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ご視聴いただきありがとうございます。今回の動画は、実生活の中で「道(TAO)」を生きるにはどうしたらいいのか?について詳しくお話ししています。前編とあわせて見ていただければ、「老子道徳経」の全体像がわかるように構成していますので、ぜひあわせてご視聴ください。
西洋的な価値観でイケイケどんどんで生きてきて欲や夢を満たした50年を過ごし、そこから考えが少しずつ変わって行ったところで昨今のパンデミックにぶち当たり、世界の政治の腐敗や崩壊を見て心の底からうんざりしていました。ここにきて道教を知り、まさにこれこれ、解る解る‼️と心に染みています。一般大学で習うような知識の多くは、実に中途半端で西洋の価値観に偏った狭いもので、真理を理解するのに大変邪魔な時が多いと思います。
分かり易いお話ありがとうございます。勉強になります。
とても聞きやすいお声でした。TAOを理解する入口になりました。ありがとうございます。
ありがとうございます🙇♂️
老子の教えは、悟った人でないと分からない内容のものだと思いました。奥が深すぎて、凡人の私には理解不能です。
書籍紹介ありがとうございます!
こんにちは😺今ちょうど、「いろは歌」についていろいろ調べていた矢先にこちらの動画とシンクロした様に感じました。いろはにほへと、の歌の一節に「有為の奥山今日超えて」という一節があるのですが、この「有為」という言葉も、なかなか深い意味があり、「これだ」とは断定できない言葉です。その反対の意味が「無為」なのかどうかは謎ですが、人間は「何かの為に」と思って、何者かになろうとしたり、結果に執着してしまう習性がありますよね。この「為に」という気持ちが「有る」ということが、険しい道(奥山)を作り出す、ということかな、と個人的に解釈しています。また、「有為」という言葉は「生み出すもの」という意味もあるようで、生まれては消えていく、という宇宙のシステムそのものを表しているのでは、と思っています。これとよく似た言葉が「マトリックス」で、他にも「元物質」というのも、形のない何かから生み出される、という意味があるようです。この「生み出されて、消えていく」というシステム自体のことを、もしかしたら「神」というのではないかと、考えています。「道」という表現も「神」というのも、もしかしたら同じなのでは、と思いました☺️いつも素敵な動画、本当にありがとうございます😊
にゃーちゃん!さん、深~いコメントありがとうございます!『ラーマクリシュナの名言』の動画でも取り上げた彼の言葉、「名前はちがっても中身は全く同じもの。一つの神にいろいろな名前がついている。」と同じかもしれませんね!
ドリアンさんの本を読んだことがあります。老子って本当にバカボンのパパみたいな人かもしれないって思いました。
田村さん、コメントありがとうございます!孔子との邂逅について触れている本では、老子は孔子からの質問をのらりくらりとはぐらかした、というような記述がよく見られます。なので、本当にバカボンパパみたいな人だったのかもしれないなーと思いますね!
とても参考になりました。人が考えること、思想には共通点があるのだなと再認識しました。結局、人の欲、本能の統御ですね。本能も自然と言えるのでしょうが、それは道、すなわち自然ではない、とするのでしょうね。
タオが一番しっくり来る!墨子と老子が最強。最近、半年前に悟って全て理解できるようになった😂
15:10仏教の禅や空の概念と同じに思える。
言葉は道具、道に備えるもの、脳は疲れないからいつまでも問い続けるうちに姿勢は歪み老いて問題が問題を呼ぶように膨らんでいくのは、脳の仕組みの問題なんだろう、言葉を止めるには姿勢と呼吸という物理的解決が必要だと釈迦は禅を組むのだ、言葉を止める方法は色々あるけど大体同じだし教育を受けている、やはり勉強は偏ってはいけないな運動も必要で、偉人はとにかく散歩が好きらしい
本来は自然の摂理や物理法則など普遍的なものがこの世界を構成してる。けど人間の社会の戒律や法律、宗教や慣習などは必ずしもそれに沿ったものではないから歪みや無理が出てくる。老子は処世術の様な教えじゃなくて根本的な事を説こうとしてるんじゃないかと。
TAOとは、自分が生きる為の考え方、人としての生き方を表しているのではないですか?
無為自然とは、自然につまり自分に素直に余計なことをしない。だから、何か余計なことをしなければ事を自分の生き方ができる。為さずして成すということではないですか?私はそのように感じます。
dao
バカ
ご視聴いただきありがとうございます。
今回の動画は、実生活の中で「道(TAO)」を生きるにはどうしたらいいのか?について詳しくお話ししています。
前編とあわせて見ていただければ、「老子道徳経」の全体像がわかるように構成していますので、ぜひあわせてご視聴ください。
西洋的な価値観でイケイケどんどんで生きてきて欲や夢を満たした50年を過ごし、そこから考えが少しずつ変わって行ったところで昨今のパンデミックにぶち当たり、世界の政治の腐敗や崩壊を見て心の底からうんざりしていました。ここにきて道教を知り、まさにこれこれ、解る解る‼️と心に染みています。一般大学で習うような知識の多くは、実に中途半端で西洋の価値観に偏った狭いもので、真理を理解するのに大変邪魔な時が多いと思います。
分かり易いお話ありがとうございます。勉強になります。
とても聞きやすいお声でした。
TAOを理解する入口になりました。
ありがとうございます。
ありがとうございます🙇♂️
老子の教えは、悟った人でないと分からない内容のものだと思いました。奥が深すぎて、凡人の私には理解不能です。
書籍紹介ありがとうございます!
こんにちは😺
今ちょうど、「いろは歌」についていろいろ調べていた矢先にこちらの動画とシンクロした様に感じました。
いろはにほへと、の歌の一節に
「有為の奥山今日超えて」という一節があるのですが、
この「有為」という言葉も、なかなか深い意味があり、「これだ」とは断定できない言葉です。
その反対の意味が「無為」なのかどうかは謎ですが、
人間は「何かの為に」と思って、何者かになろうとしたり、結果に執着してしまう習性がありますよね。
この「為に」という気持ちが「有る」ということが、険しい道(奥山)を作り出す、
ということかな、と個人的に解釈しています。
また、「有為」という言葉は「生み出すもの」
という意味もあるようで、
生まれては消えていく、という宇宙のシステムそのものを表しているのでは、と思っています。
これとよく似た言葉が「マトリックス」で、
他にも「元物質」というのも、形のない何かから生み出される、という意味があるようです。
この「生み出されて、消えていく」というシステム自体のことを、
もしかしたら「神」というのではないかと、考えています。
「道」という表現も「神」というのも、
もしかしたら同じなのでは、と思いました☺️
いつも素敵な動画、本当にありがとうございます😊
にゃーちゃん!さん、深~いコメントありがとうございます!
『ラーマクリシュナの名言』の動画でも取り上げた彼の言葉、「名前はちがっても中身は全く同じもの。一つの神にいろいろな名前がついている。」と同じかもしれませんね!
ドリアンさんの本を読んだことがあります。老子って本当にバカボンのパパみたいな人かもしれないって思いました。
田村さん、コメントありがとうございます!
孔子との邂逅について触れている本では、老子は孔子からの質問をのらりくらりとはぐらかした、というような記述がよく見られます。
なので、本当にバカボンパパみたいな人だったのかもしれないなーと思いますね!
とても参考になりました。
人が考えること、思想には共通点があるのだなと再認識しました。
結局、人の欲、本能の統御ですね。
本能も自然と言えるのでしょうが、それは道、すなわち自然ではない、とするのでしょうね。
タオが一番しっくり来る!墨子と老子が最強。
最近、半年前に悟って全て理解できるようになった😂
15:10
仏教の禅や空の概念と同じに思える。
言葉は道具、道に備えるもの、脳は疲れないからいつまでも問い続けるうちに姿勢は歪み老いて問題が問題を呼ぶように膨らんでいくのは、脳の仕組みの問題なんだろう、言葉を止めるには姿勢と呼吸という物理的解決が必要だと釈迦は禅を組むのだ、言葉を止める方法は色々あるけど大体同じだし教育を受けている、やはり勉強は偏ってはいけないな運動も必要で、偉人はとにかく散歩が好きらしい
本来は自然の摂理や物理法則など普遍的なものがこの世界を構成してる。けど人間の社会の戒律や法律、宗教や慣習などは必ずしもそれに沿ったものではないから歪みや無理が出てくる。老子は処世術の様な教えじゃなくて根本的な事を説こうとしてるんじゃないかと。
TAOとは、自分が生きる為の考え方、人としての生き方を表しているのではないですか?
無為自然とは、自然につまり自分に素直に余計なことをしない。だから、何か余計なことをしなければ事を自分の生き方ができる。為さずして成すということではないですか?私はそのように感じます。
dao
バカ