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最近はもはや大河よりこのチャンネルの更新のほうが楽しみになっています😂❤
@@suguru_kinniku 様TV(大河も)すら観とらんわ(笑)かしましは面白い。
@@倉冨まどかなんでわざわざ名前に様つけるんですか?純粋に疑問です
丁寧にしたいんじゃないでしょうかね
@@Ko924ta様そうです。
@@倉冨まどか 様付けからのTVすら観とらんわ笑のフランクな物言い、そのちぐはぐさに笑わせていただきました😂丁寧に、と思ってくださったお気持ちに感謝です🙏ところで、大河ご覧になっていないとのことですが、御三方もたびたび言及されているように光る君へは脚本から演出、舞台装置から衣装に至るまで大変なこだわりようで、更には俳優陣の熱演によってそれはそれは素晴らしいドラマになっています✨もし機会がありましたら是非ご覧下さいませ。
道雅は伊周が亡くなって以降どうしていたのか知りませんでしたが、乱暴な性格で事件を起こしていたのですね平安時代にも道雅や敦明親王のような乱暴な貴族もいたのにドラマでは出てこないのできりゅうさんの解説で知ることができて有難いです百人一首で有名な「いまはただ〜」の素敵な和歌を道雅が詠ったとは以外ですが、伊周ゆずりの才能はあったのですね
今はただ………の歌、つらかったんだろうな、かなしかったんだろうな、ってホントに胸が痛みます。一人では抱えきれない悲しみと絶望の淵にいたことでしょう。大切な人々を失った喪失感が、その後の人生に影響してしまったのか。父伊周から過重な重荷を残されてはいなかったのか😢彼一人を責めることはできないと感じた人がいたからこそ、百人一首にも取り上げられたと思いたい。
荒三位待ってました💛当子内親王とのエピうた恋いで知って好きだったんです🤤敦明親王とは直接本人同士がやりあった方がよかったかも😅
道雅🟰悲運‥どのエピソードを伺っても、あ〜ぁ‥でも、それにしても問題起こし過ぎ!生い立ちの不遇は分かりますが、それにしても💦😢ですね。今日もありがとうございました🙏❣️
ありがとうございます!
ありがとうございます💓💞
道雅くんと当子ちゃんの悲恋を聞いて思い出すのは、百年あまり後の藤原定家と式子内親王の恋。定家くんと式子ちゃんは「和歌の師弟だっただけ」説もありますが、想い合っていたとしたら…御簾越しで顔を合わせることもなく定家くんは式子ちゃんの声を聞くこともなく一生を終えたと知り胸がキュンとしました。想いを遂げたあとに引きさかれた2人と和歌のつながりだけで終わった2人。どちらも切なくなります😢
@@類-x5o その歌を定家が選んだんですよね・・
花山天皇の皇女ともあろう女性が 彰子太皇太后の女房として宮仕えするとは。帝の皇女でも 後ろ楯がなければ厳しいのですね🤔
この皇女の場合、後ろ盾プラス(花山上皇の)世間体の方がわるいと言うことでこのような立場に追いやられて育った皇女だと言うのもあるかもです😅。全ては下半身の緩いヤリ◎ン、花山法皇のせい…笑…かな、ほぼ同じ立場で、この皇女の同母兄または祖母から生まれた兄で冷泉上皇に養子に出されたものの、花山上皇の猛プッシュを受けて親王宣言をうけて&宮廷の役職もきちんともらって、白川伯王家の祖となったりと、そこそこ良い待遇を受けてるのを考えるとなんかかわいそう…。この女房だった皇女は、例の親子で花山上皇に愛でられた愛人の母と娘との間に生まれた子供達の1人なのです。彼らは(上皇が出家後に産ませたというだけではなく、母子をほぼ同時に愛でられた…と言う)上皇の世間体が悪い感じの立場で生まれるので、全員母の元ですら育てもらえず、里子や養子に出されてます。花山天皇の乳母子の中務とその娘平平子を同時に寵愛して子を産ませたため、世の人は中務の腹に授かった清仁親王を「母腹宮」、平子の腹に授かった昭登親王を「女腹宮」と称した。2人の皇子は祖父の冷泉上皇の猶子となり、それぞれ冷泉院の五宮・六宮として親王宣下を受け、清仁親王は白川伯王家の祖先となりました。 この皇女は娘の方が産んだ子で、(花山天皇の)世間体が悪いと言う事で平母子とはまた別の女房に出されて育てられています。
源氏物語で朱雀院が自分が出家した後の女三の宮の処遇を気にしてたのってそれもあるのかな・・
その皇女とは、だいぶ前の回、花山天皇が為時パパに母娘と関係を持った話をしていたと言っていた、、、その子だとか⁇
荒三位の名で呼ばれる道雅くんですが、百人一首の歌は、1000年を超えて切なく届きますね。大好きな一首です。
おばあさまも歌い手としても才ありますし、それを受け継いだのですね。
@ さま おっしゃる通りです!祖母様の百人一首に撰ばれた歌も情熱的で素敵です。これは遺伝ですね
@@明子-s6s 昔百人一首の漫画で見ていましたが、まさかあれ道隆との歌だったとわ。最後道隆もその歌を詠みあげてましたね。
きりゅうさんの脚本による「光る君」のスピンオフ番組があらまほし〜〜😂🎉
道雅はもとから粗暴というか暴力的な部分があったのか、父親である伊周の没落や道長の嫌がらせ等の不幸が続いた事で歪んで更に暴力的になったのかどちらなんでしょうね。当子内親王との恋が引き裂かれる事なく、そのまま結ばれたらまた違った人生を歩めたかな
わー‼️嬉しい❤待ってました❤❤❤
荒三位取り上げてありがとうございます!当子内親王の事とケンカパヤイ事は知っていましたが花山法皇の皇女の事は知りませんでした。詳しく教えてくださりありがとうございます。く〜さんの飼い猫と野良猫のケンカときりゅうさんの猛禽類と鳩のケンカがどツボにハマりました。
きりゅうさん、講談師のようで聞きいってしまいます。3人の掛け合い、突っ込みがまた絶妙で面白いです。いつも楽しみにしています。
@@鳥井広子 何にも知りません風を装おってるくうさん、ラットさんの質問が絶妙で、流れを止めてないところが凄いですよね😃お二人ともホントは何もかもご存知なんでしょ?と思ってみてます。
いやぁ・・今回の道雅くんのエピソードは凄かったです。。えーー!とか、今度は何ー?!とか、ひえーーーとか😱😱…叫びながら聞いてました(笑)
当子内親王との話はうた恋いで観てたので、ずっと話に出てくるの楽しみにしてました😃その後の道雅の話が聴けて良かったです。ありがとうございました。
うた恋、現代に2人が転生してハッピーエンドになってましたね😂
@@JAL-gk9gu はい、現代に転生していて恋が報われて感動しました😆
道雅くん、子供の頃に呪詛チカパパから厳しく舞をしごかれてましたよね。濡れ衣も入ってるかも知れないけど、荒三位すら控えめに感じるほどの悪行でしたね😅そういえば、この前の追って沙汰するで話に出てた太平記、私もすごく印象に残っています!小さかったので話はあまり理解できなかったと思いますが、武田鉄矢が演じてた楠木正成が敗れるあたりとか、尊氏の弟役だった高嶋政伸とか覚えてます笑。ぜひ太平記の解説、またはきりゅうさんが特に語りたいシーンセレクト数本立てとかでもいいので聞いてみたいです!!ぜひご検討ください😄
今、遅めの夕御飯を食べて、ゆっくりかしましさんTimeです🎉幸せ😃💕
彰子の三条天皇の娘の頼通への降嫁についての発言が、刮目すべきだった。望まれず降嫁すれば名ばかりの妻となり、かつての自分のようで気の毒だからだと述べ、父や兄が女を手前勝手な理由でコマ扱いするのを批判した。最後には、父にまるで命ずるかのように、この婚儀は誰も幸せにしないから断るように促した様子に、少しでも女の犠牲をなくしたいという強い意志と潔さがにじみ出ていた。己が女であるが故の芯の強さを感じた。
いつも楽しく拝聴しております!日記のおかげでこの時代の多くの人々の為人が分かるってすごいありがたいです。それを噛み砕いて楽しく説明してくれるきりゅうさんに感謝です!(きりゅうさんをうっかり漢字変換してしまったら希硫酸と出てしまいましたw)
応天門事件も含めて、当時は真相不明の事件が多かったようですね。まあ、今も見受けられますけど😅
😮😮😮おーおーいやいや、流石です。キリユウ先生すべてにおいて本当に流石〜愉しか〜愉しく勉強良いですね。キリユウ先生達、大好き💕💕💕
待っていた人が多い道雅くん、なかなかの人気者ですね😆若い頃のやんちゃはまあアレですけど、当子内親王と相思だったのに引き裂かれたのはやっぱり気の毒です😢もしこの恋が成就していたら、その後の人生は変わっていたのかなあと思いました。
道雅待ってました!
モーニングルーティンするんやー😂と興味が湧いた私😂せんのかい😂と心の中でツッコミました😂今日もありがとうございました🎉
GRWMも観たいです
当子内親王とのエピはうた恋い思い出すなぁ
呪詛周のインパクトが強すぎて、道雅の記憶がございません😅 本日は水曜日!かしましで、曜日の確認をしています😊
待ってました!
前回の「平安京ボンクラ烈伝」に続き、今回の道雅始めとする「平安京無頼烈伝」もきりゅうさんの筆でお願いしたいです😊
今日も楽しく、息をもつかせぬ臨場感で、お話に引き込まれて拝聴できて、とても楽しかったです。巨大なロスが近づく事を、頭の片隅に追いやり透明化し、本当は今まだ言ってはならぬ、そんな時期の、週に3回もの配信を習慣化出来ることに心からあらためて感謝致しております。ところで、他のチャンネルなどでも感じるのですが、和歌の解説をしてくださる時、本歌を表示されたあと、解説の文の表示(あるいは字幕)を出していただきます。私はその後に(意味がわかってから)本歌をもう一度味わいたくていつも「もういちど本歌を表示して欲しいなあ」と思ってしまうのです。(解説文と併記でもありがたいのですが本歌だけでしみじみとしたい)
隆家おじさんは最終的に、そのヤンチャを活かし、国難を救う結果となりましたが、荒三位君は、ヤンチャを活かす事ができなかったのが残念ですね。敦明親王VS荒三位、ヤンキー映画みたいな仕立てでちょっとスピンオフしてほしいです(笑)
二人で舞を舞ってた子ではないですけど、伊周にきびしく舞の特訓をさせられてた子ですね。くーさんが間違っても仕方ない。
摂政を辞めることをまひろに伝えた道長は、物語を例に上げ人の一生は虚しいと言う。それに対しまひろは、物語の影響で彰子の成長は促されたと答え、今すぐ達成できずとも次代の者が彼の思いを引き継いでくれるかもしれず、それを念じると告げる。まひろの言葉を胸に落とし込むような表情の道長がじっとまひろを見つめる場面は、まさにソウルメイトだった。何だか父伊周の悪い部分(極端に走り過ぎ、周りの反応を推し量れないところ)があまりにもそっくりで、なぜ父と同じように墓穴を掘るのかなあと感じる。生まれは紛れもなく最高の関白の孫だったのに、これでは下級貴族より劣等な生涯だ。若い頃にはいろいろあっても大成する人も多いのに、彼はまるで子供のまま大きくなったような無茶振りで、やはり父の感情的性行の影響を受けているのかもしれない。身分や生まれは選べないが、その後の人生は本人次第なのに、なぜこれほど悪い方に触れ続けてしまうのかは最早謎だ。自分の父の不遇や道長に対し思うところがいろいろあったのかもしれないが、あまり思いつめたり一つのことに専念ばかりせず、もう少し柔軟に状況を見て己を変えていける方が良いのだろう。隆家というそういう面では良きアドバイザーとなれる叔父がいたのだから、彼に相談すればよかったようにも思う。
いつも楽しく勉強させて抱いております。以前、源氏物語を現代語訳で一度読破しましたが、あらためて読み直しています。そこでお尋ねいたします。1.この当時、文を交わす時には必ず和歌にするのが雅のすることだった? 今のように、直接的な表現をするのは下品な者のすることだったのでしょうか。2.歌(和歌)を読む時、ドラマでは単に読むだけですが、本当なら、年始の歌会始みたいに「今はただ~~~~~、思いたえなん~~~~~~・・・」のように歌い読んでいたのでしょうか。3.源氏物語(今泉忠義氏の現代語訳)の中で「唸る」という表現が出てきます。 これもやはり「今はただ~~~~」と歌い呼んでいる表現なのでしょうか。4.源氏物語の中で「鼻毛の長い」という表現が度々出てくるのですが、どういう意味でしょうか。お尋ねしたいことが山ほどですが、よろしくお願いいたします。それにしても、ドラマ「光る君へ」で、源氏物語について、もう少し詳しく説明してくれてもいいのになぁと思います。
子どもの頃から百人一首に慣れ親しんだほうなので、あの歌の作者がこの子なのか〜と結びつきました ありがとうございます それにしても百人一首の作者たくさん出て来ますね!
道雅くん、伊周お父ちゃんの気性の荒いところ、似てしまったのかしら…😓
いつも分かり易い解説ありがとうございます🤗道雅さんリアル道長さんのおかげで冷や飯を食わされた1人だったのかな😅
相棒の右京さんは、寂れた左遷先の右京と、人材の墓場特命係のつながりで命名されたのかしら💡
前回に引き続き、歴史の敗者のほうのエピソードでした。お父さんに恥かくくらいなら出家しろなど遺言されて、彼自身の人生なのに可哀想…。百人一首の歌は悲しいですね😢あまりにひどい皇女の最期ですが、本当に荒三位だったのでしょうかねぇ?🤔
白河法皇と言えば、意のままにならないものは、比叡山の荒法師と賀茂川の水と賽の目だと言ったので有名ですが、さいころ賭博が好きだったのですね。賀茂川の水と言えば、今鴨川は賀茂川と高野川が合流してY字型になっていますが、平安時代以前は 2本の川で、平安京を作るとき、平安京の真ん中を川が分断しないように、賀茂川を無理に曲げてしまった。無理な工事をしたからその後賀茂川はたびたび氾濫を起こすようになったというのは本当なのでしょうか。
氾濫してたのは鴨川の方だと思ってました。賀茂川の方には、氾濫するような平場がなくないですか???扇央にあたるから傾斜もあって、賀茂川のあたりは氾濫しないと思ってました😅
@@user-65pok そうかもしれませんね。Wikipedia を見ると、白河法皇が「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と嘆いたと書いてあります。当時も現在と同じように賀茂川、鴨川を使い分けていたのかどうかは分かりませんが。
一時非常に話題になった鴨川付け替え説はその後色々現地調査が行われ現在ではほぼ否定されています 確かにキレイなY字型になっているので、人工的に作られたようにも見えるのですが、偶然の結果というのが真相らしいです
@奥西知子-i2d あっ、そうだったのですか。よく分かりました。
今日も面白かった❤くーさんが道長の2人の息子と道雅くんと勘違いしたのは道雅くんがまだ幼い頃踊りの練習している時、めっちゃ伊周に叱られていた場面とゴッチャになったのでは?あの時は道雅くんかわいそう😢と思っていたけど荒三位なんて呼ばれていたとは!😅
今はただ、の歌は個人的に百人一首中1番心を打つ歌だと思います。現代人にもすっと入ってくる言葉だからかもしれないですね。ただ、動画でも触れられていたように当子内親王の実兄の従者を瀕死の状態にさせた過去もあったし、道雅自身結婚していた(と思われる)ので、三条天皇が怒るのも仕方ないとも思う。当子内親王にとっては生涯でたった一人の人だったと思うと…悲しいですね…
多分その時は狩衣を着ていたと思うので、これはかなり動きやすいです。狩衣は袖と肩が仮止めされているような感じなので、いざとなれば自分で袖を引きちぎってけんかもできます。
奈良平安以前の皇族貴族の争いは政争というか権力争いで大事になるのにこの時代の争いはある意味平和的ですね。
倫子が藤式部に道長の栄華の様を書物に残すようにドラマで言っていたが、紫式部は書いたのでしょうか。
あれは『栄花物語』だと思うので、赤染衛門が書きます。
いつも更新が待ち遠しくて、待ち遠しくて。楽しみに拝聴しています。今期のテーマとは違いますが、道長の望月の歌について、この世を、の解釈ですが、たとえば、道長は夜という意味で詠んだけれど、実資は「世」という文字でこの歌を日記に記録したという仮説は成り立たないでしょうか。余談ですが、きりゅうさんにご相談したいことがあり、以前、メールを差し上げたのですが、もしかして迷惑メールに入ってしまっていたりするでしょうか。どうぞよろしくお願い申し上げます。
道雅くん事件起こしすぎ。今聞いたら面白く聞けますが、やんちゃすぎますね。もう少しいい人生だったら良かったのに、、と思いました。
当子内親王と恋仲になる前から事件起こしてたの考えたら三条院も反対するのはわかる。あと反対した理由の一つとして当時の権力者道長と対立して没落しかけてる中関白家だからというのもあったからと聞いたことあります。
荒三位…当子内親王との悲恋より、「殺人事件」の印象が強烈。でも当時の世間は道長の死後に「そういえばそんな人いたね」で“忘れて”くれたわけなのだね…😐
望月の歌、ゴリゴリの栄華自慢の解釈じゃなかったの良かった〜😊道雅くんは、呪詛チカパパと「出世なんか望んで無い」ってケンカしてましたもんね😅
@@黄桜-q6s 本当は内親王と一緒に平穏に暮らしたかったのかな?
松君は、お父さん(伊周)に舞の練習をさせられてモラハラ受けていた子どもですよね😅 伊周にせよ、道雅やこないだの敦明親王にせよ、不遇で可哀想とは思いますが隆家や行成くん、公任くんだって関白の息子なのに後継げずに道長の風下に立って、不遇と言えば不遇だけどそれなりに自分の人生まっとうしてること考えると…不遇だから不幸なるかは本人しだいなんじゃあ…と、思います こうしてみたら、道長の幸運、強運は異常だったんだな~と、改めて思います神仏の加護が今より重要視されていた時代、強運というだけで道長は天命を受けた人と思われていたのかも?と、思いましたしかしまして「平安不遇度選手権」みたいなのやってほしい!上記のメンバー以外でも、三条天皇とか花山天皇とかもけっこう不遇?天皇にはなれたけど…だし女性ならもっといっぱいいそうですよね不遇でも、頑張ってそれなりの地位にのぼったり幸せになった人不遇を恨んで没落したり、やけになった人敦康親王みたいに、運命に抗わず、ささやかな幸せを得ようとしたのに若くして亡くなった人←これがホントの不遇なのかも光る君で、色んな不遇との向き合い方、色んな人生の在り方を知れたのも良かったですね〜❤
荒三位 待ってました〜
拷問キツイて(泣)
伊周の前で踊って見せたけど、どえらく叱られていた子でしたね。あんな育てられ方したら歪んじゃうと思います。
光る君へのコンセプトってSex&Violenceでしてよね?荒三位と花山院皇女の件は言い伝えによればまんまそれですよね。ドラマでも観たかったなぁ。
道雅君って松君の時に踊りのお稽古で伊周パパに理不尽なスパルタ指導を受けていた子ですよね?幼少期の環境がその後の悪行につながってもおかしくないなあ。パパの呪詛が息子に降りかかっていたみたいな感じですね😭かわいそうな人です。
平安と現在の若者が似ているということは…次世代は物静かな若者を守る武闘派若人が台頭してくるということなのでしょうか!?
道雅VS敦明、遠巻きに眺めるだけならいいけど、関わりたくない😂😂
以前、その代によって使う漢字が有ると話されてましたが伊周は何でこの名前なんですか?道隆は道付いているのに。
今日のきりゅうさんの暴力ボディランゲージに笑かしてもらいました😂
繁田信一先生の「殴り合う貴族たち」ですね!
6:06~のく〜さんのワイプに出る「相川七瀬」って😆・・・!
悪口(あくこう)という、道長とかの文句を言っている間に興奮して、「道長、〇ね!」とか言っちゃったのかなぁ
父親や一族の事など生育環境が不運であったという前に貴族社会が向いてなかったのでは?と思う。貴族の中にも血の気の多い人は生まれてたと思うんですよね。こういう人は武家社会の時代に生まれてたら違う活躍できたのかも…とかたらればを考えてしまいます。逆に武家に生まれたけど武士が全く向いてない人も大勢いたでしょうね。もっと踏み込めば現代社会があってない人もきっとたくさん居る。
貴族に向いてない?隆家武士向いてない?今川氏真がパッと浮かびました。
@@my262まさにそんな感じですね😂
きりゅうさん、ラットさん、く~さん、三人そろって平安時代の罪滅ぼしに、道長さんの「望月の歌」を合唱してください。
道雅君不幸過ぎ😅花山さんも、なんだか、かわいそうな、人生、、😅
いやあ、実資とて長く少将を勤めてたんだろう?荒事くらい大なり小なりやってそうにも思うけど。
紫式部の夫の藤原宣孝の子どものところに大弐三位と藤原道雅室ってありました。賢子さんの異母姉妹さんが奥さんだったってことなんですかね。大変な夫をお持ちで大変でしたよねぇきっと。
恋は反対されると、余計燃えてしまうのにねー❤😅😅
伊周の死ぬ間際で、出家しろ言われていたと思っていましたが、出家しなかったんですね。
掛けすごろくって、バックギャモンのことかな❓🤔
インド発祥のボードゲームの一種が奈良時代に伝わって双六になり、西洋へは西洋双六=バックギャモンとなったそうです。(共に二人対戦型)そこから派生した「絵双六」が今でも子供が遊ぶ「すごろく」の遊戯(複数人が競争可)として残ったのですね。対戦型の「盤双六」は廃れてしまったようです。
隆家と一緒に太宰府に行っていれば英雄として名前が残った可能性もあるんですかね
実資日記にこまめに記録しているのに肝心な所の記載や理由も載せて欲しかったここまで後世に引き継がれると思ってないのか🤭✨道雅くんの恋バナも三条天皇に引き裂かれて可哀想 荒三位も恋してる時は🥰🥰🥰だったと思うのに
道雅くん、呪詛チカご健在の頃、父上の恨みはらさでおくべきか!みたいなシーンあったからまた出てくるのかと思ってちょっとヒヤヒヤしてたけどフェードアウトしてますね…。
きりゅうさん、部屋が暗いです。
荒三位 デンジャラス道雅!不運な身の上は同情するけれども 面白い! 道雅のエピソード回を作って欲しい😅
斎宮から結婚したのは源氏物語で言うと六条御息所の娘の秋好中宮がいますね。まあ結婚前から帝と相引きでなく、当時年頃の娘がいなかった光源氏の後ろ盾で入内ですが。
最近はもはや大河よりこのチャンネルの更新のほうが楽しみになっています😂❤
@@suguru_kinniku 様
TV(大河も)すら観とらんわ(笑)
かしましは面白い。
@@倉冨まどかなんでわざわざ名前に様つけるんですか?
純粋に疑問です
丁寧にしたいんじゃないでしょうかね
@@Ko924ta様
そうです。
@@倉冨まどか
様付けからのTVすら観とらんわ笑のフランクな物言い、そのちぐはぐさに笑わせていただきました😂丁寧に、と思ってくださったお気持ちに感謝です🙏
ところで、大河ご覧になっていないとのことですが、御三方もたびたび言及されているように光る君へは脚本から演出、舞台装置から衣装に至るまで大変なこだわりようで、更には俳優陣の熱演によってそれはそれは素晴らしいドラマになっています✨もし機会がありましたら是非ご覧下さいませ。
道雅は伊周が亡くなって以降
どうしていたのか知りませんでしたが、乱暴な性格で事件を起こしていたのですね
平安時代にも道雅や敦明親王のような乱暴な貴族もいたのにドラマでは出てこないので
きりゅうさんの解説で知ることができて有難いです
百人一首で有名な「いまはただ〜」の素敵な和歌を道雅が詠ったとは以外ですが、伊周ゆずりの才能はあったのですね
今はただ………の歌、つらかったんだろうな、かなしかったんだろうな、ってホントに胸が痛みます。一人では抱えきれない悲しみと絶望の淵にいたことでしょう。
大切な人々を失った喪失感が、その後の人生に影響してしまったのか。
父伊周から過重な重荷を残されてはいなかったのか😢
彼一人を責めることはできないと感じた人がいたからこそ、百人一首にも取り上げられたと思いたい。
荒三位待ってました💛当子内親王とのエピうた恋いで知って好きだったんです🤤敦明親王とは直接本人同士がやりあった方がよかったかも😅
道雅🟰悲運‥どのエピソードを伺っても、あ〜ぁ‥でも、それにしても問題起こし過ぎ!生い立ちの不遇は分かりますが、それにしても💦😢ですね。今日もありがとうございました🙏❣️
ありがとうございます!
ありがとうございます💓💞
道雅くんと当子ちゃんの悲恋を聞いて思い出すのは、百年あまり後の藤原定家と式子内親王の恋。定家くんと式子ちゃんは「和歌の師弟だっただけ」説もありますが、想い合っていたとしたら…御簾越しで顔を合わせることもなく定家くんは式子ちゃんの声を聞くこともなく一生を終えたと知り胸がキュンとしました。想いを遂げたあとに引きさかれた2人と和歌のつながりだけで終わった2人。どちらも切なくなります😢
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花山天皇の皇女ともあろう女性が 彰子太皇太后の女房として宮仕えするとは。
帝の皇女でも 後ろ楯がなければ厳しいのですね🤔
この皇女の場合、後ろ盾プラス(花山上皇の)世間体の方がわるいと言うことでこのような立場に追いやられて育った皇女だと言うのもあるかもです😅。全ては下半身の緩いヤリ◎ン、花山法皇のせい…笑…かな、
ほぼ同じ立場で、この皇女の同母兄または祖母から生まれた兄で冷泉上皇に養子に出されたものの、花山上皇の猛プッシュを受けて親王宣言をうけて&宮廷の役職もきちんともらって、白川伯王家の祖となったりと、そこそこ良い待遇を受けてるのを考えるとなんかかわいそう…。
この女房だった皇女は、例の親子で花山上皇に愛でられた愛人の母と娘との間に生まれた子供達の1人なのです。彼らは(上皇が出家後に産ませたというだけではなく、母子をほぼ同時に愛でられた…と言う)上皇の世間体が悪い感じの立場で生まれるので、
全員母の元ですら育てもらえず、里子や養子に出されてます。
花山天皇の乳母子の中務とその娘平平子を同時に寵愛して子を産ませたため、世の人は中務の腹に授かった清仁親王を「母腹宮」、平子の腹に授かった昭登親王を「女腹宮」と称した。2人の皇子は祖父の冷泉上皇の猶子となり、それぞれ冷泉院の五宮・六宮として親王宣下を受け、清仁親王は白川伯王家の祖先となりました。
この皇女は娘の方が産んだ子で、(花山天皇の)世間体が悪いと言う事で平母子とはまた別の女房に出されて育てられています。
源氏物語で朱雀院が自分が出家した後の女三の宮の処遇を気にしてたのってそれもあるのかな・・
その皇女とは、だいぶ前の回、花山天皇が為時パパに母娘と関係を持った話をしていたと言っていた、、、その子だとか⁇
荒三位の名で呼ばれる道雅くんですが、百人一首の歌は、1000年を超えて切なく届きますね。大好きな一首です。
おばあさまも歌い手としても才ありますし、それを受け継いだのですね。
@ さま おっしゃる通りです!祖母様の百人一首に撰ばれた歌も情熱的で素敵です。これは遺伝ですね
@@明子-s6s
昔百人一首の漫画で見ていましたが、まさかあれ道隆との歌だったとわ。
最後道隆もその歌を詠みあげてましたね。
きりゅうさんの脚本による「光る君」のスピンオフ番組があらまほし〜〜😂🎉
道雅はもとから粗暴というか暴力的な部分があったのか、父親である伊周の没落や道長の嫌がらせ等の不幸が続いた事で歪んで更に暴力的になったのかどちらなんでしょうね。当子内親王との恋が引き裂かれる事なく、そのまま結ばれたらまた違った人生を歩めたかな
わー‼️嬉しい❤待ってました❤❤❤
荒三位取り上げてありがとうございます!当子内親王の事とケンカパヤイ事は知っていましたが花山法皇の皇女の事は知りませんでした。詳しく教えてくださりありがとうございます。く〜さんの飼い猫と野良猫のケンカときりゅうさんの猛禽類と鳩のケンカがどツボにハマりました。
きりゅうさん、講談師のようで聞きいってしまいます。
3人の掛け合い、突っ込みがまた絶妙で面白いです。
いつも楽しみにしています。
@@鳥井広子 何にも知りません風を装おってるくうさん、ラットさんの質問が絶妙で、流れを止めてないところが凄いですよね😃
お二人ともホントは何もかもご存知なんでしょ?と思ってみてます。
いやぁ・・今回の道雅くんのエピソードは凄かったです。。
えーー!とか、今度は何ー?!とか、ひえーーーとか😱😱…叫びながら聞いてました(笑)
当子内親王との話はうた恋いで観てたので、
ずっと話に出てくるの楽しみにしてました😃
その後の道雅の話が聴けて良かったです。
ありがとうございました。
うた恋、現代に2人が転生してハッピーエンドになってましたね😂
@@JAL-gk9gu
はい、現代に転生していて
恋が報われて感動しました😆
道雅くん、子供の頃に呪詛チカパパから厳しく舞をしごかれてましたよね。濡れ衣も入ってるかも知れないけど、荒三位すら控えめに感じるほどの悪行でしたね😅
そういえば、この前の追って沙汰するで話に出てた太平記、私もすごく印象に残っています!小さかったので話はあまり理解できなかったと思いますが、武田鉄矢が演じてた楠木正成が敗れるあたりとか、尊氏の弟役だった高嶋政伸とか覚えてます笑。ぜひ太平記の解説、またはきりゅうさんが特に語りたいシーンセレクト数本立てとかでもいいので聞いてみたいです!!ぜひご検討ください😄
今、遅めの夕御飯を食べて、ゆっくりかしましさんTimeです🎉幸せ😃💕
彰子の三条天皇の娘の頼通への降嫁についての発言が、刮目すべきだった。望まれず降嫁すれば名ばかりの妻となり、かつての自分のようで気の毒だからだと述べ、父や兄が女を手前勝手な理由でコマ扱いするのを批判した。最後には、父にまるで命ずるかのように、この婚儀は誰も幸せにしないから断るように促した様子に、少しでも女の犠牲をなくしたいという強い意志と潔さがにじみ出ていた。己が女であるが故の芯の強さを感じた。
いつも楽しく拝聴しております!日記のおかげでこの時代の多くの人々の為人が分かるってすごいありがたいです。
それを噛み砕いて楽しく説明してくれるきりゅうさんに感謝です!(きりゅうさんをうっかり漢字変換してしまったら希硫酸と出てしまいましたw)
応天門事件も含めて、当時は真相不明の事件が多かったようですね。まあ、今も見受けられますけど😅
😮😮😮おーおーいやいや、流石です。キリユウ先生すべてにおいて本当に流石〜愉しか〜愉しく勉強良いですね。キリユウ先生達、大好き💕💕💕
待っていた人が多い道雅くん、なかなかの人気者ですね😆若い頃のやんちゃはまあアレですけど、当子内親王と相思だったのに引き裂かれたのはやっぱり気の毒です😢
もしこの恋が成就していたら、その後の人生は変わっていたのかなあと思いました。
道雅待ってました!
モーニングルーティンするんやー😂と興味が湧いた私😂せんのかい😂と心の中でツッコミました😂今日もありがとうございました🎉
GRWMも観たいです
当子内親王とのエピはうた恋い思い出すなぁ
呪詛周のインパクトが強すぎて、道雅の記憶がございません😅 本日は水曜日!かしましで、曜日の確認をしています😊
待ってました!
前回の「平安京ボンクラ烈伝」に続き、今回の道雅始めとする「平安京無頼烈伝」もきりゅうさんの筆でお願いしたいです😊
今日も楽しく、息をもつかせぬ臨場感で、お話に引き込まれて拝聴できて、とても楽しかったです。
巨大なロスが近づく事を、頭の片隅に追いやり透明化し、本当は今まだ言ってはならぬ、そんな時期の、週に3回もの配信を習慣化出来ることに心からあらためて感謝致しております。
ところで、他のチャンネルなどでも感じるのですが、和歌の解説をしてくださる時、本歌を表示されたあと、解説の文の表示(あるいは字幕)を出していただきます。私はその後に(意味がわかってから)本歌をもう一度味わいたくていつも「もういちど本歌を表示して欲しいなあ」と思ってしまうのです。(解説文と併記でもありがたいのですが本歌だけでしみじみとしたい)
隆家おじさんは最終的に、そのヤンチャを活かし、国難を救う結果となりましたが、荒三位君は、ヤンチャを活かす事ができなかったのが残念ですね。
敦明親王VS荒三位、ヤンキー映画みたいな仕立てでちょっとスピンオフしてほしいです(笑)
二人で舞を舞ってた子ではないですけど、伊周にきびしく舞の特訓をさせられてた子ですね。くーさんが間違っても仕方ない。
摂政を辞めることをまひろに伝えた道長は、物語を例に上げ人の一生は虚しいと言う。それに対しまひろは、物語の影響で彰子の成長は促されたと答え、今すぐ達成できずとも次代の者が彼の思いを引き継いでくれるかもしれず、それを念じると告げる。まひろの言葉を胸に落とし込むような表情の道長がじっとまひろを見つめる場面は、まさにソウルメイトだった。
何だか父伊周の悪い部分(極端に走り過ぎ、周りの反応を推し量れないところ)があまりにもそっくりで、なぜ父と同じように墓穴を掘るのかなあと感じる。生まれは紛れもなく最高の関白の孫だったのに、これでは下級貴族より劣等な生涯だ。若い頃にはいろいろあっても大成する人も多いのに、彼はまるで子供のまま大きくなったような無茶振りで、やはり父の感情的性行の影響を受けているのかもしれない。身分や生まれは選べないが、その後の人生は本人次第なのに、なぜこれほど悪い方に触れ続けてしまうのかは最早謎だ。自分の父の不遇や道長に対し思うところがいろいろあったのかもしれないが、あまり思いつめたり一つのことに専念ばかりせず、もう少し柔軟に状況を見て己を変えていける方が良いのだろう。隆家というそういう面では良きアドバイザーとなれる叔父がいたのだから、彼に相談すればよかったようにも思う。
いつも楽しく勉強させて抱いております。
以前、源氏物語を現代語訳で一度読破しましたが、あらためて読み直しています。
そこでお尋ねいたします。
1.この当時、文を交わす時には必ず和歌にするのが雅のすることだった?
今のように、直接的な表現をするのは下品な者のすることだったのでしょうか。
2.歌(和歌)を読む時、ドラマでは単に読むだけですが、本当なら、年始の歌会始みたいに「今はただ~~~~~、思いたえなん~~~~~~・・・」のように歌い読んでいたのでしょうか。
3.源氏物語(今泉忠義氏の現代語訳)の中で「唸る」という表現が出てきます。
これもやはり「今はただ~~~~」と歌い呼んでいる表現なのでしょうか。
4.源氏物語の中で「鼻毛の長い」という表現が度々出てくるのですが、どういう意味でしょうか。
お尋ねしたいことが山ほどですが、よろしくお願いいたします。
それにしても、ドラマ「光る君へ」で、源氏物語について、もう少し詳しく説明してくれてもいいのになぁと思います。
子どもの頃から百人一首に慣れ親しんだほうなので、あの歌の作者がこの子なのか〜と結びつきました ありがとうございます それにしても百人一首の作者たくさん出て来ますね!
道雅くん、伊周お父ちゃんの気性の荒いところ、似てしまったのかしら…😓
いつも分かり易い解説ありがとうございます🤗道雅さんリアル道長さんのおかげで冷や飯を食わされた1人だったのかな😅
相棒の右京さんは、寂れた左遷先の右京と、人材の墓場特命係のつながりで命名されたのかしら💡
前回に引き続き、歴史の敗者のほうのエピソードでした。お父さんに恥かくくらいなら出家しろなど遺言されて、彼自身の人生なのに可哀想…。百人一首の歌は悲しいですね😢
あまりにひどい皇女の最期ですが、本当に荒三位だったのでしょうかねぇ?🤔
白河法皇と言えば、意のままにならないものは、比叡山の荒法師と賀茂川の水と賽の目だと言ったので有名ですが、さいころ賭博が好きだったのですね。
賀茂川の水と言えば、今鴨川は賀茂川と高野川が合流してY字型になっていますが、平安時代以前は 2本の川で、平安京を作るとき、平安京の真ん中を川が分断しないように、賀茂川を無理に曲げてしまった。無理な工事をしたからその後賀茂川はたびたび氾濫を起こすようになったというのは本当なのでしょうか。
氾濫してたのは鴨川の方だと思ってました。賀茂川の方には、氾濫するような平場がなくないですか???扇央にあたるから傾斜もあって、賀茂川のあたりは氾濫しないと思ってました😅
@@user-65pok
そうかもしれませんね。Wikipedia を見ると、白河法皇が「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と嘆いたと書いてあります。当時も現在と同じように賀茂川、鴨川を使い分けていたのかどうかは分かりませんが。
一時非常に話題になった鴨川付け替え説はその後色々現地調査が行われ現在ではほぼ否定されています 確かにキレイなY字型になっているので、人工的に作られたようにも見えるのですが、偶然の結果というのが真相らしいです
@奥西知子-i2d
あっ、そうだったのですか。よく分かりました。
今日も面白かった❤
くーさんが道長の2人の息子と道雅くんと勘違いしたのは道雅くんがまだ幼い頃踊りの練習している時、めっちゃ伊周に叱られていた場面とゴッチャになったのでは?
あの時は道雅くんかわいそう😢と思っていたけど荒三位なんて呼ばれていたとは!😅
今はただ、の歌は個人的に百人一首中1番心を打つ歌だと思います。
現代人にもすっと入ってくる言葉だからかもしれないですね。
ただ、動画でも触れられていたように当子内親王の実兄の従者を瀕死の状態にさせた過去もあったし、道雅自身結婚していた(と思われる)ので、三条天皇が怒るのも仕方ないとも思う。
当子内親王にとっては生涯でたった一人の人だったと思うと…悲しいですね…
多分その時は狩衣を着ていたと思うので、これはかなり動きやすいです。狩衣は袖と肩が仮止めされているような感じなので、いざとなれば自分で袖を引きちぎってけんかもできます。
奈良平安以前の皇族貴族の争いは政争というか権力争いで大事になるのにこの時代の争いはある意味平和的ですね。
倫子が藤式部に道長の栄華の様を書物に残すようにドラマで言っていたが、紫式部は書いたのでしょうか。
あれは『栄花物語』だと思うので、赤染衛門が書きます。
いつも更新が待ち遠しくて、待ち遠しくて。
楽しみに拝聴しています。
今期のテーマとは違いますが、道長の望月の歌について、この世を、の解釈ですが、たとえば、道長は夜という意味で詠んだけれど、実資は「世」という文字でこの歌を日記に記録したという仮説は成り立たないでしょうか。
余談ですが、きりゅうさんにご相談したいことがあり、以前、メールを差し上げたのですが、もしかして迷惑メールに入ってしまっていたりするでしょうか。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
道雅くん事件起こしすぎ。
今聞いたら面白く聞けますが、
やんちゃすぎますね。
もう少しいい人生だったら良かったのに、、と思いました。
当子内親王と恋仲になる前から事件起こしてたの考えたら三条院も反対するのはわかる。
あと反対した理由の一つとして当時の権力者道長と対立して没落しかけてる中関白家だからというのもあったからと聞いたことあります。
荒三位…当子内親王との悲恋より、「殺人事件」の印象が強烈。でも当時の世間は道長の死後に「そういえばそんな人いたね」で“忘れて”くれたわけなのだね…😐
望月の歌、ゴリゴリの栄華自慢の解釈じゃなかったの良かった〜😊
道雅くんは、呪詛チカパパと「出世なんか望んで無い」ってケンカしてましたもんね😅
@@黄桜-q6s 本当は内親王と一緒に平穏に暮らしたかったのかな?
松君は、お父さん(伊周)に舞の練習をさせられてモラハラ受けていた子どもですよね😅
伊周にせよ、道雅やこないだの敦明親王にせよ、不遇で可哀想とは思いますが
隆家や行成くん、公任くんだって関白の息子なのに後継げずに道長の風下に立って、不遇と言えば不遇だけど
それなりに自分の人生まっとうしてること考えると…
不遇だから不幸なるかは
本人しだいなんじゃあ…と、思います
こうしてみたら、道長の幸運、強運は異常だったんだな~と、改めて思います
神仏の加護が今より重要視されていた時代、強運というだけで道長は天命を受けた人と思われていたのかも?
と、思いましたし
かしまして
「平安不遇度選手権」みたいなのやってほしい!
上記のメンバー以外でも、三条天皇とか花山天皇とかもけっこう不遇?天皇にはなれたけど…だし
女性ならもっといっぱいいそうですよね
不遇でも、頑張ってそれなりの地位にのぼったり幸せになった人
不遇を恨んで没落したり、やけになった人
敦康親王みたいに、運命に抗わず、ささやかな幸せを得ようとしたのに若くして亡くなった人←これがホントの不遇なのかも
光る君で、色んな不遇との向き合い方、色んな人生の在り方を知れたのも良かったですね〜❤
荒三位 待ってました〜
拷問キツイて(泣)
伊周の前で踊って見せたけど、どえらく叱られていた子でしたね。あんな育てられ方したら歪んじゃうと思います。
光る君へのコンセプトってSex&Violenceでしてよね?荒三位と花山院皇女の件は言い伝えによればまんまそれですよね。
ドラマでも観たかったなぁ。
道雅君って松君の時に踊りのお稽古で伊周パパに理不尽なスパルタ指導を受けていた子ですよね?
幼少期の環境がその後の悪行につながってもおかしくないなあ。
パパの呪詛が息子に降りかかっていたみたいな感じですね😭かわいそうな人です。
平安と現在の若者が似ているということは…次世代は物静かな若者を守る武闘派若人が台頭してくるということなのでしょうか!?
道雅VS敦明、遠巻きに眺めるだけならいいけど、関わりたくない😂😂
以前、その代によって使う漢字が有ると話されてましたが伊周は何でこの名前なんですか?道隆は道付いているのに。
今日のきりゅうさんの暴力ボディランゲージに笑かしてもらいました😂
繁田信一先生の「殴り合う貴族たち」ですね!
6:06~のく〜さんのワイプに出る「相川七瀬」って😆・・・!
悪口(あくこう)という、道長とかの文句を言っている間に興奮して、
「道長、〇ね!」とか言っちゃったのかなぁ
父親や一族の事など生育環境が不運であったという前に貴族社会が向いてなかったのでは?と思う。
貴族の中にも血の気の多い人は生まれてたと思うんですよね。
こういう人は武家社会の時代に生まれてたら違う活躍できたのかも…とかたらればを考えてしまいます。
逆に武家に生まれたけど武士が全く向いてない人も大勢いたでしょうね。
もっと踏み込めば現代社会があってない人もきっとたくさん居る。
貴族に向いてない?隆家
武士向いてない?今川氏真
がパッと浮かびました。
@@my262
まさにそんな感じですね😂
きりゅうさん、ラットさん、く~さん、三人そろって平安時代の罪滅ぼしに、道長さんの「望月の歌」を合唱してください。
道雅君不幸過ぎ😅
花山さんも、なんだか、かわいそうな、人生、、😅
いやあ、実資とて長く少将を勤めてたんだろう?
荒事くらい大なり小なりやってそうにも思うけど。
紫式部の夫の藤原宣孝の子どものところに大弐三位と藤原道雅室ってありました。賢子さんの異母姉妹さんが奥さんだったってことなんですかね。
大変な夫をお持ちで大変でしたよねぇきっと。
恋は反対されると、余計燃えてしまうのにねー❤😅😅
伊周の死ぬ間際で、出家しろ言われていたと思っていましたが、出家しなかったんですね。
掛けすごろくって、バックギャモンのことかな❓🤔
インド発祥のボードゲームの一種が奈良時代に伝わって双六になり、西洋へは西洋双六=バックギャモンとなったそうです。(共に二人対戦型)そこから派生した「絵双六」が今でも子供が遊ぶ「すごろく」の遊戯(複数人が競争可)として残ったのですね。対戦型の「盤双六」は廃れてしまったようです。
隆家と一緒に太宰府に行っていれば英雄として名前が残った可能性もあるんですかね
実資日記にこまめに記録しているのに
肝心な所の記載や理由も載せて欲しかった
ここまで後世に引き継がれると思ってないのか🤭✨
道雅くんの恋バナも三条天皇に引き裂かれて可哀想 荒三位も恋してる時は🥰🥰🥰だったと思うのに
道雅くん、呪詛チカご健在の頃、
父上の恨みはらさでおくべきか!
みたいなシーンあったからまた出てくるのかと思ってちょっとヒヤヒヤしてたけどフェードアウトしてますね…。
きりゅうさん、部屋が暗いです。
荒三位 デンジャラス道雅!
不運な身の上は同情するけれども 面白い! 道雅のエピソード回を作って欲しい😅
斎宮から結婚したのは源氏物語で言うと六条御息所の娘の秋好中宮がいますね。
まあ結婚前から帝と相引きでなく、当時年頃の娘がいなかった光源氏の後ろ盾で入内ですが。