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加茂さんになってドーハ組が戻って来たのは嬉しかったけどこの大会で現実を突き付けられたな
加茂監督が掲げるゾーンプレス。コンパクトにしてボールを奪取して素早く全線に向かうっていうのはチームとしてやろうというのは感じられた。ただ個人の能力が低いので取ったボール後のパスがうまくつなげられない1対1で勝てないのですぐボールを取られプレスが効かなくなり自陣までゴリゴリ追い詰められる展開ばかりで圧倒されていた。バックラインからのパス回わしも単調で緩急がなく怖さを相手に与えられない。個人の技術や経験がワールドカップに出るぐらいのチームにはまだまだ及ばないというのがはっきりわかった大会でした。ワールドカップに出たい、ワールドカップに出た日本を見たいという日本全体のサッカー熱はドーハからこの時そしてジョホールバルへと最高潮に達していった。まだまだ弱かった日本がワールドカップ出場という夢へと向かう過程にハラハラドキドキワクワクしたのは本当に面白かった。
この頃の日本は色々観ていて胸が痛いな。日本がボール持つとしょっちゅう日本選手が転ばされてる。多分、日本のFKは余り怖くなかったんだろな。でも凄いのは僅か30年で追いつきつつある成長力。
92年キリン杯、95年インターコンチ、98年フランスW杯と要所要所でアルゼンチンと試合してますね。
今や親善試合レベルならどのカテゴリーでも五分に戦える相手でアルゼンチンは日本から見たら現在地を測るものさしのようなチームです。
ドーハ組へのレクイエムとなる試合。ファルカン監督時に大胆な若手切り替えで多くの批判を浴びたわけだが、その批判にこたえたのか加茂監督は多くのドーハ組を呼び戻した。結果はご存知のとおりの惨敗。でも加茂監督はこうなることはわかっていたんだろう、と。多くのサッカーファンに現実を見せ付けることによって、その後は加茂監督も多くの若手選手を選出するきっかけになった大会だった。
アルゼンチンの前線の3人と左SBチャモの破壊力が凄かった。特にアメリカ大会でも猛威を振るったチャモの突破力が強烈だった。彼は年齢を重ねて守備力が磨かれていってCBとしても活躍したけど、個人的にはこの頃のチャモの破壊力が好きだったな
まさかこのたった3年後には中心選手が中田英寿、城彰二、川口能活、名波浩になっているとはな。さらにそれから数年は異常なくらいの下からの突き上げの連鎖だったな。
そんな中でワールドカップのスコアラーと日本初勝利のロシア戦の出場選手になれた中山雅史は、中田英寿や本田圭佑に負けずに偉大。
@ あのジャマイカ戦の魂のゴールは今でも色褪せることはありませんね。
城に関しては中心選手とは言い難いな
@@ぐぅ-q5i 98大会、岡田さんいわく『FWの軸は城』
@@予祝スポーツくじBIG1等当選 らしいですね、個人的にです
サッカーファンになり始めの1992年にアジアカップの優勝を見て日本のワールドカップ行きが決まったのかなのと思ったけど、アジアカップがワールドカップ予選を兼ねていれば...
2:32これをモノにできないとキツくなる…久保建英を見ているようだ…
ジョホールバルのわずか2年前にこんなメンバーでやってたのがびっくりやな。ほとんど残ってないやん。
@@agichill この大会の主力はアラサーなんです磯貝が一番若い(24か25歳)のかな
闘将柱谷!そのキャプテンシーと闘志を絶賛されて、主将の理想像のような事も言われてたけど、世界のプレスやスピードについて行けず、ミス連発してたなー、そんで周りのサポートが遅いような感じで怒鳴ってる映像が記憶に残ってる。現実は厳しい
1995年インターコンチネンタルはメンバーこそ似通ってたけど、監督が違うから別チーム。メンバー同じでも監督違えば強さは変わってくるので、オフトジャパン・ドーハ組の仮想W杯にはなりえないと思う。仮想で見てたのは、アメリカW杯で出てたサウジと韓国。オフトジャパンが出ててもそこそこやれてたと思う。組み合わせによってはこの時にベスト16にいってたのでは、と思う(オフトジャパンに対して、ゴール前で守りまくって引き分けたあのサウジはベスト16いってる)。なので、オフト以降の4年、1998W杯も含め、選手のレベルアップとは別に、日本代表はチームとしては停滞期、というかちょっと落ちたと思ってる(アジア枠拡大で3国目で予選突破したのも含めて)。
ナイジェリア戦は「技術的にはやれてるけどフィジカル面でどうしも勝ち切れないよね」って感じだけどアルゼンチン戦で何も通用していないのがよくわかった。
こうやって見るとボールはつなぐけど、フィニッシュ前のパスが雑だったり。シュートが枠に全然いかなかったり、世界に通用しない時期だったんだなぁと実感しました。良い思い出は胸にしまっておいた方がいいね。
当時は代表選手でもサイドチェンジのロングボールをピタッとトラップできないことが多々見られた。何だか火のついた爆弾を回しているかのような余裕の無いパス回し。ストイコビッチが当たり前ように止めるのを見て、まだまだ世界は遠いと感じた。
ところでわりとクリアな映像になってるけど、当時、生放送のテレビ映像見た時は酷い画質だった記憶がある。
あの時のアルゼンチン、ナイジェリアが今の日本と戦ったら大敗する。
意味のない仮定
改めて見るとナイジェリア戦はまあまあチャンス作れてたんだな。3‐2ぐらいでもおかしくない。
短い時間だと割と渡り合えてるなって感じだけどプレーが途切れずに続くとついていけなくなってしまうねきりきり舞いでヘトヘトのところをいいようにやられてしまうあたり負け以上の体力の差を感じる
この時もトラウマだけどこの前年の1994年のファルカン監督の時に戦ったフランス代表戦もヤバかった。日本国内の試合なのにW杯出場を逃してるせいかフランスも結構本気でトラップ、パスから何もかもがレベルが違って圧倒された。永遠に勝てないと思わされた。
アレも全然通用してなくて、最後のチャンスのときカズがモタついたけど自分でリカバリーして粘って小倉にパスして小倉は冷静に1点決めた。
加茂さんが、急に選手を変えたら周りがウルサイから黙らす為にワザと選んだ。都並、松永が通用しなかったな前園、岩本、小倉が居たらなぁ。
インテルに獲得される前のハビエル・サネッティが既にフル代表でプレーしている。アルゼンチン国内でも無名選手だったからな。
ほぼ30年前だけど、この時アルゼンチン代表で出場しているサネッティと、現役日本代表の長友がインテルで3年間も同僚だったって、よく考えるとすごい話だなぁ。2人とも化け物のような選手寿命だと思う(カズのことは考えていません)。
確か、この大会は出場国みんな同じホテルに泊まってて、食事の際に「この長テーブル一列日本代表専用」にナイジェリア代表選手の一人が先に勝手にそこで食べててラモス選手がブチギレたエピソードがありましたね。
何でもケンカの理由にしてしまうラモス
@@wawonaeon4910自分達の場所勝手に使われてたら誰だってブチキレるだろ
審判、ボールに当たりすぎww
ボールに当たってない時でもメッチャ邪魔な所にいる😂
この大会はたしか実際は4-2-3-1システムで挑んでいて、カズは3の左をやっていたので、映像を観ると中盤でゲームメイクをしているシーンが多いですね。都並や堀池、ラモスといったドーハ組が限界を示してしまった中、加茂サッカーの申し子、山口素弘が存在感を示し、この後欠かせない選手になりましたね。
ナイジェリアの身体能力がエグい!!日本代表はスライディング特攻隊だなwオフトから加茂さんに変わってまさか松永さんや都並さん、ドーハ組がカムバックするとは驚きだよ😮磯貝はセンスがあるものの地蔵過ぎたね。これなら年齢的の高いラモスの方が運動量豊富だわ😮
同じ左SBでもアルゼンチンのチャモの鋭いクロスに比べて、日本の都並の緩やかな山なりクロスは実にお粗末でゴールの予感などまるでしない。
この頃のチャモは攻撃的な左SBでしたね。
ドーパの時代は、今思えばあの時代の選手たちが、アジア勝ち抜くなかったのが当然の結果だったんだと今はわかる!
ズィッコが日本で一番の選手はカズじゃなくて福田だ。と言ってただけはある。
オフトも福田のサイドアタッカーとしての高い資質を見抜いていた。ストライカーとして成功を望む本人は嫌がっていたが(笑)。
ドーハ組なら世界をビックリさせるサッカーを見せれたはず今だに思うもちろんアジア予選に参加した選手なら
ボールがおさまらないてことは、今後中田が登場するのがいかに重要だったかとわかるね。
いいとこどりしているから、それなりに戦えているように見えるだけで、ナイジェリア戦に関しては試合開始からあちこちでフィジカルコンタクトで当たり負けして20分ぐらい何もできなかった。当たり負けするので、当たってこられる前にボールを離すようになり、終始バタバタした展開になる。カズが放った苦し紛れのロングシュートも、当たり負けする前にシュートを打ったに過ぎない。筋トレしてセリエAに挑んでいたカズでさえもナイジェリア相手にフィジカルで通用しなかった。当時のナイジェリアはアフリカ最強だったとはいえ、日本代表の選手たちは明らかに経験不足。
アメリカワールドカップに出場出来ていたらとは、誰もが考えますね。都並敏史が守っていた左サイドで都並が怪我をしたところ、彼以外代表で使えそうな選手が全くいなかったbyオフト やカズがイタリアでは全くダメだった事なんか考えたらやはり厳しかったかもしれませんね。加茂監督はイタリアサッカー本場のゾーンプレスをうたっていましたが、実際にイタリアで指導を受けたことはおろか、見たことすらなかったんだとか 笑その前のファルカンは、初代表召集の時、ブラジルと比べて当然劣る日本代表選手を見て、彼らは足を怪我してるんか?と嘆いたそうです。この時代は代表監督選びもブレてましたね
@@キンクマビッチ 1994年のW杯開催時期(サントリーシリーズ後)って、日本人選手ケガ人ばかり代表合宿呼んだ選手がケガで辞退繰り返し、リアルに当時監督していたファルカンが嘆いたほど主力でいえばラモス、都並、中山がサントリーシリーズほとんど出ていない福田は平塚戦で当時J記録の4得点したが、これまたケガ高木は広島の優勝が決定した試合でアキレス腱痛に我慢できず倒れ込むメンバー決定したくともオフトは相当悩むんじゃないかな(当時は22人だっけか)北澤・澤登・山田隆・武田・黒崎などサブメンバーを主力にする公文・風間・浅野・永島・木村和司・水沼貴史らベテランを復帰させる当時活躍していた若手にかける(大野・本田泰・秋田・柳本・片野坂・名良橋・岩本・藤田・前園・長谷川祥・野口・山口・小倉・佐藤慶など)
この大会磯貝が地蔵すぎて絶望したなというかこの世代の日本代表はいろいろ話にならないレベルだった遅い、下手、動かない、フィジカル弱いギリギリ福田だけかな、ある程度スピード活かした突破したりそこそこ健闘してたのはアルゼンチンのバティ、オルテガ、ランベル、チャモらの衝撃は凄かったこの試合でめちゃめちゃ凄かったランベルはこの後インテルであんま活躍できなっかったのが意外だったこの世代が94年アメリカ大会出てても3戦全敗だったと思うそれくらいレベル低かった
解説者が『磯貝くんは天才と言われていますけども、アルゼンチンの選手(世界の選手?)と比べると‥‥‥』って言ってましたね
@@予祝スポーツくじBIG1等当選 そこまでは覚えてないですけど日本代表の駄目っぷりとアルゼンチンの衝撃は今でも覚えてますね
@@予祝スポーツくじBIG1等当選言ってました🤣🤣🤣
ドーハの悲劇で出場を逃した旧代表メンバーにとっては、仮想ワールドカップをやれた良い機会になったかと思われます。
@@ミラクルA-o8s 加茂さんが真偽はともかく『戦術理解が高いから』って理由でドーハ組中心にメンバー選出したからこそ、ですね澤登選外は意外でしたが
結果はどうであれ、俺はドーハ組のワールドカップが見たかった
ナイジェリア戦で情けない自殺点をした名塚はこの大会以降は代表に選ばれなくなった。日本戦の先制ゴールを決めたランベルドも新シーズンに欧州のクラブに引き抜かれたが何故がその後消えてしまった。
そうランベルトのその後は意外だったインテルに移籍したっけ?違ったらすみません自分はアルゼンチンのチャモにビビったたしか2点目はチャモだったはず足元上手いのにDFなんかと当時思ったなぁ
@予祝スポーツくじBIG1等当選 この前年にW杯を制したばかりのブラジルのレオナルドが鹿島に加入し、続いてこの年にはジョルジーニョが加入した。2人ともセレソンでの役割はSBだったが上手過ぎるので鹿島での役割は中盤の指揮官だった。同じくこの年のインテルにはサネッティとロベルト・カルロスという規格外のSBが2人揃って加入した。ただのクロスマシーンに過ぎなかった当時の日本人のSBとは次元が違い過ぎたわ。
チャモはアメリカ大会でも猛威を振るってましたね。マラドーナやバルボ、レドンド辺りと連携しながら左からゴリゴリ縦に推進し、相手守備を崩す姿は圧巻でした
@@カタロニア-v8i ブラジルは『下手な選手は後ろにいく』って言われてますもんね。そりゃ前は巧い選手ばかりなはず。82年なんざ、チームで中盤やってるジュニオールが試合に出たいがためにLBやってましたね。レオナルドはサンパウロでは中盤でしたかね?LB起用は当時のパレイラ監督が後にライーを外すほど中盤を守備ができる選手で固めた影響、ビルドアップ時の3-5-2可変の影響でしょうか?
この時代小学校のサッカーみたいにみんなボールに行ってる
コンパクトなサッカーが試行錯誤の段階だったのです。
磯貝って映像に残ってるプレーって微妙なのばっかなんだよな。世代でトップの天才扱いだけど、それを裏付ける映像が残ってない。ガンバでのプレーはあるけど、それもさしてすごいプレーってわけでもない。普通、すごい選手って、いついつの何戦でのプレーはすごかった、ってなるじゃん。それも聞かない。きっと全盛期が学生時代だったんだろうな、と思う。
高校サッカーの衝撃が全てですね。いかせん、運動量が無い
@@チーシゲ-b3g磯貝運動量全然ないですよね
ゴルファーに転向していたな
1995年当時のナイジェリアと今の日本代表はどちらかのほうが強いんだろう?
直接対決なら今の日本代表が現在の戦略を使って封じる。
@不死鳥-i1p 回答ありがとう👍戦力的には当時のナイジェリアから見ても現在の日本代表は全く劣っておらずフィジカルとテクニック、スピードが当時の日本代表から見たら比べ物にならないほどレベルアップしているからね。
圧倒的に日本じゃないですか?2-0か3-0で勝てそうですけど。
@@青ゴジラ-j7t 94年ワールドカップのナイジェリアは失点こそ少なかったものの全体的に見ると90年代のナイジェリアは守備が弱点でしたからね。今の日本代表は守備力もそこそこのレベルはありますね。
@@氷の恒星 絶対に今の日本代表技術もフィジカルも負けてないし、なにより個人戦術を比較したらバカ高いこの大会、ナイジェリア、アルゼンチン、デンマークが優勝候補やったけど、今の日本なら優勝できる(シュマイケルからゴールを奪えたらだけど)
タイ のピアポンにチンチンにやられたときは、くやしくて泣きそうになったアジアでも国をあげて人気なスポーツでは勝てないと思ったな
流石のポイチも✋が出ないだろうな。
時計を逆回しにしてドーハ組を呼び戻した加茂にブチ切れですよ
でもドーハ組が世界相手にどこまでやれるかちょっと見たかったファンは当時わりと多かった…ハズ。
ワザと
@@こにょしき ファルカンはファルカンで当時叩かれていたよ今を見た日本人と、98年を見ていたファルカンとで差があったんだと思う。ファルカンから見たら、『世界を知らない』という点ではドーハ組も一緒やもん。だからファルカンは経験不足の若手を選んだのかもね。加茂さんは『戦術理解が高いから』って理由でドーハ組を呼び戻した。実際はボロボロだったけど、若手連れていっても大して変わらないでしょ!ただし、気になるのが協会やスポンサー!近年でも訳わからんことしていたんやから、加茂さんへ代表メンバー選出に何か依頼があっても今となっては不思議ではなく思える
このインターコンチネンタルカップは私の住んでた地域はテレビ中継が無く後日ダイジェスト版が放送予定だったが阪神淡路大震災発生で放送休止になって見れなかった。
テレビ東京で放送だったからね
@giantsnagashima33 返信ありがとうございます、そうでしたね、アルゼンチン戦はラジオで聴いてました。
完全に遊ばれているじゃん。今のグアム代表レベルくらいにしか感じない。
日本vsグアムを見てみたい。
全然通用してなくても意地で強豪国相手に1点決めてるカズより、サンドニでシュート数本打っても無得点で0-5で惨敗してる中田のが絶賛されて伝説の試合扱いされてる不思議😅
この時のナイジェリアは翌年アトランタで金メダル取るメンバーばかりだし、アルゼンチンもほとんどが準優勝メンバーだからそりゃ強い。実際94年W杯に出た韓国とサウジはかなり活躍した訳だから、日本がもし出れてればそこそこやれただろうなと思う。
1994年のW杯開催時期(サントリーシリーズ後)って、日本人選手ケガ人ばかりよリアルに当時監督していたファルカンが嘆いていたもん代表合宿呼んだ選手がケガで辞退繰り返していたからね主力でいえばラモス、都並、中山がサントリーシリーズほとんど出ていない福田は平塚戦で当時J記録の4得点したが、これまたケガ高木は広島の優勝が決定した試合でアキレス腱痛に我慢できず倒れ込むメンバー決定したくともオフトは相当悩むんじゃないかな(当時は22人だっけか)北澤・澤登・山田隆・武田・黒崎などサブメンバーを主力にせざるを得なかったり、公文・風間・永島・木村和司・水沼貴史らベテランの復帰、はたまた大野・本田泰・秋田・柳本・片野坂・名良橋・岩本・藤田・前園・長谷川祥・野口・小倉・佐藤慶ら初代表組を本大会に連れて行かざるを得なかったかもね
当時の印象①カズ下手 (他選手とポジ重なり過ぎ、いらない ドリブル多)②磯貝連系不足(時間不足のため周囲と 合っていない、準備不足で磯貝の責 任とは言えない)③チーム全体をカズより福田のほうが マッチする(オフと時代から)
当時のカズは『ボールを触りたがって中盤に下りてくる』、『中盤で跨ぎまくっても無意味じゃね?』って言われてましたねこの年、福田はJでやっと1シーズンまたもに稼働して、しかも得点王獲得、またブラジル戦で日本人初ゴールと絶頂期でしたね。オジェックが来て良かった
下手でも最後には得点しちゃうのが全盛期のカズなんよ
カズに対してド素人は下手と言いプロは上手いと言う定期
身体能力の差ってなに?日本ってオリンピックでもメダル獲得数かなり上位でしょ?ナイジェリアなんて全然メダルとれないじゃん
例えば100M走が遅くても最初の10M、20Mが早い方がいいし、長距離走で勝てる持久力があっても瞬発力がなければ意味がない。跳躍力があっても競り合いが弱ければ勝てない。求められる身体能力はメダル獲得とサッカーで違う。またメダルを獲得するには身体能力に加えて練習設備、指導者、競技人口、国内の状況など色んな要素が絡むからメダル数の差でサッカーの身体能力の優劣を語るのは難しいよ。
@@redgraveflorence8610 でもナイジェリアなんてオリンピックで全くメダルとってないし、そんな国に対して『身体能力の差』っていわれても...単に『サッカーの』チームワークと個人技が劣ってたってことじゃないの?
@@waiha-tomotaro5528 最近の日本人はマジでフィジカルモンスター化してきたね!オリンピックの競技は、『ヨーイドン』で始まるし、また他者と物理的接触が基本的にない。接触あってもレスリングのような世界トップレベルの技術や歴史、育成の方法があり、また体重によるランク分け(ボクシングもそう)がある競技では強みを見せるが、かつてはサッカー、バスケ、ハンドボール(中東の笛もあるが)、接触がないにも関わらずテニスなどで身体能力の差を世界にまざまざと見せつけられた。何よりバレー(かつては技術で勝てたが身体能力の差が広がり勝てなくなっていったと聞いた。特に男子)、水球、短距離、跳躍は絶望だった。瞬発力と持久力と相反する能力が求められるサッカーにおいてはまだトレーニングすら今のような確立されておらず、当時『筋肉つけ過ぎたら鈍くなる』って言われてて、何よりカズはCFになるためにこの試合の2年後に身体大きくなってキレを落とした事実があった。それらの影響で日本人はサッカーにおいては『個では無理』、『技術重視』が言われるようになった。なにより『個では無理』と言ったのは、この試合の監督である加茂周さん。だからこそゾーンプレスやパスワークなどコレクティブな戦い方を選んだ。ちな、ナイジェリアはこのメンバーを中心に1年後アトランタ五輪金メダル。ナイジェリアの場合は、国内で人気ないからそのスポーツをやってない、育成機関がない、理論を知らない可能性があるのでは?黒色人種は筋肉量多過ぎて水泳は無理だし、道具を使うスポーツは金がかかるし、陸上はどうしても科学の面でアメリカ強いし、ジャマイカは国をあげて力入れてるし、レスリングなんてやってるんやろか?
@@waiha-tomotaro5528それをマジで言ってるならスポーツ無知すぎるなまずメダルとれないのはスポーツする環境がひどすぎるからアメリカの金メダルとった100メートルの黒人選手やNBAの身体能力高い黒人選手調べてみ?親がほとんどナイジェリア、カメルーン、セネガルとかでアメリカに移住してきたやつらだから、ちなみにそいつらも今現地に残ってるナイジェリア人のほうが身体能力高いからちゃんと環境があれば陸上系はアフリカ人が記録塗り替えるって発言してる。
加茂さんになってドーハ組が戻って来たのは嬉しかったけどこの大会で現実を突き付けられたな
加茂監督が掲げるゾーンプレス。コンパクトにしてボールを奪取して素早く全線に向かうっていうのはチームとしてやろうというのは感じられた。ただ個人の能力が低いので取ったボール後のパスがうまくつなげられない1対1で勝てないのですぐボールを取られプレスが効かなくなり自陣までゴリゴリ追い詰められる展開ばかりで圧倒されていた。バックラインからのパス回わしも単調で緩急がなく怖さを相手に与えられない。個人の技術や経験がワールドカップに出るぐらいのチームにはまだまだ及ばないというのがはっきりわかった大会でした。ワールドカップに出たい、ワールドカップに出た日本を見たいという日本全体のサッカー熱はドーハからこの時そしてジョホールバルへと最高潮に達していった。まだまだ弱かった日本がワールドカップ出場という夢へと向かう過程にハラハラドキドキワクワクしたのは本当に面白かった。
この頃の日本は色々観ていて胸が痛いな。日本がボール持つとしょっちゅう日本選手が転ばされてる。
多分、日本のFKは余り怖くなかったんだろな。でも凄いのは僅か30年で追いつきつつある成長力。
92年キリン杯、95年インターコンチ、98年フランスW杯と要所要所でアルゼンチンと試合してますね。
今や親善試合レベルならどのカテゴリーでも五分に戦える相手でアルゼンチンは日本から見たら現在地を測るものさしのようなチームです。
ドーハ組へのレクイエムとなる試合。
ファルカン監督時に大胆な若手切り替えで多くの批判を浴びたわけだが、その批判にこたえたのか加茂監督は多くのドーハ組を呼び戻した。
結果はご存知のとおりの惨敗。
でも加茂監督はこうなることはわかっていたんだろう、と。
多くのサッカーファンに現実を見せ付けることによって、その後は加茂監督も多くの若手選手を選出するきっかけになった大会だった。
アルゼンチンの前線の3人と左SBチャモの破壊力が凄かった。
特にアメリカ大会でも猛威を振るったチャモの突破力が強烈だった。
彼は年齢を重ねて守備力が磨かれていってCBとしても活躍したけど、個人的にはこの頃のチャモの破壊力が好きだったな
まさかこのたった3年後には中心選手が中田英寿、城彰二、川口能活、名波浩になっているとはな。
さらにそれから数年は異常なくらいの下からの突き上げの連鎖だったな。
そんな中でワールドカップのスコアラーと日本初勝利のロシア戦の出場選手になれた中山雅史は、中田英寿や本田圭佑に負けずに偉大。
@ あのジャマイカ戦の魂のゴールは今でも色褪せることはありませんね。
城に関しては中心選手とは言い難いな
@@ぐぅ-q5i
98大会、岡田さんいわく『FWの軸は城』
@@予祝スポーツくじBIG1等当選 らしいですね、個人的にです
サッカーファンになり始めの1992年にアジアカップの優勝を見て日本のワールドカップ行きが決まったのかなのと思ったけど、アジアカップがワールドカップ予選を兼ねていれば...
2:32
これをモノにできないとキツくなる…
久保建英を見ているようだ…
ジョホールバルのわずか2年前にこんなメンバーでやってたのがびっくりやな。ほとんど残ってないやん。
@@agichill
この大会の主力はアラサーなんです
磯貝が一番若い(24か25歳)のかな
闘将柱谷!
そのキャプテンシーと闘志を絶賛されて、主将の理想像のような事も言われてたけど、世界のプレスやスピードについて行けず、ミス連発してたなー、そんで周りのサポートが遅いような感じで怒鳴ってる映像が記憶に残ってる。
現実は厳しい
1995年インターコンチネンタルはメンバーこそ似通ってたけど、監督が違うから別チーム。メンバー同じでも監督違えば強さは変わってくるので、オフトジャパン・ドーハ組の仮想W杯にはなりえないと思う。
仮想で見てたのは、アメリカW杯で出てたサウジと韓国。
オフトジャパンが出ててもそこそこやれてたと思う。組み合わせによってはこの時にベスト16にいってたのでは、と思う(オフトジャパンに対して、ゴール前で守りまくって引き分けたあのサウジはベスト16いってる)。
なので、オフト以降の4年、1998W杯も含め、選手のレベルアップとは別に、日本代表はチームとしては停滞期、というかちょっと落ちたと思ってる(アジア枠拡大で3国目で予選突破したのも含めて)。
ナイジェリア戦は「技術的にはやれてるけどフィジカル面でどうしも勝ち切れないよね」って感じだけどアルゼンチン戦で何も通用していないのがよくわかった。
こうやって見るとボールはつなぐけど、フィニッシュ前のパスが雑だったり。シュートが枠に全然いかなかったり、世界に通用しない時期だったんだなぁと実感しました。良い思い出は胸にしまっておいた方がいいね。
当時は代表選手でもサイドチェンジのロングボールをピタッとトラップできないことが多々見られた。何だか火のついた爆弾を回しているかのような余裕の無いパス回し。ストイコビッチが当たり前ように止めるのを見て、まだまだ世界は遠いと感じた。
ところでわりとクリアな映像になってるけど、当時、生放送のテレビ映像見た時は酷い画質だった記憶がある。
あの時のアルゼンチン、ナイジェリアが
今の日本と戦ったら大敗する。
意味のない仮定
改めて見るとナイジェリア戦はまあまあチャンス作れてたんだな。3‐2ぐらいでもおかしくない。
短い時間だと割と渡り合えてるなって感じだけど
プレーが途切れずに続くとついていけなくなってしまうね
きりきり舞いでヘトヘトのところをいいようにやられてしまう
あたり負け以上の体力の差を感じる
この時もトラウマだけどこの前年の1994年のファルカン監督の時に戦ったフランス代表戦もヤバかった。日本国内の試合なのにW杯出場を逃してるせいかフランスも結構本気でトラップ、パスから何もかもがレベルが違って圧倒された。永遠に勝てないと思わされた。
アレも全然通用してなくて、最後のチャンスのときカズがモタついたけど自分でリカバリーして粘って小倉にパスして小倉は冷静に1点決めた。
加茂さんが、急に選手を変えたら周りがウルサイから
黙らす為にワザと選んだ。
都並、松永が通用しなかったな
前園、岩本、小倉が居たらなぁ。
インテルに獲得される前のハビエル・サネッティが既にフル代表でプレーしている。
アルゼンチン国内でも無名選手だったからな。
ほぼ30年前だけど、この時アルゼンチン代表で出場しているサネッティと、現役日本代表の長友がインテルで3年間も同僚だったって、よく考えるとすごい話だなぁ。
2人とも化け物のような選手寿命だと思う(カズのことは考えていません)。
確か、この大会は出場国みんな同じホテルに泊まってて、食事の際に「この長テーブル一列日本代表専用」にナイジェリア代表選手の一人が先に勝手にそこで食べててラモス選手がブチギレたエピソードがありましたね。
何でもケンカの理由にしてしまうラモス
@@wawonaeon4910自分達の場所勝手に使われてたら誰だってブチキレるだろ
審判、ボールに当たりすぎww
ボールに当たってない時でもメッチャ邪魔な所にいる😂
この大会はたしか実際は4-2-3-1システムで挑んでいて、カズは3の左をやっていたので、映像を観ると中盤でゲームメイクをしているシーンが多いですね。
都並や堀池、ラモスといったドーハ組が限界を示してしまった中、加茂サッカーの申し子、山口素弘が存在感を示し、この後欠かせない選手になりましたね。
ナイジェリアの身体能力がエグい!!
日本代表はスライディング特攻隊だなw
オフトから加茂さんに変わってまさか松永さんや都並さん、ドーハ組がカムバックするとは驚きだよ😮
磯貝はセンスがあるものの地蔵過ぎたね。
これなら年齢的の高いラモスの方が運動量豊富だわ😮
同じ左SBでもアルゼンチンのチャモの鋭いクロスに比べて、日本の都並の緩やかな山なりクロスは実にお粗末でゴールの予感などまるでしない。
この頃のチャモは攻撃的な左SBでしたね。
ドーパの時代は、今思えばあの時代の選手たちが、アジア勝ち抜くなかったのが当然の結果だったんだと今はわかる!
ズィッコが日本で一番の選手はカズじゃなくて福田だ。と言ってただけはある。
オフトも福田のサイドアタッカーとしての高い資質を見抜いていた。ストライカーとして成功を望む本人は嫌がっていたが(笑)。
ドーハ組なら世界をビックリさせる
サッカーを見せれたはず
今だに思う
もちろんアジア予選に参加した選手なら
ボールがおさまらないてことは、今後中田が登場するのがいかに重要だったかとわかるね。
いいとこどりしているから、それなりに戦えているように見えるだけで、ナイジェリア戦に関しては試合開始からあちこちでフィジカルコンタクトで当たり負けして20分ぐらい何もできなかった。当たり負けするので、当たってこられる前にボールを離すようになり、終始バタバタした展開になる。カズが放った苦し紛れのロングシュートも、当たり負けする前にシュートを打ったに過ぎない。筋トレしてセリエAに挑んでいたカズでさえもナイジェリア相手にフィジカルで通用しなかった。当時のナイジェリアはアフリカ最強だったとはいえ、日本代表の選手たちは明らかに経験不足。
アメリカワールドカップに出場出来ていたらとは、誰もが考えますね。
都並敏史が守っていた左サイドで
都並が怪我をしたところ、彼以外代表で使えそうな選手が全くいなかったbyオフト やカズがイタリアでは全くダメだった事なんか考えたらやはり厳しかったかもしれませんね。
加茂監督はイタリアサッカー本場のゾーンプレスをうたっていましたが、実際にイタリアで指導を受けたことはおろか、見たことすらなかったんだとか 笑
その前のファルカンは、初代表召集の時、ブラジルと比べて当然劣る日本代表選手を見て、彼らは足を怪我してるんか?と嘆いたそうです。
この時代は代表監督選びもブレてましたね
@@キンクマビッチ
1994年のW杯開催時期(サントリーシリーズ後)って、日本人選手ケガ人ばかり
代表合宿呼んだ選手がケガで辞退繰り返し、リアルに当時監督していたファルカンが嘆いたほど
主力でいえば
ラモス、都並、中山がサントリーシリーズほとんど出ていない
福田は平塚戦で当時J記録の4得点したが、これまたケガ
高木は広島の優勝が決定した試合でアキレス腱痛に我慢できず倒れ込む
メンバー決定したくともオフトは相当悩むんじゃないかな(当時は22人だっけか)
北澤・澤登・山田隆・武田・黒崎などサブメンバーを主力にする
公文・風間・浅野・永島・木村和司・水沼貴史らベテランを復帰させる
当時活躍していた若手にかける(大野・本田泰・秋田・柳本・片野坂・名良橋・岩本・藤田・前園・長谷川祥・野口・山口・小倉・佐藤慶など)
この大会磯貝が地蔵すぎて絶望したな
というかこの世代の日本代表はいろいろ話にならないレベルだった
遅い、下手、動かない、フィジカル弱い
ギリギリ福田だけかな、ある程度スピード活かした突破したりそこそこ健闘してたのは
アルゼンチンのバティ、オルテガ、ランベル、チャモらの衝撃は凄かった
この試合でめちゃめちゃ凄かったランベルはこの後インテルであんま活躍できなっかったのが意外だった
この世代が94年アメリカ大会出てても3戦全敗だったと思う
それくらいレベル低かった
解説者が『磯貝くんは天才と言われていますけども、アルゼンチンの選手(世界の選手?)と比べると‥‥‥』って言ってましたね
@@予祝スポーツくじBIG1等当選 そこまでは覚えてないですけど日本代表の駄目っぷりとアルゼンチンの衝撃は今でも覚えてますね
@@予祝スポーツくじBIG1等当選言ってました🤣🤣🤣
ドーハの悲劇で出場を逃した旧代表メンバーにとっては、仮想ワールドカップをやれた良い機会になったかと思われます。
@@ミラクルA-o8s
加茂さんが真偽はともかく『戦術理解が高いから』って理由でドーハ組中心にメンバー選出したからこそ、ですね
澤登選外は意外でしたが
結果はどうであれ、俺はドーハ組のワールドカップが見たかった
ナイジェリア戦で情けない自殺点をした名塚はこの大会以降は代表に選ばれなくなった。
日本戦の先制ゴールを決めたランベルドも新シーズンに欧州のクラブに引き抜かれたが何故がその後消えてしまった。
そう
ランベルトのその後は意外だった
インテルに移籍したっけ?
違ったらすみません
自分はアルゼンチンのチャモにビビった
たしか2点目はチャモだったはず
足元上手いのにDFなんかと当時思ったなぁ
@予祝スポーツくじBIG1等当選 この前年にW杯を制したばかりのブラジルのレオナルドが鹿島に加入し、続いてこの年にはジョルジーニョが加入した。
2人ともセレソンでの役割はSBだったが上手過ぎるので鹿島での役割は中盤の指揮官だった。
同じくこの年のインテルにはサネッティとロベルト・カルロスという規格外のSBが2人揃って加入した。
ただのクロスマシーンに過ぎなかった当時の日本人のSBとは次元が違い過ぎたわ。
チャモはアメリカ大会でも猛威を振るってましたね。
マラドーナやバルボ、レドンド辺りと連携しながら左からゴリゴリ縦に推進し、相手守備を崩す姿は圧巻でした
@@カタロニア-v8i
ブラジルは『下手な選手は後ろにいく』って言われてますもんね。
そりゃ前は巧い選手ばかりなはず。
82年なんざ、チームで中盤やってるジュニオールが試合に出たいがためにLBやってましたね。
レオナルドはサンパウロでは中盤でしたかね?LB起用は当時のパレイラ監督が後にライーを外すほど中盤を守備ができる選手で固めた影響、ビルドアップ時の3-5-2可変の影響でしょうか?
この時代小学校のサッカーみたいにみんなボールに行ってる
コンパクトなサッカーが試行錯誤の段階だったのです。
磯貝って映像に残ってるプレーって微妙なのばっかなんだよな。世代でトップの天才扱いだけど、それを裏付ける映像が残ってない。
ガンバでのプレーはあるけど、それもさしてすごいプレーってわけでもない。
普通、すごい選手って、いついつの何戦でのプレーはすごかった、ってなるじゃん。それも聞かない。きっと全盛期が学生時代だったんだろうな、と思う。
高校サッカーの衝撃が全てですね。
いかせん、運動量が無い
@@チーシゲ-b3g磯貝運動量全然ないですよね
ゴルファーに転向していたな
1995年当時のナイジェリアと今の日本代表はどちらかのほうが強いんだろう?
直接対決なら今の日本代表が現在の戦略を使って封じる。
@不死鳥-i1p
回答ありがとう👍
戦力的には当時のナイジェリアから見ても現在の日本代表は全く劣っておらずフィジカルとテクニック、スピードが当時の日本代表から見たら比べ物にならないほどレベルアップしているからね。
圧倒的に日本じゃないですか?2-0か3-0で勝てそうですけど。
@@青ゴジラ-j7t
94年ワールドカップのナイジェリアは失点こそ少なかったものの全体的に見ると90年代のナイジェリアは守備が弱点でしたからね。今の日本代表は守備力もそこそこのレベルはありますね。
@@氷の恒星
絶対に今の日本代表
技術もフィジカルも負けてないし、なにより個人戦術を比較したらバカ高い
この大会、ナイジェリア、アルゼンチン、デンマークが優勝候補やったけど、今の日本なら優勝できる(シュマイケルからゴールを奪えたらだけど)
タイ のピアポンにチンチンにやられたときは、くやしくて泣きそうになった
アジアでも国をあげて人気なスポーツでは勝てないと思ったな
流石のポイチも✋が出ないだろうな。
時計を逆回しにしてドーハ組を呼び戻した加茂にブチ切れですよ
でもドーハ組が世界相手にどこまでやれるかちょっと見たかったファンは当時わりと多かった…ハズ。
ワザと
@@こにょしき
ファルカンはファルカンで当時叩かれていたよ
今を見た日本人と、98年を見ていたファルカンとで差があったんだと思う。
ファルカンから見たら、『世界を知らない』という点ではドーハ組も一緒やもん。だからファルカンは経験不足の若手を選んだのかもね。
加茂さんは『戦術理解が高いから』って理由でドーハ組を呼び戻した。実際はボロボロだったけど、若手連れていっても大して変わらないでしょ!
ただし、気になるのが協会やスポンサー!
近年でも訳わからんことしていたんやから、加茂さんへ代表メンバー選出に何か依頼があっても今となっては不思議ではなく思える
このインターコンチネンタルカップは
私の住んでた地域はテレビ中継が無く
後日ダイジェスト版が放送予定だったが阪神淡路大震災発生で
放送休止になって見れなかった。
テレビ東京で放送だったからね
@giantsnagashima33 返信ありがとうございます、そうでしたね、アルゼンチン戦はラジオで聴いてました。
完全に遊ばれているじゃん。今のグアム代表レベルくらいにしか感じない。
日本vsグアムを見てみたい。
全然通用してなくても意地で強豪国相手に1点決めてるカズより、サンドニでシュート数本打っても無得点で0-5で惨敗してる中田のが絶賛されて伝説の試合扱いされてる不思議😅
この時のナイジェリアは翌年アトランタで金メダル取るメンバーばかりだし、アルゼンチンもほとんどが準優勝メンバーだからそりゃ強い。実際94年W杯に出た韓国とサウジはかなり活躍した訳だから、日本がもし出れてればそこそこやれただろうなと思う。
1994年のW杯開催時期(サントリーシリーズ後)って、日本人選手ケガ人ばかりよ
リアルに当時監督していたファルカンが嘆いていたもん
代表合宿呼んだ選手がケガで辞退繰り返していたからね
主力でいえば
ラモス、都並、中山がサントリーシリーズほとんど出ていない
福田は平塚戦で当時J記録の4得点したが、これまたケガ
高木は広島の優勝が決定した試合でアキレス腱痛に我慢できず倒れ込む
メンバー決定したくともオフトは相当悩むんじゃないかな(当時は22人だっけか)
北澤・澤登・山田隆・武田・黒崎などサブメンバーを主力にせざるを得なかったり、公文・風間・永島・木村和司・水沼貴史らベテランの復帰、はたまた大野・本田泰・秋田・柳本・片野坂・名良橋・岩本・藤田・前園・長谷川祥・野口・小倉・佐藤慶ら初代表組を本大会に連れて行かざるを得なかったかもね
当時の印象
①カズ下手
(他選手とポジ重なり過ぎ、いらない
ドリブル多)
②磯貝連系不足(時間不足のため周囲と
合っていない、準備不足で磯貝の責
任とは言えない)
③チーム全体をカズより福田のほうが
マッチする(オフと時代から)
当時のカズは『ボールを触りたがって中盤に下りてくる』、『中盤で跨ぎまくっても無意味じゃね?』って言われてましたね
この年、福田はJでやっと1シーズンまたもに稼働して、しかも得点王獲得、またブラジル戦で日本人初ゴールと絶頂期でしたね。オジェックが来て良かった
下手でも最後には得点しちゃうのが全盛期のカズなんよ
カズに対してド素人は下手と言いプロは上手いと言う定期
身体能力の差ってなに?
日本ってオリンピックでもメダル獲得数かなり上位でしょ?
ナイジェリアなんて全然メダルとれないじゃん
例えば100M走が遅くても最初の10M、20Mが早い方がいいし、長距離走で勝てる持久力があっても瞬発力がなければ意味がない。跳躍力があっても競り合いが弱ければ勝てない。求められる身体能力はメダル獲得とサッカーで違う。またメダルを獲得するには身体能力に加えて練習設備、指導者、競技人口、国内の状況など色んな要素が絡むからメダル数の差でサッカーの身体能力の優劣を語るのは難しいよ。
@@redgraveflorence8610 でもナイジェリアなんてオリンピックで全くメダルとってないし、そんな国に対して『身体能力の差』っていわれても...単に『サッカーの』チームワークと個人技が劣ってたってことじゃないの?
@@waiha-tomotaro5528
最近の日本人はマジでフィジカルモンスター化してきたね!
オリンピックの競技は、『ヨーイドン』で始まるし、また他者と物理的接触が基本的にない。
接触あってもレスリングのような世界トップレベルの技術や歴史、育成の方法があり、また体重によるランク分け(ボクシングもそう)がある競技では強みを見せるが、かつてはサッカー、バスケ、ハンドボール(中東の笛もあるが)、接触がないにも関わらずテニスなどで身体能力の差を世界にまざまざと見せつけられた。何よりバレー(かつては技術で勝てたが身体能力の差が広がり勝てなくなっていったと聞いた。特に男子)、水球、短距離、跳躍は絶望だった。
瞬発力と持久力と相反する能力が求められるサッカーにおいてはまだトレーニングすら今のような確立されておらず、当時『筋肉つけ過ぎたら鈍くなる』って言われてて、何よりカズはCFになるためにこの試合の2年後に身体大きくなってキレを落とした事実があった。
それらの影響で日本人はサッカーにおいては『個では無理』、『技術重視』が言われるようになった。なにより『個では無理』と言ったのは、この試合の監督である加茂周さん。だからこそゾーンプレスやパスワークなどコレクティブな戦い方を選んだ。
ちな、ナイジェリアはこのメンバーを中心に1年後アトランタ五輪金メダル。
ナイジェリアの場合は、国内で人気ないからそのスポーツをやってない、育成機関がない、理論を知らない可能性があるのでは?黒色人種は筋肉量多過ぎて水泳は無理だし、道具を使うスポーツは金がかかるし、陸上はどうしても科学の面でアメリカ強いし、ジャマイカは国をあげて力入れてるし、レスリングなんてやってるんやろか?
@@waiha-tomotaro5528それをマジで言ってるならスポーツ無知すぎるな
まずメダルとれないのはスポーツする環境がひどすぎるから
アメリカの金メダルとった100メートルの黒人選手やNBAの身体能力高い黒人選手調べてみ?
親がほとんどナイジェリア、カメルーン、セネガルとかでアメリカに移住してきたやつらだから、ちなみにそいつらも今現地に残ってるナイジェリア人のほうが身体能力高いからちゃんと環境があれば陸上系はアフリカ人が記録塗り替えるって発言してる。