年前、、、」と別れを切り出す場面でそれまでごちゃごちゃだった「あの席」が綺麗にバッシングされる。頭の整理がついたっていうこと?
以上
改めてみたけど、すごくおもしろかったです
ちょくちょく出てきたSMAPというキーワードの考察、気になります。サブカルと真逆に位置する気がしますが、絹ちゃんがその名前を出すのが特に印象に残っています。単に坂元裕二さん若しくは土井監督が好きだから、とも思いきれず。何か意味があったのかなと(既出だったらすみません)
この動画見たいが為に映画見に行きました。
ほぉ〜へぇ〜なるほどなぁ〜。面白いなぁ〜。中で不意のダムで吹きました。
鼻筋がかなりきれいだな
どこかで話してたら申し訳ないんですけど麦と絹の靴がよく写ってるのが気になって、何か理由があるんでしょうか?
麦の靴だけずっと綺麗で絹の靴は少し汚れてるように見えました。
最初は同じブランドでおそろいだったけど就活とかを経て少しずつばらばらになっていくっていう描写かなと思いました。麦くんの靴だけずっと綺麗だったのは気づきませんでした!なにかあるんですかね?( 'ч' )
麦くんの靴がずっと綺麗なのは麦くんは新しく変化しているからなんですかね?
過去から変わったから新しい、新品を表しているのかなと
絹ちゃんの靴が汚れているのは過去に固執する、過去を求めている辺りから同じものを大切にしているのかなと思いました!
今考えましたが麦の靴がずっと綺麗なのは、「ビジネスマン」特に営業マンになったことを示しているのではないでしょうか?
ビジネスマンは靴が命と言いますし、トップの人ほど綺麗に手入れされてますから…
対して絹ちゃんはバイトのみなのでそこまで神経質になっていなかったのかなと。
映画本体に対する考察とはややズレますが、坂元さんが執筆段階で有村架純と菅田将暉を主役に想定していた理由について気になります…
この映画より重い映画があります。
それがブルーバレンタインです。
主役はライアン・ゴズリング
ヒロインはミシェルウィリアムズです。
ぜひ考察お願いします!
絹ちゃんの転職に反対の姿勢を見せた麦くんの男性的支配性も意外でしたが、絹ちゃんが受付という女性的な仕事に最初に就いたのも本当に意外でした。
求人探してると、学歴ぱっとしない人間でも働ける仕事って女性向けだと受付が多いんですよね。
後はコールセンター、工場、介護職などで、絹ちゃんは映画中盤まではパン屋さんと受付でしか働いてなくて、精神的負荷が高い仕事や重労働はしたくないという思いがそこからも見て取れるなぁと思いました。
加えてこの動画にもあるようにジェンダー的な意味合いもあるのかなと…。
「花束みたいな恋をした」の花束について
いわゆる花束というのは枯れていくもの。1番美しいところを切り取ったもの。という意見に加えて、花束の象徴性とトイレットペーパーとの対比について考えていきたい。
まず、花束の象徴性についてだが、花束は一つ一つの花が集まってできたもの。この映画では同じ趣味に小さな幸せと、一つ一つの幸せという花が集まってできた5年間だった。これが花束みたいな恋という名前の一つ。
カーテンを広げること、カーテンを畳むことはまるで束を作ること、無くすことを象徴するかのように2人の生活の始まりと終わりを表している。
また、トイレットペーパーとの比較だが、これは麦と絹の人間性の対比にも近いものがある。
想像していただきたいのは、最初はトイレットペーパーという現実味を帯びた無機質なものを抱えていた2人だが、最後のシーンでは麦がトイレットペーパーを、絹が花束を持っている。(画像参照)
これは
麦→ガスタンクが好き。トイレットペーパーを持っている。仕事を優先してしまった。ということから、ガスタンクという実用性、トイレットペーパー、仕事という「生活に欠かせないもの」を優先してしまったという価値観の違いの暗示であり
絹→ミイラ展が好き。花束を持っている。好きなこと以外はやりたくないとイベントの道へ。というように、「現実性はなくて良い。ミイラや花束のように実用性がなくても好きなら良い。だからゲームもやるし漫画も読む」という好きなことを優先する価値観の暗示である。
これらが2人のすれ違いを暗に示す要素であった。
インスパイアソングと絡めた考察も聞いてみたいです
新しい恋人できたら昔の恋人なんて忘れるわw
一連の考察、非常に興味深く頷きながら拝見しました。
1~2年前のANNで、ビューティフル・ドリーマーを観た菅田さんが「よくわからなかったけどすごかった」みたいな(うろ覚えですが)事を言っていて、そんな菅田さんが益々好きになったのを、この映画を観て思い出しました。
菅田さん作品関連で、MIU404の菅田さんも素晴らしかったですが、それに関する考察等がもし既出であれば、是非拝見したく…
→すみません、みつけましたので1話目から拝見しています。
一度この映画を見に行って、大島さんのこの映画の考察動画をみて、もう一度観に行きたくなったので2回目見に行きました。大島さんの動画を観たのもあって、考えが深まって2回目の方がもっと泣けました。
後半の方で、麦と絹が夜の営みをしたような(?)シーンの後バロンだけを写して、音で麦と絹が水を飲みにキッチンへ行くのを表す描写がありましたが大島さんはそのように映したことにどのような意味があると考えたか聞きたいです。
絹と麦の社交性の対比について。
そこまで演者たちは、意識して演技してるんでしょうか。
深読みかなとも思いましたが、仮に監督や演者たちが、表情でそういったキャラクター性まで狙って演出しているのだとしたら、すごい。
絹のすいませ〜ん とか、もう一個いいですか?とかもアドリブらしいので、多分できると思います。あの二人なら。
あ〜私この作品あまり面白いと思えなかったのに何年経ってもこの作品に納得できなかったの麦くんが無理なのはそうなんだけど、男性性とかホモソーシャルにすごく嫌悪感を感じるタイプの人間でそこを言語化できなかったからかなこの動画見てすごい納得した
俺も彼女と今日見てきた。めっちゃ面白かった。
気まずくならなかったですか笑
作品は最高だけどカップルムービーとして向かないから。気まずくならない?
自分も1ヶ月前に見た、その1ヶ月後に付き合った
気まづくならなかったです!むしろ深まった気がする
@@いいいいいち なら良かったですね。
無粋。