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今日仕事を教えていた人が少し変わっていた方で、その方が先に帰った後で少し周りの空気に流されてからかった発言をしてしまったんですよね。帰った今後悔してます。いかなる縁も催せば、は抗えない真理かもしれませんが、周りがからかう雰囲気でもできるだけ柔和な方向の発言ができるように自分を戒めたい
心当たりがあり過ぎて、今日の話は耳が痛かったです。口ではどんなに綺麗なことを言っていても、いざ条件がそろえばどんな聖人君主も犯罪に手を染めてしまうものなんじゃないかなと思います。そういう悪魔を心に住まわせているからこそ、聴聞を続けたいと思います。今日もありがとうございました。
身につまされる思いで聴聞しました!そしてまた、悲しい😢💦けど菊谷先生のおっしゃる通りです!そしてまた、これからの人生を気をつけていきたいです😌💓ありがとう😆💕✨ございます!
これは 凄く 自身の内面を凝視できるからこそ 言えるのでしょうね 常に 自分というものを 捉えておきたいものです。 以前 歎異抄は 読んだとがあるんですが 又少し目が覚めたような感じがします 自分というものを鋭い視点で見つめる親鸞聖人ような人物が多ければ 人間同士の争い事 ずっと少ないでしょうね。たまに 拝見させもらっています 今回 凄く勉強になりました ありがとうございました
今回もありがとうございます🙇
今日も大変とても学びになりました。ありがとうございました。
やはり「いただきます」は大切ですね…。😢
人は誰でも冷酷になる危険を持っていること、アウシュビッツによるナチスによるユダヤ人大量殺戮、非常に心が痛みます、今日も勉強になりました、ありがとうございます。
一昨々日も、ありがとうございました。
本当に、如何なる振舞いしますね..有難うございました。
人は神と悪魔が混同している存在だと、私は思っています。
陰陽の考えと同じですね。
人間以外の生物は、補食する時のみ命を奪う(縄張り争いやパートナーの奪いあいはそこまでしない。)が、人は欲(利権や趣味嗜好)や突発的な感情、国家や個人的な身勝手な思想で他者の命を奪う。
いつも変わらず、配信があるってこと、安心感ありがとうございます救いを待ってる時には、地獄でも浄土でも😂良いね。🎉
仕事でお金を稼がなくてはいけない、どうしても働き続けなければならないという状況下では平気で悪行を行なってしまうのが人、、、で戦争も同じだと思います。戦争に勝つ為にはやってしまうでしょう。
こんばんは!今日もありがとうございました!(菊谷隆太先生動画視聴メモ)★悪魔のような人とはこんな人【仏教の教え】1.感情的な暴力と計画的な暴力(人間はKBが多い)2.誰でも計画的暴力者になり得る(自殺・他殺・随喜同業)3.さるべき業縁の催せば(如何なるふるまいもすべし)
前回の動画にコメして、菊谷さんから❤をいただいたものです残念ながら、そのコメントでの質問に回答いただけなかったし、今回も同じ疑問を抱いたので、重複になる内容になる部分もありますが、もう一度、コメントしますので、回答ください計画的な暴力は、浄土真宗の指導者による一向一揆でした。当時の古文書には、「進足者往生極楽世界、退足者堕落無限地獄」と書いた札を立てて、つまり退くものは無間地獄に落ちると脅し、一向宗門徒に六字の名号を唱えて戦わせたとありますこのことを、どう思いますか?
自分は牛や豚を殺すなんてとても出来ないと言っても、そういう人達がいなかったらお肉を食べれないということです。
他殺の罪とはいえ売れ残ってる肉をみたら命を取られた家畜の供養のために、せめて食することで供養になるかなと?あらゆる命をいただいて人は生かされているのを感謝
人間には人間の理解の及ぶところまでを理解しています 高学歴者を羨んで自分は劣等生だといじけない そういう人の心が凡夫とか愚かで無知であるとは思わないです 理解の及ぶところで人は生きる 決して理解不能な生き物の心中までを理解しないところでしか生きていないです それを罪と言われても 本人の事情もあるのでしょう あまり深入りする生き方は自分を反省しすぎて生きられません ありがとうございました
菊谷さん、いつもありがとうございます。南無阿弥陀仏🙏
大変失礼かと思いますが、サムネの画像がとても気持ちが良いものではありません何とか変更出来ませんでしょうか....申し訳ございません
ハムとか食べれないな…生きるという事は、命を頂くことでもあるんだけど…やっぱり、知らなくて良い、見なくていい世界は通りたくないな。変に心を病むかも知れないし。この世界、人生は危うい…清らかに見えても地雷原をあるいてるみたい…
罪深いから私たちは、「人間」なのです🙏この世に生きる人は皆、完璧な聖人ではありません。
サムネが恐ろしいですーー😢
親鸞聖人の話を交えて話てるけど浄土真宗の西さんの話を聞いているようですが、貴方は浄土真宗西の信者さんですか?私の家も西本願寺の檀家ですので話が良く理解出来ます。
計画的な暴力とは利害や打算が絡んだ時に使う暴力だといえますね。冷酷な人間だからできることです。何気なくスーパーで豚肉なんかを手に取る行為も屠殺を助長する行為だというのも実態です。誰でもその時になってみれば恐ろしい所業をなしうることはやはり事実として受け止めねばいけないのでしょうか。菊谷先生、今日も教えをありがとうございました。
人は人を殺します。肉体的には勿論、精神的にも殺すことができます。自分自身も殺すことができるのが人間です。
人が殺生罪の自覚を持つことは大事なことです。無自覚に殺め、殺めさせる罪を犯さないように、命を痛み、慈しむは仏道における道義的な教えです。ビーガンやベジタリアンも増えてますが、無闇に生き物を殺めないよう促す仏教の精神は、より重要なものとなっています。
チンパンジーとジャンボ機の例え話笑いました😁
私もあの状況下でアドルフ・アイヒマンの立場だったら加担してたと想像します。嗚呼、弱いなあ…
ちょ、仏教的概念の単語に悪魔て、アッタン?魔が差すとかは表現にはありますけど。邪鬼、天の邪鬼、江戸時代アタリの妖怪だの、幽霊だの、つて、日本的な感覚からしても、ちょっとムリありそうな。。。?
南無阿弥陀仏m(__)m
生き物を食べる事の道徳観の答は見つからないです。植物ですら生命体ですから。それを言い出せば死ぬしかないです。食物連鎖の中で生きる以上は必要悪と割り切るしかないです。それでもたまに罪悪感から肉類を食べる気にならない時はあります。しかし害虫駆除には躊躇しない。生きて行く事が矛盾の中で迷走してるような…
サムネの画像どこかで見たことがあります。確か殺人した少年がする前に描いていたものだったような?こんな怖い絵を誕生させる精神、普通じゃない。
虫を殺したり肉や魚を食べています。菊谷さんの講演料はいくらでしょう?
自分は性悪説派です。
サムネ怖すぎて悪魔のような人になりそう
過去動画を拝見させていただきましたテーマを離れますが現代社会において私は畜産の加工の仕事に就いていました肉を食べる全ての人達は屠殺の場から加工されミンチにまでされて行く姿そして自分がそれを食べている姿を見る義務があると思います人間ならでないと物事の光と影が理解出来ないと思います慣れでいいんでしょうかそうなると人が人を殺めたり陥れたりする事が平気な人間が増えてしまいます魚と四肢動物にも人は微妙に感じ方の違いも生まれています魚は慣れ家畜の死を見ないでいます人は魚肉畜肉にしろ死肉を貪るハイエナと同じです人間が他の動物よりもいかに罪深いか理解する機会を大人?欧米?が奪っている光と影光だけ見て影を見ないようにしているそして感謝する心を失いありがとうという言葉がただの単語になっていくあまりにも幼くして死肉をくらうすがたの理解や人間の発情した顔等を見てしまうと生きている事自体が気持ち悪くなる死に対しての理解ない人は覚悟せずして人の命を奪ってしまうそれがイジメという形であったりもする畜産、肉をさばく仕事に就きそれを人に提供する仕事に就いてしまった自分は地獄の炎にやかれるそれが火葬だと思いますもし救われるとするなら南無ですお話しありがとうございました
追加コメントさせていただきます菊谷先生は学問として仏教を学ばれたんですね僕は仏教を学問として学ぶ機会はありませんでしたですが仏教は人が生きて行く上での気付きを教えられている事が多く私は愚者です父は避けて通れる事は避けて通れ賢者は歴史に学び私は経験に学んできています仏教は身近にありながら遠く30年過ぎようとして僕の視界に映るようになってきました学問として学ぶ機会もなくお経を訳す事もできず仏教から避けて通る学びがなくしなくてもいい辛い経験もいっぱいしてしまいました人を傷つけてしまっての許してくださいは自分の罪の意識からのがれようとしてるだけで肝心な傷つけた相手の心の傷は和らげられたとしても消す事はできない仏教で法論で命をかけてまでの争いは起きなかったのでしょうか血の話、宗教の話、政治の話は酒の席ではするなと教えられた事があります争いの種になるからと法論で熱くなる事は無いのでしょうか
感謝教(日本人9割)のことか
私は、肉は食べません。サツマイモや豆類を、多く食べています。生き物を殺さないで済む社会を、何時も願っています。
植物も生き物ですね。だから身を守る為に毒を持つ植物が非常に多いです。難しい事だと思っています。だから食べる量を知る事、知恵を得る為に正しく生きる。犠牲になる動植物の命を無駄にせず少しでも日々精進したいです。ブッダの言葉に(長老とは只歳を取れば長老ではでは無い、牛の様に肉が付き智慧の無い愚か者は長老とは呼べない)
宜しければ半村良氏の妖星伝を読んで見て下さい・・・
1964年9月14日大阪府茨木市ガス爆発
計画的な暴力を普段から発してる人は実は悪魔。
俺か
今日仕事を教えていた人が少し変わっていた方で、その方が先に帰った後で少し周りの空気に流されてからかった発言をしてしまったんですよね。帰った今後悔してます。いかなる縁も催せば、は抗えない真理かもしれませんが、周りがからかう雰囲気でもできるだけ柔和な方向の発言ができるように自分を戒めたい
心当たりがあり過ぎて、今日の話は耳が痛かったです。
口ではどんなに綺麗なことを言っていても、いざ条件がそろえばどんな聖人君主も犯罪に手を染めてしまうものなんじゃないかなと思います。
そういう悪魔を心に住まわせているからこそ、聴聞を続けたいと思います。
今日もありがとうございました。
身につまされる思いで聴聞しました!そしてまた、悲しい😢💦けど菊谷先生のおっしゃる通りです!そしてまた、これからの人生を気をつけていきたいです😌💓ありがとう😆💕✨ございます!
これは 凄く 自身の内面を凝視できるからこそ 言えるのでしょうね 常に 自分というものを 捉えておきたいものです。 以前 歎異抄は 読んだとがあるんですが 又少し目が覚めたような感じがします 自分というものを鋭い視点で見つめる親鸞聖人ような人物が多ければ 人間同士の争い事 ずっと少ないでしょうね。
たまに 拝見させもらっています 今回 凄く勉強になりました ありがとうございました
今回もありがとうございます🙇
今日も大変とても学びになりました。ありがとうございました。
やはり「いただきます」は大切ですね…。😢
人は誰でも冷酷になる危険を持っていること、アウシュビッツによるナチスによるユダヤ人大量殺戮、非常に心が痛みます、
今日も勉強になりました、ありがとうございます。
一昨々日も、ありがとうございました。
本当に、如何なる振舞いしますね..
有難うございました。
人は神と悪魔が混同している存在だと、私は思っています。
陰陽の考えと同じですね。
人間以外の生物は、補食する時のみ命を奪う(縄張り争いやパートナーの奪いあいはそこまでしない。)が、人は欲(利権や趣味嗜好)や突発的な感情、国家や個人的な身勝手な思想で他者の命を奪う。
いつも変わらず、
配信があるってこと、
安心感ありがとうございます
救いを待ってる時には、地獄でも浄土でも😂良いね。🎉
仕事でお金を稼がなくてはいけない、どうしても働き続けなければならないという状況下では平気で悪行を行なってしまうのが人、、、で戦争も同じだと思います。
戦争に勝つ為にはやってしまうでしょう。
こんばんは!
今日もありがとうございました!
(菊谷隆太先生動画視聴メモ)
★悪魔のような人とはこんな人【仏教の教え】
1.感情的な暴力と計画的な暴力(人間はKBが多い)
2.誰でも計画的暴力者になり得る(自殺・他殺・随喜同業)
3.さるべき業縁の催せば(如何なるふるまいもすべし)
前回の動画にコメして、菊谷さんから❤をいただいたものです
残念ながら、そのコメントでの質問に回答いただけなかったし、今回も同じ疑問を抱いたので、重複になる内容になる部分もありますが、もう一度、コメントしますので、回答ください
計画的な暴力は、浄土真宗の指導者による一向一揆でした。
当時の古文書には、「進足者往生極楽世界、退足者堕落無限地獄」と書いた札を立てて、つまり退くものは無間地獄に落ちると脅し、一向宗門徒に六字の名号を唱えて戦わせたとあります
このことを、どう思いますか?
自分は牛や豚を殺すなんてとても出来ないと言っても、そういう人達がいなかったらお肉を食べれないということです。
他殺の罪とはいえ売れ残ってる肉をみたら
命を取られた家畜の供養のために、せめて食することで供養になるかなと?
あらゆる命をいただいて人は生かされているのを感謝
人間には人間の理解の及ぶところまでを理解しています 高学歴者を羨んで自分は劣等生だといじけない そういう人の心が凡夫とか愚かで無知であるとは思わないです 理解の及ぶところで人は生きる 決して理解不能な生き物の心中までを理解しないところでしか生きていないです それを罪と言われても 本人の事情もあるのでしょう あまり深入りする生き方は自分を反省しすぎて生きられません ありがとうございました
菊谷さん、いつもありがとうございます。南無阿弥陀仏🙏
大変失礼かと思いますが、サムネの画像がとても気持ちが良いものではありません
何とか変更出来ませんでしょうか....
申し訳ございません
ハムとか食べれないな…
生きるという事は、命を頂くことでもあるんだけど…
やっぱり、知らなくて良い、見なくていい世界は通りたくないな。変に心を病むかも知れないし。この世界、人生は危うい…清らかに見えても地雷原をあるいてるみたい…
罪深いから私たちは、
「人間」なのです🙏
この世に生きる人は皆、完璧な聖人ではありません。
サムネが恐ろしいですーー😢
親鸞聖人の話を交えて話てるけど浄土真宗の西さんの話を聞いているようですが、貴方は浄土真宗西の信者さんですか?私の家も西本願寺の檀家ですので話が良く理解出来ます。
計画的な暴力とは利害や打算が絡んだ時に使う暴力だといえますね。冷酷な人間だからできることです。何気なくスーパーで豚肉なんかを手に取る行為も屠殺を助長する行為だというのも実態です。誰でもその時になってみれば恐ろしい所業をなしうることはやはり事実として受け止めねばいけないのでしょうか。菊谷先生、今日も教えをありがとうございました。
人は人を殺します。肉体的には勿論、精神的にも殺すことができます。自分自身も殺すことができるのが人間です。
人が殺生罪の自覚を持つことは大事なことです。
無自覚に殺め、殺めさせる罪を犯さないように、命を痛み、慈しむは仏道における道義的な教えです。
ビーガンやベジタリアンも増えてますが、無闇に生き物を殺めないよう促す仏教の精神は、より重要なものとなっています。
チンパンジーとジャンボ機の例え話笑いました😁
私もあの状況下でアドルフ・アイヒマンの立場だったら加担してたと想像します。嗚呼、弱いなあ…
ちょ、仏教的概念の単語に悪魔て、アッタン?
魔が差すとかは表現にはありますけど。
邪鬼、天の邪鬼、江戸時代アタリの妖怪だの、幽霊だの、つて、日本的な感覚からしても、ちょっとムリありそうな。。。?
南無阿弥陀仏m(__)m
生き物を食べる事の道徳観の答は見つからないです。植物ですら生命体ですから。それを言い出せば死ぬしかないです。食物連鎖の中で生きる以上は必要悪と割り切るしかないです。それでもたまに罪悪感から肉類を食べる気にならない時はあります。しかし害虫駆除には躊躇しない。生きて行く事が矛盾の中で迷走してるような…
サムネの画像どこかで見たことがあります。
確か殺人した少年がする前に描いていたものだったような?
こんな怖い絵を誕生させる精神、普通じゃない。
虫を殺したり肉や魚を食べています。
菊谷さんの講演料はいくらでしょう?
自分は性悪説派です。
サムネ怖すぎて悪魔のような人になりそう
過去動画を拝見させていただきました
テーマを離れますが
現代社会において私は畜産の加工の仕事に就いていました
肉を食べる全ての人達は屠殺の場から加工されミンチにまでされて行く姿そして自分がそれを食べている姿を見る義務があると思います人間なら
でないと物事の光と影が理解出来ないと思います
慣れ
でいいんでしょうか
そうなると人が人を殺めたり陥れたりする事が平気な人間が増えてしまいます
魚と四肢動物にも人は微妙に感じ方の違いも生まれています
魚は慣れ家畜の死を見ないでいます
人は魚肉畜肉にしろ死肉を貪るハイエナと同じです
人間が他の動物よりもいかに罪深いか理解する機会を大人?欧米?が奪っている
光と影
光だけ見て影を見ないようにしている
そして感謝する心を失い
ありがとうという言葉が
ただの単語になっていく
あまりにも幼くして死肉をくらうすがたの理解や人間の発情した顔等を見てしまうと生きている事自体が気持ち悪くなる
死に対しての理解ない人は覚悟せずして人の命を奪ってしまう
それがイジメという形であったりもする
畜産、肉をさばく仕事に就きそれを人に提供する仕事に就いてしまった自分は地獄の炎にやかれる
それが火葬だと思います
もし救われるとするなら南無です
お話しありがとうございました
追加コメントさせていただきます
菊谷先生は学問として仏教を学ばれたんですね
僕は仏教を学問として学ぶ機会はありませんでした
ですが仏教は人が生きて行く上での気付きを教えられている事が多く私は愚者です
父は避けて通れる事は避けて通れ
賢者は歴史に学び私は経験に学んできています
仏教は身近にありながら遠く30年過ぎようとして僕の視界に映るようになってきました
学問として学ぶ機会もなくお経を訳す事もできず
仏教から避けて通る学びがなく
しなくてもいい辛い経験もいっぱいしてしまいました
人を傷つけてしまっての許してくださいは自分の罪の意識からのがれようとしてるだけで
肝心な傷つけた相手の心の傷は和らげられたとしても消す事はできない
仏教で法論で命をかけてまでの争いは起きなかったのでしょうか
血の話、宗教の話、政治の話は酒の席ではするなと教えられた事があります
争いの種になるからと
法論で熱くなる事は無いのでしょうか
感謝教(日本人9割)のことか
私は、肉は食べません。サツマイモや豆類を、多く食べています。生き物を殺さないで済む社会を、何時も願っています。
植物も生き物ですね。だから身を守る為に毒を持つ植物が非常に多いです。
難しい事だと思っています。
だから食べる量を知る事、知恵を得る為に正しく生きる。
犠牲になる動植物の命を無駄にせず少しでも日々精進したいです。
ブッダの言葉に(長老とは只歳を取れば長老ではでは無い、牛の様に
肉が付き智慧の無い愚か者は長老とは呼べない)
宜しければ半村良氏の妖星伝を読んで見て下さい・・・
1964年
9月14日
大阪府茨木市ガス爆発
計画的な暴力を普段から
発してる人は実は悪魔。
俺か