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この時に近鉄で投げた吉井が、いまはロッテの監督。面白い運命
9:09 この状況でも「This is ニュースステーションでございます。」とユーモアを交えて話し出す久米宏さんはさすが👍
この試合のカギだったロッテの2人がまさか数年後に放出されるとは想像もできなかった(同点ホームラン、超美技)
首位打者も獲得し、この日も値千金のホームランを放った高沢さん。最近の記事によると還暦を迎えられたから保育士資格を取得し、保育業界へ飛び込んだそうです。バイタリティをみならいたいです。
阿波野に野球の恐ろしさを教えた高沢😲
2年後、高橋慶彦と交換で広島にトレードされるも、全くパッとしなかった高沢・・・
この試合、ちょうど高校の修学旅行の宿泊先のテレビで見ました。消灯時間が22時と決めてありましたが、担任の英断で「試合終了まで見て良し」ということになり消灯時間が翌日になった「伝説の修学旅行」となりました。みんな寝不足で大半が帰りの電車で寝てました。
ええ担任や
いい先生ですね!
野球ファン、取り分け近鉄ファンにとって、一生忘れられない一夜でした。テレビの前で号泣しました。その近鉄も仰木監督も、今はもうこの世の中には居ません(ありません)しかし、パ▪リーグのいや、プロ野球の名場面の一つである事は、誰しも認知してる事。当時の悔しい気持ちと、懐かしい記憶が交差して、翌年雪辱のリーグした事よりも、鮮明に覚えています。
このチャンネルにしては「メジャー」な映像ですね。ニュースステーションの映像は臨場感があって素晴らしい。安倍アナの名実況や久米宏の名文句も非常に印象的ですが、大石大二郎が守りにつく時「10回裏が3分で終わるかもしれない」と鼓舞したという話が一番心に残っています。
懐かしい。当時熱狂的な西武ファンでしたが、僕にとってプロ野球史上最高の試合です。勝負を超えた本当に素晴らしい激闘でした。
当時中3だった僕も熱烈な西武ファンでした。清原、秋山、辻、石毛、伊藤、ナベQ、工藤、東尾、郭などの選手が巨人を倒すのが痛快でした。ただ、この試合だけは別格でニュースステーションの生放送を食入るようにみていたのを思い出します。プロ野球の魅力が詰まった素晴らしい試合でした。今のプロ野球のシステムでは中々見られない試合ですね。
いまこそマリン党の自分だが、あの頃はレオ党だった。35年が経ったいまも決して色褪せるものではないし、スタンドおよび視聴者たちを熱狂させた朝日放送(朝日放送テレビ)およびテレビ朝日には感謝しても感謝しきれない。
阿波野さんがパンチさんのチャンネルで言ってましたが優勝無くなったけど裏のロッテの攻撃を0で抑えて引き分けで終わったのは本当に凄いと思いました😭これが来年のリーグ優勝に繋がったと今でも思います👏
背番号41のサウスポーの木下が抑えたんだったと思いますね。それと、残り5分で守備につく時に、うなだれる大石大二郎選手が守備につく時に、外野手の淡口選手が五分以内に守りを終えましょうと、後日弾でありますね。
プロ野球史に残る試合を解説付きで見られるとは何たる贅沢
解説が近鉄OBの小川亨さん。
結局西武は中日に4勝1敗と楽々勝つわけですけど、優勝会見にて清原が「これで近鉄さんに顔向けできます」との発言を残し感動した仰木監督が後年巨人を放出された清原をオリックスに迎え入れる事になるわけですね
80%が巨人ファンか阪神ファンの時代しかもBSもスマホも無い時代パリーグの試合はプロ野球ニュースを見るしか無い時代に大阪のABCがローカル放送してたのを途中から全国ネットに切り替え視聴率が40%超えは凄すぎるしかもこのカードの川崎球場でバブル景気の時代やしこの時代は良かったなぁ
故・安部憲幸アナウンサー、民放史上最高級のスポーツ実況技術を有した。1970年、ABC朝日放送(現在はABCテレビ)入社。叙情的で、情熱の豊かなアナウンスで人気を博す。
この時の久米宏は44歳。で、今は78歳。ブライアントと同い歳の俺は今年61歳。ほんと、あっという間。😢
私はこの時17歳、(高3)今現在52歳‼️。光陰矢の如し✨ですね🤗。35年前😅。
現地で見てましたよ、二試合とも。当時小学生でした。残念で悔しくて、試合後に応援団たちと騒いでたら終電がなくなったのはいい思い出。
パ・リ-グの長い1日😂 10月19日永遠にずっと観てました🤗
「This isプロ野球!」これは本当に名実況10.19という一世一代の舞台に立った、常にプロ野球界の日陰に立たされていた近鉄、ロッテの選手たちの意地がぶつかり合った川崎球場。ホームランの伸び方を「シロー!」「ズルッ、ズルッ!」と表現した安部さんの言葉選びには素晴らしいとしか言いようがない。当時の人気番組を休止してまで「テレビは、生だ」と言って近鉄戦を放送したテレビ朝日の判断。ロッテの本拠地にも関わらず9割以上が近鉄ファン。高沢のホームランの静寂の中、声援を送ったロッテ応援団。意地で持って行った引き分けには、近鉄はもちろん何処かロッテサイドにも虚しさのようなものが込み上げたように見える。「勝ちはない」分かりきっているにも関わらず近鉄ナイン、ファンは悔しい思いを胸に目に焼き付けた。もう二度とこんな試合は出来ない。偶然が重なったでは表現できない、両ナイン、スタンド、近くのマンションの上によじ登って試合を見たファン、その他多くの関係者が創り上げた、そんな試合が10.19だと思う。
この試合は実況も本当に素晴らしかったですよね。選手、観客、実況、視聴者が一体となった試合でした。
実況のアベロクさんももういないんだよなあ…(T_T)
リアルタイムで観ていました号泣しましたただこの翌年の優勝も含めて大好きな球団でした思い出してまた涙目になりましたありがとうございます
他の動画でも感じていましたが、UP主さんの文章が美しく好きです☺️
当時、なぜテレビ中継ないの?とずっと思っていましたが…21時から急に中継が…すぐにラジオからチェンジした思い出があります。すばらしい試合で忘れられないです。
この水上のプレーで当時新日鉄堺後にオリックス優勝に貢献した馬場の評価が上がったとかなんとか。やっぱり全国ネットの影響力はすごい。
覚えてますよ!あの実況!朝からあいにくの天気でモヤモヤしていた気分が渋い話題を取り上げてくれて少しは気が晴れた☀️ですよ!✌️👍良いですね、「野球狂」って!👍
今日タモリステーションでやってました。水上さんまじかっこいい。あとこれをしっかり見たあとに翌年の近鉄加藤投手の「巨人はロッテより弱い」(実際にはそういう発言はしていないが)発言も、単なる失礼な煽り文句ではなく、実感のこもった深いコメントにも思えてくる
この水上も凄いんだけど、この裏の愛甲のレフトフライを捕った淡口がまたヤバいんだ❗️
水上「俺たちだって野球やってるんだぜ!」
ロッテだって 胴上げは見たくないからね。
ロッテ園川の「俺達は悪役に慣れてる」も印象的。1995年のオリックス3連戦本拠地胴上げ阻止、2022年のソフバン優勝阻止。だからロッテは面白い。
この10.19から、ぼくの野球狂が始まりました。22時からの某報道番組が報道をせずに本来の予定に割り込んでこの試合のプロ野球中継をしていたのを昨日の事のように思い出します。仰木監督のお言葉をそのままマネする事になってしまいますが、この試合がぼくに取っての原点です。2022年4月4日(月)
実況アナウンサーは、当時ABCのスポーツアナウンサーだった「安部憲幸」さんだな。
実況アベロクか…懐かしいな。パワプロの実況昔この人だったね。
今年こそ、これぐらいの熱戦を観てみたい
近鉄は下手に大阪ドームに移転せずに藤井寺に残ってれば今も球団は存続してたのではないかと最近思う。結構面白くて魅力的なチームだっただけに勿体ないですね。
それや!あの落合が、「ドームで三万人入るより、藤井寺で一万人の方が…」と言うてたからな。
当時のダブルヘッダーの規定では、第一試合が延長戦は無し(九回まで)、第二試合が延長12回まで(四時間を越えたら新しいイニングに入らない)でした。
プロ野球史上最高の1試合を挙げよ、と言われたら1994.10.8の中日巨人プロ野球史上最高の1日を挙げよ、と言われたら1988.10.19のロッテ近鉄ダブルヘッダー
プロ野球史上最高の1イニングを挙げよ、と言われたら1979年日本シリーズ第7戦9回裏。
@@カレーライス師匠-w1g 間違いありませんね ドラマチック近鉄
そうそうその後阪急身売り、オリックス誕生のニュースも報道されるんだよね。あとこの試合の借りを返すのは1年後を待つことになる。ブライアント4連発、優勝決定試合の9回藤井寺のファインプレー等等。
最後は加藤哲郎なのが笑える。来年の布石だね。
最後投げてたのは木下なんだけどな。
5:00やっぱりラジオ持ってるからこそそして何より久米さんアベ6同い年だからこそ実況は短時間で纏めた時聞き取りやすく想像できるからなあ
ブライアントが入ってから近鉄は、勢いに乗った!!
BS、CS、ネットがあり、いつでもどこでも試合が見られる上、クライマックスもある今、もうこんな盛り上がりはシーズン中には絶対ないわ。当時小坊、生中継をかぶりつきで見ていた時の興奮以上のものが得られるとは思えない。
この試合が翌年の10.12に繋がる😊
8:51 >『This is プロ野球』いまは亡き安部憲幸さんのこの実況、自分も好き。水上善雄さんの好守備、いまのプロ野球ニュースならば“Play Of The Day”選出は間違い無し。
本当に懐かしい。当時、西武ファンだった中学生の私はテレビ中継を観ていた。そこへ父が一緒に西武球場に行こうと言ってくれた。父は西武関係の仕事をしていたので球場の駐車場に車を停めることが出来た。マスコミの姿があり、そこをライオンズの選手たちが歩くのも見た。印象に残ってるのは石毛。どんな質問を受けたかは分からないが「まだ分からん‼︎」と怒鳴るように話していた。試合は動画の通りで最後は西村がぎこちない動きでゲッツーを取ったけど、解説を読んでその動きの理由がやっと分かった。当時は西武の優勝が嬉しかったばかりだが、歳を取ってこの動画を観ると近鉄バッファローズの選手達、仰木監督並びにコーチ等の気持ちにどういう訳か近くなり、泣けてくる。
自分はテレビではなく、ABCラジオを聴いてました。前監督岡本伊三美さんがラジオの解説で、10回裏引き分けで優勝できなくった選手を見ならがら、あまりにもかわいそうですねって涙ながらに言ってたのを覚えています。
今日のクライマックスシリーズ満塁ゲッツーが、正にTHIS IS プロ野球だ。
あの日、川崎球場にいた者として感じたのは史上最短の消化試合となった10回裏でも負けないための継投をした仰木監督の勝負師としての凄みです。タラレバになりますが抗議がなければ・・・。
大阪育ちでしたから夕方の第1戦からABC朝日放送で見てましたけど第1戦の9回サヨナラ負けのピンチでの大卒2年目の若きエースの阿波野投手の魂心の一球で捩じ伏せたシーンはシビれた!
何故か久しぶりに大洋以来の超満員の川崎球場好きな球団同士の決戦だったよ高沢の同点ホームランTVで見ていたよ!
8:55 これがパワプロの元ネタかぁ。
おぉ~開幕初戦「園川投手」だ、結構好きだった‼️
西武ファンにとっては水上様ですね!近鉄の最後の守りほど虚しいのを見たことがない。
モーやん、最高❣️
ファンってありがたい。しかし川崎球場の劣悪な環境って、プロ野球の本拠地とは思えない。当時ニュースステーション見てましたけど、今頃になって阿波野さんのファンになりました。久米宏さんは本当に仕切りが上手い。
大阪に就職した時に夏の甲子園で安部さん見掛けました😲昔のABCの名アナウンサーは間違いなく植草さんと安部さんです❗異論が有る方は意見下さい👊
松坂ノーヒットノーラン実況した武さん、報道の一人者の村田さん、病気で引退したけど道上さんも。
マッチレースの末鈴木山田の投げ合いで阪急に負け前後期とも惜しくも二位、翌年球団創設30年目にして初優勝、四度のリーグ優勝をしたものの一度も日本一になれずじまい、そしてこの10.19、野茂の強烈な成績、北川の肩書最長ホームラン、そして身売りの際梨田監督の「みんな胸を張れ、お前たちのつけているのはすべて近鉄バファローズの永久欠番だ!」、他球団がその名を受け継いでくれており、しかも山本由伸のようないかにもバファローズにいそうな選手を輩出している。なんというドラマチックな球団。
今でも思い出しますが、近鉄バファローズ最高でした!
川崎球場が超満員になった伝説の試合。食物を持参しなかった人は、第一試合終了後、売店の食物が売り切れて、食物のダフ屋がいたこと。チケットの指定席が売り切れて、窓口では、席の指定が無い券を販売していたこと。球場に入りきれない人が、広場でラジオを聴いていたこと(ほとんどが近鉄ファン)。LOTTEオリオンズの選手も、消化試合にもかかわらず一生懸命にプレーしていたこと。
これ、ずっと残してください。プロ野球の醍醐味がすべて入ってます。早河さんでしたか、この体制で放送しようと決めたのも、放送したのも大英断。放送しなかったなら口伝えでしか伝説は知られてないはず。優勝が近付き、BSで放送されるのもありがたいんですが。
初めは近鉄に勝たせてあげてもいいと思っていた有藤監督ある事がきっかけになりこの試合絶対近鉄に勝たせるな!となってしまったそうですねその原因が仰木監督の一言だったとはでも、その一言があったから語り継がれる試合になったんとちゃいますかねー
僕も、近鉄を応援してました。結果は兎も角、優勝決めるに相応しい名勝負や思います。消化試合って言うたらロッテもですし、ロッテにも応援して呉れるファンがいてる以上は一試合一試合、全力を尽くすのがプロしょうね。
仁科、栗橋の勝負が見れるなんて😢by40年以上の野球ファン
だから翌年があったんだが今見ても川崎球場で仰木監督の胴上げを見たかった
ロッテが意地を見せたのも素晴らしかったな。水上さんのプレーがそれを表してた👍
当時は西武が優勝すれば、セ球団が日本シリーズで勝つ可能性はほぼゼロだった。
逆に近鉄は優勝しても、セ球団に日本シリーズで勝つ可能性はゼロだった。
巨人からほぼ戦力外にされて、トレードで近鉄へ移籍された淡口憲司外野手。近鉄バファローズで、本当にいぶし銀の活躍を魅せてくれました。この試合、当時私は19歳。1年遅れて(前の工業高校で留年して退学、そのまま試験を経て再入学)、大阪府立の高校普通科3年でした。アルバイトも休んで、午後3時からこの奇跡の生中継に釘付け。4日前、MBSテレビで南海ホークスの最終主催試合(対近鉄バファローズ戦)を観て涙を堪えるのに必死でしたのに。第1試合で、西野義和アナウンサーの迫力満点の実況の中逆転勝利。安部憲幸アナウンサーのこの実況、解説が近鉄初のパ・リーグ連覇の一員・小川亨さん。結果もそうですが、本当に涙を堪えるのに大変でした。中日を完膚なきまでに破って、日本一になった西武ライオンズの清原和博内野手。『絶対に、チャンピオン・フラッグを持ち帰らんかったら近鉄に会わす顔がない』。改めて敬服した次第です。
野球版「ドーハの悲劇」と言いたいところだが、これは後に起きることなのでドーハの方がサッカー版10.19というのが正しいのかもしれない。
両方とも「ウソだろ」と思ったし、そう思ったのは、スポーツではこの二つだけです。
こんにちは。ロッテの当時の監督の有藤さんが抗議に8分位の抗議があった。有藤監督の抗議が長くなかったら。そして近鉄バファローズは翌年優勝した。
有藤さん変に真面目だからなあ。近鉄に肩入れしてると思われたくなかったみたいです。
このシーンに関しては、有藤道世氏が、振り返って真相を語っています。有藤氏いわく、「古川(慎一選手)は、完全にアウトでした。一塁側のベンチから、よく見えてましたから。ただ『(大石選手に)押された』と抗議して、(古川選手が)ベンチに助けを求めている様だったから、監督としては行かなきゃいけない。(自らの)抗議によって、近鉄の攻撃が短くなるなんて、一切頭にありませんでした。ただアウトはアウトだから、すぐに引き上げるつもりだったんです。ところが、仰木(彬監督)さんが出て来られて、『もうええやろ。早う終わらせ』と言う。それで思い出したんです。2番打者の佐藤健一(選手)が、初回に左肘に死球を受けた時の事を。『大丈夫か?』と心配している所へ、仰木さんが出て来られた。誤りに来られたのかと思ったら、健一(選手)に、『お前、もう休めよ』と言ったんです。カチンときた。健一(選手)は、第1試合4打数4安打。当たっていたからと言って、『休めよ』は無い。『あんた、何言ってるの?』球界の先輩に対して、失礼な言葉を吐いた筈です。抗議の時に、仰木さんがまた出て来られたから、思い出して再び『この野郎』。自分達だけ野球をやっていると思ったら、大間違いだ。『早う終わらせ』と言うなら、粘ってやるとなった訳です。」
寡黙な打撃職人の絶妙な流し打ち長身水上ラインを詰めて好捕好送球でアウトThis is プロ野球
この時生まれていない自分。でも、この試合で野球というスポーツがもっと好きになった。
西武も近鉄に申し訳ないという感じだったみたいですよ。
当時高校2年生でしたが、この中継を観て本格的にバファローズファンになりました。実際は129試合目で優勝を逃したこの2年前から応援し始めたので、ファン歴は36年です。10.19の第2試合、10回表の羽田選手の併殺打は今もよく覚えていますよ。このダブルヘッダー、必死の継投、守備固めに代打と、仰木監督は勿論、有藤監督も勝ちにこだわった試合だったと思います。久米宏さんと安部憲幸アナウンサーのやり取り、いいですね。久米さんも熱烈なカープファンだけに、野球をよく知っていらっしゃるのが会話からよくわかります。王さんの756号の頃からプロ野球を観続けていますが、一番印象に残るのはやはりこの試合です。
この試合の行方を見守っていた西武の監督コーチ選手達は最後まで気が気じゃなかったろうなぁ。ましてやまだクライマックスシリーズも無かったでしょうし
ブライアントは打率も良かったですね。
abc朝日放送の名物アナ、アベロクアナの事かな。
実は加藤は10回の裏を2分で終わらせるつもりで投球練習してたらしい。
このあとブライアントの4連発が見たくなりますね!
さすらい刑事旅情編が休みだった!やるかと思っていたのが、幼少時代のことでした。
地元の図書館にこの試合のビデオ(文藝春秋のナンバーシリーズ)がありまして、子供の頃に借りて見ていました。当時は意味が分からず「なぜ普通の野球の試合がビデオになってるんだろう?」と思いながら見ていたものでした。ダブルヘッダーで2連勝することしか優勝条件がない中、最後の気力を振り絞る近鉄と、プロの意地を見せるロッテのぶつかり合いが見物でしたし、1点の重みがヒシヒシと伝わってくる試合ですね。ブライアント選手の34号ホームランは試合結果としては涙を呑む結果になりましたが、翌年の優勝への序章のように感じられました。
この試合での有藤の抗議は、時間の長さ云々が問題ではない。リードが大きすぎた二塁走者の古川が、阿波野の牽制球に慌てて一旦ベースに戻ったものの足が離れてしまい、そのタイミングで大石がタッチしただけなのに、有藤は「大石が押したから足が離れた…」という、ムリクリな抗議…。とにかく、有藤の、この彗眼の無さが全て。
あの抗議には伏線が有ります。元を辿れば、仰木さんに非がある様です。
毎度面白い動画ありがとうございます!こんどできればですけど過去にアップロードして頂いたブライアントやバース、カブレラなどの1人の選手の動画をメジャーの選手バージョンでやって頂くことはできないでしょうか。トラウトなどのホームランを音楽にのせて説明を挟みながらの動画見てみたいです
たかが野球を、それも当時は全く人気のないパの試合を、他の大ニュースを差し置いて延長中継させた大英断だけで久米はテレビマンとしての矜持を感じた。そして今はない近鉄が負けたこと、翌年同じような状況で優勝したところまで込みで、振り返っても最高のテレビ番組だった。
新聞記者の思い込みが原因でヒールとなった加藤哲郎。
ロッテ関の、与四死球が凄い数だな。よくこれで防御率3点台で済んだね。
この動画が見られるのもテレ朝の英断のおかげですね
有藤監督の抗議、近鉄ファンの私は早く引っ込め!だった。あれがなければ次の回に入れた可能性もあり、どうなったか分からない。西武の胴上げはいまだに腹が立つわ。
3:06 おのれぇぇぇぇぇ‼️
翌日はここで南海最期の試合……
実況アナは安部ロクさん!解説はモーやん!
終盤は常に激闘で、壮絶でした。1試合で決まる甲子園の様な緊張感をプロで味わえるのは、なかなかでした。翌年、近鉄の『西武へエースをぶつけて包囲網をしこう』と言い出されて、終盤まで5球団がエースを西武へぶつけるローテーションだった98年もまた優勝マジック1が色々な球団に点灯するも、勝てずに流れるが多くて最後まで凄かった思い出があります。
雪辱のリーグ優勝でした。
安倍憲幸さんの実況集ってのが動画でもっとあってもいいのに少ないんだよなぁ
ブライアント、まさに日本プロ野球に貢献するために来てくれたど迫力外人ホ―ムランバッタ―だった。
私も当時🦁ファンでした。翌年からは他チームのファンになったのは言うまでも有りませんでしたちな🦁は西武の事です(笑)
今季再びこの年のような悲劇が起こりましたね。それもまたロッテが絡んでるし。
そして大事件に何故か関わる園さま
パワプロの初代実況アナは、この安部さん。ただ、関西ローカルのアナウンサーなので、全国的な知名度はなかった。当時は巨人戦がゴールデンタイムで放送していたし、日テレのアナウンサーを起用した方がウケたかもしれない。それでも当時のコナミの製作スタッフが安部さんを選んだのは、間違いなくこの試合の実況も大きな要因だったんだろうね。
ブライアントと尾上は中日からの叩き上げ選手。
尾上旭選手はそうですが、ラルフ・ブライアント選手は、「中日ドラゴンズ3番目(当時は外国籍選手の1軍出場枠が2人まで)の外国籍選手」からの「近鉄バファローズの主砲」に、ですね。
セカンドの自分で踏んでゲッツーなんて、ショートやサードと違って1年間でもそうそう起こるプレーじゃないのに、それがここで起こるとは....😔
全部見たわけではないですが、広島との日本シリーズとか、映像に出てくる羽田選手の打球は綺麗にセンターに抜ける安打が多いように思う。江夏も21球の初球もそう。西村選手は1、2塁間を開けてくれた?ようですが、裏目に出てしまいました。
奇しくも「10.19」から今日でちょうど35年が経つんだな。
ですね…今朝そう思ったところでした😌
2週間前だったかな?ちょっとしか映ってないけど中西太さんがお亡くなりになりましたね。私は関西なので1試合目も観てましたが中西ヘッドコーチの審判への抗議が凄かったです。そこに内心分かりませんが凄く冷静な仰木監督の姿も印象的でした。中西太さんが選手に抱きつく姿もとても印象的です。
今は無くなったダブルヘッダー もう考えられない近鉄のハードスケジュール ここまで良く優勝争いをしたと思います 勝たせてあげたかった 新井選手のサードへの打球 水上選手の好守備 何度観ても最高のプレー 今はリクエストのビデオ判定がありますが これはアウトですね
近鉄の優勝を阻止したロッテ 有藤監督。
1995年の神戸での仰木監督の胴上げを阻止したのもロッテだった。
近鉄の優勝の夢を阻んだ形のロッテだが、翌年の10月13日にはオリックスに勝利して近鉄の優勝に大きくサポートする形となる。もしもこの日に戻れるなら、この試合を最後まで野球中継を見たい。
この時に近鉄で投げた吉井が、いまはロッテの監督。面白い運命
9:09 この状況でも「This is ニュースステーションでございます。」とユーモアを交えて話し出す久米宏さんはさすが👍
この試合のカギだったロッテの2人がまさか数年後に放出されるとは想像もできなかった(同点ホームラン、超美技)
首位打者も獲得し、この日も値千金のホームランを放った高沢さん。最近の記事によると還暦を迎えられたから保育士資格を取得し、保育業界へ飛び込んだそうです。バイタリティをみならいたいです。
阿波野に野球の恐ろしさを教えた高沢😲
2年後、高橋慶彦と交換で広島にトレードされるも、全くパッとしなかった高沢・・・
この試合、ちょうど高校の修学旅行の宿泊先のテレビで見ました。消灯時間が22時と決めてありましたが、担任の英断で「試合終了まで見て良し」ということになり消灯時間が翌日になった「伝説の修学旅行」となりました。みんな寝不足で大半が帰りの電車で寝てました。
ええ担任や
いい先生ですね!
野球ファン、取り分け近鉄ファンにとって、一生忘れられない一夜でした。
テレビの前で号泣しました。
その近鉄も仰木監督も、今はもうこの世の中には居ません(ありません)
しかし、パ▪リーグのいや、プロ野球の名場面の一つである事は、誰しも認知してる事。
当時の悔しい気持ちと、懐かしい記憶が交差して、翌年雪辱のリーグした事よりも、鮮明に覚えています。
このチャンネルにしては「メジャー」な映像ですね。
ニュースステーションの映像は臨場感があって素晴らしい。
安倍アナの名実況や久米宏の名文句も非常に印象的ですが、大石大二郎が守りにつく時「10回裏が3分で終わるかもしれない」と鼓舞したという話が一番心に残っています。
懐かしい。当時熱狂的な西武ファンでしたが、僕にとってプロ野球史上最高の試合です。勝負を超えた本当に素晴らしい激闘でした。
当時中3だった僕も熱烈な西武ファンでした。清原、秋山、辻、石毛、伊藤、ナベQ、工藤、東尾、郭などの選手が巨人を倒すのが痛快でした。
ただ、この試合だけは別格でニュースステーションの生放送を食入るようにみていたのを思い出します。
プロ野球の魅力が詰まった素晴らしい試合でした。
今のプロ野球のシステムでは中々見られない試合ですね。
いまこそマリン党の自分だが、あの頃はレオ党だった。35年が経ったいまも決して色褪せるものではないし、スタンドおよび視聴者たちを熱狂させた朝日放送(朝日放送テレビ)およびテレビ朝日には感謝しても感謝しきれない。
阿波野さんがパンチさんのチャンネルで言ってましたが優勝無くなったけど裏のロッテの攻撃を0で抑えて引き分けで終わったのは本当に凄いと思いました😭これが来年のリーグ優勝に繋がったと今でも思います👏
背番号41のサウスポーの木下が抑えたんだったと思いますね。それと、残り5分で守備につく時に、うなだれる大石大二郎選手が守備につく時に、外野手の淡口選手が五分以内に守りを終えましょうと、後日弾でありますね。
プロ野球史に残る試合を解説付きで見られるとは何たる贅沢
解説が近鉄OBの小川亨さん。
結局西武は中日に4勝1敗と楽々勝つわけですけど、
優勝会見にて清原が「これで近鉄さんに顔向けできます」との発言を残し
感動した仰木監督が後年巨人を放出された清原をオリックスに迎え入れる事になるわけですね
80%が巨人ファンか阪神ファンの時代
しかもBSもスマホも無い時代
パリーグの試合はプロ野球ニュースを見るしか無い時代に大阪のABCがローカル放送してたのを途中から全国ネットに切り替え視聴率が40%超えは凄すぎる
しかもこのカードの川崎球場で
バブル景気の時代やしこの時代は良かったなぁ
故・安部憲幸アナウンサー、民放史上最高級のスポーツ実況技術を有した。
1970年、ABC朝日放送(現在はABCテレビ)入社。
叙情的で、情熱の豊かなアナウンスで人気を博す。
この時の久米宏は44歳。
で、今は78歳。
ブライアントと同い歳の俺は今年61歳。
ほんと、あっという間。
😢
私はこの時17歳、(高3)今現在52歳‼️。光陰矢の如し✨ですね🤗。35年前😅。
現地で見てましたよ、二試合とも。
当時小学生でした。
残念で悔しくて、試合後に応援団たちと騒いでたら終電がなくなったのはいい思い出。
パ・リ-グの長い1日😂 10月19日永遠に
ずっと観てました🤗
「This isプロ野球!」これは本当に名実況
10.19という一世一代の舞台に立った、常にプロ野球界の日陰に立たされていた近鉄、ロッテの選手たちの意地がぶつかり合った川崎球場。ホームランの伸び方を「シロー!」「ズルッ、ズルッ!」と表現した安部さんの言葉選びには素晴らしいとしか言いようがない。当時の人気番組を休止してまで「テレビは、生だ」と言って近鉄戦を放送したテレビ朝日の判断。ロッテの本拠地にも関わらず9割以上が近鉄ファン。高沢のホームランの静寂の中、声援を送ったロッテ応援団。意地で持って行った引き分けには、近鉄はもちろん何処かロッテサイドにも虚しさのようなものが込み上げたように見える。「勝ちはない」分かりきっているにも関わらず近鉄ナイン、ファンは悔しい思いを胸に目に焼き付けた。もう二度とこんな試合は出来ない。偶然が重なったでは表現できない、両ナイン、スタンド、近くのマンションの上によじ登って試合を見たファン、その他多くの関係者が創り上げた、そんな試合が10.19だと思う。
この試合は実況も本当に素晴らしかったですよね。
選手、観客、実況、視聴者が一体となった試合でした。
実況のアベロクさんももういないんだよなあ…(T_T)
リアルタイムで観ていました
号泣しました
ただこの翌年の優勝も含めて
大好きな球団でした
思い出してまた涙目になりました
ありがとうございます
他の動画でも感じていましたが、UP主さんの文章が美しく好きです☺️
当時、なぜテレビ中継ないの?とずっと思っていましたが…21時から急に中継が…すぐにラジオからチェンジした思い出があります。
すばらしい試合で忘れられないです。
この水上のプレーで当時新日鉄堺後にオリックス優勝に貢献した馬場の評価が上がったとかなんとか。
やっぱり全国ネットの影響力はすごい。
覚えてますよ!あの実況!
朝からあいにくの天気でモヤモヤしていた気分が渋い話題を取り上げてくれて少しは気が晴れた☀️ですよ!✌️👍
良いですね、「野球狂」って!👍
今日タモリステーションでやってました。水上さんまじかっこいい。あとこれをしっかり見たあとに翌年の近鉄加藤投手の「巨人はロッテより弱い」(実際にはそういう発言はしていないが)発言も、単なる失礼な煽り文句ではなく、実感のこもった深いコメントにも思えてくる
この水上も凄いんだけど、この裏の愛甲のレフトフライを捕った淡口がまたヤバいんだ❗️
水上「俺たちだって野球やってるんだぜ!」
ロッテだって 胴上げは見たくないからね。
ロッテ園川の「俺達は悪役に慣れてる」も印象的。1995年のオリックス3連戦本拠地胴上げ阻止、2022年のソフバン優勝阻止。だからロッテは面白い。
この10.19から、ぼくの野球狂が始まりました。
22時からの某報道番組が報道をせずに本来の予定に割り込んでこの試合のプロ野球中継をしていたのを昨日の事のように思い出します。
仰木監督のお言葉をそのままマネする事になってしまいますが、この試合がぼくに取っての原点です。
2022年4月4日(月)
実況アナウンサーは、当時ABCのスポーツアナウンサーだった「安部憲幸」さんだな。
実況アベロクか…懐かしいな。
パワプロの実況昔この人だったね。
今年こそ、これぐらいの熱戦を観てみたい
近鉄は下手に大阪ドームに移転せずに藤井寺に残ってれば今も球団は存続してたのではないかと最近思う。
結構面白くて魅力的なチームだっただけに勿体ないですね。
それや!
あの落合が、「ドームで三万人入るより、藤井寺で一万人の方が…」と言うてたからな。
当時のダブルヘッダーの規定では、第一試合が延長戦は無し(九回まで)、第二試合が延長12回まで(四時間を越えたら新しいイニングに入らない)でした。
プロ野球史上最高の1試合を挙げよ、と言われたら1994.10.8の中日巨人
プロ野球史上最高の1日を挙げよ、と言われたら1988.10.19のロッテ近鉄ダブルヘッダー
プロ野球史上最高の1イニングを挙げよ、と言われたら1979年日本シリーズ第7戦9回裏。
@@カレーライス師匠-w1g 間違いありませんね ドラマチック近鉄
そうそうその後阪急身売り、オリックス誕生のニュースも報道されるんだよね。あとこの試合の借りを返すのは1年後を待つことになる。ブライアント4連発、優勝決定試合の9回藤井寺のファインプレー等等。
最後は加藤哲郎なのが笑える。来年の布石だね。
最後投げてたのは木下なんだけどな。
5:00
やっぱりラジオ持ってるからこそ
そして何より久米さんアベ6
同い年だからこそ
実況は短時間で纏めた時
聞き取りやすく想像できるからなあ
ブライアントが入ってから近鉄は、勢いに乗った!!
BS、CS、ネットがあり、いつでもどこでも試合が見られる上、
クライマックスもある今、もうこんな盛り上がりはシーズン中には絶対ないわ。
当時小坊、生中継をかぶりつきで見ていた時の興奮以上のものが得られるとは思えない。
この試合が翌年の10.12に繋がる😊
8:51 >『This is プロ野球』
いまは亡き安部憲幸さんのこの実況、自分も好き。
水上善雄さんの好守備、いまのプロ野球ニュースならば“Play Of The Day”選出は間違い無し。
本当に懐かしい。
当時、西武ファンだった中学生の私はテレビ中継を観ていた。そこへ父が一緒に西武球場に行こうと言ってくれた。父は西武関係の仕事をしていたので球場の駐車場に車を停めることが出来た。
マスコミの姿があり、そこをライオンズの選手たちが歩くのも見た。印象に残ってるのは石毛。どんな質問を受けたかは分からないが「まだ分からん‼︎」と怒鳴るように話していた。
試合は動画の通りで最後は西村がぎこちない動きでゲッツーを取ったけど、解説を読んでその動きの理由がやっと分かった。
当時は西武の優勝が嬉しかったばかりだが、歳を取ってこの動画を観ると近鉄バッファローズの選手達、仰木監督並びにコーチ等の気持ちにどういう訳か近くなり、泣けてくる。
自分はテレビではなく、ABCラジオを聴いてました。前監督岡本伊三美さんがラジオの解説で、10回裏引き分けで優勝できなくった選手を見ならがら、あまりにもかわいそうですねって涙ながらに言ってたのを覚えています。
今日のクライマックスシリーズ満塁ゲッツーが、正にTHIS IS プロ野球だ。
あの日、川崎球場にいた者として感じたのは史上最短の消化試合となった10回裏でも負けないための継投をした仰木監督の勝負師としての凄みです。タラレバになりますが抗議がなければ・・・。
大阪育ちでしたから夕方の第1戦からABC朝日放送で見てましたけど第1戦の9回サヨナラ負けのピンチでの大卒2年目の若きエースの阿波野投手の魂心の一球で捩じ伏せたシーンはシビれた!
何故か久しぶりに大洋以来の超満員の川崎球場
好きな球団同士の決戦だったよ
高沢の同点ホームラン
TVで見ていたよ!
8:55 これがパワプロの元ネタかぁ。
おぉ~開幕初戦「園川投手」だ、結構好きだった‼️
西武ファンにとっては水上様ですね!
近鉄の最後の守りほど虚しいのを見たことがない。
モーやん、最高❣️
ファンってありがたい。
しかし川崎球場の劣悪な環境って、プロ野球の本拠地とは思えない。
当時ニュースステーション見てましたけど、今頃になって阿波野さんのファンになりました。
久米宏さんは本当に仕切りが上手い。
大阪に就職した時に夏の甲子園で安部さん見掛けました😲昔のABCの名アナウンサーは間違いなく植草さんと安部さんです❗異論が有る方は意見下さい👊
松坂ノーヒットノーラン実況した武さん、報道の一人者の村田さん、病気で引退したけど道上さんも。
マッチレースの末鈴木山田の投げ合いで阪急に負け前後期とも惜しくも二位、翌年球団創設30年目にして初優勝、四度のリーグ優勝をしたものの一度も日本一になれずじまい、そしてこの10.19、野茂の強烈な成績、北川の肩書最長ホームラン、そして身売りの際梨田監督の「みんな胸を張れ、お前たちのつけているのはすべて近鉄バファローズの永久欠番だ!」、他球団がその名を受け継いでくれており、しかも山本由伸のようないかにもバファローズにいそうな選手を輩出している。なんというドラマチックな球団。
今でも思い出しますが、近鉄バファローズ最高でした!
川崎球場が超満員になった伝説の試合。食物を持参しなかった人は、第一試合終了後、売店の食物が売り切れて、食物のダフ屋がいたこと。チケットの指定席が売り切れて、窓口では、席の指定が無い券を販売していたこと。球場に入りきれない人が、広場でラジオを聴いていたこと(ほとんどが近鉄ファン)。LOTTEオリオンズの選手も、消化試合にもかかわらず一生懸命にプレーしていたこと。
これ、ずっと残してください。プロ野球の醍醐味がすべて入ってます。早河さんでしたか、この体制で放送しようと決めたのも、放送したのも大英断。放送しなかったなら口伝えでしか伝説は知られてないはず。優勝が近付き、BSで放送されるのもありがたいんですが。
初めは近鉄に勝たせてあげてもいいと思っていた有藤監督
ある事がきっかけになり
この試合絶対近鉄に勝たせるな!
となってしまったそうですね
その原因が仰木監督の一言だったとは
でも、その一言があったから語り継がれる試合になったんとちゃいますかねー
僕も、近鉄を応援してました。結果は兎も角、優勝決めるに相応しい名勝負や思います。消化試合って言うたらロッテもですし、ロッテにも応援して呉れるファンがいてる以上は一試合一試合、全力を尽くすのがプロしょうね。
仁科、栗橋の勝負が見れるなんて😢
by40年以上の野球ファン
だから翌年があったんだが
今見ても川崎球場で仰木監督の胴上げを見たかった
ロッテが意地を見せたのも素晴らしかったな。水上さんのプレーがそれを表してた👍
当時は西武が優勝すれば、セ球団が日本シリーズで勝つ可能性はほぼゼロだった。
逆に近鉄は優勝しても、セ球団に日本シリーズで勝つ可能性はゼロだった。
巨人からほぼ戦力外にされて、トレードで近鉄へ移籍された淡口憲司外野手。
近鉄バファローズで、本当にいぶし銀の活躍を魅せてくれました。
この試合、当時私は19歳。
1年遅れて(前の工業高校で留年して退学、そのまま試験を経て再入学)、大阪府立の高校普通科3年でした。
アルバイトも休んで、午後3時からこの奇跡の生中継に釘付け。
4日前、MBSテレビで南海ホークスの最終主催試合(対近鉄バファローズ戦)を観て涙を堪えるのに必死でしたのに。
第1試合で、西野義和アナウンサーの迫力満点の実況の中逆転勝利。
安部憲幸アナウンサーのこの実況、解説が近鉄初のパ・リーグ連覇の一員・小川亨さん。
結果もそうですが、本当に涙を堪えるのに大変でした。
中日を完膚なきまでに破って、日本一になった西武ライオンズの清原和博内野手。
『絶対に、チャンピオン・フラッグを持ち帰らんかったら近鉄に会わす顔がない』。
改めて敬服した次第です。
野球版「ドーハの悲劇」と言いたいところだが、これは後に起きることなのでドーハの方がサッカー版10.19というのが正しいのかもしれない。
両方とも「ウソだろ」と思ったし、そう思ったのは、スポーツではこの二つだけです。
こんにちは。ロッテの当時の監督の有藤さんが抗議に8分位の抗議があった。有藤監督の抗議が長くなかったら。
そして近鉄バファローズは翌年優勝した。
有藤さん変に真面目だからなあ。近鉄に肩入れしてると思われたくなかったみたいです。
このシーンに関しては、有藤道世氏が、振り返って真相を語っています。
有藤氏いわく、「古川(慎一選手)は、完全にアウトでした。一塁側のベンチから、よく見えてましたから。ただ『(大石選手に)押された』と抗議して、(古川選手が)ベンチに助けを求めている様だったから、監督としては行かなきゃいけない。(自らの)抗議によって、近鉄の攻撃が短くなるなんて、一切頭にありませんでした。
ただアウトはアウトだから、すぐに引き上げるつもりだったんです。ところが、仰木(彬監督)さんが出て来られて、『もうええやろ。早う終わらせ』と言う。それで思い出したんです。2番打者の佐藤健一(選手)が、初回に左肘に死球を受けた時の事を。
『大丈夫か?』と心配している所へ、仰木さんが出て来られた。誤りに来られたのかと思ったら、健一(選手)に、『お前、もう休めよ』と言ったんです。カチンときた。健一(選手)は、第1試合4打数4安打。当たっていたからと言って、『休めよ』は無い。『あんた、何言ってるの?』球界の先輩に対して、失礼な言葉を吐いた筈です。
抗議の時に、仰木さんがまた出て来られたから、思い出して再び『この野郎』。自分達だけ野球をやっていると思ったら、大間違いだ。『早う終わらせ』と言うなら、粘ってやるとなった訳です。」
寡黙な打撃職人の絶妙な流し打ち
長身水上ラインを詰めて好捕好送球でアウト
This is プロ野球
この時生まれていない自分。
でも、この試合で野球というスポーツが
もっと好きになった。
西武も近鉄に申し訳ないという感じだったみたいですよ。
当時高校2年生でしたが、この中継を観て本格的にバファローズファンになりました。実際は129試合目で優勝を逃したこの2年前から応援し始めたので、ファン歴は36年です。
10.19の第2試合、10回表の羽田選手の併殺打は今もよく覚えていますよ。
このダブルヘッダー、必死の継投、守備固めに代打と、仰木監督は勿論、有藤監督も勝ちにこだわった試合だったと思います。
久米宏さんと安部憲幸アナウンサーのやり取り、いいですね。久米さんも熱烈なカープファンだけに、野球をよく知っていらっしゃるのが会話からよくわかります。
王さんの756号の頃からプロ野球を観続けていますが、一番印象に残るのはやはりこの試合です。
この試合の行方を見守っていた西武の監督コーチ選手達は最後まで気が気じゃなかったろうなぁ。ましてやまだクライマックスシリーズも無かったでしょうし
ブライアントは打率も良かったですね。
abc朝日放送の名物アナ、アベロクアナの事かな。
実は加藤は10回の裏を2分で終わらせるつもりで投球練習してたらしい。
このあとブライアントの4連発が見たくなりますね!
さすらい刑事旅情編が休みだった!
やるかと思っていたのが、幼少時代のことでした。
地元の図書館にこの試合のビデオ(文藝春秋のナンバーシリーズ)がありまして、子供の頃に借りて見ていました。当時は意味が分からず「なぜ普通の野球の試合がビデオになってるんだろう?」と思いながら見ていたものでした。ダブルヘッダーで2連勝することしか優勝条件がない中、最後の気力を振り絞る近鉄と、プロの意地を見せるロッテのぶつかり合いが見物でしたし、1点の重みがヒシヒシと伝わってくる試合ですね。ブライアント選手の34号ホームランは試合結果としては涙を呑む結果になりましたが、翌年の優勝への序章のように感じられました。
この試合での有藤の抗議は、
時間の長さ云々が問題ではない。
リードが大きすぎた二塁走者の古川が、
阿波野の牽制球に慌てて一旦ベースに戻ったものの
足が離れてしまい、そのタイミングで大石がタッチ
しただけなのに、
有藤は「大石が押したから足が離れた…」という、
ムリクリな抗議…。
とにかく、有藤の、この彗眼の無さが全て。
あの抗議には伏線が有ります。元を辿れば、仰木さんに非がある様です。
毎度面白い動画ありがとうございます!
こんどできればですけど過去にアップロードして頂いたブライアントやバース、カブレラなどの1人の選手の動画をメジャーの選手バージョンでやって頂くことはできないでしょうか。トラウトなどのホームランを音楽にのせて説明を挟みながらの動画見てみたいです
たかが野球を、それも当時は全く人気のないパの試合を、他の大ニュースを差し置いて延長中継させた大英断だけで久米はテレビマンとしての矜持を感じた。そして今はない近鉄が負けたこと、翌年同じような状況で優勝したところまで込みで、振り返っても最高のテレビ番組だった。
新聞記者の思い込みが原因でヒールとなった加藤哲郎。
ロッテ関の、与四死球が凄い数だな。よくこれで防御率3点台で済んだね。
この動画が見られるのもテレ朝の英断のおかげですね
有藤監督の抗議、近鉄ファンの私は早く引っ込め!だった。あれがなければ次の回に入れた可能性もあり、どうなったか分からない。西武の胴上げはいまだに腹が立つわ。
3:06 おのれぇぇぇぇぇ‼️
翌日はここで南海最期の試合……
実況アナは安部ロクさん!
解説はモーやん!
終盤は常に激闘で、壮絶でした。
1試合で決まる甲子園の様な緊張感をプロで味わえるのは、なかなかでした。
翌年、近鉄の『西武へエースをぶつけて包囲網をしこう』と言い出されて、終盤まで5球団がエースを西武へぶつけるローテーションだった98年もまた優勝マジック1が色々な球団に点灯するも、勝てずに流れるが多くて最後まで凄かった思い出があります。
雪辱のリーグ優勝でした。
安倍憲幸さんの実況集ってのが動画でもっとあってもいいのに少ないんだよなぁ
ブライアント、まさに日本プロ野球に貢献するために来てくれたど迫力外人ホ―ムランバッタ―だった。
私も当時🦁ファン
でした。
翌年からは
他チームのファン
になったのは
言うまでも
有りませんでした
ちな🦁は西武の
事です(笑)
今季再びこの年のような悲劇が起こりましたね。それもまたロッテが絡んでるし。
そして大事件に何故か関わる園さま
パワプロの初代実況アナは、この安部さん。
ただ、関西ローカルのアナウンサーなので、全国的な知名度はなかった。当時は巨人戦がゴールデンタイムで放送していたし、日テレのアナウンサーを起用した方がウケたかもしれない。
それでも当時のコナミの製作スタッフが安部さんを選んだのは、間違いなくこの試合の実況も大きな要因だったんだろうね。
ブライアントと尾上は中日からの叩き上げ選手。
尾上旭選手はそうですが、ラルフ・ブライアント選手は、「中日ドラゴンズ3番目(当時は外国籍選手の1軍出場枠が2人まで)の外国籍選手」からの「近鉄バファローズの主砲」に、ですね。
セカンドの自分で踏んでゲッツーなんて、ショートやサードと違って1年間でもそうそう起こるプレーじゃないのに、それがここで起こるとは....😔
全部見たわけではないですが、広島との日本シリーズとか、映像に出てくる羽田選手の打球は綺麗にセンターに抜ける安打が多いように思う。
江夏も21球の初球もそう。
西村選手は1、2塁間を開けてくれた?ようですが、裏目に出てしまいました。
奇しくも「10.19」から今日でちょうど35年が経つんだな。
ですね…今朝そう思ったところでした😌
2週間前だったかな?
ちょっとしか映ってないけど中西太さんがお亡くなりになりましたね。
私は関西なので1試合目も観てましたが中西ヘッドコーチの審判への抗議が凄かったです。
そこに内心分かりませんが凄く冷静な仰木監督の姿も印象的でした。
中西太さんが選手に抱きつく姿もとても印象的です。
今は無くなったダブルヘッダー もう考えられない近鉄のハードスケジュール ここまで良く優勝争いをしたと思います 勝たせてあげたかった 新井選手のサードへの打球 水上選手の好守備 何度観ても最高のプレー 今はリクエストのビデオ判定がありますが これはアウトですね
近鉄の優勝を阻止したロッテ 有藤監督。
1995年の神戸での仰木監督の胴上げを阻止したのもロッテだった。
近鉄の優勝の夢を阻んだ形のロッテだが、翌年の10月13日にはオリックスに勝利して近鉄の優勝に大きくサポートする形となる。
もしもこの日に戻れるなら、この試合を最後まで野球中継を見たい。