Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
江戸以前のサムライの精神性はどちらかといえば騎士よりもヴァイキングに近い。血の気が多く、一族を馬鹿にされたら激昂する、略奪も行う。礼儀正しい武士道が出来上がったのは江戸中期以降だったよう。
戦争なんてそんなもん
ヴァイキングでも、フィンランド系が近い。勤勉でシャイ、だけどとんでもない蛮族で誉れを大切にする。フィンランドが大人しくなったの、ここ50年の話だからね。元々は、鎌倉武士と肩を並べるくらいの蛮族にして戦闘民族。実際問題、モンゴル帝国とロシア、欧州全土はフィンランド兵のおそろしさがトラウマになってる。
幕末もなかなか荒れてたような気もしますがねまあ時代が時代だし
ヴァイキングは全然違う龍が如くとかのヤクザに近い
@@ネギトロー 明らかなデマで草武士道に関する書物は江戸時代初期から有る少なくとも江戸時代中期以降に出来上がったものではない
その高機動バーサーカーをもってして「あいつらおかしい」と言わせたのが薩摩兵です。
因みにその薩摩を1.5倍くらい濃縮したというか室町で希釈されたとも言えるのが平安〜鎌倉の奴ら
ドラゴンボールみたいになりそう
敵だけどこれにモンゴル帝国の馬をつけくわえたらどうなるんやろなあ
時代遡っても愛馬を持ち上げたり、崖みたいな斜面を馬と駆け下りたり、サンカやアイヌなどの異民族を相手に無双したり、喧嘩売られたら相手が民草だろうが公家だろうが寺の坊主だろうが刃交えるから何でもありなんだよなぁ。
その薩摩武士すらも後ろに置いてきたのが鎌倉武士です・・・何?日本にはバーサーカーしか居ないのか????
実際にSAMURAIが傭兵として海外で働いた事例あるけど、現地民の評価は「めちゃんこ強いけど頭おかしいバーサーカー」だったらしいね
作戦が気に食わなかったら味方でも斬り殺したらしい
多分オランダ対スペインの植民地争奪戦にオランダ側の傭兵として参戦した時の話だと思うがあれは既に日本国内が江戸幕府によって平定されていて戦うために生まれてきて戦い続けて生きてきた歴戦の外様の残党達が帰る場所も次の戦場も無いという状態で戦ったから強かったという話のはずそんな狂気の極みみたいな連中と戦わされたスペインの守衛が哀れだ
まぁ外国でも、正規兵だったのが戦が終わって仕事がなくなって強盗になったり傭兵になったりした連中は強いから。戦うために生きてきてアドレナリンジャンキー化して戻れなくなった人達。
武士道とは死ぬことと見つけたり 修羅道とは倒すことと見つけたり 我、悪鬼羅刹となりて目の前の敵全てを 斬る!
サムライスピリッツですね
それ、葉隠じゃ無くてゲーム会社が勝手に作った言葉やろ武士道と云うは死ぬことと見つけたり二つ八の場にて、早く死ぬ方に片付ばかり也。別に子細なし。胸すわつて進也
葉隠自体江戸時代に武家のアイデンティティの再確認の為に編纂されたものだけどな。それはそれとしてメンタリティ
散る姿にこそ生き方が現れるけっこう現代の日本人でも武士道のままに生きたい人は多そう
@@oni39giriいや武士道は『生き残り方を記したモノ』だぞ。要は戦場なんかでは『今からしぬ』って思っていた方が本当に命の危機になった時に動けるから助かりやすい。って事だよ。
この映画のお陰でアサクリシャドウズが粉砕された気がする
アサクリが問題になった時(外国人なのに、やけに侍への理解度高いな....)って思ったけど、ホットな情報を持ってたからなんだなぁって
制作会社(ubi)はびっくりするほど日本に馴染みがなかったけどな
凄いんじゃなくて、クレイジーが正しいと思う
500の兵で9万の大軍に突っ込み撤退した軍がいましてね…
一体どこの楠木正成なんだろう
撤退させたの間違いではなくて?
@@もやしづくりのみこと靄祗造尊 ごめんなさいw島津義弘のことを言いましたw
そういえばエルデンリングの素性に侍を選んだ時は初期装備に木の丸盾があったけどすぐ使わなくなったな。
侍「この辺りの敵は弓に加えて投石に小刀投げと飛び道具が多いでござる、ならば某も盾を…」って感じで拾ったのかも
何処まで正確なのか分からないけど、いくつかの文献によると死傷者の内、矢が38.2%、鉄砲が23.7%、槍が20.0%、石が12.4%、刀が3.7%でラストサムライみたいに刀で斬り合うとかはあまり無かったもよう
刀はあくまでサブだからな
@@リリなの組み打ちとか首を取る用、後はメインの槍を失う、もしくは使えない時に刀を使う感じですからね…
鈴木眞哉『謎とき日本合戦史』に、そういう内容の記述があって、以下引用。1333~1387年の軍忠状を検証すると、負傷理由の86.4%が弓矢によるものである。これに、石による負傷も加えると、負傷の9割近くが遠戦によるものとなる。戦死者の数は、負傷者597名に対して54名だから、仮に戦死要因を全て白兵によるものとしても、南北朝時代における遠戦の圧倒的優位を否定することは到底できない。実際には、戦死者は負傷して動けないところを討たれた場合が多いから、戦死者も遠戦で負傷した場合は多かったと思われる。 この傾向は応仁の乱でも変わりはなく、相変わらず遠戦優位だったが、軍忠状と感状を検証すると、遠戦による負傷理由は72%と、南北朝時代よりも低下している(1467~1637年の間)。鉄砲による負傷は全体の2割弱だが、鉄砲伝来以降に限定すると、約4割となり、その分弓矢や石による負傷が減ってくるから、鉄砲が主武器になっていことが窺える。また、鉄砲伝来前後で白兵による負傷と遠戦による負傷との比率に特に違いはなく、鉄砲伝来により白兵戦から遠戦へと傾向が変わったわけではない。 南北朝時代と比較して戦国時代(江戸初期も含む)の方が遠戦による負傷理由が低下したのは、一つには槍が広く普及したためであったが、他には、首取が盛行したことが挙げられる。首を取るには接近しなければならず、このことが、一見すると白兵戦が盛んだったかのように錯覚させる一因となっている。この他に白兵戦が起きる場合は、伊勢長島の一向一揆を織田信長が鎮圧した事例のように追い詰められて止むを得ない時や遭遇戦など、特殊な状況だと言える。
だから刀って美術品のように残るパターンが多かったのもある使うとすぐ切れなくなるし伸びるし使う前に戦死してればそもそも残ると
@@国分大輔 むしろ刀が接近戦でのメインウェポンになったのは明治初期の戊辰戦争と西南戦争。だからラストサムライの刀での斬り合い全部が間違ってはないけど、その時はゲリラ戦みたいなもんだからなぁ…結局西南戦争では薩摩軍に銃剣で勝利するわけで…
朝倉宗滴「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候」
日本の弓のヤバさはイギリスのロングボウが馬に乗って移動して戦うという事しかも重装甲で
重装甲ではあるけれど、多数の金属板を繋ぐ、皮を金属板で挟むといった構造で徹底した軽量化が図られているから、急所を守りつつ機動力も高いという無駄のない構造になっている。とにかく金属で覆って守りを固めた騎士の鎧とは違うんよね。金属板で皮を挟むという発想が、もうガンダムの装甲とかに使われる『セラミック&●●合金複合材』みたいな発想。しかも和弓の射程はクソ長いし威力も抜群なわけで……重装甲・高機動・長射程・高火力という、まるでロボットアニメのラスボスみたいな性能した人間が一斉に襲い掛かって来るという恐怖!こんなのが一般兵として普通に戦争していたとか、そりゃ外国人が知ったらびっくりするわな。
弓もロングボウ(丸木弓、だっけ?単一の木材で形成される弓)以上に何段階と強化されとるゆうことらしいわな……和弓にもなんか進化段階それぞれに名前があるらしいけど最終的に竹と木と藤でサンドイッチサンドイッチぐるぐる巻きの複合構造。魔改造だーいすき♡かよ時々こうやって何かについて振り返っては、結構今も同じようなことしてるの気がついて驚く。でもわかるよ僕も魔改造好きだよ
@@Pika-Poolあの弓を引く馬鹿力よ
重装弓騎兵とかいう日本の固有ユニット
色んな話を知っていますね、凄い面白かったです😊
映画でよくある仲間の為に足止めし身代わりになるのを全員躊躇なく行う侍凄い通り越し怖いわ
環境条件が違うこれに尽きる仮に侍が西洋の戦場に放り込まれたら碌に活躍出来ないし、その逆もまた然り
わかんねぇから、お互い自分ばかり好評し他を侮辱するんやろなw
侍は戦国時代の終わりに傭兵としてオランダに雇われ、対スペインで活躍してたぞ。侍は西洋の戦場で活躍してた実績がある。
今で言うとランボーみたいなのが馬に乗って甲冑つけて突撃してくるみたいなもんか…
「鎧と盾貫通するからクロスボウ禁止!」って協定が11世紀頃にはあるのに、盾にどんな信頼性感じてんだって話よ
0:19 今まさに誤解を重ねるような情報が出回ってるんだよな、なあ?ロックリー
誤解されがちだけど、信長の時代には既に銃火器を欧州より多く配備してたのよね
そもそも騎士と武士じゃ命に対する考え方が全然違う。騎士しか知らない人から見たらおかしいと思うのも無理はない。
この武士道って今更日本人が意識しなくても根付いてるから凄いです恥の概念が海外よりも強いお陰で恥ずかしい行動はしないようにと意識しますし日本で美徳とされる行動は武士道にも繋がる事が良くありますからね
勝つ以外で生きる選択肢がないっていう...
戦国でも鎌倉よりだいぶバーサーカー度が減ってるので人道的という…平安の頃って前期中期はまともそうですけど実際どうだったのでしょうかね?
平安武士ですか…装備は基本重装弓騎兵、役目は治安維持で、単独または少数で複数の敵を鎮圧するのがお仕事という、警察や警備員と言うより特殊部隊ですね
基本武装農民で野盗や土地や水利で敵対する農民相手だったのである種の私設軍隊ですね。
平安貴族の為の軍隊だからなぁ…民草の事より「貴族のため」だけにうごく奴らだから…民草に対してはやりたい放題だったし。別意味タチが悪い。例:平家
弥生時代には一応盾があったらしいし、「持つ」盾じゃなくて、「置く」盾のほうが主流。たぶん絵巻とかにも描かれていると思うよ。あと、刀でいなすことで盾の役割を持たせられる。
一応、陣地盾は戦国でも使われていたね
サムライ…すご。
武士は最悪 生物兵器まで使うんだぜ。
ウ◯コやんけ
親父に聞いたことある。元寇の時元軍の船に病気で○んだ牛やイノシシの首やら投げ込んでた、と
世界最古のバイオ攻撃なんだよな鎌倉武士がやったこと
元寇の時の鎌倉武士はマジのバーサーカーだったと親父が言ってたな(神風が無くても、海泳いで元軍の船に乗り込んで元軍兵士を血祭りにあげる奴等だから勝てたんじゃねとか、言ってたな)
動物の死骸や糞尿を元の船に投げ入れて疫病を発生させるというバイオテ.ロのような事もしてたそうですしね
軽量化の為に和紙を一部に採用した甲冑もそういやあったなそれと金無い足軽は持ち盾普通に使ってた、そろそろ一般兵士も取り上げられて欲しいね力士とか大男がデカい角材振り回して突破してくるんだぜ?
密林戦などの遮蔽物が多い場所では近接戦を優先してたからあんな大型の弓に進化していったのでしょうね。 場所を問わない多目的用途なら大陸側の比較的短い弓の方が良いわけだし。
高機動バーサーカー🤣🤣
マサヨシみたいな笑い方の犬良い
吉光とか言うカラクリ人形が切腹しながら、高速回転して相手にダメージを与えるという技があって、しかも本人(カラクリ人形だからか)ライフさえ残ってれば生きてますからねwいやー武士ってすごいね。d(^_^o)
詳しいニキに聞いたらアイツ人間らしいよw・・・
@@胡椒少将-s6q なんと!!そうでしたか!!Σ(゚д゚lll)調べたら、左手だけが機械とか言ってましたね。……にしても。先述の切腹とか毒霧とか、ワープとかも、人間とは到底思えないあの声とか( ̄▽ ̄;)
アイツ確か生身……
当時は今みたいな医療がなく、成人することが今よりも重い時代でのこの精神だもんなぁ 軍人としては確かに比類ない強靭で狂人な精神だったろう
武士道とは死ぬことと……ってのはちょっと意味違うけどな。
誰かの為に死ねとかでは無くて、迷った時はより困難な方を選んで死すら恐れるなみたいな感じですかね。
@@国分大輔人として正しい方を選べ。…って事だよ。例えば目の前で溺れてる人がいるのを助けようとする。そうすると自分の命が無くなるかも知れないけど正しい行いの為に死を選ぶという事。※ちなみに溺れてる人を助けるのを例に挙げたけど、実際は難しく自分も溺れてしまうので浮き輪や救助を呼びましょう。
@@国分大輔 図に当たらぬは犬死になどという事は上方風の打ち上りたる武道なるべし。(「目的果たせなくて死んだら犬死にじゃんか」つって我が身を可愛がるのは薄っぺれぇ武士道だ)って葉隠にも書いてありましたね。
朝起きたら頭の中で一度自分が死んだことにするんじゃなかったっけ。そうすればもう恐れるものは何もないって感じ(だってもう死んでるから)になるということだった気がする。
@@akiy5849 だいたい正解
中学のALTの先生がサムライの生き方にひっくり返ってた
フランスの重装騎士を撃破したロングボウとほぼ同等の和弓を連射してくる武士に騎士は対抗できるだろうか。
確かに盾使ってないことが普通すぎて疑問にすら思わなかった
おそらく、たとえ西洋でも盾の役割は刀槍に対する防御というより、飛び交う矢石に対する防御であって、グラディエーターやレッドクリフで使われる場面があった。古代ギリシャやその周辺世界におけるファランクスは盾が必須だが、それは密集陣形で使うからこそ効果的で、機動力重視の個人防御目的なら鎧の方が重要。
そんでその後は銃火器の火力が勝るんで大航海時代以降どんどん鎧も剥がれていったな。当たったら終わり。
@@自称皇帝 今の歩兵はボディーアーマーというのか、ケブラー繊維やセラミックプレートで作られた防弾衣を着用するようですが
@@howoohooh 1周まわって戻って来るの好き。パワードスーツとか出るかな?さすがにコスト高いか?
@@自称皇帝 現実解として、人間が搭乗するのではなく、人間程度のサイズ感の2足や4足で歩行する、ドローンと同様に人間がリモート操縦又はAIを搭載した自律型制御の、そうした兵器ならあり得るかもと。個人的には装甲騎兵ボトムズのATが、最もリアリティのある人間搭乗型のものだと思う。
@@howoohooh そう、それ。
NHK大河「黄金の日日」で、日本刀対フェンシング剣術が描かれたことがある。刺突剣術は、日本刀の斬撃をかいくぐって有効射程に入るのも難しいと思われる描写だった。
トラウマになるって、いや実際に戦国期の日本人と戦う機会があった中国や東南アジアやスペインポルトガルの奴らはトラウマになったがw
武士道って言うけどさあ武家諸法度なんてもん制定しないとどうしようもなかったバーサーカーお武家さん達が跳梁跋扈してた時代があってえ
申し訳な気が蛮族はng
木の盾や竹を束にした盾は一応使っていたようですね。しかし和弓や鉄砲の前ではあまり意味が無く槍合わせに近づくまでの時間稼ぎに過ぎない
一瞬で絶命できる行為がある中で切腹だもんな…こんな覚悟がある奴が敵ごときに怯むわけないよな…
重装弓騎兵なんて変態兵種、他の国に無いからなw
しかも弓騎兵としては異常な長弓だ
当たらなければどうと言う事は無いちゃんと生きてますバーサーカー精神
何かで見たけど西洋でも割と早く盾の防御的有効性は低くなってただの象徴になっていったのだとか。そういった為に西洋では盾が旗に描かれているものが多い
死ぬことと見つけたり死を恐れないから強く踏み込んで強力な一撃を叩き込めると言うこと腰が引けていては肉は切れても骨は断てない
武士は年代によりやろうね。タイマン、集団戦の肉弾戦なら鎌倉誇り、華麗なら室町戦略、兵運用、兵站なら戦国学問なら江戸
鎌倉以前もお願いします。
ついに猫ミームが右翼転用された
竹束ねたりデカい木の板を設置型の盾として使って銃や弓から身を守ったって話は?
武士道精神と騎士道精神を比較するのも面白いかも
そもそも日本の合戦は、「相手の大将の首取れば勝ち!」ですからねそのためには早く動く必要があるため、盾持ってると邪魔鎧を強化した方がまだ動きやすいそういう事情もあったのでは?
武士道関係無いし、城攻めなどでは竹を束ねた大楯で弓矢や火縄銃を防いで突撃していたから後は鎌倉室町の騎馬戦闘主用時は太刀を片手で操っていたし左手は手綱を持っていたから結局盾は持てなかったけどねこの解説者も割と思い込みで言っていますね
武士のことも騎士のことも間違いが多い。騎士がランスを使ったのは主に御前試合や1対1の戦いの時。それ以外は剣やこん棒系の武器。洋弓(クロスボウ系)は城壁にいる敵を討つためにパワー重視で木と金属の巻き上げ式で破壊力を上げたが金属の弦を引くため力と時間がかかるのであまり活躍しなかった。特に後期の物は二人掛かりで弦を巻き上げているから機動力ゼロ。しかも巻き上げで体力を使い果たして重たいもんだから、引いた後で敵を狙うにも大変で打っても反動が凄くてまたひっくり返る。もはや体力使い果たしているから2射目が打てないという破壊力は有るがとても情けない武器だ😒結局普通の攻城兵器で門破って剣とこん棒で戦ってたって。鎧も重すぎて家来の手助け無しに乗馬も下馬もできなしね。その影響か米国のヒーローて絶対に技とかなくて殴る系なんだよね(盾も防御じゃなくて殴ってるの草。本当の戦争の時は何でもありは当然だけど)葉隠は江戸中期のもので平和ボケした藩士に向けて書かれた物。和弓はパワーより速度重視。盾は地面に半固定タイプ。日本だって戦国時代の戦いは平地を選んでしている。そうしないと大部隊を展開できないからね。
そも関ヶ原後あぶれた兵を傭兵として世界に輸出してたしな
本人の実力が出るだけだろう、縦術はブラインドやバッシユなどがあるが、居合や体術で応用可能だし、歩方も日本式の方が特殊かも知れないけど、取り分け強いアドバンテージにならない。鍛練と経験、つまり実力の方が出やすい気がします。
元寇を乗り切ったのは、武士が重装弓馬兵という、世界に稀な兵種やからかで。下馬したらバーサーカー。鉄板すら切る日本刀の前では、機動性こそ正義。
しかし何だねぇ、「そもそも騎士も後期では鎧の発達で盾は持っていなかった」「ということは侍は西洋騎士より先進的だった」という「だけ」の話なのに何でこうも拗れるんだろうな西洋人。
まぁ、あとは己の筋肉じゃろ(筋肉論)
基督教が染みついてる西洋の騎士は自害という行為自体が奨められたもんじゃないから。日本の武士が責任取って切腹するとか普通にクレイジーにしか見えないよなぁあと切腹はトップがやることで手打ちにする的な意味合いもあるから敵側の矛の納めどころとしてちょうどいいのよね
頭が切腹で責任取れば大多数の家臣はそのままで、また活躍できるのは、戦後の復興考えれば勝った側に大きなメリットやし。
サムライって、、、SUGOI!
まぁ、刀がすこぶるよく切れるから盾で防げたかどうかってのもあると思う
まぁその血を受け継いだのは島津藩なわけでし・・・・・ん?こんな時間に誰だろう・・・・・
※手記はここで途絶えている
たぶん「白波」持参なので。
誉!
二期三期…欧米の続き物の、悪しき慣習が過去の実績を粉砕しないといいけどねえ…脚本の担当が変わる、とか言い出し始めたら、抗議か、切り捨ての準備するしかねえからな…
そしてコレ(仏のアレ)が鎧を着る意味を全く理解してないゲームになります
どの時代の騎士とどの時代の侍よ戦国時代世界一クラスの銃の数持ってんだぞ当時
盾は普通に使ってるんだが。設置式の『矢盾』、対鉄砲用『竹束』、そして個人用の盾として『袖』。
ぶっちゃけフルアーマー侍vsフルアーマー騎士のどつきあいだったら刀も剣もお互いに通らなくて泥沼化しそう
組み合って小刀で騎士の首をもぎ取ってくる。
侍は騎士よりアッティラの騎馬軍達と戦ってほしい‥あそこなら戦えるやろ。
つーか、騎士も最終的に盾捨るって、当時の西洋の鎧どんだけすごかったんだ?
鎧がすごいというより、盾なんか持ってたって遠距離から銃撃されたりヒト以上の質量で突撃されたら盾なんか役にたたない、でも防具は着たい→盾いらんくね?ってことだと思われ
戦国時代は裏切りとか騙し討ちみたいなのが当たり前でしたしね。
その頃は武士道なんて無かったし、名誉や誇りはあっだろうけど、家を残すのが最優先
7回主君を変えて一人前見たいな文章が残ってる
疲れたからこれに止まろってしたトンボがそのまま真っ二つに切れたなんて伝説あるぐらい、頭おかしい切れ味誇ったもんがあるんだから、盾くらいなら叩き斬れたりしてなwww………しないよな?
おもしれえ!
サムライとは基本的に重武装騎馬弓兵なので盾持てないってだけその重藤の弓そっちの射程外から思いっきり撃ち込まれるぞ刀々言っているがメインウエポンではないからな
武士の主従関係は御恩と奉公でしょ戦国時代なんか結構主君を変える武士もいたよ
と言うか日本の場合盾は持つものというより地面に刺すものだったような…?
置き盾あるよね
日本の立地でやったら武士の圧勝西洋の立地でやったら騎士の圧勝
武士の弓をどうやっていなすかという問題とそもそも日本で鍛えられた鉄の塊の武士に通る攻撃があるのかという問題があるがそれでも地の利込みなら騎士有利だろうか
@@伊藤与助 武士の防御力って最低限度しかないぞそもそも鉄の塊なのは騎士の方でそれを突破する戦鎚やらが発達してるのが西洋機動力に関しても日本の馬は遅く小さいのしかおらんから平地やと勝ち目薄いで
脚光を浴びるのは嬉しいんだが、そうなるとお隣がウリナリを言って来るのか分かると思うと、ウザイな!
1列に並んで突撃しかできない騎士とやらは少々阿呆なのでは
宗教的な理由で飛び道具を使わない……?イングランドで有名なロングボウ兵とかは卑怯って見られてたっけ?あとマッチロック式(火縄銃)ってどこから来たんだっけ?
マッチロックをロマンチックに空目したw
石弓といった短い太矢や石、あるいは金属球を発射する武器は、使い方は簡単で少し練習すれば農民でも使いこなすことができ、高価な鎧に身を包み、生涯戦闘を行う修行をしてきた精鋭の騎士を倒すことができた為にヨーロッパの騎士達が石弓の使用を禁止するように教会に掛け合ったという歴史があるらしいの。
@@南武敏樹 なるほど。そういえば反権力の象徴であるロビンフッドやウイリアム・テルが弓使いだったりするのも面白いですね。平民が貴族を打ち倒すシンボルとしての弓、だったと。ちなみに異教徒相手には使っていいというものだったので弓の技術事態は廃れなかったとか。それとちょっと齧ったことがあると分かりますが弓の習熟ってメチャクチャ大変で「少し習熟すれば」っていうのは無いです。それで言うならパイク等がよっぽど簡単。
少し練習すればっていうのは、クロスボウじゃない?
@@Hiro2154弓と石弓は分けて考えるべき
そして武士道があったからカミカゼが生まれたのよね
この頃は武士道ないぞ
カミカゼは武士道を曲解したものだからな
どっかで見た動画の作り方だな〜
現代の兵隊は何で盾持って戦わないの?バカだよねぇwって言ってる様なものだよねぇ。総重量20㎏の物資背負って行軍する上に10㎏近い重量の銃まで持たなきゃならない。盾持っている余裕はない。代わりに防弾チョッキが進歩して盾は邪魔でしかない。サムライ理論を現代戦に置き換えてみれば意外と早く気付くはず。
いや…山本常朝は最後畳の上で死んだんだが…🥺
武士道って江戸以降の話だから少し違う気がする。みんなの侍のイメージって戦国時代でしょ
そりゃ狭い土地&山だらけ&災害だらけで開墾した祖先たちだ。面構えが違う。
家が残る保証があれば本人は死ぬまで戦うけど、なければ当然打算で動くよねあと外人は騎士側がフルプレート前提なのはどうかと
基本的には舐められたら殺すが侍だしね。
BWのBGM出番多いねえ
盾はあるよ置き盾だけど。鉄砲には竹束があるし
中世で元を撤退させたのは日本とベトナムだけだ。西洋の騎士は歯が立たなかったよな
あと降伏を切腹で責任取って「見事な散りざま」と見做されたのって豊臣秀吉が備中高松城を攻めたときの城主・清水宗治にいわれてて、それ以前ってあんまり名誉、って視点ではなかった感じ。一応太平記にも切腹はあるけど、あれって「自分の臓物を取り出して敵に投げつけた」的なインパクト重視な死に方だったからちょっとニュアンス違うというか……。 いまのいわゆる「武士道」って戦国時代が終わったあとの平和な江戸時代における武士(官僚)の美談的な書き方してるから「戦闘者としての武士」とは違うんじゃないかなぁ。「葉隠」も備前佐賀で成立したのが江戸中期だし……。
天真正伝香取神道流で解説されている「武士道とは死ぬことと見つけたり」が非常に興味深く分かりやすい興味があれば是非
化け猫騒動ニャン🎵。🐻
戦国時代までの武士道は九頭竜川で一万余りの軍勢で30万とも言われた一向一揆を打ち破った朝倉宗滴が言ったと言われる「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候」の方と言われたほうが納得ができます。
家先の坊主や旅人やらはいい的だから弓の稽古に使えみたいなのってマジなの?
切腹は武士としては大変名誉な死であったため死後もその武士の名誉は敵であったとしても守られていただけど超極悪人で情状酌量の余地もないような奴は晒し首だった
島原の乱の切っ掛け作った松倉勝家は幕府からその責任を取らされて斬首刑に処されてる(晒し首にされたは不明)からな……切腹か島流しをさせてもらえないのを見るにかなり重い罪だったんだろうなと
戊辰戦争、二百三高地戦、第442連隊戦闘団、第100歩兵大隊、挙げたらきりが無いほど。武士道ではなく、日本人の生来の気性だと思う。
モンゴル人「馬に乗って弓打った方が良くない?」
君達の狩猟級と、日本人の和弓じゃ射程も威力も全然違うよ。馬なんかに乗らなくても、モンゴル人の使う狩猟弓の射程外から高威力の矢を撃ちまくれるし、なんだったら侍も馬に乗ったまま弓も使えるしな(流鏑馬)。
@@Pika-Pool機動力定期
てゆーか、侍も騎士も士官やろ 1対1で戦ったら・・という設定がねえわ
𝑯𝑨𝑹𝑨𝑲𝑰𝑹𝑰
漆と和紙と革と鉄じゃなかった?
いろんな背景をごちゃまぜにしてるな・・・
江戸以前のサムライの精神性はどちらかといえば騎士よりもヴァイキングに近い。
血の気が多く、一族を馬鹿にされたら激昂する、略奪も行う。
礼儀正しい武士道が出来上がったのは江戸中期以降だったよう。
戦争なんてそんなもん
ヴァイキングでも、フィンランド系が近い。
勤勉でシャイ、だけどとんでもない蛮族で誉れを大切にする。
フィンランドが大人しくなったの、ここ50年の話だからね。
元々は、鎌倉武士と肩を並べるくらいの蛮族にして戦闘民族。実際問題、モンゴル帝国とロシア、欧州全土はフィンランド兵のおそろしさがトラウマになってる。
幕末もなかなか荒れてたような気もしますがね
まあ時代が時代だし
ヴァイキングは全然違う
龍が如くとかのヤクザに近い
@@ネギトロー
明らかなデマで草
武士道に関する書物は江戸時代初期から有る
少なくとも江戸時代中期以降に出来上がったものではない
その高機動バーサーカーをもってして「あいつらおかしい」と言わせたのが薩摩兵です。
因みにその薩摩を1.5倍くらい濃縮したというか室町で希釈されたとも言えるのが平安〜鎌倉の奴ら
ドラゴンボールみたいになりそう
敵だけどこれにモンゴル帝国の馬をつけくわえたらどうなるんやろなあ
時代遡っても愛馬を持ち上げたり、
崖みたいな斜面を馬と駆け下りたり、
サンカやアイヌなどの異民族を相手に無双したり、
喧嘩売られたら相手が民草だろうが公家だろうが寺の坊主だろうが刃交えるから何でもありなんだよなぁ。
その薩摩武士すらも後ろに置いてきたのが鎌倉武士です・・・何?日本にはバーサーカーしか居ないのか????
実際にSAMURAIが傭兵として海外で働いた事例あるけど、現地民の評価は「めちゃんこ強いけど頭おかしいバーサーカー」だったらしいね
作戦が気に食わなかったら味方でも斬り殺したらしい
多分オランダ対スペインの植民地争奪戦にオランダ側の傭兵として参戦した時の話だと思うが
あれは既に日本国内が江戸幕府によって平定されていて戦うために生まれてきて戦い続けて生きてきた歴戦の外様の残党達が帰る場所も次の戦場も無いという状態で戦ったから強かったという話のはず
そんな狂気の極みみたいな連中と戦わされたスペインの守衛が哀れだ
まぁ外国でも、正規兵だったのが戦が終わって仕事がなくなって
強盗になったり傭兵になったりした連中は強いから。
戦うために生きてきてアドレナリンジャンキー化して戻れなくなった人達。
武士道とは死ぬことと見つけたり
修羅道とは倒すことと見つけたり
我、悪鬼羅刹となりて目の前の敵全てを
斬る!
サムライスピリッツですね
それ、葉隠じゃ無くてゲーム会社が勝手に作った言葉やろ
武士道と云うは死ぬことと見つけたり
二つ八の場にて、早く死ぬ方に片付ばかり也。
別に子細なし。胸すわつて進也
葉隠自体江戸時代に武家のアイデンティティの再確認の為に編纂されたものだけどな。
それはそれとしてメンタリティ
散る姿にこそ生き方が現れる
けっこう現代の日本人でも武士道のままに生きたい人は多そう
@@oni39giri
いや武士道は『生き残り方を記したモノ』だぞ。
要は戦場なんかでは『今からしぬ』って思っていた方が本当に命の危機になった時に動けるから助かりやすい。って事だよ。
この映画のお陰でアサクリシャドウズが粉砕された気がする
アサクリが問題になった時(外国人なのに、やけに侍への理解度高いな....)って思ったけど、ホットな情報を持ってたからなんだなぁって
制作会社(ubi)はびっくりするほど日本に馴染みがなかったけどな
凄いんじゃなくて、クレイジーが正しいと思う
500の兵で9万の大軍に突っ込み撤退した軍がいましてね…
一体どこの楠木正成なんだろう
撤退させたの間違いではなくて?
@@もやしづくりのみこと靄祗造尊
ごめんなさいw島津義弘のことを言いましたw
そういえばエルデンリングの素性に侍を選んだ時は初期装備に木の丸盾があったけどすぐ使わなくなったな。
侍「この辺りの敵は弓に加えて投石に小刀投げと飛び道具が多いでござる、ならば某も盾を…」
って感じで拾ったのかも
何処まで正確なのか分からないけど、
いくつかの文献によると
死傷者の内、矢が38.2%、鉄砲が23.7%、槍が20.0%、石が12.4%、刀が3.7%で
ラストサムライみたいに刀で斬り合うとかはあまり無かったもよう
刀はあくまでサブだからな
@@リリなの組み打ちとか首を取る用、後はメインの槍を失う、もしくは使えない時に刀を使う感じですからね…
鈴木眞哉『謎とき日本合戦史』に、そういう内容の記述があって、以下引用。
1333~1387年の軍忠状を検証すると、負傷理由の86.4%が弓矢によるものである。これに、石による負傷も加えると、負傷の9割近くが遠戦によるものとなる。戦死者の数は、負傷者597名に対して54名だから、仮に戦死要因を全て白兵によるものとしても、南北朝時代における遠戦の圧倒的優位を否定することは到底できない。実際には、戦死者は負傷して動けないところを討たれた場合が多いから、戦死者も遠戦で負傷した場合は多かったと思われる。
この傾向は応仁の乱でも変わりはなく、相変わらず遠戦優位だったが、軍忠状と感状を検証すると、遠戦による負傷理由は72%と、南北朝時代よりも低下している(1467~1637年の間)。鉄砲による負傷は全体の2割弱だが、鉄砲伝来以降に限定すると、約4割となり、その分弓矢や石による負傷が減ってくるから、鉄砲が主武器になっていことが窺える。また、鉄砲伝来前後で白兵による負傷と遠戦による負傷との比率に特に違いはなく、鉄砲伝来により白兵戦から遠戦へと傾向が変わったわけではない。
南北朝時代と比較して戦国時代(江戸初期も含む)の方が遠戦による負傷理由が低下したのは、一つには槍が広く普及したためであったが、他には、首取が盛行したことが挙げられる。首を取るには接近しなければならず、このことが、一見すると白兵戦が盛んだったかのように錯覚させる一因となっている。この他に白兵戦が起きる場合は、伊勢長島の一向一揆を織田信長が鎮圧した事例のように追い詰められて止むを得ない時や遭遇戦など、特殊な状況だと言える。
だから刀って美術品のように残るパターンが多かったのもある
使うとすぐ切れなくなるし伸びるし
使う前に戦死してればそもそも残ると
@@国分大輔 むしろ刀が接近戦でのメインウェポンになったのは明治初期の戊辰戦争と西南戦争。
だからラストサムライの刀での斬り合い全部が間違ってはないけど、その時はゲリラ戦みたいなもんだからなぁ…
結局西南戦争では薩摩軍に銃剣で勝利するわけで…
朝倉宗滴「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候」
日本の弓のヤバさは
イギリスのロングボウが馬に乗って移動して戦うという事
しかも重装甲で
重装甲ではあるけれど、多数の金属板を繋ぐ、皮を金属板で挟むといった構造で徹底した軽量化が図られているから、急所を守りつつ機動力も高いという無駄のない構造になっている。
とにかく金属で覆って守りを固めた騎士の鎧とは違うんよね。
金属板で皮を挟むという発想が、もうガンダムの装甲とかに使われる『セラミック&●●合金複合材』みたいな発想。
しかも和弓の射程はクソ長いし威力も抜群なわけで……重装甲・高機動・長射程・高火力という、まるでロボットアニメのラスボスみたいな性能した人間が一斉に襲い掛かって来るという恐怖!
こんなのが一般兵として普通に戦争していたとか、そりゃ外国人が知ったらびっくりするわな。
弓も
ロングボウ(丸木弓、だっけ?単一の木材で形成される弓)
以上に何段階と強化されとるゆうことらしいわな……
和弓にもなんか進化段階それぞれに名前があるらしいけど
最終的に
竹と木と藤でサンドイッチサンドイッチぐるぐる巻きの複合構造。
魔改造だーいすき♡かよ
時々こうやって何かについて振り返っては、結構今も同じようなことしてるの気がついて驚く。
でもわかるよ
僕も魔改造好きだよ
@@Pika-Poolあの弓を引く馬鹿力よ
重装弓騎兵とかいう日本の固有ユニット
色んな話を知っていますね、凄い面白かったです😊
映画でよくある仲間の為に足止めし身代わりになるのを
全員躊躇なく行う侍凄い通り越し怖いわ
環境条件が違う
これに尽きる
仮に侍が西洋の戦場に放り込まれたら碌に活躍出来ないし、その逆もまた然り
わかんねぇから、お互い自分ばかり好評し他を侮辱するんやろなw
侍は戦国時代の終わりに傭兵としてオランダに雇われ、対スペインで活躍してたぞ。
侍は西洋の戦場で活躍してた実績がある。
今で言うとランボーみたいなのが馬に乗って甲冑つけて突撃してくるみたいなもんか…
「鎧と盾貫通するからクロスボウ禁止!」
って協定が11世紀頃にはあるのに、盾にどんな信頼性感じてんだって話よ
0:19 今まさに誤解を重ねるような情報が出回ってるんだよな、なあ?ロックリー
誤解されがちだけど、信長の時代には既に銃火器を欧州より多く配備してたのよね
そもそも騎士と武士じゃ命に対する考え方が全然違う。
騎士しか知らない人から見たらおかしいと思うのも無理はない。
この武士道って今更日本人が意識しなくても根付いてるから凄いです
恥の概念が海外よりも強いお陰で恥ずかしい行動はしないようにと意識しますし
日本で美徳とされる行動は武士道にも繋がる事が良くありますからね
勝つ以外で生きる選択肢がないっていう...
戦国でも鎌倉よりだいぶバーサーカー度が減ってるので人道的という…
平安の頃って前期中期はまともそうですけど実際どうだったのでしょうかね?
平安武士ですか…
装備は基本重装弓騎兵、役目は治安維持で、単独または少数で複数の敵を鎮圧するのがお仕事という、警察や警備員と言うより特殊部隊ですね
基本武装農民で野盗や土地や水利で敵対する農民相手だったのである種の私設軍隊ですね。
平安貴族の為の軍隊だからなぁ…
民草の事より「貴族のため」だけにうごく奴らだから…民草に対してはやりたい放題だったし。
別意味タチが悪い。
例:平家
弥生時代には一応盾があったらしいし、「持つ」盾じゃなくて、「置く」盾のほうが主流。たぶん絵巻とかにも描かれていると思うよ。
あと、刀でいなすことで盾の役割を持たせられる。
一応、陣地盾は戦国でも使われていたね
サムライ…すご。
武士は最悪 生物兵器まで使うんだぜ。
ウ◯コやんけ
親父に聞いたことある。元寇の時元軍の船に病気で○んだ牛やイノシシの首やら投げ込んでた、と
世界最古のバイオ攻撃なんだよな鎌倉武士がやったこと
元寇の時の鎌倉武士はマジのバーサーカーだったと親父が言ってたな(神風が無くても、海泳いで元軍の船に乗り込んで元軍兵士を血祭りにあげる奴等だから勝てたんじゃねとか、言ってたな)
動物の死骸や糞尿を元の船に投げ入れて疫病を発生させるというバイオテ.ロのような事もしてたそうですしね
軽量化の為に和紙を一部に採用した甲冑もそういやあったな
それと金無い足軽は持ち盾普通に使ってた、そろそろ一般兵士も取り上げられて欲しいね
力士とか大男がデカい角材振り回して突破してくるんだぜ?
密林戦などの遮蔽物が多い場所では近接戦を優先してたからあんな大型の弓に進化していったのでしょうね。
場所を問わない多目的用途なら大陸側の比較的短い弓の方が良いわけだし。
高機動バーサーカー🤣🤣
マサヨシみたいな笑い方の犬良い
吉光とか言うカラクリ人形が切腹しながら、高速回転して相手にダメージを与えるという技があって、しかも本人(カラクリ人形だからか)ライフさえ残ってれば生きてますからねw
いやー武士ってすごいね。
d(^_^o)
詳しいニキに聞いたらアイツ人間らしいよw・・・
@@胡椒少将-s6q なんと!!そうでしたか!!Σ(゚д゚lll)
調べたら、左手だけが機械とか言ってましたね。
……にしても。先述の切腹とか毒霧とか、ワープとかも、人間とは到底思えないあの声とか( ̄▽ ̄;)
アイツ確か生身……
当時は今みたいな医療がなく、成人することが今よりも重い時代でのこの精神だもんなぁ
軍人としては確かに比類ない強靭で狂人な精神だったろう
武士道とは死ぬことと……ってのはちょっと意味違うけどな。
誰かの為に死ねとかでは無くて、迷った時はより困難な方を選んで死すら恐れるなみたいな感じですかね。
@@国分大輔人として正しい方を選べ。…って事だよ。
例えば目の前で溺れてる人がいるのを助けようとする。
そうすると自分の命が無くなるかも知れないけど正しい行いの為に死を選ぶという事。
※ちなみに溺れてる人を助けるのを例に挙げたけど、実際は難しく自分も溺れてしまうので浮き輪や救助を呼びましょう。
@@国分大輔 図に当たらぬは犬死になどという事は上方風の打ち上りたる武道なるべし。
(「目的果たせなくて死んだら犬死にじゃんか」つって我が身を可愛がるのは薄っぺれぇ武士道だ)って葉隠にも書いてありましたね。
朝起きたら頭の中で一度自分が死んだことにするんじゃなかったっけ。そうすればもう恐れるものは何もないって感じ(だってもう死んでるから)になるということだった気がする。
@@akiy5849 だいたい正解
中学のALTの先生がサムライの生き方にひっくり返ってた
フランスの重装騎士を撃破したロングボウとほぼ同等の和弓を連射してくる武士に騎士は対抗できるだろうか。
確かに盾使ってないことが普通すぎて疑問にすら思わなかった
おそらく、たとえ西洋でも盾の役割は刀槍に対する防御というより、飛び交う矢石に対する防御であって、グラディエーターやレッドクリフで使われる場面があった。古代ギリシャやその周辺世界におけるファランクスは盾が必須だが、それは密集陣形で使うからこそ効果的で、機動力重視の個人防御目的なら鎧の方が重要。
そんでその後は銃火器の火力が勝るんで大航海時代以降どんどん鎧も剥がれていったな。当たったら終わり。
@@自称皇帝 今の歩兵はボディーアーマーというのか、ケブラー繊維やセラミックプレートで作られた防弾衣を着用するようですが
@@howoohooh 1周まわって戻って来るの好き。パワードスーツとか出るかな?さすがにコスト高いか?
@@自称皇帝 現実解として、人間が搭乗するのではなく、人間程度のサイズ感の2足や4足で歩行する、ドローンと同様に人間がリモート操縦又はAIを搭載した自律型制御の、そうした兵器ならあり得るかもと。個人的には装甲騎兵ボトムズのATが、最もリアリティのある人間搭乗型のものだと思う。
@@howoohooh そう、それ。
NHK大河「黄金の日日」で、日本刀対フェンシング剣術が描かれたことがある。刺突剣術は、日本刀の斬撃をかいくぐって有効射程に入るのも難しいと思われる描写だった。
トラウマになるって、いや実際に戦国期の日本人と戦う機会があった中国や東南アジアやスペインポルトガルの奴らはトラウマになったがw
武士道って言うけどさあ
武家諸法度なんてもん制定しないと
どうしようもなかったバーサーカーお武家さん達が
跳梁跋扈してた時代があってえ
申し訳な気が蛮族はng
木の盾や竹を束にした盾は一応使っていたようですね。しかし和弓や鉄砲の前ではあまり意味が無く槍合わせに近づくまでの時間稼ぎに過ぎない
一瞬で絶命できる行為がある中で切腹だもんな…こんな覚悟がある奴が敵ごときに怯むわけないよな…
重装弓騎兵なんて変態兵種、他の国に無いからなw
しかも弓騎兵としては異常な長弓だ
当たらなければどうと言う事は無い
ちゃんと生きてますバーサーカー精神
何かで見たけど西洋でも割と早く盾の防御的有効性は低くなってただの象徴になっていったのだとか。そういった為に西洋では盾が旗に描かれているものが多い
死ぬことと見つけたり
死を恐れないから強く踏み込んで強力な一撃を叩き込めると言うこと
腰が引けていては肉は切れても骨は断てない
武士は年代によりやろうね。
タイマン、集団戦の肉弾戦なら鎌倉
誇り、華麗なら室町
戦略、兵運用、兵站なら戦国
学問なら江戸
鎌倉以前もお願いします。
ついに猫ミームが右翼転用された
竹束ねたりデカい木の板を設置型の盾として使って銃や弓から身を守ったって話は?
武士道精神と騎士道精神を比較するのも面白いかも
そもそも日本の合戦は、「相手の大将の首取れば勝ち!」ですからね
そのためには早く動く必要があるため、盾持ってると邪魔
鎧を強化した方がまだ動きやすい
そういう事情もあったのでは?
武士道関係無いし、城攻めなどでは竹を束ねた大楯で弓矢や火縄銃を防いで突撃していたから
後は鎌倉室町の騎馬戦闘主用時は太刀を片手で操っていたし左手は手綱を持っていたから結局盾は持てなかったけどね
この解説者も割と思い込みで言っていますね
武士のことも騎士のことも間違いが多い。騎士がランスを使ったのは主に御前試合や1対1の戦いの時。それ以外は剣やこん棒系の武器。洋弓(クロスボウ系)は城壁にいる敵を討つためにパワー重視で木と金属の巻き上げ式で破壊力を上げたが金属の弦を引くため力と時間がかかるのであまり活躍しなかった。特に後期の物は二人掛かりで弦を巻き上げているから機動力ゼロ。しかも巻き上げで体力を使い果たして重たいもんだから、引いた後で敵を狙うにも大変で打っても反動が凄くてまたひっくり返る。もはや体力使い果たしているから2射目が打てないという破壊力は有るがとても情けない武器だ😒結局普通の攻城兵器で門破って剣とこん棒で戦ってたって。鎧も重すぎて家来の手助け無しに乗馬も下馬もできなしね。その影響か米国のヒーローて絶対に技とかなくて殴る系なんだよね(盾も防御じゃなくて殴ってるの草。本当の戦争の時は何でもありは当然だけど)
葉隠は江戸中期のもので平和ボケした藩士に向けて書かれた物。和弓はパワーより速度重視。盾は地面に半固定タイプ。日本だって戦国時代の戦いは平地を選んでしている。そうしないと大部隊を展開できないからね。
そも関ヶ原後あぶれた兵を傭兵として世界に輸出してたしな
本人の実力が出るだけだろう、縦術はブラインドやバッシユなどがあるが、居合や体術で応用可能だし、歩方も日本式の方が特殊かも知れないけど、取り分け強いアドバンテージにならない。鍛練と経験、つまり実力の方が出やすい気がします。
元寇を乗り切ったのは、武士が重装弓馬兵という、世界に稀な兵種やからかで。
下馬したらバーサーカー。
鉄板すら切る日本刀の前では、機動性こそ正義。
しかし何だねぇ、「そもそも騎士も後期では鎧の発達で盾は持っていなかった」「ということは侍は西洋騎士より先進的だった」という「だけ」の話なのに何でこうも拗れるんだろうな西洋人。
まぁ、あとは己の筋肉じゃろ(筋肉論)
基督教が染みついてる西洋の騎士は自害という行為自体が奨められたもんじゃないから。日本の武士が責任取って切腹するとか普通にクレイジーにしか見えないよなぁ
あと切腹はトップがやることで手打ちにする的な意味合いもあるから敵側の矛の納めどころとしてちょうどいいのよね
頭が切腹で責任取れば大多数の家臣はそのままで、また活躍できるのは、戦後の復興考えれば勝った側に大きなメリットやし。
サムライって、、、SUGOI!
まぁ、刀がすこぶるよく切れるから盾で防げたかどうかってのもあると思う
まぁその血を受け継いだのは島津藩なわけでし・・・・・ん?こんな時間に誰だろう・・・・・
※手記はここで途絶えている
たぶん「白波」持参なので。
誉!
二期三期…欧米の続き物の、悪しき慣習が過去の実績を粉砕しないといいけどねえ…
脚本の担当が変わる、とか言い出し始めたら、抗議か、切り捨ての準備するしかねえからな…
そしてコレ(仏のアレ)が鎧を着る意味を全く理解してないゲームになります
どの時代の騎士とどの時代の侍よ戦国時代世界一クラスの銃の数持ってんだぞ当時
盾は普通に使ってるんだが。
設置式の『矢盾』、対鉄砲用『竹束』、そして個人用の盾として『袖』。
ぶっちゃけフルアーマー侍vsフルアーマー騎士のどつきあいだったら刀も剣もお互いに通らなくて泥沼化しそう
組み合って小刀で騎士の首をもぎ取ってくる。
侍は騎士よりアッティラの騎馬軍達と戦ってほしい‥あそこなら戦えるやろ。
つーか、騎士も最終的に盾捨るって、当時の西洋の鎧どんだけすごかったんだ?
鎧がすごいというより、盾なんか持ってたって遠距離から銃撃されたりヒト以上の質量で突撃されたら盾なんか役にたたない、でも防具は着たい→盾いらんくね?ってことだと思われ
戦国時代は裏切りとか騙し討ちみたいなのが当たり前でしたしね。
その頃は武士道なんて無かったし、名誉や誇りはあっだろうけど、家を残すのが最優先
7回主君を変えて一人前見たいな文章が残ってる
疲れたからこれに止まろ
ってしたトンボがそのまま真っ二つに切れたなんて伝説あるぐらい、頭おかしい切れ味誇ったもんがあるんだから、盾くらいなら叩き斬れたりしてなwww
………しないよな?
おもしれえ!
サムライとは基本的に重武装騎馬弓兵なので盾持てないってだけ
その重藤の弓そっちの射程外から思いっきり撃ち込まれるぞ
刀々言っているがメインウエポンではないからな
武士の主従関係は御恩と奉公でしょ
戦国時代なんか結構主君を変える武士もいたよ
と言うか日本の場合盾は持つものというより地面に刺すものだったような…?
置き盾あるよね
日本の立地でやったら武士の圧勝
西洋の立地でやったら騎士の圧勝
武士の弓をどうやっていなすかという問題と
そもそも日本で鍛えられた鉄の塊の武士に通る攻撃があるのかという問題があるが
それでも地の利込みなら騎士有利だろうか
@@伊藤与助 武士の防御力って最低限度しかないぞそもそも鉄の塊なのは騎士の方でそれを突破する戦鎚やらが発達してるのが西洋
機動力に関しても日本の馬は遅く小さいのしかおらんから平地やと勝ち目薄いで
脚光を浴びるのは嬉しいんだが、そうなるとお隣がウリナリを言って来るのか分かると思うと、ウザイな!
1列に並んで突撃しかできない騎士とやらは少々阿呆なのでは
宗教的な理由で飛び道具を使わない……?イングランドで有名なロングボウ兵とかは卑怯って見られてたっけ?あとマッチロック式(火縄銃)ってどこから来たんだっけ?
マッチロックをロマンチックに空目したw
石弓といった短い太矢や石、あるいは金属球を発射する武器は、使い方は簡単で少し練習すれば農民でも使いこなすことができ、高価な鎧に身を包み、生涯戦闘を行う修行をしてきた精鋭の騎士を倒すことができた為にヨーロッパの騎士達が石弓の使用を禁止するように教会に掛け合ったという歴史があるらしいの。
@@南武敏樹 なるほど。そういえば反権力の象徴であるロビンフッドやウイリアム・テルが弓使いだったりするのも面白いですね。平民が貴族を打ち倒すシンボルとしての弓、だったと。
ちなみに異教徒相手には使っていいというものだったので弓の技術事態は廃れなかったとか。
それとちょっと齧ったことがあると分かりますが弓の習熟ってメチャクチャ大変で「少し習熟すれば」っていうのは無いです。それで言うならパイク等がよっぽど簡単。
少し練習すればっていうのは、クロスボウじゃない?
@@Hiro2154弓と石弓は分けて考えるべき
そして武士道があったからカミカゼが生まれたのよね
この頃は武士道ないぞ
カミカゼは武士道を曲解したものだからな
どっかで見た動画の作り方だな〜
現代の兵隊は何で盾持って戦わないの?バカだよねぇwって言ってる様なものだよねぇ。
総重量20㎏の物資背負って行軍する上に10㎏近い重量の銃まで持たなきゃならない。盾持っている余裕はない。
代わりに防弾チョッキが進歩して盾は邪魔でしかない。サムライ理論を現代戦に置き換えてみれば意外と早く気付くはず。
いや…山本常朝は最後畳の上で死んだんだが…🥺
武士道って江戸以降の話だから少し違う気がする。みんなの侍のイメージって戦国時代でしょ
そりゃ狭い土地&山だらけ&災害だらけで開墾した祖先たちだ。面構えが違う。
家が残る保証があれば本人は死ぬまで戦うけど、なければ当然打算で動くよね
あと外人は騎士側がフルプレート前提なのはどうかと
基本的には舐められたら殺すが侍だしね。
BWのBGM出番多いねえ
盾はあるよ置き盾だけど。鉄砲には竹束があるし
中世で元を撤退させたのは日本とベトナムだけだ。西洋の騎士は歯が立たなかったよな
あと降伏を切腹で責任取って「見事な散りざま」と見做されたのって豊臣秀吉が備中高松城を攻めたときの城主・清水宗治にいわれてて、それ以前ってあんまり名誉、って視点ではなかった感じ。一応太平記にも切腹はあるけど、あれって「自分の臓物を取り出して敵に投げつけた」的なインパクト重視な死に方だったからちょっとニュアンス違うというか……。 いまのいわゆる「武士道」って戦国時代が終わったあとの平和な江戸時代における武士(官僚)の美談的な書き方してるから「戦闘者としての武士」とは違うんじゃないかなぁ。「葉隠」も備前佐賀で成立したのが江戸中期だし……。
天真正伝香取神道流で解説されている「武士道とは死ぬことと見つけたり」が非常に興味深く分かりやすい
興味があれば是非
化け猫騒動ニャン🎵。🐻
戦国時代までの武士道は九頭竜川で一万余りの軍勢で30万とも言われた一向一揆を打ち破った朝倉宗滴が言ったと言われる「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候」の方と言われたほうが納得ができます。
家先の坊主や旅人やらはいい的だから弓の稽古に使えみたいなのってマジなの?
切腹は武士としては大変名誉な死であったため死後もその武士の名誉は敵であったとしても守られていた
だけど超極悪人で情状酌量の余地もないような奴は晒し首だった
島原の乱の切っ掛け作った松倉勝家は幕府からその責任を取らされて斬首刑に処されてる(晒し首にされたは不明)からな……切腹か島流しをさせてもらえないのを見るにかなり重い罪だったんだろうなと
戊辰戦争、二百三高地戦、第442連隊戦闘団、第100歩兵大隊、挙げたらきりが無いほど。武士道ではなく、日本人の生来の気性だと思う。
モンゴル人「馬に乗って弓打った方が良くない?」
君達の狩猟級と、日本人の和弓じゃ射程も威力も全然違うよ。
馬なんかに乗らなくても、モンゴル人の使う狩猟弓の射程外から高威力の矢を撃ちまくれるし、なんだったら侍も馬に乗ったまま弓も使えるしな(流鏑馬)。
@@Pika-Pool機動力定期
てゆーか、侍も騎士も士官やろ 1対1で戦ったら・・という設定がねえわ
𝑯𝑨𝑹𝑨𝑲𝑰𝑹𝑰
漆と和紙と革と鉄じゃなかった?
いろんな背景をごちゃまぜにしてるな・・・