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新撰組とかやってほしいです
高橋紹運は武将としての強さだけでなく、人格者でもあります。奥さんが結婚前に病の後遺症で顔にあばたができて破断にしようとした時、紹運は「自分はあなたの心根の良さに惹かれて結婚を決意したのであって、決して外見で決意したのではない」と言って結婚したエピソードを聞いて高橋紹運を知りましたし、一人の漢として尊敬しています。
その後の夫婦中も生涯円満だったそうですね
なんか明智光秀も同じ様なエピソードなかったでしたっけ?
吉川元春も。
大好きな戦国武将ですがこのエピソード聞いて尚更惚れ直しました。
石田三成と大谷吉継も。
岩屋城の戦いで、島津から「もうあなたの強さはわかりましたから降伏したらどうです?そこまでして尽くす義理はないでしょう」って言われたのに対して、紹運は「主君が強い立場にあるときは、みんな頑張る。しかし、主君が衰えると命をかけて戦おうとするものは、ほとんどいない。武家に生まれたものとして、恩や義理を忘れるなんていうのは、鳥獣以下だ。」と大声で叫んだ。ちなみに紹運が戦死したあと、敵だった島津に「素晴らしい武将だった。立場が違えば、良き友になれただろう」とまで賞賛されている。まさに武士の中の武士。忠義のために散っていった、戦国の花。
まさにその通り❤
紹運こそ真の武士、異論は無い
息子の立花宗茂が凄く人気だけど、俺は紹運と道雪あってこその宗茂だと思ってる。こんな偉大な男達を父に持ったから、宗茂も父達に恥じない武士になったというのがあるしな。
俺もそう思う
高橋紹運は大好きな武将の一人です。最後の所で島津の降伏勧告に対して言い返したエピソードは何度聞いても胸が熱くなります。忠義に厚い所が息子宗茂にしっかり受け継がれているのもまた良い。
道雪、紹運は間違いなく戦国九州を代表する名将だが、この時点の大友家中の凋落ぶりは凄まじい。立花、高橋が苦戦している味方の援軍に来るとその味方から「立花や高橋の軍勢が来ると自分達が手柄を立てられない」などと言って味方が軍勢を引き揚げたという話があるほど。ちなみにこの岩屋城陥落後のある逸話がこれまた泣けるんだな。
地元の大友家臣ですので、子供の頃から尊敬する武将です。岩屋城跡にも行き、紹運の墓所にも参拝しました。道雪・紹運・宗茂の三傑も勿論素晴らしいのですが、岡城を防衛した志賀親次もなかなかの逸材でお薦めです。
岩屋城の戦いで紹運達を死なせない様に投降を呼び掛けた島津家家臣、新納忠元も紹介して欲しいです。紹運との会話も見応え有りです。
新納忠元の子孫の俳優の新納慎也は、主筋である島津斉彬を演じた時はどんな気持ちだったろうか…( ´∀`)
立花宗茂は、紹運と道雪の最高傑作とも言える。どちらも筋の通った忠義者で人格者で最強の武将。それを立花宗茂がそのまま受け継いでいる。やはり紹運も道雪も素晴らしい武将だったと言えるだろう。惜しむらくは、仕えた大友宗麟が、家臣の有能さに応えられない主君だったという事だ。
立花道雪と高橋紹運の凄いと思うのは仕えていた大友宗麟が賛否分かれる(否多め)人物であること。優れた大名に仕えて命を賭けた武将は多いですが、主君に落ち度があれば裏切ってもそんなに責められない戦国時代の忠節から考えても凄いと思います。
この人の見どころは降伏を迫った島津に対して、「貴方は主君が落ち目な時に裏切るのか?」と返事をする所だと思うのでその部分を紹介して欲しかったです・・・・
高橋紹運・宗茂親子は大河ドラマの主人公にしてもおかしくないくらい劇的な人生を送っている。特に宗茂は関ヶ原で敗北した西軍側の大名で唯一柳川藩主として復活している。
高橋紹運達の半月に渡る奮戦が無ければ、本当に九州だけでなく日本全体の歴史も変わっていたかもしれませんね・・・🤔徳永先生の言う通り、高橋紹運みたいな人が上司ならば、何処までもお供したいですねっ✨👍
白頭巾被ってる人ってめちゃくちゃ強いイメージある(上杉謙信・大谷吉継など)
武蔵坊弁慶も
あと、太田三楽斎
黒田官兵衛は含まれますか?
井伊直虎🥺
ま、マザーテレサ……
関ヶ原で島津軍の敗走中に遭遇した時、宗茂に実父の仇討ちを唆した家臣の意見を一蹴した話もあったな
味方だけでなく島津軍からも惜しまれた乱世の華。そりゃ惚れてまうやろ。
いくら天下の道雪の無茶ぶりとはいえ、西国無双の嫡男宗茂を差し上げた紹運の器の大きさはマジに天晴すぎる。
まるで日本のレオニダス王楠木正成とかもそうだったけど、忠義の為に寡兵で大軍相手に奮戦するのはカッコいい
763人で5万人相手に挑むなんて勇敢にも程があるな、凄すぎる
敢えて首を取らせて自分が義の為に戦った事を示した……。
もし高橋紹運が生きてたらな~。秀吉に親子で優遇されて別々に領土を貰ってたかもだし、関ヶ原の時も生きてた可能性ある訳だし親子で参戦とか胸熱だったろうな~。もしかしたら京極家の大津城(だったかな?)包囲戦の時に「ここは儂に任せてお主は関ヶ原へ!!」って紹運に言われて宗茂が向かうとか見てみたかったな~♪それとも親子で参戦とか♪
知らない戦国を知れるのも面白いし、コメント欄で皆さまの知識の豊富さにめ驚きます。毎回、楽しみです💓
高橋紹運と立花道雪、立花宗茂のラインは熱すぎる。武勇もあって人格者、こんな名将達が上司だったら生涯お支えしたくなるわ。
輿に乗ってる道雪の絵が可愛いw
九州の武将の話まってました!秋月家の話がそろそろ来そう!楽しみです😊
一言よろしいでしょうか?敵が難易度ナイトメアすぎるんですけど(汗)>毛利とか島津とかばかり
14:30辞世の句が哀愁漂ってますね
高橋紹運は763人で、5万人の島津軍を相手に結構互角だった😂本当に凄い❤本当に好き❤しかも頭も良いし強い‼️やっぱり、頭が良くて強い人は、かっこいい‼️
戦国最強のバーサーカー集団、島津の大軍相手にこれほど痛手を与えるなんて九州の武士達は誰もがヤバすぎる
そんな島津も豊臣の前には負けたから結局、数かぁ
@@zagumuchi1471 しかしその島津は朝鮮での戦いで明・朝鮮連合20万を5千で破ったと言われてますからね。頭数揃えただけではダメってことが今回の話を含めて、改めて実感しました
@@garou2255 それって泗川の戦いですか?私の記憶では敵は10万人だったと記憶してるのですが
数以上に島津は連戦のため補給が限界で万全の秀吉軍と戦うのはキツかった。
@@zagumuchi1471 そうなんですか?まあ自分もそこまで詳しくないんで何とも言えませんが、いずれにしろ大軍勢を少数で破ったのは間違いないはずです
道雪親子と高橋親子という傑物の集まりでも戦には勝てないのだから、やはり「戦いは数だよ」だよね
でも大軍で戦った「耳川の戦い」「沖田畷の戦い」「今山の戦い」は釣り野伏や奇襲により大軍が敗北してますけどね。(その内、耳川と今山は大友軍が敗北側)
この時点で豊臣秀吉の大軍が来ることはほぼ確定しているから、時間をある程度稼げば主家助かるという計算もある。
武士の誉のような最期だな…
九州は修羅の国だ…宗茂リメイクありがてぇ!
信長の野望で当時有名どころしか知らなかった時に高橋紹運が能力高くてびっくりしたw後で調べで宗茂の実親と知って二度びっくり
父吉弘鑑理も豊後三老と称されるぐらいの名臣で軍事では立花道雪とコンビ組んでた名将だし凄い一族
島津義久のポケっとした顔とお馬さんが何か可愛いのに、強さと圧力がエゲツない
高橋紹運、立花道雪が模範となり逆風の中でも忠義を尽くす背中を見て育ち両者の名と血を引き継いだ息子(と娘)のその後をどう描いていくのか楽しみです。
次回は高橋紹運の長男で立花道雪の養嗣子になった立花宗茂ですか奪われた城を直ぐ奪還して秀吉から褒め讃えられたとかなんとか
戦国時代の九州だけでもこれだけいろんな人と戦いがあったんですね、勉強になります
島津四兄弟か、道雪&紹運&宗茂で大河ドラマを本当に願います!
某アーケードゲームではあだ名がジェダイです。イラストを見たらなんでだかわかります。
筑紫広門の「昔は広門、今は狭門」エピソードが好きマイナーだけど、宗茂の弟と娘を結婚させたり秀吉と上手く繋がったり世渡り上手な武将
籠城人数も南無三(763)で覚えやすい
高橋紹運公は出家し紹運と名乗ってます。高橋紹運公の流れは国東半年国東市、正式には国東田原、武蔵田原で正式には武蔵田原からの分家で吉弘一族!その分家が豊後高田市の筧城、ここで紹運、宗茂公が誕生している!甥には吉弘統幸!紹運公を描いて頂いた事は大変嬉しく思います。
玉砕ってここから来てるんだ。しかし5万VS763人って ‥1人で80人位と戦った事だよね。まさに孤軍奮闘。獅子奮迅の働きだ。
我が家は豊後大友一族です!この動画かなり短縮されてますね?紹運公は我が家の分家です!
その後の大友の歴史を考えると、紹運が浮かばれない
紹運は吉弘鎮信、斎藤鎮実等の紹雲の実兄や義兄等の親類が島津軍によって討たれたのも徹底抗戦の意志固めた要因だろうなぁ 吉弘家は親も兄弟も忠節の人が多い島津側も島津の要請で動いた国衆や島津のせいでボロボロの龍造寺の援軍、「筑前に攻め込むぞ!」と薩摩の義久の「ご神慮(籤引き)」で豊後攻めを変更された日向衆、そして義久の諸事情で呼ばれなかった(当主名代という肩書のせいで動けない)義弘と全く足並みがそろわなかったのも大きい。多勢になると急にダメダメになるんだよな島津軍…
この前買ったキーホルダー届いたよ!大切にしまーす!🎉
ありがとうございます✨
動画ありがとうございます。毛利は中国地方だけという説がありますけど、戦国大名である以上勢力をどう拡大するかということを考えるだろうことが今回の動画で分かります。大友が最後生き残れたのは結局秀吉の力があってのことですからね。その意味では寝返りが続いたとしてもやむを得ない面もあるのかなとは思います。
お疲れ様です!今回もとても勉強になりました!あの、主様が載っている「マンガでわかる 戦国武将のさいご図鑑」という本を書店で見つけました!読んでみましたがとっても分かりやすくてより歴史が大好きになりました!ありがとうございます😭
「命あっての物種」を否定しない。それでも、否、だからこそ紹運の最期が眩しく映るのかもしれない。それにしても、彼と道雪たちが命を投げ打って守った大友氏は大名から高家にグレードダウンしたのに引き替え、宗茂が継いだ立花氏が大名として明治維新まで残ったのだから、歴史は何とも皮肉なものだ。
次は息子の「西国無双」立花宗茂か!胸熱!
高橋紹運による岩屋城での奮闘が無ければ豊臣軍の援軍を待たず大友家は滅びていたかも知れませんね。
九州の戦国武将って、息子の代は悪い印象が強め(龍造寺政家、大友義統、島津忠恒)ですが、紹運や道雪は親子共にしっかりしていてすごいと思います。
まさに我が身を盾にな生き様ですよねぇ...そりゃあ戦神のと呼ばれますわ
その戦いぶりと散り様から【乱世の花】とも称された紹運、大友家は守りきれたが、この後大名としての高橋家は無くなるから悲しい…。
立花宗茂の生涯は前にやりませんでした?なんか前と変えるのですか?
コメントありがとうございます!以前にもやっているのですが、いろいろと勉強しなおす中でもう一度描きたいと思い、完全リメイクで制作しています。
九州ってバーサーカーみたいな人多いな…戦闘民族なのか?
そりゃ蒙古襲来や知名度は低いけど刀伊の入寇の様に大陸からの侵略があったから戦闘民族で無いと維持できない。
高橋紹運、恥ずかしながらこんな恐ろしい武将がいたとは知りませんでした。あの薩摩に一歩も引かず、親子で九州北部を守っていたとは…同じ九州出身として開いた口がふさがりません。
大友氏が終わったら次は島津やって欲しいです
流石だ!高橋紹運!俺でも勝てるかどうかわからない。
意味のある敗戦だ
次回宗茂か。以前解説していたけど。
豊臣の援軍が(いつか)来るという状況で、背後にある息子の城を守ったような息子の城との2段構えで戦ったような形と結果になってるね。
立花宗茂でドラマ作るなら、高橋紹運役当てるとしたら、葵 徳川三代(2000年) - 島津豊久 役利家とまつ(2002年) - 佐々成政 役篤姫(2008年) - 島津久光 役など演じられてた「山口 祐一郎」さんが適役かなーと思ったりします。立花道雪役は、太平記(1991年) - 文観 役葵 徳川三代(2000年) - 島津義弘 役武蔵 MUSASHI(2003年) - 慧言 役篤姫(2008年) - 人影 役軍師官兵衛(2014年) - 円満 役役者の大森南朋お父様にあらせられる「麿赤兒」さんなんて迫力あって良いかなと思います、同じく頭剃ってるし😊😂立花道雪が高橋家の嫡男の宗茂を養子に熱望する所なんて熱いとおもいます。
葵徳川三代では宗茂は3回しか登場していない。
筑紫野市には宝満川が流れています₍₍ (ง・᷄ὢ・᷅)ว ⁾⁾
サムライという言葉が真に似合う、数少ない人物😊ほんとに格好いいんですね (*´∀`)
大友宗麟・義統親子がKYじゃなかったら、九州の歴史は大きく変わっていたかも。無論、高橋紹運の命も長らえていたかもしれない。
覇王伝ですでに専用顔グラがあったんだよなしかもかっこいい頭巾姿で
立花道雪とそんなに年の差があったんですね世代を超えた名将の交わりが西国最強の武将を生んだと思うと感慨深いです
待ってた!戦神の化身・高橋紹運!
どこぞのお姫様が嫁ぐ時のエピソードに似てるのあったな
息子に対して、自分と舅が対峙したら渡した刀で自分をうてって……男の中の男過ぎる。時代が時代なんだろうけど、かっこよ過ぎて男気過ぎて、、九州男児かっこよかです。そんなうちの旦那も九州男児!!!男気溢れるよか男です!!笑笑
戦いが終わったあとに島津軍の大将も、高橋紹運の亡骸?と対面して泣いたという。
嫡男宗茂の代で大変だったとはいえ、彼の子孫は筑前柳川藩主として明治維新まで領主として居続けた
マジで漢だな…
その死を島津側からも惜しまれた名将。埒もないことだがこの人が存命していたら大友家の歴史も大きく変わっていたかもしれない。
大体が元龍造寺軍のかき集めだからなあ、
今戦神となりて我が敵を討つ!かっこいいぜ😎
日本戦国時代におけるテルモピュライの戦いの体現者
そもそも、岩屋城は、四王寺山の大宰府よりの中腹に建てられた城。四王寺山全体は、山頂に立てらた大野城を中心にした古代の防御施設です。ある程度の防御力はあったと、思われます。
七百数十人を五万人で殲滅するって彼我の戦力差がありすぎてかえって難しいような気がする・・・・・
宗茂の優秀さは紹運もよく分かっていたから養子に出すのを拒否していたンよなぁ。弟の直次も十分に優秀だったのは高橋家としても幸いだったわけだが。
結局直次も立花姓になったから高橋家は無くなった。
若いな…
戦国妄想小説を考える時、高橋紹運を助けられたら、オマケに宗茂を家臣に出来るかもと考えてしまう。
高橋紹運の忠義と武勇は感涙する他ない 実子が転生レベルのチート武将になるのに納得してしまう😅
まぁ、一部の奴ですけど、差し出された握り飯を不味いとかいうのがいたけど、そういう人以外ならいい上司に当たりますよね。(最近ガセって説も浮上してますけどね)
宗麟にゃ勿体無い。
立花宗茂って名前は知ってたいたけど養子に出されたから立花宗茂になったんだね😊
だから戦国大戦であんな計略だったんだー
やったぜ
👍👍👍👍
70倍の兵相手…
薩摩隼人5万って、並の武士なら10万人だろうw
うん?レオニダス王かな?
長い
当に漢の中の漢。
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新撰組とかやってほしいです
高橋紹運は武将としての強さだけでなく、人格者でもあります。奥さんが結婚前に病の後遺症で顔にあばたができて破断にしようとした時、紹運は「自分はあなたの心根の良さに惹かれて結婚を決意したのであって、決して外見で決意したのではない」と言って結婚したエピソードを聞いて高橋紹運を知りましたし、一人の漢として尊敬しています。
その後の夫婦中も生涯円満だったそうですね
なんか明智光秀も同じ様なエピソードなかったでしたっけ?
吉川元春も。
大好きな戦国武将ですがこのエピソード聞いて尚更惚れ直しました。
石田三成と大谷吉継も。
岩屋城の戦いで、
島津から「もうあなたの強さはわかりましたから降伏したらどうです?そこまでして尽くす義理はないでしょう」
って言われたのに対して、紹運は
「主君が強い立場にあるときは、みんな頑張る。しかし、主君が衰えると命をかけて戦おうとするものは、ほとんどいない。武家に生まれたものとして、恩や義理を忘れるなんていうのは、鳥獣以下だ。」
と大声で叫んだ。
ちなみに紹運が戦死したあと、敵だった島津に「素晴らしい武将だった。立場が違えば、良き友になれただろう」とまで賞賛されている。
まさに武士の中の武士。
忠義のために散っていった、戦国の花。
まさにその通り❤
紹運こそ真の武士、異論は無い
息子の立花宗茂が凄く人気だけど、俺は紹運と道雪あってこその宗茂だと思ってる。
こんな偉大な男達を父に持ったから、宗茂も父達に恥じない武士になったというのがあるしな。
俺もそう思う
高橋紹運は大好きな武将の一人です。最後の所で島津の降伏勧告に対して言い返したエピソードは何度聞いても胸が熱くなります。忠義に厚い所が息子宗茂にしっかり受け継がれているのもまた良い。
道雪、紹運は間違いなく戦国九州を代表する名将だが、この時点の大友家中の凋落ぶりは凄まじい。立花、高橋が苦戦している味方の援軍に来るとその味方から「立花や高橋の軍勢が来ると自分達が手柄を立てられない」などと言って味方が軍勢を引き揚げたという話があるほど。
ちなみにこの岩屋城陥落後のある逸話がこれまた泣けるんだな。
地元の大友家臣ですので、子供の頃から尊敬する武将です。
岩屋城跡にも行き、紹運の墓所にも参拝しました。
道雪・紹運・宗茂の三傑も勿論素晴らしいのですが、岡城を防衛した志賀親次もなかなかの逸材でお薦めです。
岩屋城の戦いで紹運達を死なせない様に投降を呼び掛けた島津家家臣、新納忠元も紹介して欲しいです。紹運との会話も見応え有りです。
新納忠元の子孫の俳優の新納慎也は、主筋である島津斉彬を演じた時はどんな気持ちだったろうか…( ´∀`)
立花宗茂は、紹運と道雪の最高傑作とも言える。
どちらも筋の通った忠義者で人格者で最強の武将。
それを立花宗茂がそのまま受け継いでいる。
やはり紹運も道雪も素晴らしい武将だったと言えるだろう。
惜しむらくは、仕えた大友宗麟が、家臣の有能さに応えられない主君だったという事だ。
立花道雪と高橋紹運の凄いと思うのは仕えていた大友宗麟が賛否分かれる(否多め)人物であること。優れた大名に仕えて命を賭けた武将は多いですが、主君に落ち度があれば裏切ってもそんなに責められない戦国時代の忠節から考えても凄いと思います。
この人の見どころは降伏を迫った島津に対して、「貴方は主君が落ち目な時に裏切るのか?」と返事をする所だと思うのでその部分を紹介して欲しかったです・・・・
高橋紹運・宗茂親子は大河ドラマの主人公にしてもおかしくないくらい劇的な人生を送っている。
特に宗茂は関ヶ原で敗北した西軍側の大名で唯一柳川藩主として復活している。
高橋紹運達の半月に渡る奮戦が無ければ、本当に九州だけでなく日本全体の歴史も変わっていたかもしれませんね・・・🤔
徳永先生の言う通り、高橋紹運みたいな人が上司ならば、何処までもお供したいですねっ✨👍
白頭巾被ってる人ってめちゃくちゃ強いイメージある(上杉謙信・大谷吉継など)
武蔵坊弁慶も
あと、太田三楽斎
黒田官兵衛は含まれますか?
井伊直虎🥺
ま、マザーテレサ……
関ヶ原で島津軍の敗走中に遭遇した時、宗茂に実父の仇討ちを唆した家臣の意見を一蹴した話もあったな
味方だけでなく島津軍からも惜しまれた乱世の華。そりゃ惚れてまうやろ。
いくら天下の道雪の無茶ぶりとはいえ、西国無双の嫡男宗茂を差し上げた紹運の器の大きさはマジに天晴すぎる。
まるで日本のレオニダス王
楠木正成とかもそうだったけど、忠義の為に寡兵で大軍相手に奮戦するのはカッコいい
763人で5万人相手に挑むなんて勇敢にも程があるな、凄すぎる
敢えて首を取らせて自分が義の為に戦った事を示した……。
もし高橋紹運が生きてたらな~。秀吉に親子で優遇されて別々に領土を貰ってたかもだし、関ヶ原の時も生きてた可能性ある訳だし親子で参戦とか胸熱だったろうな~。もしかしたら京極家の大津城(だったかな?)包囲戦の時に「ここは儂に任せてお主は関ヶ原へ!!」って紹運に言われて宗茂が向かうとか見てみたかったな~♪それとも親子で参戦とか♪
知らない戦国を知れるのも面白いし、コメント欄で皆さまの知識の豊富さにめ驚きます。
毎回、楽しみです💓
高橋紹運と立花道雪、立花宗茂のラインは熱すぎる。武勇もあって人格者、こんな名将達が上司だったら生涯お支えしたくなるわ。
輿に乗ってる道雪の絵が可愛いw
九州の武将の話まってました!
秋月家の話がそろそろ来そう!楽しみです😊
一言よろしいでしょうか?
敵が難易度ナイトメアすぎるんですけど(汗)>毛利とか島津とかばかり
14:30辞世の句が哀愁漂ってますね
高橋紹運は763人で、5万人の島津軍を相手に結構互角だった😂本当に凄い❤本当に好き❤しかも頭も良いし強い‼️やっぱり、頭が良くて強い人は、かっこいい‼️
戦国最強のバーサーカー集団、島津の大軍相手にこれほど痛手を与えるなんて九州の武士達は誰もがヤバすぎる
そんな島津も豊臣の前には負けたから結局、数かぁ
@@zagumuchi1471
しかしその島津は朝鮮での戦いで明・朝鮮連合20万を5千で破ったと言われてますからね。頭数揃えただけではダメってことが今回の話を含めて、改めて実感しました
@@garou2255
それって泗川の戦いですか?
私の記憶では敵は10万人だったと記憶してるのですが
数以上に島津は連戦のため補給が限界で万全の秀吉軍と戦うのはキツかった。
@@zagumuchi1471
そうなんですか?まあ自分もそこまで詳しくないんで何とも言えませんが、いずれにしろ大軍勢を少数で破ったのは間違いないはずです
道雪親子と高橋親子という傑物の集まりでも戦には勝てないのだから、やはり「戦いは数だよ」だよね
でも大軍で戦った「耳川の戦い」「沖田畷の戦い」「今山の戦い」は釣り野伏や奇襲により大軍が敗北してますけどね。
(その内、耳川と今山は大友軍が敗北側)
この時点で豊臣秀吉の大軍が来ることはほぼ確定しているから、時間をある程度稼げば主家助かるという計算もある。
武士の誉のような最期だな…
九州は修羅の国だ…
宗茂リメイクありがてぇ!
信長の野望で当時有名どころしか知らなかった時に高橋紹運が能力高くてびっくりしたw
後で調べで宗茂の実親と知って二度びっくり
父吉弘鑑理も豊後三老と称されるぐらいの名臣で軍事では立花道雪とコンビ組んでた名将だし凄い一族
島津義久のポケっとした顔とお馬さんが何か可愛いのに、強さと圧力がエゲツない
高橋紹運、立花道雪が模範となり
逆風の中でも忠義を尽くす背中を見て育ち
両者の名と血を引き継いだ息子(と娘)の
その後をどう描いていくのか楽しみです。
次回は高橋紹運の長男で立花道雪の養嗣子になった立花宗茂ですか
奪われた城を直ぐ奪還して秀吉から褒め讃えられたとかなんとか
戦国時代の九州だけでもこれだけいろんな人と戦いがあったんですね、勉強になります
島津四兄弟か、道雪&紹運&宗茂で大河ドラマを本当に願います!
某アーケードゲームでは
あだ名がジェダイです。
イラストを見たらなんでだかわかります。
筑紫広門の「昔は広門、今は狭門」エピソードが好き
マイナーだけど、宗茂の弟と娘を結婚させたり秀吉と上手く繋がったり世渡り上手な武将
籠城人数も南無三(763)で覚えやすい
高橋紹運公は出家し紹運と名乗ってます。高橋紹運公の流れは国東半年国東市、正式には国東田原、武蔵田原で正式には武蔵田原からの分家で吉弘一族!その分家が豊後高田市の筧城、ここで紹運、宗茂公が誕生している!甥には吉弘統幸!紹運公を描いて頂いた事は大変嬉しく思います。
玉砕ってここから来てるんだ。しかし5万VS763人って ‥1人で80人位と戦った事だよね。まさに孤軍奮闘。獅子奮迅の働きだ。
我が家は豊後大友一族です!この動画かなり短縮されてますね?紹運公は我が家の分家です!
その後の大友の歴史を考えると、紹運が浮かばれない
紹運は吉弘鎮信、斎藤鎮実等の紹雲の実兄や義兄等の親類が島津軍によって討たれたのも徹底抗戦の意志固めた要因だろうなぁ 吉弘家は親も兄弟も忠節の人が多い
島津側も島津の要請で動いた国衆や島津のせいでボロボロの龍造寺の援軍、「筑前に攻め込むぞ!」と薩摩の義久の「ご神慮(籤引き)」で豊後攻めを変更された日向衆、そして義久の諸事情で呼ばれなかった(当主名代という肩書のせいで動けない)義弘と全く足並みがそろわなかったのも大きい。多勢になると急にダメダメになるんだよな島津軍…
この前買ったキーホルダー届いたよ!
大切にしまーす!🎉
ありがとうございます✨
動画ありがとうございます。
毛利は中国地方だけという説がありますけど、戦国大名である以上勢力をどう拡大するかということを考えるだろうことが今回の動画で分かります。
大友が最後生き残れたのは結局秀吉の力があってのことですからね。その意味では寝返りが続いたとしてもやむを得ない面もあるのかなとは思います。
お疲れ様です!今回もとても勉強になりました!
あの、主様が載っている「マンガでわかる 戦国武将のさいご図鑑」という本を書店で見つけました!
読んでみましたがとっても分かりやすくてより歴史が大好きになりました!ありがとうございます😭
「命あっての物種」を否定しない。それでも、否、だからこそ紹運の最期が眩しく映るのかもしれない。それにしても、彼と道雪たちが命を投げ打って守った大友氏は大名から高家にグレードダウンしたのに引き替え、宗茂が継いだ立花氏が大名として明治維新まで残ったのだから、歴史は何とも皮肉なものだ。
次は息子の「西国無双」立花宗茂か!
胸熱!
高橋紹運による岩屋城での奮闘が無ければ豊臣軍の援軍を待たず大友家は滅びていたかも知れませんね。
九州の戦国武将って、息子の代は悪い印象が強め(龍造寺政家、大友義統、島津忠恒)ですが、紹運や道雪は親子共にしっかりしていてすごいと思います。
まさに我が身を盾にな生き様ですよねぇ...そりゃあ戦神のと呼ばれますわ
その戦いぶりと散り様から【乱世の花】とも称された紹運、
大友家は守りきれたが、この後大名としての高橋家は無くなるから悲しい…。
立花宗茂の生涯は前にやりませんでした?
なんか前と変えるのですか?
コメントありがとうございます!以前にもやっているのですが、いろいろと勉強しなおす中でもう一度描きたいと思い、完全リメイクで制作しています。
九州ってバーサーカーみたいな人多いな…
戦闘民族なのか?
そりゃ蒙古襲来や知名度は低いけど刀伊の入寇の様に大陸からの侵略があったから戦闘民族で無いと維持できない。
高橋紹運、恥ずかしながらこんな恐ろしい武将がいたとは知りませんでした。
あの薩摩に一歩も引かず、親子で九州北部を守っていたとは…同じ九州出身として開いた口がふさがりません。
大友氏が終わったら次は島津やって欲しいです
流石だ!高橋紹運!俺でも勝てるかどうかわからない。
意味のある敗戦だ
次回宗茂か。以前解説していたけど。
豊臣の援軍が(いつか)来るという状況で、背後にある息子の城を守ったような息子の城との2段構えで戦ったような形と結果になってるね。
立花宗茂でドラマ作るなら、
高橋紹運役当てるとしたら、
葵 徳川三代(2000年) - 島津豊久 役
利家とまつ(2002年) - 佐々成政 役
篤姫(2008年) - 島津久光 役
など演じられてた「山口 祐一郎」さんが適役かなーと思ったりします。
立花道雪役は、
太平記(1991年) - 文観 役
葵 徳川三代(2000年) - 島津義弘 役
武蔵 MUSASHI(2003年) - 慧言 役
篤姫(2008年) - 人影 役
軍師官兵衛(2014年) - 円満 役
役者の大森南朋お父様にあらせられる「麿赤兒」さんなんて迫力あって良いかなと思います、同じく頭剃ってるし😊😂
立花道雪が高橋家の嫡男の宗茂を養子に熱望する所なんて熱いとおもいます。
葵徳川三代では宗茂は3回しか登場していない。
筑紫野市には宝満川が流れています₍₍ (ง・᷄ὢ・᷅)ว ⁾⁾
サムライという言葉が真に似合う、数少ない人物😊
ほんとに格好いいんですね
(*´∀`)
大友宗麟・義統親子がKYじゃなかったら、九州の歴史は大きく変わっていたかも。
無論、高橋紹運の命も長らえていたかもしれない。
覇王伝ですでに専用顔グラがあったんだよな
しかもかっこいい頭巾姿で
立花道雪とそんなに年の差があったんですね
世代を超えた名将の交わりが西国最強の武将を生んだと思うと感慨深いです
待ってた!戦神の化身・高橋紹運!
どこぞのお姫様が嫁ぐ時のエピソードに似てるのあったな
息子に対して、自分と舅が対峙したら渡した刀で自分をうてって……男の中の男過ぎる。時代が時代なんだろうけど、かっこよ過ぎて男気過ぎて、、
九州男児かっこよかです。
そんなうちの旦那も九州男児!!!男気溢れるよか男です!!笑笑
戦いが終わったあとに島津軍の大将も、高橋紹運の亡骸?と対面して泣いたという。
嫡男宗茂の代で大変だったとはいえ、彼の子孫は筑前柳川藩主として明治維新まで領主として居続けた
マジで漢だな…
その死を島津側からも惜しまれた名将。埒もないことだがこの人が存命していたら大友家の歴史も大きく変わっていたかもしれない。
大体が元龍造寺軍のかき集めだからなあ、
今戦神となりて我が敵を討つ!
かっこいいぜ😎
日本戦国時代におけるテルモピュライの戦いの体現者
そもそも、岩屋城は、四王寺山の大宰府よりの中腹に建てられた城。
四王寺山全体は、山頂に立てらた大野城を中心にした古代の防御施設です。ある程度の防御力はあったと、思われます。
七百数十人を五万人で殲滅するって彼我の戦力差がありすぎてかえって難しいような気がする・・・・・
宗茂の優秀さは紹運もよく分かっていたから養子に出すのを拒否していたンよなぁ。
弟の直次も十分に優秀だったのは高橋家としても幸いだったわけだが。
結局直次も立花姓になったから高橋家は無くなった。
若いな…
戦国妄想小説を考える時、高橋紹運を助けられたら、オマケに宗茂を家臣に出来るかもと考えてしまう。
高橋紹運の忠義と武勇は感涙する他ない 実子が転生レベルのチート武将になるのに納得してしまう😅
まぁ、一部の奴ですけど、差し出された握り飯を不味いとかいうのがいたけど、そういう人以外ならいい上司に当たりますよね。
(最近ガセって説も浮上してますけどね)
宗麟にゃ勿体無い。
立花宗茂って名前は知ってたいたけど養子に出されたから立花宗茂になったんだね😊
だから戦国大戦であんな計略だったんだー
やったぜ
👍👍👍👍
70倍の兵相手…
薩摩隼人5万って、並の武士なら10万人だろうw
うん?レオニダス王かな?
長い
当に漢の中の漢。