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拓郎は僕よりもかなり年上だけど、当時の「世情」を思い出しつつ、後半を聴いていました。たしかに既存の音楽を変えて行って、今につながる大きな流れは、彼から生まれたものが多かった。でもそれは楽曲的革新と言うよりも、歌詞に表れるように、彼の生き方をそのまま真っすぐ貫いたスタイルが広い共感を呼び、それがさらに新たな音楽を生み出していったように思います。深夜放送のパーソナリティを長く務めて、彼の好みや意見を発信したことの縁協力も大きかったでしょうね。当時の若者文化と言えば(60年安保の頃と70年とではだいぶ違うけど)、反体制やヒッピーに加えて、大正教養主義のようなものがまだ根強く残っていて、「カミュもサルトルも読んでない奴は口をはさむな」的な、若者たちが勝手に自らを縛っていた部分もあったと思うのです。でも、そうやって眉根にしわを寄せて青春を駆けていたみんなに、もっとありのままの日常を肯定して見せた、それが賛否両論あったけれど、当時の拓郎の存在感だったと思っています。僕は、「永遠の嘘をついてくれ」は、かなり過激な学生運動の後日談を歌った曲だと思っています。その曲をみゆきさんが拓郎に贈ったということは、やはり彼の中にも、「その時代」はいつまでも残っているのかも知れません。「シュプレヒコールの波」を否定して悲しい思いの「頑固者」、でもその姿は、シュプレヒコールを上げている彼らの未来かも知れない…。「世情」を聴くたびに、まさに拓郎が生きた時代の「時の流れ」を思っています。今回は難しいこと書いちゃったけど(汗)、若者にもわかりやすく拓郎の存在意義を語ってくれた、素敵な動画でした。ありがとう。
拓郎は青春そのものファン歴50年 爆発的なシャウトが鳥肌と涙でした~身体が弓なりになり魂のシャウト しびれる〜
今年、66歳。拓郎は青春だったな。泣ける、ありがとう。
子供の頃に大人達が嫌いだった僕達は拓郎さんの長髪にギター、自分を主張する歌声のカッコ良さに惚れ惚れしてました。そして拓郎さんの歌からたくさんの事を教わり大人になったワタシ達はいつも立ちはだかる壁に向かって拳を振り上げてます✊『あの頃、長髪だった僕達は路上でも学園祭でもギターさえあれば、みんな拓郎になれたんだ♫』時代を超えて今も尚、拓郎さんは偉大ですね👍🌟🌟🌟ミチルさん拓郎さん列伝ありがとうございました♫
毎回楽しみにしています😊今回もミチルさんの独自の目線で深く切り込んだ名解説ですね。素晴らしいです🎉
こんばんは♪日本シンガー列伝「吉田拓郎さん」楽しく拝聴して参りました♪私も45年前ギターを 始めた理由は女の子にモテたい(笑)そんな下心丸出しでした♪皆んな(男性)そうだったとかと思います!当時は拓郎節とも言われ、曲を聴くと直ぐにわかるぐらい独自のオリジナル性が魅力的でした♪しかし、楽曲は特別なものではなくその時代の中、日常にある素材を言葉にして、決して飾ることなく聴きて目線の曲が印象的でした♪かと思えば自身の魂をしぼり出すような歌や社会的な背景を詩にしたメッセージ性の強い楽曲を作ったり、、、とにかく渋くかっこよかったです♪男が男に惚れる生き様!理屈なく憧れでした♪中島みゆきさんが拓郎さんに楽曲提供した曲「永遠の嘘をついてくれ」みゆきさんの拓郎さんへの想いを綴った詩のように想います♪まさに、シンガーソングライターの 歴史の一ページを飾るにふさわしい素晴らしい功績を築いたシンガーだと思っています♪今回も有難うございました😊😊
拓郎の曲、ベスト10を述べよ!と言われ、今、答えても明日、同じ質問をされたらキッと違う解答をしてると思います。それ程、凄い歌手なんです。
人それぞれのメジャー10作品が列挙されるんでしょうね。
@@浜やん蔵 さん決してメジャーな曲ばかりじゃないと思いますヨ😊!
今日までそして明日からが好きですクレヨンしんちゃんの映画のラストで初めて聴いて、幼心ながらに胸打たれたのを憶えています
拓郎を紹介していただいてありがとうございます。もっともっと若者たちに知ってもらいたいですね。広島フォーク村の後輩、浜田。今も憧れ続けてるだろう、長渕。みゆき姉さんも同じだと思う。拓郎がライブで「ファイト」を歌った時は衝撃でした。鳥肌が立ったのを今も忘れられません。
お若いのに吉田拓郎を語るなんて珍しいと思い拝見しましたが、分析力もあって大変素晴らしいです。当時分かっていなかったですが拓郎が日本の音楽の礎を作ったことがよくわかりました。久しぶりに初期のアルバムを引っ張りだしてみます。
吉田拓郎の歌に出会ったのは、中学2年生の時です。拓郎のことは決してよく知っていたとは言えませんが、テレビに出ないという選択をしていた拓郎が、最高に格好良かったと思っていました。テレビに出ないのに、旅の宿が1位でしたし、中学時代すごく好きな歌でした。「結婚しようよ」が革命的な歌だったというのは、まだ10年ほど前に知ったばかりです。
岡本おさみとの出会いは音楽的奇跡だと思う。岡本さんはプロの作詞家というより詩人寄りの人。歌作りではアマチュア。だから文字数の整合性とかあんまり考えてない。それを詞先で曲をつけようとしたときに拓郎とのマジックが生まれたと思う。「暑中見舞い」「ビートルズが教えてくれた」「君去りし後」などなど、言葉がメロディとリズムを得て跳躍している。
自分が吉田拓郎の歌で衝撃を受けたのは「人間なんて」深夜放送の歌番組でライブ盤が流れた時に衝撃的でした。ライブで流れたのは長い時間を使った物ですが、歌詞自体はとても短いですが、凄く心に刺さる物でした。それまでは吉田拓郎の名前は「旅の宿」で知っている位でしたから。中島みゆきさんの歌は365℃までアルバムを買って聞いていましたが、その後聞かなくなりました。何故かは分かりません。「臨月」までは凄く好きだったかなぁ、「36.5℃」までは続けて買いましたが、その後「わたしの子供になりなさい」までは間欠でアルバム購入しましたが、あまり聞く事も無くになりました。今の方にはメジャーでは無いと思いますがイルカも特集してもらえると嬉しいです。吉田拓郎さんともちょっと縁のある方ですし。
フォーライフレコード所属アーティストの歌で育ったのに、吉田拓郎さんについては知らないことがたくさんありました。勉強になりました!
何と心地よい声でしょう!
きたぁ!!!待ってました!!!(テンプレ)
僕が大学生の頃、初めて日比谷の野外音楽堂で、卓郎のライヴを聞きました!💫あれから50年位の時が流れましたが、思い切り叫んで歌っていた卓郎の姿が、今でも大好きですね❗自分も仕事に熱中し、思い切り叫んでやるぞ、と今も思います🙋♂️
熱意は十分伝わりますが、森永卓郎さんのLIVEみたいなので、せめて拓郎とお書き入れて頂ければ嬉しいですね。申し訳ありません🙇🏻
@@浜やん蔵 さん謝る必要はありません😊
拓郎大好き!と言いながら漢字を間違う人のなんと多いことか。変換候補の最初に出てきたのを確認もせずに選択してるのか、本当に50年間間違った漢字を正しいと勘違いしていたのか、本当に理解出来ない
@@Tりょん ”洛陽” も、ねぇw・・
なんか、感動しました。つま恋に行った世代です。ありがとうございました。
そうですね。吉田拓郎さんは、シンガーソングライターであり、フォーク・シンガーではないですね。
拓郎さんは 私のバイブルです❗ 私の 人生にずっと寄り添ってくれました 71歳
日比谷の野外音楽堂で、大学生の時、卓郎を初めて聞きました❗がむしゃらに叫んで歌っていた卓郎が、今でも大好きです❗50年の時が流れても、自分の仕事でがむしゃらに叫んでやってやるぞ、と思います🙋♂️!💫
拓郎ですよ
森永卓郎ですね😂
吉田拓郎さん、同じ鹿児島県出身なんですね☺️この企画ためになりますね❤️今夜もありがとう🍀
時代や環境によって若者が若者らしくいられなかったって言葉が印象に残りました。私もそうなんだろうなと思って。だから自由な人にはやっぱり憧れます。
まさにパイオニアですね♪1975年のつま恋「朝まで歌うよ」に参加しました。5万人の若者のエネルギー、それは凄かったですね。浜田省吾のドラム「愛奴」とのツアー、何度も見に行きました。オープニングの大音量「おろかなる独り言」には身も心もぶち抜かれた思い出があります(笑) とにかく巨大な音楽業界に風穴を開けるきっかけになったのはまさに拓郎さんですね。とにかく凄かった・・・w
今回も楽しくも感心しながら視聴させて頂きました。拓郎さんを表現するのに『うちにひめる熱』という言葉に凄く共感しました。この言葉に合うミチルさんの曲は?と考えたら『傍観者』かな?と言う事で『傍観者』リクエストします。
今日、初めて知った曲なんですけど、高石ともやさんの「ベトナムの空」と高田渡さんの「東京フォークゲリラの諸君達を語る」というのを聴きました。戦争は今も無くなりませんが、歴史の象徴的な歌だと思いました。
拓郎は私の青春だったように思います。もう50年以上追って来ました。札幌にきたライブには必ず行ってました。つまずいたとき、拓郎の歌を聞き、詩を読んで勇気もらいました。みゆきさんが拓郎のファンだったのは有名です。みゆきさんの歌も詩も大好き。つま恋での最初で、最後の2人並んでのみゆきさんが拓郎に送った歌感動しました。今は昔の映像が見れるいい時代です。あなたの歌とっても素敵でした。拓郎を語ってくれて歌ってくれて嬉しかったです。ありがとうございました。
すげ~ この人マジに拓郎知ってる研究できてる コメント大正解。
流星を聴くと涙が出てきます
2024年で67歳になった元若者です。中3の文化祭でギター好きが3人集まり、拓郎のイメージの唄と夏休みをやりました。大喝采を浴び、後にその中学校に「ギター愛好会」が出来たと聞いてます。今思えば「アーこれが青春!!」
永遠の嘘をついてくれは1995年じゃないかな?拓郎さんが現代音楽の第一人者なのは確かな事かな。
間違えて打っていたようです!ぼかしました!!ありがとうございます!!
拓郎とみゆきとあいみょんがいい❤64歳です。これ沢山いるよね
今でも「永遠の嘘をついてくれ」のイントロを聴くと泣けてくるのは何故なんだろう。今は一線を退いても、吉田拓郎が創った楽曲の数々が”永遠の嘘”をついてくれているので、寂しさは半減してますね。紹介されたベスト盤購入しようかな。
え~~~ ここは賛同できない 拓郎のライブは熱そのものでしたよ
たくろうさんは私の青春でしたレコード(死語ですか?)では、デビューの頃は吉田拓郎ではなく確かよしだたくろうとひらがなで書かれていたと思います「旅の宿」はシングルバージョンではなく、アルバムバージョンのギターをコピーしてました当時は今のように弾き語りのRUclips動画もない時代なので自分の耳と音楽雑誌を参考に一生懸命練習しましたハンマリングオン、プリングオフは難しくてなかなかマスター出来ませんでした「りんご」は作詞:岡本おさみ/作曲:よしだたくろう/ギター:石川鷹彦の最高傑作だと思います「落陽」のフーテン暮らしのあのじいさんに会って男の話を聞きたいネ(差別になるから女の話も聞きたいネ)どこにいるんだろう 生きているんだろうかそんな思いが駆け巡ります吉田拓郎さんの「日本シンガー列伝」の動画を配信していただきありがとうございました
「ぷらいべぇと」については、ちょっと違うかもね。For Lifeがうまく行かず、さりとて、オリジナルアルバムを出すほどの歌もなく、苦し紛れに作ったアルバムだと、本人が語っていました。拓郎の「暗黒時代」の始まりだったのだと思います。それ以外の文化的な背景、特に鬱積した若者たちに、自由に歌うことを見せたという分析は非常に同意です。その時代にいた一人として、そう思います。中学の時、かぐや姫などの湿っぽいフォークソングを聞いていた僕に、友人が差し出した1枚のLP。「Live 73」は脳天を貫かれたようなショックを受けました。それ以来、拓郎一筋にやってきました。今でもバンドでは拓郎を歌います。最後に入っている「望みを捨てろ」は、もう涙が溢れて止まりませんでした。
とにかく私自身拓郎ファンではあるけれど~ 一度彼自身に聞いてみたかった。 現在70才を遠に過ぎた彼の心境として、彼の切実なるメッセージ伝聞… あの「今 古い船を動かせるのは古い水夫じゃないだろう」の詩歌にて、 彼は高齢なる現在も・・その年齢にて→→ いまだ自身が「古い水夫」には値しないをんだと→ 一生。 との生き様を示している! とは現在 考えにくい点も有りで… 。 コメント語るアナタ・・・そんな、たぶん深い部分 分かってるんだろうかと… 思えば、若者?なるアナタには、あなたの50年後まで、けして解らない世界なんだろう。そんなのも皆さんに共通する、生きてゆく者の悲しさ・寂しさなのでしょう。
全部好きだけど、一番好きなのは「春だったね」です!
「春だったね」好きです♪「明日に向かって走れ」も大好きです。
辿り着いたらいつも雨降り
アジアの片隅で、とか、マイナーですが証明という曲等秘めてる思いがだだ漏れで歌ってます。他にも色々あるけど80年前半が特に歌い方が ガナッた?歌い方してるように思う。
吉田拓郎のどの曲が一番好きですか? この手の質問ってメチャ無粋だと思います。中島みゆき・ユーミン・陽水他、一番好きな曲なんて選べません。しかし、拓郎には答えが出るんです。『唇をかみしめて』 武田鉄矢主演の映画「刑事くん」そのエンディングに流れてきます。あまりハッピーエンドとは思えない幕切れにピッタリで、主人公と三枚目以下の自分を重ね何とも言えない気持ちで映画館を後にしてました。
刑事物語
母さんだだいま俺刑事になったよ
@@gettingbetter3148 さん通にしか分からないコメ!大爆笑デス😂😂。。。
唇をかみしめて を推しているのに・・「刑事くん」と来たかーw
ルーツがR&Bとは新発見です。
吉田拓郎はフォークソングと歌謡曲と演歌と全ての音楽ジャンルの壁を取っ払ったパイオニアです。現在の夏フェスに通じる大規模野外コンサートや全国ツアーも拓郎が始めました。ライバルで盟友の井上陽水も自身のカバーアルバムで拓郎の『リンゴ』をカバーして拓郎へのリスペクトを表しました。それまでの作詞家、作曲家、編曲家の分業スタイルの音楽形態をたった一人でこなしてしまうスタイルを確立して日本の音楽業界に革命をもたらしたと言っても過言ではありません。😃❤️
私は、カントリー音楽も通じるものがあるんかなと思います。
唇をかみしめてが良いです。あんなずっしりとした詩が、軽く歌わてます。拓郎さんの歌は、現代のラップ。字余りを押し込む。
昭和の歌って歌詞がすごいなと思います。高校の時、初めてギター買いましたが調律する時、弦が伸びすぎて切れた思いがあります。それ以来苦手になりました。
つま恋では、駅から1メートル進むのに10分ぐらいかかりました。炎天下。若いからできたんですね。飲み物が水でだんだん値上がりして、当時でおにぎり3個千円とか缶ジュース一本何百円とか。最初の南こうせつさんの「一番星に拍手」ていう言葉が印象に残っています。
非常に有り難い動画なんだけど漢字は、わざと間違えてるのかな?どっちにしてもアリガトー。拓郎ファンとしては感謝ですよ。
拓郎さんはR&B そのなかでもメンフィスサウンドに大きな影響を受けています、R&Bを白人が真似てバンドでやりだしたのがロックですすなわちR&B=ロックなのです。ディランをエレキバンドでやりだしたのがフォーク・ロック(バーズ)のはじまりですすなわちR&Bからのロックとフォーク・ロックその合流地点に吉田拓郎がいます
みつばちマーヤの冒険は襟裳岬の一年後なのねw拓郎さんが森進一さんに曲書かなかったら、あのアニメ曲の名コンビ(伊勢正三、水前寺清子)もなかったのかもしれないwフルバージョンではチータがシャウトするからねw
歌うまいですね!
拝見致しましたがやや新聞記事みたいな紹介で少しがっかりです…。ファンの主観ですが拓郎の魅力は1.声2.作曲能力・演奏センス3.先見性とセルフプロデュース力特に1です。モノマネが誰も出来ない稀有な声です。特に1979年から1982年くらいが神がかっています。声量ありますよ。あの時代の機材でフルバンド従えても全く負けて無い歌の神様です。2はやはり4拍子や3連やスリーフィンガーくらいしか無い時代にアコギでファンクな16刻むみたいなギター演奏。エレック2枚目からCBS期まではほぼハズレ曲無しの天才ぶり。バラエティに富み過ぎてファンが挙げる好きな曲もほんとにバラバラ。3としては若いのにレーベルを持ったり石川鷹彦様や松任谷様や高中様や瀬尾一三様などの若者無敵メンバーでアルバムセールスやライブLP作りも大成功。とにかくミュージシャン選びも天才的。現代では定番のGibson J-45 を日本で真っ先に使ったりと先見の明のかたまりです。全国ツアーもフォークがどうとかでは無くてPAを一式組んでリハでセッティングを作って東京から各地へ持って行ってライブを行うスタイルで始めたのが拓郎さんと言う事です。結婚しようよはヒットさせる為に狙って作った曲との事ですが初出はエレックのアルバム 人間なんて なのにシングルはCBSソニーからと言う不思議なEPです。ライブでは再現が難しいくらい加藤和彦様のボトルネックギターによる表現が冴え渡る唯一無二の秀作です。
沢田研二さんと吉田拓郎さんがライバルでしたヤン🤓
拓郎さんはジュリーをライバルだと思ってなかったと思うなぁ‥?あの時代は唯一無二の方がいましたね!
さっきまで昔の拓郎幸之助のオールナイトを聴いていた自分には、ボックスCDのおまけに堀北真希風の拓郎カレンダーが付いている気がしてしょうがない。
人間なんて、ララララーラー!!、カラオケなんかでは歌えないんだよね。😂
拓郎のサインと一緒にうつた写真を持っています
話し声は癒し系でとてもいいです。歌手活動から引退した後に若い方からリスペクトされているのがなんか嬉しいですな。ところで字幕の件ですが、政治的講義は政治的抗議の誤りではないですか?ご自分で付けた字幕じゃなかったらごめんなさいです。
吉田町の歌 は音楽の教科書に載るべきだと思います。
ビートルズのコピーバンド?
そりゃまあそうなんだけど、ちょっと浅いな、まだ。「Jpop」は拓郎さんあたりのSSWからではあるけれど、実質的にはFor LIFEが事業として成功したところからってのは間違いない。そして現代では意味が分かりにくいだろうけれど、最初の実質的売れるアルバムアーティスト。まあ数字的には氷の世界のほうが凄かったけどね。そしてシンガー、そしてソングライターとして凄いのはご存知の通りだけれど、実は優れたサウンドクリエイターだ。自分が、と言うより周りに集めた集まって来た。自分の書いた凄い歌を如何にしてもっと凄く聴かせるか。人間なんての短いフレーズを延々と繰り返すことによるトランス状態。結婚しようよ前後の加藤和彦、石川鷹彦。瀬尾一三。ほぼ新曲の爆発的ライブアルバム‘73には高中のリックが詰まっており、ポップになってからの松任谷。更にはブッカーTやら。まだまだいろいろ。それに戦略家。イベンターを巻き込んでの戦略家。ForLife設立やら24時間野外フェス、無人島。あー語りきれない。そして拓郎さん自身は多分まだ自分の、人生を語らず!
拓郎さんの本質は、ロックなのではないかと、思いますが?
本人はフォークを否定してます。ロックもありR&B だと思います
分析は間違っています。当時の若者は、今の若者より型破りに自由に生きてました。
拓郎とは小学校中学校が一緒です。
貴方も、同じ時期に、鹿児島~広島へ移られたのですか?すごいデスネ。
おい。なくぞじーちやん、
余計なお世話ですが「だらく」ですね(笑)
どこかで井上陽水と差がついてしまったな
小室等のせいで社長業に専念しなきゃいけなくなったから陽水も当時、拓郎には迷惑かけたと言っていましたよ。
拓郎は僕よりもかなり年上だけど、当時の「世情」を思い出しつつ、後半を聴いていました。
たしかに既存の音楽を変えて行って、今につながる大きな流れは、彼から生まれたものが多かった。でもそれは楽曲的革新と言うよりも、歌詞に表れるように、彼の生き方をそのまま真っすぐ貫いたスタイルが広い共感を呼び、それがさらに新たな音楽を生み出していったように思います。深夜放送のパーソナリティを長く務めて、彼の好みや意見を発信したことの縁協力も大きかったでしょうね。
当時の若者文化と言えば(60年安保の頃と70年とではだいぶ違うけど)、反体制やヒッピーに加えて、大正教養主義のようなものがまだ根強く残っていて、「カミュもサルトルも読んでない奴は口をはさむな」的な、若者たちが勝手に自らを縛っていた部分もあったと思うのです。でも、そうやって眉根にしわを寄せて青春を駆けていたみんなに、もっとありのままの日常を肯定して見せた、それが賛否両論あったけれど、当時の拓郎の存在感だったと思っています。
僕は、「永遠の嘘をついてくれ」は、かなり過激な学生運動の後日談を歌った曲だと思っています。その曲をみゆきさんが拓郎に贈ったということは、やはり彼の中にも、「その時代」はいつまでも残っているのかも知れません。「シュプレヒコールの波」を否定して悲しい思いの「頑固者」、でもその姿は、シュプレヒコールを上げている彼らの未来かも知れない…。「世情」を聴くたびに、まさに拓郎が生きた時代の「時の流れ」を思っています。
今回は難しいこと書いちゃったけど(汗)、若者にもわかりやすく拓郎の存在意義を語ってくれた、素敵な動画でした。ありがとう。
拓郎は青春そのもの
ファン歴50年
爆発的なシャウトが鳥肌と涙でした~身体が弓なりになり魂のシャウト しびれる〜
今年、66歳。拓郎は青春だったな。泣ける、ありがとう。
子供の頃に大人達が嫌いだった僕達は拓郎さんの長髪にギター、
自分を主張する歌声のカッコ良さに惚れ惚れしてました。
そして拓郎さんの歌からたくさんの事を教わり大人になったワタシ達はいつも立ちはだかる壁に向かって拳を振り上げてます✊
『あの頃、長髪だった僕達は
路上でも学園祭でも
ギターさえあれば、みんな拓郎になれたんだ♫』
時代を超えて今も尚、拓郎さんは偉大ですね👍🌟🌟🌟
ミチルさん拓郎さん列伝ありがとうございました♫
毎回楽しみにしています😊今回もミチルさんの独自の目線で深く切り込んだ名解説ですね。素晴らしいです🎉
こんばんは♪
日本シンガー列伝「吉田拓郎さん」楽しく拝聴して参りました♪私も45年前ギターを 始めた理由は女の子にモテたい(笑)そんな下心丸出しでした♪皆んな(男性)そうだったとかと思います!
当時は拓郎節とも言われ、曲を聴くと直ぐにわかるぐらい独自のオリジナル性が魅力的でした♪
しかし、楽曲は特別なものではなくその時代の中、日常にある素材を言葉にして、決して飾ることな
く聴きて目線の曲が印象的でした♪
かと思えば自身の魂をしぼり出すような歌や社会的な背景を詩にしたメッセージ性の強い楽曲を作ったり、、、
とにかく渋くかっこよかったです♪
男が男に惚れる生き様!理屈なく
憧れでした♪
中島みゆきさんが拓郎さんに楽曲提供した曲「永遠の嘘をついてくれ」みゆきさんの拓郎さんへの想いを綴った詩のように想います♪
まさに、シンガーソングライターの 歴史の一ページを飾るにふさわしい素晴らしい功績を築いたシンガーだと思っています♪
今回も有難うございました😊😊
拓郎の曲、ベスト10を述べよ!と言われ、今、答えても明日、同じ質問をされたらキッと違う解答をしてると思います。それ程、凄い歌手なんです。
人それぞれのメジャー10作品が列挙されるんでしょうね。
@@浜やん蔵 さん
決してメジャーな曲ばかりじゃないと思いますヨ😊!
今日までそして明日からが好きです
クレヨンしんちゃんの映画のラストで初めて聴いて、幼心ながらに胸打たれたのを憶えています
拓郎を紹介していただいてありがとうございます。
もっともっと若者たちに知ってもらいたいですね。
広島フォーク村の後輩、浜田。
今も憧れ続けてるだろう、長渕。
みゆき姉さんも同じだと思う。
拓郎がライブで「ファイト」を歌った時は衝撃でした。鳥肌が立ったのを今も忘れられません。
お若いのに吉田拓郎を語るなんて珍しいと思い拝見しましたが、分析力もあって大変素晴らしいです。当時分かっていなかったですが拓郎が日本の音楽の礎を
作ったことがよくわかりました。
久しぶりに初期のアルバムを引っ張りだしてみます。
吉田拓郎の歌に出会ったのは、中学2年生の時です。拓郎のことは決してよく知っていたとは言えませんが、テレビに出ないという選択をしていた拓郎が、最高に格好良かったと思っていました。テレビに出ないのに、旅の宿が1位でしたし、中学時代すごく好きな歌でした。「結婚しようよ」が革命的な歌だったというのは、まだ10年ほど前に知ったばかりです。
岡本おさみとの出会いは音楽的奇跡だと思う。岡本さんはプロの作詞家というより詩人寄りの人。歌作りではアマチュア。だから文字数の整合性とかあんまり考えてない。それを詞先で曲をつけようとしたときに拓郎とのマジックが生まれたと思う。「暑中見舞い」「ビートルズが教えてくれた」「君去りし後」などなど、言葉がメロディとリズムを得て跳躍している。
自分が吉田拓郎の歌で衝撃を受けたのは「人間なんて」
深夜放送の歌番組でライブ盤が流れた時に衝撃的でした。
ライブで流れたのは長い時間を使った物ですが、歌詞自体はとても短いですが、
凄く心に刺さる物でした。
それまでは吉田拓郎の名前は「旅の宿」で知っている位でしたから。
中島みゆきさんの歌は365℃までアルバムを買って聞いていましたが、その後聞かなくなりました。
何故かは分かりません。
「臨月」までは凄く好きだったかなぁ、「36.5℃」までは続けて買いましたが、
その後「わたしの子供になりなさい」までは間欠でアルバム購入しましたが、
あまり聞く事も無くになりました。
今の方にはメジャーでは無いと思いますがイルカも特集してもらえると嬉しいです。
吉田拓郎さんともちょっと縁のある方ですし。
フォーライフレコード所属アーティストの歌で育ったのに、吉田拓郎さんについては知らないことがたくさんありました。勉強になりました!
何と心地よい声でしょう!
きたぁ!!!待ってました!!!(テンプレ)
僕が大学生の頃、初めて日比谷の野外音楽堂で、卓郎のライヴを聞きました!💫あれから50年位の時が流れましたが、思い切り叫んで歌っていた卓郎の姿が、今でも大好きですね❗自分も仕事に熱中し、思い切り叫んでやるぞ、と今も思います🙋♂️
熱意は十分伝わりますが、森永卓郎さんのLIVEみたいなので、せめて拓郎とお書き入れて頂ければ嬉しいですね。
申し訳ありません🙇🏻
@@浜やん蔵 さん
謝る必要はありません😊
拓郎大好き!と言いながら漢字を間違う人のなんと多いことか。変換候補の最初に出てきたのを確認もせずに選択してるのか、本当に50年間間違った漢字を正しいと勘違いしていたのか、本当に理解出来ない
@@Tりょん
”洛陽” も、ねぇw・・
なんか、感動しました。つま恋に行った世代です。ありがとうございました。
そうですね。吉田拓郎さんは、シンガーソングライターであり、フォーク・シンガーではないですね。
拓郎さんは 私のバイブルです❗
私の 人生にずっと寄り添ってくれました 71歳
日比谷の野外音楽堂で、大学生の時、卓郎を初めて聞きました❗
がむしゃらに叫んで歌っていた卓郎が、今でも大好きです❗
50年の時が流れても、自分の仕事で
がむしゃらに叫んでやってやるぞ、と思います🙋♂️!💫
拓郎ですよ
森永卓郎ですね😂
吉田拓郎さん、同じ鹿児島県出身なんですね☺️
この企画ためになりますね❤️
今夜もありがとう🍀
時代や環境によって若者が若者らしくいられなかったって言葉が印象に残りました。私もそうなんだろうなと思って。だから自由な人にはやっぱり憧れます。
まさにパイオニアですね♪
1975年のつま恋「朝まで歌うよ」に参加しました。5万人の若者のエネルギー、それは凄かったですね。浜田省吾のドラム「愛奴」とのツアー、何度も見に行きました。
オープニングの大音量「おろかなる独り言」には身も心もぶち抜かれた思い出があります(笑) とにかく巨大な音楽業界に風穴を開けるきっかけになったのはまさに拓郎さんですね。とにかく凄かった・・・w
今回も楽しくも感心しながら視聴させて頂きました。
拓郎さんを表現するのに『うちにひめる熱』という言葉に凄く共感しました。
この言葉に合うミチルさんの曲は?と考えたら『傍観者』かな?
と言う事で『傍観者』リクエストします。
今日、初めて知った曲なんですけど、高石ともやさんの「ベトナムの空」と高田渡さんの「東京フォークゲリラの諸君達を語る」というのを聴きました。戦争は今も無くなりませんが、歴史の象徴的な歌だと思いました。
拓郎は私の青春だったように思います。もう50年以上追って来ました。札幌にきたライブには必ず行ってました。つまずいたとき、拓郎の歌を聞き、詩を読んで勇気もらいました。みゆきさんが拓郎のファンだったのは有名です。みゆきさんの歌も詩も大好き。つま恋での最初で、最後の2人並んでのみゆきさんが拓郎に送った歌感動しました。今は昔の映像が見れるいい時代です。あなたの歌とっても素敵でした。拓郎を語ってくれて歌ってくれて嬉しかったです。ありがとうございました。
すげ~ この人マジに拓郎知ってる研究できてる コメント大正解。
流星を聴くと涙が出てきます
2024年で67歳になった元若者です。
中3の文化祭でギター好きが3人集まり、拓郎のイメージの唄と夏休みをやりました。
大喝采を浴び、後にその中学校に「ギター愛好会」が出来たと聞いてます。
今思えば「アーこれが青春!!」
永遠の嘘をついてくれは1995年じゃないかな?
拓郎さんが現代音楽の第一人者なのは確かな事かな。
間違えて打っていたようです!ぼかしました!!ありがとうございます!!
拓郎とみゆきとあいみょんがいい
❤
64歳です。これ沢山いるよね
今でも「永遠の嘘をついてくれ」のイントロを聴くと泣けてくるのは何故なんだろう。今は一線を退いても、吉田拓郎が創った楽曲の数々が”永遠の嘘”をついてくれているので、寂しさは半減してますね。紹介されたベスト盤購入しようかな。
え~~~ ここは賛同できない 拓郎のライブは熱そのものでしたよ
たくろうさんは私の青春でした
レコード(死語ですか?)では、デビューの頃は吉田拓郎ではなく確かよしだたくろうとひらがなで書かれていたと思います
「旅の宿」はシングルバージョンではなく、アルバムバージョンのギターをコピーしてました
当時は今のように弾き語りのRUclips動画もない時代なので自分の耳と音楽雑誌を参考に一生懸命練習しました
ハンマリングオン、プリングオフは難しくてなかなかマスター出来ませんでした
「りんご」は作詞:岡本おさみ/作曲:よしだたくろう/ギター:石川鷹彦の最高傑作だと思います
「落陽」のフーテン暮らしのあのじいさんに会って
男の話を聞きたいネ(差別になるから女の話も聞きたいネ)
どこにいるんだろう 生きているんだろうか
そんな思いが駆け巡ります
吉田拓郎さんの「日本シンガー列伝」の動画を配信していただきありがとうございました
「ぷらいべぇと」については、ちょっと違うかもね。For Lifeがうまく行かず、さりとて、オリジナルアルバムを出すほどの歌もなく、苦し紛れに作ったアルバムだと、本人が語っていました。拓郎の「暗黒時代」の始まりだったのだと思います。それ以外の文化的な背景、特に鬱積した若者たちに、自由に歌うことを見せたという分析は非常に同意です。その時代にいた一人として、そう思います。中学の時、かぐや姫などの湿っぽいフォークソングを聞いていた僕に、友人が差し出した1枚のLP。「Live 73」は脳天を貫かれたようなショックを受けました。それ以来、拓郎一筋にやってきました。今でもバンドでは拓郎を歌います。最後に入っている「望みを捨てろ」は、もう涙が溢れて止まりませんでした。
とにかく私自身拓郎ファンではあるけれど~ 一度彼自身に聞いてみたかった。 現在70才を遠に過ぎた彼の心境として、彼の切実なるメッセージ伝聞… あの「今 古い船を動かせるのは古い水夫じゃないだろう」の詩歌にて、 彼は高齢なる現在も・・その年齢にて→→ いまだ自身が「古い水夫」には値しないをんだと→ 一生。 との生き様を示している! とは現在 考えにくい点も有りで… 。 コメント語るアナタ・・・そんな、たぶん深い部分 分かってるんだろうかと… 思えば、若者?なるアナタには、あなたの50年後まで、けして解らない世界なんだろう。そんなのも皆さんに共通する、生きてゆく者の悲しさ・寂しさなのでしょう。
全部好きだけど、一番好きなのは「春だったね」です!
「春だったね」
好きです♪
「明日に向かって走れ」も大好きです。
辿り着いたらいつも雨降り
アジアの片隅で、とか、マイナーですが証明という曲等秘めてる思いがだだ漏れで歌ってます。他にも色々あるけど80年前半が特に歌い方が ガナッた?歌い方してるように思う。
吉田拓郎のどの曲が一番好きですか? この手の質問ってメチャ無粋だと思います。中島みゆき・ユーミン・陽水他、一番好きな曲なんて選べません。しかし、拓郎には答えが出るんです。『唇をかみしめて』 武田鉄矢主演の映画「刑事くん」そのエンディングに流れてきます。あまりハッピーエンドとは思えない幕切れにピッタリで、主人公と三枚目以下の自分を重ね何とも言えない気持ちで映画館を後にしてました。
刑事物語
母さんだだいま俺刑事になったよ
@@gettingbetter3148 さん
通にしか分からないコメ!大爆笑デス😂😂。。。
唇をかみしめて を推しているのに・・「刑事くん」と来たかーw
ルーツがR&Bとは新発見です。
吉田拓郎はフォークソングと歌謡曲と演歌と全ての音楽ジャンルの壁を取っ払ったパイオニアです。現在の夏フェスに通じる大規模野外コンサートや全国ツアーも拓郎が始めました。ライバルで盟友の井上陽水も自身のカバーアルバムで拓郎の『リンゴ』をカバーして拓郎へのリスペクトを表しました。それまでの作詞家、作曲家、編曲家の分業スタイルの音楽形態をたった一人でこなしてしまうスタイルを確立して日本の音楽業界に革命をもたらしたと言っても過言ではありません。😃❤️
私は、カントリー音楽も通じるものがあるんかなと思います。
唇をかみしめてが良いです。あんなずっしりとした詩が、軽く歌わてます。拓郎さんの歌は、現代のラップ。字余りを押し込む。
昭和の歌って歌詞がすごいなと思います。高校の時、初めてギター買いましたが調律する時、弦が伸びすぎて切れた思いがあります。それ以来苦手になりました。
つま恋では、駅から1メートル進むのに10分ぐらいかかりました。炎天下。若いからできたんですね。飲み物が水でだんだん値上がりして、当時でおにぎり3個千円とか缶ジュース一本何百円とか。最初の南こうせつさんの「一番星に拍手」ていう言葉が印象に残っています。
非常に有り難い動画なんだけど漢字は、わざと間違えてるのかな?どっちにしてもアリガトー。拓郎ファンとしては感謝ですよ。
拓郎さんはR&B
そのなかでもメンフィスサウンドに大きな影響を受けています、R&Bを白人が真似てバンドでやりだしたのがロックですすなわちR&B=ロックなのです。ディランをエレキバンドでやりだしたのがフォーク・ロック(バーズ)のはじまりですすなわちR&Bからのロックとフォーク・ロックその合流地点に吉田拓郎がいます
みつばちマーヤの冒険は襟裳岬の一年後なのねw
拓郎さんが森進一さんに曲書かなかったら、
あのアニメ曲の名コンビ(伊勢正三、水前寺清子)もなかったのかもしれないw
フルバージョンではチータがシャウトするからねw
歌うまいですね!
拝見致しましたがやや新聞記事みたいな紹介で少しがっかりです…。
ファンの主観ですが拓郎の魅力は
1.声
2.作曲能力・演奏センス
3.先見性とセルフプロデュース力
特に1です。
モノマネが誰も出来ない稀有な声です。
特に1979年から1982年くらいが
神がかっています。声量ありますよ。
あの時代の機材でフルバンド従えても全く負けて無い歌の神様です。
2
はやはり4拍子や3連やスリーフィンガーくらいしか無い時代にアコギでファンクな16刻むみたいなギター演奏。
エレック2枚目からCBS期まではほぼハズレ曲無しの天才ぶり。バラエティに富み過ぎてファンが挙げる好きな曲もほんとにバラバラ。
3
としては若いのにレーベルを持ったり
石川鷹彦様や松任谷様や高中様や瀬尾一三様などの若者無敵メンバーでアルバムセールスやライブLP作りも大成功。とにかくミュージシャン選びも天才的。
現代では定番の
Gibson J-45 を日本で真っ先に使ったりと先見の明のかたまりです。
全国ツアーもフォークがどうとかでは無くてPAを一式組んでリハでセッティングを作って東京から各地へ持って行ってライブを行うスタイルで始めたのが拓郎さんと言う事です。
結婚しようよ
はヒットさせる為に狙って作った曲
との事ですが初出はエレックのアルバム 人間なんて なのにシングルはCBSソニーからと言う不思議なEPです。ライブでは再現が難しいくらい
加藤和彦様のボトルネックギターによる表現が冴え渡る唯一無二の秀作です。
沢田研二さんと吉田拓郎さんがライバルでしたヤン🤓
拓郎さんはジュリーをライバルだと思ってなかったと思うなぁ‥?
あの時代は唯一無二の方がいましたね!
さっきまで昔の拓郎幸之助のオールナイトを聴いていた自分には、ボックスCDのおまけに堀北真希風の拓郎カレンダーが付いている気がしてしょうがない。
人間なんて、ララララーラー!!、カラオケなんかでは歌えないんだよね。😂
拓郎のサインと一緒にうつた写真を持っています
話し声は癒し系でとてもいいです。歌手活動から引退した後に若い方からリスペクトされているのがなんか嬉しいですな。
ところで字幕の件ですが、政治的講義は政治的抗議の誤りではないですか?ご自分で付けた字幕じゃなかったらごめんなさいです。
吉田町の歌 は音楽の教科書に載るべきだと思います。
ビートルズのコピーバンド?
そりゃまあそうなんだけど、ちょっと浅いな、まだ。
「Jpop」は拓郎さんあたりのSSWからではあるけれど、実質的にはFor LIFEが事業として成功したところからってのは間違いない。そして現代では意味が分かりにくいだろうけれど、最初の実質的売れるアルバムアーティスト。まあ数字的には氷の世界のほうが凄かったけどね。
そしてシンガー、そしてソングライターとして凄いのはご存知の通りだけれど、実は優れたサウンドクリエイターだ。自分が、と言うより周りに集めた集まって来た。自分の書いた凄い歌を如何にしてもっと凄く聴かせるか。人間なんての短いフレーズを延々と繰り返すことによるトランス状態。結婚しようよ前後の加藤和彦、石川鷹彦。瀬尾一三。ほぼ新曲の爆発的ライブアルバム‘73には高中のリックが詰まっており、ポップになってからの松任谷。更にはブッカーTやら。まだまだいろいろ。それに戦略家。イベンターを巻き込んでの戦略家。ForLife設立やら24時間野外フェス、無人島。あー語りきれない。そして拓郎さん自身は多分まだ自分の、人生を語らず!
拓郎さんの本質は、ロックなのではないかと、思いますが?
本人はフォークを否定してます。ロックもあり
R&B だと思います
分析は間違っています。当時の若者は、今の若者より型破りに自由に生きてました。
拓郎とは小学校中学校が一緒です。
貴方も、同じ時期に、鹿児島~広島へ移られたのですか?すごいデスネ。
おい。なくぞじーちやん、
余計なお世話ですが「だらく」ですね(笑)
どこかで井上陽水と差がついてしまったな
小室等のせいで
社長業に専念しなきゃいけなくなったから陽水も当時、
拓郎には迷惑かけたと言っていましたよ。