【ゆっくり解説】帝国陸軍精鋭部隊の銃剣の矛先VS海兵隊の重機関銃・火砲!?一木支隊とイル川渡河戦【ガダルカナル島の戦い】【太平洋戦争】【記録 世界大戦】

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  • Опубликовано: 2 фев 2025

Комментарии • 257

  • @コミュニズムハゲ
    @コミュニズムハゲ Год назад +142

    敵戦力が報告よりも遥かに多いと確信して作戦の見直しを本部へ求めるも「現戦力で飛行場を早急に確保」の一点張り。
    再度、本部と通信を試みるも連絡の中継を担っていた潜水艦が任務を放棄。
    ほんと一木支隊が気の毒…

    • @tikuwauirou3915
      @tikuwauirou3915 Год назад +40

      これ以降幾度となく海軍に梯子を外され続ける陸軍が気の毒

    • @hanamizu-taisa2424
      @hanamizu-taisa2424 Год назад

      海軍のくそが護衛船団の壊滅だけで、本来の輸送船攻撃をしなかった事。作戦中止を中継すべき潜水艦が任務変更で持ち場を離れた事。ラバウルからの航空戦力が幻の空母攻撃に向かい地上支援をしなかった事。一木支隊の全滅の責任は大部分海軍にあり。

    • @sushi-love
      @sushi-love Год назад +42

      おかしな命令を不可能を知りながら実行する。疑ったり自分の考えを持とうとしない日本人らしい死に方。他国の軍人であったら生存の為に命令無視して生き残りを図っただろう。

    • @sushi-love
      @sushi-love Год назад

      @@tikuwauirou3915 はっきり言って日本海軍はダメの極致。良いところが全くない軍。同等の戦力を持つ海軍には必敗のレベルの組織であった。米軍が日本と同じ物量でも必ず負けたと断言できるダメ組織。国より海軍が大切だから。

    • @sibbikku
      @sibbikku Год назад +17

      帝国陸軍の組織を個人的に批判したくないが、歩兵操典には撤退や後退がなく勝利か玉砕しかなく、17軍からの心配する指令は届くことなく、大本営直属部隊の流れから敵兵力2000名でもう逃げだしたがっているので可及的速やかに飛行場奪還する旨を輸送船内で受信してます。

  • @umiomamoru
    @umiomamoru Год назад +39

    現地の第17軍の命令は「偵察」のみ、大本営の横槍で「飛行場奪回」が命令に入った。一木大佐は、現地軍指導の「偵察」重視で行動。軽装で上陸行軍したのも「米軍は1万人」と偵察報告させたら、すぐに引き上げさせる算段ではなかったか。海軍の拠点が飛行場の西なのに、上陸地点が飛行場の東35㌔だったのも、一木支隊が戦闘しないよう第17軍が配慮したからだろう。現地軍の配慮が米軍に陣地構築の時間を与え、予期しない場所で米軍と遭遇して一木支隊は全滅した。一木大佐は「無謀な銃剣突撃」はしていない。第17軍の百武司令官は、戦後すぐ死亡し証言が残せず、大本営参謀の証言のみ戦史叢書に載り定説化した。第17軍の二見参謀長は戦後も存命だったが、自分も関与した現地軍の失敗を証言したくなかったのだろう。日本陸軍が「残置諜者」を置くようになったのも、コーストウォッチャーにヤラれた教訓で、ルバング島の小野田少尉はその結果だ。

  • @dojoukugahara9008
    @dojoukugahara9008 Год назад +19

    これthe pacificにも出てきたやつだよね。一木支隊の生き残りらしき人物がそのあとどうなったのかわかる場面もあってキツかった。

  • @zubizuberpapa
    @zubizuberpapa Год назад +39

    日本側のどの攻撃部隊の隊員の証言記録だったか忘れたが、米軍は陣地前をエリアで区切ってマイクロフォンを設置していたので、夜襲をかける前から正確に砲弾が飛んで来たと読んだことがある。
    一木支隊の攻撃時には、まだなかったかも知れないけど。
    それにしても、損耗率はともかく絶望的な状況下でも崩壊せずに銃剣突撃で鉄条網を突破して一部敵陣を制圧するとか驚異的ですね。
    ところで、WW2のガタルカナル戦って、日露戦争での旅順要塞攻略戦と同様に海軍の要請に基づいて生起したのに、海軍は協力姿勢が消極的で、やることに杜撰さが目立つどころか、途中から梯子外してホントに酷いな。

    • @sibbikku
      @sibbikku Год назад +10

      初めまして、私も生還者から聞いております。一木大佐もジャングルを隠密裏に行軍企図してましたが集音マイクと配線を発見、切断してもしなくても自軍の位置が露呈するので本隊に先行して斥候隊と偵察兵を派出させ道路の安全を図り本隊を前進させたそうです。

    • @zubizuberpapa
      @zubizuberpapa Год назад +3

      @@sibbikku さん
      ありがとうございます。集音マイクは一木部隊の攻撃時から設置されてたんですか。
      当時の攻撃部隊が集音マイクの設置に気がついても、それの破壊の為に敵陣前のエリアに砲弾を撃ち込むような弾の余裕なんて全くなかったようなので、斥候の犠牲を呑むしかなかったのかも知れないですね。

    • @sibbikku
      @sibbikku Год назад +3

      @@zubizuberpapa 様                                   おそらくは集音器も設置未完成で、陣地構築強化に方針転換したのではないでしょうか⁇兵卒は綺麗な配線と。士官たちは米軍の科学兵器で、日本軍の攻撃指向を探知する為設置されたと。その為折角防衛陣地正面から向かってくる一木大佐を蹴散らす砲撃はせず惹きつけてから十字砲火を浴びせたと考えます。米軍は湯水のごとく弾薬を浴びせてきましたから日本軍を過大評価したのかも知れません一木決死隊全滅の後は弾薬浪費で弾薬の心配していたようですが8月20日深夜から21日迄の戦闘では米軍の火砲や機銃は雨あられではなく、横殴りの滝のような弾幕だったそうです。8月21日も22日も日本兵を一人でも見つけると4機編隊で銃爆撃を加える米軍でした。ヤシの木に隠れてリスのようにクルリクルリ。

    • @知花信
      @知花信 Год назад

      集音器?
      ベトナム戦争でベトコン対策でアヒルちゃんを放し飼いして鳴子してるけど? 米軍

    • @sibbikku
      @sibbikku Год назад +3

      @@zubizuberpapa 様                                                                                            集音マイクは第一回総攻撃以降に砲撃座標として有効⁇斥侯隊の派出は敵陣地と火力構成を把握して攻撃発起点を見いだすことでしたがイギリス軍軍服を脱いで手招き案内した現地人に変装した部隊に騙し討ち遭い分隊長、小隊長、中隊長の半数以上を失った事が連隊長の思考に影響を及ぼしたと考えます。海兵隊も防衛正面から日本軍が向かってきてる以上、引き付けて殲滅を狙ったでしょう。ヤシの木を切り倒し射程良好状態で鉄条網に向かっても打ちあがる照明弾で白昼、ほふく前進も肩や二の腕に銃創を負い鉄条網にたどり着けない兵士大分。命令通り発砲禁止です。発砲してもしなくても、駆逐艦からの上陸では機銃弾薬、擲弾筒の弾薬も限りがあり1時間もまともに交戦すれば弾切れですから銃剣突撃しか選択肢がなかったと考えます。38式歩兵銃に関しても高価な部材で組み立てられた命中精度の高さが定評がありましたが、より威力がある99式を完成したはずが低コストの命中精度が低い装備に変わっただけです。自動小銃を装備していればとないものねだり以外全滅は避けられなかったとしか。17軍二見参謀の橋頭保案もその後の大本営電文命令により撤回され、命令通りに実行です。17軍隷下に入り大本営直属でなければ無謀な攻撃はなかったかも知れません。

  • @recordam
    @recordam Год назад +24

    すごい詳細な内容で陸戦史音痴な自分は一木支隊て名前だけ聞いた程度なので
    勉強になりました
    帝国軍の慢心が今のロ軍酷似し無念さでハラワタが煮えたぎります

    • @ベルカ公国国家宣伝相
      @ベルカ公国国家宣伝相 Год назад +4

      ミッドウェー海戦の場に偶々遭遇してしまい、目の前で一航戦二航戦の空母3隻が燃え盛る様子を見ながら、「腸が煮えくり返るほど腹が立つ」と憤っていた角松二佐の気持ちが今ならよくわかるわ

  • @ns4039
    @ns4039 Год назад +31

    最近の研究だと、一木支隊は偵察の結果敵の軍勢が予想以上に大きいことに気づいており、攻撃命令の変更を求めるべく軍司令部との交信を試みたものの、中継担当の海軍潜水艦が敵艦隊を攻撃するために陸軍に無断で現場水域から離れてしまった結果、いつになっても無線通信が出来ず当初の命令通り攻撃せざるを得なくなったとのこと。海軍…。

    • @小川寛之-r8d
      @小川寛之-r8d 9 месяцев назад +7

      一木(いっき)支隊の参謀は、第一次ソロモン海戦で三川軍一中将の艦隊が支援艦隊のみを撃破して、敵輸送船団を撃破することなく帰投したことに対して「甚だ不十分なり」と強い不満を表していましたね。
      海軍は陸軍との協調攻撃といいながら、飛行場奪還ではなく主目的が敵空母の撃破でしたから、陸軍への協力が不十分であり、大型の高速輸送船を出しませんでした。その結果、当初予定していた兵力も火力も揚陸できず、一木支隊は…。

    • @sushi-love
      @sushi-love 4 месяца назад

      日本海軍はどうしようもない無能。あれだけ国家予算を陸軍以上に使って戦果があまりなかった。
      海軍は陸軍の為にあるってのに。この組織としてのちぐはぐさはどこにもあるが、日本は一番だめだった。
      日本人は自分の外の組織の日本人に異常に冷たいと著名外国人が言っていたがその通りだと思う。

    • @やまがた-x9t
      @やまがた-x9t 4 часа назад

      その頃、連合艦隊司令長官山本五十六は大和屋ホテルに。

  • @ソニー株主
    @ソニー株主 Год назад +21

    米軍の制止射撃は平時なら綺麗な光の川の様であったと当時の日本兵が語っています。
    それだけ凄い弾が撃ち込まれたようです。

  • @motosan7
    @motosan7 Год назад +30

    地形図を元に詳細な戦力分布が非常に分かり易かったです イル川がラクーンだったとは
    それにしてもこの圧倒的な地形的不利と火力差があるのに相当な抵抗を
    していることを鑑みると、慢心と楽観で精鋭を磨り潰した上層と一木大佐の責は多大ですね
    しかしこの惨状があってもこの先延々と銃剣突撃を繰り返す帝国陸軍…

    • @AkuAku1945
      @AkuAku1945  Год назад +5

      スパチャとご評価ありがとうございます!
      そうですね軍上層部も信憑性の低い航空隊からの偵察結果だけで判断しており、一木大佐も最初の攻撃時点で引き返す判断が出来なかったのは結果から見れば何とも言えない形にはなりましたね。
      銃剣突撃を繰り返したのは重火器が不足してる状況下では実質取れる唯一の選択肢だったのが...

    • @sushi-love
      @sushi-love Год назад +5

      全員助かったところで後にほぼ餓死しただろうから、ワンサイドとはいえ戦って死ねて良かったとも言える。日本軍は列強レベルではなかった。特に組織としての知能がイタリア軍にも遠く及ばなかった。ただただ兵隊の頑張りがあっただけ。

    • @hirokage9427
      @hirokage9427 Год назад +6

      中国大陸では火力不足でも銃剣突撃でなんとかなりましたからね
      火力不足で苦戦したノモンハンの戦訓を充分に共用していればまた違ったかもしれませんが

    • @sushi-love
      @sushi-love Год назад +11

      @@hirokage9427 無理よ。弾薬や重火器を充分に作る買う金、生産力はなく、買えたところで輸送する能力も意欲もない。挙句の果ては海軍は戦闘艦だけみてキャッキャしている始末。

    • @sibbikku
      @sibbikku Год назад +1

      正に慢心と傲慢。危機意識なく楽観的な上層部ですがね。その上層部は責任の全てを一木大佐に押し付けてます。現代社会でも組織の在り方は全く変わってません。結局は下の者の自殺で幕引き。責任裁判においても罪に問えない事例が多いと感じています。組織は徹底的な証拠隠滅と捏造が得意かも。大本営の情報は一木大佐にとって不運であり、敵情を知り作戦決行を躊躇すれば後日処分されます。佐官級の将校はノモンハンでは自決強要。インパールでは中将クラスは自殺強要せずに精神異常者のレッテルを張り首切りです。火力が戦力を決定。火薬量で勝敗決定等々絶対に認めない大本営陸軍部作戦班だったかも。辻参謀は一木の弱兵と発言されていたようです。

  • @zaf.yummys
    @zaf.yummys Год назад +31

    すごくわかりやすい動画をありがとうございます。地形図や両軍配置・進路があるとわかりやすいですね。負けたけれども一木支隊の兵は出来ること以上に戦い精鋭だったんだなと分かります。でもこんな戦いをさせられ、なんだか悲しいなぁ。

  • @z28chevy18
    @z28chevy18 Год назад +18

    もう随分前に他界したけど、爺ちゃん北見生まれの第七師団だったんだよな、でも戦争の話全くしてくれなかった、親父は北海道守ってたらしいよと言っていたけど。

  • @チャウチャウ-j2k
    @チャウチャウ-j2k Год назад +26

    一木支隊とイル河の戦いは最近、戦史研究家の乾先生によってかなり詳細にわかってきてますね。

  • @takatake2255
    @takatake2255 Год назад +24

    こうやって見ると一木支隊は火ぶたを切ってからはやれるだけのことはやっており戦場での指揮も的確、兵士個々人も士気が高く非常によく戦ったように見えますね。
    ただ前提となる敵戦力見積もりが違いすぎたのがいかんともしがたく……勝利病はわかっててもかかる病なので厳しいですね。
    しかも日本陸軍はここまでで米軍との交戦経験があって、未経験でおごったわけではないというのが…

    • @sibbikku
      @sibbikku Год назад +2

      はじめまして。奮戦ぶりを評価されてありがとうございます。

    • @sibbikku
      @sibbikku Год назад +6

      大本営陸軍部と高級将校は2線級の植民地軍とイギリス軍としか交戦してませんでしたのでおごり高ぶっていた事実は間違いありません。空挺部隊や海兵隊の士気は全くの別物だという事も知らなかったのです。

    • @やまがた-x9t
      @やまがた-x9t 4 часа назад

      2線級かどうかはわかりませんが、たとえ2線級でも実戦経験はかなり大きい。当時の日本陸軍は、ノモンハン、中国戦線、シンガポール攻略など、精強でした。食糧と武器さえまともにあれば、かなり戦ったと思います。丸腰でジャングルに置き去りにされたら…。悲しくてたまらないのと同時に、海軍の罪に怒りすら感じます。

  • @m.y1678
    @m.y1678 Год назад +15

    この様な動画は文章よりも上から見た配置図や移動図などが多い程わかりやすくなると思います。
    目で見れて動きが分かれば理解がしやすいです。
    ですのでこの動画は分かりやすい方の動画だと思います。

    • @sibbikku
      @sibbikku Год назад +2

      本当に素晴らしい内容でした。今迄の関連書籍に失望していた自分は溜飲が下がる思いです。

  • @福正之
    @福正之 Год назад +7

    相変わらず楽しい動画ありがとうございます。
    一木に感情移入した場合
    本人は事変での成功体験がある上、今回は部下も精強で装備も最新。
    その上与えられた情報が何一つ正しくないなんて知るよしもない。
    とくれば判断ミスも当然でしょうね
    もし批判されるとすれば最初の小競り合いで戦力差を自覚できなかったことですが、事変での成功体験が裏目に出た可能性はあります。
    もし一木が米軍に詳しければまた変わったと思いますね。

  • @従五位上
    @従五位上 Год назад +117

    一木支隊が全滅した後に幽霊となり旭川駐屯地に真夜中に帰って来た話を聞いて涙が出ました。

    • @yamayuki
      @yamayuki Год назад +53

      1944年11月24日、ペリュリュー島で玉砕した第二連隊がその日の深夜、第二連隊の水戸駐屯地に正門から「かいもーん(開門)、かいもーん」と叫んで馬に乗る将校を先頭に多数の兵たちが走って正門をくぐって駐屯地の広場ですっと消えていった話もあります。戦場で散華された方々に手を合わさずにはおられません。

    • @sibbikku
      @sibbikku Год назад +1

      @@yamayuki 戦死された方が楽なぐらいの日本軍の奮戦玉砕。平成天皇が慰霊されたと聞きます。祖国のために殉じた英霊を思うと涙がこぼれますね。

    • @sibbikku
      @sibbikku Год назад +27

      初めまして。私も同じ話を聞いてます。

    • @sibbikku
      @sibbikku Год назад +28

      @@yamayuki 連隊長以下苦しい戦いだったと思います。地獄の苦しみといいますが地獄以上。万歳突撃ができれば楽だったのでしょうが許されなかった命令です。靖国神社をご批判する方も英霊の心情を推し量るべきだと考えます。

    • @ミリタリー親父
      @ミリタリー親父 Год назад +15

      有名な話しです。信憑性は高いらしい。

  • @高田健一-l7l
    @高田健一-l7l 9 месяцев назад +10

    日本兵2千人が一か月かけて飛行場を作ったらしい。
    米軍なら軍用ブルドーザ数台で一週間もあれば立派なものが出来てしまう。
    すでに機械化が完了していた米国との国力差は10倍以上であったと推測される。

  • @シザース
    @シザース Год назад +9

    海戦の解説もやってほしいです

  • @okotarou1464
    @okotarou1464 Год назад +15

    内容とは関係ないですが、支隊という単語の響きがたまらなく好きですね。
    一木さんという珍しい名前もそうだし、続く川口支隊も密林で道なき道を切り開きながら行軍するところが後のテレビ番組の川口探検隊とダブって見えてワクワクします。(結果は悲惨そのものですが)

    • @sibbikku
      @sibbikku Год назад +8

      大本営と17軍司令部から川口閣下に「一木が闇雲に敵正面に猪突猛進して全滅」と申し渡されています。第一回総攻撃に向かう際に兵士一同を前にして「俺は一木の失敗はしないから」と静かに落ち着いた訓示をされていたようです。川口閣下は日本最強部隊と言われるほどの部隊指揮官であり第7師団と第2師団の一部の将兵をも吸収してジャングルを隠密裏に進み敵側面攻撃を掛けましたが集音マイクで露呈しており大敗北です。川口閣下も大本営から無謀な督戦命令に辟易しており辻参謀に反抗して解任されてます。閣下が存命であるが故真実が伝わりますが一木大佐は戦死されているため死人に口なしと成り悪者にされているようです。辻参謀の批判は現地まで行き作戦指導してるのに指揮官と戦闘部隊ポンコツ。全部下が悪い。俺は正しい。実際一木支隊全滅の時点で同期の参謀から止めるべきだと助言された途端に邪魔ものとして排除行動。

  • @サンライズテキーラ-n9e
    @サンライズテキーラ-n9e Год назад +14

    戦死された皆様、安らかにお眠りください。

  • @Hatta-tomonori
    @Hatta-tomonori Год назад +37

    奮闘してるんだが、後々の戦力差を考えると...これぐらいは勝たないといけないというのが辛い

    • @sibbikku
      @sibbikku Год назад

      銃剣突撃で簡単に落とせない原因の探求が足りなかったと思われます。最初から否定的な参謀部の軍人は排除され、すべて海軍が悪いとか一木がポンコツ、川口閣下が無能⁇精強な仙台2師団兵士の悪口ばかりの辻参謀にも責任ありそうだし、国力差による限界が露呈したと考えます。消耗戦に陥れば日本の運命は決まったようなものです。重砲も運搬できない駆逐艦輸送と機関銃の弾薬箱も僅かしか持たされず白兵戦で戦うなど合理性がありません。制空権は米軍、船団輸送も無理なら例え大砲あっても砲弾がないので日本軍が勝てないし、兵士が哀れです。

  • @RS-kx9rp
    @RS-kx9rp 8 месяцев назад +5

    結局は最後は人だよりだったってこと、よく訓練された兵士が消耗してしまうともう無理だったな。

  • @ベルカ公国国家宣伝相
    @ベルカ公国国家宣伝相 Год назад +86

    こんな状態でも鉄条網を突破して米軍の対戦車砲を無力化できる一木支隊の兵士に鳥肌が立った・・・
    ガチの精鋭部隊だったんだな・・・

    • @カリグラ-i1x
      @カリグラ-i1x Год назад +21

      ガチの精鋭なら馬鹿みたいに何度も同じ突撃なんかしないやろ。

    • @bboot412
      @bboot412 Год назад +21

      @@カリグラ-i1x 誤った情報の上に驕りがあったとは言え、最前線の指揮官として部下の意見も聞かずに全く融通性がなく突撃を繰り返すのは無能の極みだと思うわ

    • @カリグラ-i1x
      @カリグラ-i1x Год назад +4

      @user-ne2qc8lc7c 関係なくないですよ

    • @長野業正-j9l
      @長野業正-j9l 11 месяцев назад +6

      他国(列強)から、日本歩兵と砲兵は列強最強と言われていた事も知らない人が、多くて驚いた。
      因みに戦争後半では、今度は米軍の方が日本軍わ驕り侮った結果ぺリュー、硫黄島、沖縄の激戦に繋がった。

    • @ハレ-j9w
      @ハレ-j9w 9 месяцев назад

      ​@@長野業正-j9lハイ◯ケルの動画でも見て勉強しよう。日本軍は雑魚

  • @skyupend
    @skyupend Год назад +16

    日米開戦から一年も経たないうちに精鋭部隊として無様に降伏はできないと決死の覚悟で最期まで戦った一木支隊の思いとは裏腹に、海軍のデタラメさに振り回された陸軍は本当に哀れだと思う。攻勢終末点を遥かに超えた無名の島を当の海軍軍人でさえ地図で初めて位置を知ったような見知らぬ島に拠点を作ろうと陸軍へ部隊を派遣してくれと懇願したところから悲劇は始まった。遠い外洋のことは海軍の方が知ってるだろうからと海軍からもたらされた海軍のデタラメ情報を鵜呑みにした陸軍は戦って名誉ある死を遂げたのではなく、飢えと病気で追い詰められ最後は座して死を待つ不名誉より非効率なバンザイ突撃を敢行した。海軍さえいなければ総じて日本軍はもっとマトモな戦争をしていた。

    • @tksjp6676
      @tksjp6676 Год назад

      こんな地球の果てみたいな戦略的価値ゼロの絶海の孤島で資源無尽蔵の米軍と消耗戦せずにセイロン島でも落としとけば戦争の成り行きも違ったものになったかもしれない

  • @deadby15
    @deadby15 8 месяцев назад +7

    失敗した同じ行為を繰り返しながら次こそは上手く行くと期待する。これを狂気という。
                                - アインシュタイン

    • @奥野和歌子
      @奥野和歌子 7 месяцев назад

      今の日本の天皇制度のようです。偽者を天皇にし、独裁者となす。
      明治から昭和を経て令和となり、昭和天皇の指揮により、特攻飛行隊、人間魚雷回天、731部隊等を駆使してまでも、自分たち一族を守ろうとする天皇の人間性、人格的要素など、考慮せず、また、令和の後も偽者を据えればいいと、失敗した同じ行為を繰りかえしながら、次こそは上手くいくと期待するこれを狂気という アインシュタイン
      まさしく、そのとおりです。

  • @akita1934
    @akita1934 Год назад +19

    当初一木支隊はミッドウェー島の上陸が目的であったが中止になり,急遽ガダルカナルに変更されたが,命令した大本営作戦課誰一人ガダルカナルがどこにあるか知らなかった。インパールも同じ構図。現場の状況も把握せず兵を動かす,失敗しても誰も責任を取らない。敗戦が決まったら進駐軍が来る前に責任を追及されないように書類を焼き尽くす。大本営の連中は戦後知らん顔で余生を過ごした

    • @prague1534
      @prague1534 Год назад

      さすがにガ島の位置を知らないのは嘘だろwならどうやって輸送や海軍との連携をしようとしていたのかw失敗して更迭される司令官も数多くいたし東條に好かれていた牟田口や富永ですら司令官を解任されている。
      作戦が失敗すれば自決することも珍しく無かった。
      そもそも陸軍が書類を処分したのは陸軍の技術や暗号、その他工作を隠匿するため。
      陸軍の暗号はほとんど解読されなかったため今日ではその詳細を知ることができない。
      これと違って海軍はろくに処分もしなかったため既に露見していた海軍の暗号のみが連合国にわたり「日本の暗号は簡単に解読された」というデマが出回ったのだ
      無知がイキんな👉🤪👈

  • @伊藤宏憲-f6t
    @伊藤宏憲-f6t Год назад +3

    とにかく、この戦いで、上陸戦をあきらめ、潜水艦による補給船団の破壊作戦に切り替えるべきでしたね。

  • @kawa36114
    @kawa36114 Год назад +20

    日本海軍の航空支援も予定されてたが空母艦隊発見との情報で中止、無線中継用の潜水艦も艦隊決戦用に持ち場を離れ情報が送受信できなくなったために陸海共同の攻撃予定日に合わせ無理に行軍し、後日に到着する重火器の一木支隊第2軍を待てなかった要因であると聞いた事があります。
    またイル川渡河戦で銃火器を打ち尽くしてしまった米軍も、日本海軍が艦隊決戦のために戦域を離れたために日本軍の後続が進軍してくるまでに補給を受ける事が出来ガダルカナル戦で勝つ見込みが無くなってしまったとの事
    本当に海軍には陸軍のいや日本にとっての疫病神でしかなかったと思います

    • @sushi-love
      @sushi-love Год назад +11

      日本海軍はとんでもない国賊組織であったことを広く周知すべき。恨めしいのは日本海海戦の大勝利。あれが痛み分けで終わればこんなに酷い組織にはならなかっただろう。海軍など整備せずに陸軍にリソースを割ければ良かった。海軍の船は結局ほぼ無駄に沈んだだけで役にたたなかった。

    • @flashnewlight1075
      @flashnewlight1075 Год назад +3

      自殺行為ですよね。

  • @taijiy52
    @taijiy52 Год назад +45

    現代の特に一般の日本人が、中国やアジアを未だに甘く見ている現状と似ているかも知れません。
    そうして問題点が何であるかに気付く事も出来ないまま、あらゆる面で敗北を重ねて行く…
    恐ろしいです。

    • @sibbikku
      @sibbikku Год назад +1

      視点が同じかどうかわかりませんが、昼寝して怠け者の東南アジアの人々が勤勉な日本人には敵わないはず。中国人を馬鹿にして過小評価。当時と同じく慢心から来る綻びです。ポピュリズムの日本社会⁇。最終的には中国に押し切られ、ベトナムの工場に日本人の若者が出稼ぎとか?己を過大評価して気が付いたら没落の運命⁇

  • @イキそうそう
    @イキそうそう Год назад +5

    数年前まで旭川の2Dでサンソーとして勤務をしておりました。現在は娑婆に出てます。
    戦後、ガ島にて一木支隊が玉砕した日の夜の警衛勤務中のこと、旭川駐屯地南正門よりボロボロの戦闘服の縦隊が指揮官を先頭に駐屯地北門方面へ行進してきたという話があります。
    一木支隊の母体となった歩兵28連隊の連隊司令部及び兵舎が現在の北門の向かいにあったためそちらに帰って行ったと言われております。
    他のコメントで言われている通り、この話は旭川勤務の隊員には有名な話なのです。

  • @hirorinda3918
    @hirorinda3918 Месяц назад +1

    全滅した一木支隊の兵はその夜、亡霊となって北海道旭川の部隊へ帰還したそうな。南無阿弥陀仏。

  • @小倉-b9u
    @小倉-b9u Год назад +20

    通常、歩兵大隊の歩兵砲は2門。
    しかし北支での八路軍討伐や、大陸打通作戦/沖縄戦を戦った第62師団は山砲2門との混成で大隊で合計4門を有する編成で、これが部隊の行動に大きく寄与したと藤井非三四が書いていた。
    今回は作戦の問題も大きいと思うが、大隊結節での編成は結構重要かもしれない。

    • @sibbikku
      @sibbikku Год назад +1

      一木決死隊は最初から死を覚悟して上陸。大本営陸軍部により武器弾薬を制限され銃剣突撃しか選択肢がありませんでした。結果を見て敵を知り見方の状況を推し量れば逐次投入と銃剣突撃は再考するべきかと。しかし繰り返された訳です。結局は一木大佐がポンコツと言うことにして大本営参謀様は優秀。大本営陸軍部に瑕疵はなし。後は17軍が責任。

    • @sibbikku
      @sibbikku Год назад +1

      大口径砲も砲弾も輸送出来ない状況で限られた武器弾薬ですから銃剣突撃しか選択肢がなかったようです。速射砲が揚陸できただけでも御の字です。大本営陸軍部も輸送艦部隊で28連隊を輸送すべきであって駆逐艦で一個大隊を送り込み強要された一木大佐の苦悩を察します。

  • @sibbikku
    @sibbikku Год назад +5

    貶めるではなく貶めない内容で安心しました。

  • @siosyosyo
    @siosyosyo Год назад +5

    擲弾筒が実際にどう運用され、その威力は?と思ってきたが、ひとつ現場が見つかりました。地形を押さえ広く布陣された待伏せ配置に対し、有効だったとは思われないケースだったということか?米側の迫撃砲は、要地に向け照準されていたろうし、対戦車砲(映画に記録されている小型トラクターでけん引された砲?)の水平射撃する散弾、その他多数の機銃。いくら簡便な兵器でも、撃つ前にやられてしまったような状況。「擲弾筒は膝にのせて撃ってはいけないニーモーター」として紹介する写真は、もしかしたらイル川の遺棄品で撮影されたのじゃないかとも思った。
    もうひとつの現場として詳細はわからないが、沖縄北部での遊撃戦にも使われた記録がある。強制動員された少年兵「護郷隊」の生き残りの証言。

  • @鶴田浩-u9d
    @鶴田浩-u9d Год назад +10

    一木支隊は圧倒的な重火器による十字砲火で一方的に殲滅させられたようなイメージでしたが
    米軍も戦死44名、負傷者71名と聞いて認識が少し変わりました。
    米軍もかなりの人的被害があったんですね。
    装備の貧弱な一木支隊が10倍以上の兵力の米軍相手によく奮戦したと思います。

    • @ワレンシュタイン
      @ワレンシュタイン Год назад +16

      いやー、でも日本軍戦死者約800名でしょ。キルレシオは1:20.ほぼ、一方的な虐殺と言っていいでしょ。

    • @sibbikku
      @sibbikku Год назад +10

      私も同じ思いです。肉薄しての手榴弾と銃剣ですが、肉薄するまでに兵士の大半が絶命してますので火力、火薬量で決定されたようです。兵力は10対一でも火力を合算した総合戦力で評定した場合は100対一位の違いがあったと考えています。

    • @ワレンシュタイン
      @ワレンシュタイン Год назад +6

      @@sibbikku
      まだ緒戦で、日米の生産力格差がそこまで開く前でこの有様ですからね。兵力だけでなく火力・弾薬量の差というのは致命的ですね。

    • @鶴田浩-u9d
      @鶴田浩-u9d Год назад +5

      @@sibbikku 様
      仮に兵数が互角でも火力の違いで勝てないでしょうね。
      海軍上層部が陸軍を支援するどころか一木支隊を米軍を引き寄せる囮のような扱いで見ていたのも・・・
      強大な敵と対峙しなければならない時、味方同士で争っていたらお話になりません。

    • @鶴田浩-u9d
      @鶴田浩-u9d Год назад +2

      @@ワレンシュタイン 様
      数字で言えばそうですね。生身の身体をさらしての銃剣突撃でここまでよくやったなぁと思いました。

  • @コケカ
    @コケカ Год назад +6

    どんだけ無念だったか。

  • @中野義明-u1b
    @中野義明-u1b Год назад +8

    この後派遣した川口支隊も全滅した。この戦いだけでなくミッドウェー海戦、サボ島沖夜戦、第三次ソロモン海戦、海軍乙事件と日本は情報収集能力が著しく連合軍より劣っていた。したがって敗戦は当然の結果だね。

  • @林清英-d6k
    @林清英-d6k 9 месяцев назад +2

    イル河行く途中に斥候隊を出し約30名弱が米軍の待ち伏せで全滅してるからね、
    とにかくこれ以上少ない戦力を損害出したく無く行軍即戦闘するしかなかった、もはや前に進むしかなく袋のネズミだったのよ😓😓😓

  • @KoichiChannel
    @KoichiChannel 9 месяцев назад +1

    よく状況が分かりました。ありがとうございます。圧倒的に不利な中でも一泡吹かせる精神力があった日本兵の強さを感じました。

  • @広島大学奇形不合格者
    @広島大学奇形不合格者 Год назад +58

    情報も何もないんだから一木支隊に非はない

    • @sibbikku
      @sibbikku Год назад +9

      正当なご評価を頂きありがとうございます。戦中戦後ご遺族の方々が深く悲しんでいたと思われます。戦死された兵士の中にはノモンハン事件従軍者も多く父親が、日露戦争時従軍された世代です。一木大佐の28連隊旗は203高地攻略時に友軍の砲撃にさらされ軍旗中隊ごと吹き飛ばされた歴史の為菊のご紋章と房だけの軍旗でしたが。純朴な青年からなる兵卒は怯むことなく天皇陛下万歳を叫んでいたそうです。

    • @櫻井孝俊
      @櫻井孝俊 Год назад +14

      戦争はじめた軍のトップたちがアメリカをよくしらない頭がフラワーガーデンな連中ばっかりだったのが悪かった。

  • @こんどうかずなり
    @こんどうかずなり Год назад +19

    もともと陸軍は米軍を侮っていない。17軍は状況がよくわからないガ島への上陸自体にかなり慎重で消極的だった。だから海軍は第一次ソロモン海戦の戦果を誇大に発表し、「ガ島には敗残兵が2千しかいないので速やかに上陸せよ」と要求した。海軍は、ガ島はラバウル防衛に必要だったが、陸軍では元々ラバウルすら国力の範囲外と考えていたから必要ないのである。しかも一木支隊1900人のうち、900人しか駆逐艦輸送できなかったのも海軍の都合。後続の部隊輸送は早くも制海権を失っていて、月末の夜間の鼠輸送になった。その間に孤立した一木支隊は玉砕した。さらに、一木支隊の攻撃計画は海軍のガ島守備隊から艦隊司令部への暗号解読により、米軍に筒抜けで、重火器類を移動させ待ち伏せされた。一木支隊の残存兵170人はタイポ岬の上陸拠点を死守して、後続の上陸を支援した。これはもともと大本営命令で、「失敗した場合はタイポ岬を確保せよ」と失敗をも想定した指示をされていたからで、陸軍が勝利病で傲慢だったという事実はない。海軍は第一次ソロモン海戦で敵の追撃を恐れて輸送船団への攻撃をせず、それらの物資は全て揚陸されている。第17軍は8月末に大本営に撤退すべき具申をしている。大本営は「第一次ソロモン海戦の戦果を利用して」ガ島とニューギニアを拡大する陸海協定が結ばれたため、陸軍はひけなくなったのである。陸軍の協力的で融和的な態度を海軍が利用し、騙した。陸軍は協定を交わした責任感から必死で戦い、海軍は責任を放棄して輸送を途絶させた。それがガ島戦である。ガ島は補給に努力した米国海軍が占領する結果となった。

  • @20le88
    @20le88 11 месяцев назад +1

    制空権があれば97式で陣地攻撃したり野戦も出来たかな 占守島を例にとっても97式4機が爆撃加えてるからね

  • @80fire71
    @80fire71 9 месяцев назад +4

    当時陸海軍指導部の根底にある思考回路は、現代日本國のブラック企業やブラック公務員の職場環境に通じるものを感じるのですが、それは…

    • @ganjer63
      @ganjer63 8 месяцев назад +1

      全く仰る通りとおりです。野中他著の「失敗の本質」もその問題意識で書かれています。日本軍敗北の主因は物量の差より、日本軍の組織的欠陥にあるということです。

    • @コクヨかパイロットか
      @コクヨかパイロットか 8 месяцев назад

      @@ganjer63というよりスコットランド探検隊と同じく距離感を見誤ったのが主因。数千キロ単位は日本軍には初めてだった。

  • @鹿糠孝徳
    @鹿糠孝徳 Год назад +8

    悔しいです。悲しいです。😢

  • @ヤマアラシ-r1z
    @ヤマアラシ-r1z Год назад +10

    パシフィックっていうアメリカのドラマでは
    一木支隊の突撃は海兵隊員から「ターキーショット」と言われてたぞ

  • @takashi1106a
    @takashi1106a Год назад +8

    戦争戦闘がなければイル川河口は綺麗な砂地や砂州が続く名も知らぬ風光明媚な場所だったのだろうね。

  • @連邦の方から来ました
    @連邦の方から来ました Год назад +2

    平時とは違うけど、ロシアですら狭い戦場で武器弾薬が枯渇するのだから、太平洋いっぱいに広がった戦線に対して圧倒的に生産が不足している状況で更に輸送で喪失してる状況では。

  • @takasukesakai9320
    @takasukesakai9320 Год назад +4

    わかりやすい解説ありがとうございました。本当に情報収集の欠如と米軍の実力判断ミス、重火器不足、日本軍の油断のみで全滅したと思うと残念で仕方ありません。今後繰り返される悲劇も込みでご冥福をお祈りします。

  • @gaoyangguo8947
    @gaoyangguo8947 Год назад +2

    太平洋戦場でのスターリングラードの戦い.

  • @fps2426
    @fps2426 Год назад +9

    相手を侮る。これは今も昔も変わらず
    日本人の性ですね。

  • @和泉一郎
    @和泉一郎 Год назад +11

    一木清直大佐は、歩兵学校の教官の経歴を持ち、歩兵操典の規定通り三夜に及ぶ挺身をした後、攻勢に移りました。
    大日本帝国陸軍の限界。大本営参謀や参謀本部の幹部に、戦争初期に連合国の対応を分析して、後に堀参謀がマニュアルを作成して、1944年以後の対応に変化を出して来るまで何等柔軟な対応が出来なかった(特に高級将校)。
    惜しむらくは、情報の錯綜と自分都合の判断をせず、第一次ソロモン海戦で輸送船を叩いていれば、多少は状況に変化が起こせたかもしれない。

  • @user-suiraicho
    @user-suiraicho Год назад +6

    実際に聞いた話、昔勤めていた会社の常務取締役の人が横井庄一さんが帰国したころに、
    戦争話が出て、その人がグアムかフィリピンに居た時、ガダルカナルに隊が行くことになった。
    隊長の話では、今度の敵は強いぞ、俺たちはきっと死ぬだろう、君は主計だから残りなさい。
    連れてって下さいと頼んだが残された。隊長以下全員戦士だったとか。一木支隊だった可能性も
    少し有り。
    同じ会社の課長の話、宮さまが隊長の戦車兵だった人。戦車を降ろして少し戦って、隊長が
    この戦は負ける。僕は陛下をお護りする為に東京に帰る、と言って戦車を輸送船に積んで
    先ず釜山へ行き其れから首都に帰った。宮様の部下だったので生きられた。宮様の名前は
    忘れたが、難しい名前だったと記憶。

    • @recordam
      @recordam Год назад +3

      調べたら陸軍現場指揮官クラス(尉官~少佐)の皇族で該当するのは30歳前後?
      第36軍野戦重砲第1連隊中隊長の(東久邇宮)盛厚王少佐かな?多分
      弟の彰常王は早々の臣籍降下で恐らく部隊任官無しの大尉
      他は後方参謀か教官でほぼ将官 戦車第5連隊長→同4師団長並も近く大佐→少将は階級高すぎて除外だが戦車隊はこの人(閑院宮春仁王)だけだからワンチャン
      参考 wikipedia#皇族軍人 #各個人

    • @user-suiraicho
      @user-suiraicho Год назад +1

      @@recordam コメントありがとうございます。終戦時に首都近くの戦車隊で宮様となれば竹田宮と閑院宮
      竹田宮では無いと思っています。戦況が陛下に届いていたとしたら、年末にもかかわらず
      陛下がガ島を早く撤退せよとの指示も頷けます。

  • @トニー-l8o
    @トニー-l8o 3 месяца назад +1

    練度が高い連隊は良いが、航空機偵察と航空機攻撃及び艦砲射撃をする、定石無視と海軍との連携無視をした作戦参謀の責任は重大であろう。

  • @ロッキー嶋本
    @ロッキー嶋本 8 месяцев назад +1

    海軍の無謀な(仕組まれた)が招いた悲劇‼️

  • @sibbikku
    @sibbikku Год назад +11

    一木清直大佐はクラシックを嗜み、蓄音器でレコードをよく聞いていたようです。猪突猛進とは正反対の軍人であり、軍人としては精悍ではあれ温厚篤実であったと言われてます。但し、盧溝橋事件では牟田口廉也連隊長からの命令で実弾発砲を実施する事を回避したかったようですが、命令が間違いないかと問い質してみたり牟田口廉也大佐に反抗する姿勢であったことも事実です。一木大佐を貶める動画内容で救われました。

    • @flashnewlight1075
      @flashnewlight1075 Год назад +1

      部下にも慕われていたみたいですね。

    • @sibbikku
      @sibbikku Год назад

      @@flashnewlight1075 様                                旭川出立前には「お前たち28連隊は日露戦争以来日本一精強な兵士だと」鼓舞していたようです。兵隊にとって戦地に向かうことは戦死する事とは覚悟できていたもののミッドウェー占領部隊になるとはこの時は知りませんでした。中川での絶望的な戦闘で包囲殲滅のさなか軍旗の菊のご紋章だけは敵に渡すわけにはいかないからと脱出命令と同時に託したのです。軍旗自体は203高地でのぼろきれで旗と言うよりも房とご紋章だけの代物でした。おそらくは大勢の兵士の死を嘆き自らの責任を果たしたかったのかも知れません。階級章も外して若い兵士を中心に脱出命令です。大佐以下は完全に戦車に包囲され個人豪ごと踏みつぶされたのかも知れません。軍旗の房部分はかさばるので大佐の優しい配慮で菊のご紋章だったのかも知れません。

    • @sibbikku
      @sibbikku Год назад +4

      @@flashnewlight1075 様                                                                                                                    一木大佐は盧溝橋事件に直接関与してますが、牟田口廉也連隊長からの命令で本人は回避を図ってます。ご家族にも優しく慈愛に満ちたお人柄で猪突猛進の無能な指揮官ではなかったようです。17軍参謀長からの注意事項も、後に大本営が無視した上で矛盾し誤った情報と指示で軽装備で駆逐艦にて急遽派遣し、武器弾薬も輸送船に残置。3度に渡る斥侯隊も全滅し戦車と対地上攻撃機で留めを刺されたのですが、一発撃てば千倍の反撃で、人力搬送の弾薬では白兵戦しかなかったのかもしれません。選抜された決死隊【当時の自称】ですから兵隊は死を恐れず命令通り奮戦されたようです。僅か10分で打ち尽くす機関銃弾と擲弾筒弾ですから。ごく一部の兵隊には単眼鏡付きの数少ない99式歩兵銃も装備されていたようですが、狙撃ではなく肉弾戦では38式と代り映えしなかったそうです。8月21日が命日ですが8月20日に慰霊祭が執り行われてました。一木大佐をしのんでいる遺族会は大佐のお嬢様をお招きし心打たれる交流もありました。又読売新聞の記者の方々のご苦労もあり実現されたのかも。

    • @flashnewlight1075
      @flashnewlight1075 Год назад

      @@sibbikku
      大変、勉強になりました。
      次世代に語り継がないといけないストーリーですね。

    • @sibbikku
      @sibbikku Год назад +3

      @@oisii.banana 立派な将校であり無能じゃないはずです。人格者で部下から尊敬され慕われていたそうです。命令に忠実で歩兵操典で決められた通り後退や撤退することなく最後の一兵になるまで指揮されていたのではないかと。牟田口閣下とは無関係です。

  • @waiha-tomotaro5528
    @waiha-tomotaro5528 9 месяцев назад +2

    もし当時で行えるとしたら、偵察隊を50名ほど上陸させて、現地の地図と敵陣地の場所、野砲陣地の場所を調査してから 
    数日の空爆(動画で言うと砂州の部分) → 大部隊の上陸 → 夜間の艦砲射撃(やっぱ砂州の部分) → 夜間の銃剣突撃
    ですかね

  • @satumahayato7579
    @satumahayato7579 Год назад +12

    無能な海軍の尻拭いをした陸軍がかわいそう

    • @sushi-love
      @sushi-love Год назад

      ほんと海軍は予算の半分以上をとって何もできなかった。保有戦力的にはもっとアメリカとやれたはず。現実は艦を失う事を恐れて何もしなかった。そして末期にはエアカバーなく生きる的であり巨大棺桶となった。狙うは戦闘艦のみとかいうジョークの組織それが日本海軍。

    • @sibbikku
      @sibbikku Год назад +4

      原隊が全滅しても後続部隊に編入され総攻撃を繰り返しても米軍陣地は強固になり仙台第二師団攻撃時には敵陣に接近することも困難になったそうです。匍匐前進で敵陣地に接近するころには60名中5名程度が生存し九割が脱落ぢていたようです。無傷なわけはなく肩や腕には銃弾が当たり夜明けとともに敵戦車に踏みつぶされる運命でした。敗残兵も歩兵銃を放棄する者が多くなりマラリアが蔓延し栄養不良の中で高熱に。戦死よりも戦病死の方が多かったようです。最初のうちは煙を上げて米軍の砲撃で椰子の実を入手。牛も狙撃で入手、アリも食したり海岸ではヤシガニ。時間経過と共に何も手に入らなくなり餓死が進行しました。インドネシア人義勇兵もヤシの木の芽を掘り起し煮炊きして食してましたが日本兵に対して「日本の軍艦、いつ来る~⁇」と不満を訴えていたようです。

  • @アキ-z1z
    @アキ-z1z 5 месяцев назад +2

    あまりにも、敵を見下していた、相手を知らなすぎる!

  • @三好三人衆-y1x
    @三好三人衆-y1x Год назад +18

    な~んで、機銃陣地でガン待ちしている相手にバカスカ攻撃を続けることに皆、いつも疑問を抱くだろうが、当時の帝国陸軍の戦闘教範では「一度攻撃を決心したら、士気の観点から作戦を変えるべきではない」とされている。そして一木大佐は帝国陸軍の教官として優秀な人物でもある。その為、教範に従い今回の様な自殺に等しい突撃であっても攻撃を続けてしまう。この結果は一木大佐の指揮能力や判断力の欠如とか一木大佐の個人的な問題ではなく、攻撃こそ至高と教えている帝国陸軍と云う組織的なの問題であり落ち度。それには帝国陸軍の本音と建前があって、建前上攻撃が至高としているが、本音としては支那の様な格下国家なら攻撃はOK。でも、ソ連やアメリカ等と云った格上国家は勘弁な‼って事は口が裂けても言えないからこんな事になる。
    長期戦や消耗戦なんかは国力の乏しい当時の日本では論外。よって、極端なまでの攻撃主義が重用される。陸軍学校でも攻撃と包囲戦が評価され、その他諸々が蔑ろにされる。
    それにより教本通りの攻撃に拘り、包囲戦にも固執する。大陸戦の戦訓と成功体験に加えて勝利病が輪をかけて戦い方を酷くしている。

    • @sibbikku
      @sibbikku Год назад +1

      一木大佐の評価は辻参謀がレッテルを張っているのではないかと考えています。第17軍隷下前に大本営直属部隊であり大本営命令でガ島変針でグアムを内地に向けて出港北上から南下。敵兵力は二千で逃亡中か見込みの情報を受信。又ガ島直行から駆逐艦に乗り換えも通知され編成作業で混乱したと言われてます。第一次上陸部隊は決死隊と命名され選抜基準は各小隊長が特に精鋭な兵士を選んだそうです。選ばれた兵士も敵前上陸を前に悲壮感はあっても驕ることはなかったと言います。無血上陸を奇跡と喜び飛行場に向かうも夜間いきなりの遭遇戦から滝のような弾幕で圧倒されたそうです。日本軍不利の中でも大佐の指揮通り統制された攻撃を仕掛けたのは立派。一木大佐も戦車部隊が配備されていたり、高射砲部隊が水平射撃していたり、敵陣地機銃座が要塞化等々絶望的な状況でも手を尽くされたようです。一木大佐の悪評は再評価して払拭すべきと考えているのですが、今回とても嬉しくご高説を拝読し、納得しています。

    • @bonered9210
      @bonered9210 Год назад +1

      上陸、索敵、すぐに攻撃が日本陸軍のやりかたですね。

  • @nekonohige2
    @nekonohige2 Год назад +5

    精鋭部隊をこんな形で全滅させるとは、もったいないの極み。当時の軍指導者は、近代戦がどのようなものか理解していなかったのでは? 信じられない話だが。

  • @薩摩楓-f7i
    @薩摩楓-f7i Год назад +5

    武田信玄の大勝するのは悪いことで負けないことを意識することを徹底したのがいかに大切かがよく分かる 
    優秀な人をそばに置きすぎても組織としては尖りすぎて脆くなる 日本軍の組織としての脆さが出た戦訓ですね 勇猛果敢な将官というのも味方を全滅させるのかもしれない

    • @kurimanbou
      @kurimanbou Год назад +1

      信玄の息子の勝頼が武田家全盛期に初陣や家督相続を経験して、撤退戦等の苦しい経験やあえて退く経験をあまりしてなかった故に攻勢一辺倒な当主になってしまった、って評価もありますしね••••😅

  • @林清英-d6k
    @林清英-d6k 8 месяцев назад +1

    先遣隊である以上行動が急がれる、
    行軍即戦闘、悪いことに斥候に出した小隊が全滅してしまったこれに驚いた支隊長は戦力の弱体化を恐れその後は詳しく調査する事なく突入するしか方法が無かった
    頑強な米軍の防御陣地の正面に突撃する事になるとは夢にも思わなかったのではないか?!😓😓😓

  • @ミリタリー親父
    @ミリタリー親父 9 месяцев назад +2

    銃剣突撃で機関銃や重火器に勝てると思う日本陸軍の時代錯誤

  • @tksjp6676
    @tksjp6676 8 месяцев назад

    19:20
    ここら辺の状況(素手同然で敵の機銃陣地に殴り込みでバタバタ死んでいく)って第二次上海事変とほぼおなじね。
    違うのは日本からの補給路が閉ざされてないことと後続の味方部隊が次々現れること。
    補給路が閉ざされてなくて後続の味方部隊が存在してたらガダルカナルも勝ってたよ

  • @Yamada_go_
    @Yamada_go_ Год назад +1

    素晴らしい

  • @キララ-g7y
    @キララ-g7y 3 месяца назад +1

    87歳の祖父が「日本軍の根性不足」と言ってる。認知症で事故を起こした時も車のせいにしてる。

  • @キャプテンアメリカン-r6c

    北鎮部隊か

  • @koh631
    @koh631 Год назад +8

    勝利病 💡 用意周到 & 戦力有利で 勝てたハワイ & 南方 作戦から 生じた油断 伝統の精神論で 失われた兵が哀れでしかない m(__)m 分かりやすい動画ですね🎵

  • @鈴木貴司-t9p
    @鈴木貴司-t9p Год назад +5

    これは序章にすぎなかった。
    後に米軍は最終防護射撃で第二師団の2個連隊を溶かす。

  • @野口和伸
    @野口和伸 Год назад +1

    どの戦いでも陣地戦は相手より倍する兵力と相手方の弱点を見付けなければならない…
    航空や海上からの支援が無かったのも…
    唯一、海軍だけがこの時点で互角でしたからね。
    航空戦力は継戦能力なく(距離と日中のみ)、支援は難しかった様で…
    消耗戦ほど日本に辛いものはない。

  • @佐藤晋作-f7g
    @佐藤晋作-f7g 7 месяцев назад +1

    突貫攻撃は勇猛果敢で敵兵の戦意を挫く効果もあるとは思うがこの頃の軍の装備は最早白兵戦で制圧出来る物では無いとね、犠牲が多くとも突貫で何とかなるのは日露戦争迄だよな( ´△`)

  • @tokeny1pz341
    @tokeny1pz341 Год назад +3

    イル川があるということは真水は確保可能だが川近くに行ったらワニなどに襲われたり仮に飲めたとしても赤痢になったということか?

    • @kobabim9903
      @kobabim9903 Год назад

      ガダルカナル・aligator creekでグーグルマップを見ると現在の現地の地形が見れますけど、川はいっぱいありますね。また流れる川がある場合、一般的には赤痢のリスクは低めでしょう(赤痢菌は人間とサルにしか寄生せず、感染者に触れたり、感染者の触った食べ物を食べたりすることで感染する性質ですから、たまった水とかが危険です)。むしろ蚊を媒介するマラリアとかデング熱とかが脅威かと。ワニは、クロコダイルという大型のワニが生息しているので大変危険ですが、武装した兵士に取ってはむしろ食料源では。

    • @panzergrenadier882
      @panzergrenadier882 Год назад +8

      川の水は生水であり真水は手に入りません。
      生水を飲むと大変なことになります。

    • @mop09drg
      @mop09drg 8 месяцев назад

      煮沸くらいするでしょ

  • @早部健
    @早部健 9 месяцев назад +1

    一気に死体悲劇の部隊

  • @gaoyangguo8947
    @gaoyangguo8947 Год назад +2

    アメリカ海兵隊は精鋭で、しかも日本軍は海戦に失敗し、後方勤務に問題があった

  • @ROSAHACHI25
    @ROSAHACHI25 3 часа назад

    この戦いは日本陸軍がアメリカ兵は白兵突撃するとすぐに降伏すると思い込んでいた驕りから、敵の防衛陣地を威力偵察して観察してから作戦を立てるという初歩的な行動すら軽視した支隊長以下の幕僚の驕りの結果の最悪事象。
    元々先遣隊の任務は日本軍の後続部隊の上陸地点を確保することで、米軍の撃退など任務には無かったのに、早く攻めないと米軍が撤退してしまうと誤った認識で功を焦って自滅してしまった非常に悪い例。
    そして退路を確保することなく焦って攻めてばかりで退路を遮断されてしまう悪手ばかり。
    この教訓が生かされなかったのがインパール作戦。
    ガ島から命からがら逃げてきた歩兵124連隊の北関東の兵士は再び地獄のインパールに送り込まれるという悲劇を生んでいますね。

  • @DELLSEEKA
    @DELLSEEKA 9 месяцев назад +2

    思い込み、決め付けから来る情報収集を疎かにする行為が、陸海軍首脳部共通の愚行。

  • @真一岩間
    @真一岩間 Год назад +4

    いちきで正しいのですよ

  • @hoshhosh5140
    @hoshhosh5140 Год назад +3

    ほぼ全滅状態なのにやけに詳細な資料だ

  • @某子
    @某子 9 месяцев назад +4

    まず変な作戦ばかり立てる無能な
    大本営の連中を撃たないと駄目

  • @doraemonnobita2730
    @doraemonnobita2730 8 месяцев назад +1

    まぁフィリピンの米軍は植民地軍でフルの正規師団はいなかったわけだからなぁ。で、練度・装備十分で志願兵(海兵隊だからな)から構成された正規の米師団と史上初めて戦ったわけで、迫撃砲程度の砲兵火力しかなく無線装備もほとんどなく練度・装備が劣悪でおまけに撤退戦略をとる中国軍と連戦連勝して優越感に浸っていた対米装備比較では劣悪の帝国陸軍が激突して撤退時期の判断ミスで包囲殲滅を喰らっただけの話だよな。結構な戦力的劣勢でも攻撃を続ければ中国大陸での経験則で相手は逃げていくという感覚だったんだろうな。しかし相手は志願兵で後退余地のない島嶼での戦闘だったわけだし、後続も追加されてフルの一木支隊でも、決定的な撤退時期の判断ミスは同じだったろうし包囲殲滅される結果は変らなかったと思うがな。それにしても現地での生き残り部隊もいて米軍上陸から1週間過ぎているのに、そして制空権すら一部確保できていたのに敵戦力を1/5程度に見積もるってさ無能の程度が凄すぎるし一木支隊壊滅の責任を上層部では誰一人取っていないんだよな、アメリカ軍の指揮系統はそのへんの責任追及なんかははっきりしているけどな。同じ戦力を持っていても日本はアメリカに負けたろうなシステムでよ、と一部では言われているのがわかるよな。

  • @tmge6l6l6l
    @tmge6l6l6l 4 месяца назад +1

    がとうの詳細な地図も無く
    送り込まれた したいさんたちの
    冥福をお祈りします。
    それよりも
    もっと
    ひどいのはやはり
    ニューギニアですよね。
    イケイケムードで成り行き任せだった
    結果です。
    我々の子孫に永遠の教訓として残してゆくべきでしょう。

  • @akkun-rq2nw
    @akkun-rq2nw 4 месяца назад

    とにかく一木大佐はじめ一木支隊の今までの戦史の内容の変更と名誉回復を願います。将校斥候を全滅した時点で確認の無電送っていたのだから。せめて悲劇の部隊と戦史書き換えてほしい。

  • @ujinuno7311
    @ujinuno7311 4 месяца назад

    ガ島に行けなくて命が助かった人の話。主計将校だった人が言うに
    隊長が今度の敵は強い、俺たちは皆死ぬだろう。君は主計だから
    残りなさいと言ったのでガ島に行けなかった。その後隊長以下全員
    戦死だったとか。グアム島いたときの話で隊長が誰かも聞いていない。

  • @52364
    @52364 Год назад +1

    兵、下士官<下級将校<上級将校<参謀<将軍、の順で無能化する日本人的組織の問題点。日本兵は我々の指揮下で戦えば最強だろうとは後のマ司令官の感想。

  • @太郎猫-n6m
    @太郎猫-n6m Год назад +1

    勝利病ね😅俺もちょっと株や競馬に勝つと自分には才能があると勘違いして痛い目に会いました😭

  • @おにぎり-e7g
    @おにぎり-e7g 8 месяцев назад

    19:28 銃弾は沢山あるのに、いきなり「銃剣突撃」だもんなぁ・・・
    自衛隊も「銃剣道」や
    5種類の「匍匐前進」に異常なまでに拘っているし (´・ω・`)

  • @ma24dm38
    @ma24dm38 9 месяцев назад +2

    軍官僚の愚策により戦力を無駄にすり減らした、精神論ばかりで火力を重視しない愚かな作戦、一木支隊が可哀想過ぎる、加えて兵站も無視、海軍との緊密な連携もない。

  • @admiral-117
    @admiral-117 Год назад +3

    序盤の戦いが素晴らしいな!やはり陸軍最強の精鋭だったんだな、正確な情報が得られなかったのと自分たちの力を過信しすぎたのが敗因だな、無念だったろう✨🌸🇯🇵⛩️🙌✨

  • @コクヨかパイロットか
    @コクヨかパイロットか Год назад +1

    本件と関係はないけどこういうような資料も大切だよという例で。ドイツ兵の日記(解説は全て英語だが聞き取りやすい)
    ruclips.net/video/a1QB0voUsxM/видео.htmlsi=HCbO0HlFUdPe7FF_

  • @田中三-p7l
    @田中三-p7l 7 месяцев назад

    ガダルカナル島と言えば 有名だけど、その位置を正確に知っている 日本人がどれほどいるのか。

  • @櫻井孝俊
    @櫻井孝俊 Год назад +5

    一木大佐が悪いのではなくて陸海軍のトップたちが頭の中フラワーガーデンだったのが悪かった。

  • @明日の晩ごはん-o9w
    @明日の晩ごはん-o9w 8 месяцев назад +2

    勝算の最終判断が根性論で勝てるわけなかろ。後ろから天皇陛下の御旗という銃剣を突きつけられて前進するしか無かったご先祖様達の無念はいくばかりか。

  • @ak47ja
    @ak47ja Год назад +3

    正に奢ったイノシシ。部下は優秀なのに指揮官が無能すぎて見ているのがつらい。

    • @tksjp6676
      @tksjp6676 Год назад

      部下も奢った無能でしたとさ

  • @タコ焼き次郎
    @タコ焼き次郎 4 месяца назад

    白兵突撃より
    火力を重視せよ。
    精神力だけでは対抗
    出来ない。
    参謀は独善的傲りを
    捨てよ。
    日本軍の致命的欠陥を
    最後まで修正されることは
    なかった。

  • @白狐姫
    @白狐姫 Год назад +4

    一木の発音はいちきではなく、いっきですよ。

  • @hiro9812
    @hiro9812 10 месяцев назад +1

    この動画の戦闘シーンを見ていると日本軍の作戦を立てた上層部に腹が立ってきて、見るのをやめた。

  • @じゃがいも-n8j
    @じゃがいも-n8j Год назад +1

    陸海の溝と、典型的権威主義A◯◯D型利己強すぎエリートタイプのキの字が基盤有利となる苛烈すぎた兵学校による人選の災い、としか。

  • @lako6875
    @lako6875 9 месяцев назад +1

    米軍が餓島飛行場に上陸占領する数日前、ラバウルからゼロ戦小隊が装具一式を座席後方に
    積んで完成直前の飛行場に飛来し、離着陸の具合を調べて良ければそのまま前進基地とし、
    その小隊が常駐するはずであった。しかし、その小隊長は寝起場が葉拭き屋根と床寝の余りの簡素な仮宿舎に呆れ、こんな兵階級を無視した処に居られるかとラバウルへ戻ってしまった。もしそのゼロ戦小隊がそのまま飛行場で活動していれば…。
    と何処かで読んだ事があるけど、何方か裏付ありや?

  • @juliuscaesar2565
    @juliuscaesar2565 Год назад +5

    日本には優秀な軽機関銃と速射砲があったのに、なんで夜間白兵戦に固執したのかな? 不思議だ?

    • @ソニー株主
      @ソニー株主 Год назад +6

      米軍には優秀なM1919とM116榴弾砲があるから

    • @Hachiju-nana_87_jp
      @Hachiju-nana_87_jp Год назад +4

      それを使うのに必要な弾薬が足りないというお粗末な話

  • @ミリタリー親父
    @ミリタリー親父 Год назад +2

    陸軍は自分達が最強と勘違いしアメリカ軍を甘くみた結果、孫子の兵法を知らず戦う悲劇。

  • @砂姫婆酒樽
    @砂姫婆酒樽 Год назад +2

    鎌倉武士以来
    昭和まで
    兵は世界最強の精鋭であった
    違いは内憂の有無である