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今日は18きっぷで静岡から広島までやってきました! あ!これがセノハチ!と気づいた時はうれしすぎたっ!お尻はもげそうでした!
瀬野〜八本松は勾配のキツさもさることながら距離の長さ、そして山陽本線という旅客、貨物共に重要度の高い主要幹線でこれほど急勾配が長く続くのが珍しいです。
「セノハチ」はJRで最強の急こう配なのは知ってたが、200メートルも高低差があるのはすごいですね。
帰りの機関車一人旅
@@サダムユリトウかつてはEF59の四重連回送もありましたな
勾配区間をうまくまとめた動画です。旅客列車は軽量なのでもう無関係ですが、貨物列車のうち、重量が、ある一定レベルを超える列車については、「セノハチ」では現在でも補機を連結しています。「碓氷峠」や「板谷峠」ではもうなくなってしまいましたが、新たに「梅田峠」(吹田貨物ターミナル駅(梅田貨物線)~安治川口駅(桜島線))をつくったのは、?マークでした。鉄道趣味的には、急勾配での補機の連結は面白いですが、いちいち補機の連結をするのは手間もかかり不経済でもあります。現在JRでは、このように急勾配のための補機を連結している列車があるのは、定期ではこの二か所のみです。
ご存知かもしれませんが、少し前に、山陽本線の瀬野八で旅客列車、227系が空転で立ち往生しました。227系は運転台真下の台車以外はモーターがありますが、瀬野八で空転したので、それほど急勾配だったのですね
@@権三郎平衛 ご説明ありがとうございます。確かに227は2,3,4,5,6,8両で短編成なので出力が大きかったら空転しやすいと言われ納得しました。113系が懐かしいですね…戻ってきて欲しいものです…
@@user-黒猫 さん「セノハチ」は碓氷峠(66.7‰=6.67%=3.816°)と同じくらいの距離(約10㎞)で、最大勾配は22.6‰です(=2.26%=1.295°)。道路なら、そこら辺にいくらでもある取るに足らない勾配です。今の通常の電車だとほぼ問題はありません。しかし、空転は日本中あちこちで報告されています。何らかの粘着力不足が原因です。特に短編成の227の場合、軽量な車体に大出力のモーターを搭載している関係で、空転の起きやすい環境にあります。227は0.5M方式ですが、編成当たりの動軸数では従来のMM車と変わりありません。勾配登攀の場合に、重量当たりの出力過剰が空転の問題を引き起こすことがあります。例えば、2軸駆動であるキハ120のうち、最も初期に製造された200番台の車体は普通鋼製で、出力が250PSのエンジンを積んでいます。これに対し、その後に製造された0番台、300番台では、ステンレスボディの330PSエンジンとなっています。25‰~33‰の勾配区間を擁する越美北線や木次線では、主に200番台が使われます。出力が低く比較的空転が起きにくいからです。「セノハチ」の227の場合、動輪部分に砂箱をつけたり、所要時間を延ばす等の粘着を増加させる対策が必要かもしれません。この区間には重量のある従来の115の方が向いているかもしれません。補機連結が必要となる制限以上の大単位の貨物列車とはまた異なった問題です。
25‰の連続勾配がある中央本線で使用されているEH200であれば補機無しで登坂できますね。15:15 碓氷峠も登坂側のみツインシンプルカテナリー式でした。
EF200がフルパワーで走れるように広島貨物ターミナル〜西条は変電所容量を増強しましたが補機無しEF200の単機運転は実現しませんでした。
@@山坂沙武朗 EH200やEF200でもなにもなければ単機で登れるかもしれませんが、列車長の長い山陽本線1200t列車を勾配途中で停車して、編成の中にR300のカーブが2つ入るケースがあるため、そこから引き出すのは至難の業で、電車も走っているので、ダイヤ編成上、平均速度を高くしないといけないため、瀬野八だけ補機で押すしか設定できない、ということになります。東海道山陽本線1100㌔のうちEF200やEH200を全区間走行用に高い機関車製作費用や表定速度維持に使うのは経済的に合わないので、EF210 で統一した方が運行は楽、経済的となります。
@@山坂沙武朗 1990年代初頭はVVVFの粘着力を過剰に評価していたため、EF200の6軸で登坂できると考えていたところが、やはり後補機を含む12軸での登坂となったのかもしれませんね。8軸のEH200も登場当時は空転に悩まされたそうです。
この規模でほぼ毎日投稿できるのはすごすぎる!
30いいねありがとうございます。こんなにいいねを貰ったのは初めてです。
広島のセノハチは6月に東広島にコンサートに行った時に通りました。夜、広島方面の電車を待っていた時に、セノハチを登ってきた貨物列車が機関車の切り離しを偶然行っていたので、めったに見られないものが見れてラッキーでした!
全車廃車になったけど、EF200はこのセノハチを1300t列車を単機で牽引できるように作られたので、変電設備の問題をクリア出来ればまた違った景色になっていたのかなと思います。
ひたすらホキのあとに補機が付くという駄洒落編成を見てみたいものです
昔の碓氷峠では上下線とも列車の勾配の下側に電気機関車4両が連なっていた。
懐かしいですね良くもみじ補機の繋がっていた攻撃や、単機回送を、見かけました國鐵広島時代は103系も瀬野止まりでした
懐かしいですね。大学のサークルで広島からレンタカーで撮影にきたことがありますが、その時はまだ茶色の電気機関車だったような記憶があります
東広島バイパスの歩道に三脚を立てて、瀬野を通過してカーブを終えた後の22.3‰直線の坂を登るEF67補機の貨物20連を、300mm望遠の圧縮効果で撮ったときは、それはそれは感動しました。コンテナが壁を登っているように見えるんですよ本当に。ここは魅惑の魔境。
かつては八本松構内で補機の走行開放をしていました。EF59の時代です。
かつてブルートレインもプッシュプルでセノハチを乗り越えていました。走行しながら機関車を切り離していました。西村京太郎先生はこれを死体消失トリックに活かしました。
@@S47MUR EF58牽引時高速域性能は旅客用機関車としてはEF66並みで最適なのなのですが、引っ張り力がないのと1900KWの出力しかないので、速度を稼げず、旅客列車は単機のEF59で推していました。
補助機関車は昔、八本松駅手前で走行中に切り離しをしていました。今は西条駅まで行って切り離しをします。
永谷園はすし太郎😁セノハチ梅田峠の補機は推したろう(笑)補機が無ければ登れないって相当キツイ峠ですね!
スカイレール、改めて山陽本線側から見ると瀬野駅から山側に取り付く最初の勾配が半端ないですね。
セノハチですね。碓氷峠越えの急勾配は北陸新幹線開通と同時に廃線となってしまった。
セノハチで補機といえば、西村京太郎ミステリー「特急さくら殺人事件」ですね🍀補機の切り離しをトリックに使った話ですが、子供の頃に土ワイを見ていて、そんな場所があることを知りました。垂井の勾配よりも急なんですね。
1:43 そのうち、この補機仕様の300番台は通称「押し桃」。その中の特定の番号は「な阪関無桃」?8:33 JR西日本の近畿地区では使いにくいのか、2面4線化されるか棒線化された駅が目立つ印象。
西村京太郎の「特急さくら殺人事件」に急遽EF58が使われたトリックがありました。12年前に初めてセノハチ通りましたが、「5つ目のトンネルを抜けてやっと勾配が緩くなった」と書いてあった通りで、その後すぐに八本松駅に着きました。
ありましたね、しかも、ゴハチの1号機、さすが西村氏と思いました。
瀬野八を初めて知ったのは土曜ワイド劇場にてw
8月9日の午後から8月15日まで広島に行きまして、最終日に尾道行くためにセノハチを使いました。一度使ってみたいと家族に念願を続け、やっと乗れました。
かつて九州発の上り寝台列車に乗って、越えたことがあります❗横になっても、右に左に体が揺さぶられ、車両がきしむ音がしたりと、寝るのにも難所でした❗😂
15:25 少し話が脱線しますが、本数にもよりますが上り線と下り線で電力系統が分かれているのが一般的な方式ですが、近年動力回生ブレーキが普及しているため、上り線と下り線の電力系統を一緒にする「上下一括き電」方式にしたほうが下り方向の列車は摩擦ブレーキを使わず、回生(発電)しながら下り、上り線は電力会社からの電力+下り電車からの発電された電力を使うことにより、制輪子の早期摩耗防止と、省エネルギーに配慮した工夫が施されている箇所もございます。23:59 通勤型電車ではありますが、動力車かT車か忘れましたが、研磨材入り制輪子を使うなどの工夫が施されている車両もあります。
たまに山陽本線上りで瀬野行きがありますがあれだけ線路があれば止めることができますね。ところで、青梅市にある青梅鉄道公園が今月いっぱいでリニューアル工事のため一時閉館とのことです。お時間があればぜひ
セノハチについての説明は本当に参考になりました。関東に住んでいるとやはり碓氷峠の急勾配を思い出してしまいますが、こっちの方もすごいですよね。そしてひろき君も言っているうめきたの通称梅田峠もありますけれどね。
瀬野八が急勾配になったのは、明治時代に当時の山陽鉄道が日本陸軍の要請に沿って、最短ルートで敷設した事に端を発します
山陽鉄道の社長はカーブを入れても基本10‰以下で基本山陽本線を建設しようとしましたが瀬野八だけ補機を使うことにして大山峠を通るための最適線形が今の山陽本線です。志和経由、または黒瀬経由も検討されましたが、距離が長すぎるので、社長の意向もありました。それだけ高低差を避ける建設手段がなかったということですね。
セノハチを通過する貨物の映像古いなーちなみにEF200だけでセノハチの上り勾配で1100t分の貨物を引っ張れる牽引力があるらしい…(マジバケモノやなw)
補機も含めた12軸駆動でも砂撒きが必要ということはEF200の6軸駆動でのセノハチ越えは粘着力の不安があったのかも知れません。
今やセノハチのみならず、大阪にまで補機を使う位なので
広島市と東広島市の境界にある瀬野八区間は、本当に急勾配なんですよね。
瀬野八は貨物の場合重量がある為登れない補機がないとかなりきつい昔はEF67を使っていたが老朽化でEF200-300にやはり瀬野八はEF67が活躍していたイメージが強い
オレが知ってる時代のセノハチはD-51が補機だった。
技術が発展して今は勾配でも力良く登れるのが凄いですね。昔SL機関車の人たちは如何に苦労したのか分かるような気がします。
D52の重連が後ろ補機で、1200tの石炭列車(北九州産を関西関東へ輸送)は雨が降ると石炭(粉)に水を含んでしまいさらに重くなったそうです。そこを時速10~20キロで走行維持が精一杯で、トンネルの中は酸欠となるため、機関車を降りて走りながら線路下を歩いたり、滑り止めの砂を手で巻いたりしていたくらいだそうです。C62牽引の特急かもめは40㌔ぐらいで瀬野八を登ったそうですが、後ろのD52 は広島~瀬野間は80㌔くらいで振動がすさまじいみたいでしがみついていたそうです。
ただ勾配だけでなく、R300のカーブが連続してあるため、22.6‰でも貨物列車の中にカーブが続くため、後ろから押すしかないのです。
瀬野八は上り線に勾配が続くが関ヶ原は下り線がキツイ😣(補足)下り線の上り勾配です
そのため、新垂井線…。。。
@@bemanimania 関ケ原の25%は直線で、走行時間が短いため EF210は 1時間定格から30分定格で計算して上り坂をEF66並みの均衡速度で登れるようにしてます。
@@河内資治 さん、関ヶ原越えの為にEH10やEF66が開発された。新垂井線でも高出力が求められた。
@@bemanimania 電化区間が東京ー西明石まででしたから、貨物用電気機関車としはまず、関ケ原のためにどうするかで設計するのがポイントですね、でEH10、下関まで電化すると、高速貨物A、高速貨物B、一般貨物と設定されて、 で、特に10000系貨物車両と同じく110㌔で連続走行するために43.10の特急列車120㌔ダイヤに合わせるためにEF90 ⇒EF66登場3900kWで、特に下関・九州からの鮮魚貨物がブルトレよりも最優先のダイヤとなりましたので。ただ、それでも瀬野八は当時はEF59重連で推すしかなかった、これも特急電車のダイヤに合わせるためです。(瀬野八で速度を稼ぐため)新大阪からの特急・急行群山陽特急は東北特急以上に大事でしたので。EF60やEF65はスピードを求めない高速貨物Bと一般貨物車扱で十分活躍しましたから。EF66が開発できるまではEF65 500番台F型の重連で対応しましたが維持がべらぼうにかかったみたいで。
土讃線の繁藤・土佐山田間は、25‰勾配が11kmほど続く難所ですが、南風が爆走しています。天気がよければ、太平洋が見えますよ。この区間のほぼ中間地点にスイッチバック新改駅があります。新改駅の標高は、Wikipedia では274m になっていますが、実際は200m ほどです(国土地理院地形図より)。
土佐山田43m新改201m繁藤347mとする資料有りますね。尚私が買った中古家屋に繁藤駅地滑り大崩壊時の新聞がありました。
@@TheBikkuri 新改駅と同じく、坪尻駅も、Wikipediaの272mではなく、218m ぐらいのようです。国土地理院地形図には、駅前に220m の等高線がありますので。
@@ちゃんとし-i3w 坪尻は多度津方面へ行くと丸く開けた穴から川が見えます。なんでも川を付け替えた後の川底に駅を作ったらしいです。秘境駅ノートには今度行ったらこのアカウント名で記帳やっときます。花マークでも下さい。
スカイレールは、この前かこ鉄さんが乗ってたな😂
1ひろきさん編集方法変えました?
板谷峠の方が勾配が急だけではなく、豪雪地帯で距離が長く上りと下りが両方あり登るのが困難なのでは😅
奥羽本線は1200t貨物の設定がないので、SL時代はデゴイチ重連で推していました(貨物は600t換算くらい)EF71でなんとか安定的に上り下りができるようになりました。 軸重16tを許容できる路線(当時は東京~熊本まで・横軽だけ)でないのでD52は入れませんでした。キハ181系の1両500PSを長時間フルパワーは、東北本線を120㌔で走行した後はキャパ足りず、EF71で推して特急ダイヤがくめるようにしたくらいなので。瀬野八はとにかく貨物列車が重くて本数が多いので大変なんですね。
@@河内資治 板谷峠の機関車は、蒸気機関車時代4110系・E10系(動輪5)→直流電気機関車時代EF16、EF64→交流機関車時代EF71、ED78ですね。いずれも回生ブレーキ付きだったり、同軸が多かったりする特別仕様ばかりでした。
@@0715MT と特別仕様を準備してもSLは長続きせず、E10をセノハチにとの声もあったが瀬野機関区、保線区がノー、で北陸本線の交流直流の繋ぎになったらDD50、直流電化まではD51の重連です。古い投稿を持ってきますね?何か質問があれば言ってくださいね。
1950年代後半ですが広島から大阪に移動の際、岡山までは蒸気機関車、岡山で電気機関車に付け替かえてたのを覚えています。もちろん冷房も存在せず、岡山までは煤が入らないようにトンネルに入れば窓を一😊斉に閉めて出たら開けるといった事をしていました。当時の電化の遍歴についてご存知の方、教えてください。
昭和39年の新幹線開業に間に合わせるように、姫路電化(九州特急EF58 は姫路までそこからC62)三原電化(岡山で機関車交換)広島電化は昭和35年くらいかな、西は山口県小郡電化、ときて昭和39年までに全線電化で下関までEF58、151系、153系80系の通し運転が可能となりました。山陽本線でのC62特急牽引は結構あとあとまであったんですね。
セノハチ後の補機の切り離し場面(恐らく西条駅過ぎてすぐ)が見たかったですねー
20‰~25‰級の勾配は日本全国に散在していて瀬野八が特別急勾配って事はないが、長さもさることながら曲線も急だから実質の抵抗が実勾配以上になってる。線形的にも補助機関車がここくらいしか必要ないということもあって重連ではなく補機という運用が残り続けてるのだろう。東北でも福米の専用機ED78/EF71以外に南福島~金谷川の上り勾配の補機連結は割と有名だった。
瀬野八のおかげで、103系の魔の手から逃れることが出来た。
実は向洋駅(2:55)で単機で補機を回送していました。ちなみに補機のことを桃太郎をちなんで押し太郎と呼ばれているとか。
一仕事終えた機関車が単独で広島へ帰っていく姿は、ノーブレーキで坂道を下る中学チャリ男子みたいで軽やかですね。国道2号(安芸バイパスじゃない方)走っていると時々見かけます。
配信ありがとうございます。急勾配でしたらJR飯田線 赤木ー沢渡間の40‰はご存知ですか。レールの間の補助レールのようなものは福知山線脱線事故を契機に、カーブに速度超過で侵入しても脱線しないように、私鉄を含めて全国の鉄路に採用されているようですね。
スカイレール乗ったことないのでなくなってしまうのが残念です
上野東京ラインの神田峠も相当なもの。
もう列車はないけど橫軽も行ってみてください。急行は夜中でも停車駅あった。駅は無人だったりしたけど。補機解放とか懐かしいですね。
かつては153系の電車急行も補機で押してもらったと聞く。その後165系になって補機は不要に。
151系153系のモーターはMT46で100kwかつ編成にモハが少なく登りきれないので広島からEF59単機で押してました。
この急勾配の影響で一昔前國鉄広島と言われてた時代の旅客車両は、制約があり115系以外は走行出来なかったんですよね?
国鉄227系…。。。
115系の抑速ブレーキで下ってました。113系や昔は80系も下ってましたが制輪子がちびてバラストがまっ茶色になってしまうくらいになるので優先的に115系となりました。
@@河内資治 さん、抹茶色?
@@bemanimania制輪子の鉄粉で、茶色(さび色)です。広島弁では、お茶の抹茶色じゃなくてすごく茶色のことを真っ茶色という意味で使います。貨物も制輪子でブレーキを掛けながら瀬野八をくだるので、他の線路に比べるとバラストは錆の色がひどいですよ。海田町出身です。
@@河内資治 レジンカーボン合成にしないと…。。。
キョリ測でみると瀬野駅ー八本松駅は直線で8.87km文字通り縫うように走りますな
スゴ急勾配😝😝😝😝貨物列車は補助機関車連結🚂🚂
最急勾配って長野県、飯田線の40‰ですよね…あっ、でも最強ってことはまた捉え方変わりますねw
ただ、線路等級の関係で(ry
更に最“兇”の勾配も関西には存在してはり、神鉄・近鉄なんば線(九条〜西九条)・叡電・京津線の40〜70‰は圧ッ……巻‼︎
まさかセノハチ対策している227系で空転立ち往生するとは
JR蘇我駅から京葉線の坂(勾配)ネタかと思った
豊肥線の瀬田〜立野の急勾配&スイッチバックを見たらビックリすると思う。
モロ地元で懐かしいですね😊地元いるときは意識しなかったのですが…広島貨物ターミナル駅は東広島駅って言っていました国鉄宇品線線路も残っていて南蟹屋に住んでいたときは宇品線に貨物が走っているのを見た記憶があります昔は国道2号線の瀬野駅前は渋滞のメッカでしたバイパス開通したらしいので少しは解消したのかな?
「芸備線、呉線と一緒に走っています。」と言われてますが、芸備線は、かなり手前で左に分岐しています。
近鉄大阪線の大和朝倉から榛原にかけて、ずーっと33‰の一直線。列車頻度も高いし、特急街道を120km/h。昭和6年開業ってすごくないですか?
八本松駅付近にシャープの工場があるので通勤時間帯はこの区間でも満員電車普通に発生しますね
瀬野駅を通過する単機回送ですruclips.net/user/shortsu5MDxrpLZJw?feature=share
ご存じかとは思いますが、スカイレール、老朽化と施設更新が費用や採算性の関係で、2024年(令和6年)4月末、つまり来年春に廃止になるそうなので、乗るならお早めに。
今日も!ひろきさんの動画投稿待ってました!
20:20 最初の方で単機回送のEF210見つけました!( 2:54 )
ひろきさんここ最近ほぼ毎日、投稿お疲れ様です❤️今日も動画投稿待っていました。
EF65には補機は付かなかったけど
寝台特急は換算500トンならEF65は、500番台から単機で登ってます。
補機をつなぐ手間を考えたら、呉線経由の貨物列車があってもいいと思うんだが、どうなんすかね?
単線ですし,距離が長くなるので,大量輸送は難しいかも.
ほぼ毎日利用してますが、30年くらい前までは瀬野駅にも機関車の車庫みたいなものが残ってました、そういえば転車台もあったような?
瀬野機関区はSL配置の機関区で唯一転車台のない機関区でした。 押すだけなので、転車する必要がない、という簡単な理由です。
ハチホン手前のミスターマックスら辺でカマの走行開放が行われたそう。切り離し後はハチホンマツエキの中線に入り、ヒロシマに戻ってたんかのう?
そうです。
変電所クラッシャーww
18:45の線路切り替えなんであるんだろう?
保守用車の留置や折返しのためでは
信号場かなんかだった気がする。忘れた
思い出した上瀬野信号所跡だ
ヤバイ急勾配やなヤッベェヤッベェヤッベェわー
そー考えると横軽はエグいwww
非力な151系や153系も12連は補機が付いていたと思います。感覚的には上越線の感じでしょうかね。
151系や153系に使われたMT46形主電動機は101系を全電動車編成とする前提で設計されていました。経済性の関係から付随車を組み込んだ編成にせざるを得なくなり熱容量不足が顕在化し、勾配線を補機なしで走れるように設計されたのがMT54形主電動機を搭載した181系、165系、115系ですね。平坦線向けの113系は電動機は強力なMT54になったもののランカーブは最後までMT46搭載の111系と共通だったために鈍足だったと言われています。
17:05 このような運転方式を「プッシュプル方式」と呼ばれています。
何度も思うが、良く第一級閉鎖区域にならなかったなと思いますね
サムネの文字が「JR内最強の急勾配」のはずのところ、「JR内房線の急勾配」に見えてしまった。海沿いを走るあの路線に急勾配なんてあったっけと思ったりして、目の老化が進んだんだなー。
こないだ福島(大阪)に飲みに行った際に牽引車がケツに着いてる貨物車が走ってたのですがあれはなんなのでしょうか?
去年まで貨物列車は地上(大阪駅のすぐ北)を通っていたのですが今年地下に潜るようにしました。しかし用地の関係でかなり急勾配になってしまって貨物列車は補機(後ろから押す機関車)が必要になってしまったのです
ひろきくんナレーション解りやすいよ🙂🙂🙂🙂🙂
ふっふっふ京阪電車京津線をご存知ない?ここも大概な急勾配ですのよ。
@@河内資治 プラス京津線の車両は路面区間用の路面電車仕様ブレーキ、京都市営地下鉄東西線乗り入れのための高加減速対応も必要なためコストがかさんでいるんですよね。
スカイレールが廃止になるとは思わない。ひろきさんが1年くらい前乗った。
高低差200ってやばいな 年度末廃止予定のスカイレールの近く とは
ついに「スカイレール」が廃止されるのか?珍しいのに廃止なのは悲しい。
スカイレールは空港アクセスの用を断じてなさない。空港を利用しようとして迷い込み迷惑かけないための措置だろう。河内 本郷 間に駅を設置して空港アクセスってのは無理かな。
瀬野駅で乗り換えることが出来ましたよ。今はもう廃止されています
セノハチって、山の中を走っている割にゃトンネルが少ないよね。あれは建設時の山陽鉄道時代、トンネルを掘る技術がなかったため、山を全部崩したのだそうだ。大変な作業だっだだろうが、完全な自然破壊だな。
瀬野八峠ですね😅
ゆめ咲線の非西九条連絡は、連絡側より勾配緩やかそだが…大丈夫そ⁇
志和インターが近くにある。
セノハチ、たった25‰でしょ。近鉄奈良線(東花園~生駒)・南海高野線(三日市町~橋本)と35‰がある関西私鉄ってスゴすぎ!
電車専用線なら35‰程度の急勾配が国鉄・私鉄ともに昭和初期から日本中にあります。最近だと東武伊勢崎線は貨物列車廃止を前提に高架化の際に新越谷駅付近の35‰を許容しました。
35‰の勾配で1200t貨物列車運行は無理です。登れても、途中止まった場合、引き出しできないのと、安全に停車できない、となります。 電車なら軽くて編成当たりの出力が機関車列車とかわらないので、電車なら走行は楽ですね。
@@河内資治 電車と機関車牽引の貨物列車は、動軸数が全然違いますからねぇ。例えば10両編成5M5Tの編成(新越谷付近を走行する東急5000系や東武50000系などが該当)では、動軸20なのに対し、貨物列車を牽引する機関車は最大でも動軸8(EH500やEH200など)。粘着力が全然違うため、貨物列車の方が条件はシビアです。かつての西武秩父線連続勾配区間でセメント輸送の貨物列車を担当していた機関車も私鉄では唯一の動軸6を有するE851でありましたし、引き合いに出されていた近鉄奈良線や南海高野線で貨物列車が存在したら同様なスペックの機関車が必要だったでしょうね。
日本じゃないけどフランスの超特急TGVが走る高速専用線路の最急勾配は35‰ドイツICEの場合、ICE1と2が走る線路は貨物列車も乗り入れて高速走行できるように12.5‰ICE3で動力分散式を採用して以降の線路は40‰が最急勾配になってる
補機の力加減って難しいのでしょうか?押し過ぎたら尺取り虫みたいになってしまいそうな気がして。
推しすぎると脱線する可能性はあります。そのため機関車毎に5ノッチとか7ノッチといれて均衡速度を保てるようにしていました。EH10が当時ありましたが、瀬野八でこのノッチがあう機関車がなく、岡山までの運行で、広島にはEH10は定期列車はありませんでした。
ひろき君、野球のルール解らなそう😊
飯田線に38‰ってのがなかったっけ?
私の記録だと1975年位電化なったことです。山陽新幹線岡山から博多まで開通したため1970年までは久留米から小郡まで現新山口電化していました。その間は 非電化ですので ディーゼルほとんど ではなかったでしょうか。SLも山陽本線を走っていました。1960年代から1974年まで新山口から広島 西条から岡山まで 非電化していない区間ある。記録していますが・・・。あくまで 私の記録の限りですので‥。もっと知っている方が居たら教えてください。
EF67の“顔”が前後で違うのは、走行中の自動解放が関係しています。補機として連結する側を貫通型とし、ミニデッキがつけられていますが、自動解放とは言え念のために人の目が要るということと、解放後に本線上に停車した補機は入換扱いで八本松駅に進入するため誘導員の添乗が必要で、このデッキに乗って手旗で誘導をしていたそうです。稼動中の電気機関車が発する大きな音は、駆動に直接関係する機器のものではなく、機器冷却用のブロワー(送風機)の音です。なので、勾配やら速度やらに関係なくいつも一定の音を撒き散らします。長時間の停車中はブロワーも停まりますが、発車の直前に起動します。国鉄形の電車でも同様(抵抗器の冷却用)ですが、出発信号が停止以外に変わり発車がOKになった後、逆転ハンドルを切から前進または後進に入れたらブロワーが起動します。音鉄の中にはこのブロワー起動音が大好きという方も多く、YouTubuにはブロワー起動時の動画がたくさんあります。
ゆめ咲線(安治川口〜西九条)と大和路線(JR難波〜今宮)の35‰とJR東西線に更新される迄はJR西最“兇”やった。
貨物列車が大変なのは分かるんだが,電車もセノハチに苦戦してるのが理解できない
JR東海飯田線の40パーミルと比べたら、まだまだ青いなw
JR線内最強の急勾配があるのは小海線では?
飯田線ですよ 小海線は最高標高?ながもくんアイコンは素晴らしい👏
京阪・京津線の方が上ちゃうかな?
80年前の可部線の話?
アナウンサーになれば?
今日は18きっぷで静岡から広島までやってきました! あ!これがセノハチ!と気づいた時はうれしすぎたっ!お尻はもげそうでした!
瀬野〜八本松は勾配のキツさもさることながら距離の長さ、そして山陽本線という旅客、貨物共に重要度の高い主要幹線でこれほど急勾配が長く続くのが珍しいです。
「セノハチ」はJRで最強の急こう配なのは知ってたが、200メートルも高低差があるのはすごいですね。
帰りの機関車一人旅
@@サダムユリトウ
かつてはEF59の四重連回送もありましたな
勾配区間をうまくまとめた動画です。
旅客列車は軽量なのでもう無関係ですが、貨物列車のうち、重量が、ある一定レベルを超える列車については、「セノハチ」では現在でも補機を連結しています。
「碓氷峠」や「板谷峠」ではもうなくなってしまいましたが、新たに「梅田峠」(吹田貨物ターミナル駅(梅田貨物線)~安治川口駅(桜島線))をつくったのは、?マークでした。
鉄道趣味的には、急勾配での補機の連結は面白いですが、いちいち補機の連結をするのは手間もかかり不経済でもあります。
現在JRでは、このように急勾配のための補機を連結している列車があるのは、定期ではこの二か所のみです。
ご存知かもしれませんが、少し前に、山陽本線の瀬野八で旅客列車、227系が空転で立ち往生しました。227系は運転台真下の台車以外はモーターがありますが、瀬野八で空転したので、それほど急勾配だったのですね
@@権三郎平衛 ご説明ありがとうございます。確かに227は2,3,4,5,6,8両で短編成なので出力が大きかったら空転しやすいと言われ納得しました。
113系が懐かしいですね…戻ってきて欲しいものです…
@@user-黒猫 さん
「セノハチ」は碓氷峠(66.7‰=6.67%=3.816°)と同じくらいの距離(約10㎞)で、最大勾配は22.6‰です(=2.26%=1.295°)。道路なら、そこら辺にいくらでもある取るに足らない勾配です。今の通常の電車だとほぼ問題はありません。
しかし、空転は日本中あちこちで報告されています。何らかの粘着力不足が原因です。
特に短編成の227の場合、軽量な車体に大出力のモーターを搭載している関係で、空転の起きやすい環境にあります。227は0.5M方式ですが、編成当たりの動軸数では従来のMM車と変わりありません。
勾配登攀の場合に、重量当たりの出力過剰が空転の問題を引き起こすことがあります。
例えば、2軸駆動であるキハ120のうち、最も初期に製造された200番台の車体は普通鋼製で、出力が250PSのエンジンを積んでいます。これに対し、その後に製造された0番台、300番台では、ステンレスボディの330PSエンジンとなっています。
25‰~33‰の勾配区間を擁する越美北線や木次線では、主に200番台が使われます。出力が低く比較的空転が起きにくいからです。
「セノハチ」の227の場合、動輪部分に砂箱をつけたり、所要時間を延ばす等の粘着を増加させる対策が必要かもしれません。この区間には重量のある従来の115の方が向いているかもしれません。
補機連結が必要となる制限以上の大単位の貨物列車とはまた異なった問題です。
25‰の連続勾配がある中央本線で使用されているEH200であれば補機無しで登坂できますね。
15:15 碓氷峠も登坂側のみツインシンプルカテナリー式でした。
EF200がフルパワーで走れるように広島貨物ターミナル〜西条は変電所容量を増強しましたが
補機無しEF200の単機運転は実現しませんでした。
@@山坂沙武朗 EH200やEF200でもなにもなければ単機で登れるかもしれませんが、列車長の長い山陽本線1200t列車を勾配途中で停車して、編成の中にR300のカーブが2つ入るケースがあるため、そこから引き出すのは至難の業で、電車も走っているので、ダイヤ編成上、平均速度を高くしないといけないため、瀬野八だけ補機で押すしか設定できない、ということになります。東海道山陽本線1100㌔のうちEF200やEH200を全区間走行用に高い機関車製作費用や表定速度維持に使うのは経済的に合わないので、EF210 で統一した方が運行は楽、経済的となります。
@@山坂沙武朗
1990年代初頭はVVVFの粘着力を過剰に評価していたため、EF200の6軸で登坂できると考えていたところが、やはり後補機を含む12軸での登坂となったのかもしれませんね。
8軸のEH200も登場当時は空転に悩まされたそうです。
この規模でほぼ毎日投稿できるのはすごすぎる!
30いいねありがとうございます。こんなにいいねを貰ったのは初めてです。
広島のセノハチは6月に東広島にコンサートに行った時に通りました。夜、広島方面の電車を待っていた時に、セノハチを登ってきた貨物列車が機関車の切り離しを偶然行っていたので、めったに見られないものが見れてラッキーでした!
全車廃車になったけど、EF200はこのセノハチを1300t列車を単機で牽引できるように作られたので、変電設備の問題をクリア出来ればまた違った景色になっていたのかなと思います。
ひたすらホキのあとに補機が付くという駄洒落編成を見てみたいものです
昔の碓氷峠では上下線とも列車の勾配の下側に電気機関車4両が連なっていた。
懐かしいですね
良くもみじ補機の繋がっていた攻撃や、単機回送を、見かけました
國鐵広島時代は103系も瀬野止まりでした
懐かしいですね。大学のサークルで広島からレンタカーで撮影にきたことがありますが、その時はまだ茶色の電気機関車だったような記憶があります
東広島バイパスの歩道に三脚を立てて、
瀬野を通過してカーブを終えた後の22.3‰直線の坂を登るEF67補機の貨物20連を、300mm望遠の圧縮効果で撮ったときは、それはそれは感動しました。コンテナが壁を登っているように見えるんですよ本当に。
ここは魅惑の魔境。
かつては八本松構内で補機の走行開放をしていました。EF59の時代です。
かつてブルートレインもプッシュプルでセノハチを乗り越えていました。走行しながら機関車を切り離していました。西村京太郎先生はこれを死体消失トリックに活かしました。
@@S47MUR EF58牽引時高速域性能は旅客用機関車としてはEF66並みで最適なのなのですが、引っ張り力がないのと1900KWの出力しかないので、速度を稼げず、旅客列車は単機のEF59で推していました。
補助機関車は昔、八本松駅手前で走行中に切り離しをしていました。
今は西条駅まで行って切り離しをします。
永谷園はすし太郎😁
セノハチ梅田峠の補機は推したろう(笑)
補機が無ければ登れないって相当キツイ峠ですね!
スカイレール、改めて山陽本線側から見ると瀬野駅から山側に取り付く最初の勾配が半端ないですね。
セノハチですね。碓氷峠越えの急勾配は北陸新幹線開通と同時に廃線となってしまった。
セノハチで補機といえば、西村京太郎ミステリー「特急さくら殺人事件」ですね🍀
補機の切り離しをトリックに使った話ですが、子供の頃に土ワイを見ていて、そんな場所があることを知りました。
垂井の勾配よりも急なんですね。
1:43 そのうち、この補機仕様の300番台は通称「押し桃」。
その中の特定の番号は「な阪関無桃」?
8:33 JR西日本の近畿地区では使いにくいのか、2面4線化されるか棒線化された駅が目立つ印象。
西村京太郎の「特急さくら殺人事件」に急遽EF58が使われたトリックがありました。
12年前に初めてセノハチ通りましたが、「5つ目のトンネルを抜けてやっと勾配が緩くなった」と書いてあった通りで、その後すぐに八本松駅に着きました。
ありましたね、
しかも、ゴハチの1号機、さすが西村氏と思いました。
瀬野八を初めて知ったのは土曜ワイド劇場にてw
8月9日の午後から8月15日まで広島に行きまして、最終日に尾道行くためにセノハチを使いました。一度使ってみたいと家族に念願を続け、やっと乗れました。
かつて九州発の上り寝台列車に乗って、越えたことがあります❗横になっても、右に左に体が揺さぶられ、車両がきしむ音がしたりと、寝るのにも難所でした❗😂
15:25 少し話が脱線しますが、本数にもよりますが上り線と下り線で電力系統が分かれているのが一般的な方式ですが、近年動力回生ブレーキが普及しているため、上り線と下り線の電力系統を一緒にする「上下一括き電」方式にしたほうが下り方向の列車は摩擦ブレーキを使わず、回生(発電)しながら下り、上り線は電力会社からの電力+下り電車からの発電された電力を使うことにより、制輪子の早期摩耗防止と、省エネルギーに配慮した工夫が施されている箇所もございます。
23:59 通勤型電車ではありますが、動力車かT車か忘れましたが、研磨材入り制輪子を使うなどの工夫が施されている車両もあります。
たまに山陽本線上りで瀬野行きがありますがあれだけ線路があれば止めることができますね。ところで、青梅市にある青梅鉄道公園が今月いっぱいでリニューアル工事のため一時閉館とのことです。お時間があればぜひ
セノハチについての説明は本当に参考になりました。
関東に住んでいるとやはり碓氷峠の急勾配を思い出してしまいますが、
こっちの方もすごいですよね。そしてひろき君も言っているうめきたの通称梅田峠もありますけれどね。
瀬野八が急勾配になったのは、明治時代に当時の山陽鉄道が日本陸軍の要請に沿って、最短ルートで敷設した事に端を発します
山陽鉄道の社長はカーブを入れても基本10‰以下で基本山陽本線を建設しようとしましたが瀬野八だけ補機を使うことにして大山峠を通るための最適線形が今の山陽本線です。志和経由、または黒瀬経由も検討されましたが、距離が長すぎるので、社長の意向もありました。それだけ高低差を避ける建設手段がなかったということですね。
セノハチを通過する貨物の映像古いなー
ちなみにEF200だけでセノハチの上り勾配で1100t分の貨物を引っ張れる牽引力があるらしい…(マジバケモノやなw)
補機も含めた12軸駆動でも砂撒きが必要ということはEF200の6軸駆動でのセノハチ越えは粘着力の不安があったのかも知れません。
今やセノハチのみならず、大阪にまで補機を使う位なので
広島市と東広島市の境界にある瀬野八区間は、本当に急勾配なんですよね。
瀬野八は貨物の場合重量がある為登れない
補機がないとかなりきつい
昔はEF67を使っていたが老朽化でEF200-300に
やはり瀬野八はEF67が活躍していたイメージが強い
オレが知ってる時代のセノハチはD-51が補機だった。
技術が発展して今は勾配でも力良く登れるのが凄いですね。昔SL機関車の人たちは如何に苦労したのか分かるような気がします。
D52の重連が後ろ補機で、1200tの石炭列車(北九州産を関西関東へ輸送)は雨が降ると石炭(粉)に水を含んでしまいさらに重くなったそうです。そこを時速10~20キロで走行維持が精一杯で、トンネルの中は酸欠となるため、機関車を降りて走りながら線路下を歩いたり、滑り止めの砂を手で巻いたりしていたくらいだそうです。C62牽引の特急かもめは40㌔ぐらいで瀬野八を登ったそうですが、後ろのD52 は広島~瀬野間は80㌔くらいで振動がすさまじいみたいでしがみついていたそうです。
ただ勾配だけでなく、R300のカーブが連続してあるため、22.6‰でも貨物列車の中にカーブが続くため、後ろから押すしかないのです。
瀬野八は上り線に勾配が続くが関ヶ原は下り線がキツイ😣(補足)下り線の上り勾配です
そのため、新垂井線…。。。
@@bemanimania 関ケ原の25%は直線で、走行時間が短いため EF210は 1時間定格から30分定格で計算して上り坂をEF66並みの均衡速度で登れるようにしてます。
@@河内資治 さん、
関ヶ原越えの為にEH10やEF66が開発された。
新垂井線でも高出力が求められた。
@@bemanimania 電化区間が東京ー西明石まででしたから、貨物用電気機関車としはまず、関ケ原のためにどうするかで設計するのがポイントですね、でEH10、下関まで電化すると、高速貨物A、高速貨物B、一般貨物と設定されて、 で、特に10000系貨物車両と同じく110㌔で連続走行するために43.10の特急列車120㌔ダイヤに合わせるためにEF90 ⇒EF66登場3900kWで、特に下関・九州からの鮮魚貨物がブルトレよりも最優先のダイヤとなりましたので。ただ、それでも瀬野八は当時はEF59重連で推すしかなかった、これも特急電車のダイヤに合わせるためです。(瀬野八で速度を稼ぐため)新大阪からの特急・急行群山陽特急は東北特急以上に大事でしたので。EF60やEF65はスピードを求めない高速貨物Bと一般貨物車扱で十分活躍しましたから。EF66が開発できるまではEF65 500番台F型の重連で対応しましたが維持がべらぼうにかかったみたいで。
土讃線の繁藤・土佐山田間は、25‰勾配が11kmほど続く難所ですが、南風が爆走しています。天気がよければ、太平洋が見えますよ。
この区間のほぼ中間地点にスイッチバック新改駅があります。新改駅の標高は、Wikipedia では274m になっていますが、実際は200m ほどです(国土地理院地形図より)。
土佐山田43m新改201m繁藤347mとする資料有りますね。尚私が買った中古家屋に繁藤駅地滑り大崩壊時の新聞がありました。
@@TheBikkuri
新改駅と同じく、坪尻駅も、Wikipediaの272mではなく、218m ぐらいのようです。
国土地理院地形図には、駅前に220m の等高線がありますので。
@@ちゃんとし-i3w 坪尻は多度津方面へ行くと丸く開けた穴から川が見えます。なんでも川を付け替えた後の川底に駅を作ったらしいです。秘境駅ノートには今度行ったらこのアカウント名で記帳やっときます。
花マークでも下さい。
スカイレールは、この前かこ鉄さんが乗ってたな😂
1
ひろきさん編集方法変えました?
板谷峠の方が勾配が急だけではなく、豪雪地帯で距離が長く上りと下りが両方あり登るのが困難なのでは😅
奥羽本線は1200t貨物の設定がないので、SL時代はデゴイチ重連で推していました(貨物は600t換算くらい)
EF71でなんとか安定的に上り下りができるようになりました。 軸重16tを許容できる路線(当時は東京~熊本まで・横軽だけ)でないのでD52は入れませんでした。キハ181系の1両500PSを長時間フルパワーは、東北本線を120㌔で走行した後はキャパ足りず、EF71で推して特急ダイヤがくめるようにしたくらいなので。瀬野八はとにかく貨物列車が重くて本数が多いので大変なんですね。
@@河内資治 板谷峠の機関車は、蒸気機関車時代4110系・E10系(動輪5)→直流電気機関車時代EF16、EF64→交流機関車時代EF71、ED78ですね。いずれも回生ブレーキ付きだったり、同軸が多かったりする特別仕様ばかりでした。
@@0715MT
と特別仕様を準備してもSLは長続きせず、
E10をセノハチにとの声もあったが瀬野機関区、保線区がノー、で北陸本線の交流直流の繋ぎになったらDD50、直流電化まではD51の重連です。
古い投稿を持ってきますね?
何か質問があれば言ってくださいね。
1950年代後半ですが広島から大阪に移動の際、岡山までは蒸気機関車、岡山で電気機関車に付け替かえてたのを覚えています。もちろん冷房も存在せず、岡山までは煤が入らないようにトンネルに入れば窓を一
😊斉に閉めて出たら開けるといった事をしていました。当時の電化の遍歴についてご存知の方、教えてください。
昭和39年の新幹線開業に間に合わせるように、姫路電化(九州特急EF58 は姫路までそこからC62)三原電化(岡山で機関車交換)広島電化は昭和35年くらいかな、西は山口県小郡電化、ときて昭和39年までに全線電化で下関までEF58、151系、153系80系の通し運転が可能となりました。山陽本線でのC62特急牽引は結構あとあとまであったんですね。
セノハチ後の補機の切り離し場面(恐らく西条駅過ぎてすぐ)が見たかったですねー
20‰~25‰級の勾配は日本全国に散在していて瀬野八が特別急勾配って事はないが、長さもさることながら曲線も急だから実質の抵抗が実勾配以上になってる。
線形的にも補助機関車がここくらいしか必要ないということもあって重連ではなく補機という運用が残り続けてるのだろう。
東北でも福米の専用機ED78/EF71以外に南福島~金谷川の上り勾配の補機連結は割と有名だった。
瀬野八のおかげで、103系の魔の手から逃れることが出来た。
実は向洋駅(2:55)で単機で補機を回送していました。ちなみに補機のことを桃太郎をちなんで押し太郎と呼ばれているとか。
一仕事終えた機関車が単独で広島へ帰っていく姿は、ノーブレーキで坂道を下る中学チャリ男子みたいで軽やかですね。
国道2号(安芸バイパスじゃない方)走っていると時々見かけます。
配信ありがとうございます。
急勾配でしたらJR飯田線 赤木ー沢渡間の40‰はご存知ですか。
レールの間の補助レールのようなものは福知山線脱線事故を契機に、カーブに速度超過で侵入しても脱線しないように、私鉄を含めて全国の鉄路に採用されているようですね。
スカイレール乗ったことないのでなくなってしまうのが残念です
上野東京ラインの神田峠も相当なもの。
もう列車はないけど橫軽も行ってみてください。急行は夜中でも停車駅あった。駅は無人だったりしたけど。
補機解放とか懐かしいですね。
かつては153系の電車急行も補機で押してもらったと聞く。
その後165系になって補機は不要に。
151系153系のモーターはMT46で100kwかつ編成にモハが少なく登りきれないので広島からEF59単機で押してました。
この急勾配の影響で一昔前國鉄広島と言われてた時代の旅客車両は、制約があり115系以外は走行出来なかったんですよね?
国鉄227系…。。。
115系の抑速ブレーキで下ってました。
113系や昔は80系も下ってましたが制輪子がちびてバラストがまっ茶色になってしまうくらいになるので優先的に115系となりました。
@@河内資治 さん、
抹茶色?
@@bemanimania制輪子の鉄粉で、茶色(さび色)です。広島弁では、お茶の抹茶色じゃなくてすごく茶色のことを真っ茶色という意味で使います。貨物も制輪子でブレーキを掛けながら瀬野八をくだるので、他の線路に比べるとバラストは錆の色がひどいですよ。海田町出身です。
@@河内資治 レジンカーボン合成にしないと…。。。
キョリ測でみると瀬野駅ー八本松駅は直線で8.87km
文字通り縫うように走りますな
スゴ急勾配😝😝😝😝貨物列車は補助機関車連結🚂🚂
最急勾配って長野県、飯田線の
40‰ですよね…
あっ、でも最強ってことはまた捉え方変わりますねw
ただ、線路等級の関係で(ry
更に最“兇”の勾配も関西には存在してはり、神鉄・近鉄なんば線(九条〜西九条)・叡電・京津線の40〜70‰は圧ッ……巻‼︎
まさかセノハチ対策している227系で空転立ち往生するとは
JR蘇我駅から京葉線の坂(勾配)ネタかと思った
豊肥線の瀬田〜立野の急勾配&スイッチバックを見たらビックリすると思う。
モロ地元で懐かしいですね😊
地元いるときは意識しなかったのですが…
広島貨物ターミナル駅は東広島駅って言っていました
国鉄宇品線線路も残っていて南蟹屋に住んでいたときは
宇品線に貨物が走っているのを見た記憶があります
昔は国道2号線の瀬野駅前は渋滞のメッカでした
バイパス開通したらしいので少しは解消したのかな?
「芸備線、呉線と一緒に走っています。」と言われてますが、芸備線は、かなり手前で左に分岐しています。
近鉄大阪線の大和朝倉から榛原にかけて、ずーっと33‰の一直線。列車頻度も高いし、特急街道を120km/h。昭和6年開業ってすごくないですか?
八本松駅付近にシャープの工場があるので通勤時間帯はこの区間でも満員電車普通に発生しますね
瀬野駅を通過する単機回送です
ruclips.net/user/shortsu5MDxrpLZJw?feature=share
ご存じかとは思いますが、スカイレール、老朽化と施設更新が費用や採算性の関係で、2024年(令和6年)4月末、つまり来年春に廃止になるそうなので、乗るならお早めに。
今日も!ひろきさんの動画投稿待ってました!
20:20 最初の方で単機回送のEF210見つけました!( 2:54 )
ひろきさんここ最近ほぼ毎日、投稿お疲れ様です❤️
今日も動画投稿待っていました。
EF65には補機は付かなかったけど
寝台特急は換算500トンならEF65は、500番台から単機で登ってます。
補機をつなぐ手間を考えたら、呉線経由の貨物列車があってもいいと思うんだが、どうなんすかね?
単線ですし,距離が長くなるので,大量輸送は難しいかも.
ほぼ毎日利用してますが、30年くらい前までは瀬野駅にも機関車の車庫みたいなものが残ってました、そういえば転車台もあったような?
瀬野機関区はSL配置の機関区で唯一転車台のない機関区でした。 押すだけなので、転車する必要がない、という簡単な理由です。
ハチホン手前のミスターマックスら辺でカマの走行開放が行われたそう。切り離し後はハチホンマツエキの中線に入り、ヒロシマに戻ってたんかのう?
そうです。
変電所クラッシャーww
18:45の線路切り替えなんであるんだろう?
保守用車の留置や折返しのためでは
信号場かなんかだった気がする。忘れた
思い出した上瀬野信号所跡だ
ヤバイ急勾配やな
ヤッベェヤッベェヤッベェわー
そー考えると横軽はエグいwww
非力な151系や153系も12連は補機が付いていたと思います。感覚的には上越線の感じでしょうかね。
151系や153系に使われたMT46形主電動機は101系を全電動車編成とする前提で設計されていました。経済性の関係から付随車を組み込んだ編成にせざるを得なくなり熱容量不足が顕在化し、勾配線を補機なしで走れるように設計されたのがMT54形主電動機を搭載した181系、165系、115系ですね。平坦線向けの113系は電動機は強力なMT54になったもののランカーブは最後までMT46搭載の111系と共通だったために鈍足だったと言われています。
17:05 このような運転方式を「プッシュプル方式」と呼ばれています。
何度も思うが、良く第一級閉鎖区域にならなかったなと思いますね
サムネの文字が「JR内最強の急勾配」のはずのところ、「JR内房線の急勾配」に見えてしまった。
海沿いを走るあの路線に急勾配なんてあったっけと思ったりして、目の老化が進んだんだなー。
こないだ福島(大阪)に飲みに行った際に牽引車がケツに着いてる貨物車が走ってたのですがあれはなんなのでしょうか?
去年まで貨物列車は地上(大阪駅のすぐ北)を通っていたのですが今年地下に潜るようにしました。しかし用地の関係でかなり急勾配になってしまって貨物列車は補機(後ろから押す機関車)が必要になってしまったのです
ひろきくんナレーション解りやすいよ🙂🙂🙂🙂🙂
ふっふっふ
京阪電車京津線をご存知ない?
ここも大概な急勾配ですのよ。
@@河内資治 プラス京津線の車両は路面区間用の路面電車仕様ブレーキ、京都市営地下鉄東西線乗り入れのための高加減速対応も必要なためコストがかさんでいるんですよね。
スカイレールが廃止になるとは思わない。
ひろきさんが1年くらい前乗った。
高低差200ってやばいな 年度末廃止予定のスカイレールの近く とは
ついに「スカイレール」が廃止されるのか?珍しいのに廃止なのは悲しい。
スカイレールは空港アクセスの用を断じてなさない。空港を利用しようとして迷い込み迷惑かけないための措置だろう。河内 本郷 間に駅を設置して空港アクセスってのは無理かな。
瀬野駅で乗り換えることが出来ましたよ。今はもう廃止されています
セノハチって、山の中を走っている割にゃトンネルが少ないよね。
あれは建設時の山陽鉄道時代、トンネルを掘る技術がなかったため、山を全部崩したのだそうだ。
大変な作業だっだだろうが、完全な自然破壊だな。
瀬野八峠ですね😅
ゆめ咲線の非西九条連絡は、連絡側より勾配緩やかそだが…大丈夫そ⁇
志和インターが近くにある。
セノハチ、たった25‰でしょ。近鉄奈良線(東花園~生駒)・南海高野線(三日市町~橋本)と35‰がある関西私鉄ってスゴすぎ!
電車専用線なら35‰程度の急勾配が国鉄・私鉄ともに昭和初期から日本中にあります。最近だと東武伊勢崎線は貨物列車廃止を前提に高架化の際に新越谷駅付近の35‰を許容しました。
35‰の勾配で1200t貨物列車運行は無理です。登れても、途中止まった場合、引き出しできないのと、安全に停車できない、となります。 電車なら軽くて編成当たりの出力が機関車列車とかわらないので、電車なら走行は楽ですね。
@@河内資治 電車と機関車牽引の貨物列車は、動軸数が全然違いますからねぇ。例えば10両編成5M5Tの編成(新越谷付近を走行する東急5000系や東武50000系などが該当)では、動軸20なのに対し、貨物列車を牽引する機関車は最大でも動軸8(EH500やEH200など)。粘着力が全然違うため、貨物列車の方が条件はシビアです。
かつての西武秩父線連続勾配区間でセメント輸送の貨物列車を担当していた機関車も私鉄では唯一の動軸6を有するE851でありましたし、引き合いに出されていた近鉄奈良線や南海高野線で貨物列車が存在したら同様なスペックの機関車が必要だったでしょうね。
日本じゃないけど
フランスの超特急TGVが走る高速専用線路の最急勾配は35‰
ドイツICEの場合、ICE1と2が走る線路は貨物列車も乗り入れて高速走行できるように12.5‰
ICE3で動力分散式を採用して以降の線路は40‰が最急勾配になってる
補機の力加減って難しいのでしょうか?
押し過ぎたら尺取り虫みたいになってしまいそうな気がして。
推しすぎると脱線する可能性はあります。そのため機関車毎に5ノッチとか7ノッチといれて均衡速度を保てるようにしていました。EH10が当時ありましたが、瀬野八でこのノッチがあう機関車がなく、岡山までの運行で、広島にはEH10は定期列車はありませんでした。
ひろき君、野球のルール解らなそう😊
飯田線に38‰ってのがなかったっけ?
私の記録だと1975年位電化なったことです。山陽新幹線岡山から博多まで開通したため1970年までは久留米から小郡まで現新山口電化していました。その間は 非電化ですので ディーゼルほとんど ではなかったでしょうか。SLも山陽本線を走っていました。1960年代から1974年まで新山口から広島 西条から岡山まで 非電化していない区間ある。記録していますが・・・。あくまで 私の記録の限りですので‥。もっと知っている方が居たら教えてください。
EF67の“顔”が前後で違うのは、走行中の自動解放が関係しています。補機として連結する側を貫通型とし、ミニデッキがつけられていますが、自動解放とは言え念のために人の目が要るということと、解放後に本線上に停車した補機は入換扱いで八本松駅に進入するため誘導員の添乗が必要で、このデッキに乗って手旗で誘導をしていたそうです。
稼動中の電気機関車が発する大きな音は、駆動に直接関係する機器のものではなく、機器冷却用のブロワー(送風機)の音です。なので、勾配やら速度やらに関係なくいつも一定の音を撒き散らします。
長時間の停車中はブロワーも停まりますが、発車の直前に起動します。国鉄形の電車でも同様(抵抗器の冷却用)ですが、出発信号が停止以外に変わり発車がOKになった後、逆転ハンドルを切から前進または後進に入れたらブロワーが起動します。音鉄の中にはこのブロワー起動音が大好きという方も多く、YouTubuにはブロワー起動時の動画がたくさんあります。
ゆめ咲線(安治川口〜西九条)と大和路線(JR難波〜今宮)の35‰とJR東西線に更新される迄はJR西最“兇”やった。
貨物列車が大変なのは分かるんだが,電車もセノハチに苦戦してるのが理解できない
JR東海飯田線の40パーミルと比べたら、まだまだ青いなw
JR線内最強の急勾配があるのは小海線では?
飯田線ですよ 小海線は最高標高?
ながもくんアイコンは素晴らしい👏
京阪・京津線の方が上ちゃうかな?
80年前の可部線の話?
アナウンサーになれば?