北条VS比企だけでは語れない!頼家は毒を盛られた?比企能員の変の真相【鎌倉殿の13人】

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  • Опубликовано: 26 ноя 2024

Комментарии • 40

  • @netdm21
    @netdm21 2 года назад +22

    大江が時政に脅迫されていたならばこの後に義時と組んで時政追放を企んでも不思議じゃないなあ

  • @hiromaru7109
    @hiromaru7109 2 года назад +1

    泰時以降は別として、それ以前の北条氏はおよそ武士とは言い難い輩である。日本の武士の恥とも言えるだろう。

  • @転生したら中村だった件について

    比企が滅びたら北条に勝てる
    御家人いなくなったな

    • @rekishock
      @rekishock  2 года назад +16

      三浦、和田、畠山と有力御家人はまだまだいますが、源氏将軍家の外戚という立場を持っている点では、対抗しうるのは比企氏以外にはいませんでしたね。

  • @佐藤イチロー-u2p
    @佐藤イチロー-u2p 2 года назад +16

    比企側もある程度、邸宅で武装しており、一旦は北条を撃退し籠城しながら援軍を待っていたが火攻めにあい全焼したと言う記述もあるが、大将が暗殺された後では遅い。騙し討ちにあい、下男が報告した1時間後に攻め込まれた。

    • @rekishock
      @rekishock  2 года назад +11

      まともに戦ったら北条側にも多大な損害が出ていたでしょうね。
      真相はともかく、能員をいち早く討ち取ったことで勝敗は決まりました。

  • @ゆかわまさみ
    @ゆかわまさみ 2 года назад +5

    うう、鎌倉殿の13人のドラマよりエグくないですか…?
    頼家公と一幡様たちが本当にかわいそう…、しかし、頼家側が阿野全成を殺害したのが先、とも取れますかね…。この時代の武家は暴力団みたいなものだった、とか歴史ネタ記事で見かけたのを思います。極道の世界のイメージ…。(極道のスゴいひとたちが居たとして、こどもまで殺しますかね)

    • @rekishock
      @rekishock  2 года назад +3

      鎌倉殿の13人はまだマイルドなのかもしれません…
      自分たちを支配しようとする頼朝、頼家親子と坂東武士の対立という面もありますからね…

    • @黒狐-t8l
      @黒狐-t8l 2 года назад +1

      @@rekishock 多分大河ドラマ「義経」のキャスト勢だったらもっとドロドロになってたかもしれませんね😅

  • @りっくん-e9i1r
    @りっくん-e9i1r 2 года назад +20

    昨日の大河ドラマ見ました。
    三谷さんは一幡のことに関しては吾妻鏡を採用せず、もう一つの日記の内容を採用したんですね。佐藤二郎さんが演じた比企能員、とっても魅力的でした。

  • @masamika3443
    @masamika3443 2 года назад +16

    いつも詳しい動画をありがとうございます!
    知れば知るほど、深い裏がある吾妻鏡、北条一家…。勉強になります!

    • @rekishock
      @rekishock  2 года назад +3

      応援ありがとうございます!
      鎌倉時代は奥が深く、大河のキャラクターも相まって考察のしがいがありすぎて困ります笑

  • @主藤康浩
    @主藤康浩 2 года назад

    前は捨コンをしてから型枠をしてたと思います今は捨コンはしないんですね

  • @ABT098
    @ABT098 2 года назад +1

    今回も味わい深いですね。

  • @いばやま
    @いばやま 2 года назад +9

    動画ありがとうございます。
    頼家の武断政治は単に頼朝のやり方を引き継いでいただけ、だとも言われますが、いずれにしても御家人達は既に頼朝時代から将軍による専制政治に激しく反発し、頼朝の政治を引き継いだだけ、とは言えまだまだ若かった頼家が遅効性の毒を盛られた可能性はかなり高いと思います
    その北条氏の本家 北条得宗家も時頼、時宗の時代に武断政治を試みた矢先、元がやってきて幕府そのものの力が弱まり、時宗の子 貞時がなおも武断政治に固執するも失敗、やがて長崎氏などの内管領が力を得て得宗家自体がかつての将軍のような傀儡化してしまい、滅びてしまったのには、歴史の皮肉を感じました

  • @rekishock
    @rekishock  2 года назад

    動画内で、一幡の屋敷を襲った御家人は、北条、三浦、和田、畠山、小山と紹介していますが、他にも、土肥維平、後藤信康(後藤基清一族?)等、彼らの影響下にあったとは断定できない御家人も一部参加していますね。 こちら訂正させていただきます。

  • @中村眞一-u7l
    @中村眞一-u7l 2 года назад

    実朝があんさつされたけいいは?

  • @Sugiura_Kenji
    @Sugiura_Kenji 2 года назад

    最初、タイトルを見ただけの段階では、(このチャンネルにしては珍しく)奇抜なことを言い張ってアクセスを稼ごうという(ゲスイ?)ものかな?と思いましたが、中をちゃんと見て、納得できる話だと思いました。
    北条VS比企という単純な構図で説明しようとするものは全て用心すべきだと思いました。

    • @rekishock
      @rekishock  2 года назад +1

      コメントありがとうございます!
      他のチャンネルとは言ってること違うぞということをアピールしたく奇をてらったタイトル付けをしてみたのですが、ゲスいアクセス稼ぎに見られてしまうこともあるのですね…
      今後の参考にさせていただきます!

  • @真田丸-n7b
    @真田丸-n7b 2 года назад +8

    非常に納得のいく解説でした。私は、頼朝もさすがに政子には内緒で時政、義時が暗殺したと思っています。北条氏としては、神輿と担いだだけで、意にならぬ頼朝に相当不満を持っていたのではないでしょうか。

  • @cancan5892
    @cancan5892 2 года назад +21

    先程大河ドラマを見ましたが、今回に関しては、三谷脚本に無理を感じました。既に、抜き差しならない状況にあった北条氏と比企氏の関係で、あのように安易に非武装で向かうはずはありません。この動画でた述べられているような理由があったればこそ、比企能員も丸腰で出向いたのでしょう。それを知ると、政子の関与は疑いなく、自身の息子を犠牲にしてまでも、北条氏の権力基盤を強化したかったという姿勢に、虚しさを感じます。いかに時代が違っていても、親子の情は深く、何物にも代えがたいと思っている現代人には、理解を越える非業さですね。

  • @もとのゆき-d7n
    @もとのゆき-d7n 2 года назад +1

    政子将軍つええ。。

  • @Choshu_samurai
    @Choshu_samurai 2 года назад +1

    比企理恵って往年のアイドルというかタレントさんいましたが、比企一族の末裔とか。

  • @dietrichgarten7434
    @dietrichgarten7434 2 года назад +1

    分析が見事です。
    ただ、1文が長すぎ、すんなり頭に入りません。文を短くするか、テンポを遅くした方がいいと思います。
    まあ、視聴者がテンポを0.75倍とかに遅くしたらいいだけのことですが。

    • @rekishock
      @rekishock  2 года назад

      貴重なご指摘ありがとうございます。
      確かにおっしゃるとおりなので、以降改善いたします。

  • @2010m3
    @2010m3 2 года назад +1

    遅効性の毒、ということですが、平安時代から鎌倉時代にかけて、そういう遅効性の毒が用いられた毒殺事件は他にあったのでしょうか?
    室町時代以降はどうでしょうか?
    実際にあった同類事件、あるいは遅効性の毒の正体を示していただかないと、単なる想像に過ぎないと思いますが、いかがでしょうか?
    (遅効性の毒による殺人を証明することは当時の医学では難しいでしょうが)

    • @rekishock
      @rekishock  2 года назад +3

      例えば、太平記の恒良親王の例のように、8日連続で毒薬を飲み続けた結果亡くなるといった話もあり、即効性のない毒というのは当時からあったと考えられます。
      こういった毒の利用により、本動画の遅効性の毒による毒殺説も、可能性としてはあると考えています。
      医学的根拠のない想像による話ですが…

    • @narihira572
      @narihira572 2 года назад +4

      鎌倉時代とほぼ同時期、ジンギスカンの死後、モンゴルでは跡目争いで、従兄弟、兄弟、親子間で、鎌倉幕府の初期のような、壮絶な殺し合いが起きますが、大半は毒殺によるものです。何しろ一騎当千の強者同士ですから、内乱により帝国が分裂しまう恐れがあるので、毒殺が多用されたのでしょう。

    • @2010m3
      @2010m3 2 года назад

      @@rekishock
      ご返信くださり、ありがとうございます。
      太古の昔から、人類は、自然界に存在する毒性の高い動植物・キノコ類などを経験的に知っていたと思います。
      最も強力とされ有名なのは、ふぐ毒や毒キノコ、トリカブトなどでしょうね。
      特に植物には毒性がある種類が多く、現代、市街地で見かける植物では、夾竹桃にはかなりな毒があると聞いております。
      つまり、やろうと思えば、昔も今も毒のある植物は容易に入手可能。
      ただ、強力な毒物によって短時間で殺害するよりも、何日も弱い毒を飲まし続けてジワジワ死に至らしめる方が、技術的には難しいのではないでしょうか。
      その人の体質、投与する量によって、効き方は違うはずですから。
      いずれにしろ、医学が未発達の時代の死因特定は非常に難しいですね。
      状況証拠による推定も致し方ない、と思います。

    • @rekishock
      @rekishock  2 года назад

      毒殺自体は古くから行われてきましたからね。知識も方法も相当広まっていたのでしょう。
      おっしゃる通り、じわじわ毒殺するというのは一見できそうですが、相当難しいと思います。
      現に、頼家が毒殺されたと仮定しても、結局はうまく行かずに回復してしまっていますし。

  • @フリードリヒ大王-k5d
    @フリードリヒ大王-k5d 2 года назад +1

    トリカブトが思い当たりますが、遅効性の毒とは何でしょうかね。

  • @kenken-world
    @kenken-world 2 года назад +21

    佐藤二朗の顔芸がしつこくてイラつく

  • @菊力
    @菊力 2 года назад +7

    比企役の佐藤って役者下手だね~