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遅ればせながら一刀斎夢録を読みました。斎藤一かっこよすぎ。
年末時代劇の白虎隊で新撰組や土方歳三を知り、ファンになった。当時斎藤一の存在を知らず知らず、大人になった今は斎藤一の生き方にひかれる。
昔から小説とかで斉藤一が、何故沖田総司より年長に描かれるのか不思議でならないのだが…?
大河でもそうでしたね。沖田がやたら子供っぽくされてましたし。
会津藩の、御庭番だったという話や、近藤勇の首を、会津に持ち帰ったと言う話(会津鶴ヶ城には近藤勇の墓があります)会津の人達は、斉藤一を筆頭に、西南戦争に義勇兵として参加した元藩士もいたので、西郷には、一矢報いたという考え方もあります。
NHK大河の「新撰組」で斉藤一のことを知った。群れず媚びず、孤高な姿勢に引かれましたね。
物語によっては会津藩への恩と、わずかな勝機を狙っての北海道への転戦の両方を果たすために、最後まで土方と戦う事を主張した斎藤を説得して会津に残したって話もあったな。土方は広い見識があったためか、それ以前に直接近藤と喧嘩別れした永倉・原田にも彼らの心情を理解して土方なりの別れの言葉を送ったって話もちょくちょく見るんだよね。
新撰組や同志を思いやる気持ちはあったんだろうけど、それと同じ位自分の身の置き所を何処にするかを重んじてる感じがする。新撰組や土方は自分がいなくてもやっていけると思っての離脱だったのでは。
ゴールデンカムイに出てほしかった。
斉藤さんが清河浪士組入らずに合流遅れたのは、身辺整理があったからと言われていましたが、今は変わったのですかね?試衛館出入りの人達は、初期の副長助勤なってますから、実力云々の前に決まっていた事だとも思えますね。もちろん、そこに実力もあった訳ですが。
すごい面構えだな。
風雲幕末伝と言うゲームでは会津は戦後に新政府軍に叩かれるから恩を返したいと言う理由で残留を決めていましたが実際はどうだったのでしょうか…主人公に対しての「君は新選組(土方)と共に行け」の発言は痺れましたね…
悪即斬 牙突 ふじたごろうと言う偽名左利き 牙突零式 厨二全開でワクワクしたものです
斎藤が沖田より年下なのは初耳だ!😲
るろうに剣心の斎藤一のイメージが、あるのでイメージが付かないです
鬼の目にも涙。これは土方歳三と斎藤一の別れから産まれた言葉なんだろうな。私の中で腑に落ちた
日露戦争にも老兵として加わった、という話も聞いたような
斎藤一の流派は無外流真伝剣法の説がありますね🖐️
新撰組研究家の方が警視庁の資料から見つけたと言われてますが、その資料がどういったものかまでは言及されてませんね。
斎藤一の剣道教室…もし今あったら、恐ろしすぎて親が子供を通わせないだろう。
鼻筋も通った端正な顔立ち。若い頃はかなりのイケメンだっただろうな。
親戚の子の証言だと、背が高く眼光が鋭く怖い感じだったとか。奥様の時尾さんは小柄な女性でしたが、武家の娘らしく厳しい方だったようで、親戚の子達からしたら、ちょっと近寄りづらい親戚の叔父さん、叔母さんだったようですね(笑)
@@三池典太光世-n6c 様なるほど。確かに緊張感が半端ではない日々を送ってきた訳ですからかなり眼光も鋭かったでしょうね。妻となる人も相当な覚悟があったと思います。
@@ガラムマサラ-s5w 奥さんの高木時尾さんは、お父さんが会津藩大目付で、お母さんはたいへんな美人だったそうです。会津戦争前までは、藩主の義姉である照姫の書記をやっており、戦争中は城内で負傷者の救護にあたっていたようです。戦後も官軍に埋葬を許されず、半年間野晒しになっていた会津藩士の遺体の埋葬に尽力したそうです。「八重の桜」で有名な山本八重とは家が近所ということもあり親友で、八重が夜襲の為に男装・断髪する際に、髪を切るのを手伝ったとか。
斎藤一にはどうしても左右田一平のイメージが…(*^^*)。それと斎藤一が書き残したという手記がもし発見されれば新選組の多くの謎が解明されるかも。
仲間を粛清するほどの剣技と精神を持ってるって事よ。普通、一緒に過ごした身内を切るなんてことは、壮絶なトラウマになるよ。
斎藤さんの 泣いた話 そっちだったか(;^ω^)高台寺党の生き残り 阿部十郎の 言葉のことかと思った
見間違いかな赤十字病院産婦人科に同性同名がいたぜ ハハハ
マムシの道三!地獄落ち確定!
一般隊士が敵前逃亡だと切○もので土方のような幹部判断だと函館に退くことができるのは疑問に感じますね武士道なんですか?しかも函館で負けましたからね
逃亡と撤退は違うと思いますが。
士道二背キ間敷事についてかな?戦況が不利になり全滅する事を防ぐ為に指揮官が退却するのを武士道と繋げる事がまず違うと思いますが戦場でのルールとして基本的に上官の命令で動くので、戦うよう命令が出ている中で敵を前にして命令を無視して逃げだすとかそういう意味を敵前逃亡と私は解釈します。函館で負けたのも先に本拠地が降伏したような。土方の部隊は何回か押し返すような活躍をしていたと思います。戦場では上官の命令で動くのが基本なのでしょう。命令があるまでは基本的には逃げずに戦わないといけない。海外の映画でも下手すると味方に後ろから撃たれるシーンもよくあります。戦争を経験しない世代には完全に理解することはできないと思います。思想、理念は人それぞれですが、先人が命をかけて生きた上に今の世はあるのです。
@@markigarashi7863 配送ですよ。
@@ひろしまる-k9c 潔く散ることができずに北に逃げ、最後は敗北。
動画でも言ってるように土方は近藤の死を無駄にしないため、勝利のために戦った。そして齋藤は組織のため、自分の信念のために戦った。似ている部分はあるけど、決定的な違いは土方は亡き者つまり過去に、齋藤は組織や自分といったこれからのためにという所でしょうか。どっちが武士らしいかは明白ですね。しかし、どちらも間違っていないと思いますよ。違いはあれど、それを蔑むような発言は良くないですよ。
遅ればせながら一刀斎夢録を読みました。
斎藤一かっこよすぎ。
年末時代劇の白虎隊で新撰組や土方歳三を知り、ファンになった。当時斎藤一の存在を知らず知らず、大人になった今は斎藤一の生き方にひかれる。
昔から小説とかで斉藤一が、何故沖田総司より年長に描かれるのか不思議でならないのだが…?
大河でもそうでしたね。沖田がやたら子供っぽくされてましたし。
会津藩の、御庭番だったという話や、近藤勇の首を、会津に持ち帰ったと言う話(会津鶴ヶ城には近藤勇の墓があります)
会津の人達は、斉藤一を筆頭に、西南戦争に義勇兵として参加した元藩士もいたので、西郷には、一矢報いたという考え方もあります。
NHK大河の「新撰組」で斉藤一のことを知った。群れず媚びず、孤高な姿勢に引かれましたね。
物語によっては会津藩への恩と、わずかな勝機を狙っての北海道への転戦の両方を果たすために、最後まで土方と戦う事を主張した斎藤を説得して会津に残したって話もあったな。土方は広い見識があったためか、それ以前に直接近藤と喧嘩別れした永倉・原田にも彼らの心情を理解して土方なりの別れの言葉を送ったって話もちょくちょく見るんだよね。
新撰組や同志を思いやる気持ちはあったんだろうけど、それと同じ位自分の身の置き所を何処にするかを重んじてる感じがする。新撰組や土方は自分がいなくてもやっていけると思っての離脱だったのでは。
ゴールデンカムイに出てほしかった。
斉藤さんが清河浪士組入らずに合流遅れたのは、身辺整理があったからと言われていましたが、今は変わったのですかね?
試衛館出入りの人達は、初期の副長助勤なってますから、実力云々の前に決まっていた事だとも思えますね。
もちろん、そこに実力もあった訳ですが。
すごい面構えだな。
風雲幕末伝と言うゲームでは会津は戦後に新政府軍に叩かれるから恩を返したいと言う理由で残留を決めていましたが実際はどうだったのでしょうか…
主人公に対しての「君は新選組(土方)と共に行け」の発言は痺れましたね…
悪即斬 牙突 ふじたごろうと言う偽名
左利き 牙突零式 厨二全開でワクワクしたものです
斎藤が沖田より年下なのは初耳だ!😲
るろうに剣心の斎藤一のイメージが、あるのでイメージが付かないです
鬼の目にも涙。これは土方歳三と斎藤一の別れから産まれた言葉なんだろうな。私の中で腑に落ちた
日露戦争にも老兵として加わった、という話も聞いたような
斎藤一の流派は無外流真伝剣法の説がありますね🖐️
新撰組研究家の方が警視庁の資料から見つけたと言われてますが、その資料がどういったものかまでは言及されてませんね。
斎藤一の剣道教室…もし今あったら、恐ろしすぎて親が子供を通わせないだろう。
鼻筋も通った端正な顔立ち。若い頃はかなりのイケメンだっただろうな。
親戚の子の証言だと、背が高く眼光が鋭く怖い感じだったとか。奥様の時尾さんは小柄な女性でしたが、武家の娘らしく厳しい方だったようで、親戚の子達からしたら、ちょっと近寄りづらい親戚の叔父さん、叔母さんだったようですね(笑)
@@三池典太光世-n6c 様
なるほど。確かに緊張感が半端ではない日々を送ってきた訳ですからかなり眼光も鋭かったでしょうね。妻となる人も相当な覚悟があったと思います。
@@ガラムマサラ-s5w
奥さんの高木時尾さんは、お父さんが会津藩大目付で、お母さんはたいへんな美人だったそうです。
会津戦争前までは、藩主の義姉である照姫の書記をやっており、戦争中は城内で負傷者の救護にあたっていたようです。戦後も官軍に埋葬を許されず、半年間野晒しになっていた会津藩士の遺体の埋葬に尽力したそうです。
「八重の桜」で有名な山本八重とは家が近所ということもあり親友で、八重が夜襲の為に男装・断髪する際に、髪を切るのを手伝ったとか。
斎藤一にはどうしても左右田一平のイメージが…(*^^*)。それと斎藤一が書き残したという手記がもし発見されれば新選組の多くの謎が解明されるかも。
仲間を粛清するほどの剣技と精神を持ってるって事よ。
普通、一緒に過ごした身内を切るなんてことは、壮絶なトラウマになるよ。
斎藤さんの 泣いた話 そっちだったか(;^ω^)
高台寺党の生き残り 阿部十郎の 言葉のことかと思った
見間違いかな赤十字病院産婦人科に同性同名がいたぜ ハハハ
マムシの道三!
地獄落ち確定!
一般隊士が敵前逃亡だと切○もので土方のような幹部判断だと函館に退くことができるのは疑問に感じますね
武士道なんですか?
しかも函館で負けましたからね
逃亡と撤退は違うと思いますが。
士道二背キ間敷事についてかな?
戦況が不利になり全滅する事を防ぐ為に指揮官が退却するのを武士道と繋げる事がまず違うと思いますが
戦場でのルールとして基本的に上官の命令で動くので、戦うよう命令が出ている中で敵を前にして命令を無視して逃げだすとかそういう意味を敵前逃亡と私は解釈します。
函館で負けたのも先に本拠地が降伏したような。土方の部隊は何回か押し返すような活躍をしていたと思います。戦場では上官の命令で動くのが基本なのでしょう。
命令があるまでは基本的には逃げずに戦わないといけない。海外の映画でも下手すると味方に後ろから撃たれるシーンもよくあります。
戦争を経験しない世代には完全に理解することはできないと思います。思想、理念は人それぞれですが、先人が命をかけて生きた上に今の世はあるのです。
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@@ひろしまる-k9c 潔く散ることができずに北に逃げ、最後は敗北。
動画でも言ってるように土方は近藤の死を無駄にしないため、勝利のために戦った。そして齋藤は組織のため、自分の信念のために戦った。似ている部分はあるけど、決定的な違いは土方は亡き者つまり過去に、齋藤は組織や自分といったこれからのためにという所でしょうか。どっちが武士らしいかは明白ですね。しかし、どちらも間違っていないと思いますよ。違いはあれど、それを蔑むような発言は良くないですよ。