【お城紹介】「岐阜城」織田信長が好んだ古く高すぎる山城 織田VS斉藤「稲葉山城の戦い」

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  • Опубликовано: 16 сен 2024
  • 次回は【岐阜城】ふもとの居館について紹介する予定です。
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    戦国の革命児織田信長。独特の価値観を持ち内政・合戦、城づくりなどにおいて、古い習慣にとらわれず「新しいモノ」を創り出しました。信長最後の居城となった安土城には独特の形をした五層の天主がそびえ、城下を行き交う人々を驚かせました。まだ尾張の小大名だった若き信長は、隣国美濃を攻略するために小牧山城を築きましたが、美濃の大名斉藤氏は稲葉山城を拠点に何年間も信長の攻撃を阻み続けました。苦労して稲葉山城を手に入れた信長は、この地で小牧山とはまた違う新しい城づくりを行います。
    尾張の織田家と美濃の齊藤家は、信長の父信秀の代にも争いを続けていましたが、やがて両家は和睦・同盟し、齊藤道三の娘-帰蝶(濃姫)は信長に嫁ぎます。マムシとよばれた道三と信長は「義理の親子」ということになりますね。道三は若き信長の力量を認めていたようで、二人の関係は変わり者どうしなかなか良好だったのだと思われます。しばらくして斉藤家に内紛が勃発。道三は息子義龍と対立し、長良川のほとり(1556)で討ち取られてしまいます。道三が「美濃を信長に譲る」と言い放ったというドラマティックな話もありますが、織田家と斉藤家は再び対立することになるのです。

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