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中学生のとき職場体験でこれをやらしてもらいました。往復の復路を先に出されたのを止めて誉めてもらいました。その時に教えてくれた方が、料金は近郊全て頭にいれてると熱く語ってくれました!職人ですね
映像の駅員さんは手慣れたもんですが、新人さんは大変だったでしょうね…
いやー有人改札懐かしい!小さい時親と一緒に出掛けたときは親のきっぷ渡すの俺がやってました!
すごいこの時代の記憶は全くありませんよくきちんと見分けられているなぁ。
切り込み入れるの早かったですね。暇なときはカチカチとしていたのを思い出します❗️
あれは自動改札❔が出来たばかりのときかと思うのですが🐤
しかし関西では大手私鉄は70年代に自動改札100%だったらしい。巨大な東京がすべて自動改札になったのは90年代。
国鉄は人だけは沢山いましたから……JR化するまで自動化する動機が薄かった
初めて自動改札見たの阪急だった
駅員さん流れる様に切符切りますね😳
昔、予備鋏が不定期に使用されていたんですよね。不正入場防止の為に
80年代には武蔵野線は先駆けて自動改札だったよね、東京は大分後になってから普及したはず。
昔はこんな感じだったのですね
1番手前の改札誰も立ってないのに通りまくってて草
手前は定期券のレーンで、よく見ると駅員に提示してる
そう、そう、定期券の人が通る所!この時代を知らないとそう思ってしまうのか 笑近いレーン通ってもいいんだけど切符の人に譲ってて定期の人は遠いレーンから見せるんだよね。子供の頃、切符切ってもらうのがうれしかったし高校生になって通学定期を初めて持って改札でパカっと見せるのもうれしかったな🤗
懐かしーーい!切符切りのカチカチ音、思い出したー🤗切符切りの駅員さんの足元にたくさん切符落ちてるんだよねー😊人の流れのスムーズさって自動改札より少しだけどこっちの方が早そうに見えるのは私だけ?笑
定期券の人用の場所やで笑
へぇー、はじめてみました。カチカチという音がなんかいいですね
リズミカルにやる駅員さんもいましたよ
この頃ちょうど物心つくかつかないかくらいだったけど、子供心に何でパチパチ鳴らなしているのか不思議だった。その謎は今でも解けてない。
あれでリズムを取っていたのです。スムーズに改札を進めるための工夫ですね。またあの音で目の不自由な人でも改札口がわかったそうです。
4秒あたりのババアが改札の前に立ちとまって定期券を探している、当然客の流れが止まって別の改札に流れている。これは今も昔も変わらないな
@@sunshinebgt2117 ババアやん周りのこと考えてないやろ普通ならおばさんいうわ
@@nenene1192 「くぉらぁ〜!」とか「うりゃ〜!」「〜ヤネンオドレホンマワリャ」みたいな関西らしさを披露してみてください。お願い致します。
この四年後にはSuicaの開発が始まっていたって言うんだからすごいな。
こりゃ、キセルもまかり通る訳だ、、時代ですね。
東京から遠距離もあったみたいよ
そのためJRだけでなく私鉄も含めて検札(車内改札)が頻繁にありましたよ
@@yn5066 さん斜めがけバックさげて来ましたね!高校の時、帰りの京葉線や有楽町線で有りました。定期範囲外へ放課後遊びに行く時は車内で切符を作ってもらっていました🤗
@@すももこもも-z7m 釣銭の入った鞄、懐かしいですね。そういえば山手線で、東京・上野からの新幹線特急券等の発売に遭遇したこともあります。
@@yn5066 さん いいえ、こちらこそ車内で精査してもらえた事すっかり忘れていたので思い出せてうれしかったです。総武線なんかのグリーン車がある在来線くらいまでかと思いましたが特急料金なら新幹線までやってくれたんですね。友達と一緒だと改札口で待たせてしまう事もなく車内で精算済ませられるので便利に思っていました。後から思い出したのですが車内で通学定期範囲より先に遊びに寄り道する時にやってもらった時、もらうのって切符ではなくて首都圏沿線の路線図が印刷された薄紙に降車駅までの支払った区間をペンチでパチンパチンで丸穴開けたのもらっていたのを思い出しました。薄黄色か薄ピンクかなんかの。穴あけパンチが楽しそうだと見てたような👀😮
駅員さん達は大変でしたね😅昔はカードとかスマホもなかったので小さいお子さまはどうやって通っていたんですか?
子供の半額切符はありました。
これ、客が来ない時とかずっと立って待ってるの?
一人ぐらいいつもいましたけど、客がいない間、数人が駅長(?)室に行ったり... 電車が来ると、又改札口に行った。
この当時の映像では人が多く行き交ってたが、30年後、新型コロナウイルスの感染拡大で利用客が大きく減ることを誰が予想したんでしょう。
いまだに自分もニッパー持つとカチカチやってしまいます。気分は昔の駅員ですよw
ゆーて自動改札機と速さ余り変わらないよね正確性は分からんが
自動改札のない駅は駅員がはんこ押すがこのような速さではありませんね。
80年代ってそんなに昔じゃないけど、自動改札いつ作られたか、知ってる人教えて下さい🙏
武蔵野線は開業当初の1973年(昭和48年)からありました。
1967年に阪急新千里(現北千里)駅に初めて設置されました。開発段階では近鉄が最初の予定でしたが、開発が難航して近鉄が諦め、阪急が新駅設置に伴って初採用しました。製造は立石電気(現オムロン)です。開発前はコスパが悪いと考えられており、高速回転に耐えるベルトコンベアや大人子供の区別方法等技術的問題も山積していました。開発から普及まで時間がかかったのは「駅員の仕事がなくなってリストラされる」と各社の労働組合が強く反発したことが大きいようです。
札幌市営地下鉄は、1971年(昭和46年)の南北線開業当初から全線・全駅が自動改札対応です。
手前の駅員さん、ネクタイが国労っぽい。
国労の組合員さんは胸ポケットに黄色のボールペンさしてます。
JR大阪駅では1997年12月まで有人改札口だったけど地下鉄御堂筋線か阪急線しか乗らなかった僕は思わず、今時キップ切り(その当時はスタンプ式のキップ切りハサミ)かいな‼️と驚いた。時代は1997年の大阪でエライJR西日本は原始的な事やってんや…と、思った。まぁ元々は親方日の丸の会社らしく合理的でないムダな人件費を捻出する民営化から10年位やったから国鉄時代からいる社員が沢山いたからこんな時代遅れな事を1997末までやってたんやろな?
密です❤
中学生のとき職場体験でこれをやらしてもらいました。往復の復路を先に出されたのを止めて誉めてもらいました。その時に教えてくれた方が、料金は近郊全て頭にいれてると熱く語ってくれました!職人ですね
映像の駅員さんは手慣れたもんですが、新人さんは大変だったでしょうね…
いやー有人改札懐かしい!小さい時親と一緒に出掛けたときは親のきっぷ渡すの俺がやってました!
すごいこの時代の記憶は全くありませんよくきちんと見分けられているなぁ。
切り込み入れるの早かったですね。暇なときはカチカチとしていたのを思い出します❗️
あれは自動改札❔が出来たばかりのときかと思うのですが🐤
しかし関西では大手私鉄は70年代に自動改札100%だったらしい。巨大な東京がすべて自動改札になったのは90年代。
国鉄は人だけは沢山いましたから……
JR化するまで自動化する動機が薄かった
初めて自動改札見たの阪急だった
駅員さん流れる様に切符切りますね😳
昔、予備鋏が不定期に使用されていたんですよね。不正入場防止の為に
80年代には武蔵野線は先駆けて自動改札だったよね、東京は大分後になってから普及したはず。
昔はこんな感じだったのですね
1番手前の改札誰も立ってないのに通りまくってて草
手前は定期券のレーンで、よく見ると駅員に提示してる
そう、そう、定期券の人が通る所!
この時代を知らないとそう思ってしまうのか 笑
近いレーン通ってもいいんだけど切符の人に譲ってて定期の人は遠いレーンから見せるんだよね。
子供の頃、切符切ってもらうのがうれしかったし高校生になって通学定期を初めて持って改札でパカっと見せるのもうれしかったな🤗
懐かしーーい!
切符切りのカチカチ音、思い出したー🤗
切符切りの駅員さんの足元にたくさん切符落ちてるんだよねー😊
人の流れのスムーズさって自動改札より少しだけどこっちの方が早そうに見えるのは私だけ?笑
定期券の人用の場所やで笑
へぇー、はじめてみました。カチカチという音がなんかいいですね
リズミカルにやる駅員さんもいましたよ
この頃ちょうど物心つくかつかないかくらいだったけど、子供心に何でパチパチ鳴らなしているのか不思議だった。
その謎は今でも解けてない。
あれでリズムを取っていたのです。スムーズに改札を進めるための工夫ですね。またあの音で目の不自由な人でも改札口がわかったそうです。
4秒あたりのババアが改札の前に立ちとまって定期券を探している、当然客の流れが止まって別の改札に流れている。これは今も昔も変わらないな
@@sunshinebgt2117
ババアやん
周りのこと考えてないやろ
普通ならおばさんいうわ
@@nenene1192 「くぉらぁ〜!」とか「うりゃ〜!」「〜ヤネンオドレホンマワリャ」みたいな関西らしさを披露してみてください。お願い致します。
この四年後にはSuicaの開発が始まっていたって言うんだからすごいな。
こりゃ、キセルもまかり通る訳だ、、
時代ですね。
東京から遠距離もあったみたいよ
そのためJRだけでなく私鉄も含めて検札(車内改札)が頻繁にありましたよ
@@yn5066 さん
斜めがけバックさげて来ましたね!
高校の時、帰りの京葉線や有楽町線で有りました。定期範囲外へ放課後遊びに行く時は車内で切符を作ってもらっていました🤗
@@すももこもも-z7m 釣銭の入った鞄、懐かしいですね。そういえば山手線で、東京・上野からの新幹線特急券等の発売に遭遇したこともあります。
@@yn5066 さん いいえ、こちらこそ車内で精査してもらえた事すっかり忘れていたので思い出せてうれしかったです。総武線なんかのグリーン車がある在来線くらいまでかと思いましたが特急料金なら新幹線までやってくれたんですね。
友達と一緒だと改札口で待たせてしまう事もなく車内で精算済ませられるので便利に思っていました。
後から思い出したのですが車内で通学定期範囲より先に遊びに寄り道する時にやってもらった時、もらうのって切符ではなくて首都圏沿線の路線図が印刷された薄紙に降車駅までの支払った区間をペンチでパチンパチンで丸穴開けたのもらっていたのを思い出しました。薄黄色か薄ピンクかなんかの。穴あけパンチが楽しそうだと見てたような👀😮
駅員さん達は大変でしたね😅
昔はカードとか
スマホもなかったので
小さいお子さまはどうやって
通っていたんですか?
子供の半額切符はありました。
これ、客が来ない時とかずっと立って待ってるの?
一人ぐらいいつもいましたけど、客がいない間、数人が駅長(?)室に行ったり... 電車が来ると、又改札口に行った。
この当時の映像では人が多く行き交ってたが、30年後、新型コロナウイルスの感染拡大で利用客が大きく減ることを誰が予想したんでしょう。
いまだに自分もニッパー持つとカチカチやってしまいます。気分は昔の駅員ですよw
ゆーて自動改札機と速さ余り変わらないよね
正確性は分からんが
自動改札のない駅は駅員がはんこ押すがこのような速さではありませんね。
80年代ってそんなに昔じゃないけど、自動改札いつ作られたか、知ってる人教えて下さい🙏
武蔵野線は開業当初の1973年(昭和48年)からありました。
1967年に阪急新千里(現北千里)駅に初めて設置されました。
開発段階では近鉄が最初の予定でしたが、開発が難航して近鉄が諦め、阪急が新駅設置に伴って初採用しました。製造は立石電気(現オムロン)です。
開発前はコスパが悪いと考えられており、高速回転に耐えるベルトコンベアや大人子供の区別方法等技術的問題も山積していました。
開発から普及まで時間がかかったのは「駅員の仕事がなくなってリストラされる」と各社の労働組合が強く反発したことが大きいようです。
札幌市営地下鉄は、1971年(昭和46年)の南北線開業当初から全線・全駅が自動改札対応です。
手前の駅員さん、ネクタイが国労っぽい。
国労の組合員さんは胸ポケットに黄色のボールペンさしてます。
JR大阪駅では1997年12月まで有人改札口だったけど地下鉄御堂筋線か阪急線しか乗らなかった僕は思わず、今時キップ切り(その当時はスタンプ式のキップ切りハサミ)かいな‼️と驚いた。時代は1997年の大阪でエライJR西日本は原始的な事やってんや…と、思った。まぁ元々は親方日の丸の会社らしく合理的でないムダな人件費を捻出する民営化から10年位やったから国鉄時代からいる社員が沢山いたからこんな時代遅れな事を1997末までやってたんやろな?
密です❤