【時刻表新旧比較】1964年9月留萌駅留萌本線羽幌線 JAPAN RUMOI station; RUMOI HABORO LINE time table 1964

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  • Опубликовано: 11 сен 2024
  • 【時刻表の紹介】
    1925年4月ダイヤ改正後
    留萌本線 羽幌線 時刻表です。
    2022年8月時点の時刻表までを収録しています。
    1964年にかけて北海道内は様々な支線が敷設されました。
    人の移動や、物資の輸送に大きな役割を果たしていたのでしょうね。
    しかし状況は徐々に変化していきました。
    今では見ることができない、
    バリエーションに富んだ列車をお楽しみください。
    当時の雰囲気を味わうための参考としていただければ幸いです。
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    「雪空」/作(編)曲 : もっぴーさうんど 様
    「神隠しの真相」/作(編)曲:しゃろう 様
    #国鉄 #鉄道 #昭和39年 #日本国有鉄道 #発車時刻表 #時刻表 #留萌本線 #羽幌線 #国鉄  #留萌駅 #札幌駅 #過去鉄 #北海道

Комментарии • 19

  • @kataakeo7730
    @kataakeo7730 3 месяца назад +2

    1964年版には、急行はぼろが登場していますね。
    この急行、幌延~札幌は宗谷本線経由よりも速かったという曰くつきの急行です。(羽幌線の線形が良いのか、実は留萌周りの方が旭川経由よりも距離が短いのかは不明ですが。)

  • @exp.m.k.2300
    @exp.m.k.2300 3 месяца назад +5

    1940年代の「羽幌」「増毛」が異体字になっている粋な演出に思わず感動。やはり1964年の尺が他の年より長いので一番華やかな時代だったのでしょう。札沼線の終点だった石狩沼田が現在の留萌本線の終点で行く行くは消える運命にあるとは当時の人々は誰ひとり想像しなかったでしょう...

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  3 месяца назад +1

      いつもご視聴とコメントありがとうございます。
      異体字を探すのに少し苦労しました。気づいていただいて大変嬉しいです。
      優等列車も走っていた本線がまさか姿を消すことになるとは、時代の変化がいかに影響を与えるかを感じてしまいます。

  • @user-cu3ll3ti8p
    @user-cu3ll3ti8p 3 месяца назад +2

    懐かしい時代やかなり昔の時刻表の対比、ありがとうございます。
    炭鉱最盛期の1950~60年代は、留萌駅に天塩炭鉱鉄道が達布から乗り入れ、羽幌線では築別駅行き(羽幌駅の一つ先、羽幌炭鉱鉄道に接続)の列車が運転され、恵比島駅では留萌鉄道に接続し、朝夕は昭和駅発着の列車が深川まで乗り入れてました。
    私が羽幌線を完乗した1980年代初頭は、炭鉱や鰊漁業は寂れていましたが、カニ族や一般客が沢山乗車して特に留萌~羽幌は混んでました。

  • @ybb-papa
    @ybb-papa 2 месяца назад +2

    留萌には晩年期(増毛間廃止後)に行きましたが、列車が着いてもタクシーが駅にいない。バスターミナルには人も車も出入りがあるのに、鉄道が「当てにされてない」象徴的光景を目の当たりにして、現実を思い知ったものです。

  • @user-bv9oy7uh8y
    @user-bv9oy7uh8y 3 месяца назад +3

    1964年当時は深川、増毛、羽幌の3方面とも毎時列車の発着がある!
    どの列車も重要な交通手段としてそれなりに乗車率があったのでしょう。
    貨物輸送も多かったのでしょうね。
    留萌駅があれだけ立派なターミナル駅の様相だったのも納得できます。
    駅の立ち食い蕎麦屋さんのニシンそば、美味かったです!

  • @user-jd8fl1ur6o
    @user-jd8fl1ur6o 3 месяца назад +1

    戦前はドン行だけだったが、戦後の高度成長時代に入り、1964年の五輪東京大会、東海道新幹線の開業と嬉しい出来事が続き、多分、ビジネス客をターゲットした急行・準急が設定され、列車の設定本数も増加した。
    若い頃は北海道ブームでワイド周遊券を手にした人々がデカいリュックを担いで道内を巡って居た。
    時が移り、北海道も過疎化、人口減少の波に飲まれ、鉄道利用者も減少し、多くの鉄道が消えて行った。
    時刻表を手にして、若い時分の夢を何度も見ます。

  • @hanenariairportlimitedexp.1858
    @hanenariairportlimitedexp.1858 3 месяца назад +3

    まさかの留萌駅第二弾が来るとは思いもしませんでした。
    深川~石狩沼田もあと2年で無くなると思うと、時代の流れとは言え残念ですね。
    時折、羨ましいなんて言われることがありますが、乗りに行ける時に乗っておいて良かったと思っています。
    道内を自由に使える北海道フリーパスの利用範囲が狭まると同時に、特急の自由席廃止で別途指定席券(未指定券)の購入回数が増えたりと事実上の値上げが起きています。6つまでは指定席を無料で買えるのですが、北斗やおおぞらなどの自由席が無くなった分、無料で指定できる分を増やしてほしいですね。

  • @kataakeo7730
    @kataakeo7730 3 месяца назад

    リクエストです。機会があれば、
    1964年3月以降に登場した、特急まつかぜ(山陰本線ほぼ全走破したもの。京都~大阪~(福知山線~山陰本線)~下関~博多)を取り上げてみてください。今ではかなり珍しい特急なので。

  • @nori-tabi
    @nori-tabi 3 месяца назад +2

    留萌線沿線は思ったよりも早く衰退してしまいました。留萌までは当面残ると思っていましたが・・・
    まさにテレビドラマ「すずらん」のように。ぽっぽやの舞台も同じで悲しい限りです。
    留萌駅には駅弁もありましたし、そば屋も最後まで残ったのが不思議なくらいです。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  3 месяца назад +2

      いつもご視聴とコメントありがとうございます。
      留萌本線もあと数年で完全に姿を消す予定になっていますね。衰退速度に本当に驚きます。
      留萌駅のニシン親子弁当、一度食べてみたかったです。

  • @TSUYOS185
    @TSUYOS185 3 месяца назад

    いつもありがとうございます。
    羽幌線が分岐し、旭川や札幌への急行列車が走っていた頃がもっとも輝いていた時代だったことと思います。2、3両だったようですが。中心と地方を繋ぐ動脈として活躍していることを示していますね。
    炭鉱の閉山、さらには農産物などの貨物がトラック輸送に移ってしまったことが路線の寿命を縮めてしまったことと思います。北海道のローカル線あるあるとはいえ寂しいものですね。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  3 месяца назад

      いつもご視聴とコメントありがとうございます。
      1964年の時刻表をみると賑わいがあり、見応えがありますね。
      貨物列車が姿を消し、優等列車も姿を消す。時代の変化で、鉄道の存在感が薄れていったことを感じさせますね。

  • @Kuwasrowilluei
    @Kuwasrowilluei 3 месяца назад +1

    もしよろしければ、幌内線と幌内支線の三笠駅もしくは函館本線と南美唄支線と美唄鉄道の美唄駅の動画を制作してほしいです。
    空知の炭鉱路線の全盛期の様子を取り上げていただけたら嬉しいです。

  • @Kuwasrowilluei
    @Kuwasrowilluei 3 месяца назад

    羽幌線や準急・急行が今まで残っていたら確実に乗車していただろう路線でした

  • @タツヒトミナミ
    @タツヒトミナミ 3 месяца назад

    そうですね、私は92年の寝台特急「さくら」の時刻表の旅をリクエストします

  • @くろぶん
    @くろぶん 3 месяца назад

    峠下駅が雪の重みで倒壊したのが象徴的でした。

  • @ノエル-w2m
    @ノエル-w2m 3 месяца назад +1

    留萌駅、今はもう汽車は来ないんですね。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  3 месяца назад

      いつもご視聴とコメントありがとうございます。
      時代の流れとはいえ、多くの列車が行き交った痕跡はほとんどなくなっていることに、驚きとさみしさがありますね。