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長らくこの曲を愛聴してきましたが、こうして二台のピアノで奏でられかつ解説つきで聴くと、ストラヴィンスキーは決してシェーンベルクのような無調、十二音音楽を書こうとしたのではなく、飽くまで複調進行をとことん突き詰めた結果、あの春の祭典にたどり着いたことがよく解りました。ありがとうございます。
何回見ても新鮮で新しい!本当にありがとうございます
非常に興味深く拝見しました。こんなにわかりやすくこの曲を解説していただいて、感謝すると同時に時代の進化を感じました。この曲を語るとき、ブーレーズの話がどうしてもついて回ります。高校生のころ(40年ぐらい前)この曲は好きなんだけれども理解できなくて少し悩みました。私自身は音楽の専門家ではないので「春の祭典」がわからなくても何一つ困ることはなかったのですが、やはり気になっていました。たまたま図書館で借りたブーレーズの春の祭典のレコード(当時はまだCDがありませんでした)を聴いて、腑に落ちた感じがしました。40年前ですから人によっては「春の祭典」は現代音楽でした。もし当時RUclipsがあって、こんなに整然と解説してもらえたなら苦労しなかったかもしれません。素人ながら現代音楽もよく聞くので、私はどうしてもこの曲を現代音楽の側から見てしまいがちです。調性の崩壊と言っては言い過ぎですが、12が支配する数学的な問題から発生する場合と表現の拡張という点から発生する場合があると思っています。この解説によって、この曲が伝統に根差しその発展形であると思うようになりました。
このような解説の動画ずーっと探してました!!!!お金払っても見たいです!アップしてくださってありがとうございます!これからもいろんな解説楽しみにしています♡
これまで近代・現代音楽と言われる(?)曲は敬遠してきましたが、”春の祭典”の演奏を聴く機会ができ、予習をと思ったところこちらの動画に出会いました。噛み砕いた聞きやすい解説のおかげで、すっかり曲が耳に馴染み、オケ版まで聞くようになりました。他の楽曲解説も楽しく拝見しております。機会がありましたら、ラヴェルのピアノ曲もぜひお願いしたいな、などと・・・
わかりやすい、おもしろい! そして演奏もすばらしい!(たいていピアノ版は物足りなさが残るのに福間さんのは響きが豊かで細部もクリアに聞こえてとても楽しめました!)
久々に聴きました。何度見てもいいですねー
わかりやすい!ありがとうございます。
作品への愛を感じました
春の祭典の初演の時、日本人が劇場で聴いていました。信時潔と言う作曲家です。次の日も聴きました。みんな落ち着いて見ていて、聴いていたとの事です。要するに、春の祭典は、ロマン派の音楽であって、無調でも無ければ、十二音でも無いのです。火の鳥→ペトルーシュカ→春の祭典。普通に、作曲は進行したのです。大成功したので、その後困りましたね。福田先生の演奏は、学んでいる感じで、演奏家の音楽です。ブーレーズに凄い分析があって本になっていて、フランス国立のオケで録音は現実化されます。それを聴いて、全ての地球人は、どうやったら良いかが分かりました。難しくも何とも無い。恐らく、この時のストラビンスキーの宗教は、ロシアの異端のキリスト教なので、天国へ行く事は出来ません。整斉感のある新古典主義(プルチネルラ・ダンバートンオークス等)に変わります。あの作風に転じた頃、西欧のキリスト教徒(カトリックか、プロテスタントは知りませんが)だったと思います。イエス様の死と精霊様の導きで、天国へ行けます。十二音と言っても、シェーンベルク流の(仏教的な)輪廻を感じさせる、終われない、ユダヤ教的な作品ではありませんでした。真似はしたけれど・・・。流行を追うのは彼の癖と言えます。要するに、ストラビンスキーが、オーケストラと言うパレットを使って、自由に色を殴り書きした作品が、春の祭典と言えます。分析やメロディーと伴奏に分けて考えるのは、後付けの屁理屈です。そうも出来ると言う事で、可能性は高い作品ですが、ストラビンスキーが作曲したまま、そのままやれば、面白い演奏になりますね。可能性を削った演奏が多い訳で、聴衆の為に整理整頓したり、教師が生徒に教える為に整理整頓しているだけです。難解な作品は、誰かが見本を見せなければ、聴ける演奏になりませんし、その影響下にある常識から抜け出せない物です。
休止しないJ君www
高橋悠治と青柳いずみこが連弾をしたものと比べたら面白い。福間先生は、この複雑な曲を美しく響くように演奏する。青柳さんもそうなのだけど、高橋悠治だけが、その瞬間の面白さを追求している。調性を決めさせないというよりは、あくまで復調進行であって、ピカソの絵で女性の顔が左右で色と表情が異なる作品に似ている。とことん突き詰めたと思っているのは、全くの間違いですよ。ストラビンスキー自身も、分析しながら書いたわけではなく、頭に思いつい物を楽譜に書き殴ったと言う方が当たっていると思う。それを後から、作曲家や演奏家が、其の儘では演奏出来ない人が多いので、理屈をつけて演奏している。最も精緻にアナリーゼをしたのは、ブーレーズだ。フランスのオーケストラをカミソリのような緻密さで演奏したものがあった。ストラビンスキーが十二音で音楽を書こうとしたのは、二十世紀の初頭ではなく、第二次世界大戦後の事で、アゴンなどがそうだ。ストラビンスキーが日本に来た時、日本のオーケストラを振った。ティンパニーを何発か連続して叩くところがある。ブーレーズのアナリーゼでは理由まできちんと書かれている。しかし、日本ではストラビンスキーはティンパニーの横で悩む。何発叩くかをそこで考える。そして、原典版と言われる楽譜と違う回数に決める。どんな優秀が指揮者が言っても、そこには説得力はない。作曲者のストラビンスキーが悩んで、何発かを決めてそうしろと言えば、オーケストラは従わなければならなくなる。もう一度そこを演奏すると、違う回数を言って、一応回数が決まる。つまり、分かりやすい説明など、何の意味もないのだ。若い頃、頭に閃いた音響を、オーケストレーションの知識や和声の知識を持って、互選に書き殴ったものでしかない。しかし、五連符なら、2+3、或いは3+2と打楽器なら叩くことになるだろうし、そう記譜した。実際、数学者で大指揮者のアンセルメには、そのように指示される。原典は、五連符で書かれている。ストラビンスキーは、揃って欲しくなかった。即興的、偶然的な物が欲しかったのだろう。アンセルメのいう事を聴いてはいけなかった。最初に戻る。演奏は、美しい必要はない。世の中で最低の、カラヤンの美しい演奏。ブーレーズの、クリーブランドの、セルの作った豊かな響きで、いう事を聞かないオーケストラを無理やりに聞かせた、それでもまだ精密緻密な音楽。マルゲビッチが日本の非力なオーケストラを応援しつつ振ったもの。最も大事なのは、ストラビンスキーが、極東で日本のオーケストラを、作曲してから50年経ってやりたい様に振ったものだ。
長らくこの曲を愛聴してきましたが、こうして二台のピアノで奏でられかつ解説つきで聴くと、ストラヴィンスキーは決してシェーンベルクのような無調、十二音音楽を書こうとしたのではなく、飽くまで複調進行をとことん突き詰めた結果、あの春の祭典にたどり着いたことがよく解りました。
ありがとうございます。
何回見ても新鮮で新しい!
本当にありがとうございます
非常に興味深く拝見しました。こんなにわかりやすくこの曲を解説していただいて、感謝すると同時に時代の進化を感じました。
この曲を語るとき、ブーレーズの話がどうしてもついて回ります。高校生のころ(40年ぐらい前)この曲は好きなんだけれども理解できなくて少し悩みました。
私自身は音楽の専門家ではないので「春の祭典」がわからなくても何一つ困ることはなかったのですが、やはり気になっていました。
たまたま図書館で借りたブーレーズの春の祭典のレコード(当時はまだCDがありませんでした)を聴いて、腑に落ちた感じがしました。
40年前ですから人によっては「春の祭典」は現代音楽でした。
もし当時RUclipsがあって、こんなに整然と解説してもらえたなら苦労しなかったかもしれません。
素人ながら現代音楽もよく聞くので、私はどうしてもこの曲を現代音楽の側から見てしまいがちです。
調性の崩壊と言っては言い過ぎですが、12が支配する数学的な問題から発生する場合と表現の拡張という点から発生する場合があると思っています。
この解説によって、この曲が伝統に根差しその発展形であると思うようになりました。
このような解説の動画
ずーっと探してました!!!!
お金払っても見たいです!
アップしてくださってありがとうございます!
これからもいろんな解説
楽しみにしています♡
これまで近代・現代音楽と言われる(?)曲は敬遠してきましたが、”春の祭典”の演奏を聴く機会ができ、予習をと思ったところこちらの動画に出会いました。噛み砕いた聞きやすい解説のおかげで、すっかり曲が耳に馴染み、オケ版まで聞くようになりました。他の楽曲解説も楽しく拝見しております。機会がありましたら、ラヴェルのピアノ曲もぜひお願いしたいな、などと・・・
わかりやすい、おもしろい! そして演奏もすばらしい!(たいていピアノ版は物足りなさが残るのに福間さんのは響きが豊かで細部もクリアに聞こえてとても楽しめました!)
久々に聴きました。
何度見てもいいですねー
わかりやすい!ありがとうございます。
作品への愛を感じました
春の祭典の初演の時、日本人が劇場で聴いていました。信時潔と言う作曲家です。次の日も聴きました。みんな落ち着いて見ていて、聴いていたとの事です。要するに、春の祭典は、ロマン派の音楽であって、無調でも無ければ、十二音でも無いのです。火の鳥→ペトルーシュカ→春の祭典。普通に、作曲は進行したのです。大成功したので、その後困りましたね。福田先生の演奏は、学んでいる感じで、演奏家の音楽です。ブーレーズに凄い分析があって本になっていて、フランス国立のオケで録音は現実化されます。それを聴いて、全ての地球人は、どうやったら良いかが分かりました。難しくも何とも無い。恐らく、この時のストラビンスキーの宗教は、ロシアの異端のキリスト教なので、天国へ行く事は出来ません。整斉感のある新古典主義(プルチネルラ・ダンバートンオークス等)に変わります。あの作風に転じた頃、西欧のキリスト教徒(カトリックか、プロテスタントは知りませんが)だったと思います。イエス様の死と精霊様の導きで、天国へ行けます。十二音と言っても、シェーンベルク流の(仏教的な)輪廻を感じさせる、終われない、ユダヤ教的な作品ではありませんでした。真似はしたけれど・・・。流行を追うのは彼の癖と言えます。
要するに、ストラビンスキーが、オーケストラと言うパレットを使って、自由に色を殴り書きした作品が、春の祭典と言えます。分析やメロディーと伴奏に分けて考えるのは、後付けの屁理屈です。そうも出来ると言う事で、可能性は高い作品ですが、ストラビンスキーが作曲したまま、そのままやれば、面白い演奏になりますね。
可能性を削った演奏が多い訳で、聴衆の為に整理整頓したり、教師が生徒に教える為に整理整頓しているだけです。難解な作品は、誰かが見本を見せなければ、聴ける演奏になりませんし、その影響下にある常識から抜け出せない物です。
休止しないJ君www
高橋悠治と青柳いずみこが連弾をしたものと比べたら面白い。福間先生は、この複雑な曲を美しく響くように演奏する。青柳さんもそうなのだけど、高橋悠治だけが、その瞬間の面白さを追求している。調性を決めさせないというよりは、あくまで復調進行であって、ピカソの絵で女性の顔が左右で色と表情が異なる作品に似ている。とことん突き詰めたと思っているのは、全くの間違いですよ。ストラビンスキー自身も、分析しながら書いたわけではなく、頭に思いつい物を楽譜に書き殴ったと言う方が当たっていると思う。それを後から、作曲家や演奏家が、其の儘では演奏出来ない人が多いので、理屈をつけて演奏している。最も精緻にアナリーゼをしたのは、ブーレーズだ。フランスのオーケストラをカミソリのような緻密さで演奏したものがあった。ストラビンスキーが十二音で音楽を書こうとしたのは、二十世紀の初頭ではなく、第二次世界大戦後の事で、アゴンなどがそうだ。ストラビンスキーが日本に来た時、日本のオーケストラを振った。ティンパニーを何発か連続して叩くところがある。ブーレーズのアナリーゼでは理由まできちんと書かれている。しかし、日本ではストラビンスキーはティンパニーの横で悩む。何発叩くかをそこで考える。そして、原典版と言われる楽譜と違う回数に決める。どんな優秀が指揮者が言っても、そこには説得力はない。作曲者のストラビンスキーが悩んで、何発かを決めてそうしろと言えば、オーケストラは従わなければならなくなる。もう一度そこを演奏すると、違う回数を言って、一応回数が決まる。つまり、分かりやすい説明など、何の意味もないのだ。若い頃、頭に閃いた音響を、オーケストレーションの知識や和声の知識を持って、互選に書き殴ったものでしかない。しかし、五連符なら、2+3、或いは3+2と打楽器なら叩くことになるだろうし、そう記譜した。実際、数学者で大指揮者のアンセルメには、そのように指示される。原典は、五連符で書かれている。ストラビンスキーは、揃って欲しくなかった。即興的、偶然的な物が欲しかったのだろう。アンセルメのいう事を聴いてはいけなかった。最初に戻る。演奏は、美しい必要はない。世の中で最低の、カラヤンの美しい演奏。ブーレーズの、クリーブランドの、セルの作った豊かな響きで、いう事を聞かないオーケストラを無理やりに聞かせた、それでもまだ精密緻密な音楽。マルゲビッチが日本の非力なオーケストラを応援しつつ振ったもの。最も大事なのは、ストラビンスキーが、極東で日本のオーケストラを、作曲してから50年経ってやりたい様に振ったものだ。