【小欲から大欲へ ~無我の大我~】お大師様縁日法話

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  • Опубликовано: 15 окт 2024
  • 【毎月、須磨寺にて法話をさせて頂いております】
    毎月18日の10時からの護摩祈祷と写経会、20日と21日は11時半から奥の院にて、そして、21日は14時から護摩祈祷をさせて頂き、法話をさせて頂いております。
    【小欲から大欲へ ~無我の大我~】お大師様縁日法話
    【無我の大我】「これが自分。これが自分のもの」と囚われて苦しむなと説かれています。お大師様は「五蘊の仮(け)我(が)」とおっしゃいました。五蘊(心、感覚、思い、意志、体)という五つの要素から仮になりたっているのが「自分」である、と。
    姿かたちは違えども、すべては大日如来からいただいた同じ命を生きている。
    「自分らしさ」にこだわればこだわるほど自分自身を苦しめてしまいます。
    陽人の随想録 ~ 小欲から大欲へ~
    お大師様の説かれた真言密教とは、どのような教えかということを説明するのに、ある例え話があります。
    「煩悩を雑草と考えた時、雑草を一つ一つ摘み取っていくことが、顕教(伝統的な大乗仏教)の修行である。
    密教の修行とは、そこに大きな木を育てることである。
    木が枝を伸ばし、葉が生い茂るとやがて雑草に日は当たらなくなり、自ずと枯れていく。」
    この例え話が示す「雑草」とは、我々の自己中心的な欲のことです。
    これを「小欲(しょうよく)」といいます。そして「大きな木」とは、大慈悲心とも言うべき大いなる欲です。
    これを「大欲(たいよく)」と言います。
    「誰かを救いたい。」「誰かの役に立ちたい。」「誰かの支えになりたい。」
    これらは全て「大欲」といえます。我々は、煩悩を抱えて生きています。
    煩悩とは欲望のことです。
    お大師様は、すべての欲望を否定するのではなく、「小欲を捨て、大欲に立つ」ことの大切さを説かれました。
    誰かのために一心に頑張っているとき、自分中心の小さな欲望は小さくなっています。
    とは言いましても、なかなか実践することは容易ではありません。
    しかし、何かに悩んだり、怒りを覚えたりするときには、一度立ち止まって考えてみることが大切です。
    「自分がなぜこんなにも怒り、苦しんでいるのか。」
    その多くは、「自分が、自分が」という思考になっているからではないでしょうか。
    「自分の心」が「他人の心」によって傷つけられた。
    「自分」より「他人」のほうが得をしている。
    「自分の幸せ」よりも「他人の幸せ」のほうが大きくみえる。
    悩みはすべて「自分」と「他人」に分けて考えているために生まれます。
    「他人ではなく、自分だけが幸せになりたい」という思考が余計に自分を苦しめてしまうのです。
    自分の中の大欲と小欲を問いかけてくれるのが、芥川龍之介の小説「蜘蛛の糸」です。
    地獄の底の血の池で、カンダタという男が多くの罪人と共にもがき苦しんでいました。
    ある日、お釈迦様がふと極楽の蓮の池からその様子をのぞいてカンダタを見つけました。
    カンダタは盗み・放火・殺人など数々の悪事を働いてきた極悪人ですが、生きている時に一度だけ良い行いをしたことを、お釈迦様は思い出しました。
    カンダタは林を歩いている時に、小さな蜘蛛を踏み殺しそうになったのを止めて、その命を助けたのです。
    お釈迦様は、蜘蛛の命を助けたことに免じて、天上から極楽へとつづく一本の蜘蛛の糸をカンダタのいる地獄へと垂らしました。
    その蜘蛛の糸をみつけたカンダタは、地獄から出られると喜んでそれを登り始めます。
    途中で、カンダタが下を見ると、大勢の罪人たちがカンダタの後を追い、糸につかまっていました。
    か細い一本の蜘蛛の糸が、彼らの重みで切れてしまうと恐怖に駆られたカンダタは「これはおれのものだ。降りろ!」と叫びました。
    その瞬間、糸はカンダタの上で切れてしまい、彼は再び地獄へと堕ちていきました。
    この話を読み、今一度自分に問いかけてみます。
    私は、か細い「蜘蛛の糸」を、他の人とともにのぼる勇気をもっているだろうか。
    情けない話ですが、自信をもって「はい!」と答えられない自分がいます。
    みなさんも問いかけてみてください。
    「蜘蛛の糸」に通ずる体験をして、良心のうずきを抱えながら生きている人は多いのではないでしょうか。
    最近、「アメリカファースト」「都民ファースト」など「〇〇ファースト」という言葉がよく使われています。
    直訳すれば「〇〇第一主義」という意味になります。
    「何よりも優先すべきは、〇〇である」という風に聞こえます。
    もし自分たちの利益だけを優先する「ファースト主義」なのだとすれば、カンダタと同じ姿ということになってしまうのではないでしょうか。皆が他を蹴落としてでも、自分たちだけが幸せになればよい、という考えになってしまえば、世界に平和は訪れないでしょう。
    宮沢賢治は
    「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない。」
    と言っています。この言葉を今一度かみしめたいと思います。
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