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非常に興味深い内容でした。人は自由を求めるけど、自由も疲れるので支配されることも求めるんだなと感じました。民主主義がシステムではなく、思想であり、思想がないとすぐダメになることが驚きでした。日本も厳密には民主主義が機能していると言えない状況だと言うことも気づけました。そして、民主主義は発展途上でまだベストな方法でもないことも発見でした。他の回を含め、いつも楽しく聞いております。これからも興味深い内容を楽しみにしております。長文失礼しました。
社会主義は理想論だという言説をよく聞くけど、民主主義の実践にも自律していて理性的な人間という理想的(モデル化された)存在が想定されているんだなぁ
本当にこのシリーズをやっていただき、ありがとうございました。よく分からない理論をよくわからずに運用している事実を噛み締めています。憲法についても触れていましたが、そういえば個人として日本国憲法を承認した覚えはありません。法の根幹から国民が主体的な意思を持って何ら関与していない事は合意形成のうえで大きな齟齬を生む一因かも知れないなと思いました。政治哲学を教育過程でしっかり学び、成人を期に現行憲法に対する是非を問う機会(非が過半数だったら国会審議するなど)が有れば国の政治に参加をしているという実感を持たせられるのかも…という素人考えが浮かびましたが、それはそれで新たな問題を生みそうですね。
ムスタファ・ケマル・アタテュルク!ハンニバルやカエサル、玄奘、最澄&空海などの時のようにワクワクするビッグネームですね!今から楽しみです♪
結局は一般意志というフィクションをみんなが共有しなければならないという話で、その意味で、「民主主義は信仰」というのは全くその通りだと思います。民主主義は信仰だというアナロジーで考えると、聖典が一つしかない宗教にも無数の宗派が存在するように、一般意志を絶対とする民主主義にも様々なありかたが存在し、そこに絶対の正解は無いということが言えますよね
決める、「Decide」は「決心する」「決定する」という意味の動詞です。「Decide」の語源はラテン語の「decidere」で、「切り離す」を意味します。様々なものを切り落としていって最後に残るものが「決定」ということになります。sideは切る。漢字では王の語源は首を切るか切らないか決めるマサカリをあらわしてる。
代議士がシステム的に選挙に注力しがちという指摘は傾聴に値する。その上で、現在の日本の選挙に関する法律(公職選挙法や政治資金規正法等)は、さらに恣意的にその傾向を強化していると思う。一度でも選挙活動の当事者になればわかる事だと思うが、「政治家は選挙できる金だけ渡しとくから選挙だけしておけ!」「政策を研究する予算も時間も与えないから、政策なんて分からんだろう!だから名前だけ連呼しとけ!」なシステムになっている感じだ。なぜそうなっているのか?私は、官僚機構やその先にいる宗主国など、選民が「国民主権」の建前の影に隠れて支配するシステムなのかなと感じている。日本のほぼ全ての議会は、行政を兼ねるシンクタンク(政策立案機構)が提出する法案を追認するだけの機関になっている。この日本で「民主主義」を考察するには、もっと日本の現状をフィールドワーク的に観察しながら、過去と比較して客観視する必要があるかもしれないと思う。
ものすごく単純だけど、他人に迷惑をかけないというのが大切だなと思った。人の土地を奪わない、人の物を取らない、誰かに不遇や嫌なことを押し付けない、人の悪口を言わない。昔から言われる「人にされて嫌なことはしない」というのは、巡り巡って自分の自由の担保につながるんではないかな。
「民主主義」が理想的なシステムでは無いという事は個人的に随分と前から気付いていましたが、現代人の私達が生きている今の世界のOSを形成する思想的要素の一つだとよく分かるシリーズで、とても興味深い内容でした。過去のシリーズ(特に第一次大戦や日露戦争、資本主義など)を聞き直しながら拝聴しました。そうしたくなりました。国民国家&資本主義&民主主義は、理想的にというよりは環境の変化と歴史的偶然性の積み重ねでこうなってしまった、過去の時代のOS(欧州のキリスト教会世界や、日本の律令制&国家仏教&呪術世界など)と特段の優劣は無いもので、この三つは組み合わせとして他と変えづらいのだという事も、イメージしやすくなってきました。今後もループのように積み重なっていくであろうシリーズを楽しみにしています。頑張ってください。
政治や社会のあり方を考えるとき、「ヒトラー前」「ヒトラー後」という視点が大切だと思いました。ヒトラー後を生きる私たちは、法や制度を作るとき、「ヒトラーがトップに立ってもあの歴史を繰り返すことができない仕組み」を常に考え続ける必要があると思います。権力を盲信すると、簡単にディストピアに連れて行かれることを、皆が自覚していない民主主義は、本当に危ういです
サムネでヤンヤンが”Just do it”かー。考えさせられる。
ハンガリーはオルバン政権がロシア寄りなだけで、国民は民主主義を願っているのですけれどね…。私の友人のハンガリー人達は全員そうです。
戦後、文部省が中高生のために作成した『民主主義』という教科書があるのだが、もう一度、科目としての民主主義を復活させる必要があると思う。
最後のまとめを聞いて、体重管理は健康維持に欠かせないけど(対案はない)、続けることは難しいという問題に似ているかもと思いました。
ものすんごい確信をついてる気がします
率直な感想ですが、積極的に自治会に参加する住民たちのエリアじゃないと機能しないな民主主義って感じです。
ヨーロッパでは、ルソーの生まれたスイスが一番民主主義的だと思いますが、特殊な地形と小国だからできるんでしょうね。ワイマール期でなくても、自由を手放してカリスマに縋りたくなる人はいっぱいいると思うし、人が感情で動くから、国家を監視する憲法が大事なのがよく分かりました。いつかロシア革命、聴きたいです。
マジでなぁ、、世間の話凄く共感です😭
試行錯誤の歴史を持つフランス在住ですが、興味深く拝聴しています。現在フランスを含むEU諸国(ポルトガルは除いても良いかも)の民主主義は宗教対立によって脅かされています。特にフランスは教育現場で教師は命がけで授業している状態です。フランスの教育内容がある種の宗教の教義と合わないのでそれに対しての見返りが教師に対してという事件が起きています。フランスのメディアは容疑者が○教徒だとわかる指名もしくは出身国だと忖度して公表しなくなりました。(フランス人が忖度するなんて😅)宗教形態(カトリック教会なら法王を頂点にするピラミッド形態、民主主義からは程遠いと思われますがどこの宗教も同じ様な形態だろうと思います。宗教と政治は分離している筈なのですが昨今ある種の宗教色が強く教育現場や職場に現れています。40年前にも教育現場での宗教を持ち込むことに対しての議論はありましたが、今ほどではありませんでした。フランスははとても大切な科目で高校から授業科目としてあります。高校卒業資格試験のバカロレアにも入っています。が、現在のフランスを眺めている3人の子供をフランスで育てて4人の孫のいる人間としては「なんかヤバそうだけど生き残れよ」という感じです。たぶんコレって日本じゃ「なにソレ」って考えられないと思います。日本で生まれて教育を受けて何年もフランスにいる私でさえ「何ソレ」と思ってますので、 民主主義って脆いですね。ということで民主主義って何?という問いかけに戻って今この動画を追っかけています。違う話ですが、については体感してます。コレに関しては世界中に住んでいる日本人に自分の体感コメントもらったら興味深い結果がみられるのではないでしょうか。追伸真夜中にコメントして間違えが多かったので修正しました。
日本の場合は自民党内に派閥があって、その派閥が政策決定や立法での必要人材になるから国民が投票して選んだ政治家の意思よりも派閥の総意が重視され、結果が民意と乖離したと思う
この話の一ヶ月後にまさか派閥制が無くなるなんて。。
@@grassygrow8342 まあ油断できないかな口で派閥なくなりましたと言って実はあるかもしれないそもそも政治資金規正法が出来た時も田中角栄の金権政治批判を受けて作ったし実際は政治資金パーティーを利用して献金受けていたからね
〜青二才の感想(やや悲観的なので、反対意見歓迎です)〜自然科学の領域では、ゲノムを解析したり、AIに学習させたり、陽子を衝突させたりしている人類ですが、社会科学はバイアスが掛かりまくる上に、実証実験も困難なので非常に進歩が遅いですよね。ここからは私の空想ですが、自然科学と社会科学の進歩スピードの圧倒的な差によって人類は絶滅寸前レベルに陥るのではと思っています。自然科学の最先端が「青銅器」とかだった時代は、その使い方を誤ってもそこまで大きな影響はないですが、今は「AI」「遺伝子技術」「核技術」などがあるので、扱いを誤ったら終わりです。こうした超有用かつ超リスキーな技術に対して、民主主義のなかで常に素早く正しい判断ができる気が全くしません。(現に、環境問題に目を瞑って目先の利益を取りがちな我々です。。)科学者が警鐘を鳴らす傍らで、国は誤った政策を民主主義的に選択し続けて、科学者や、科学的なコンセンサスを信じる市民が「あ、これ人類終わるやつや。」と分かっているなか、世界が破滅していくような地獄絵図がそう遠くないうちにやってくるのでは、と悲観的になっている今日この頃です。
歴史的な転換が加速度的になってきており「期限が迫っている」という事はとても怖いですね。
現時点の日本で一般市民全員が民主主義についてほっとかずに考え続けるのはやっぱ無理だよねぇ。教育によって将来的にというのは分かる。でも少なくとも現役世代の考え方って全部は変わらない。身近な話だとうちの旦那はたぶんこういう議論は好きじゃない。だから無駄だと言うつもりは毛頭なくて、だからこそ草の根的な啓蒙活動に意味があるし、自分も勉強し続けないといけないなと思う。あと、無謬性の原則ってのが本当に行き過ぎてるなと思う。この間なんか官房長官が更迭されたけど、そんな大事な職についてる人が世間との関係ですぐに更迭されるのってどうなの?って思う。その人じゃないと出来ないことがあるかもしれない。もちろん政治資金問題は重大な問題だとは思うし、だからこそ重大な職からすぐに退くべきという意見もわかる。結局官僚が政策を作ってるんだから頭領をすげかえても問題ないとも思うが。
配信ありがとうございます!
丸山眞男の『「である」ことと「すること」』を想起しました
怠けたい気持ちから解放されて、簡単にベストな行動を取れたら自由で楽しい
これまで民主主義がちゃんと機能したことはないのでしょうね、そして、それを改良しようとしても政治家や既得権益者が邪魔をして変わることはない🤔誰もが監視できるようにしたAIがトップの方がましかもですね~
大企業とかお金持ちに裏金を貰って既得権益を守るムーブを続ける政治家がいっぱいいる国の全国民に聞かせてあげたい内容ですね。
直接民主制ですか?……全然違います。のくだり好き。
民主主義と関係ないかもしれないが、私がアメリカいた時、 持ち込みパーティーを経験した。参加者が、適当に何か飲み物とかスナックを買って持ち込み、それをみんなに配って盛り上がるという形式で、アメリカでは一般的ではないかと思う。あと、プレゼントの値段の上限を決めて、クリスマスでゲームをしながら、このプレゼントの争奪戦をするという趣向のものもあった。また、経験はないのだか、まずパブで一人のひとがみんな一杯奢る。そして二杯目を、他の人が奢る。みんながみんなに一杯奢るところでお開きになるらしい。大人数でいけば、みんな酔っぱらいになる。 日本に帰り、アメリカの持ち込みパーティーをやってみた。意外に上手くいって、宴会は盛り上がった。日本だと、友達なら割り勘、デートなら相変わらず男もち、会社の宴会なら、上司の奢りか、多めに出すのだろうと思う。なんとなく、決まっている。私の友人は、飲み会は基本的に自分の奢りにしているといっていた。後輩と飲むことが多いせいだろう。友達に奢るのは、止めた方がいい。友達ではなくなるから。
人間がそんな御高尚な存在になれるのか…?っていうのが、底辺高校で教育に従事している身としての感覚ね。
果たしてすべての人類が自由を求める世界が来るのか、、。
狭い地域や支持母体から当選しながら、全国民の代表をしないといけない。これだと国全体よりも当選させてくれた地域に対しておもねる。あとは、直接民主主義が理想(ルソーも述べている)だが、人口1億以上の国では実際の実現となると、、、という話があった。全く同意。自分は最近思うのは、国は大きければ大きいほど良いものなのだろうか?という根本的な問い。これは他いくつかの国々にも言えるのだが、日本という国は、人口・領土ともに今のサイズがベストなのだろうか、大き過ぎやしないか。そもそも今の日本国の発端は、大慌てで変革した明治新政府、各個性のあった藩を潰し、流行りの国民国家という事で作った明治期からの日本国。その固定概念を取っ払ってみてはどうだろう。関連して、老子などは小国寡民を理想としている。それについてもとても興味深い。彼はとても特徴的な示唆をしている。老子は春秋戦国時代あたりの思想家である。そのような乱世で彼は思ったのだろう。大きな国を目指せば戦になる、大きな国になる必要はない。隣国とかかわる必要はない、自国のみで穏やかに自給自足をすればよい、と。ダウンサイジングすればより直接民主主義に近づき、アメリカの民主主義で出てきた、自分の街の事は自分達で動くし自分達で決める、という事が実現すると思う。現代、国や社会において最重要なのは「人民の幸福」の達成である。絶対グローバルでなければ、「人民の幸福」は実現されないのだろうか?絶対1億人を超える大きな国家でなければ「人民の幸福」は達成できないのだろうか?小国寡民に国が形を変えれば、資本主義はポスト資本主義に自ずと移行するだろう。とまぁ書いてきて、なかなかドラスティックな思考だと我ながら思うがオーバーかなと思う程の自由な思考転換こそ貴重なのではないかなと思う次第である。ヤンヤンさん絶対良い人だから、もし自分が女性だったら求婚してるとおもう
僕は卒論でナショナリズムとグローバリゼーションの先史時代から続く綱引きをベットベトの主観で書きました(笑)※簡単な査読はあり
ハンガリーがロシアへの経済制裁に参加しないことをもって非民主的な傾向とされているのであれば、それは論点が違うのでは?と思いました。日本もアメリカも非民主的とされる国との交易はしていますし。ハンガリーに関して他の論点も指摘されているのならそこの紹介が必要かと感じます。
民主政治では多数派が政治を動かすので、その多数派が間違っていたら政治は悪くなるし、多数派の中から、俺が民意だと言って政治家が独裁政治をする可能性を多分に含んでいる。トクヴィルは、民主政治が機能するには、統治するものと、統治されるものの間に、分厚い中間層が必要だと言っていたが、それも経済が悪くなれば、目減りする。逆にいえば、皆がある程度平等に豊かで、色々な団体組織が権力と民衆の間に存在してこそ、民主制政治は機能する。経済的な安定があればこそ、なんですね。
契約という考え方の根底に一神教の「神との契約」の概念がある様に感じました。ですから、キリスト教の西洋民主主義と、世界で最もキリスト教の信者率が低い日本での民主主義を対比して、日本では根本的に難しい政治体制なのか?とも思いました。(以前に千葉先生にキリスト教信者の「実感」をお聞きしましたが、日本人としての宗教的な感覚とのかなりの乖離を感じました。)過酷な自然(寒さ、乾燥)が無く、(原爆は落とされましたが)他国に滅ぼされた経験も無く、自国で革命を起こした経験もない極東の島国日本です。あらゆる面で限界にきている日本社会の民主主義はどうしましょう。(例えば、通貨が、トルコリラやアルゼンチンペソ並みに下落しており、このままデフォルトしかねないとか、人口が減少確実とか、問題は多々あります。)歴史的に、国家の破局という経験値を迎える段階なのでしょうか?これからも動画を楽しみにしております。
朝鮮民主主義人民共和国の民主主義についても詳細解説をお願いします。どういう論理で民主主義を名乗っているのか…
私が思うに、一般人たちは日頃の生活でいっぱいいっぱいやから、政治や政策にまで気を回して生活なんてやっていけないんやないかな?😑そう言う意味を踏まえると日本の江戸時代の統治はなかなか良い時代やったんやないかな?😑300年も平和であったなんて評価に値するんやないかな?😑
不始末があればハラを切る支配層なんて世界史の奇跡。
非常に興味深い内容でした。人は自由を求めるけど、自由も疲れるので支配されることも求めるんだなと感じました。民主主義がシステムではなく、思想であり、思想がないとすぐダメになることが驚きでした。日本も厳密には民主主義が機能していると言えない状況だと言うことも気づけました。そして、民主主義は発展途上でまだベストな方法でもないことも発見でした。他の回を含め、いつも楽しく聞いております。これからも興味深い内容を楽しみにしております。長文失礼しました。
社会主義は理想論だという言説をよく聞くけど、
民主主義の実践にも自律していて理性的な人間という理想的(モデル化された)存在が想定されているんだなぁ
本当にこのシリーズをやっていただき、ありがとうございました。
よく分からない理論をよくわからずに運用している事実を噛み締めています。
憲法についても触れていましたが、そういえば個人として日本国憲法を承認した覚えはありません。
法の根幹から国民が主体的な意思を持って何ら関与していない事は合意形成のうえで大きな齟齬を生む一因かも知れないなと思いました。
政治哲学を教育過程でしっかり学び、成人を期に現行憲法に対する是非を問う機会(非が過半数だったら国会審議するなど)が有れば国の政治に参加をしているという実感を持たせられるのかも…という素人考えが浮かびましたが、それはそれで新たな問題を生みそうですね。
ムスタファ・ケマル・アタテュルク!
ハンニバルやカエサル、玄奘、最澄&空海などの時のようにワクワクするビッグネームですね!
今から楽しみです♪
結局は一般意志というフィクションをみんなが共有しなければならないという話で、その意味で、「民主主義は信仰」というのは全くその通りだと思います。
民主主義は信仰だというアナロジーで考えると、聖典が一つしかない宗教にも無数の宗派が存在するように、一般意志を絶対とする民主主義にも様々なありかたが存在し、そこに絶対の正解は無いということが言えますよね
決める、「Decide」は「決心する」「決定する」という意味の動詞です。
「Decide」の語源はラテン語の「decidere」で、「切り離す」を意味します。様々なものを切り落としていって最後に残るものが「決定」ということになります。sideは切る。
漢字では王の語源は首を切るか切らないか決めるマサカリをあらわしてる。
代議士がシステム的に選挙に注力しがちという指摘は傾聴に値する。
その上で、現在の日本の選挙に関する法律(公職選挙法や政治資金規正法等)は、さらに恣意的にその傾向を強化していると思う。
一度でも選挙活動の当事者になればわかる事だと思うが、
「政治家は選挙できる金だけ渡しとくから選挙だけしておけ!」
「政策を研究する予算も時間も与えないから、政策なんて分からんだろう!だから名前だけ連呼しとけ!」
なシステムになっている感じだ。
なぜそうなっているのか?
私は、官僚機構やその先にいる宗主国など、選民が「国民主権」の建前の影に隠れて支配するシステムなのかなと感じている。
日本のほぼ全ての議会は、行政を兼ねるシンクタンク(政策立案機構)が提出する法案を追認するだけの機関になっている。
この日本で「民主主義」を考察するには、もっと日本の現状をフィールドワーク的に観察しながら、過去と比較して客観視する必要があるかもしれないと思う。
ものすごく単純だけど、他人に迷惑をかけないというのが大切だなと思った。
人の土地を奪わない、人の物を取らない、誰かに不遇や嫌なことを押し付けない、人の悪口を言わない。
昔から言われる「人にされて嫌なことはしない」というのは、巡り巡って自分の自由の担保につながるんではないかな。
「民主主義」が理想的なシステムでは無いという事は個人的に随分と前から気付いていましたが、現代人の私達が生きている今の世界のOSを形成する思想的要素の一つだとよく分かるシリーズで、とても興味深い内容でした。
過去のシリーズ(特に第一次大戦や日露戦争、資本主義など)を聞き直しながら拝聴しました。そうしたくなりました。
国民国家&資本主義&民主主義は、理想的にというよりは環境の変化と歴史的偶然性の積み重ねでこうなってしまった、過去の時代のOS(欧州のキリスト教会世界や、日本の律令制&国家仏教&呪術世界など)と特段の優劣は無いもので、この三つは組み合わせとして他と変えづらいのだという事も、イメージしやすくなってきました。
今後もループのように積み重なっていくであろうシリーズを楽しみにしています。頑張ってください。
政治や社会のあり方を考えるとき、「ヒトラー前」「ヒトラー後」という視点が大切だと思いました。ヒトラー後を生きる私たちは、法や制度を作るとき、「ヒトラーがトップに立ってもあの歴史を繰り返すことができない仕組み」を常に考え続ける必要があると思います。権力を盲信すると、簡単にディストピアに連れて行かれることを、皆が自覚していない民主主義は、本当に危ういです
サムネでヤンヤンが”Just do it”かー。考えさせられる。
ハンガリーはオルバン政権がロシア寄りなだけで、国民は民主主義を願っているのですけれどね…。私の友人のハンガリー人達は全員そうです。
戦後、文部省が中高生のために作成した『民主主義』という教科書があるのだが、もう一度、科目としての民主主義を復活させる必要があると思う。
最後のまとめを聞いて、体重管理は健康維持に欠かせないけど(対案はない)、続けることは難しいという問題に似ているかもと思いました。
ものすんごい確信をついてる気がします
率直な感想ですが、積極的に自治会に参加する住民たちのエリアじゃないと機能しないな民主主義って感じです。
ヨーロッパでは、ルソーの生まれたスイスが一番民主主義的だと思いますが、特殊な地形と小国だからできるんでしょうね。ワイマール期でなくても、自由を手放してカリスマに縋りたくなる人はいっぱいいると思うし、人が感情で動くから、国家を監視する憲法が大事なのがよく分かりました。いつかロシア革命、聴きたいです。
マジでなぁ、、世間の話凄く共感です😭
試行錯誤の歴史を持つフランス在住ですが、
興味深く拝聴しています。現在フランスを含むEU諸国(ポルトガルは除いても良いかも)の民主主義は宗教対立によって脅かされています。
特にフランスは教育現場で教師は命がけで授業している状態です。フランスの教育内容がある種の宗教の教義と合わないのでそれに対しての見返りが教師に対してという事件が起きています。
フランスのメディアは容疑者が○教徒だとわかる指名もしくは出身国だと忖度して公表しなくなりました。
(フランス人が忖度するなんて😅)
宗教形態(カトリック教会なら法王を頂点にするピラミッド形態、民主主義からは程遠いと思われますが
どこの宗教も同じ様な形態だろうと思います。宗教と政治は分離している筈なのですが
昨今ある種の宗教色が強く教育現場や職場に現れています。
40年前にも教育現場での宗教を持ち込むことに対しての議論はありましたが、今ほどではありませんでした。
フランスははとても大切な科目で高校から授業科目としてあります。高校卒業資格試験のバカロレアにも入っています。
が、現在のフランスを眺めている3人の子供をフランスで育てて4人の孫のいる人間としては「なんかヤバそうだけど生き残れよ」という感じです。
たぶんコレって日本じゃ「なにソレ」って考えられないと思います。日本で生まれて教育を受けて何年もフランスにいる私でさえ
「何ソレ」と思ってますので、 民主主義
って脆いですね。
ということで
民主主義って何?
という問いかけに戻って今この動画を追っかけています。
違う話ですが、
については
体感してます。
コレに関しては世界中に住んでいる日本人に自分の体感コメントもらったら興味深い結果がみられるのではないでしょうか。
追伸
真夜中にコメントして間違えが多かったので修正しました。
日本の場合は自民党内に派閥があって、その派閥が政策決定や立法での必要人材になるから
国民が投票して選んだ政治家の意思よりも派閥の総意が重視され、結果が民意と乖離したと思う
この話の一ヶ月後にまさか派閥制が無くなるなんて。。
@@grassygrow8342 まあ油断できないかな
口で派閥なくなりましたと言って実はあるかもしれない
そもそも政治資金規正法が出来た時も田中角栄の金権政治批判を受けて作ったし
実際は政治資金パーティーを利用して献金受けていたからね
〜青二才の感想(やや悲観的なので、反対意見歓迎です)〜
自然科学の領域では、ゲノムを解析したり、AIに学習させたり、陽子を衝突させたりしている人類ですが、社会科学はバイアスが掛かりまくる上に、実証実験も困難なので非常に進歩が遅いですよね。
ここからは私の空想ですが、自然科学と社会科学の進歩スピードの圧倒的な差によって人類は絶滅寸前レベルに陥るのではと思っています。
自然科学の最先端が「青銅器」とかだった時代は、その使い方を誤ってもそこまで大きな影響はないですが、今は「AI」「遺伝子技術」「核技術」などがあるので、扱いを誤ったら終わりです。
こうした超有用かつ超リスキーな技術に対して、民主主義のなかで常に素早く正しい判断ができる気が全くしません。(現に、環境問題に目を瞑って目先の利益を取りがちな我々です。。)
科学者が警鐘を鳴らす傍らで、国は誤った政策を民主主義的に選択し続けて、科学者や、科学的なコンセンサスを信じる市民が「あ、これ人類終わるやつや。」と分かっているなか、世界が破滅していくような地獄絵図がそう遠くないうちにやってくるのでは、と悲観的になっている今日この頃です。
歴史的な転換が加速度的になってきており「期限が迫っている」という事はとても怖いですね。
現時点の日本で一般市民全員が民主主義についてほっとかずに考え続けるのはやっぱ無理だよねぇ。教育によって将来的にというのは分かる。でも少なくとも現役世代の考え方って全部は変わらない。身近な話だとうちの旦那はたぶんこういう議論は好きじゃない。
だから無駄だと言うつもりは毛頭なくて、だからこそ草の根的な啓蒙活動に意味があるし、自分も勉強し続けないといけないなと思う。
あと、無謬性の原則ってのが本当に行き過ぎてるなと思う。この間なんか官房長官が更迭されたけど、そんな大事な職についてる人が世間との関係ですぐに更迭されるのってどうなの?って思う。その人じゃないと出来ないことがあるかもしれない。もちろん政治資金問題は重大な問題だとは思うし、だからこそ重大な職からすぐに退くべきという意見もわかる。結局官僚が政策を作ってるんだから頭領をすげかえても問題ないとも思うが。
配信ありがとうございます!
丸山眞男の『「である」ことと「すること」』を想起しました
怠けたい気持ちから解放されて、簡単にベストな行動を取れたら自由で楽しい
これまで民主主義がちゃんと機能したことはないのでしょうね、そして、それを改良しようとしても政治家や既得権益者が邪魔をして変わることはない🤔
誰もが監視できるようにしたAIがトップの方がましかもですね~
大企業とかお金持ちに裏金を貰って既得権益を守るムーブを続ける政治家がいっぱいいる国の全国民に聞かせてあげたい内容ですね。
直接民主制ですか?
……全然違います。
のくだり好き。
民主主義と関係ないかもしれないが、私がアメリカいた時、 持ち込みパーティーを経験した。参加者が、適当に何か飲み物とかスナックを買って持ち込み、それをみんなに配って盛り上がるという形式で、アメリカでは一般的ではないかと思う。あと、プレゼントの値段の上限を決めて、クリスマスでゲームをしながら、このプレゼントの争奪戦をするという趣向のものもあった。また、経験はないのだか、まずパブで一人のひとがみんな一杯奢る。そして二杯目を、他の人が奢る。みんながみんなに一杯奢るところでお開きになるらしい。大人数でいけば、みんな酔っぱらいになる。
日本に帰り、アメリカの持ち込みパーティーをやってみた。意外に上手くいって、宴会は盛り上がった。
日本だと、友達なら割り勘、デートなら相変わらず男もち、会社の宴会なら、上司の奢りか、多めに出すのだろうと思う。
なんとなく、決まっている。
私の友人は、飲み会は基本的に自分の奢りにしているといっていた。後輩と飲むことが多いせいだろう。
友達に奢るのは、止めた方がいい。
友達ではなくなるから。
人間がそんな御高尚な存在になれるのか…?
っていうのが、底辺高校で教育に従事している身としての感覚ね。
果たしてすべての人類が自由を求める世界が来るのか、、。
狭い地域や支持母体から当選しながら、全国民の代表をしないといけない。これだと国全体よりも当選させてくれた地域に対しておもねる。あとは、直接民主主義が理想(ルソーも述べている)だが、人口1億以上の国では実際の実現となると、、、という話があった。
全く同意。
自分は最近思うのは、国は大きければ大きいほど良いものなのだろうか?という根本的な問い。
これは他いくつかの国々にも言えるのだが、
日本という国は、人口・領土ともに今のサイズがベストなのだろうか、大き過ぎやしないか。
そもそも今の日本国の発端は、大慌てで変革した明治新政府、各個性のあった藩を潰し、流行りの国民国家という事で作った明治期からの日本国。
その固定概念を取っ払ってみてはどうだろう。
関連して、老子などは小国寡民を理想としている。
それについてもとても興味深い。
彼はとても特徴的な示唆をしている。
老子は春秋戦国時代あたりの思想家である。
そのような乱世で彼は思ったのだろう。
大きな国を目指せば戦になる、大きな国になる必要はない。
隣国とかかわる必要はない、自国のみで穏やかに自給自足をすればよい、と。
ダウンサイジングすればより直接民主主義に近づき、アメリカの民主主義で出てきた、自分の街の事は自分達で動くし自分達で決める、という事が実現すると思う。
現代、国や社会において最重要なのは「人民の幸福」の達成である。
絶対グローバルでなければ、「人民の幸福」は実現されないのだろうか?
絶対1億人を超える大きな国家でなければ「人民の幸福」は達成できないのだろうか?
小国寡民に国が形を変えれば、資本主義はポスト資本主義に自ずと移行するだろう。
とまぁ書いてきて、なかなかドラスティックな思考だと我ながら思うが
オーバーかなと思う程の自由な思考転換こそ貴重なのではないかなと思う次第である。
ヤンヤンさん絶対良い人だから、もし自分が女性だったら求婚してるとおもう
僕は卒論でナショナリズムとグローバリゼーションの先史時代から続く綱引きをベットベトの主観で書きました(笑)※簡単な査読はあり
ハンガリーがロシアへの経済制裁に参加しないことをもって非民主的な傾向とされているのであれば、それは論点が違うのでは?と思いました。
日本もアメリカも非民主的とされる国との交易はしていますし。
ハンガリーに関して他の論点も指摘されているのならそこの紹介が必要かと感じます。
民主政治では多数派が政治を動かすので、その多数派が間違っていたら政治は悪くなるし、多数派の中から、俺が民意だと言って政治家が独裁政治をする可能性を多分に含んでいる。トクヴィルは、民主政治が機能するには、統治するものと、統治されるものの間に、分厚い中間層が必要だと言っていたが、それも経済が悪くなれば、目減りする。逆にいえば、皆がある程度平等に豊かで、色々な団体組織が権力と民衆の間に存在してこそ、民主制政治は機能する。経済的な安定があればこそ、なんですね。
契約という考え方の根底に一神教の「神との契約」の概念がある様に感じました。
ですから、キリスト教の西洋民主主義と、世界で最もキリスト教の信者率が低い日本での民主主義を対比して、日本では根本的に難しい政治体制なのか?とも思いました。(以前に千葉先生にキリスト教信者の「実感」をお聞きしましたが、日本人としての宗教的な感覚とのかなりの乖離を感じました。)
過酷な自然(寒さ、乾燥)が無く、(原爆は落とされましたが)他国に滅ぼされた経験も無く、自国で革命を起こした経験もない極東の島国日本です。
あらゆる面で限界にきている日本社会の民主主義はどうしましょう。(例えば、通貨が、トルコリラやアルゼンチンペソ並みに下落しており、このままデフォルトしかねないとか、人口が減少確実とか、問題は多々あります。)
歴史的に、国家の破局という経験値を迎える段階なのでしょうか?
これからも動画を楽しみにしております。
朝鮮民主主義人民共和国の民主主義についても詳細解説をお願いします。どういう論理で民主主義を名乗っているのか…
私が思うに、一般人たちは日頃の生活でいっぱいいっぱいやから、政治や政策にまで気を回して生活なんてやっていけないんやないかな?😑
そう言う意味を踏まえると日本の江戸時代の統治はなかなか良い時代やったんやないかな?😑300年も平和であったなんて評価に値するんやないかな?😑
不始末があればハラを切る支配層なんて世界史の奇跡。