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宮崎さん、平岡さんありがとうございました。胸にストンと、落ちる言葉の数々でした。
戦争を知っている人が伝え続け、受け止める私たちは自分事としてしっかり考える、また伝えるが必要ですね。平和は状態であって、状態維持のため常に努力が必要です。始めは音声だけで聴いていて、平岡さんのご年齢が95歳と知り画面に釘付けになりました。お話ありがとうございました。
とても95歳とは思えない平岡さん。。本当に貴重なインタビューありがとうございます。こういう番組があると、メンバー登録して良かったなあ!と思います。
平岡さんのお話をもっと聞きたいです ありがとうございます
最近の世界の情勢も踏まえて語られるヒロシマの意味。平岡さんの知見と貴重なメッセージを多くの人に見ていただきたいインタビュー!
充実した内容の、秀逸なインタビューだと思います。ありがとうございました。
小さい頃、平岡さんが現職市長だった時代の名スピーチが忘れられません。内容は覚えていませんが、まだ小さかったけれども 大人をみて 生まれてはじめて感動した人 それがこの人です。
お名前だけは知っていましたが、ある意味で驚きながら聞き入りました。宮崎さんの質問も素晴らしくてインタビューは、かくあるべしと。平岡さんは亡父と同世代、来年といはず、またお話を聞かせて頂きたいと、切に。
平岡さんが言われた「自分との問答」がなければ私たちには何もわからない。同じ日本人が実験のマウスのように扱われたことも歴史上の事実としか感じられない。
お元気そうな元市長を拝見出来て、元広島市民として大変嬉しく思いました。平岡元市長の平和宣言、いつも厳粛な気もちで聞いておりました。
大変重要な、意義あるインタビューをありがとうございます。あまり聞こえてこなかった広島の人々の「怒り」について率直に伝えてくださるお言葉が重く響きます。原爆によって死んだのではなく「殺された」と平岡氏が気づいたという漫画(?)の話。被爆を生き延びたはずだった女性が、昭和30年代になって、白血病になって亡くなる前に「原爆を落とした人はまた1人殺せたと思ってくれとるんじゃろうか。」と言ったという言葉を「広島長崎に原爆を落としたことは必要だった」と思っている人々や核抑止論者に聞いてほしい。
「時代が違う」・・・いえ人間の大切な精神は変わらないものだと思います。
核抑止力を認めた広島ビジョンへの違和感、非戦核廃絶の原点広島。矛盾した岸田総理の挨拶。反核平和の市民の声戦争が起こってる今だからこそもっと世界に発信され、兵器を使うことへの是非が議論されることを願う。当時、17歳だった戦争体験。1人でも多くの方にこの動画みてほしい
「体験してみないとわからない」と言われると、戦後生まれの私たちには語る言葉がないと言われてるかのような…しかし仰る通り未経験者に「わかる」わけがないので、そこはあらゆる講話やフィンクション、ノンフィクションから想像して自分のこととして捉えられる言葉や表現を見つけるか、が大事なんですね。「殺され続けているという意識が生まれると原爆に対しての怒りが生まれる」というのが腑に落ちました。「◯名亡くなった」ではなく「◯名殺された」なんだ、と…。言葉って事実を覆ってしまうことがあるのですね。私はまだまだ足らない。
60年頃に被爆者が怒っていたのは、当時彼らが大変な困難だったから、傷による生活困難、原爆病の死の可能性、差別、そして周囲からも国からもなんの援助もない、今は爺さんになり困ってはいないから怒らない
冒頭の「今では警備が厳しくなった」っていうのは今の式典は、今までの式典の感じじゃなかったんですね。
AB is still killing “us” “you” “them”
侵略戦争を反省したはずなのに防衛戦争と混同するのは如何なものなのかね。
宮崎さん、平岡さんありがとうございました。胸にストンと、落ちる言葉の数々でした。
戦争を知っている人が伝え続け、受け止める私たちは自分事としてしっかり考える、また伝えるが必要ですね。平和は状態であって、状態維持のため常に努力が必要です。始めは音声だけで聴いていて、平岡さんのご年齢が95歳と知り画面に釘付けになりました。お話ありがとうございました。
とても95歳とは思えない平岡さん。。本当に貴重なインタビューありがとうございます。
こういう番組があると、メンバー登録して良かったなあ!と思います。
平岡さんのお話をもっと聞きたいです ありがとうございます
最近の世界の情勢も踏まえて語られるヒロシマの意味。平岡さんの知見と貴重なメッセージを多くの人に見ていただきたいインタビュー!
充実した内容の、秀逸なインタビューだと思います。ありがとうございました。
小さい頃、平岡さんが現職市長だった時代の名スピーチが忘れられません。内容は覚えていませんが、まだ小さかったけれども 大人をみて 生まれてはじめて感動した人 それがこの人です。
お名前だけは知っていましたが、ある意味で驚きながら聞き入りました。
宮崎さんの質問も素晴らしくてインタビューは、かくあるべしと。
平岡さんは亡父と同世代、来年といはず、またお話を聞かせて頂きたいと、切に。
平岡さんが言われた「自分との問答」がなければ私たちには何もわからない。同じ日本人が実験のマウスのように扱われたことも歴史上の事実としか感じられない。
お元気そうな元市長を拝見出来て、元広島市民として
大変嬉しく思いました。平岡元市長の平和宣言、いつも厳粛な気もちで聞いておりました。
大変重要な、意義あるインタビューをありがとうございます。
あまり聞こえてこなかった広島の人々の「怒り」について率直に伝えてくださるお言葉が重く響きます。原爆によって死んだのではなく「殺された」と平岡氏が気づいたという漫画(?)の話。被爆を生き延びたはずだった女性が、昭和30年代になって、白血病になって亡くなる前に「原爆を落とした人はまた1人殺せたと思ってくれとるんじゃろうか。」と言ったという言葉を「広島長崎に原爆を落としたことは必要だった」と思っている人々や核抑止論者に聞いてほしい。
「時代が違う」・・・いえ人間の大切な精神は変わらないものだと思います。
核抑止力を認めた広島ビジョンへの違和感、
非戦核廃絶の原点広島。
矛盾した岸田総理の挨拶。
反核平和の市民の声
戦争が起こってる今だからこそ
もっと世界に発信され、
兵器を使うことへの是非が
議論されることを願う。
当時、17歳だった戦争体験。
1人でも多くの方にこの動画みてほしい
「体験してみないとわからない」と言われると、戦後生まれの私たちには語る言葉がないと言われてるかのような…しかし仰る通り未経験者に「わかる」わけがないので、そこはあらゆる講話やフィンクション、ノンフィクションから想像して自分のこととして捉えられる言葉や表現を見つけるか、が大事なんですね。
「殺され続けているという意識が生まれると原爆に対しての怒りが生まれる」というのが腑に落ちました。「◯名亡くなった」ではなく「◯名殺された」なんだ、と…。言葉って事実を覆ってしまうことがあるのですね。私はまだまだ足らない。
60年頃に被爆者が怒っていたのは、当時彼らが大変な困難だったから、傷による生活困難、原爆病の死の可能性、差別、そして周囲からも国からもなんの援助もない、今は爺さんになり困ってはいないから怒らない
冒頭の「今では警備が厳しくなった」っていうのは今の式典は、今までの式典の感じじゃなかったんですね。
AB is still killing “us” “you” “them”
侵略戦争を反省したはずなのに防衛戦争と混同するのは如何なものなのかね。