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考察が沢山あって私的にはとても面白いです。『誰なのか?』と突き詰めるのも面白いでしょうけれど、私は大国主命と珍道中しながらも真面目に日本の国造りをしてくれたんだと思うとホッコリとして頼もしくて嬉しくなります。途中での面白い我慢比べとか😂具合の悪くなった少彦名命の為に温泉を掘り造って、両手に乗せて浮かばせてあげるなんて……とても可愛らしい兄弟でありバディだと思います。途中で少彦名命が常世の国へ行ってしまい、ワーンワーンオーイオーイ😭と途方に暮れている大国主命を思い浮かべると貰い泣きすらしてしまいます😢その後現れた大年神と国造りを進めていくわけですが、あれは大国主命自らの魂の一部を具現化したものなんですよね?ドラマVIVANTの主人公を思い浮かべます。とにかく少彦名命と大国主命の二柱は私の中では永遠にヒーローです‼️
岡上先生のチャンネルで、播磨の国の、石の宝殿の考察があります。😊
出雲口伝を参考に!
コメントありがとうございます。出雲口伝これから勉強したいと思います。
少彦名は背が小さく遥か遠くから船でやって来て色々な文化を伝えた事から中国南部、台湾方面から来た東南アジア、チベット系の稲作民で、背が小さい事から倭人と言われたのではないでしょうか。最初は南九州あたりに渡来してから出雲方面にやって来て稲作文化を伝え、縄文系の大国主と国造りをしたのではないでしょうか。
記紀に疑問を持ち、というよりも全く信憑性がない(特に16代天皇まで)と捉え、同様に独自で正しい古代史を調べてきた。そのため、むらくも歴史チャンネルを創設時から注目し、丁寧に拝聴させていただいている。故に今回異論を提示するが、その意図は議論を深めたいという気持ちにある。結果として、原田常治氏の見解を基調として、正しい古代史を判定するに至っている。・ 少彦名は、不比等らによる大国主との押し込み合祀を除くと、直接「大和」に足跡は無い。和歌山(熊野)も全く無い。・ タカミムスビが、日向から出雲に派遣した大国主の政治顧問・ 知恵の神様出雲風土記:阿羅波比神社 松江市外中原町54 主祭神:少彦名命、大己貴命、天照大神、『高皇霊尊』、素盞鳴尊・ 出雲国譲り、神武養子縁組の時は既に死亡していた最後に、北方渡来人説は、〇〇〇を背景に持つ連中が執拗にばらまいているものであり、相手にするべきではない。以上、
いつも視聴ありがとうございます。大変励みになる貴重なご意見感謝します。説明が下手で申し訳ないのですが、スクナヒコナは実体がないなあ、と感じていました。もちろん、タカミムスビとの関係も信用していません。そして、北方◯◯◯は、秦氏などアジアのセム族だと推測していて正しくは中央系ですね、北方としたのが良くなかったです。もちろん、半島系ではありません。
出雲王国役職名は、主王・オオナモチ、副王・スクナヒコと呼ばれていた。徐福の命令下、出雲の主王・副王は同時餓死させられた。記紀は事実を隠蔽した神話物語にしたものです。物語と歴史は別物である。
徐福=スサノオですね。
@@kumao01nigi徐福。本名(諱)は、【フツ】文字は市。二度、渡来して初回は出雲王国に至りこの際は偽名(自称)の【彦ホアカリ】を名乗った。程無くしてクーデターを起こして岳父(義理の父親)でも有った出雲王(日子(ヒルコ))の八千矛命や副王(役職名は少名彦。また、コトシロ主)の富の八重波津身命(粟島で落命、、、アワシマ神)(皇室直系祖先)をほぼ同時期に相次いで暗殺。クーデターは成功するかに思っていた矢先、出雲王国の巻き返しに遭ってクーデターは失敗、鎮圧され、首魁の徐福は母国の秦帝国に逃亡した。始皇帝を再び詐欺して二度目の渡来を北九州の吉野ヶ里に果たして定住帰化。この二度目にまたしても自称した偽名がニギハヤヒ。
面白かったけど神社の社伝じゃなぁ。。。ぶっちゃけ神社社伝は何でもアリだからなぁ⛩️スサノオの息子がニギハヤヒって考えの動画未だ観てないのでびっくりした!けど、古代の事は色んな妄想があって良いと思う。コレが真実だ!とか考察だ!!とか言わない限りね。
あし原の中津国を作る事にあたり大国主さまの補佐をされた神様
考察が沢山あって私的にはとても面白いです。『誰なのか?』と突き詰めるのも面白いでしょうけれど、私は大国主命と珍道中しながらも真面目に日本の国造りをしてくれたんだと思うとホッコリとして頼もしくて嬉しくなります。途中での面白い我慢比べとか😂具合の悪くなった少彦名命の為に温泉を掘り造って、両手に乗せて浮かばせてあげるなんて……とても可愛らしい兄弟でありバディだと思います。途中で少彦名命が常世の国へ行ってしまい、ワーンワーンオーイオーイ😭と途方に暮れている大国主命を思い浮かべると貰い泣きすらしてしまいます😢その後現れた大年神と国造りを進めていくわけですが、あれは大国主命自らの魂の一部を具現化したものなんですよね?ドラマVIVANTの主人公を思い浮かべます。とにかく少彦名命と大国主命の二柱は私の中では永遠にヒーローです‼️
岡上先生のチャンネルで、播磨の国の、石の宝殿の考察があります。😊
出雲口伝を参考に!
コメントありがとうございます。出雲口伝これから勉強したいと思います。
少彦名は背が小さく遥か遠くから船でやって来て色々な文化を伝えた事から中国南部、台湾方面から来た東南アジア、チベット系の稲作民で、背が小さい事から倭人と言われたのではないでしょうか。最初は南九州あたりに渡来してから出雲方面にやって来て稲作文化を伝え、縄文系の大国主と国造りをしたのではないでしょうか。
記紀に疑問を持ち、というよりも全く信憑性がない(特に16代天皇まで)と捉え、同様に独自で正しい古代史を調べてきた。
そのため、むらくも歴史チャンネルを創設時から注目し、丁寧に拝聴させていただいている。
故に今回異論を提示するが、その意図は議論を深めたいという気持ちにある。
結果として、原田常治氏の見解を基調として、正しい古代史を判定するに至っている。
・ 少彦名は、不比等らによる大国主との押し込み合祀を除くと、直接「大和」に足跡は無い。和歌山(熊野)も全く無い。
・ タカミムスビが、日向から出雲に派遣した大国主の政治顧問
・ 知恵の神様
出雲風土記:阿羅波比神社 松江市外中原町54
主祭神:少彦名命、大己貴命、天照大神、『高皇霊尊』、素盞鳴尊
・ 出雲国譲り、神武養子縁組の時は既に死亡していた
最後に、
北方渡来人説は、〇〇〇を背景に持つ連中が執拗にばらまいているものであり、相手にするべきではない。
以上、
いつも視聴ありがとうございます。大変励みになる貴重なご意見感謝します。
説明が下手で申し訳ないのですが、スクナヒコナは実体がないなあ、と感じていました。
もちろん、タカミムスビとの関係も信用していません。
そして、北方◯◯◯は、秦氏などアジアのセム族だと推測していて正しくは中央系ですね、北方としたのが良くなかったです。もちろん、半島系ではありません。
出雲王国役職名は、主王・オオナモチ、副王・スクナヒコと呼ばれていた。徐福の命令下、出雲の主王・副王は同時餓死させられた。記紀は事実を隠蔽した神話物語にしたものです。物語と歴史は別物である。
徐福=スサノオですね。
@@kumao01nigi
徐福。
本名(諱)は、
【フツ】
文字は市。
二度、渡来して
初回は
出雲王国に至り
この際は
偽名(自称)の
【彦ホアカリ】
を名乗った。
程無くしてクーデターを起こして
岳父(義理の父親)でも有った
出雲王(日子(ヒルコ))の八千矛命や
副王(役職名は少名彦。また、コトシロ主)
の
富の八重波津身命(粟島で落命、、、アワシマ神)
(皇室直系祖先)
をほぼ同時期に
相次いで暗殺。
クーデターは成功するかに思っていた矢先、
出雲王国の巻き返しに遭って
クーデターは失敗、鎮圧され、
首魁の徐福は母国の秦帝国に逃亡した。
始皇帝を再び詐欺して
二度目の渡来を北九州の吉野ヶ里に果たして定住帰化。
この二度目にまたしても自称した偽名が
ニギハヤヒ。
面白かったけど神社の社伝じゃなぁ。。。
ぶっちゃけ神社社伝は何でもアリだからなぁ⛩️
スサノオの息子がニギハヤヒって考えの動画未だ観てないのでびっくりした!
けど、古代の事は色んな妄想があって良いと思う。
コレが真実だ!とか考察だ!!とか言わない限りね。
あし原の中津国を作る事にあたり大国主さまの補佐をされた神様