Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
トモさんの番組好きです。トモさんの愛情がこもった柔らかい口調で根源的なテーマを語るというスタンスが好きです。写真=冷たい表現。筆はメカニカルではない、という解釈。冷たいメカニズム。技術者はそれを目指しているのだろうか?シーンを冷徹に観る技量はメーカーをともなわくても人間にはできる。それを表現する道具を筆職人は作ってきた。レンズ職人は筆職人だと思うだけです。
黒目で撮るのではなく、白目で撮る。思わず膝を打ちました。
これぞトモさんの真骨頂という感じで、本当に面白かったです。チャプター分けして頂いてるのも便利で良かったです。
①でお話されてれいることでひとつ思ったことは、トモさんが絵画のキャンバスと写真のフレーミングが同義に近いのではないかとした点です。キャンバスとフレーミングの相違点について。絵描きにとってキャンバスは描く以前に大きさを決める支持体です。一方写真撮りは写真を撮った後に写真の大きさを考えているように思うんです。「写真を撮る人は写真の大小に関して無頓着である」とある陶芸家は言っていました。写真のサイズが写真を写真表現たらしめるのはトーマス・ルフが通過した経験でもあるし、もっと広く認知されるべきではないか?と考えています。いや後でも先でも自由に大きさを変えられるのが写真のおもしろいところですし、自分の言葉への解釈不足も多分に含まれているのは承知のうえです。 今後の②も楽しみにしています!
ひと言ひと事が自分が日頃感じていることで、それが分かりやすい言葉に置き換えられていて感動しました。
めちゃくちゃ良く分かります。迷っていた道が見えてきました。素晴らしい動画です。
陶芸は自然と人間の共同作品と言われますが、写真も同じような気がします。偶然や予期しないことも愉しむ。カメラは心の豊かさを表現できる素晴らしい機械(機会)ですね。
初コメ失礼します。めちゃくちゃよく分かる、共感できる内容でした!特に僕は「下手なりに絵の練習したけど、自分の意図が出過ぎて恥ずかしい!」から耐えられなかった人間なのでw写真の冷たくて意図しないものまで写してしまう性質が合ってたんですよね〜。しかも、ここ最近、広角パンフォーカスでごちゃごちゃとしたものをまとめてしまうのが理想的なのかな?と考えてたので、1から10まで納得の動画でした!なんか自信が持てますwありがとうございます!
思わず膝を打ってしまう解説でした!じぶんが写真に惹かれる理由が見事に当てはまりました。
写真と絵画の違い、写真と映像(動画)の違い、記録としての写真と作品としての写真の違いなどを常々考えるので、とても勉強になる話です。ありがとうございます。続編も楽しみです。
他のメディアと比較したとき、写真は予期しないものが写っていることが面白いという考え、確かにそうだと思いました。(ボケではなくパンフォーカスが写真らしいという考えは飛びすぎな気もしますが)自分自身、他人の作品を見るとき作者の意図ではないかしれない何か(自分にとってのプンクトゥム?)をつい探しています。そこから勝手に壮大な想像を巡らせることも楽しみだと思っています。
写真らしい写真は、それだけでは初見で興味を惹かないのではないかと思います。じっくり見ると面白いけど、そもそもじっくり見て貰えないような。構図や被写体の面白さ、未視感や違和感といった工夫があると、興味を持ってもらえるのかなと思います。「自分にとっては世界はこう見えるんだ」とか、綺麗だと思ったり面白いと思ったりした人間の視点が加わることで見ようと思う取っ掛りができて、じっくり見ていくと写真としての面白さも見えてくるような写真がいい写真なのかなと思いました。
僕にとって写真表現とはプリントを意識して撮る行為の前には作り上げておくという事でした。僕にとっては新しい視点で面白かったです!ありがとうございます!
このテーマはとても楽しみです。自分としては、「作為の中に無作為を作る」ということを意識しています。どこまで出来ているかはさておき。
こんにちは!ちょっと久しぶりにお邪魔してます🙇♂️白目で撮る!これはほんとにいい表現ですね。白目だけど指と心は波動砲エネルギー充填120%、ピンと張っています。このテーマ楽しみにしています。シェアさせていただきました!
ありがとうございます。写真らしい写真のヒントが得られた気がしますの
意図していないイメージが入ってくる…これは写真だけじゃありません。むしろ絵画の方がその要素は大きい。キャンバス、筆、絵の具、空気、光、湿度…コントロールは難しいです
トモさんの写真論をまとめて読める書籍が欲しいところ。
いま頑張って書いています!
ともさんこんにちは。写真の撮り方云々の話ではなく、写真が作品として成立すること、作品に昇華するということの困難さをいつも感じております。 正直誰もができることでないことを実感します。さらに言えば、作品にまで追い詰めることができる人はごくわずかだとも思っています。でも写真が作品になる、というのは本当に素敵なことで、そこに明確なメソッドが無いこともなんとなく分かっております。作品か作品でないか、という線引きも明確ではないにしろ、感じるものはあるのだろうと思います。作品を撮りたいですね。
本当にその通りですね!
とても良かったです🎶🥰「言葉にした瞬間⚡可能性を限定してしまう」とても共感します。しかし「言葉」にする事で自分への問題提起と言えると思いますので言葉はとても面白い✨と思いました🎵お話しのテーマ待っておりました🎉•*¨*•.¸¸🎊考えるキッカケを頂けて感謝致しますm(_ _)m「冷たい表現 = 情報量の少なさ」という解釈を致しました。そこで「俳句」を想起させました。短文にて読み手に解釈を委ね、無限の広がりを表現する日本独自の芸術ですが写真表現との繋がりを感じました😃パンフォーカスの意味も改めて考えさせられ、「非人間的なピント表現」なのですネ面白くて意味も深まりました♪然しながら、ここまで描いた事を全て逆説的にひっくり返す事も決して忘れてはいけないとも思いました。こんな事を考えていると前に進む為に「間違っていてもイイ、数を粉す…」そんな事の大切さを強迫観念のように日々の着地点になります。。何時も動画を楽しみにしております\(☆o☆)/駄文でスミマセン😅返信不要⭕😁
ありがとうございます。
🔴 トモさんの服に前回まで無かった穴が開いていて気になり内容が頭に入ってこない。カメラという機械おそろしやー笑 ボケなどを利用し映り込むものを操作しすぎた写真は、見るところを強要されているようで見辛いというのはありますね。
写真表現とは何か、考えてこなかったし、考えなかった事。今はEVFのミラーレスカメラを使っています。何故でしょうか、今は写真もカメラも、より私の大切な友人です。彼らの言葉がより聴こえて悩みます。私が撮影していると、カメラに言われます。「俺はこうだけど、君はどうなんだ」と。「いや、いいんだ、これで」となる。家や、コンビニ、キタムラでプリントすると、写真に言われます。「こんな風に焼かれてみたけど、私ってどうなの?」と。でもプリントされた彼女に「心配するなよ」とは言い切れない。そこで、3人集まってみた結果、「家の廊下に飾りたい写真」を目指す事になりました。リビングやトイレみたいに座って鑑賞する訳でなく、階段や二階に飾られるように特定の人の目だけに写る訳ではない。いつでも通りすぎた目の端に、いつまでも飾られた写真はいつか記憶になる。と。それが、今の私たちの写真表現。今後はただ話し合っていくしかないですね。トモコスガさんのお話を聞いて、私は素直になれた。ありがとうございます。
こんにちは。被写界深度のはなし興味深かったです。漫画とBDの違いを連想しました。
改めて、一般的なプロ(職業的と言ってもよいかもしれません)のフォトグラファーのスキルと芸術的な写真表現は根本的に違うと感じますね。プロの撮影はファインダー内すべてをコントロールする技術と覚悟が必須で、無意識のものが写り込んでいるのを安易に面白いとは言えません。むしろ、変な写り込みは「やっちまった」の部類に入ります…。脳を切り替えていかないと駄目ですね。
コントロールしたいと思う気持ちが、ヤラしく出ちゃうときがあるんですね。
プンクトゥムですね。
トモさんの番組好きです。トモさんの愛情がこもった柔らかい口調で根源的なテーマを語るというスタンスが好きです。
写真=冷たい表現。筆はメカニカルではない、という解釈。冷たいメカニズム。技術者はそれを目指しているのだろうか?
シーンを冷徹に観る技量はメーカーをともなわくても人間にはできる。それを表現する道具を筆職人は作ってきた。
レンズ職人は筆職人だと思うだけです。
黒目で撮るのではなく、白目で撮る。
思わず膝を打ちました。
これぞトモさんの真骨頂という感じで、本当に面白かったです。チャプター分けして頂いてるのも便利で良かったです。
①でお話されてれいることでひとつ思ったことは、トモさんが絵画のキャンバスと写真のフレーミングが同義に近いのではないかとした点です。キャンバスとフレーミングの相違点について。絵描きにとってキャンバスは描く以前に大きさを決める支持体です。一方写真撮りは写真を撮った後に写真の大きさを考えているように思うんです。「写真を撮る人は写真の大小に関して無頓着である」とある陶芸家は言っていました。写真のサイズが写真を写真表現たらしめるのはトーマス・ルフが通過した経験でもあるし、もっと広く認知されるべきではないか?と考えています。いや後でも先でも自由に大きさを変えられるのが写真のおもしろいところですし、自分の言葉への解釈不足も多分に含まれているのは承知のうえです。 今後の②も楽しみにしています!
ひと言ひと事が自分が日頃感じていることで、それが分かりやすい言葉に置き換えられていて感動しました。
めちゃくちゃ良く分かります。迷っていた道が見えてきました。素晴らしい動画です。
陶芸は自然と人間の共同作品と言われますが、写真も同じような気がします。
偶然や予期しないことも愉しむ。
カメラは心の豊かさを表現できる素晴らしい機械(機会)ですね。
初コメ失礼します。めちゃくちゃよく分かる、共感できる内容でした!
特に僕は「下手なりに絵の練習したけど、自分の意図が出過ぎて恥ずかしい!」から耐えられなかった人間なのでw
写真の冷たくて意図しないものまで写してしまう性質が合ってたんですよね〜。
しかも、ここ最近、広角パンフォーカスでごちゃごちゃとしたものをまとめてしまうのが理想的なのかな?と考えてたので、1から10まで納得の動画でした!なんか自信が持てますw
ありがとうございます!
思わず膝を打ってしまう解説でした!
じぶんが写真に惹かれる理由が見事に当てはまりました。
写真と絵画の違い、写真と映像(動画)の違い、記録としての写真と作品としての写真の違いなどを常々考えるので、とても勉強になる話です。
ありがとうございます。続編も楽しみです。
他のメディアと比較したとき、写真は予期しないものが写っていることが面白いという考え、確かにそうだと思いました。(ボケではなくパンフォーカスが写真らしいという考えは飛びすぎな気もしますが)
自分自身、他人の作品を見るとき作者の意図ではないかしれない何か(自分にとってのプンクトゥム?)をつい探しています。そこから勝手に壮大な想像を巡らせることも楽しみだと思っています。
写真らしい写真は、それだけでは初見で興味を惹かないのではないかと思います。じっくり見ると面白いけど、そもそもじっくり見て貰えないような。構図や被写体の面白さ、未視感や違和感といった工夫があると、興味を持ってもらえるのかなと思います。「自分にとっては世界はこう見えるんだ」とか、綺麗だと思ったり面白いと思ったりした人間の視点が加わることで見ようと思う取っ掛りができて、じっくり見ていくと写真としての面白さも見えてくるような写真がいい写真なのかなと思いました。
僕にとって写真表現とはプリントを意識して撮る行為の前には作り上げておくという事でした。僕にとっては新しい視点で面白かったです!ありがとうございます!
このテーマはとても楽しみです。
自分としては、「作為の中に無作為を作る」ということを意識しています。どこまで出来ているかはさておき。
こんにちは!
ちょっと久しぶりにお邪魔してます🙇♂️
白目で撮る!
これはほんとにいい表現ですね。
白目だけど指と心は波動砲エネルギー充填120%、ピンと張っています。
このテーマ楽しみにしています。
シェアさせていただきました!
ありがとうございます。写真らしい写真のヒントが得られた気がしますの
意図していないイメージが入ってくる…これは写真だけじゃありません。むしろ絵画の方がその要素は大きい。キャンバス、筆、絵の具、空気、光、湿度…コントロールは難しいです
トモさんの写真論をまとめて読める書籍が欲しいところ。
いま頑張って書いています!
ともさんこんにちは。写真の撮り方云々の話ではなく、写真が作品として成立すること、作品に昇華するということの困難さをいつも感じております。 正直誰もができることでないことを実感します。さらに言えば、作品にまで追い詰めることができる人はごくわずかだとも思っています。でも写真が作品になる、というのは本当に素敵なことで、そこに明確なメソッドが無いこともなんとなく分かっております。作品か作品でないか、という線引きも明確ではないにしろ、感じるものはあるのだろうと思います。作品を撮りたいですね。
本当にその通りですね!
とても良かったです🎶🥰
「言葉にした瞬間⚡可能性を限定してしまう」とても共感します。
しかし「言葉」にする事で自分への問題提起と言えると思いますので
言葉はとても面白い✨と思いました🎵
お話しのテーマ待っておりました🎉•*¨*•.¸¸🎊
考えるキッカケを頂けて感謝致しますm(_ _)m
「冷たい表現 = 情報量の少なさ」
という解釈を致しました。
そこで「俳句」を想起させました。
短文にて読み手に解釈を委ね、無限の広がりを表現する日本独自の芸術ですが
写真表現との繋がりを感じました😃
パンフォーカスの意味も改めて考えさせられ、
「非人間的なピント表現」なのですネ
面白くて意味も深まりました♪
然しながら、
ここまで描いた事を全て逆説的にひっくり返す事も決して忘れてはいけないとも思いました。
こんな事を考えていると前に進む為に
「間違っていてもイイ、数を粉す…」そんな事の大切さを強迫観念のように
日々の着地点になります。。
何時も動画を楽しみにしております
\(☆o☆)/
駄文でスミマセン😅
返信不要⭕😁
ありがとうございます。
🔴
トモさんの服に前回まで無かった穴が開いていて気になり内容が頭に入ってこない。カメラという機械おそろしやー笑
ボケなどを利用し映り込むものを操作しすぎた写真は、見るところを強要されているようで見辛いというのはありますね。
写真表現とは何か、考えてこなかったし、考えなかった事。今はEVFのミラーレスカメラを使っています。
何故でしょうか、今は写真もカメラも、より私の大切な友人です。彼らの言葉がより聴こえて悩みます。
私が撮影していると、カメラに言われます。
「俺はこうだけど、君はどうなんだ」と。
「いや、いいんだ、これで」となる。
家や、コンビニ、キタムラでプリントすると、
写真に言われます。「こんな風に焼かれてみたけど、私ってどうなの?」と。
でもプリントされた彼女に「心配するなよ」とは言い切れない。
そこで、3人集まってみた結果、
「家の廊下に飾りたい写真」を目指す事になりました。
リビングやトイレみたいに座って鑑賞する訳でなく、階段や二階に飾られるように特定の人の目だけに写る訳ではない。
いつでも通りすぎた目の端に、
いつまでも飾られた写真はいつか記憶になる。と。
それが、今の私たちの写真表現。
今後はただ話し合っていくしかないですね。
トモコスガさんのお話を聞いて、私は素直になれた。ありがとうございます。
こんにちは。被写界深度のはなし興味深かったです。漫画とBDの違いを連想しました。
改めて、一般的なプロ(職業的と言ってもよいかもしれません)のフォトグラファーのスキルと芸術的な写真表現は根本的に違うと感じますね。
プロの撮影はファインダー内すべてをコントロールする技術と覚悟が必須で、無意識のものが写り込んでいるのを安易に面白いとは言えません。むしろ、変な写り込みは「やっちまった」の部類に入ります…。
脳を切り替えていかないと駄目ですね。
コントロールしたいと思う気持ちが、ヤラしく出ちゃうときがあるんですね。
プンクトゥムですね。