There was a play called Ochiyo to Hanbei that was popular in the Edo period. The story is about a man and a woman with secrets who travel and finally commit suicide together. The painting is a poster of the time. A man and a woman hold hands and enter a paper umbrella together. Especially a torn umbrella. Although Japan seems unique, such images can be thought of as metaphors for "secrets of men and women and suicide". The same would be true for the poster of the grave of the fireflies. It's a hidden message. Although Seita and Setsuko are not lovers or suicides. The two people holding the umbrella have a secret binding each other's deaths. It was Seita's selfishness that kept the two of them away from society and community, and it caused Setsuko to die. → in fact, even in the opening scene shortly after the war, a kind person gave Seita rice balls. He had some money as save but actually didn't use it. He's been a bit of a jerk somewhere. Basically, Setsuko is innocent of anything, but Setsuko's death has caused Seita to lose him humanity and he has given up on living. It's a bad way to put it, but it can be said that Setsuko possessed Seita and killed him. That's why the two of them who met after death seem to be somewhat happy. You can't live apart from society and live in a world of two people alone. Something like that. I wonder if it will be understood. Is it ok? Overseas bro! Worship Otaking!!!!!
「かぐや姫の物語」の考察も凄かったけど、「火垂るの墓」もやべえな…。
何度もしっかり観てたつもりだけど気づけてなかったことばかり。
岡田氏のおかげでどんどん高畑さんが好きになる。
小学校1年生の時見た時は怖くて泣いて
小学校3年生の時は悲しくて泣いて
小学校6年生になるとせいたにムカついてなけなくなったのをよく覚えている。
色々教えてくれた作品だったなぁ
赤いせいたの霊が過去を回想するとき、毎回それはせいたの後悔するポイントだった。
本当は節子のために、違う道、選択があった
何度もチャンスはあった。
はじめに赤いせいたが現れたとき、電車にのって親戚の家に向かうとき。
あれは、良いとこの坊っちゃんであるせいたが
近所の人の誘いを断って
親戚に向かうとき。
節子がお母さんの服を売られて大泣きしてるときも
せいたは、その気持ちをわかってやらず
米に変わって喜んでた。
その時
赤いせいたは耳をふさいでた。
死んでから、わかることも、あったんだろう。
節子が大泣きしてるのにその気持ちをわかってやれなかったことを
死んでから後悔しても遅い。
防空壕でも空襲とともに
親戚のおばさんが言った言葉を
その通りに、しとけば良かったと
赤いせいたは後悔してるせいたのしくじった選択肢の時に現れてた、
見てわかった。
わあー本当にそうですねえ!
死んだら餓えに苦しまなくて良くなったから、霊になってから 「人間らしい」後悔の苦しみが支配するようになってしまったのかな。
斗司夫の飲み物飲む姿が可愛くて推せる
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続きのメンバー限定動画はこちら(2021/9/14まで)→ruclips.net/video/Tm-fhW5DclU/видео.html
岡田斗司夫ゼミプレミアム・メンバーは無期限でお楽しみいただけます。
ここまで深く理解できるのは嬉しいですが、胸が締め付けられるようで辛いです。大切な人を大切にしたいと思います。ありがとうございます。
戦争やひもじさはあくまでも背景や設定で、己の業により辛い思いをして煉獄に行くという残酷な解説動画でしたけど、アップグレードの心中話で少し救われました。
ありがとうございます。
小さい頃蛍の墓を見て、最後に無表情で見つめてくる清太に大泣きしたの覚えてる。
こんな内容だったとは知りませんでした!
いくら悲しくても腹は減ります
「『火垂るの墓』の様なものが戦争を食い止めることは出来ないだろう。
戦争というのはどんな形で始まるのか。情に訴えて涙を流させれば、何かの役に
立つか。心とか情というのは、人間にとってものすごく大事なものではある
けれども、しかし、平気で変わってしまう。何が支えてくれるかというと、
やはり『理性』だと思うんです。戦争がどうやって起こっていくのかに
ついて学ぶことが、結局、それを止めるための大きな力になる」
~2017.04高畑勲監督発言~
更に続けて日本人特有のズルズル体質(同調圧力?)が戦争を生むとして
危機感を示されました。作りごとの可哀そうな物語として閉じるので無く、
自分の身にもふり掛かり得る出来事として追体験して欲しかったのだと
思慮します。
亡き妹の雑炊、スイカを食べると云う行為、構内で下痢便を垂れ流して
衰弱死して行くと云う事(臭いが有ればもっと強烈だったでしょう…)、
異常が正常となる戦争には当然、高畑は強烈な反対論者であった事でしょう。
高畑は「感じるので無く考えさせたかった」のだと思慮します…
では何について?
~ほとんど必然としかいいようのない成行きで妹を死なせ、ひと月して自らも
死んでいく。~高畑勲監督『「火垂るの墓」と現代の子供たち』
其の原因について、如何すれば防げたかについて等々、情に棹差して
流されるので無く、智に働いて。戦争と云う大きなトピックだけで無く、
「8050問題」「いじめ」「虐待」「介護」等々、現代にも清太と節子の悲劇の
構図に当てはまる人々は多々います。
作品を素直に読み解けば、「他人事では無いですよ」と画面越しに清太は
問いかけて居たのでは無いでしょうか?
煉獄に滞留した罪って、
誰も頼ろうとしない清太の意固地、拗ね。
節子はそれによって亡くなった。
それを今さら切り替えて自分だけ生きることは許されないので死に向かわせられた。
そういう罪なんでしょうか…。
私も、誰か身内を意地の道ずれに
迷惑かけてないだろうかと、
すごく響きました。
ありがとうございます。
鈴木さんと高畑さんと宮崎さんの関係ってなんだか羨ましい。戦友だよね。
反戦映画ではないということはすごく理解できるけど、やっぱり見てて胸糞悪かった。火垂るの墓は戦争で親を失った子供が思考停止(鬱)になってしまう映画だと思う。そうゆう意味で戦争が子供から何を奪うのか描かれてて、悲しかった。
子供の時に初めてこの映画を見たけど、普通、お母さんの火傷した遺体をみて、すぐ切り替えができる人なんていないと思った。せいたはメンタル弱すぎるけど、子供にとって親って全てだからそうゆうものかなって感じた。
せいたは戦争という現実から逃避してもう一度家族という愛を探してしまうということが戦争では誤った判断になる。それが悲しいと思う。素晴らしい映画だということが、この動画をみてさらに感じることができました。
火垂るの墓、戦争経験の祖母と見た記憶がありますが、小学生の頃の自分はせいたのエゴを感じて節子が無垢すぎて悲しい映画と感じていました。
いまも親となった自分が見ると、幼児の無垢さを大事にしないといけないと感じる映画です。
母が火垂るの墓を見て
「感動するって皆言うけど、主人公に怒れてきちゃってこの映画好きじゃない」って言ってたのは、ちゃんと映画を見れてたんだな…
せいたが火葬する時に目がキラキラしてるの子供の頃も今もせつ子がもう苦しまずに済むんだ。
って喜びと安心かと思ってた
それもあると思います
節子が死んでしまっても泣かなかったのって単純に悲しみを通り越して涙すら出ないと思っていたけど、そんな見方があるとは思いませんでした
私にとっては、社会のレールから外れると生きていくのは困難だ、という事を再認識する作品です。
どんなに今いる環境が辛く、疎ましい所でも、レールから外れると生きていけない仕組みになっている。
レールの先が幸福ならいいが、この時も社会は戦争というレールに乗っていた。戦争孤児としてそのレールに乗るよりも、二人の幼い子供が一縷の望みをかけて二人で自由な生活を試みようとした事は決して悲しみだけでは語れない。反戦映画では無いとはいえ、子供や社会的弱者が損をする様な残酷な社会のレールをしかない様に常に視線を感じている。
「火垂るの墓」は、原作者の野坂昭如先生の実体験を基に作られているそうですね。野坂先生は、実際に、この作品と同じようにして、妹さんを死なせてしまったのだそうです・・・。
金ローで初めて観て一番衝撃を受けたのがラストの神戸の夜景でした。予想もしなかった画面展開にギョッとなった。
8月の定番プログラムだけども、反戦がテーマの映画というだけで鑑賞するのは浅い。なん月に放映しても観賞する価値のある映画。
冒頭の説明でもう涙が・・・
空襲から清太の死まで3ヶ月くらしいかなかったのか…!半年くらいはあるかと思ってた。3ヶ月で衰弱死してしまうって…
有名な写真『死んだ妹背負い火葬を待つ少年』と主人公の少年が重なってなりません。神戸、西宮は私の地元でしたので冒頭の三ノ宮駅の映像の意味も直感で解りました。
先日、神戸へ参りました、タクシーの運転手さんに火垂るの墓の清太の最後、三ノ宮駅だったんですよね❓️と話かけたら、本当の場所は、、、ところさすが、長年神戸に住んでいらしゃるから、色々な、お話きけました、ありがとうございます💮
今の私は解ります。義母の介護からの義母の死。父が死んだときでさえ、ほっとした気持ち。人の死を正面から見つめて、看取った人間の壊れた人間性。本物を経験しないとわかりませんよ。
自分の父も祖母が死んだとき同じような事を言っていました「やっと死んでくれたかと思った」と
祖母の面倒をみて苦労していた父を見ていた事もあり、私は何も言ってあげれませんでした
祖母を二年間介護していました。
父は私が16歳の時に他界し、母と弟妹は引っ越し、兄は行方知れずになりました。
その後祖母は老人鬱になり、今まで家を守ってくれていた人から、家を荒らす人になっていきました。
何かを探すかのように毎日部屋が散らかっていき、その場で用を足し、炊飯器も冷蔵庫も開けっ放し、ご飯はカラカラに渇き、冷蔵庫は水浸しでした。
祖母の現状を受け止め切れず、何度も怒り、何度もやめてほしいとお願いしましたが、いたちごっこでした。
会話もなりたたなく同じことを繰り返し出しました。
気がおかしくなり、祖母に包丁を向けたことがありました。
祖母は包丁をつかみ、殺してくれ、と怒りのような悲しみのような表情を浮かべ、私の手ごと包丁を自分の腹に刺そうとしました。
祖母の行動に狼狽し、浅はかな自分を恥じました。
孫だろうが、関係ない。
孫だから、絶対的に守ってもらえるのではない。
今まで十分守ってもらった。
次は自分が守り返す番なんだと思い至りました。
そこから二年間。
あっという間の二年間。
でも、とても長い二年間。
日に日に酷くなる祖母の症状。
かさむ介護費。
どんどん、崖に追いやられていくような、そんな気分でした。
つらい。
でも、生きていてほしい。
でも、やっぱりつらい。
それでも、そんな日々がこれからも続いていくんだろうと、なんとなく考えていたある朝、普段なら起きている祖母が寝たままでした。
呼んでも起きませんでした。
いつも、祖母が寝ている時、不安になって、息をしているか、確認するのが日課になっていました。
そして、いつも安堵するのです。
祖母の寝息や息づかいを確認して。
大丈夫だ、と。
でもその日は、何度呼んでも揺さぶっても、起きませんでした。
心肺蘇生法も考えましたが、驚くほど体が冷たくて、何をしても還ってこさせることは不可能なんだと思いました。
それなのに、亡くなってから火葬場に入るまで、もしかしたら戻ってくるんじゃないか、動くんじゃないか、そんな意味不明な事も考えたりしていました。
あまりにも、普通の、いつもの寝顔でした。
納棺前に、葬儀所の方がお化粧をしてくださいました。
とても、綺麗にしてくださいました。
生前、身なりを気にして外に出たがらなかった祖母の最後の姿を写真に納めました。
不謹慎な、という親戚の視線を感じました。
でも、もう今しか祖母の姿を残せないと思うと、撮らずにはいられませんでした。
あれをしてあげたかった
もっとこうしていれば
そんな意味の無い事を考えているうちに、祖母は骨となりました。
火葬場を出て、祖母の遺骨を持って川原にいき、遺骨を隣に置いて何時間もただ川を眺めていました。
そして思うのです。
私はホッとしているのかと。
生きてほしいと思っていた。
だけど、この苦労からも解放されたいとも願っていた。
せいたくんの、節子を燃やしてもらっている時の表情を見ると、この時を思い出します。
大事な人が亡くなっても、お腹も空くし、眠くもなる。
そんな自分が腹立たしくてみっともない。
これが、生きていると言う事なのかな、と、最近思うのです。
そんな醜い自分が、私は今でも嫌いです。
乱文乱筆失礼致しました。
@@al_saratan 様 「そんな醜い自分が、私は今でも嫌いです」その思いが看取りを経験した人間にとってのリアルですね。
時間の経過とともに酷い記憶は昔よかった頃の記憶にすり替わってきましたが、日常のふとしたことでよみがえります。
(私の場合は水が床にこぼれたり、裂けた布をみたとき)文章を拝読する限りあなたも十分介護をやり切られたと思います。
「そんな醜い自分が、私は今でも嫌いです」あなたの言葉を私は自分の誇りとしてこれからも生きていきます。
あなたは醜くなどありません
あなたは一生懸命やった
思いも感情も 変わっていった
それが人間です
あなたは自分の気持ちに忠実なだけ
あなたを尊敬します
光が死にゆくものを表してるから、最後のビル群も、彼らもいずれ死にゆく存在だということを示唆しているのかな。
そして核に包まれて、北斗の拳に繋がっていく話なんですね。
実際映画公開から7年後に阪神淡路大震災が起こって
神戸で大量の死人がでていることを思うと
北斗の拳云々は置いておいてあのラストは怖い
私の親や祖父母も同じ風景を見ていたんだな…神戸の空襲がひどくなって広島に引っ越したが……
煉獄に捕らわれた話だったとは。
この煉獄=いつか罪が消えればちゃんと天国に入れるってとこが勲だなと感じますね
ラストの回想シーンは節子ちゃんが
「大人の女性」になっていたらを描
いています。順序が逆になっていて
1,赤ちゃんが産まれた。2,結婚式(布
を頭から被っている=ウェディング
ドレス)で1と2は誰でも分かると思
いますが最後の3「女性の象徴」は
かなり難しいかな?なぜ天才高畑
が暗い寝室で節子ちゃんに裁縫を
させているのか?高畑監督がこん
な凡ミスをするわけがありません。
裁縫をしていて指に針が刺さって
痛みと共に血が出てしまう。さす
がにもう分かりましたかね?そう
です「生理」のメタファなのです。
いえ(笑)ではないですね。もっと
直球ですごいことを表現していま
す。これは生理ではなく「処女
貫通」つまり、初夜なんですね。
よくよく目を凝らしてみると暗い
寝室に布団が描写されています
よね(o・ω・o)♪これはネットを
探してもどこにも出ていない情報
ですが私はこれを発見した時高畑
監督に心底身震いをいたしました!
すごい、、、あなた何者?
@@けく-c4q ありがとうございます♪
節子ちゃんが赤ちゃん(人形)おぶって家事をしているシーンや裸で長い布を頭から被っているウェディングドレスはわりと皆さんも分かるんですが最後のシーンはヒントを出しても誰も正解した人はいないです。
暗がりの布団は他のシーンでも描かれていませんか?
実際に2人が寝床にしています。
私は、火事場泥棒等でしょっちゅう家を空けていた時間帯、1人で過ごすことが多かった、1人にさせて自分(清太)は火事場泥棒で入った家のご飯を1人で食べていた。
その時妹は1人で健気に、水辺に映る自分とジャンケンをしながら(鏡なので永遠にあいこになりながら)過ごしていた、、
それも清太の犯した罪の1つ。
そんな描写に思いました。
@@はなこがねぃ 永遠とあいこのじゃんけんをしていた。素敵な言葉ですね♪僕には文才がないから羨ましいです(>_
全部意味があると思って見ると見つけられそうですが、私にはこの映画を気軽に観る気力はこの先湧きそうにも無い。ハート弱いのかな俺
全て観終えた後にOPを見返すと泣きますね。倒れている兄が心配で駆け寄ろうとする節子、それを兄に止められて嬉しそうにする節子。煉獄だろうが何だろうが節子にとっては幸せな再会だったのではないかな。そんな時間が節子に訪れたことに、安堵の涙が出るのです(´・ω・`)
兄に執着する節子が呪い殺したと解説されてますが、節子はたった一人の兄に純粋に会いたいのでしょうね。家族愛すらも観る人の心を抉る道具に変えるなんて映画監督は恐ろしい人達です。
遺影の件のとこ説明される前に気付いちゃって「うわっ」って声出ちゃった
子供の時小学校で君が代反対派の教師に強制的に見せられて拒否感があって、その後数年後にロードショーでやってて母親が泣いてたのと、画面の向こうの異様な重さにずっと忌避してた。意味分かると余計に辛い話な上に重さが何倍にも増すなぁ。
自分は右翼の自覚は無いしそうじゃ無いと思うけど、こんな辛辣で重くて大切な物が砕ける様なメッセージを発していても結局戦争は起こるし、戦争に負けた国、戦争せずとも他国に隷従関係にある国が結果的にこうなると言う話で、コレを起こしたくなかったらその反対側に行くしか無いよね。
演出が繊細過ぎて仮に自分が高畑氏に同じ事言ってしまっても何も言えなくなりそうだけど。
で、最後まで見て自分のこの主張を完全に芸術家の手腕で躱されたな….。
これ見てると、米倉斉加年の「大人になれなかった弟たちへ」を思い出す。
弟用のミルクを盗み飲みして、弟を餓死させたストーリー。
パッと見ショッキングなシーンが多いからほかのシーンがうろおぼえなのだなあ。
母が、悲し過ぎるから(金ロなどで)観たくないという理由でジブリ大好きなのに火垂るの墓だけ観たことがない(笑)
節子が死んだ後 無表情になるのは出来事に感情が追いつかないんやと思ってたし、
食べ物を食べるのは それだけ食べ物が大事だという状況だからだと思ってた。
誰かが死んだあとお腹空いて残されたご飯食べたら「人間性をなくす」っていうふうには思わないな…。
節子から堂々と奪って食べたなら「人間性を失ってる」と思うけど…
「人間性」の考え方の違いかな。
兄妹2人の現実逃避という名の「現実からの逃避行」の物語だと思ってました。海のシーンとか特に兄貴の現実を無視する思考が見てとれると思う。
私は無表情のせいたをみたとき
あー、節子が死んで心無くしちゃったのかなあ、親も妹も居なくなって人で居れる方が無理だよねー 人って極限越すとこんな淡々としちゃうんだよなー、、って思って悲しくなって泣いた
うわー、確かに。
初めて火垂るの墓を見た頃、誰かが死ねば心が揺さぶられて泣くだろうというドラマやアニメやゲームが多くあったので辟易としていて、この映画も冷めた目でみていた。
印象的だったのは最後のシーン。丘の上で赤い幽霊が町を見下ろすというのは、八つ墓村(どの版かは失念)のラストシーンを思い出しゾッとした。
天国に行った霊は、金銀 淡い青緑のイメージで そうでないものは黒灰赤のイメージがあるので、え?不成仏霊?怨霊? となってストーリーを何度か見返した事がある。
この動画と似たような結論にはなったんだけれど、そうか これは心中物か。有料の方も見たけど、なんか久々にスッキリしたわ。
高畑さんの作品形成に対して全く違う話だが笑ってはいけない○○を思い出した
高畑さんは観客に対して泣いてはいけない蛍の墓を作ってしまうのでしょうね
意図的にやっている笑っては○○と違って高畑さんは意図せずやってるからこんな乖離がおきるのでしょうね
なるほど…非常に興味深いです
シン・エヴァでの第三村のシンジとアスカの関係がなんとなく清太と西宮のおばさんの関係に見えてきた
人形浄瑠璃だから、主人公たちは関西の人でなければならなかったんですね。江戸の心中は情念ではないです。江戸は「情け」ないところなので。
家出を妄想してた小学の頃
小難しいこと抜きで
家出の冒険心でこの映画見てたの思い出したわ
家出前のシーンはほとんど印象に残ってなかった
遺影しゅごい
清太の主観で描かれる
火垂るの墓と
ソフィーの主観で描かれる
ハウルの動く城
ッて事か
岡田「僕みたいなサイコパス野郎だけがw」
自分を良く知っとるな!w
ハヤオは「感情消して歌って!」って言って
米良さんに「感情入れなきゃ歌じゃない!」ってキレられてたけど
アニメでは感情出さないのは許せないのか
野坂昭如氏のキャラクターを考えると納得ですね。吃音気味で、典型的なシャイすぎて、酒飲んで「おう!」とか暴れるタイプ。
清太は、親戚の家での生活を我慢し続けることができなかった自分を責めているのかと思ってました。
岡田先生!49:16秒の所で、置いてあげてるおばさんが、こっちを一瞬見て正面を向くのですが、それはなんでだと思いますか!?
あと、まだお母さんのお骨を持っているのに、お墓に入ってる、行こうな、と言うのは何故だと思いますか!?
見れば見るほど謎が多い映画です。
今現在も、ガザ地区などで起きている現実ですよね。人間社会の持つ業のようなもの。これなしには、社会秩序世界秩序が成り立たないものです。私たちの平穏な日常の土台部分に、常に存在し続けているもの。正に現在の日常そのものですよね。
有料部分も見たけど、忘れちゃった
配信し直してるから、有料部分も込みになったのかと思って見たら、同じ無料部分だけだった😅
いくらだった?
@@sho-munoo さん
すいません
もう、覚えてないですが、確か
Amazonprimeで、レンタルビデオの形だったので、そんな高くはなかったと思います
キューブリック版シャイニングも似たような話だったと思う
なかなか深い洞察でとても興味深い内容でした。ただ妹の死んだあと無表情だったのは人間は耐えきれない悲しみに会った時に感情のすべてをシャットアウトすることもある。それと何度も辛い生前を見なければならないのか理由を述べているらしいが、その理由は私には理解できません。不器用だったけれども、懸命に頑張ていたと思う。煉獄のカルマの理由を誰かコメントで教えて下さい。
私も火垂るの墓は二人の心中物語だと思います。清太は二人で生きていける世界を探していました。清太が提げている物が二人の命を繋いでいる全財産なのでしょう。清太は後悔と懺悔もあったでしょうが、清太なりの意地が有ったと思うのです。それが命を縮めてしまったのですが‥‥。
ほんと、動画じゃなくても
せつこに添い寝してる写真1枚だけで、泣く。
まぁ、タイタニックでもほとんど泣いてるので笑
どうかしてるのかも私が笑
子どもが生まれたから、また見たらさらに号泣だろうな…
蛍をかやの中に放つシーの引きは、遺影と言うお話。
子供の頃見た時、骨壷を包む台形の白い物だと思った記憶がありました。もしくはお墓そのもの。
岡田斗司夫ゼミ屈指の名考察だな
節子が出てくるだけで何回泣いてたかも…
妹が亡くなった後無表情であった件
実際に世話をしていた肉親が亡くなり、その葬儀(?)やその準備の時は、無表情になると思うのです。
それは、開放感と喪失感を合わせた様な心情であり、埋葬をしなければならないという義務感だけで身体が動いている状態では無いでしょうか。
個人的には、無表情な表現には、理屈抜きで納得できました。
心が壊れたとは思えないのです。
どうしても後半が気になったので、Amazonプライムで500で観ました。
ちょっと想像してたよりも常識にあてはまらない異次元な世界でした。
でも人間の証明みたいに人間が持ち合わせる本質が隠されているんだと思った。
詳しくは話せませんが、生とは?、死とは?、性とは?
この話の中の戦争とはあくまでもダミーであって、
この状況というものを表現するための例えでしかない。
岡田さんは怖いという表現していましたが、
必ずしもみんなに当てはまる価値観ではないですね。
本当は現実では死ねなかった「セイタ」役の成仏映画だったのかも?
有料部分の話知ってる人いるんでしょうか?
こんなに無表情がこわいって思ったことない
マシュウの葬式でアンは全く感情が動かなかったのでそこら辺の焼直しなのでは?
いきなり大阪弁うまいなと思ったら大阪出身なのか
巧みに隠しすぎて誰にも気づかれないの残念すぎるだろ笑
16:40 今、40過ぎて非常にわかる。家族が死んだ時の酒と飯ほど旨いものはないよ。それが人間。感情も大して動かない。この作品にインチキが無いことが良くわかる。ここまで読み解く岡田サン、さすが。
うーん。私は良かった頃の母思い出したり、若い頃は真っ直ぐ自分なりに真剣に愛情を注いでたんだな、と昔の写真みて切なくなったりしますけどね。
今子育てしてるけど、私もこのコメ主みたいに、終わり際に感情も動かずやっと死んでくれたって思われるのかと思うとなんのために一生懸命子育てしてるのか分からなくなるな。
@@トイレどこだよ 虐待父がそんな目に遭ったら、私もホッとするかもしれません…関係性と余裕によるのかもしれませんね。せいたは最期に後悔してるようですし…
UGといいつつ相変わらず同じ動画だった
煉獄・・
自分も煉獄に落ちるのかなぁ。
@@toddstone9739 ?
なにいってるの?
@@toddstone9739 ?ごめん。
何言ってるか分からない。
理解できないのはそりゃあコメ主と全然関係ないことを言うからでしょ
煉獄な、、、、
確かに、、、、
あるのかなぁ、、、
さらば青春の光のコント
漫画や、狂言や、浄瑠璃やみたいに分かりにくかったです
二回ぐらいこの動画むが楽しかったよ!となりのトトロもやってね😳俺5月産まれだし!😳🙄😚♥️
せいたが現代でも成仏できてないのは全然気づかなったけど、そこ以外は結構わかってたんだなと気付きました。蛍の墓は全く泣けない映画です。そんな泣いてすっきりして、自分ってまだ泣けるんだ、安心!なんて簡単なものではないと思います。カタルシスなんて微塵も感じません。せいたに対しては、かわいそうとも感じるし、でも自分も妹も生きるためにもっとプライドとか捨てておばに世話になれよってフラストレーションの方が勝ります。節子が死んでも、安堵と虚無感しか感じてないだろうな、と思ってました。スイカやおじやも食べたことはすぐ分かったし、驚きもしなかった。私もサイコパス野郎なのかな。
でもまあ最終的に感じるのは、戦争って人を人でなくする最たるものだな、という月並みの感想しかないですが。
このような解説を聞いた後だと、小学校で見せたりしていることがちょっと滑稽ですね。死を美しいものとして描き、道行ものとして制作されているわけだし。
この思い出を永遠に生きながら、健気で美しい少女の『おにいちゃん』として頼られ、庇護者であり続けるって、いかにも男の人の願望って感じだし。
dear Japanese friends. can please someone explain the last part for me. the reason that seita and setsuko are in purgatory? thank you
There was a play called Ochiyo to Hanbei that was popular in the Edo period. The story is about a man and a woman with secrets who travel and finally commit suicide together. The painting is a poster of the time.
A man and a woman hold hands and enter a paper umbrella together. Especially a torn umbrella.
Although Japan seems unique, such images can be thought of as metaphors for "secrets of men and women and suicide".
The same would be true for the poster of the grave of the fireflies. It's a hidden message.
Although Seita and Setsuko are not lovers or suicides. The two people holding the umbrella have a secret binding each other's deaths.
It was Seita's selfishness that kept the two of them away from society and community, and it caused Setsuko to die. → in fact, even in the opening scene shortly after the war, a kind person gave Seita rice balls. He had some money as save but actually didn't use it. He's been a bit of a jerk somewhere.
Basically, Setsuko is innocent of anything, but Setsuko's death has caused Seita to lose him humanity and he has given up on living. It's a bad way to put it, but it can be said that Setsuko possessed Seita and killed him.
That's why the two of them who met after death seem to be somewhat happy.
You can't live apart from society and live in a world of two people alone.
Something like that. I wonder if it will be understood. Is it ok? Overseas bro!
Worship Otaking!!!!!
子供は大人にガミガミ言われても
大人しく従え…って話ですね
さすが東大仏文
主人(勉)もよく、七輪使ってる
神戸大空襲は、6月9日ではなく6月5日ですよ。
ありがとうございます。勉強になります。
幽霊じゃないよね・・・
この映画をロシア兵に見せたらどんな反応するかな
サッカーのゴールポストをみんなで持ち運ぶときの掛け声「せーーーーーつこ!」
つまらん
「俺ってスゴイやろ俺ってスゴイやろ」
…私の祖母が小さい頃にちょうど空襲があった年があって祖母は曾祖母と一緒に北海道の函館に住んでたらしいんですが…
私が聞いた話はすごく驚いたものでした
祖母から聞いたら「実はあの広島に落ちた爆弾は函館に落ちるはずだったのよ」って言ってた
実はあの爆弾は函館の街に落とされるはずだったのだが空から見た函館は厚い雲に覆われて目的地に落とすことが出来なかったからもうひとつの候補であった広島に落としたのです
私はその時…広島に起こった悲劇は確かに悲しいけど…もし函館に爆弾が落とされて曾祖母と祖母が亡くなっていたら…今の私はいません
そう考えるとゾッとします
確かにそれはゾッとします。今の自分の命がなかったかもしれない、しかも広島に落ちていなかったら節子も清太も死なずに、4人家族で幸せに暮らし、孫もいたかもしれない。人の命なんて人のそのときの思考で未来まで、今このときにまで繋がってしまう。そこがとても怖く、くるしいのですね。
似た話ですが、米軍が長崎に落とした原爆は、本当は小倉の八幡製鉄所に落とす予定だったんですよね。天気が悪くて目標が見えなくて第二目標の長崎に落とされたそうです。うちの実家は八幡製鉄所の目の前なので、予定通りなら父はやられてて自分は存在しなかった筈なんですよね…。
長崎も投下される予定ではなかったらしいのですが、第一目標地点が天候不良で断念。当日晴天で尚且つ盆地で原子爆弾の威力が非常に分かり易いという事で長崎に投下が決定されたと父から聞きました。余談ですが、投下される数日前には赤いビラが撒かれたという話しを耳にした事があります。
しんえばに繋がる?
はっきり言って高畑勲の演出は非常にわかりにくく、何を意図して制作してるのかもはっきりせず面白くないと感じていた。受けて側の実力不足なのは分かるが、伝わらない演出をするのはどうなのか?っていうのは今も変わらないね。
虚な眼差し
クレショフ効果、自分はASD(とADHD)があるせいか、あまり感じなかったし、火垂るの墓も別に泣かなかったし、残酷な話だなとは思ったけど「よく分からん映画だな」と思ってたし、雑炊やスイカを食べてたのも「戦時中で物がないから、そら食べるわな」としか思わなかったなあ。
44:28からなんて言って爆笑してるかわかる人いる?
両親も引きこもり体質だったから
と言ってると思います。
@@銀河鉄道の夜明け ほんとだ!!ずっと何で笑ってんのかわかんなくて…スッキリしました!ありがとうございますm(*_ _)m
何年も考えないよw
えぇ~、泣ける?よくわからん。
セイタのアホさ加減、身勝手さに怒りしかわかんのだが。
野坂昭如に謝ってくれ。
私は映画を見て泣いて思考停止するような客を内心馬鹿にしています。高畑監督は、自分の映画を見に来る客を信じていたのかなぁ。
馬鹿にしていただいて結構です(^ ^)
泣いて思考停止する客を内心馬鹿にして、それでこの人自身は映画を見て感じたことに対して何かしたんだろうか?
内心馬鹿にして悦に入ったままなら馬鹿にした客達となにも変わらないだろう
@@葵-h2l
特に何をするとかは無いですけど、実生活でも、こういう場でも、しょうもない奴だなぁと思ったら、それ以上関わらないようにしよう、くらいは考えますね。
尊大な態度が透ける。まるで自分だけに映画を観る権利があるかのよう。
1回何も考えずに観てみては?
凝り固まった考えから解放されるでしょう。
泣く=思考停止って考えがそもそも思考停止では?
感極まって、実体験に思うところが沢山あって、さまざまな想いが溢れて、結果言葉より先に出てくる涙もあると思うのですけれど。
その人なりに楽しめばいい物を、他人を気にしている時点で、あなたが1番映画に集中できてないように思えます。
野坂昭如原作でしかも実話ではないと言うことで、考察する気が失せた
野坂昭如は輩だから
実話じゃん
爆弾が落とされてこういう人が沢山いたのは紛れもない事実。もっと悲惨な思いをした人もいる。映画自体を考察したくなくてもこういう事実を考察するのは大切なことだと思う。
@@トイレどこだよ
あなたは正しい
真実を考察してください
私はフィクションに興味がありません