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遂に石切も廃村ですかぁ。高齢の方達しか居なかったので時間の問題だとは思っていましたが昔はよく通っていたのでいざ廃村となると寂しいですね。最初に石切を訪れたのは30年程前で子供が小さかった頃の家族キャンプでした。当時は学校の下川沿いが石切バンガローと言うキャンプ場でした。学校にも宿泊できましたが銀杏の木の横立ち入り禁止がある所と学校入口手前がキャンプ場入口でした。学校の左端(たぶん元職員室)が受付でおばちゃんが内職しながら受付をしていました。このおばちゃんと旦那さんが町から委託を受けた学校とキャンプ場の管理人の和田さんで最初に出てくる家の方でした。それから数年キャンプに訪れ親しくなりその後は京丸山・岩岳山など周辺の山の山登りで毎年のように訪れていましたが旦那さんが亡くなりおばちゃんも歳で足の具合悪くなり掛川に居る娘さんの所に移っていった10年ぐらい前から足が遠ざかりました。息子さんが一人で家を守っていましたがその人が出て行った数人の中の一人かな?30年ぐらい前は若い人は居なかったけど廃屋は少なくどの家にも住人がいてそんなに寂しい感じはしなかったけど年を追うごとに段々人が減ってきたとおばちゃんが寂しそうに言っていました。ちなみに石切小学校には小俣の子も通っていましたが4年生からで3年生までは小俣の分校で学んでいたとのことです。それから石切集落は落人集落ではないので京丸や小俣とは発祥の繋がりは無いそうです。藤原姓の家は昔移ってきた人達かもしれませんね。
貴重な思い出話をありがとうございます!おかげさまで石切の歴史の一部を知ることができました。
わたしは二十代の前半、石切小学校に2年勤めました。このところアップして下さる動画をアップしていただきありがとうございます。当時は、石切小学校は複式でした。学校は廃校になったことを後で知りました。大きな銀杏の木は懐かしい。校長先生は、銀杏の実、ぎんなんを拾い集め気多の町に行ってお金に変えて、そのお金で子どもたちに学用品を買って来ました。
素敵なお話ですね。校長先生は子供たちの喜ぶ顔が見たかったのかなと思うと、良い時代だったと思います。先生もお疲れ様でした。
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石切集落、最後の住民寂しい気持ちで拝見しました。私は、長崎の小さな島で育ちました。私の学業の為、両親は街に出ました。その島も、若い人は島を出て、現在は空き家ばかり。寺も継ぐ人も居なくなりました。82才の私は、体調も悪く島に帰る事もできません。心が痛くなる動画でした。
こうして見ると本当にテレビの時代が終わったなって思います。自分たちでチャンネル持ち運営出来るすごい時代だなって。しかもテレビの押しつけがましい取材より好感ありますし。
たまたま見たユーチューブ動画春野町出身と言うこともあって懐かしく見ました。石切も廃村かー。石切の友達もいましたが、、、寂しい限りです。私の実家はまだ在りますが、高齢化が進み、いずれはと思うと感慨深いものがあります。今はまだ姉がいるので、たまには帰りますが、70を過ぎており、いつまで帰れるかな。貴重な映像、ありがとうございました。
コメントありがとうございます!土地に所縁のあるかたにご視聴いただけて嬉しく思います。
「なんとかなるら」に涙が出ました。ずっと「今が一番いい」って過ごしていただきたいです。
90過ぎて一人暮らしは凄いですね 動画を拝見していると昔の段差だらけの日本家屋でこの先暮らす事は娘さん達も心配でしょう ヘルパーさんも入ってくれるかはわからない様な場所では本人が離れたくなくてもこの先どうにもならない事が解っているから『なる様にしかならない』この言葉に全てが詰まっている様に聞こえます
コメントありがとう!シンプルながら深いお言葉でしたね。
皆さんのお話聞いていて、本当にいい集落だったんだなぁ。ここで永く生きてこられて人柄がそう証明してますね。年配者の方と何の境界もなく話されているお二人も素晴らしい!
コメントありがとうございます!世代の離れた方との会話は本当に学べることが多いです。
こちら、本当に貴重な映像記録ですね。過剰な盛り上げナシにフラットに事実を見せてくださって、逆にひしひしと胸に迫る臨場感がありました。貴チャンネルで初めて拝見したのがこの動画、これから遡っていく楽しみもできました。ありがとうございます。
本当に良い動画背伸びせずに自分達の視点で向き合っているのも伝わる
学生時代榛原郡出身の友人がいたので言葉遣いになんとなく懐かしさを覚えました。
私はバブル期の地上げにあった都内の出身です。幼少の頃の遊び場だった空き地や駄菓子屋さん、知人宅、育った家。取り壊されて全く違う風景の街になりました。「あれ?どこで育ったのかな?」なんて思う時もあります。人が離れ、自然に飲み込まれて行く…とは少々違うかもしれませんが、こちらのチャンネルを拝見し懐かしくも寂しくも、嬉しくも悲しくも…と言う不思議な感覚になりました。登録させて頂きました。この先の動画も楽しみにしております。
チャンネル登録ありがとうございます!
とても印象深い動画でした。以前京丸方面へトレッキングに行った際に通りがかりに見たおばあさんでした。石切地区の住民の方々が全員離村してしまうと聞き、驚いたのと同時になんとも言えない寂しさが残ります。
historicaのお二人が行かなければ知らなかった石切集落の消滅。日本全国に広がりつつあるんですね。現実の厳しさを感じながらも最後の住人の方の明るさに少し救われる気持ちでした。突然現れた若者二人に元気を貰ったのかも。
コメントありがとうございます!突然の訪問にも関わらず快く迎えていただき有り難かったです。
浜松出身です。春野はただでさえだいぶ秘境なイメージですから、こうなるのもむべなるかな。しかしあのお婆さんの若々しさはスゴい。何をするにも遅くはないというのを体現していますね。関係ないけど、しんそつ七不思議という漫画のキャラの名前が遠州七不思議由来で面白い。
おばあちゃん一人暮らしなのに大っきいお家の中綺麗に保たれてて凄い(*^^*)
新しいことをどんどん始める人はどれだけ年とっても聡明だと思ってるけれど、やはり話を聞いてると良い年の取り方をされているというか、すごくしっかりしてますね。抜け殻はシマヘビ…アオダイショウと同様に人の暮らしと共に生息域を広げたヘビですよね。たとえこの場から人がいなくなっても、この子らは残って生き続けるんだろうな。
だんだん寂れていく集落を見つめて暮らして行くのは、辛い。しかし「今が一番良い」前向きに生きて行く住民の現実に勇気をもらいました。良い動画です。ありがとうございます。これからもがんばってください。
5年ほど前、京丸山を登った帰りにこのお婆さんと挨拶を交わした事がありました今でも元気にでいらっしゃるので安心しましたが離村されるたなると寂しくなりますねその時は京丸集落にも立ち寄ったのですが石切の小学校まで子供が通っていたとは信じられない距離なので、林道も通ってなかった頃の過酷な暮らしを想像してしまいました
石切の茶畑きれいでしたね、93歳のおばあちゃん本当はここにいたいでしょうね、次回の京丸も楽しみにしてます。
93歳のおばあちゃん今が一番楽しい!!!いつまでもお元気で、、、
貴重な記録動画をありがとうございます。
いつもありがとうございます。
京丸牡丹の伝説を初めて知り、とても興味をひかれた。「京丸、石切、小俣地域」が、古から血縁関係で結びつき、共存共栄していたこと。そして最後の石切集落が、やがて廃村となるらしいこと。何とも切ない話だった。
物凄い歴史的価値のある動画ですね。良いところに目を付けてるな、と。youtuberあるあるの茶化すような事もせず、真面目に撮影しているおかげで現地人へのリスペクトも感じます。
「今がいちばんいい」。よかった。観ている方も救われた。
日本の古き良き時代を垣間見たような気がします。
夏はよく遊びに行っていました。祖母の家も映っています。学校右手の川に向かう道が封鎖されているのに驚きです。とてもいい所です。車同士のすれ違いもほぼ出来ない道中ですが、本当にいい所です(´・ω・`)夜は星がとても綺麗に見えます(´;ω;`)
アンドウさんの一言一言が胸にささりました。観光地としてでは無く、現代社会から少し距離を置いて生きること、生活をするということを見直す場所として活かせればと感じました。次回の動画も楽しみにしています。そろそろ山蛭に襲われて慌てふためくオカヤスさんが見たいですね。
これから廃村になるのを止められないのはもどかしいですね。都市集中型から里に戻る人も増えて来ている所もあるので、末期になる前に、何とか手が打てたらいいのでしょうね。お母さんみたいに達観しているのは、戦後間も無く嫁いで来て、全てを経験して、全てを受け入れて、何もかも流れに任せて、こだわりを持たない、真の人の姿なんでしょうね。
コメントありがとうございます!お母様の経験に裏打ちされた言葉には学ぶべきことが多いです。
お久しぶりです。本当に、これが日本の奥深い農村の美しさでしょう。最後の住民の方との話、元気で93歳「今が一番いいわ」と言える人生…俺とは違うけど敬意持てる、、、とっても良かった最後の集落訪問、見せてもらって嬉しいね。僕は今、幕末約15年余の「逝きし世の面影」求めてレジュメまとめようとしてるので、心休める時にしかHistoricaさんに来られないかも知れないけど、あなた方の記録に感謝です。<※俺の思いは「長期の平和な江戸」をぶっ壊した「明治維新史」を問うこと !! やっとNHK【新・幕末史】19月16/23日放映で”薩長史観”を塗り替える<大英帝国の日本侵略政策の上に「明治維新」があった>との、画期的なものでした。今までの”ヒーローのウソ(龍馬、西郷、勝ら)”です。>
どこぞのアホなRUclipsrが騒いで引っ掻き回すチャンネルじゃなくて、人の生活や風俗習慣をしっかりと伝えているドキュメンタリーチャンネルだと思います。あちこち取り上げていただきありがとうございます。
historicaのおかやすさん・あんどうさんこんばんは~今年で廃村になると聞くと寂しさや虚しさ感じますよね。最後の住人の方にここでの生活とか貴重なお話聞けてよかったですね。このおばあ様前向きな考えで素敵な方ですね。ケセラセラなるようになるって感じで・・・貴重な体験ができよかったですね。次回の配信たのしみにしています。
コメントありがとうございます!今回は住人の方の言葉一つ一つに学べることがありました。ご縁に感謝ですね。
おばあちゃんの話し方本当に落ち着く
京丸と合わせて貴重な画像の配信ですね。最後の住人の方が、なるようにしかならん、と明るく話していたのが印象に残りました。
20年後、30年後、・・・という風に見れば、日本のあちこちで似たような風景があることが予想できる。ほんと日本における大問題の1つだよね。東京一極集中などを含め、多くの日本人が今考えなければならないわけだね。動画の提供に感謝したい。
日本の山を守ってきてださっていた方々が亡くなられ次々と廃村になるのは😅戦後植林した杉檜が大木になり手入れがされず山が荒れ災害を引き起こし、また太陽光パネルが至る所に😅山のカミが怒られる時が来る様な😅最後のおばあちゃんの、金魚❣️素晴らしいアイデアです❣️老いることに勇気を貰いました❣️🎉
配信、お疲れ様です。まさに集落から人がいなくなるその直前にいらしたのですね。ご高齢になられたので、山奥での一人暮らしはご本人もご家族も御心配だったでしょう。住処は山の下になるけれど、娘さんたちと一緒だし、ちょくちょく帰ってこれるというのも、ご本人には安心材料でしょうね。また一つ集落がなくなっていくというのはとても寂しいことですが、結婚以来ずっとこの土地で生きてきたおかあさんの表情を見ていて、集落も年老いてそして終わりを迎えたのだなと思いました。次回の京丸集落も楽しみにしています。これからもご安全に。
いつもありがとうございます!今回は貴重な体験をさせていただきました。お母様からは沢山のことを学ばせていただいたと感じております。
どっかで聞き覚えがある集落だと思ったら、Twitterのまとめで見た集落ですね。その方は2020年の3月前後に訪れていたようですが、その頃はまだ4名ほど暮らしていたようです。それから2年半ほどで1名になってしまって、もう間もなく消滅とは・・・・・・仕方ない事ですが寂しい事ですね。
コメントありがとうございます!やはり高齢者だけが残される状態になると消滅まではあっと言う間ですね・・・。
自分が住んでる所にも限界集落が有りますが動画を見て話で聞くだけでなくリアルに感じることが出来ました
最後の住人に会えて良かったですね。家は管理する人が居なくなると朽ちるのが早いですね 藪に囲まれ朽ちてやがては倒壊してしまう なんか悲しいですね
最高の動画サイトだもっと映像に残して欲しい
資料的価値のある動画
情報発信ありがとうございます。
まさに消滅の瞬間ですね!そしてTさんの年齢を感じさせない力強さにも驚かされました。その貴重な瞬間に立ち会えるなんて本当に幸運に凄いことだと思います。その場所に訪れて終わりでなく、その土地の歴史や文化を調べて紐解いて視聴する側に分かりやすく解説してくれるので、毎回楽しく拝見させて頂いてます。
コメントありがとうございます!今回は本当に貴重な経験をさせていただきました。
ぎりぎりだけど、今回の映像は、大切なノンフィクションとして、記録映像として残してほしいですね。
素晴らしい動画でした。感謝。
とても感慨深いです。いい動画に出会えました。石切は集落として役目は終えますが、この間際に多くの人達の記憶に根付く事が出来たのがとても素晴らしく感じました。人々の記憶に残り続ける限りそれは途絶えないから。
とても興味深くて懐かしさが込み上げてきました。村がなくなるって寂しいことですね。どんどん時代が変わってるってことですかね
初めまして、オススメに出てきたので視聴しました。私は遠州の生まれで子供のころから大人になるまで遠州で育ちました。こういった集落があったのは知らなかったのですが、都会に出てから久しく遠州弁を聴いて懐かしくなりました。(帰省の旅に家族とは話してるはずなのに…)寂しいなという思いはありつつも、こうして記録に残してもらい、色んな人に見てもらえるのは良いことだなあと思いました。本当は、誰しも自分の生まれた故郷で死ぬまで暮らしたいですよね。
最高です。お婆ちゃん達の言葉心に響きます
お疲れ様です♪
貴重な体験・動画をありがとう御座います。今まさに村が消えてゆく瞬間、最後の住人の明るい表情? 『なるようにしかならない、、、』 この無常観。滄海桑田、蒼海変じて桑田となる。ただ座して見ているだけで良いのか!?今回もありがとう御座いました。
石切と冠するだけあって石垣が綺麗に組まれてて感心する
本物の自給自足って感じなのかな?スーパーとかコンビニとかもない感じなんだよねきっと。こういうところにアマゾンとか配達してくれたらこの人たちも生活楽になるのかなぁと思います。貴重な動画をありがとうございます。
かわいらしいおばさま方ですね。ふと思ったのですが、無住になってしまった地区への送電線や電話線は撤去されてしまうのでしょうか。再び住みたい人が現れたら、引き直してくれるのだろうか。
同じ市民として、過疎地が増えてしまうことに関しては何とも言えない気持ちです。
うぁぁ〜、辺り、めっちゃ景色良きで気持ち良さそうな所ね🥺
そういえば自分の住んでる団地が、昭和40年ぐらいに山岳地帯を潰して、出来た団地だけど今はもう住人も80過ぎた人が多いのと、孤独死が多いのでどんどん住人が減っているんだよなぁ…自分が10年ぐらい前に越してきた時には、自分の部屋のある棟の2階、3階、右隣などの家には住人がいたけど、皆死んでしまったなぁ…
抜け殻アート、ポップコンアート、最高!! 現地の年配の方のお話はやはり面白いですね〜。また突撃取材を楽しみにしています(^^)
春野町は知ってたけど、この3つの集落は知らなかった。もう誰も住まないのかなあ。以前、春野町だと思うけど築数百年の古民家を売り出しているのを見て、興味をもったのね。古民家再利用も考えたけど、誰もいなくなっちゃうなら寂しすぎるからなあ。
会社勤めに疲れ果てた人、定年退職した人、ゆっくり人生を生きたい人...そんな人々がこの様な集落に移住し、適度に維持出来る様に、県、市、町から支援して欲しいものです。若い人達にはその子供の教育があって難しいでしょうけど、もう残りの人生は自然体にと希望する人は多いんじゃないでしょうか。都会、近郊、隣と棟続きの様な押しつぶされて自然の営みと無縁のそんな生活をする必要のない人達には、そんな生き方が出来る社会であって欲しいものです。
って事はおそらくあなた達が最後の正式な訪問客って事ですかね。この先も人は来るだろうけど、それは誰かを訪ねて来た訳じゃなくてただ来ただけ。
一つの集落が無くなるのは、本当に悲しいことです。家屋が昭和を感じさせるので、とても良いです。できれば移住したいくらいです
冒頭の学校跡の銀杏めっちゃいい環境作ってますね!早春の3月に再訪すると確実に黒モリーユ(トガリアミガサタケ)見れます
オカヤスさんの笑顔に惹かれてチャンネル登録させてもらいました。頑張られて下さい。
さみしくなります😢
山奥の過疎集落で暮らす高齢者は、ある意味たくましさを感じます。このまま廃村になるのは残念ですね。
日本の現状が良くわかります👍
テレビ番組でもありますが、山の中の1軒屋で、おばあさんのひとり暮らしで周りは既に誰もおらず、そのおばあさんも子供らの住む下界に行ったら廃村ってのは数多くありますね。
大変ですね!生意気かもしれないけど 中国関係には土地とか含めて売らないで欲しいです
もったいないなぁ。こういう暮らしをしたい人は現代には多いと思うし今なら挽回がききそうな気がするんだけどなぁ。インフラも整ってるし。
現実は、スローライフどころか雑用天国。周りの手伝いを全てやれと言われ、消防団に絶体加入しろと言われ、地域の意図に少し背いたら村を一発で追い出される(私の親戚は村で酷いイジメを経験した様です)。
最後の住人の方の話を聞いて強く想いました。故郷は、無くしては、ダメなんだと!
趣味はとても大事ですね!
今回も貴重なお話をありがとうございました。廃村の現実を目のあたりにして哀しい気持ちになるのは同じ。山村によくある「しいたけ栽培」のイメージはもっててほしかった(画像検索でもしてね)。荒れ地にホダ木が朽ちていれば「ここでシイタケをやっていたな」とわかります。他にも里山でよく目にするのが「炭焼き窯」の跡とか。きっとこれからも廃村を巡られると思うので、取材中に「どんなものだろう?」と思ったことは調べて今後の糧(かて)にしていくと見る目ができてくると思います。いつも動画をありがたいと思って期待しています。
コメントありがとうございます!まだまだ学ぶことがたくさんですね。
1時間のお話全部を、文字に起こして、読めるようにしていただけたらと思います。貴重な記録ですから。
@@user-ve5rr9bl4i インタビュー部分は9分ぐらいしかありませんので。
動画配信ありがとうございます😊このナレーションは、何を使っているのでしょうか?
こういった廃村寸前を見ているとある時期から「出て行った者勝ち」みたいな事になってしまったんでしょうね。二度と復活しない、元住人しか記憶残らない。こんな場所日本中に有りますね。
移民を受け入れても都市に行きたがる、なかなか地方に住みたい外国人がいない
廃村・限界集落の動画での案内ありがとうございます。他の動画でタイヤのパンクを見たのですが、林道を走るにはジャッキの搭載は必須でないでしょうか?
14:23 あたりの緑の字幕は『良い時もあっただら?』かもしれません。遠州弁で語尾に“だら”が付きます。住民の方のしゃべりに元気をもらいました。貴重な記録ありがとうございます!
切ないですね・・・。『なるようにしかならん』確かにそうかもしれないけど、でも本来ならばそこで命尽きる瞬間を迎えられるような、そんな良い人生であってほしかった・・・。
貴重な資料映像ですね。RUclips時代バンザイ!
たとえ誰もいなくても、かつて誰かがその場所にいた。そのことさえ忘れなければ、きっと報われるんだろうな。
石切は、くさびを打つポイントがあり、かなり体力が入りますね!危険な仕事かも知れません。
京丸小俣は一度行ってみたいと思っていた場所なのでこの動画は大変参考になります。過去の訪問記などを見たところ京丸より小俣へ行くのは大変だと書かれていたのですが如何だったのでしょうか。次の動画を楽しみに待ちたいと思います。
コメントありがとうございます!おっしゃる通り道の険しさは断然小俣の方が過酷でした。
なんとまぁ…。私も当時、近く?の佐久間に住んでて縁あってここには30年くらい前に行った事があります。まさか石切もこんな事になってるとは…😥
何時もいい動画ご覧いただけありがとうございます。悪いな、君たち、少し手を延びて、廃村、消滅くらいの地方自治体との話し合い上で、空き家の自由に利用できるなら、君たちの功績がある、助けるように、素晴らしい度々でしょうか。
いや…まぁ…ここはしゃーないよ…と。いい動画+切ない動画でした…
田舎の炭焼き、炭作りは、たのもしいですね!焼きガマも技術的ですよね!沢山炭を出荷する過去もあったと思います。
何気なく見たら誕生日同じでした…🎉
ここから山を越えた愛知県の奥三河の村も廃村になったり人口減少により、伝統芸能である花祭りが出来なくなった地域が増えている。
東栄の辺りですね。私も30年ほど前に通学してました。😅
蛇の抜け殻の寿www 蛇は不老不死の象徴でもあるものね。
地方切り捨て、大都市集中の役所、公共施設、企業と少子高齢化が多くの限界集落が生まれる結果となった。日本全国を見てこんな歪な国家でいいのだろうか。地方衰退は仕方がないと今から諦めている政治。
お二方にとっては当たり前なのかもしれませんが、単なる興味本位の動画ではないんですね。人の営みや集落に対するお二方の敬意を感じたので、チャンネル登録しました。私の田舎も同じ道を辿ろうとしていることもあって、いくら当のご本人様が明るく前向きでいらっしゃるとはいっても、胸が締めつけられるような、もどかしい思いで拝見しました。何度か「誰もいなくても帰りたい」と思って計画立ててワクワクしても、結局、お金が…とか今の仕事が…とか、本家筋じゃないから…とか、できない理由のほうを選んでしまいます。
寂しいなあ。
おお 京丸ですね わくわくです ありがとう!! いつ行かれたのですか??
コメントありがとうございます!10月に行ってきました。
廃集落の離村者に深い縁があると死者を晒すようなものを観ている気持ちになります。作者ならびに観ている方、皆様社会への関心とか同情の裏にある好奇の視線がやがて御自身に向かわないそのうちに、産業を興し地域を再生する方に関心も行動も持って行って下さい。
テレワークが主流になるとこういう集落に需要ができるかもしれないけど小人数だとインフラの維持が無理過ぎるからなぁ
浜松市天竜区は大嵐駅近くの夏焼集落に何度か行った事がありますが、そこから近いですか?
ここは大嵐から見たらだいぶ南東側になりますよ😅7~80kmくらいは離れてるかなぁ。
遂に石切も廃村ですかぁ。高齢の方達しか居なかったので時間の問題だとは思っていましたが昔はよく通っていたのでいざ廃村となると寂しいですね。
最初に石切を訪れたのは30年程前で子供が小さかった頃の家族キャンプでした。当時は学校の下川沿いが石切バンガローと言うキャンプ場でした。
学校にも宿泊できましたが銀杏の木の横立ち入り禁止がある所と学校入口手前がキャンプ場入口でした。
学校の左端(たぶん元職員室)が受付でおばちゃんが内職しながら受付をしていました。このおばちゃんと旦那さんが町から委託を受けた学校とキャンプ場の管理人の和田さんで最初に出てくる家の方でした。それから数年キャンプに訪れ親しくなりその後は京丸山・岩岳山など周辺の山の山登りで毎年のように訪れていましたが旦那さんが亡くなりおばちゃんも歳で足の具合悪くなり掛川に居る娘さんの所に移っていった10年ぐらい前から足が遠ざかりました。息子さんが一人で家を守っていましたがその人が出て行った数人の中の一人かな?
30年ぐらい前は若い人は居なかったけど廃屋は少なくどの家にも住人がいてそんなに寂しい感じはしなかったけど年を追うごとに段々人が減ってきたとおばちゃんが寂しそうに言っていました。
ちなみに石切小学校には小俣の子も通っていましたが4年生からで3年生までは小俣の分校で学んでいたとのことです。
それから石切集落は落人集落ではないので京丸や小俣とは発祥の繋がりは無いそうです。藤原姓の家は昔移ってきた人達かもしれませんね。
貴重な思い出話をありがとうございます!
おかげさまで石切の歴史の一部を知ることができました。
わたしは二十代の前半、石切小学校に2年勤めました。このところアップして下さる動画をアップしていただきありがとうございます。当時は、石切小学校は複式でした。学校は廃校になったことを後で知りました。大きな銀杏の木は懐かしい。校長先生は、銀杏の実、ぎんなんを拾い集め気多の町に行ってお金に変えて、そのお金で子どもたちに学用品を買って来ました。
素敵なお話ですね。校長先生は子供たちの喜ぶ顔が見たかったのかなと思うと、良い時代だったと思います。先生もお疲れ様でした。
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石切集落、最後の住民寂しい気持ちで拝見しました。
私は、長崎の小さな島で育ちました。私の学業の為、両親は街に出ました。
その島も、若い人は島を出て、現在は空き家ばかり。寺も継ぐ人も
居なくなりました。82才の私は、体調も悪く島に帰る事もできません。
心が痛くなる動画でした。
こうして見ると本当にテレビの時代が終わったなって思います。
自分たちでチャンネル持ち運営出来るすごい時代だなって。しかもテレビの押しつけがましい取材より好感ありますし。
たまたま見たユーチューブ動画
春野町出身と言うこともあって懐かしく見ました。
石切も廃村かー。
石切の友達もいましたが、、、
寂しい限りです。
私の実家はまだ在りますが、
高齢化が進み、いずれはと思うと感慨深いものがあります。
今はまだ姉がいるので、たまには帰りますが、
70を過ぎており、いつまで帰れるかな。
貴重な映像、ありがとうございました。
コメントありがとうございます!
土地に所縁のあるかたにご視聴いただけて嬉しく思います。
「なんとかなるら」に涙が出ました。
ずっと「今が一番いい」って過ごしていただきたいです。
90過ぎて一人暮らしは凄いですね 動画を拝見していると昔の段差だらけの日本家屋でこの先暮らす事は娘さん達も心配でしょう ヘルパーさんも入ってくれるかはわからない様な場所では本人が離れたくなくてもこの先どうにもならない事が解っているから『なる様にしかならない』この言葉に全てが詰まっている様に聞こえます
コメントありがとう!
シンプルながら深いお言葉でしたね。
皆さんのお話聞いていて、本当にいい集落だったんだなぁ。ここで永く生きてこられて人柄がそう証明してますね。年配者の方と何の境界もなく話されているお二人も素晴らしい!
コメントありがとうございます!
世代の離れた方との会話は本当に学べることが多いです。
こちら、本当に貴重な映像記録ですね。過剰な盛り上げナシにフラットに事実を見せてくださって、逆にひしひしと胸に迫る臨場感がありました。貴チャンネルで初めて拝見したのがこの動画、これから遡っていく楽しみもできました。ありがとうございます。
本当に良い動画
背伸びせずに自分達の視点で向き合っているのも伝わる
学生時代榛原郡出身の友人がいたので言葉遣いになんとなく懐かしさを覚えました。
私はバブル期の地上げにあった都内の出身です。
幼少の頃の遊び場だった空き地や駄菓子屋さん、知人宅、育った家。
取り壊されて全く違う風景の街になりました。
「あれ?どこで育ったのかな?」なんて思う時もあります。
人が離れ、自然に飲み込まれて行く…とは少々違うかもしれませんが、こちらのチャンネルを拝見し懐かしくも寂しくも、嬉しくも悲しくも…と言う不思議な感覚になりました。
登録させて頂きました。
この先の動画も楽しみにしております。
チャンネル登録ありがとうございます!
とても印象深い動画でした。以前京丸方面へトレッキングに行った際に通りがかりに見たおばあさんでした。
石切地区の住民の方々が全員離村してしまうと聞き、驚いたのと同時になんとも言えない寂しさが残ります。
historicaのお二人が行かなければ知らなかった石切集落の消滅。日本全国に広がりつつあるんですね。
現実の厳しさを感じながらも最後の住人の方の明るさに少し救われる気持ちでした。
突然現れた若者二人に元気を貰ったのかも。
コメントありがとうございます!
突然の訪問にも関わらず快く迎えていただき有り難かったです。
浜松出身です。
春野はただでさえだいぶ秘境なイメージですから、こうなるのもむべなるかな。
しかしあのお婆さんの若々しさはスゴい。何をするにも遅くはないというのを体現していますね。
関係ないけど、しんそつ七不思議という漫画のキャラの名前が遠州七不思議由来で面白い。
おばあちゃん一人暮らしなのに大っきいお家の中綺麗に保たれてて凄い(*^^*)
新しいことをどんどん始める人はどれだけ年とっても聡明だと思ってるけれど、やはり話を聞いてると良い年の取り方をされているというか、すごくしっかりしてますね。
抜け殻はシマヘビ…アオダイショウと同様に人の暮らしと共に生息域を広げたヘビですよね。たとえこの場から人がいなくなっても、この子らは残って生き続けるんだろうな。
だんだん寂れていく集落を見つめて暮らして行くのは、辛い。しかし「今が一番良い」前向きに生きて行く住民の現実に勇気をもらいました。
良い動画です。
ありがとうございます。
これからもがんばってください。
5年ほど前、京丸山を登った帰りにこのお婆さんと挨拶を交わした事がありました
今でも元気にでいらっしゃるので安心しましたが離村されるたなると寂しくなりますね
その時は京丸集落にも立ち寄ったのですが石切の小学校まで子供が通っていたとは信じられない距離なので、林道も通ってなかった頃の過酷な暮らしを想像してしまいました
石切の茶畑きれいでしたね、93歳のおばあちゃん本当はここにいたいでしょうね、次回の京丸も楽しみにしてます。
93歳のおばあちゃん今が一番楽しい!!!いつまでもお元気で、、、
貴重な記録動画をありがとうございます。
いつもありがとうございます。
京丸牡丹の伝説を初めて知り、とても興味をひかれた。「京丸、石切、小俣地域」が、古から血縁関係で結びつき、共存共栄していたこと。そして最後の石切集落が、やがて廃村となるらしいこと。何とも切ない話だった。
物凄い歴史的価値のある動画ですね。
良いところに目を付けてるな、と。
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真面目に撮影しているおかげで現地人へのリスペクトも感じます。
「今がいちばんいい」。よかった。観ている方も救われた。
日本の古き良き時代を垣間見たような気がします。
夏はよく遊びに行っていました。
祖母の家も映っています。
学校右手の川に向かう道が封鎖されているのに驚きです。
とてもいい所です。
車同士のすれ違いもほぼ出来ない道中ですが、本当にいい所です(´・ω・`)
夜は星がとても綺麗に見えます(´;ω;`)
アンドウさんの一言一言が胸にささりました。
観光地としてでは無く、現代社会から少し距離を置いて生きること、生活をするということを見直す場所として活かせればと感じました。
次回の動画も楽しみにしています。
そろそろ山蛭に襲われて慌てふためくオカヤスさんが見たいですね。
これから廃村になるのを止められないのはもどかしいですね。都市集中型から里に戻る人も増えて来ている所もあるので、末期になる前に、何とか手が打てたらいいのでしょうね。
お母さんみたいに達観しているのは、戦後間も無く嫁いで来て、全てを経験して、全てを受け入れて、何もかも流れに任せて、こだわりを持たない、真の人の姿なんでしょうね。
コメントありがとうございます!
お母様の経験に裏打ちされた言葉には学ぶべきことが多いです。
お久しぶりです。本当に、これが日本の奥深い農村の美しさでしょう。最後の住民の方との話、元気で93歳「今が一番いいわ」と言える人生…俺とは違うけど敬意持てる、、、とっても良かった最後の集落訪問、見せてもらって嬉しいね。僕は今、幕末約15年余の「逝きし世の面影」求めてレジュメまとめようとしてるので、心休める時にしかHistoricaさんに来られないかも知れないけど、あなた方の記録に感謝です。
<※俺の思いは「長期の平和な江戸」をぶっ壊した「明治維新史」を問うこと !! やっとNHK【新・幕末史】19月16/23日放映で”薩長史観”を塗り替える<大英帝国の日本侵略政策の上に「明治維新」があった>との、画期的なものでした。今までの”ヒーローのウソ(龍馬、西郷、勝ら)”です。>
どこぞのアホなRUclipsrが騒いで引っ掻き回すチャンネルじゃなくて、人の生活や風俗習慣をしっかりと伝えているドキュメンタリーチャンネルだと思います。
あちこち取り上げていただきありがとうございます。
historicaのおかやすさん・あんどうさんこんばんは~
今年で廃村になると聞くと寂しさや虚しさ感じますよね。
最後の住人の方にここでの生活とか貴重なお話聞けてよかったですね。
このおばあ様前向きな考えで素敵な方ですね。ケセラセラなるようになるって感じで・・・
貴重な体験ができよかったですね。次回の配信たのしみにしています。
コメントありがとうございます!
今回は住人の方の言葉一つ一つに学べることがありました。ご縁に感謝ですね。
おばあちゃんの話し方本当に落ち着く
京丸と合わせて貴重な画像の配信ですね。
最後の住人の方が、なるようにしかならん、と明るく話していたのが印象に残りました。
20年後、30年後、・・・という風に見れば、日本のあちこちで似たような風景があることが予想できる。ほんと日本における大問題の1つだよね。東京一極集中などを含め、多くの日本人が今考えなければならないわけだね。動画の提供に感謝したい。
日本の山を守ってきてださっていた方々が亡くなられ次々と廃村になるのは😅戦後植林した杉檜が大木になり手入れがされず山が荒れ災害を引き起こし、また太陽光パネルが至る所に😅山のカミが怒られる時が来る様な😅最後のおばあちゃんの、金魚❣️素晴らしいアイデアです❣️老いることに勇気を貰いました❣️🎉
配信、お疲れ様です。
まさに集落から人がいなくなるその直前にいらしたのですね。
ご高齢になられたので、山奥での一人暮らしはご本人もご家族も御心配だったでしょう。
住処は山の下になるけれど、娘さんたちと一緒だし、ちょくちょく帰ってこれるというのも、ご本人には安心材料でしょうね。
また一つ集落がなくなっていくというのはとても寂しいことですが、結婚以来ずっとこの土地で生きてきたおかあさんの表情を見ていて、集落も年老いてそして終わりを迎えたのだなと思いました。
次回の京丸集落も楽しみにしています。
これからもご安全に。
いつもありがとうございます!
今回は貴重な体験をさせていただきました。
お母様からは沢山のことを学ばせていただいたと感じております。
どっかで聞き覚えがある集落だと思ったら、Twitterのまとめで見た集落ですね。
その方は2020年の3月前後に訪れていたようですが、その頃はまだ4名ほど暮らしていたようです。
それから2年半ほどで1名になってしまって、もう間もなく消滅とは・・・・・・仕方ない事ですが寂しい事ですね。
コメントありがとうございます!
やはり高齢者だけが残される状態になると消滅まではあっと言う間ですね・・・。
自分が住んでる所にも限界集落が有りますが動画を見て話で聞くだけでなくリアルに感じることが出来ました
最後の住人に会えて良かったですね。家は管理する人が居なくなると朽ちるのが早いですね 藪に囲まれ朽ちてやがては倒壊してしまう なんか悲しいですね
最高の動画サイトだ
もっと映像に残して欲しい
資料的価値のある動画
情報発信ありがとうございます。
まさに消滅の瞬間ですね!
そしてTさんの年齢を感じさせない力強さにも驚かされました。
その貴重な瞬間に立ち会えるなんて本当に幸運に凄いことだと思います。
その場所に訪れて終わりでなく、その土地の歴史や文化を調べて紐解いて視聴する側に分かりやすく解説してくれるので、毎回楽しく拝見させて頂いてます。
コメントありがとうございます!
今回は本当に貴重な経験をさせていただきました。
ぎりぎりだけど、今回の映像は、大切なノンフィクションとして、記録映像として残してほしいですね。
素晴らしい動画でした。感謝。
とても感慨深いです。いい動画に出会えました。石切は集落として役目は終えますが、この間際に多くの人達の記憶に根付く事が出来たのがとても素晴らしく感じました。人々の記憶に残り続ける限りそれは途絶えないから。
とても興味深くて懐かしさが込み上げてきました。村がなくなるって寂しいことですね。どんどん時代が変わってるってことですかね
初めまして、オススメに出てきたので視聴しました。
私は遠州の生まれで子供のころから大人になるまで遠州で育ちました。こういった集落があったのは知らなかったのですが、都会に出てから久しく遠州弁を聴いて懐かしくなりました。(帰省の旅に家族とは話してるはずなのに…)
寂しいなという思いはありつつも、こうして記録に残してもらい、色んな人に見てもらえるのは良いことだなあと思いました。
本当は、誰しも自分の生まれた故郷で死ぬまで暮らしたいですよね。
最高です。お婆ちゃん達の言葉心に響きます
お疲れ様です♪
貴重な体験・動画をありがとう御座います。今まさに村が消えてゆく瞬間、最後の住人の明るい表情? 『なるようにしかならない、、、』 この無常観。滄海桑田、蒼海変じて桑田となる。ただ座して見ているだけで良いのか!?
今回もありがとう御座いました。
石切と冠するだけあって石垣が綺麗に組まれてて感心する
本物の自給自足って感じなのかな?
スーパーとかコンビニとかもない感じなんだよねきっと。
こういうところにアマゾンとか配達してくれたらこの人たちも生活楽になるのかなぁと思います。
貴重な動画をありがとうございます。
かわいらしいおばさま方ですね。
ふと思ったのですが、無住になってしまった地区への送電線や電話線は撤去されてしまうのでしょうか。再び住みたい人が現れたら、引き直してくれるのだろうか。
同じ市民として、過疎地が増えてしまうことに関しては何とも言えない気持ちです。
うぁぁ〜、
辺り、めっちゃ景色良きで気持ち良さそうな所ね🥺
そういえば自分の住んでる団地が、
昭和40年ぐらいに山岳地帯を潰して、
出来た団地だけど今はもう住人も80過ぎた人が多いのと、
孤独死が多いのでどんどん住人が減っているんだよなぁ…
自分が10年ぐらい前に越してきた時には、
自分の部屋のある棟の2階、3階、
右隣などの家には住人がいたけど、
皆死んでしまったなぁ…
抜け殻アート、ポップコンアート、最高!! 現地の年配の方のお話はやはり面白いですね〜。また突撃取材を楽しみにしています(^^)
春野町は知ってたけど、この3つの集落は知らなかった。
もう誰も住まないのかなあ。
以前、春野町だと思うけど築数百年の古民家を売り出しているのを見て、興味をもったのね。
古民家再利用も考えたけど、誰もいなくなっちゃうなら寂しすぎるからなあ。
会社勤めに疲れ果てた人、定年退職した人、ゆっくり人生を生きたい人...そんな人々がこの様な集落に移住し、
適度に維持出来る様に、県、市、町から支援して欲しいものです。若い人達にはその子供の教育があって難しい
でしょうけど、もう残りの人生は自然体にと希望する人は多いんじゃないでしょうか。都会、近郊、隣と棟続きの
様な押しつぶされて自然の営みと無縁のそんな生活をする必要のない人達には、そんな生き方が出来る社会で
あって欲しいものです。
って事はおそらくあなた達が最後の正式な訪問客って事ですかね。
この先も人は来るだろうけど、それは誰かを訪ねて来た訳じゃなくてただ来ただけ。
一つの集落が無くなるのは、本当に悲しいことです。家屋が昭和を感じさせるので、とても良いです。できれば移住したいくらいです
冒頭の学校跡の銀杏めっちゃいい環境作ってますね!
早春の3月に再訪すると確実に黒モリーユ(トガリアミガサタケ)見れます
オカヤスさんの笑顔に惹かれてチャンネル登録させてもらいました。頑張られて下さい。
チャンネル登録ありがとうございます!
さみしくなります😢
山奥の過疎集落で暮らす高齢者は、ある意味たくましさを感じます。このまま廃村になるのは残念ですね。
日本の現状が良くわかります👍
テレビ番組でもありますが、山の中の1軒屋で、おばあさんのひとり暮らしで周りは既に誰もおらず、
そのおばあさんも子供らの住む下界に行ったら廃村ってのは数多くありますね。
大変ですね!生意気かもしれないけど 中国関係には土地とか含めて売らないで欲しいです
もったいないなぁ。こういう暮らしをしたい人は現代には多いと思うし今なら挽回がききそうな気がするんだけどなぁ。インフラも整ってるし。
現実は、スローライフどころか雑用天国。周りの手伝いを全てやれと言われ、消防団に絶体加入しろと言われ、地域の意図に少し背いたら村を一発で追い出される(私の親戚は村で酷いイジメを経験した様です)。
最後の住人の方の話を聞いて強く想いました。故郷は、無くしては、ダメなんだと!
趣味はとても大事ですね!
今回も貴重なお話をありがとうございました。廃村の現実を目のあたりにして哀しい気持ちになるのは同じ。山村によくある「しいたけ栽培」のイメージはもっててほしかった(画像検索でもしてね)。荒れ地にホダ木が朽ちていれば「ここでシイタケをやっていたな」とわかります。他にも里山でよく目にするのが「炭焼き窯」の跡とか。きっとこれからも廃村を巡られると思うので、取材中に「どんなものだろう?」と思ったことは調べて今後の糧(かて)にしていくと見る目ができてくると思います。いつも動画をありがたいと思って期待しています。
コメントありがとうございます!
まだまだ学ぶことがたくさんですね。
1時間のお話全部を、文字に起こして、読めるようにしていただけたらと思います。貴重な記録ですから。
@@user-ve5rr9bl4i インタビュー部分は9分ぐらいしかありませんので。
動画配信ありがとうございます😊
このナレーションは、何を使っているのでしょうか?
こういった廃村寸前を見ているとある時期から「出て行った者勝ち」みたいな事になってしまったんでしょうね。二度と復活しない、元住人しか記憶残らない。こんな場所日本中に有りますね。
移民を受け入れても都市に行きたがる、なかなか地方に住みたい外国人がいない
廃村・限界集落の動画での案内ありがとうございます。他の動画でタイヤのパンクを見たのですが、林道を走るにはジャッキの搭載は必須でないでしょうか?
14:23 あたりの緑の字幕は『良い時もあっただら?』かもしれません。遠州弁で語尾に“だら”が付きます。
住民の方のしゃべりに元気をもらいました。貴重な記録ありがとうございます!
切ないですね・・・。『なるようにしかならん』確かにそうかもしれないけど、でも本来ならばそこで命尽きる瞬間を迎えられるような、そんな良い人生であってほしかった・・・。
貴重な資料映像ですね。RUclips時代バンザイ!
たとえ誰もいなくても、かつて誰かがその場所にいた。そのことさえ忘れなければ、きっと報われるんだろうな。
石切は、くさびを打つポイントがあり、かなり体力が入りますね!危険な仕事かも知れません。
京丸小俣は一度行ってみたいと思っていた場所なのでこの動画は大変参考になります。過去の訪問記などを見たところ京丸より小俣へ行くのは大変だと書かれていたのですが如何だったのでしょうか。次の動画を楽しみに待ちたいと思います。
コメントありがとうございます!
おっしゃる通り道の険しさは断然小俣の方が過酷でした。
なんとまぁ…。私も当時、近く?の佐久間に住んでて
縁あってここには30年くらい前に行った事があります。
まさか石切もこんな事になってるとは…😥
何時もいい動画ご覧いただけありがとうございます。悪いな、君たち、少し手を延びて、廃村、消滅くらいの地方自治体との話し合い上で、空き家の自由に利用できるなら、君たちの功績がある、助けるように、素晴らしい度々でしょうか。
いや…まぁ…ここはしゃーないよ…と。いい動画+切ない動画でした…
田舎の炭焼き、炭作りは、たのもしいですね!焼きガマも技術的ですよね!沢山炭を出荷する過去もあったと思います。
何気なく見たら誕生日同じでした…🎉
ここから山を越えた愛知県の奥三河の村も廃村になったり人口減少により、伝統芸能である花祭りが出来なくなった地域が増えている。
東栄の辺りですね。私も30年ほど前に通学してました。😅
蛇の抜け殻の寿www 蛇は不老不死の象徴でもあるものね。
地方切り捨て、大都市集中の役所、公共施設、企業と少子高齢化が多くの限界集落が生まれる結果となった。日本全国を見てこんな歪な国家でいいのだろうか。地方衰退は仕方がないと今から諦めている政治。
お二方にとっては当たり前なのかもしれませんが、単なる興味本位の動画ではないんですね。
人の営みや集落に対するお二方の敬意を感じたので、チャンネル登録しました。
私の田舎も同じ道を辿ろうとしていることもあって、いくら当のご本人様が明るく前向きでいらっしゃるとはいっても、胸が締めつけられるような、もどかしい思いで拝見しました。
何度か「誰もいなくても帰りたい」と思って計画立ててワクワクしても、結局、お金が…とか今の仕事が…とか、本家筋じゃないから…とか、できない理由のほうを選んでしまいます。
寂しいなあ。
おお 京丸ですね わくわくです ありがとう!! いつ行かれたのですか??
コメントありがとうございます!
10月に行ってきました。
廃集落の離村者に深い縁があると死者を晒すようなものを観ている気持ちになります。作者ならびに観ている方、皆様社会への関心とか同情の裏にある好奇の視線がやがて御自身に向かわないそのうちに、産業を興し地域を再生する方に関心も行動も持って行って下さい。
テレワークが主流になるとこういう集落に需要ができるかもしれないけど
小人数だとインフラの維持が無理過ぎるからなぁ
浜松市天竜区は大嵐駅近くの夏焼集落に何度か行った事がありますが、そこから近いですか?
ここは大嵐から見たらだいぶ南東側になりますよ😅
7~80kmくらいは離れてるかなぁ。