Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
日高本線の廃止、寂しい限りです。1985年まで富川に住んでました。当時小学生で、父親の転勤で内地に引っ越しました。懐かしい映像ですね。当時の日高本線には3両編成の汽車が走っていたのを牧草地で遊びながら見た覚えがあります。駅舎はいかにも昭和という駅舎で、待合室に売店があったのを覚えています。映像と同じ場所、同じアングルで沙流川鉄橋を下から覗き込んだのもいい思い出です。富川から引っ越す際は汽車に乗ったのですが、寂しくなって泣いてしまいました。この映像を見て久しぶりに故郷を訪れてみたくなりました。貴重な映像ありがとうございました。
1995年、競走馬の仕事をするために内地から門別町の牧場に就職しました。高校を出たばかりで不安と期待が織り混ざった気持ちの中、降り立った駅が富川駅でした。その当時から随分と様変わりしているようですが、当時と変わっていない場所もチラホラと見る事ができて、何とも言えない懐かしい気持ちになりました。思い出させて頂き、ありがとうございました。
土地がどんどん失われているのですね。同様に先人の苦労も地域の衰退とともに失われていくのを見るともの哀しさを感じます。一生おそらく行く機会はないであろう見知らぬ土地を自分の足で歩いたように見れる素晴らしい動画だと思います。
この方の動画。時間を忘れついつい見入ってしまう。
ありがとうございます。
海岸浸食のスピードが速い事に驚きます🤩ここまで進んでいる現状から海岸浸食対策も難しそうに思えます。日高本線の壮絶な歴史が分かる素晴らしい動画です😊次回作も楽しみにしております🎵
もう戻らない思い出にはなりましたが、ギリギリで苫小牧から様似まで完乗できたのは個人的にはよかったです。
元日高地方の住人です、9:15の辺りは日高線が現役だった頃は、少しでも海が時化たら高波が車体にバシバシ当たっていました。11:17の慶能舞橋は私が高校生だった頃(平成初期)は、今みたいに地面から手を伸ばせば届くレベルじゃなくて、そこそこの高さも有ったんですよ。橋桁だってもっと高さが有りましたし、、。浦河町の当時住んでいた地区も海のそばだったのですが、私が暮らしていた頃とは明らかに海沿いの地形が崩れているのが実感出来ます。子供の頃に遊んでいた海辺の砂浜が半分海の中ですし、、、。
うわ~それだけ土砂が橋脚まで溜まったってことか・・海沿いの方は住んでいる土地の形が変化していくのを見てきたんですね。
これだけ詳しく解説してもらってるのに鉄道ファンではないというのが面白いです。廃道探索でもそうですが独自の切り口や言い回しが面白いので毎回楽しみです。北海道内にはまだまだ沢山の廃棄された鉄道の遺産がありますので、いろいろ紹介して頂けたら嬉しいです。
失われたものの寂しさが好きなんだと思います。市町村史から色々知る事が出来るのも面白い。メインではありませんが、今後も廃線探索、続けます。
これは確かに涙腺から謎汁が出ちゃいますね....
今度、大狩部駅のとこも行ってみて下さい。そこも波に路盤がさらわれて酷いことになってます。
航空写真でもひどいのが分かりますね。
大狩部で食べた、干物🐟、焼立て、生ら美味しい味が、忘れません。
80年代に日高本線で様似まで行きました。海岸線を走る車窓はキレイでしたね。もう、乗れないのは残念です。
その当時ならまだ結構需要はあったのでしょうか。私も一度乗ってみたかった。
鉄分の多い探索ありがとうございました。50年前の中坊時代鉄道趣味の友人と様似まで乗ったのを懐かしく思い出しました。😭
苫小牧から襟裳まで高速バスで行きました。沿線の景色は素晴らしく、海岸沿いには感動。厳しい土地状況もあったのかと改めて感じました。おおきにぃ~‼
なんかもう初めから最後まで寂しい映像で日本の現状をまざまざと見せられました。
私はそういう景色が好きですけど、その現状は良い事ではないですね
有難うございます。海岸線を走る列車はいいもんですね。私も一度だけ苫小牧〜様似まで列車、乗った経験があります。一度でも経験出来たので良かったです。昔の写真を整理していたら、日高門別駅の看板をバックに撮った写真がありました。あ〜「急行えりも」あちらまで走っていたんですね。紛れもない事実。あまり行くことのない方面ですが、この海岸線は気になります。
あの辺の峻険さを考えると、よく鉄道があったなと感じます。私も乗ってみたかったな。
こんばんは日高本線跡、5.6年前静内に行く機会があったので、所々見に行ってきました。ホント、凄い被害ですよね。つい最近は鵡川駅に行ってきましたが、もう、南方向には汽車は行かないのかと、しみじみしてしまいました。また、動画楽しみにしています。
ありがとうございます。えりも方面への探索時、壊れた橋梁などにうわあ~と思ってました。残っているうちに他の場所も見に行きたい。
ここなぁ…行きたかったとこや…被災してからどうなったのか知りたかったので、興味深い動画のアップありがとうございます!
今後も継続して動画を上げていきます。
15年ぐらい前に1度苫小牧から静内まで乗りましたが今はもう廃線になってるんですね、、、苫小牧〜夕張間も廃線でしたよね?乗らないにしてもあったものが無くなってくのは寂しいですね😭動画の解説付きで分かりやすく面白いです!(´▽`)
おぉ!日高本線・・ありがとうございます!現況がよくわかりましたしかし・・過酷な環境だったんですね
すさまじく海の際を延びていた事がよくわかりました・・
ゾヌさん✨🐻🙏ありがとうございます。
日高本線、廃線探索お疲れ様でした🙇🏻♂️ゾヌさんの廃道探索も楽しく拝見してますが今回のエリアは仕事で良く行き来した所でしたので記憶が蘇り懐かしさと切なさで悲喜こもごもです、特に途中撤去された橋梁は国道から夕陽に照らされた国鉄車両が今でも脳裏に焼き付いています😂ゾヌさんありがとう😭
懐かしい景色をお見せ出来て良かったです。今後も日高本線は探索を継続します。
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北 お願いします🙇🏻♂️🙇🏻♂️
平成27年台風10号はこの日高本線の他にも根室本線の富良野新得間も被害を受け廃線することがほぼ確定しました本当に憎い台風です
北海道は峻険な土地柄なので雨風に弱い・・
静内に住んでいたことがあるので懐かしい動画でした。何度か日高本線にも乗りましたが、本当に景色の良い路線で配線には残念な思いしかありません。
さぞや良い景色の鉄道だったのでしょうね。その名残を少しでも記録できればと思います。
最近、標津の335号線も少し内陸に待避しましたね。護岸を物ともせず、浸食を怠らない自然は凄いです。他の方のコメントでもありましたが、いまのJR北海道は線路の撤去費用も工面できないのですかね。留萌線増毛側の廃止後は容赦なく持って行ったのに。神奈川県では30年以上放置プレイだった、相鉄線から厚木基地への燃料搬送路線の線路が撤去されて、更地と宅地(!)になりました。
海岸浸食・・各地の様子を記録したくなってきた。標津は遠いけど・・
富川駅。ちょうど5月に行ってきました。線路の状況などは変わっていないですね。日高門別も、同じように本町など街中をぐるぐるしました。駅へと左に曲がる手前の「鮨天」は地元ネタでうまいです!てか、大した重機もない大正時代に、あのトンデモ区間に鉄路を敷いたという事実と技術力には驚くべきものがありますね。
ホントはあの辺で食事したかったんですけど開いているのかよくわかんなくて・・ホントすごい線路ですよね日高線
1996年頃に行った記憶があるが、沿線は様変わりしてますね。たった数十年でここまで変わるとは。JR北海道としては廃線にできるいいキッカケになったのかもしれないね、皮肉にも。
その頃の走行動画を見た事がありますが、あまりに景色が違っていてビビりました。
10年くらい前、賀張川付近の付け替え区間(旧線跡)を探索し、動画に残したことがあります。日高本線は本当に波浪や洗掘の歴史だったといえますね。
旧線跡ってのも良いですね。まあ日高線の場合海中に没している区間もある様ですが。
4:00 学生の頃に寝過ごして富川で気付いて降車し、駅舎の前のコンクリの所にちょこんと座って時間を待っていたのを思い出しました(笑)同年代の子に「見慣れない学生服の子がいる」と気付いて話しかけられ、しばらくお喋りしてました
北海道は空が広くて良いですね
あまり意識はしませんが言われてみるとそうなのか。
サラブレッドの故郷🐎
こんばんわ🌷 日高本線は災難続きの路線でしたね!廃線、廃駅により町の活性化にも大きな打撃となったとか!あの路線跡、富川駅の駅舎はずっと残して欲しいですけど〰️そして赤い橋梁・ちょっと切なく心に残りました(._.)ただ苫小牧駅と鵡川駅との間では引き続き営業中との事ですね~?!🤗風邪気味でちょっと寝込みました(^^; 急に寒くなってきてます!ゾヌさんも健康に気をつけて❗️今後も日高本線機会があったら配信してくださいね(^_^)v ありがとうございました🌿
こんばんは!風邪、大丈夫でしょうか。無理しないで下さいね!こっちも寒くて冬支度です。探索はしやすい季節ですけどね!
海岸浸食でここまで流されているなんて、自然は恐ろしいですねぇ……線路を敷設した建設した人達も、こうなるなんて思いもしなかったんだろうなぁ。
自然のバランスは絶妙なんですね。そこに手を加えた結果か・・
国有化後の延伸区間は海岸沿いを避けて内陸部に敷設されてます。やはり民間資本の軽便鉄道ゆえの弱さはあったんだと思います。
画面揺れも無く見やすい映像ですね。
30年前に 日髙本線 様似まで乗った事ありますが 綺麗な海岸線が素敵な路線でしたね・・・もう 海岸浸食で この路線は復活する事は無いですが 寂しいですね
往時の映像を見ました。乗ってみたかったな。
まだ千歳線に東札幌・月寒駅があった頃、家族と静内の桜を観に急行で行った記憶がある。
やっぱり静内に行くなら春かなあ
こんばんは ゾヌさんまぁ たとえ台風や地震、海岸線浸食が無くても昨今のJR北海道の経営状態では路線存続は無理だったでしょうなぁ・・・
ですね。鉄道自体が道内ではもはや斜陽・・
‘94年頃に北海道ツーリングした時は何事もなく平穏で優雅な景色を堪能しましたね…どこの駅だったかは覚えて無いんだけど、1度乗ってみようと立ち寄って時刻表を見て諦めたのを覚えてますね…今想うと待ってれば良かったと…… 廃線や廃道は今一度訪れてみたいものですね
過去の映像との変わりっぷりにビビります。どこを走っているのかわからないくらいに・・廃道など見に行く際はお気をつけて。
2015年1月14日、免許更新の為にJRで三石〜静内を利用し降車際に駅長から、次の下り列車で通行止めになるから遅れないようにと言われ、その通りに翌日から日高線は長き不通期間に入り、そのまま廃線になりました。ですから、私の自慢はJR日髙線の最後の運行に乗車出来た事ですね。
なんともな巡り合わせですね
昨年夏にサイクリング日高線めぐりで訪れたところばかり…沙流川橋梁の変状は、西詰へ行くとよく確認できました。鉄道現役の頃から日高線が好きで、何度か乗ったところです。懐かしい…
あんだけ構造物が残っていると虚しくなってきますね。乗ってみたかったな。
去年、旧大狩部駅周辺見てきました。あちらも酷い状態でしたね。
今後はそっちら辺も見に行きます。
道路の廃道は先人たちの苦労や努力が感じられますが、鉄道のそれは寂寥感が強く漂う感じです。元々赤字だったとはいえ、災害で廃線になるのはどことなくもの悲しく感じるものです。私の住む九州でも、高千穂線と彦山線、未定ですが肥薩線という例があります。
鉄道自体が交通の主役でなくなっていますからね。特にこの土地では・・道路は新道と言う次代に繋がるけど、廃線はそれがない。だから余計に寂しさを感じるのでしょう。
一応自治体側は被害が軽微な鵡川~日高門別間の運行再開も希望してた様ですが、胆振東部地震で歪んだ鉄橋の問題もあったんですね、私も代行バスから見ましたが日高線の再開は無いなと思っていました、もう路盤が無い状態ではJRが赤字路線の復帰をする訳が無いです、国鉄時代は札幌から帯広まで国鉄バスを挟んで行けたのに今はJRバスだけに成ったのが寂しいです。
国鉄バス。しかも、国鉄末期でも路線内のほぼ各駅からは、山中にある、鳩内、上野深、農屋、熊臼、目名太、杵臼など、今じゃ廃村レベルの集落にまで路線網が張り巡らされており、これらの地へもワイド周遊券で乗ることができたのが驚き。当時のネット上の乗車記録レポや写真などはゼロに近く、今なら訪れる秘境マニアが多数いたでしょうね。
廃止はやむ無しですが、撤去もできない状態だと特に橋梁などは今後危険が増しますね。
こんばんは!ゾヌさん動画アップありがとうございます!懐かしい景色です!子供の頃電車の窓から見ていた景色です。毎週日曜日は電車に乗って海、山、川、馬、風景など見るのが楽しみでよく乗ってました!また大人になったら乗りたいなって思ってましたが叶わなかったです。来年あたりにドライブがてら眺めに行こうと思います。話ズレますが、静内の駅構内にあります立ち食いそば屋美味しいですよ!小さい頃よく食べに行ってました!もしよる時間あれば寄ってみてください!
懐かしんで頂けて嬉しいです。今回は静内手前で引き返しましたが、いずれまた来ます。
今年、新冠までキャンプに行った時に通ったのに〜、見てなかった!残念ー。
ここは絶景区間で有名だったんですよね。ただ、太平洋の荒波を直接受けるので、維持管理は大変だったと思います。
費用対効果が・・鉄道が主体だった時代ならともかく・・
それだけ海岸が侵食されているということなんですね…鉄道や道路どころか土地そのものを守らねば。苫東の港湾開発も波の生成に影響があるのかなぁ。
各地の港建設も海岸浸食に大いに影響しているそうです。やはり自然に手を加える弊害は色々ですね。
元主要駅だけでしたが、廃止区間の旧駅巡りをしたことがあります。体力のないJR北海道にとって、対費用効果が全く見込めない路線ですから、一旦こうなってしまうと廃止も止むえないですね。
寂しいけどそれが現実ですよね。ていうか国道も危ないな、あれは
最近は廃道よりも『ゾヌ』って名前の由来が気になって夜しか眠れない
RUclips出現前、2ちゃんねる初期に生まれたアスキーアートのキャラクターでしたっけか。
半分はそれで、もう半分は亡き飼い犬ですな
235号の廃道脇には先代の護岸の無残な姿がありました。ヤバイと思いましたね・・
沙流鉄道(沙流軌道)については、平取町の二風谷アイヌ文化博物館の裏にある「沙流川歴史館」に行くと、少ないながらも鉄道が走っていた時代の写真や地図の展示がありますので是非お立ち寄りください。5年ほど前に沙流鉄道の特別展も開催されました。町内の有名謎廃墟「ハヨピラ」についても調査展示がされたことがありました。
門別図書館郷土資料館には機関車の模型があったように思います。遠い記憶ですみません。ハピヨラ、調査したんですねw あれ、すごいですよねw
@@quakerstatemotoroils 情報ありがとうございます。門別町の郷土資料館の方は未訪でした。こんど行ってみます。ちなみにハピヨラでなくてハヨピラだそうで、私も2年前までずっと長い間「カピバラ」のノリで「ハピヨラ」と言い続けてきました。特別展が開催されたそうで、もう期間終了後でしたが、大きなポスターが貼られているのを見ました。
かつて富川から東町駅まで、一回だけやんごとなき用事で乗ったんですが…大狩部の不通、その後清畠付近の路盤流出と、沿線住民として日高線が廃止に向かう様をリアルタイムで辿ることになりました。無傷だった門別まで単線の往復で残してほしいという声もあったのですが、地震で被災し、叶わぬことになりました。日高門別駅は残るようですが、浦河駅、様似駅など、駅舎は残してほしい!ちなみに沙流鉄道、容易に探索できます。すごくわかりやすいですよ。今回もナイス探索でした!
「東町駅」。なんでこんな辺鄙なとこで、人が大勢降りるんだろう?と、日高線の列車に乗っているだけでは気づかなかったのですが、後で地図をみると、総合病院や高校などの最寄駅ということで、旧乗降場レベルなのに、かなりの利用がある駅ということを知りました。旧様似駅からも、ここ東町ゆきの切符が常備であったくらいで不思議に思ってました。
@@Su---- 浦河の街の構造っておもしろくて、今も駅構内にその痕跡がありますが、現在の国道も含め浦河駅より海側は全て埋立地で、線路のすぐ横は海だったんですよね。駅から東町までの平地部分も段階的に埋立が行われたようで、元々は東町に公官庁街があったようなんです。浦河町、ゾヌさんに旧道探索してほしい町ですね。あ。静内も。
東町は正式に廃線になる前に行きましたが半分砂で埋まっていましたね…
様似駅の横断幕に何か来るものがありました。無機物にも感謝と愛着を向ける事が出来るのが人間の素晴らしさだと思います。沙流鉄道、興味あります。調べてみますね。
浦河も道路的に見て面白いですね。確かに全く町並みが変わっている!目は付けていますのでいずれ。
胆振線、岩内線、興浜北線、興浜南線、士幌線、広尾線、池北線、根室本線旧ルート、夕張線など、旧国鉄の廃線は多数。これらも踏破して欲しいところ。
厚賀川橋梁も見ごたえがありますよ。長靴が必要ですけど。清畠駅の裏でよく釣りしました。砂が入って浅くなったので今は行ってません。
フフフ、長靴もウェーダーも常備だ!
こんにちは。ご無沙汰しております。日高本線はとうとう行けず仕舞いでしたので、動画を見て寂しい思いを噛み締めています。北海道一週したのは30年位前ですが、その頃はどの列車も活気に溢れていて、本線が無くなってしまうなど考えもしませんでした。鉄道は通路を自前で確保しなければならないので、税金で補修してくれる道路にはかないません。同じ様に台風の被害に遭った道央道が大変な工事で復旧されたのが羨ましい気持ちになります。少子化が進んで、北海道の鉄道は一部を残して殆ど無くなってしまうとも言われ、この先、この国の鉄道や道路、インフラの在り方を考えると重い気持ちになります。
96年の日高線の映像を見ましたが、ビックリするほど海岸が無くなってますね。護岸をつくっても別の場所にシワよせが来るし・・
自然の力の前には人間の力など無力なのだなぁと感じました。
全く同感です。これは赤字黒字以前の問題で、正直、悲しくなりました😢
慶能舞川橋梁行かれましたか。動画を見た限り、河口の水量から干潮時だったように思いますが、自分が行った時は満潮時+比較的波があったので、橋脚の位置からしても殆ど海に橋が渡っている感じでした。他の方のコメにもありますが、大狩部駅すぐ、苫小牧側も静内側も路盤が流されて線路が宙ぶらりんのままになってますので、機会があれば行ってみるのもいいかも知れません。
大狩部の方も航空写真で見るからにヤバいですね。今後もちょくちょく撮影しに行きます。
まるで世紀末...。
イースター島のアレみたいな・・・
ああ・・(笑
これは良い映像記録。この海岸とかR229雷電海岸などは、人間が交通インフラを通してはいけない場所なのかな。侵食が想定以上に進むのは、砂を供給していた河川にダム・砂防ダムをたくさん作ったことも原因の一つと思います。
新冠町史などでは60年代の時点で危惧されており驚きました。なんも知らんなオレ
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北 車で走れる砂浜で有名な千里浜なぎさドライブウェイや鳥取砂丘も急速にすり減っています。永遠に終わらないと言われる立山砂防事業の影響も興味深いです。
ダムと護岸工事の影響だねぇ河川の土砂運搬力が削られて砂浜を維持できなくなる。ここまで顕著な例もそうないとは思うけど。
日高本線ですか原形は王子軽便鉄道海線ですね元々はどこまで続いていたんでしょうね多分原木運搬がメインだったんでしょうね山線は知っての通り苫小牧から支笏湖畔や千歳川流域の五つの発電所を結んでましたね湖畔には対岸の千歳鉱山からの船着場が有った様ですが船着場と湖畔駅の間にトラス橋が有りますが函館本線滝川の空知川橋梁の一つを移設したそうですね千歳鉱山の鉱石も室蘭本線 函館本線 石北本線を経て上川の中越まで運ばれ製錬されたそうです中越駅も廃駅に成りましたが幼い頃国道333を走る時こんな人も住まない何もない所に信号所まで有るこんな駅がと思いました
沿線には思いのほか住宅等が多いんですね。一時は反対側から延びてきた広尾線と繋がるかのような勢いでしたが、両方とも無くなってしまいました。災害で不通 ⇒ 廃止、というJRの常套手段にはまってしまいましたか。
広尾線とつながるなんてロマンですね。いや、どうやるんだよと言う感じですけど。
普通、侵食が激しいところには やや沖合に消波ブロックや防潮堤みたいなのがあるはずなのに、全くないんですね
😳そう思い出した、鉄路もヤッてるって。その先は残ってるけど賀張の所は海側に鉄路が有った、橋脚が残ってる清畠駅から山の方に曲ってるけど元は真っ直ぐ厚賀に向かった、盛土も残ってる。で、思い出したけど苫小牧〜勇払間も今と違うルートを辿ってたはず。それと門別の旧道上がらず国道に出たんだ!旧道の坂の上りかけの右側入って行くと浜沿いに鉄路が残ってるのに🤭
広大やけど寂しいな...
ゾヌさん、いよいよ鉄道廃線跡にも、本格的に進出ですか??😅
いや~まだツマミ程度ですよ。まあまだ二本分出してない動画がありますけど。
せめて静内↔東町だけでも残して欲しかったですね。高校生の通学の足として需要はまだまだ有ります。
1983年まで富川に住んでました父の転勤で内地に引っ越す事になりましたが子供時代を過ごした懐かしい町です動画左側に富川小学校がちらっと見えましたね。 床がコンクリートの屋内体育館で今思い出しても珍しい作りだったと思います当時、新規に富川中学校を建てるとの事で小学校の体育館はどうですか?と在校生にアンケートがありましたよくコンクリートに頭を強打して痛い思いをしていたので新しい中学校の床は絶対「板」にしてくれと書いたら採用されましたねw沙流川の橋梁は過去にやっちゃいけない事をしました友達と次の列車が来る前に渡りきるぞ!なんて度胸試しをして失敗。橋梁の真ん中で列車を急停止させちゃいました当時の国鉄から学校に厳重注意されたらしいのですが当事者不明のまま逃げ切りました子供頃とはいえ本当に申し訳ありませんでした。海岸線は70年代後半からの数年間で急激に侵食されていきましたね静内や春立の海岸線はすごく綺麗でキャンプやコンブにまみれての海水浴は楽しかった思い出がありますしかし、なくなって行くはあっという間でした知識がないので理論的な説明は出来ませんが苫小牧の港湾工事が時期的に関係してると私は思ってます。この町を去る時は富川駅でした動画にあった駅ではなく古い方ですね戻る事はないと感じていましたがその通りになってしまいましたですが親戚が静内周辺にまだ多く居ますので機会があったらまた富川に寄ってみようかと思います動画ありがとうございました。
港湾工事で砂が流出しなくなり、バランスが崩れた可能性は大いにありますね。故郷をお見せできて良かったです。
何で富川人は沙流川橋梁で スタンド・バイ・ミーごっこするんだろ…2〜3年に1回は誰かしらやってたな
日高、一つはさんでまた日高。さらに隣に一つはさんで新日高。どうしてこうなったwwwww
門別と平取が仲悪いから飛び地合併したんだよ(昔から何故か仲が悪い)昔の門別は ものすごく貧乏で財政破綻寸前だったんだ(資金源が馬しかないから)門別的には平取を吸収したかったんだよね(平取はダムがあるから金持ちだし)今は競馬場が当たって潤ってるけど金目当てで寄ってこられたら そりゃ嫌だよね「新ひだか」は三石と静内が新しい町の名前で揉めて「真ん中取って新ひだかにしよう」となったらしい↑そのまま静内町にしようとして三石から猛反発を食らったとか(そりゃそーだ)
これはバス転換も納得です。経済的もですが物理的にも厳しい状況なのでJR北も無理だと判断したのでしょう。経営がよろしくないJR北にとっても、新線を作る余裕はないですしね。
以前他チャンネルで見たところと同じ場所か分からないけどかなり酷い状態ですね話に聞いていたけど昔の海岸線はもっと沖の方だったのは本当のことでしたか
昔の写真や映像を見るとビックリしますよホント
お疲れ様です、線路や橋脚は撤去していないのですね。これだけの鉄くずがあれば結構な金額になると思いますが、撤去費用も馬鹿にならないかな?
バカにならないのでしょうね。撤去費。多分鉄の売却費じゃ全く賄えないのでしょう。
最近の海岸線はみんなこんな感じなんですかね?日本海側の石狩などもそうですし。北海道は広いので人口がちょっとでも減るといきなり過疎化ですもんね。電車って最短距離で走るから早いんですけど、列車の旅とか利用法ないのでしょうか?遠征お疲れさまでした(^-^ゞ
列車の旅は旅情たっぷりですが、それだけで維持はキビシイでしょうな。今は国民のサイフも寂しいし
そういうたら日高『本線』やけど細々と運転されてた貨物のカマは蒸機時代はC56、無煙化されてからDD16やったなもともとは軽便鉄道やったけど路盤が弱くてあまり軌道を強化できんかったんやろな早くから旅客列車は全列車気動車化されてたし不通区間から廃止うんぬんがクローズアップされたけど以前から何回も災害にあって被害が出るたびに復旧できたのは国鉄やったからやと思う
日高線は本来、広尾に抜けて、広尾線に接続する筈の路線だったと思いますが。日高山脈は地質的には、地下のマントルが露出しているような非常に特殊な地質の為。トンネルを掘れるような場所では無かったのですね。何せ日高山脈と言うモノは、太平洋プレ-トと、北米プレ-トとがガチのぶつかり合いをした結果、出来た山ですから。(道東界隈の山の多くももほぼなじ仕組みでできた山ですが。)だから、十勝沖が地震の巣となっているのです。現在ここにはR236の野塚トンネルがありますが、1979年に工事が始まって1990年にやっと供用開始に成ったようなところです。ここは、橄欖岩と言うめっさ硬い岩盤がトンネルの掘削を阻んできた場所です。明治大正期の技術では掘り抜く事など不可能な場所でした。こうして日高線/広尾線は盲腸線となってしまいました。それでも、60年代から70年代前半の北海道ブームの頃は、日高の山へとやってきた観光客が押し寄せてきて、連日列車は満員だったそうですが。
確か掘ったけど崩落した楽古トンネルがあるんですよね。
サムネ新しいアクサダイレクトのCMかと思った
ええ!?
2015年廃止つい最近じゃ...って思うけど。もう7年も前なんだね。復興に尽力しているんだと思ったけど、無理だったんだね......でも、塵も積もれば山となるではないけれど...作るのを拒むかのように襲われたんですね。
そうなんですよね。時が経つのは早いものです。私は結局乗ることはありませんでした。
富川駅のすぐ側に沙留太駅があったらしいけど その痕跡は綺麗さっぱり無い普通「ここ線路(駅舎)あったっぽくね?」って痕跡が ほんのちびっとでもあったりするんだけどね何で「元々何もなかったよ?」レベルに消すんだろ?沙留太駅の現役時代を知ってる人は もういないんだろうなぁ30年前でも数人しかいなかったし(子供の頃あったって言ってた)ちなみに富川駅は地元ヤンキーの酒盛り場でした(田舎あるある?)↑一度だけ招待されたけど あまりにもヤンキーばかりで怖くて それ以降参加しなかった
国土が侵食の感。😩ここだけの問題じゃないよね😢わしのとこも。
この辺りって高度経済成長期の河川改修で土砂が減って河岸侵食されて海岸線が後退した地域じゃなかったっけ
港の築設もバランスを崩してしまった様です。
線路片付ける体力も無いのか。JR北海道😢
ちょっと前に廃止になった、江差線は上ノ国町内だけでも線路や施設を撤去するのに18億円だそうです。
日高線の100キロ以上の区間ともなると・・うへえ
長靴もウェーダーも常備してるぜい!
将来的にはいずれ国道も浸食されるのではないのでしょうか。
新冠などは昔はもっと海側に道路があったそうです。現道もいずれやられるでしょうね。
関わった人にはこうなることはわかっていたけど今更ですね。
ちょうど先週富川駅の跡を見に行ってきたところでした!ゾヌさんと行き先がシンクロしすぎていて、いつかばったり出会ってしまうのではないかと 笑
ハハハ。まさか新冠の235号廃道の踏み分け跡はあなたか!?なんてね!
2つの軽便鉄道の国有化まではいいんだけど、費用対効果が低くて災害にも遭いやすいのがわかっていたはずなのになぜ鉄道を伸ばしたんだ?改正鉄道敷設法ってやつ?
大正時代の話なので、入植者の促進と当時貧弱だった道路では賄えない「北海道拓殖」の国策的要素があったかと。
何回も言っている、苫小牧港出来てから、海岸侵喰始まっています、北海道開発局に物申します、日本テトラ、不動テトラ現在、護岸ブロック設置して元の状態戻してください!お願い致します。日高本線もどうすることもできないのもそこにあるはずです‼北海道開発局頑張ってお願い致します。
日高本線の廃止、寂しい限りです。
1985年まで富川に住んでました。当時小学生で、父親の転勤で内地に引っ越しました。
懐かしい映像ですね。
当時の日高本線には3両編成の汽車が走っていたのを牧草地で遊びながら見た覚えがあります。
駅舎はいかにも昭和という駅舎で、待合室に売店があったのを覚えています。
映像と同じ場所、同じアングルで沙流川鉄橋を下から覗き込んだのもいい思い出です。
富川から引っ越す際は汽車に乗ったのですが、寂しくなって泣いてしまいました。
この映像を見て久しぶりに故郷を訪れてみたくなりました。
貴重な映像ありがとうございました。
1995年、競走馬の仕事をするために内地から門別町の牧場に就職しました。
高校を出たばかりで不安と期待が織り混ざった気持ちの中、降り立った駅が富川駅でした。
その当時から随分と様変わりしているようですが、当時と変わっていない場所もチラホラと見る事ができて、何とも言えない懐かしい気持ちになりました。
思い出させて頂き、ありがとうございました。
土地がどんどん失われているのですね。同様に先人の苦労も地域の衰退とともに失われていくのを見るともの哀しさを感じます。一生おそらく行く機会はないであろう見知らぬ土地を自分の足で歩いたように見れる素晴らしい動画だと思います。
この方の動画。時間を忘れついつい見入ってしまう。
ありがとうございます。
海岸浸食のスピードが速い事に驚きます🤩
ここまで進んでいる現状から海岸浸食対策も難しそうに思えます。
日高本線の壮絶な歴史が分かる素晴らしい動画です😊
次回作も楽しみにしております🎵
もう戻らない思い出にはなりましたが、ギリギリで苫小牧から様似まで完乗できたのは個人的にはよかったです。
元日高地方の住人です、9:15の辺りは日高線が現役だった頃は、少しでも海が時化たら高波が車体にバシバシ当たっていました。11:17の慶能舞橋は私が高校生だった頃(平成初期)は、今みたいに地面から手を伸ばせば届くレベルじゃなくて、そこそこの高さも有ったんですよ。橋桁だってもっと高さが有りましたし、、。浦河町の当時住んでいた地区も海のそばだったのですが、
私が暮らしていた頃とは明らかに海沿いの地形が崩れているのが実感出来ます。子供の頃に遊んでいた海辺の砂浜が半分海の中ですし、、、。
うわ~それだけ土砂が橋脚まで溜まったってことか・・
海沿いの方は住んでいる土地の形が変化していくのを見てきたんですね。
これだけ詳しく解説してもらってるのに鉄道ファンではないというのが面白いです。
廃道探索でもそうですが独自の切り口や言い回しが面白いので毎回楽しみです。
北海道内にはまだまだ沢山の廃棄された鉄道の遺産がありますので、いろいろ紹介して頂けたら嬉しいです。
失われたものの寂しさが好きなんだと思います。
市町村史から色々知る事が出来るのも面白い。メインではありませんが、今後も廃線探索、続けます。
これは確かに涙腺から謎汁が出ちゃいますね....
今度、大狩部駅のとこも行ってみて下さい。そこも波に路盤がさらわれて酷いことになってます。
航空写真でもひどいのが分かりますね。
大狩部で食べた、干物🐟、焼立て、生ら美味しい味が、忘れません。
80年代に日高本線で様似まで行きました。
海岸線を走る車窓はキレイでしたね。
もう、乗れないのは残念です。
その当時ならまだ結構需要はあったのでしょうか。
私も一度乗ってみたかった。
鉄分の多い探索ありがとうございました。50年前の中坊時代鉄道趣味の友人と様似まで乗ったのを懐かしく思い出しました。😭
苫小牧から襟裳まで高速バスで行きました。沿線の景色は素晴らしく、海岸沿いには感動。厳しい土地状況もあったのかと改めて感じました。おおきにぃ~‼
なんかもう初めから最後まで寂しい映像で日本の現状をまざまざと見せられました。
私はそういう景色が好きですけど、その現状は良い事ではないですね
有難うございます。
海岸線を走る列車はいいもんですね。
私も一度だけ苫小牧〜様似まで列車、乗った経験があります。一度でも経験出来たので良かったです。
昔の写真を整理していたら、日高門別駅の看板をバックに撮った写真がありました。
あ〜「急行えりも」
あちらまで走っていたんですね。紛れもない事実。
あまり行くことのない方面ですが、この海岸線は気になります。
あの辺の峻険さを考えると、よく鉄道があったなと感じます。
私も乗ってみたかったな。
こんばんは
日高本線跡、5.6年前静内に行く機会があったので、所々見に行ってきました。
ホント、凄い被害ですよね。
つい最近は鵡川駅に行ってきましたが、もう、南方向には汽車は行かないのかと、しみじみしてしまいました。
また、動画楽しみにしています。
ありがとうございます。
えりも方面への探索時、壊れた橋梁などにうわあ~と思ってました。
残っているうちに他の場所も見に行きたい。
ここなぁ…行きたかったとこや…
被災してからどうなったのか知りたかったので、興味深い動画のアップありがとうございます!
今後も継続して動画を上げていきます。
15年ぐらい前に1度苫小牧から静内まで乗りましたが今はもう廃線になってるんですね、、、
苫小牧〜夕張間も廃線でしたよね?
乗らないにしてもあったものが無くなってくのは寂しいですね😭
動画の解説付きで分かりやすく面白いです!(´▽`)
おぉ!日高本線・・ありがとうございます!現況がよくわかりました
しかし・・過酷な環境だったんですね
すさまじく海の際を延びていた事がよくわかりました・・
ゾヌさん✨🐻🙏ありがとうございます。
日高本線、廃線探索お疲れ様でした🙇🏻♂️
ゾヌさんの廃道探索も楽しく拝見してますが
今回のエリアは仕事で良く行き来した所でしたので記憶が蘇り懐かしさと切なさで悲喜こもごもです、特に途中撤去された橋梁は国道から夕陽に照らされた国鉄車両が今でも脳裏に焼き付いています😂
ゾヌさんありがとう😭
懐かしい景色をお見せ出来て良かったです。今後も日高本線は探索を継続します。
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北
お願いします🙇🏻♂️🙇🏻♂️
平成27年台風10号はこの日高本線の他にも根室本線の富良野新得間も被害を受け廃線することがほぼ確定しました
本当に憎い台風です
北海道は峻険な土地柄なので雨風に弱い・・
静内に住んでいたことがあるので懐かしい動画でした。
何度か日高本線にも乗りましたが、本当に景色の良い路線で配線には残念な思いしかありません。
さぞや良い景色の鉄道だったのでしょうね。その名残を少しでも記録できればと思います。
最近、標津の335号線も少し内陸に待避しましたね。護岸を物ともせず、浸食を怠らない自然は凄いです。
他の方のコメントでもありましたが、いまのJR北海道は線路の撤去費用も工面できないのですかね。留萌線増毛側の廃止後は容赦なく持って行ったのに。
神奈川県では30年以上放置プレイだった、相鉄線から厚木基地への燃料搬送路線の線路が撤去されて、更地と宅地(!)になりました。
海岸浸食・・各地の様子を記録したくなってきた。
標津は遠いけど・・
富川駅。ちょうど5月に行ってきました。線路の状況などは変わっていないですね。
日高門別も、同じように本町など街中をぐるぐるしました。駅へと左に曲がる手前の「鮨天」は地元ネタでうまいです!
てか、大した重機もない大正時代に、あのトンデモ区間に鉄路を敷いたという事実と技術力には驚くべきものがありますね。
ホントはあの辺で食事したかったんですけど開いているのかよくわかんなくて・・ホントすごい線路ですよね日高線
1996年頃に行った記憶があるが、沿線は様変わりしてますね。
たった数十年でここまで変わるとは。
JR北海道としては廃線にできるいいキッカケになったのかもしれないね、皮肉にも。
その頃の走行動画を見た事がありますが、あまりに景色が違っていてビビりました。
10年くらい前、賀張川付近の付け替え区間(旧線跡)を探索し、動画に残したことがあります。日高本線は本当に波浪や洗掘の歴史だったといえますね。
旧線跡ってのも良いですね。まあ日高線の場合海中に没している区間もある様ですが。
4:00 学生の頃に寝過ごして富川で気付いて降車し、駅舎の前のコンクリの所にちょこんと座って時間を待っていたのを思い出しました(笑)
同年代の子に「見慣れない学生服の子がいる」と気付いて話しかけられ、しばらくお喋りしてました
北海道は空が広くて良いですね
あまり意識はしませんが言われてみるとそうなのか。
サラブレッドの故郷🐎
こんばんわ🌷
日高本線は災難続きの路線でしたね!廃線、廃駅により町の活性化にも大きな打撃となったとか!あの路線跡、富川駅の駅舎はずっと残して欲しいですけど〰️そして赤い橋梁・ちょっと切なく心に残りました(._.)
ただ苫小牧駅と鵡川駅との間では引き続き営業中との事ですね~?!🤗
風邪気味でちょっと寝込みました(^^; 急に寒くなってきてます!ゾヌさんも健康に気をつけて❗️今後も日高本線機会があったら配信してくださいね(^_^)v ありがとうございました🌿
こんばんは!
風邪、大丈夫でしょうか。無理しないで下さいね!
こっちも寒くて冬支度です。探索はしやすい季節ですけどね!
海岸浸食でここまで流されているなんて、自然は恐ろしいですねぇ……
線路を敷設した建設した人達も、こうなるなんて思いもしなかったんだろうなぁ。
自然のバランスは絶妙なんですね。そこに手を加えた結果か・・
国有化後の延伸区間は海岸沿いを避けて内陸部に敷設されてます。やはり民間資本の軽便鉄道ゆえの弱さはあったんだと思います。
画面揺れも無く見やすい映像ですね。
ありがとうございます。
30年前に 日髙本線 様似まで乗った事ありますが 綺麗な海岸線が素敵な路線でしたね・・・
もう 海岸浸食で この路線は復活する事は無いですが 寂しいですね
往時の映像を見ました。乗ってみたかったな。
まだ千歳線に東札幌・月寒駅があった頃、家族と静内の桜を観に急行で行った記憶がある。
やっぱり静内に行くなら春かなあ
こんばんは ゾヌさん
まぁ たとえ台風や地震、海岸線浸食が無くても昨今のJR北海道の経営状態では路線存続は無理だったでしょうなぁ・・・
ですね。鉄道自体が道内ではもはや斜陽・・
‘94年頃に北海道ツーリングした時は何事もなく平穏で優雅な景色を堪能しましたね…
どこの駅だったかは覚えて無いんだけど、1度乗ってみようと立ち寄って時刻表を見て諦めたのを覚えてますね…今想うと待ってれば良かったと…… 廃線や廃道は今一度訪れてみたいものですね
過去の映像との変わりっぷりにビビります。
どこを走っているのかわからないくらいに・・
廃道など見に行く際はお気をつけて。
2015年1月14日、免許更新の為にJRで三石〜静内を利用し降車際に駅長から、次の下り列車で通行止めになるから遅れないようにと言われ、その通りに翌日から日高線は長き不通期間に入り、そのまま廃線になりました。
ですから、私の自慢はJR日髙線の最後の運行に乗車出来た事ですね。
なんともな巡り合わせですね
昨年夏にサイクリング日高線めぐりで訪れたところばかり…
沙流川橋梁の変状は、西詰へ行くとよく確認できました。
鉄道現役の頃から日高線が好きで、何度か乗ったところです。
懐かしい…
あんだけ構造物が残っていると虚しくなってきますね。
乗ってみたかったな。
去年、旧大狩部駅周辺見てきました。あちらも酷い状態でしたね。
今後はそっちら辺も見に行きます。
道路の廃道は先人たちの苦労や努力が感じられますが、鉄道のそれは寂寥感が強く漂う感じです。
元々赤字だったとはいえ、災害で廃線になるのはどことなくもの悲しく感じるものです。
私の住む九州でも、高千穂線と彦山線、未定ですが肥薩線という例があります。
鉄道自体が交通の主役でなくなっていますからね。特にこの土地では・・道路は新道と言う次代に繋がるけど、廃線はそれがない。だから余計に寂しさを感じるのでしょう。
一応自治体側は被害が軽微な鵡川~日高門別間の運行再開も希望してた様ですが、胆振東部地震で歪んだ鉄橋の問題もあったんですね、私も代行バスから見ましたが日高線の再開は無いなと思っていました、もう路盤が無い状態ではJRが赤字路線の復帰をする訳が無いです、国鉄時代は札幌から帯広まで国鉄バスを挟んで行けたのに今はJRバスだけに成ったのが寂しいです。
国鉄バス。しかも、国鉄末期でも路線内のほぼ各駅からは、山中にある、鳩内、上野深、農屋、熊臼、目名太、杵臼など、今じゃ廃村レベルの集落にまで路線網が張り巡らされており、これらの地へもワイド周遊券で乗ることができたのが驚き。当時のネット上の乗車記録レポや写真などはゼロに近く、今なら訪れる秘境マニアが多数いたでしょうね。
廃止はやむ無しですが、撤去もできない状態だと特に橋梁などは今後危険が増しますね。
こんばんは!ゾヌさん動画アップありがとうございます!
懐かしい景色です!
子供の頃電車の窓から見ていた景色です。
毎週日曜日は電車に乗って海、山、川、馬、風景など見るのが
楽しみでよく乗ってました!
また大人になったら乗りたいなって思ってましたが叶わなかったです。
来年あたりにドライブがてら眺めに行こうと思います。
話ズレますが、静内の駅構内にあります立ち食いそば屋美味しいですよ!小さい頃よく食べに行ってました!
もしよる時間あれば寄ってみてください!
懐かしんで頂けて嬉しいです。
今回は静内手前で引き返しましたが、いずれまた来ます。
今年、新冠までキャンプに行った時に通ったのに〜、見てなかった!残念ー。
ここは絶景区間で有名だったんですよね。
ただ、太平洋の荒波を直接受けるので、維持管理は大変だったと思います。
費用対効果が・・鉄道が主体だった時代ならともかく・・
それだけ海岸が侵食されているということなんですね…鉄道や道路どころか土地そのものを守らねば。苫東の港湾開発も波の生成に影響があるのかなぁ。
各地の港建設も海岸浸食に大いに影響しているそうです。
やはり自然に手を加える弊害は色々ですね。
元主要駅だけでしたが、廃止区間の旧駅巡りをしたことがあります。体力のないJR北海道にとって、対費用効果が全く見込めない路線ですから、一旦こうなってしまうと廃止も止むえないですね。
寂しいけどそれが現実ですよね。ていうか国道も危ないな、あれは
最近は廃道よりも『ゾヌ』って名前の由来が気になって夜しか眠れない
RUclips出現前、2ちゃんねる初期に生まれたアスキーアートのキャラクターでしたっけか。
半分はそれで、もう半分は亡き飼い犬ですな
235号の廃道脇には先代の護岸の無残な姿がありました。
ヤバイと思いましたね・・
沙流鉄道(沙流軌道)については、平取町の二風谷アイヌ文化博物館の裏にある「沙流川歴史館」に行くと、少ないながらも鉄道が走っていた時代の写真や地図の展示がありますので是非お立ち寄りください。5年ほど前に沙流鉄道の特別展も開催されました。
町内の有名謎廃墟「ハヨピラ」についても調査展示がされたことがありました。
門別図書館郷土資料館には機関車の模型があったように思います。遠い記憶ですみません。ハピヨラ、調査したんですねw あれ、すごいですよねw
@@quakerstatemotoroils 情報ありがとうございます。門別町の郷土資料館の方は未訪でした。こんど行ってみます。ちなみにハピヨラでなくてハヨピラだそうで、私も2年前までずっと長い間「カピバラ」のノリで「ハピヨラ」と言い続けてきました。特別展が開催されたそうで、もう期間終了後でしたが、大きなポスターが貼られているのを見ました。
かつて富川から東町駅まで、一回だけやんごとなき用事で乗ったんですが…大狩部の不通、その後清畠付近の路盤流出と、沿線住民として日高線が廃止に向かう様をリアルタイムで辿ることになりました。
無傷だった門別まで単線の往復で残してほしいという声もあったのですが、地震で被災し、叶わぬことになりました。
日高門別駅は残るようですが、浦河駅、様似駅など、駅舎は残してほしい!
ちなみに沙流鉄道、容易に探索できます。すごくわかりやすいですよ。
今回もナイス探索でした!
「東町駅」。なんでこんな辺鄙なとこで、人が大勢降りるんだろう?と、日高線の列車に乗っているだけでは気づかなかったのですが、後で地図をみると、総合病院や高校などの最寄駅ということで、旧乗降場レベルなのに、かなりの利用がある駅ということを知りました。旧様似駅からも、ここ東町ゆきの切符が常備であったくらいで不思議に思ってました。
@@Su---- 浦河の街の構造っておもしろくて、今も駅構内にその痕跡がありますが、現在の国道も含め浦河駅より海側は全て埋立地で、線路のすぐ横は海だったんですよね。駅から東町までの平地部分も段階的に埋立が行われたようで、元々は東町に公官庁街があったようなんです。
浦河町、ゾヌさんに旧道探索してほしい町ですね。あ。静内も。
東町は正式に廃線になる前に行きましたが半分砂で埋まっていましたね…
様似駅の横断幕に何か来るものがありました。
無機物にも感謝と愛着を向ける事が出来るのが人間の素晴らしさだと思います。沙流鉄道、興味あります。調べてみますね。
浦河も道路的に見て面白いですね。確かに全く町並みが変わっている!
目は付けていますのでいずれ。
胆振線、岩内線、興浜北線、興浜南線、士幌線、広尾線、池北線、根室本線旧ルート、夕張線など、旧国鉄の廃線は多数。これらも踏破して欲しいところ。
厚賀川橋梁も見ごたえがありますよ。長靴が必要ですけど。清畠駅の裏でよく釣りしました。砂が入って浅くなったので今は行ってません。
フフフ、長靴もウェーダーも常備だ!
こんにちは。ご無沙汰しております。日高本線はとうとう行けず仕舞いでしたので、動画を見て寂しい思いを噛み締めています。北海道一週したのは30年位前ですが、その頃はどの列車も活気に溢れていて、本線が無くなってしまうなど考えもしませんでした。鉄道は通路を自前で確保しなければならないので、税金で補修してくれる道路にはかないません。同じ様に台風の被害に遭った道央道が大変な工事で復旧されたのが羨ましい気持ちになります。少子化が進んで、北海道の鉄道は一部を残して殆ど無くなってしまうとも言われ、この先、この国の鉄道や道路、インフラの在り方を考えると重い気持ちになります。
96年の日高線の映像を見ましたが、ビックリするほど海岸が無くなってますね。護岸をつくっても別の場所にシワよせが来るし・・
自然の力の前には人間の力など無力なのだなぁと感じました。
全く同感です。
これは赤字黒字以前の問題で、正直、悲しくなりました😢
慶能舞川橋梁行かれましたか。動画を見た限り、河口の水量から干潮時だったように思いますが、自分が行った時は満潮時+比較的波があったので、橋脚の位置からしても殆ど海に橋が渡っている感じでした。他の方のコメにもありますが、大狩部駅すぐ、苫小牧側も静内側も路盤が流されて線路が宙ぶらりんのままになってますので、機会があれば行ってみるのもいいかも知れません。
大狩部の方も航空写真で見るからにヤバいですね。
今後もちょくちょく撮影しに行きます。
まるで世紀末...。
イースター島のアレみたいな・・・
ああ・・(笑
これは良い映像記録。この海岸とかR229雷電海岸などは、人間が交通インフラを通してはいけない場所なのかな。侵食が想定以上に進むのは、砂を供給していた河川にダム・砂防ダムをたくさん作ったことも原因の一つと思います。
新冠町史などでは60年代の時点で危惧されており驚きました。
なんも知らんなオレ
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北 車で走れる砂浜で有名な千里浜なぎさドライブウェイや鳥取砂丘も急速にすり減っています。永遠に終わらないと言われる立山砂防事業の影響も興味深いです。
ダムと護岸工事の影響だねぇ
河川の土砂運搬力が削られて砂浜を維持できなくなる。ここまで顕著な例もそうないとは思うけど。
日高本線ですか
原形は王子軽便鉄道海線ですね
元々はどこまで続いていたんでしょうね
多分原木運搬がメインだったんでしょうね
山線は知っての通り
苫小牧から支笏湖畔や千歳川流域の五つの発電所を結んでましたね
湖畔には対岸の千歳鉱山からの船着場が有った様ですが
船着場と湖畔駅の間にトラス橋が有りますが
函館本線滝川の空知川橋梁の一つを移設したそうですね
千歳鉱山の鉱石も室蘭本線 函館本線 石北本線を経て
上川の中越まで運ばれ製錬されたそうです
中越駅も廃駅に成りましたが
幼い頃国道333を走る時
こんな人も住まない
何もない所に信号所まで有るこんな駅がと思いました
沿線には思いのほか住宅等が多いんですね。
一時は反対側から延びてきた広尾線と繋がるかのような勢いでしたが、両方とも無くなってしまいました。
災害で不通 ⇒ 廃止、というJRの常套手段にはまってしまいましたか。
広尾線とつながるなんてロマンですね。
いや、どうやるんだよと言う感じですけど。
普通、侵食が激しいところには やや沖合に消波ブロックや防潮堤みたいなのがあるはずなのに、全くないんですね
😳そう思い出した、鉄路もヤッてるって。
その先は残ってるけど賀張の所は海側に鉄路が有った、橋脚が残ってる清畠駅から山の方に曲ってるけど元は真っ直ぐ厚賀に向かった、盛土も残ってる。
で、思い出したけど苫小牧〜勇払間も今と違うルートを辿ってたはず。
それと門別の旧道上がらず国道に出たんだ!旧道の坂の上りかけの右側入って行くと浜沿いに鉄路が残ってるのに🤭
広大やけど寂しいな...
ゾヌさん、いよいよ鉄道廃線跡にも、本格的に進出ですか??😅
いや~まだツマミ程度ですよ。まあまだ二本分出してない動画がありますけど。
せめて静内↔東町だけでも残して欲しかったですね。高校生の通学の足として需要はまだまだ有ります。
1983年まで富川に住んでました
父の転勤で内地に引っ越す事になりましたが子供時代を過ごした懐かしい町です
動画左側に富川小学校がちらっと見えましたね。
床がコンクリートの屋内体育館で今思い出しても珍しい作りだったと思います
当時、新規に富川中学校を建てるとの事で小学校の体育館はどうですか?と在校生にアンケートがありました
よくコンクリートに頭を強打して痛い思いをしていたので新しい中学校の床は絶対「板」にしてくれと書いたら採用されましたねw
沙流川の橋梁は過去にやっちゃいけない事をしました
友達と次の列車が来る前に渡りきるぞ!なんて度胸試しをして失敗。
橋梁の真ん中で列車を急停止させちゃいました
当時の国鉄から学校に厳重注意されたらしいのですが当事者不明のまま逃げ切りました
子供頃とはいえ本当に申し訳ありませんでした。
海岸線は70年代後半からの数年間で急激に侵食されていきましたね
静内や春立の海岸線はすごく綺麗でキャンプやコンブにまみれての海水浴は楽しかった思い出があります
しかし、なくなって行くはあっという間でした
知識がないので理論的な説明は出来ませんが苫小牧の港湾工事が時期的に関係してると私は思ってます。
この町を去る時は富川駅でした
動画にあった駅ではなく古い方ですね
戻る事はないと感じていましたがその通りになってしまいました
ですが親戚が静内周辺にまだ多く居ますので機会があったらまた富川に寄ってみようかと思います
動画ありがとうございました。
港湾工事で砂が流出しなくなり、バランスが崩れた可能性は大いにありますね。故郷をお見せできて良かったです。
何で富川人は沙流川橋梁で スタンド・バイ・ミーごっこするんだろ…
2〜3年に1回は誰かしらやってたな
日高、一つはさんでまた日高。さらに隣に一つはさんで新日高。どうしてこうなったwwwww
門別と平取が仲悪いから飛び地合併したんだよ(昔から何故か仲が悪い)
昔の門別は ものすごく貧乏で財政破綻寸前だったんだ(資金源が馬しかないから)
門別的には平取を吸収したかったんだよね(平取はダムがあるから金持ちだし)
今は競馬場が当たって潤ってるけど金目当てで寄ってこられたら そりゃ嫌だよね
「新ひだか」は三石と静内が新しい町の名前で揉めて「真ん中取って新ひだかにしよう」となったらしい
↑そのまま静内町にしようとして三石から猛反発を食らったとか(そりゃそーだ)
これはバス転換も納得です。
経済的もですが物理的にも厳しい状況なのでJR北も無理だと判断したのでしょう。経営がよろしくないJR北にとっても、新線を作る余裕はないですしね。
以前他チャンネルで見たところと同じ場所か分からないけどかなり酷い状態ですね
話に聞いていたけど昔の海岸線はもっと沖の方だったのは本当のことでしたか
昔の写真や映像を見るとビックリしますよホント
お疲れ様です、線路や橋脚は撤去していないのですね。これだけの鉄くずがあれば結構な金額になると思いますが、撤去費用も馬鹿にならないかな?
バカにならないのでしょうね。撤去費。多分鉄の売却費じゃ全く賄えないのでしょう。
最近の海岸線はみんなこんな感じなんですかね?日本海側の石狩などもそうですし。北海道は広いので人口がちょっとでも減るといきなり過疎化ですもんね。電車って最短距離で走るから早いんですけど、列車の旅とか利用法ないのでしょうか?遠征お疲れさまでした(^-^ゞ
列車の旅は旅情たっぷりですが、それだけで維持はキビシイでしょうな。今は国民のサイフも寂しいし
そういうたら日高『本線』やけど
細々と運転されてた貨物のカマは蒸機時代はC56、無煙化されてからDD16やったな
もともとは軽便鉄道やったけど路盤が弱くてあまり軌道を強化できんかったんやろな
早くから旅客列車は全列車気動車化されてたし
不通区間から廃止うんぬんがクローズアップされたけど
以前から何回も災害にあって被害が出るたびに復旧できたのは国鉄やったからやと思う
日高線は本来、広尾に抜けて、広尾線に接続する筈の路線だったと思いますが。日高山脈は地質的には、地下のマントルが露出しているような非常に特殊な地質の為。トンネルを掘れるような場所では無かったのですね。
何せ日高山脈と言うモノは、太平洋プレ-トと、北米プレ-トとがガチのぶつかり合いをした結果、出来た山ですから。(道東界隈の山の多くももほぼなじ仕組みでできた山ですが。)だから、十勝沖が地震の巣となっているのです。
現在ここにはR236の野塚トンネルがありますが、1979年に工事が始まって1990年にやっと供用開始に成ったようなところです。ここは、橄欖岩と言うめっさ硬い岩盤がトンネルの掘削を阻んできた場所です。明治大正期の技術では掘り抜く事など不可能な場所でした。こうして日高線/広尾線は盲腸線となってしまいました。
それでも、60年代から70年代前半の北海道ブームの頃は、日高の山へとやってきた観光客が押し寄せてきて、連日列車は満員だったそうですが。
確か掘ったけど崩落した楽古トンネルがあるんですよね。
サムネ新しいアクサダイレクトのCMかと思った
ええ!?
2015年廃止
つい最近じゃ...って思うけど。
もう7年も前なんだね。
復興に尽力しているんだと思ったけど、
無理だったんだね......
でも、塵も積もれば山となるではないけれど...
作るのを拒むかのように襲われたんですね。
そうなんですよね。時が経つのは早いものです。
私は結局乗ることはありませんでした。
富川駅のすぐ側に沙留太駅があったらしいけど その痕跡は綺麗さっぱり無い
普通「ここ線路(駅舎)あったっぽくね?」って痕跡が ほんのちびっとでもあったりするんだけどね
何で「元々何もなかったよ?」レベルに消すんだろ?
沙留太駅の現役時代を知ってる人は もういないんだろうなぁ
30年前でも数人しかいなかったし(子供の頃あったって言ってた)
ちなみに富川駅は地元ヤンキーの酒盛り場でした(田舎あるある?)
↑一度だけ招待されたけど あまりにもヤンキーばかりで怖くて それ以降参加しなかった
国土が侵食の感。😩ここだけの問題じゃないよね😢わしのとこも。
この辺りって高度経済成長期の河川改修で土砂が減って河岸侵食されて海岸線が後退した地域じゃなかったっけ
港の築設もバランスを崩してしまった様です。
線路片付ける体力も無いのか。JR北海道😢
ちょっと前に廃止になった、江差線は上ノ国町内だけでも線路や施設を撤去するのに18億円だそうです。
日高線の100キロ以上の区間ともなると・・うへえ
長靴もウェーダーも常備してるぜい!
将来的にはいずれ国道も浸食されるのではないのでしょうか。
新冠などは昔はもっと海側に道路があったそうです。
現道もいずれやられるでしょうね。
関わった人には
こうなることは
わかっていたけど
今更ですね。
ちょうど先週富川駅の跡を見に行ってきたところでした!
ゾヌさんと行き先がシンクロしすぎていて、いつかばったり出会ってしまうのではないかと 笑
ハハハ。まさか新冠の235号廃道の踏み分け跡はあなたか!?
なんてね!
2つの軽便鉄道の国有化まではいいんだけど、費用対効果が低くて災害にも遭いやすいのがわかっていたはずなのになぜ鉄道を伸ばしたんだ?
改正鉄道敷設法ってやつ?
大正時代の話なので、入植者の促進と当時貧弱だった道路では賄えない「北海道拓殖」の国策的要素があったかと。
何回も言っている、苫小牧港出来てから、海岸侵喰始まっています、北海道開発局に物申します、日本テトラ、不動テトラ現在、護岸ブロック設置して元の状態戻してください!お願い致します。日高本線もどうすることもできないのもそこにあるはずです‼北海道開発局頑張ってお願い致します。