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男の好みとか滅多に言わない私の母が、タイプだの哀愁があって好きだとか言って推していたというのが柏戸。先日亡くなった勝昭さんも一番モテたのが柏戸さんと言っていたが、色気のある男って感じがする。
横綱時代の最初期までは突っ張りを主体としていたが、大ケガをしてから左前みつ右おっつけで一気に走るようになって強みと安定感を増した。右四つで動きが止まっても強い引き付けで吊り気味に相手を持っていく。成績だけでは判断できない実に強い横綱でした。
@@堤くりまる さんコメントありがとうございます😊内容までわかりやすくありがとうございます😊
柏戸と大鵬は早くから横綱と期待していた。
大鵬よりも柏戸を応援していた人もいたと思う。
柏鵬同時昇進時は柏戸22歳、大鵬21歳。青年横綱の誕生だった。
巨人大鵬卵焼き並ば大洋柏戸水割り。男性的な柏戸、女性的な大鵬。
最初の10回の大鵬との対戦成績は柏戸が7勝3敗で柏戸がリードしていた。
@@島斉 様詳しいですね🤭ありがとうございます😊
剛の柏戸、柔の大鵬。攻めの柏戸、守りの大鵬。
@@島斉 様コメントありがとうございます😊
結局大鵬と互角に戦ったのは柏戸だけである。柏戸の大鵬との対戦成績は16勝21敗 優勝回数5回、全勝優勝1回。
僕は昭和、平成の横綱ベスト20に柏戸と鶴竜を入れた。他に照国、千代の山、鏡里、初代朝潮、栃ノ海、佐田の山、初代琴櫻、2代目若乃花、三重の海、隆の里、大乃国、旭富士、3代目若乃花、稀勢の里は欲しかった。
柏戸さんは怪我も多く優勝回数もライバル大鵬さんに大きく水をあけられましたけど、相撲ファンからは凄く人気の高い玄人受けする名横綱でした。
@@二宮力-s1k 様同感です👍
お兄様は地元の山形で寿司職人をしてたとか。
@@elbuenos143 様コメントありがとうございます😊
横綱昇進前3場所の戦績は10勝→11勝→12勝の合計33勝。大関昇進と間違えたかのような大甘な昇進であった。
@@用無し犬 様昔は…甘かったのかな?🤭
@46.GUCCI._.SUMO.49 大関昇進基準は今よりも甘かったです。6場所制以降、おおむね三役三場所30勝で昇進可能でした。30勝以下で昇進した例もあります。有名なのは先だって亡くなった元北の富士の28勝(8勝→10勝→10勝)。三場所中に負け越しが含まれるのが若羽黒、魁傑の二例があります(どちらも30勝にはなっている)
@ 様そうなんですね詳しい説明ありがとうございます😊
柏戸の横綱昇進は10勝、11勝、12勝(優勝同点)の前に13勝優勝、12勝があるからその時の成績も加味されてる。一門別当たり制で柏戸は役力士全員と当たらなければならない不利や大鵬と対戦成績で勝っていた事や成績が大鵬と同じだった事も考慮されていたようです。
@ 様コメントありがとうございます😊
昭和39年生まれの私が物心ついた時の横綱は大鵬、玉の海、北の富士でした。3つ上の兄は覚えているそうですが、私も柏戸のこの豪快な相撲を見たかった。
ガラス細工のように怪我が多かった柏戸😢怪我も実力のうちということでしょうね😰
@@欣求浄土-r7e さんコメントありがとうございます😊その通りですね!
なぜ柏戸は優勝回数を始め大鵬との差がなぜついてしまったのか?稽古量の差。ケガ、病院などで休場が多かった。下位力士との取りこぼしなどが原因だと思う。
双葉山に指導されたにも関わらず、とうとう生涯土俵際でまわしを離さない悪い癖は治らなかった。性格なのか何なのか、寄っていくとカーっと我を忘れて強引に寄り倒そうとするから、体が宙に浮き、そこを何度栃光や北葉山にくるっとうっちゃられたことか。
@@kpo1870 様コメントありがとうございます😊参考になります。ありがとうございます😊
結局柏戸も色んな怪我が多々あったが、一番は糖尿病が原因で大鵬ほど活躍が出来なかった。
@@グレートファミリー 様怪我と病気で頑張りましたね
男の好みとか滅多に言わない私の母が、タイプだの哀愁があって好きだとか言って推していたというのが柏戸。
先日亡くなった勝昭さんも一番モテたのが柏戸さんと言っていたが、色気のある男って感じがする。
横綱時代の最初期までは突っ張りを主体としていたが、大ケガをしてから左前みつ右おっつけで一気に走るようになって強みと安定感を増した。右四つで動きが止まっても強い引き付けで吊り気味に相手を持っていく。成績だけでは判断できない実に強い横綱でした。
@@堤くりまる さん
コメントありがとうございます😊
内容までわかりやすく
ありがとうございます😊
柏戸と大鵬は早くから横綱と期待していた。
大鵬よりも柏戸を応援していた人もいたと思う。
柏鵬同時昇進時は柏戸22歳、大鵬21歳。青年横綱の誕生だった。
巨人大鵬卵焼き並ば大洋柏戸水割り。男性的な柏戸、女性的な大鵬。
最初の10回の大鵬との対戦成績は柏戸が7勝3敗で柏戸がリードしていた。
@@島斉 様
詳しいですね🤭
ありがとうございます😊
剛の柏戸、柔の大鵬。攻めの柏戸、守りの大鵬。
@@島斉 様
コメントありがとうございます😊
結局大鵬と互角に戦ったのは柏戸だけである。柏戸の大鵬との対戦成績は16勝21敗 優勝回数5回、全勝優勝1回。
僕は昭和、平成の横綱ベスト20に柏戸と鶴竜を入れた。他に照国、千代の山、鏡里、初代朝潮、栃ノ海、佐田の山、初代琴櫻、2代目若乃花、三重の海、隆の里、大乃国、旭富士、3代目若乃花、稀勢の里は欲しかった。
柏戸さんは怪我も多く優勝回数もライバル大鵬さんに大きく水をあけられましたけど、相撲ファンからは凄く人気の高い玄人受けする名横綱でした。
@@二宮力-s1k 様
同感です👍
お兄様は地元の山形で寿司職人をしてたとか。
@@elbuenos143 様
コメントありがとうございます😊
横綱昇進前3場所の戦績は10勝→11勝→12勝の合計33勝。大関昇進と間違えたかのような大甘な昇進であった。
@@用無し犬 様
昔は…甘かったのかな?🤭
@46.GUCCI._.SUMO.49 大関昇進基準は今よりも甘かったです。6場所制以降、おおむね三役三場所30勝で昇進可能でした。30勝以下で昇進した例もあります。有名なのは先だって亡くなった元北の富士の28勝(8勝→10勝→10勝)。三場所中に負け越しが含まれるのが若羽黒、魁傑の二例があります(どちらも30勝にはなっている)
@ 様
そうなんですね
詳しい説明ありがとうございます😊
柏戸の横綱昇進は10勝、11勝、12勝(優勝同点)の前に13勝優勝、12勝があるからその時の成績も加味されてる。一門別当たり制で柏戸は役力士全員と当たらなければならない不利や大鵬と対戦成績で勝っていた事や成績が大鵬と同じだった事も考慮されていたようです。
@ 様
コメントありがとうございます😊
昭和39年生まれの私が物心ついた時の横綱は大鵬、玉の海、北の富士でした。3つ上の兄は覚えているそうですが、私も柏戸のこの豪快な相撲を見たかった。
ガラス細工のように怪我が多かった柏戸😢怪我も実力のうちということでしょうね😰
@@欣求浄土-r7e さん
コメントありがとうございます😊
その通りですね!
なぜ柏戸は優勝回数を始め大鵬との差がなぜついてしまったのか?稽古量の差。ケガ、病院などで休場が多かった。下位力士との取りこぼしなどが原因だと思う。
双葉山に指導されたにも関わらず、とうとう生涯土俵際でまわしを離さない悪い癖は治らなかった。性格なのか何なのか、寄っていくとカーっと我を忘れて強引に寄り倒そうとするから、体が宙に浮き、そこを何度栃光や北葉山にくるっとうっちゃられたことか。
@@kpo1870 様
コメントありがとうございます😊
参考になります。ありがとうございます😊
結局柏戸も色んな怪我が多々あったが、一番は糖尿病が原因で
大鵬ほど活躍が出来なかった。
@@グレートファミリー 様
怪我と病気で
頑張りましたね