Sibelius : Symphony No.6 in D minor, Op.104 / Karajan 1980
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- Опубликовано: 27 дек 2022
- Herbert von Karajan / Berlier Philharmoniker 16-20 Nov.1980
Sibelius : Symphony No.6 in D minor, Op.104
1. Allegro molto moderato 8:27 (00:03)
2. Allegretto moderato 6:00 (08:34)
3. Poco vivace 3:16 (14:39)
4. Allegro molto 9:18 (17:58) Видеоклипы
シベリウス交響曲第6番はなぜかマイナーです(なぜだ❓❗)が、私が全作曲家の全交響曲で最も愛する、極めて清澄清冽で神秘的で美しく儚な過ぎる名曲です。
個人的な想いで恐縮ですが…あまりに美しすぎて、私は、この曲だけは擬人化してしまい、まるで恋愛感情を抱いてしまうよう…。🥹
家族等の大切な人々やいくつかの生き甲斐等と並び、出会えただけで私の人生はとても有意義なものになったと言える、そんな曲なんです。
このカラヤン、とても素晴らしい演奏ですね!😊
世評が高く有名な演奏でもありますね。
私は、シベリウスの交響曲第6番第1楽章には、勢いのある清流を感じます。
初めの2分半(00:01)のゆっくりとしてやや物憂げで神秘的、聖歌のような清明さも持つ序奏部では、単体の清水の流れではなく、氷雪や森に覆われたフィンランドの大地全体を、あたかも上空からとても静かにゆっくり旋回し俯瞰しているマクロの視点のような(NHKの深夜「映像散歩」のような。)。
極めて清澄で透明な、美し過ぎる弦と木管のハーモニー…。冒頭のここ、全曲通しても特に澄み切って美し過ぎて神秘的、印象的で感動的…私はいつも涙を流さざるを得ません。🥹
そして開始2分半(02:29)から一転してテンポが速くなり明るく始まるアレグロ。
ここ、とてもワクワクします。
ここから視点はぐぐっと一気にミクロに。
とても速い、極めて清冽で青く澄み切った急流の源流部。
ここから、陰を帯びたり(04:37)豪快に弾けたり(05:16)と途中で雰囲気を変えながら、急流として大自然の中をひたすら(05:01)勢いよく駆け抜ける清流。
徐々に水量を増し(05:54)、最後(06:34)は川幅が広がり悠々たる大河となって海に近づき…。
特徴は、大自然の中だけをひたすら流れ続けていき、周りに人気を一切感じないこと。
また、繰り返しますが、極めて清らかで勢いがあること。
…ただ、以上のような感想は他で聞いたことがなく、皆さんがそのように思われるかは分かりません…。
あ、序奏部については冬の日の葬列を思い浮かべる、アレグロは雪上をそりが勢いよく駆けていくようだという文章を、それぞれ別のどこかで読んだ記憶はあります。
私の抱く印象とは異なり、とても興味深い…。
皆さんは、どのようにお感じになりますか?
また、第2楽章(08:33)では静寂に包まれ暗く神秘的で妖精が漂うフィンランドの森の中の様子(12:24と14:21の和音が魅力的!)が、第3楽章(14:38)では雪嵐などフィンランドの厳しく荒々しい自然が、それぞれ描写されているように私は感じます。
そして最終第4楽章もまた神秘的で印象的(特に冒頭(17:58))、フィンランドの自然全体を振り返り再度俯瞰するとともに、それを愛し慈しむ人間の感情も初めて少し感じられるような気がします。
この楽章の最後(だいたい2分半(24:45))も第1楽章冒頭と同様、全曲の中でも大変印象的、哀愁漂い大変美しく、静かに儚く消えていく(26:39)…。
ここも極めて感動的…。🥹
なお、全曲通じて教会旋法が取り入れられており、神秘的な雰囲気を醸し出す一因になっているようですね。😊
…それにしても、あぁ、素晴らしい…。
俺もこの曲にはある種のストーリー性を感じる。
ただフィンランドの自然を描いてはいても、若い頃のような愛国的な感情からはかなり距離が離れているようだ。
やはり年齢を重ね、髪の毛が抜け落ちてくるようになると、どうしても母国の自然環境の厳しさを嫌でも思い知らされることだろう。
「何で俺はこの土地を愛せねばならないのだ?」という屈折した感情が、第四交響曲で露呈してしまったように思う。
第六皇居曲は非常に美しい装いをしているが、完全に賛美しきれない歯がゆさを残す。
ある意味ハラスメント親と向き合っているような趣がある。
ただ第四楽章の疾走では「どんなに厳しくても、ボクは貴方の息子です!」と涙を流しながら駆け寄る姿のように思えてならない。
ある意味傷つく覚悟も受け入れた上での愛情表明ともいえ、それゆえに悲劇的なぐらい強固だ。
親子の抱擁のような終結部に、どこか苦さが残るのはそのせいか。
事実上、シベリウスの最後の交響曲になった本作。
もはや交響曲という形で語るべきことは、完結してしまったのではないかと思う。