圓生と二人の圓楽 「死神」三遊亭の系譜【落語】
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- Опубликовано: 3 фев 2025
- 0:48 六代目 三遊亭 圓生
28:43 五代目 三遊亭 圓楽
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「死神」
初代三遊亭圓朝がグリム童話の第2版に収載された『死神の名付け親』を翻案した噺。わずかな金の算段もできず女房から悪口雑言で馬鹿にされた男は家を飛び出し大きな木の下で首でもくくろうかと思っていると後ろから死神に声を掛けられ、医者をやれと提案される。男は半信半疑ながら死神の提案通りに医者の看板をかまぼこの板で作って掲げると・・・
六代目 三遊亭 圓生
落語家としてデビューした子供の頃に、他の落語家の高座を盗み聞きするだけで(稽古をつけられなくても)覚えていった噺も多いという。個人の持つ演目数としては、落語史上でも最多だったのではないかと言われている。古典落語・新作落語の別を問わず人気先行で芸を磨く事を怠る芸人を嫌い、草花は綺麗だが1年で枯れるしそればかりでは花壇になってしまう、日本庭園の松の木のようなしっかり磨いた芸を育てなければ、と語っていた。1978年に、日本の江戸落語の団体である落語協会において、当時の会長5代目柳家小さんらが行った真打大量昇進に対して、前会長で最高顧問の6代目三遊亭圓生がこれに反発する形で落語協会を脱退して一門弟子を連れ新団体の落語三遊協会を設立した。
五代目 三遊亭 圓楽
1933年1月3日東京生まれ。六代目三遊亭圓生に入門
上野鈴本演芸場で落語を見て「戦争ですべてを奪われ暗い顔をした人々にこうやって笑いを起こさせることができる落語はすごい」と落語家になることを決意した。落語家になって数年経っても「噺は上手いが圓生の真似だ」と言われ圓楽自身も悩みストレスで一時は体重が48kgになったり自殺未遂をしかけるほどだった。若き日の自己のキャッチフレーズを「名人圓楽」とするが師匠などから「若手の分際で名人とは生意気だ」と怒られキャッチフレーズを「星の王子さま」に変更した。「落語界・寄席でタブーとされることを全部やってやる」「寄席の価値観の逆をやる」という戦略をとり瞬く間にスターとなった。
7代目立川談志、3代目古今亭志ん朝、5代目春風亭柳朝(柳朝休業後は8代目橘家圓蔵)とともに「東京落語四天王」と呼ばれた
六代目 三遊亭 圓楽
落語の魅力を「日本人が考えた最高のエンターテインメント」と形容しており「たったひとりで小宇宙を作って、うまくやれば喜怒哀楽の全部が落語の中にある。もっとキザに言えば、いい時代の日本人がいた。そういう時代を忘れてるわけでしょ、日本人の忘れ物がね、やさしさとか人情とか愛だとか友情とか、それが全部落語の中にあるわけ。だから日本人の忘れ物は落語の中に取りに行けばいい」と語っていた
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落語の蔵: / @repli455
#落語 #六代目円楽#五代目圓楽 #圓生 #死神
まずは、素晴らしい御三方の名演を挙げていただき、ありがとうございます。六代目圓生師匠の噺を超える死神はないと思っていましたが、生前名人の誉が高かったお二人の圓楽師匠の死神も素晴らしいものでした。挑戦的な死神を演る方は当代にも何人かいらっしゃいますが、三遊派の死神の継承者が現れないのが残念です。
こちらこそありがとうございます
私は落語を聴き始めて1年ちょっとの初心者ですが
三遊亭の「死神」への思いは以前から感じていました
今は来月襲名する七代目円楽師匠の期待しています
私も言います
待ってました〜😊
イヨ!待ってましたとはありがてえ👍
いや本当にありがたいっスよ
初心者の知識足らずの怖いもの知らずで
通の人たちに怒られちゃうんじゃないかと
ビビりながらupしましたからねアハハ(^^♪
みみおさんのコメントを~待ってましたぁ👍
凄く面白いです。
楽太郎の名付け親は圓生師匠らしいですね。
楽太郎でも何でもいいからと圓楽さんの楽を入れなさいと。
楽太郎でも何でもいいから楽太郎ですか😄
五代目円楽師匠も、じゃあそれでいいか~で
次の君は楽次郎でその次の君は楽三郎だねって
そうならなくて良かったねって・・・いたりしてね(^^♪
@@SSgriper様 五代目が私の後は楽太郎に圓楽を継がせ鳳楽に圓生を継がせると仰ってました。それに円丈師匠に意義を唱えて揉めてましたね。結局圓生だけは継ぎ手がいません。
圓楽といえば先ごろ、好楽師匠の息子さんで五代目圓楽師匠の最後のお弟子さんの王楽師匠が来春七代目を襲名なさるそうで、この系譜が受け継がれていくと良いですね
来春の襲名が楽しみですね(^^♪
五代目圓楽師匠のお弟子さんから二人目の圓楽襲名ですね
出来れば六代目のお弟子さんから・・・ってのは野暮かな
30日に襲名の会見があるそうですから楽しみです