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今回の大河を見るまで義経や木曽義仲等の従兄弟や兄弟を殺しまくる理由がわかってなかったのですが、こちらの動画を見て、何代も前から同じことをしていて頼朝にとっては自然な流れだったと言うことがよくわかりました!恐ろしいけど
甲斐源氏の祖となった源義光は兄の義家思いだったんですね。自身が赴任地の甲斐に行き兄義家との別れを惜しみ笛を奏でたという話は有名ですよね。わかりやすい解説もさることながら、ナレーションの声も素敵です!ありがとうございます🙇
我が町、兵庫県川西市が清和源氏発祥地。毎年4月第2日曜、「源氏まつり」という多田神社に祀られる満仲公、息子の頼光・頼信・孫の頼義、八幡太郎義家の四公をはじめ、頼朝・義経・義仲・足利尊氏・新田義貞・武田信玄などの各公たち、源氏オールスターズや、常磐・巴・静の各御前らの懐古行列が練り歩くイベントが開催されます。今年もコロナ禍が災いして、オールスターズはバッサリカット(せっかく「鎌倉殿の13人」やってるのに)💦 義経は牛若丸で出てた模様です(弁慶らしいのがいたので)。
今回も深掘りが素晴らしい。頑張ってください。
いくら祖先が同じといっても、後の世代になるほどそれぞれが独立した領地を持っていればそりゃ一族そろって仲良しこよしとはいかんよなあ。これと似たようなケースでも領土が広大であったがために緩やかな連合解体に進んだのがモンゴル帝国、でも源氏は領土が狭かったために小さな領地と権力の取り合いが起こり、そして滅んだ。
モンゴルは別に広かったからじゃないよ。分裂しやすいのは遊牧国家の特徴。
現代日本人の感覚だと、「木曽、武田、佐竹」と苗字を名乗って居た武将が頼朝と「源氏の棟梁」を争う立場と言う感覚は薄かったですが、頼朝と違ってその地に根を張って大きな勢力を築いているので、頼朝よりも優位な立場でも有ったんですよね。
そっちが勝って嫡流になったらそっちがミナモトを名乗って頼朝は伊豆頼朝とかになってたかも知れない
伊豆頼朝…何とも言えない小物感ありますね…笑
そっちの世界線だと無謀な挙兵して石橋山であっさり戦死した人で終わりですからねえ
頼朝は流人出身だから仕方がない
新田義重が頼朝に帰順するのが遅かったのも、義重自身が自分を本流だと認識していた(同系統に足利、渋川とかがいるけどいずれも弟の家系、義重が長男)ゆえですからね。
有難うございます。
足利尊氏と直義兄弟が争って長期の広域の戦乱になったことに比べると、源頼朝が治承寿永の乱の間だけ (戦上手なだけ?の)義経を利用し、乱が終わったらさっさと切り捨てた事や、ちょっと怪しげな言動があっただけで範頼を切り捨てた事を、国民は感謝すべきなのかもしれない。義高(木曽義仲の子)が殺されたことについて、多くの人は、「可哀そうだが仕方が無かった」と考えるように、範頼・義経も、そう考えるべきなのではないだろうか。
義家3兄弟の不仲は異常。源氏らしいといえばそうだが
頼朝の子孫を皆殺しにして収めたのに、足利や新田が出て来て振り出しに戻る
また源氏が活躍するから凄いですね
| ε:)足ε:)ε:)ε:)利ε:) ニョキニョキ
頼朝は源氏勢力をまとめた功績はありますが、頼朝は板東八平氏の力で天下を握った関係で死後当然とも言える北条・三浦・上総などの台頭をゆるすこととなり結局意味はなかったと思います😅私の先祖も河内源氏ではありますが代々都に住む関係で摂津源氏に仕えた関係であり、この動画は末裔としては少し耳が痛いです😅
うちも河内源氏ですが、親戚同士仲良くやっとります
私は藤原北家御堂流の分家の分家のそのまた分家の分家の…ですが道長や兼通のように一族のものを追い落としたりはしてないw
同じ源氏でも家と所領が違えば敵みたいなもの
皮肉にもこの源氏の伝統は執権北条氏に引き継がれてしまいます
棟梁は源氏だけど傘下の武士団は平氏や藤原氏
源氏って言ってもいろんな源氏がいるからなあ、全般的にそうなのかなあ?うちは近江系の源氏(佐々木氏)になるとかいうけど、今もそんな感じだったら兄弟いるし怖いなあ
昔は家督を継ぐかその他になるかで天と地ほどの差がありましたからねえ、旗本の次男三男は部屋住みで結婚すら出来ない今は農家とか親の方が子供に継がせたくないって言うご時世ですから
この動画を見て、何か思いつくことがあった。「義経」の「義」の字のつく名前の先祖が朝廷から官職をいただき、東国で力をつけてきた源氏勢力が争った過去があることを「頼朝」が知っていたとしたら、「頼朝」と「義経」の兄弟の争い別な見方ができるなという事です。「義経」は先祖の名の字を自分で見つけ自分で元服の際の冠名を付けたとされているが、この事を知っていたのならば、他の源氏勢力が危ういと思った者もいたのではと推測される「義」の字を自らの名として使う事は慎重な者ならば避けたかもしれないが、「義経」の冠名は自ら付けたものであり、昔の人は現代人より、早熟であり今の20歳の若者よりも昔の元服は15歳だけれども今の成人より大人ではあるが、「義経」は冠親ではなく自ら付けたものであり、仲間内の雑談の際に名の由来の話が出ても不思議ではない。ましてや、昔関東武士団と争った者に憧れ自らの名に先祖と争った者の名を付けた者、いつか自分たちと争う存在だと思われたとしても不自然ではないのかもしれない。名づけは自ら付けるのは危ない行為なのかもしれないね。
凄いですね。何世代にもわたって血で血を洗う内輪揉め。よく平家を滅ぼせたものです。家系図と照らし合わせながら、解説を聞くとよりわかりやすいかも。 すくなくとも歴史の授業よりは面白い!
敦盛のシーンも入れて欲しかった…。
大河では完全にスルーされましたね…義経の武略を強調するためには仕方ないでしょうが…
@@rekishock はい💦17回で戦の続きかと思いきや、恩賞の話からでガッカリです("'._.)
最近、鎌倉殿を見たあとは親友と愚痴合戦になります😔人の闇について考えさせられる反面ドラマになっていますね🙄
信濃源氏もお願いいたします
源氏の血統足利氏が15代続いたのが奇跡的なくらい。途中から細川や三好といった有力大名の傀儡政権になってしまったのが、かえって良かったのかもしれない。
だから似非源氏の徳川が15代続いて現代でも存在している。
ここら辺の話を知ってるつもりでしたが、源氏系に北条得宗や籐氏氏の長者の相続に該当するモノがないことと、何故北条氏が得宗の相続に一族が会議する事態が存在したのかが何となくわかる気がしてきました。頼朝は頼義を自分の祖のように扱い、武神義家をあまり評価しないのは、後三年の役の失態にあり、ひょっとしたら義家の死去をきっかけに殺し合うようになってるので、本当に微妙な人物が義家だったのかも。
正当な歴史観が息ずいている。他のサイトとは一味違う。
ありがとうございます!
近年の学説では、為義は義家の子とされていますな。
頼朝があと10年生きてたら、北条執権政権はあり得たのか?興味深いですね
頼朝が10年生きている間に、頼家への権限移譲も進み、外戚の比企一族の勢力がさらに拡大しそうなので、仮に将軍が力を失ったとしても北条氏が超えなければいけないハードルは高くなりそうですね。
水源争い と 水道民営化
父親が同じというだけの気持ちは他人。源氏だけが身内争いをしていて、平家は身内同士の争いがないという見方はとても一面的です。人間に欲望がある限り、源氏の血筋とか平家の血筋など関係ないですよ。現代風に言えば、暴力団同士の縄張り争いと同じでしょう。承平天慶の乱の平将門は平家同士の身内争いなわけだし、平将門自身も身内の平貞盛に討たれて死んだ。もとはと言えば、天皇家の放漫財政のつけが回ってきて、嵯峨天皇が維持にお金がかかる国軍や警察組織を廃止してしまったことによるんです。反乱鎮圧のためにあるはずの国軍を廃止し、犯罪を取り締まる警察組織を廃止してしまったら、一般庶民は武装して自警団を作るしかない。それが武士の始まりでしょう。坂東の武装開拓農民が坂東武者となり、瀬戸内海の治安を守るはずの藤原純友は自ら海賊となり都へ供物を送る船を襲い武士化していく。武士が教養ある読書階級となるのは江戸時代後半なのであって、弓矢刀槍を携行している連中を一般の庶民は恐怖の対象なのであり、現代庶民がヤクザを見る目と同じだと思えます。
Wait a minute... these aren't... these aren't my black thug cookies! I thought you were-... I thought you were meant t-.... RAAAAAAAAGH
こんにちは。
良かった、うちの家系は源氏は源氏でも、村上源氏やから関係ない、清和さんとは違うで。南朝側についてちょっとだけ頑張ったんや。北畠くんや佐々木さんがお友達や。
農業が発達して、余剰なカロリーを消費するため。
人への恐怖は、自分が行ってきたことの裏返しだから、自業自得なんだ。
源のなにがしばっかりで頭の悪い私はさっぱり理解ができなかった!
今回の大河を見るまで義経や木曽義仲等の従兄弟や兄弟を殺しまくる理由がわかってなかったのですが、こちらの動画を見て、何代も前から同じことをしていて頼朝にとっては自然な流れだったと言うことがよくわかりました!恐ろしいけど
甲斐源氏の祖となった源義光は兄の義家思いだったんですね。自身が赴任地の甲斐に行き兄義家との別れを惜しみ笛を奏でたという話は有名ですよね。
わかりやすい解説もさることながら、ナレーションの声も素敵です!
ありがとうございます🙇
我が町、兵庫県川西市が清和源氏発祥地。毎年4月第2日曜、「源氏まつり」という多田神社に祀られる満仲公、息子の頼光・頼信・孫の頼義、八幡太郎義家の四公をはじめ、頼朝・義経・義仲・足利尊氏・新田義貞・武田信玄などの各公たち、源氏オールスターズや、常磐・巴・静の各御前らの懐古行列が練り歩くイベントが開催されます。
今年もコロナ禍が災いして、オールスターズはバッサリカット(せっかく「鎌倉殿の13人」やってるのに)💦 義経は牛若丸で出てた模様です(弁慶らしいのがいたので)。
今回も深掘りが素晴らしい。
頑張ってください。
いくら祖先が同じといっても、後の世代になるほどそれぞれが独立した領地を持っていればそりゃ一族そろって仲良しこよしとはいかんよなあ。これと似たようなケースでも領土が広大であったがために緩やかな連合解体に進んだのがモンゴル帝国、でも源氏は領土が狭かったために小さな領地と権力の取り合いが起こり、そして滅んだ。
モンゴルは別に広かったからじゃないよ。
分裂しやすいのは遊牧国家の特徴。
現代日本人の感覚だと、「木曽、武田、佐竹」と苗字を名乗って居た武将が頼朝と「源氏の棟梁」を争う立場と言う感覚は薄かったですが、頼朝と違ってその地に根を張って大きな勢力を築いているので、頼朝よりも優位な立場でも有ったんですよね。
そっちが勝って嫡流になったらそっちがミナモトを名乗って頼朝は伊豆頼朝とかになってたかも知れない
伊豆頼朝…何とも言えない小物感ありますね…笑
そっちの世界線だと無謀な挙兵して石橋山であっさり戦死した人で終わりですからねえ
頼朝は流人出身だから仕方がない
新田義重が頼朝に帰順するのが遅かったのも、義重自身が自分を本流だと認識していた(同系統に足利、渋川とかがいるけどいずれも弟の家系、義重が長男)ゆえですからね。
有難うございます。
足利尊氏と直義兄弟が争って長期の広域の戦乱になったことに比べると、源頼朝が治承寿永の乱の間だけ (戦上手なだけ?の)義経を利用し、乱が終わったらさっさと切り捨てた事や、ちょっと怪しげな言動があっただけで範頼を切り捨てた事を、国民は感謝すべきなのかもしれない。
義高(木曽義仲の子)が殺されたことについて、多くの人は、「可哀そうだが仕方が無かった」と考えるように、範頼・義経も、そう考えるべきなのではないだろうか。
義家3兄弟の不仲は異常。源氏らしいといえばそうだが
頼朝の子孫を皆殺しにして収めたのに、足利や新田が出て来て振り出しに戻る
また源氏が活躍するから凄いですね
| ε:)足ε:)ε:)ε:)利ε:) ニョキニョキ
頼朝は源氏勢力をまとめた功績はありますが、頼朝は板東八平氏の力で天下を握った関係で死後当然とも言える北条・三浦・上総などの台頭をゆるすこととなり結局意味はなかったと思います😅
私の先祖も河内源氏ではありますが代々都に住む関係で摂津源氏に仕えた関係であり、この動画は末裔としては少し耳が痛いです😅
うちも河内源氏ですが、親戚同士仲良くやっとります
私は藤原北家御堂流の分家の分家のそのまた分家の分家の…ですが道長や兼通のように一族のものを追い落としたりはしてないw
同じ源氏でも家と所領が違えば敵みたいなもの
皮肉にもこの源氏の伝統は執権北条氏に引き継がれてしまいます
棟梁は源氏だけど傘下の武士団は平氏や藤原氏
源氏って言ってもいろんな源氏がいるからなあ、全般的にそうなのかなあ?
うちは近江系の源氏(佐々木氏)になるとかいうけど、今もそんな感じだったら兄弟いるし怖いなあ
昔は家督を継ぐかその他になるかで天と地ほどの差がありましたからねえ、旗本の次男三男は部屋住みで結婚すら出来ない
今は農家とか親の方が子供に継がせたくないって言うご時世ですから
この動画を見て、何か思いつくことがあった。「義経」の「義」の字のつく名前の先祖が朝廷から官職をいただき、東国で力をつけてきた源氏勢力が争った過去があることを「頼朝」が知っていたとしたら、「頼朝」と「義経」の兄弟の争い別な見方ができるなという事です。「義経」は先祖の名の字を自分で見つけ自分で元服の際の冠名を付けたとされているが、この事を知っていたのならば、他の源氏勢力が危ういと思った者もいたのではと推測される「義」の字を自らの名として使う事は慎重な者ならば避けたかもしれないが、
「義経」の冠名は自ら付けたものであり、昔の人は現代人より、早熟であり今の20歳の若者よりも昔の元服は15歳だけれども今の成人より大人ではあるが、「義経」は冠親ではなく自ら付けたものであり、仲間内の雑談の際に名の由来の話が出ても不思議ではない。ましてや、昔関東武士団と争った者に憧れ自らの名に先祖と争った者の名を付けた者、いつか自分たちと争う存在だと思われたとしても不自然ではないのかもしれない。名づけは自ら付けるのは危ない行為なのかもしれないね。
凄いですね。
何世代にもわたって血で血を洗う内輪揉め。
よく平家を滅ぼせたものです。
家系図と照らし合わせながら、解説を聞くとよりわかりやすいかも。
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源氏の血統足利氏が15代続いたのが奇跡的なくらい。
途中から細川や三好といった有力大名の傀儡政権になってしまったのが、かえって良かったのかもしれない。
だから似非源氏の徳川が15代続いて現代でも存在している。
ここら辺の話を知ってるつもりでしたが、源氏系に北条得宗や籐氏氏の長者の相続に該当するモノがないことと、何故北条氏が得宗の相続に一族が会議する事態が存在したのかが何となくわかる気がしてきました。
頼朝は頼義を自分の祖のように扱い、武神義家をあまり評価しないのは、後三年の役の失態にあり、ひょっとしたら義家の死去をきっかけに殺し合うようになってるので、本当に微妙な人物が義家だったのかも。
正当な歴史観が息ずいている。他のサイトとは一味違う。
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近年の学説では、為義は義家の子とされていますな。
頼朝があと10年生きてたら、北条執権政権はあり得たのか?興味深いですね
頼朝が10年生きている間に、頼家への権限移譲も進み、外戚の比企一族の勢力がさらに拡大しそうなので、仮に将軍が力を失ったとしても北条氏が超えなければいけないハードルは高くなりそうですね。
水源争い と 水道民営化
父親が同じというだけの気持ちは他人。源氏だけが身内争いをしていて、平家は身内同士の争いがないという見方はとても一面的です。人間に欲望がある限り、源氏の血筋とか平家の血筋など関係ないですよ。現代風に言えば、暴力団同士の縄張り争いと同じでしょう。承平天慶の乱の平将門は平家同士の身内争いなわけだし、平将門自身も身内の平貞盛に討たれて死んだ。もとはと言えば、天皇家の放漫財政のつけが回ってきて、嵯峨天皇が維持にお金がかかる国軍や警察組織を廃止してしまったことによるんです。反乱鎮圧のためにあるはずの国軍を廃止し、犯罪を取り締まる警察組織を廃止してしまったら、一般庶民は武装して自警団を作るしかない。それが武士の始まりでしょう。坂東の武装開拓農民が坂東武者となり、瀬戸内海の治安を守るはずの藤原純友は自ら海賊となり都へ供物を送る船を襲い武士化していく。武士が教養ある読書階級となるのは江戸時代後半なのであって、弓矢刀槍を携行している連中を一般の庶民は恐怖の対象なのであり、現代庶民がヤクザを見る目と同じだと思えます。
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こんにちは。
良かった、うちの家系は源氏は源氏でも、村上源氏やから関係ない、清和さんとは違うで。南朝側について
ちょっとだけ頑張ったんや。北畠くんや佐々木さんがお友達や。
農業が発達して、余剰なカロリーを消費するため。
人への恐怖は、自分が行ってきたことの裏返しだから、自業自得なんだ。
源のなにがしばっかりで頭の悪い私はさっぱり理解ができなかった!