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改めて、祖先様達が紡いできた後世に繋ぐ想いが大変伝わってくる内容でした。答えが書物として遺っているわけではないのに、事実の点と点を結び母国語で深く読み解くことで腑に落ちる。秀逸です。ありがとうございました。
むすび大学は学びがスゴイ!小名木先生の頭の中はいったいどうなっているんでしょうか。 知識の宝庫です。無料で学べるんですよ! 観なくてどうするんですか! もったいない!
静岡市出身のものです。市内に「谷津山 やつやま」とか「草薙 くさなぎ」などの地名があるのを日常的にみて、「上足洗 かみーあしあらい」というところで育ちました。上足洗・下足洗というのは神話のだいだらぼっちに関係あると聞いたことがありますが、名古屋の熱田神宮に草薙の剣があると知ったのは中学生の頃だったと記憶しています。地名に残された古人の想いを考えると、数十世紀にわたって受け継いできたものの重みを感じます。
ドラマチックなお話ですね❣️心が温かく熱くなりました。祖先の繋いでくれた愛を受け止め、伝えていきたいな、と思いました。ありがとうございますっっ☺️🙏
ヤマタノオロチの話は、今まで聞いてきたどの話よりも納得できました。なるほど!
先人がつけた土地の名前を 現代人の都合で変えてしまうことに懸念をいだいていたが 今回の動画でその気持ちを新たにした土地だけやなく 山・川の名前などもたどっていけば その地域の歴史や埋もれた史実が浮かび上がってくる!それを知った時の面白さは何物にも代えがたい!!
本当にそうです。先人いえ昭和の生まれで自分自身学歴もない物ですが富士山の噴火の時この花咲や姫さまと付き人とが飛び込んで火布施をなさった事当時の天皇さまがあめのににぎの命さまで火布施の神さまと言われていたそうですね。実はこの花咲や姫さまの御両親もおおやまぶしの命さまで神さまだったと聞きます。当時天皇さまに嘘を取り次ぐ人間が居て大変な思いなさったこの花咲や姫さまと岩長姫さまご姉妹仲が良くて。岩長姫さまも美しい方でお顔が丸型でこの花咲や姫さまは面長で絶世の美人と言われていたそうです。私は富士山が好きですが山梨のそれを知っている昔の人々は絶対のぼらない様にしていますよ。トイレによって汚さない事を守って居るので霊峰富士崇めてます。持ちろん山梨県出身だから。恐れ大い事です。
今までで一番腑に落ちる解釈でした!先人達が子孫達に、みんなで幸せに暮らせるようにお手本として残してくれた書物であること、改めて感じました✨♥️❤️🔥それを現代の子孫の私達が、しっかりと受け取れる知恵がなくなってしまっていることに、猛反省するとともに、子どもたちに伝えていきたいと思います!❣️
ありがとうごぁいました。ためになりました。感謝いたします。
分かりやすく楽しい講義です。イヨの二名島の四国徳島県には式内社の天村雲(アメノムラクモ)神社があります。徳島県板野郡上板町高瀬周辺は古くには「高志」(タカシ)という地名でした。吉野川は暴れ川でした。大嘗祭は阿波忌部
いつも興味が沸く事実を教えてくださりありがとうございます。
素晴らしい講義でした!ありがとうございました😊
なんか少しだけ頭がよくなったような気がします。ありがとうございました。
素晴らしい、氷川神社・斐川関係紹介動画、有難うございます☀️大宮・氷川神社の祭神・スサノオ、出雲系の系譜の由来、得心出来ました💡利根川付け替えの伊奈忠次が、氷川神社を縁起したのですね。有難うございました。
有難う御座います♪
八岐大蛇から草薙剣が出てきたことも、納得できました。
とても面白い講義でした。
【須佐能之命は農業土木集団】 と言うことは。須佐能の尊は、農業土木技術をもつ技術者またはそれを束ねる頭で、それ自体が職人集団で在ったのかもしれませんね。危険が付き物の土方仕事の親方の現場での外向きの顔は、荒ぶる上で現場の統括を行なう様に見えることが在ります。危険を把握し、土木工事の物理限界を見極めて工事を進行する姿は、その視点が理解出来ない人足には只々恐ろしい存在だったことでしょう。 このヤマタノオロチが史実で箸の逸話も同時期だとすると、いったい何時頃のことだったのでしょうね。少なくともこの神話を伝承した群れの家系は箸を識っていたことに成ります。箸は大陸よりとは言われていますが、煮炊き文化を初めた地に、煮炊きした熱い食べものを手掴みで食べる等、普通では在りません。最低でも串は自然発生したでしょうし、一本より二本の串が安定して熱い食物を扱えることが判っていたものかと思います。元々、稲作も生米をそのまま食せばお腹を壊すとも言われますから、煮炊きする文化が合わさって初めて実現する高度な文化なのです。何でも自己の占拠地の遺跡や記述を以って文化起源を語る個の願望が歴史の本体と成る今のヒトの群れとは、一線を画して考察することは大切なことの様に思います。 須佐能之命の伝説は、その文化的出自が海人族系統ではなく、労働集約型農業に在ったことを明示しています。同時に鉄の活用をも暗示しているとするなら、人類史は大きく変わりますね。 また、天照大神を太陽と結び付けるなら、これは、太陽の運行を把握し、それから季節変動を予測する技能を持った集団で在ったことを意味しているのであって、その知識が極めて大きな恩恵を与えたことで上座に据える存在とし「上」と呼ばれ、後に「神」の文字が当てられたのではないでしょうか。ヤマタノオロチ伝説は毎年の水害の予測が立つ文明下でなければ、産まれない逸話だったかもしれません。 更に「日」をヒ読むのは一番初めのことの「一」を意味していることも多いかと思います。ヒカワは「一の川」つまり一番問題の川との意味で在った可能性が在ります。盆地と言えば大分に「日田盆地」があります。古代には、木々も茂る林の中を川が蛇行し三日月湖を多数生成する天然の水田と成った所だったのかもしれません。日田も「一の田んぼ」で初めての田んぼの意味で在ったのかもしれません。「日向」は今では「ひゅうが」と読みますが「ひなた」との読みも存在し、筑前の伊都国の山側には「日向峠」の地名が遺っています。初めの開墾地の田んぼが地名の由来だったのかもしれません。 海人族の営みかせ発生した月齢と潮の満干期を結びつけた太陰暦に星座の変化を加えた大まかな季節への対応で良かった太陽の北回帰線以南での生業が、温暖化により北に移動した時、夏至や冬至、立春や立冬の記述の付加は、当初、海人族の季節風の予測として航海術の中で発達したものだったかもしれませんが、広域の農業生産の安定に有効だったから、産まれたものかと思います。熱帯では、稲穂からこぼれ落ちた籾が芽吹く形のみで一年中実りますが、日本列島などの中緯度に至っては、「労働集約型農業」とすることが、安定生産の道でした。欧米史観では「太陽暦」を「太陽神信仰」としてしまいますが傍目はともかく、中身は科学技術で文明なのです。日本の神社の由来は、そんな技術的恩恵を祀り記憶したり、天変地異から来る災害の惨禍を縁起として伝える目的で祀り問題認識をつないで来た、実に科学的な行ないだったと自分は想っています。日本の信仰は宗教色は在りません。自然との対話が根本に在るだけです。天照大神を祀るのも、日本人の受継ぐ文明の痕跡なのかと思います。大陸なら、一・二世代で人が入替りリセットされ消えて終わっています。日本だから今でも生活の中に遺っているのです。
この独り芝居は意外に面白い
大変面白い!
草薙の剣を手に入れた事から、製鉄に関係あると聞きます。餅鉄を利用したたたら製鉄だったのですね。オロチは水害が多い土地で暴れる川を治水した伝承なのですね。勉強に成ります。
有難う御座います!
最近 正統竹内文書を考察してるRUclipsrの影響で、神社について調べてて 埼玉に須佐之男命を御祭神とした氷川神社が多くあり なぜ氷川?どういう関係?っと思ってたので 小名木先生の解説でスッキリしました!! 今週末行こうと思ってたので、今回の動画に出会えて良かったです!
2014年8月、広島市安佐南区で起きた水害の土井の名前は「蛇落地悪谷」といかにもな名前の土地だったそうな八岐大蛇の名前の由来や出来事を知って納得しました
ほぉー(感心)はじめて知りました。今は地名が紆余曲折して変わっていても、古い地名を伝承する意義ありますね。
ひら?ん?る
る
Muito interessante, muito boa interpretação da Mitologia e Escritura Antiga. PARABÉNS
オロチ退治の仕方が、鉱害対策と治水工事仕方だと聞いた事がありました。8つの門(水門)を作り、八塩折之酒の壺が鉱害の沈殿池で、八重の生垣が砂防ダムや堤防だと言う話だった。
スサノオ様は治水工事をなさっていたのですね…!しかも爪を剥がされた状態で…とても勉強になりました。小名木先生ありがとうございます。
アシナツチ、テナツチの「ツチ」は「槌」ではないかと思います。要するに鉄を鍛える時に使う槌(つち)のことで、足を使って打つ槌と手で打つ槌ということではないかと思います。確か、宮下文書にそういう記述があったように思います。
なるほどです…(・ω・`)
草薙の剣はそこのたたら製鉄で造られたということですね 製鉄も日本の技術だった 武士が現れる前から強かったから今の日本があるのですね 先生ありがとうございます。
大変面白く。勉強になります。シェアさせていただきます。
八=沢山の 「八紘一宇」を思い出しました。本日も勉強になりました。有難うございました(^^)
世界でも希少な言語である日本語で日本最古の歌を歌ったスサノオが日本人じゃないって論調が不思議です魏志倭人伝でも日本語についての記述で”はい”と返事をしたという記述があると見たことがあるのですが、本当なら日本語が完成した時代がいつなのか気になります
おもしろかった。日本のすばらしさの再確認。
その和歌の起源は、松江市佐草町にある八重垣神社だと思います。”オロチから稲田姫を隠すため、奥の院の大杉の回りに八重の垣根を作った。”八重垣神社の祭神はスサノオノミコトの息子、青幡(畑)佐久佐日古命(佐草宮司先祖神)です。八重垣神社にその和歌が飾ってあります。松江市や安来市周辺に多い姓、秦と幡(畑)と関係があるかもしれませんね。BC3世紀頃、秦の徐福一行(日本に稲作や養蚕技術を伝えた)が和歌山県新宮市の徐福神社本宮(数派に別れ、また、別々の海流に乗って日本各地に上陸した地点に徐福神社があります。)付近に上陸した説があります。秦から来た人々が秦姓を名乗り、のちに大和朝廷の有力豪族の秦氏にもなったのでしょう。当時から紀州と出雲は熊野古道(?)を通じて人の往来があり、秦氏が松江周辺にも移住したかもしれない。松江市の近くの八雲町の奥の熊野町(奥出雲に近い)に熊野大社があります。紀州の熊野大社と奥出雲の熊野大社は古来より交流があったようです。ヤマタノオロチ伝説とラフカディオハーンの怪談集(出雲周辺に伝承されて来た民話が元)に共通点があるように思う。民衆に解りやすい様に方便を使って、様々な教訓や知恵を教えたのでしょう。又、松江城を作るときに人柱(若い娘)を埋めたそうです。つまり、ヤマタノオロチ同様、古来、自然の神を鎮める為に人柱を埋める習慣があったのでしょう。稲田姫は人柱候補だったかも。。。信州の諏訪地域の縄文人たちに稲作を伝えたのも、大国主命の息子神でした。意外と日本の稲作は、徐福(弥生人)ー>縄文人の出雲王朝ー>日本全国に広まったかもしれません。出雲大社と諏訪大社もつながりがある。また、出雲周辺に諏訪姓が多い。信州と出雲も古来より、人の交流があったのでしょう。斐伊川と氷川の繋がりが出雲が起源だったとは、初めて知りました。今住んでいる(埼玉)歩いて5分のところにも氷川神社があります。また、回りの畑の脇道にスサノオノミコトを祭る祠があります。スサノオノミコトは日本全国で、農業神として祀られていたんですね。
ヤマタノオロチの比定地は斐伊川だけじゃなくて、あの地方一帯の河川だという話しもあるが、昔のことだからどこの河川も氾濫しただろう。その河川の周辺で砂鉄冶金をしていた集落がたくさんあってそれをヤマタノオロチと呼んだ。ヤマタノオロチを倒して草薙剣を取り出しのは、砂鉄冶金の部落を制圧して新しいたたら技術でより強固な製鉄ができるようになったことを意味する。
地元のひか様に参拝したくなった。昨日お参り行ったけど
製鉄の歴史もいつかやってもらいたいです金屋子さんのお話とか
ヤマタノオロチのお話し大好きです。これに決定します。( ´艸`)
たたら場による森林伐採からの土石流。なるほど。。。。熱海の土石流の映像が赤っぽい土砂だったら令和でもオロチに見えたかもしれませんね。311の津波の映像も怪物じみた恐ろしさを感じました。当時のたたら場の人達にとってはまさに梅雨の時期にやってくるあらがいようの無い怪物だったんでしょうね。
ネヅさんの小芝居、笑えるw
ありがとうございました。日本の歴史を学ぶと日本人で良かったと思えることが沢山あって、現代の糞教科書を一生懸命に学ばなくて良かったです笑
👍️晴れ🌈😊
矢張り山火事では無理です。たたらとはフイゴ 燃料は炭でようやく低温で純度の高い鉄を得られます。生木に比べれば遥かに燃焼温度の高い炭です。マグマは鉄なので吹き出し川を流れ研磨されたのが餅鉄でしょう。餅鉄も純度は低いようです。砂鉄同様に刀等のが材料に用いてたようですね。オロチが川は納得、更にオッポから出てきた剣にも納得出来ました。
想像ですが、山での火災であれば上昇気流で風が呼び込まれ消火活動も無く山の木々が焼き尽くされるまで放置されるほどの大規模な火災、であれば・・
@@hrkam7 また何かの折にコメントしようと思いますが、溶解温度の低い鋳鉄でも1300℃は必要です。木炭の燃焼温度では少し足らずフイゴでブースト掛けてようやく溶けます。生木の燃焼温度は1000℃にも満たず700から800℃程度でしょう。風に煽られても無理です。日本の木炭製造技術は世界一でその歴史は不明な程に古いのです。日本には青銅器を使った歴史が無い、だって鉄器はもっと古くからあったのだから。そんな風に思ってます。
四国徳島県説をおしてます!
大山✨😭✨
いつも拝見させて貰ってます!20代前半です! ツクヨミノミコトの話があまり聞いた事ないのですが、何かありますか?是非取り上げて欲しいです🌕
ヤマタノオロチを頭が八つある大蛇とか、斐伊川が大蛇に見えたような説明をされる方が多いですが、スサノオの時代において漢字は表意文字より表音文字として捉えるべきではないかと思います。ヤマタノオロチを退治した十束剣は、その後岡山の石上布都魂神社をへて、現在は奈良県の石上神宮に納められています。スサノオの敵が人間だったからこそ、相手を斃した剣と、相手から奪い取った剣が現在も存在しているのであり、現実のヤマタノオロチは『山田に住んでいるオロチさん』だったのではないでしょうか。あの地域には山田という地名が方々にあります。年間を通じて雨が多く、「弁当忘れても傘忘れるな」と言われる山陰地方の大昔はまさにジャングル地帯で、縄文時代の人々は山の上の方に住んでおり、樋口清之先生の 中国では耕して天に到るが、日本では山の上から下へ開墾していった という説が正しいように思われます。
夕暮れ以降に爪を切ることはいけない事と昔から言われてますが、これはスサノオの命が爪を抜かれたのが夕暮れの頃だったからだと言われているからです
文禄慶長の役も詳しく説明をお願いします‼
長嶋茂雄は背番号3だけでローマ字表記のNAGASIMAがないユニフォームが自然に感じる感じだなぁ😃須佐皇尊は、そんな感じなんだろうな✨
万葉集の最初の歌。雄略天皇が娘に「名前を名乗れ」といったシーンを思いだしました。
①治水工事②盗賊団③政敵④大陸の野蛮人ヤマタノオロチの比喩として色々なモノがありますね。
大元出版さんの古代出雲についてのお話はどこまで真実味があるのかお話し頂きたいです。
教科書通りのお話ですね。古事記にあるスサノオとヤマタノオロチとの神話上最大スケールの話が出雲國風土記に載ってないのは何故ですか。出雲は京都にも奈良にも有ります。刀鍛冶は中世まで(それ以降という説あり)「私は〇〇のオロチです。」と名乗りながら旅をしていたそうです。オロチとは単なる刀鍛冶もしくは鍛冶集団の名称です。
広島市を襲った土砂災害は 土砂災害危険箇所 地名 蛇落地悪谷 でしたね。
しかしここ100年の間は「不吉な土地名は変えたい」という住民のせいで土地の名前が変えられ、その危機意識を失い災害に対して無力となり被害者を助長してしまう場所も多くなりましたね。ちょっと日本人は物事を早急に忘れすぎなようにも感じます。
ヤマタノオロチ豪族説より合点できました。
八岐、8股、首は?足は?9です。Hydraと同じですね。
マタが八つだから頭は九つだと聞いたことがあります。私にはこの説がしっくりきます。福井に九頭竜の地名が有りますが、これが八岐大蛇の事だと思いますがいかがでしょうか?
クイズです。この先生は「〇〇ので、」を何回使うでしょうか?
劔はタタラ場と関係がある出雲大社から出雲市のタタラと関係があると思ってました越しの国新潟の方でしたか?草薙の剣
なるほど。おれの解釈は実際に戦争があって、8旅団ほどの大軍勢を八岐大蛇と称したのかと思っていた。織田信長が桶狭間において、今川に対して酒を送った逸話も八岐大蛇伝説を継いでいると解釈していた。熱田神宮へ参集した織田勢は吉兆の白い鳥を見たといわれ、熱田神宮といえば草薙の剣を祀る神社。大軍勢八岐大蛇を地の利を生かして退治して、たたら製鉄の地を手に入れた須佐之男に、織田信長は自らを重ねたのではないかという解釈だ。
敬語って言葉、知ってます?((^ω^)
@@トロール-i2t 自粛警察マスク警察敬語警察←new!
八幡の大蛇が様々な方々が古代の製鉄、多々羅衆の噺では無いか❓と唱えてますが草薙の剣の存在で隕鉄説が多い様です❗怪物の様な印象から戦闘では無く激しい何かですから盗賊説より多々羅の方が怪物に例え易いし須佐農(すさのう)は結局の処農業の神なので異邦の集団の多々羅衆を手懐けた功績が一番だと思うので?小名木先生の語る説が一番信憑性が有ると想います‼️此の辺りの説が主説に成って行かなければ古代史の整理が付か無く成ると思うのですが学界は頑固ですよね⁉️無視しますか?其の方が教わる方は助かりますよねぇ、、、🐒権威有る先生方安らかに御眠り下さい😁
ヤマタノオロチ=(尖る、領域、断つ、収める、覆う、固まり、地)=(山を断って収め覆い固まった地)=(溶岩)溶岩が山から降りてくる映像を見れば頭が沢山有り目が赤い大蛇に見えます。【日本語の隠された謎─言葉には意味がある カタカナ(音)は世界の共通語】という本を読めば分かりますよ。
川は蛇、龍に例えられますのね暴れ川を収めた人は神社に祭られることがおおいと思います
草薙の剣という、ヤマタノオロチつまり今の社会から、素晴らしい人間が現れてくるということです。弥勒菩薩登場と同じ人です。
八重垣も多くの垣ということなら、伊勢神宮も4重の垣だなあ。垣は何か意味があるのかなあ
子供を産む時どうして産屋敷を建てたのですか?かみさんが大切だからと言うのはわかるんですが💦
古名木先生のお話は面白いと思って見させていただいていますが、今回の話は分かったような分からないようなしっくりいかないものも感じました。
娘とは、田畑のことなんですかね?
子供が八人いて一番下の子が年頃、手なずちが十五で最初の子を産んだとして年子だとしても三十八歳、現代なら兎も角神話の時代ならもう老齢、老人だとしても良いのではないのないでしょうか。
自分も同じ考えです。原文は古事記は老夫老女と記されてます
頭が八つだと、首と首の間の股(マタ)は七つ。八つ股があると言う事は、頭は九つでは…(・ω・`)
元が円形なら八俣でも頭は八つですね。
?てすと
納得出来たと言う意見が多いですが、ヤマタノオロチの中から草薙の剱が出てくる部分は飛ばされてて納得できないですね。お礼に献上したのであればその部分を別の表現をもちた古事記の編纂者は理解が足らない。幾ら伝承だからと言って別の表現になってるのは不自然です。
八俣→八つ分岐点とすると、ヒドラのように九つの首になるなぁ・・・
九頭竜川、の九頭竜とかね。八つ岐があったら頭は九つだよな。
二股が2つしか当事者(?)がいないが・・・ミツマタと言う木は枝が3本にわかれているだけだが・・・
俣とは分かれたという意味で、八俣とは俣が八つなら頭が九ということではない。と、若き日にたずねた私に、知り合いの国語の先生が教えてくれました。
そんな文化が日本にありましたか?
古事記はなぜこのような隠喩的な話にしたのですか?
真面目な話は伝わりにくいからでは?面白い話なら、子供も覚えてくれるし
八百万の神って、なんで、百万をつけるんですか八が、沢山のという意味ならばわざわざ百万なんて付けないで八神じゃダメなんですか
ヒドラ以外はとても納得できるんだけどなぁその神様の頭の良さは主の一族だからか、もしくは大麻による影響だと思います。
このレベルではつまらん。
改めて、祖先様達が紡いできた後世に繋ぐ想いが大変伝わってくる内容でした。答えが書物として遺っているわけではないのに、事実の点と点を結び母国語で深く読み解くことで腑に落ちる。秀逸です。ありがとうございました。
むすび大学は学びがスゴイ!
小名木先生の頭の中はいったいどうなっているんでしょうか。 知識の宝庫です。
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静岡市出身のものです。市内に「谷津山 やつやま」とか「草薙 くさなぎ」などの地名があるのを日常的にみて、「上足洗 かみーあしあらい」というところで育ちました。上足洗・下足洗というのは神話のだいだらぼっちに関係あると聞いたことがありますが、名古屋の熱田神宮に草薙の剣があると知ったのは中学生の頃だったと記憶しています。地名に残された古人の想いを考えると、数十世紀にわたって受け継いできたものの重みを感じます。
ドラマチックなお話ですね❣️
心が温かく熱くなりました。祖先の繋いでくれた愛を受け止め、伝えていきたいな、と思いました。
ありがとうございますっっ☺️🙏
ヤマタノオロチの話は、今まで聞いてきたどの話よりも納得できました。なるほど!
先人がつけた土地の名前を 現代人の都合で変えてしまうことに懸念をいだいていたが 今回の動画でその気持ちを新たにした
土地だけやなく 山・川の名前などもたどっていけば その地域の歴史や埋もれた史実が浮かび上がってくる!それを知った時の面白さは何物にも代えがたい!!
本当にそうです。先人いえ昭和の生まれで自分自身学歴もない物ですが富士山の噴火の時この花咲や姫さまと付き人とが飛び込んで火布施をなさった事当時の天皇さまがあめのににぎの命さまで火布施の神さまと言われていたそうですね。実はこの花咲や姫さまの御両親もおおやまぶしの命さまで神さまだったと聞きます。当時天皇さまに嘘を取り次ぐ人間が居て大変な思いなさったこの花咲や姫さまと岩長姫さまご姉妹仲が良くて。岩長姫さまも美しい方でお顔が丸型でこの花咲や姫さまは面長で絶世の美人と言われていたそうです。私は富士山が好きですが山梨のそれを知っている昔の人々は絶対のぼらない様にしていますよ。トイレによって汚さない事を守って居るので霊峰富士崇めてます。持ちろん山梨県出身だから。恐れ大い事です。
今までで一番腑に落ちる解釈でした!
先人達が子孫達に、みんなで幸せに暮らせるようにお手本として残してくれた書物であること、改めて感じました✨♥️❤️🔥
それを現代の子孫の私達が、しっかりと受け取れる知恵がなくなってしまっていることに、猛反省するとともに、子どもたちに伝えていきたいと思います!❣️
ありがとうごぁいました。
ためになりました。
感謝いたします。
分かりやすく楽しい講義です。
イヨの二名島の四国徳島県には式内社の天村雲(アメノムラクモ)神社があります。
徳島県板野郡上板町高瀬周辺は古くには「高志」(タカシ)という地名でした。
吉野川は暴れ川でした。
大嘗祭は阿波忌部
いつも興味が沸く事実を教えてくださりありがとうございます。
素晴らしい講義でした!
ありがとうございました😊
なんか少しだけ頭がよくなったような気がします。ありがとうございました。
素晴らしい、氷川神社・斐川関係紹介動画、有難うございます☀️大宮・氷川神社の祭神・スサノオ、出雲系の系譜の由来、得心出来ました💡利根川付け替えの伊奈忠次が、氷川神社を縁起したのですね。有難うございました。
有難う御座います♪
八岐大蛇から草薙剣が出てきたことも、納得できました。
とても面白い講義でした。
【須佐能之命は農業土木集団】
と言うことは。須佐能の尊は、農業土木技術をもつ技術者またはそれを束ねる頭で、それ自体が職人集団で在ったのかもしれませんね。危険が付き物の土方仕事の親方の現場での外向きの顔は、荒ぶる上で現場の統括を行なう様に見えることが在ります。危険を把握し、土木工事の物理限界を見極めて工事を進行する姿は、その視点が理解出来ない人足には只々恐ろしい存在だったことでしょう。
このヤマタノオロチが史実で箸の逸話も同時期だとすると、いったい何時頃のことだったのでしょうね。少なくともこの神話を伝承した群れの家系は箸を識っていたことに成ります。箸は大陸よりとは言われていますが、煮炊き文化を初めた地に、煮炊きした熱い食べものを手掴みで食べる等、普通では在りません。最低でも串は自然発生したでしょうし、一本より二本の串が安定して熱い食物を扱えることが判っていたものかと思います。元々、稲作も生米をそのまま食せばお腹を壊すとも言われますから、煮炊きする文化が合わさって初めて実現する高度な文化なのです。何でも自己の占拠地の遺跡や記述を以って文化起源を語る個の願望が歴史の本体と成る今のヒトの群れとは、一線を画して考察することは大切なことの様に思います。
須佐能之命の伝説は、その文化的出自が海人族系統ではなく、労働集約型農業に在ったことを明示しています。同時に鉄の活用をも暗示しているとするなら、人類史は大きく変わりますね。
また、天照大神を太陽と結び付けるなら、これは、太陽の運行を把握し、それから季節変動を予測する技能を持った集団で在ったことを意味しているのであって、その知識が極めて大きな恩恵を与えたことで上座に据える存在とし「上」と呼ばれ、後に「神」の文字が当てられたのではないでしょうか。ヤマタノオロチ伝説は毎年の水害の予測が立つ文明下でなければ、産まれない逸話だったかもしれません。
更に「日」をヒ読むのは一番初めのことの「一」を意味していることも多いかと思います。ヒカワは「一の川」つまり一番問題の川との意味で在った可能性が在ります。盆地と言えば大分に「日田盆地」があります。古代には、木々も茂る林の中を川が蛇行し三日月湖を多数生成する天然の水田と成った所だったのかもしれません。日田も「一の田んぼ」で初めての田んぼの意味で在ったのかもしれません。「日向」は今では「ひゅうが」と読みますが「ひなた」との読みも存在し、筑前の伊都国の山側には「日向峠」の地名が遺っています。初めの開墾地の田んぼが地名の由来だったのかもしれません。
海人族の営みかせ発生した月齢と潮の満干期を結びつけた太陰暦に星座の変化を加えた大まかな季節への対応で良かった太陽の北回帰線以南での生業が、温暖化により北に移動した時、夏至や冬至、立春や立冬の記述の付加は、当初、海人族の季節風の予測として航海術の中で発達したものだったかもしれませんが、広域の農業生産の安定に有効だったから、産まれたものかと思います。熱帯では、稲穂からこぼれ落ちた籾が芽吹く形のみで一年中実りますが、日本列島などの中緯度に至っては、「労働集約型農業」とすることが、安定生産の道でした。欧米史観では「太陽暦」を「太陽神信仰」としてしまいますが傍目はともかく、中身は科学技術で文明なのです。日本の神社の由来は、そんな技術的恩恵を祀り記憶したり、天変地異から来る災害の惨禍を縁起として伝える目的で祀り問題認識をつないで来た、実に科学的な行ないだったと自分は想っています。日本の信仰は宗教色は在りません。自然との対話が根本に在るだけです。天照大神を祀るのも、日本人の受継ぐ文明の痕跡なのかと思います。大陸なら、一・二世代で人が入替りリセットされ消えて終わっています。日本だから今でも生活の中に遺っているのです。
この独り芝居は意外に面白い
大変面白い!
草薙の剣を手に入れた事から、製鉄に関係あると聞きます。餅鉄を利用したたたら製鉄だったのですね。
オロチは水害が多い土地で暴れる川を治水した伝承なのですね。勉強に成ります。
有難う御座います!
最近 正統竹内文書を考察してるRUclipsrの影響で、神社について調べてて 埼玉に須佐之男命を御祭神とした氷川神社が多くあり なぜ氷川?どういう関係?っと思ってたので 小名木先生の解説でスッキリしました!! 今週末行こうと思ってたので、今回の動画に出会えて良かったです!
2014年8月、広島市安佐南区で起きた水害の土井の名前は「蛇落地悪谷」といかにもな名前の土地だったそうな
八岐大蛇の名前の由来や出来事を知って納得しました
ほぉー(感心)はじめて知りました。今は地名が紆余曲折して変わっていても、古い地名を伝承する意義ありますね。
ひら?ん?る
る
Muito interessante, muito boa interpretação da Mitologia e Escritura Antiga. PARABÉNS
オロチ退治の仕方が、鉱害対策と治水工事仕方だと聞いた事がありました。
8つの門(水門)を作り、八塩折之酒の壺が鉱害の沈殿池で、八重の生垣が砂防ダムや堤防だと言う話だった。
スサノオ様は治水工事をなさっていたのですね…!しかも爪を剥がされた状態で…とても勉強になりました。小名木先生ありがとうございます。
アシナツチ、テナツチの「ツチ」は「槌」ではないかと思います。要するに鉄を鍛える時に使う槌(つち)のことで、足を使って打つ槌と手で打つ槌ということではないかと思います。
確か、宮下文書にそういう記述があったように思います。
なるほどです…(・ω・`)
草薙の剣はそこのたたら製鉄で造られたということですね 製鉄も日本の技術だった 武士が現れる前から強かったから今の日本があるのですね 先生ありがとうございます。
大変面白く。勉強になります。シェアさせていただきます。
八=沢山の 「八紘一宇」を思い出しました。本日も勉強になりました。
有難うございました(^^)
世界でも希少な言語である日本語で日本最古の歌を歌ったスサノオが日本人じゃないって論調が不思議です
魏志倭人伝でも日本語についての記述で”はい”と返事をしたという記述があると見たことがあるのですが、本当なら日本語が完成した時代がいつなのか気になります
おもしろかった。日本のすばらしさの再確認。
その和歌の起源は、松江市佐草町にある八重垣神社だと思います。
”オロチから稲田姫を隠すため、奥の院の大杉の回りに八重の垣根を作った。”
八重垣神社の祭神はスサノオノミコトの息子、青幡(畑)佐久佐日古命(佐草宮司先祖神)です。
八重垣神社にその和歌が飾ってあります。
松江市や安来市周辺に多い姓、秦と幡(畑)と関係があるかもしれませんね。
BC3世紀頃、秦の徐福一行(日本に稲作や養蚕技術を伝えた)が和歌山県新宮市の徐福神社本宮
(数派に別れ、また、別々の海流に乗って日本各地に上陸した地点に徐福神社があります。)付近に上陸した説があります。
秦から来た人々が秦姓を名乗り、のちに大和朝廷の有力豪族の秦氏にもなったのでしょう。
当時から紀州と出雲は熊野古道(?)を通じて人の往来があり、秦氏が松江周辺にも移住したかもしれない。
松江市の近くの八雲町の奥の熊野町(奥出雲に近い)に熊野大社があります。紀州の熊野大社と奥出雲の
熊野大社は古来より交流があったようです。
ヤマタノオロチ伝説とラフカディオハーンの怪談集(出雲周辺に伝承されて来た民話が元)に共通点があるように思う。
民衆に解りやすい様に方便を使って、様々な教訓や知恵を教えたのでしょう。
又、松江城を作るときに人柱(若い娘)を埋めたそうです。つまり、ヤマタノオロチ同様、古来、自然の神を鎮める為に
人柱を埋める習慣があったのでしょう。稲田姫は人柱候補だったかも。。。
信州の諏訪地域の縄文人たちに稲作を伝えたのも、大国主命の息子神でした。
意外と日本の稲作は、徐福(弥生人)ー>縄文人の出雲王朝ー>日本全国に広まったかもしれません。
出雲大社と諏訪大社もつながりがある。また、出雲周辺に諏訪姓が多い。信州と出雲も古来より、
人の交流があったのでしょう。
斐伊川と氷川の繋がりが出雲が起源だったとは、初めて知りました。今住んでいる(埼玉)歩いて5分のところにも
氷川神社があります。また、回りの畑の脇道にスサノオノミコトを祭る祠があります。
スサノオノミコトは日本全国で、農業神として祀られていたんですね。
ヤマタノオロチの比定地は斐伊川だけじゃなくて、あの地方一帯の河川だという話しもあるが、昔のことだからどこの河川も氾濫しただろう。その河川の周辺で砂鉄冶金をしていた集落がたくさんあってそれをヤマタノオロチと呼んだ。ヤマタノオロチを倒して草薙剣を取り出しのは、砂鉄冶金の部落を制圧して新しいたたら技術でより強固な製鉄ができるようになったことを意味する。
地元のひか様に参拝したくなった。昨日お参り行ったけど
製鉄の歴史もいつかやってもらいたいです
金屋子さんのお話とか
ヤマタノオロチのお話し大好きです。これに決定します。( ´艸`)
たたら場による森林伐採からの土石流。
なるほど。。。。
熱海の土石流の映像が
赤っぽい土砂だったら
令和でもオロチに見えたかも
しれませんね。
311の津波の映像も
怪物じみた恐ろしさを
感じました。
当時のたたら場の人達にとっては
まさに梅雨の時期にやってくる
あらがいようの無い怪物だったんでしょうね。
ネヅさんの小芝居、笑えるw
ありがとうございました。
日本の歴史を学ぶと日本人で良かったと思えることが沢山あって、現代の糞教科書を一生懸命に学ばなくて良かったです笑
👍️晴れ🌈😊
矢張り山火事では無理です。
たたらとはフイゴ 燃料は炭でようやく低温で純度の高い鉄を得られます。生木に比べれば遥かに燃焼温度の高い炭です。マグマは鉄なので吹き出し川を流れ研磨されたのが餅鉄でしょう。餅鉄も純度は低いようです。砂鉄同様に刀等のが材料に用いてたようですね。
オロチが川は納得、更にオッポから出てきた剣にも納得出来ました。
想像ですが、山での火災であれば
上昇気流で風が呼び込まれ消火活動も無く
山の木々が焼き尽くされるまで放置される
ほどの大規模な火災、であれば・・
@@hrkam7
また何かの折にコメントしようと思いますが、溶解温度の低い鋳鉄でも1300℃は必要です。木炭の燃焼温度では少し足らずフイゴでブースト掛けてようやく溶けます。生木の燃焼温度は1000℃にも満たず700から800℃程度でしょう。風に煽られても無理です。日本の木炭製造技術は世界一でその歴史は不明な程に古いのです。日本には青銅器を使った歴史が無い、だって鉄器はもっと古くからあったのだから。そんな風に思ってます。
四国徳島県説をおしてます!
大山✨😭✨
いつも拝見させて貰ってます!
20代前半です!
ツクヨミノミコトの話があまり聞いた事ないのですが、何かありますか?是非取り上げて欲しいです🌕
ヤマタノオロチを頭が八つある大蛇とか、斐伊川が大蛇に見えたような説明をされる方が多いですが、スサノオの時代において漢字は表意文字より表音文字として捉えるべきではないかと思います。
ヤマタノオロチを退治した十束剣は、その後岡山の石上布都魂神社をへて、現在は奈良県の石上神宮に納められています。
スサノオの敵が人間だったからこそ、相手を斃した剣と、相手から奪い取った剣が現在も存在しているのであり、現実のヤマタノオロチは『山田に住んでいるオロチさん』だったのではないでしょうか。あの地域には山田という地名が方々にあります。
年間を通じて雨が多く、「弁当忘れても傘忘れるな」と言われる山陰地方の大昔はまさにジャングル地帯で、縄文時代の人々は山の上の方に住んでおり、樋口清之先生の 中国では耕して天に到るが、日本では山の上から下へ開墾していった という説が正しいように思われます。
夕暮れ以降に爪を切ることはいけない事と昔から言われてますが、これはスサノオの命が爪を抜かれたのが夕暮れの頃だったからだと言われているからです
文禄慶長の役も詳しく説明をお願いします‼
長嶋茂雄は背番号3だけでローマ字表記のNAGASIMAがないユニフォームが自然に感じる感じだなぁ😃須佐皇尊は、そんな感じなんだろうな✨
万葉集の最初の歌。雄略天皇が娘に「名前を名乗れ」といったシーンを思いだしました。
①治水工事
②盗賊団
③政敵
④大陸の野蛮人
ヤマタノオロチの比喩として色々なモノがありますね。
大元出版さんの古代出雲についてのお話はどこまで真実味があるのかお話し頂きたいです。
教科書通りのお話ですね。古事記にあるスサノオとヤマタノオロチとの神話上最大スケールの話が出雲國風土記に載ってないのは何故ですか。出雲は京都にも奈良にも有ります。刀鍛冶は中世まで(それ以降という説あり)「私は〇〇のオロチです。」と名乗りながら旅をしていたそうです。オロチとは単なる刀鍛冶もしくは鍛冶集団の名称です。
広島市を襲った土砂災害は 土砂災害危険箇所 地名 蛇落地悪谷 でしたね。
しかしここ100年の間は「不吉な土地名は変えたい」という住民のせいで土地の名前が変えられ、その危機意識を失い災害に対して無力となり被害者を助長してしまう場所も多くなりましたね。ちょっと日本人は物事を早急に忘れすぎなようにも感じます。
ヤマタノオロチ豪族説より合点できました。
八岐、8股、首は?足は?9です。Hydraと同じですね。
マタが八つだから頭は九つだと聞いたことがあります。私にはこの説がしっくりきます。福井に九頭竜の地名が有りますが、これが八岐大蛇の事だと思いますがいかがでしょうか?
クイズです。
この先生は「〇〇ので、」を何回
使うでしょうか?
劔はタタラ場と関係がある
出雲大社から
出雲市のタタラと関係があると思って
ました
越しの国新潟の方でしたか?
草薙の剣
なるほど。
おれの解釈は実際に戦争があって、8旅団ほどの大軍勢を八岐大蛇と称したのかと思っていた。
織田信長が桶狭間において、今川に対して酒を送った逸話も八岐大蛇伝説を継いでいると解釈していた。
熱田神宮へ参集した織田勢は吉兆の白い鳥を見たといわれ、熱田神宮といえば草薙の剣を祀る神社。
大軍勢八岐大蛇を地の利を生かして退治して、たたら製鉄の地を手に入れた須佐之男に、織田信長は自らを重ねたのではないかという解釈だ。
敬語って言葉、知ってます?((^ω^)
@@トロール-i2t
自粛警察
マスク警察
敬語警察←new!
八幡の大蛇が様々な方々が古代の製鉄、多々羅衆の噺では無いか❓と唱えてますが草薙の剣の存在で隕鉄説が多い様です❗怪物の様な印象から戦闘では無く激しい何かですから盗賊説より多々羅の方が怪物に例え易いし須佐農(すさのう)は結局の処農業の神なので異邦の集団の多々羅衆を手懐けた功績が一番だと思うので?小名木先生の語る説が一番信憑性が有ると想います‼️此の辺りの説が主説に成って行かなければ古代史の整理が付か無く成ると思うのですが学界は頑固ですよね⁉️無視しますか?其の方が教わる方は助かりますよねぇ、、、🐒権威有る先生方安らかに御眠り下さい😁
ヤマタノオロチ=(尖る、領域、断つ、収める、覆う、固まり、地)=
(山を断って収め覆い固まった地)=(溶岩)溶岩が山から降りてくる映像を見れば頭が沢山有り目が赤い大蛇に見えます。
【日本語の隠された謎
─言葉には意味がある カタカナ(音)は世界の共通語】という本を読めば分かりますよ。
川は蛇、龍に例えられますのね
暴れ川を収めた人は神社に祭られることがおおいと思います
草薙の剣という、ヤマタノオロチつまり今の社会から、素晴らしい人間が現れてくるということです。弥勒菩薩登場と同じ人です。
八重垣も多くの垣ということなら、伊勢神宮も4重の垣だなあ。垣は何か意味があるのかなあ
子供を産む時どうして産屋敷を建てたのですか?かみさんが大切だからと言うのはわかるんですが💦
古名木先生のお話は面白いと思って見させていただいていますが、今回の話は分かったような分からないようなしっくりいかないものも感じました。
娘とは、田畑のことなんですかね?
子供が八人いて一番下の子が年頃、手なずちが十五で最初の子を産んだとして年子だとしても三十八歳、現代なら兎も角神話の時代ならもう老齢、老人だとしても良いのではないのないでしょうか。
自分も同じ考えです。原文は古事記は老夫老女と記されてます
頭が八つだと、首と首の間の股(マタ)は七つ。八つ股があると言う事は、頭は九つでは…(・ω・`)
元が円形なら八俣でも頭は八つですね。
?てすと
納得出来たと言う意見が多いですが、ヤマタノオロチの中から草薙の剱が出てくる部分は飛ばされてて納得できないですね。お礼に献上したのであればその部分を別の表現をもちた古事記の編纂者は理解が足らない。幾ら伝承だからと言って別の表現になってるのは不自然です。
八俣→八つ分岐点とすると、ヒドラのように九つの首になるなぁ・・・
九頭竜川、の九頭竜とかね。
八つ岐があったら頭は九つだよな。
二股が2つしか当事者(?)がいないが・・・ミツマタと言う木は枝が3本にわかれているだけだが・・・
俣とは分かれたという意味で、八俣とは
俣が八つなら頭が九ということではない。
と、若き日にたずねた私に、知り合いの
国語の先生が教えてくれました。
元が円形なら八俣でも頭は八つですね。
そんな文化が日本にありましたか?
古事記はなぜこのような隠喩的な話にしたのですか?
真面目な話は伝わりにくいからでは?面白い話なら、子供も覚えてくれるし
八百万の神って、
なんで、百万をつけるんですか
八が、沢山のという意味ならば
わざわざ百万なんて付けないで
八神じゃダメなんですか
ヒドラ以外はとても納得できるんだけどなぁ
その神様の頭の良さは主の一族だからか、もしくは大麻による影響だと思います。
このレベルではつまらん。