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これこそ太平記が大河ドラマ最高傑作と今だに謡われる理由。脇役とされた役者の方々が放つ圧倒的な重厚感と、それぞれの役回りで持ち合わす正義に殉じる外連味たっぷりの演技こそ既に至高のレベル。
勝利の宴で揉め事が起きるのは太平記の18番やね
こうして浮かれてる間にも、尊氏は強かに次の戦いに向けて着々と事を進めている…どちらが勝利するか、火を見るより明らかだ。
権力に溺れ堕落して見るべき物すら見えなくなった者たちをズバリ指摘する親房を「如何にもその通り」と内心聴いていた正成。が、連中が今度は新田義貞を持ち上げ出していとも簡単に煽てに乗せられる浅はかな義貞を見て「足利に対抗すべき武家の代表がこの程度の男か」と露骨に失望の表情を見せる正成😅
曾祖父さんは北畠顕家を祀った霊山神社の宮司やってた。
明治憲法草案の時に、伊藤博文が国民の権利を盛り込もうとしたら公家が「国民に権利なんて与える必要なんて無い」と反対した。伊藤は「権利を与えなければ義務を負わせる事も出来ない」と反論。
なんとまぁ北畠顕家役 後藤久美子さんの美少年ぶりよ
流石戦う公家、北畠家。後に伊勢国司大名になって名を馳せる。
この話と直接は関係ありませんが、津軽に浪岡御所というところがありまして、当時は北畠の末裔が住んでいたことを知りました。津軽右京亮に滅ぼされましたが。
@@gonkiciyamyam7222 ありがとうございます
器でも無い、、新田に勾当内侍あてがい武門を蔑ろにしたこと、、後醍醐の不明、、十善大王の器になし、、だから後醍醐統は絶えた。
足利を追って滅ぼすまで追い詰めなければならなかったのに😢
後醍醐といい後白河といいワンポイントでみくらいにつかれた人は地位に固執するから世が乱れる。後醍醐も大覚寺とうの傍流なのに
This made me miss real daikas even more after watching "Dear Radiance - 光る君へ"
帝「かずけとらせる」顕家が蘭陵王を舞ったときも衣を下賜してた。人生で一度は言ってみたい「かずけとらせる」
@@39thankyou 福島弁で、〜のせいにする のを、「かずける」って言います。
親房卿、あの坊門にももっとガツンと言ってやって下さいよ。
足利勢を九州まで追撃もせず、宴に侍る慮外者義貞
播磨で足止め喰らったからね赤松軍に
@猫のダヤン さんそれは足利勢が九州を発って東進してきた時ですからそれ以前に、足利勢が九州へ敗走したのを何故追撃しなかったのか、という事です
@@UJISADA北畠顕家があとで、その事について後醍醐帝に談判状突きつけましたね。
義貞公、居たたまれなかったでしょうね
足利尊氏みたく、何度も復活する武将の方が珍しいからね。仕方ないかも。
追撃したとして決定的勝利いや殲滅し切らないと、やがては足利に逆転されるのだろうな、格、器量、人望、足利と新田ではかなりの差がある。しかしそういった全てを覆して自分の人生を作るのが英雄、新田にはそれが無かったんだろうな。
宮崎ますみ
しかし大覚寺も腐敗してどうにもならん。
新田も落ちぶれたな
後醍醐天皇ってやっぱダメ人間だわ
@@masato9995 +腐った公家たち
建武の親政が崩壊したのは、さもありなん…だ。
ですね。だからこその、先の昭和時代を終えての...。約2年後の1991(平成3)年、本放送...。「本格的禁忌解禁」第1作目となったのでしょう。
また気になってしまって...。この1991(平成3)年1月6日日曜日から12月8日日曜日まで全49回放送...。吉川英治『私本太平記』原作・池端俊策チーフ脚本・佐藤幹夫チーフ演出・NHK大河ドラマ第29作目『太平記』...。先の第二次世界大戦の最中の太平洋戦争当時の『皇国史観」の「弊害」の一端として...。後醍醐天皇君臨の南朝を「正統」...。室町幕府初代将軍.足利尊氏は、時の帝.後醍醐天皇に背いた「国賊.逆賊.朝敵」...。河内.金剛山.西.千早赤坂村.豪族.楠木正成は、時の帝.後醍醐天皇に捧げた「忠臣.軍神.英雄」...。「やりたい企画」実現の代償として...。南朝方の皇族や武将の祀られている諸神社や神社本庁、そして保守系政治家などへの根回し...。慎重に行わざるを得なかった結果としての本放送...。ここまでの"蓄積"...。まさに大きいもの...。
これこそ太平記が大河ドラマ最高傑作と今だに謡われる理由。脇役とされた役者の方々が放つ圧倒的な重厚感と、それぞれの役回りで持ち合わす正義に殉じる外連味たっぷりの演技こそ既に至高のレベル。
勝利の宴で揉め事が起きるのは太平記の18番やね
こうして浮かれてる間にも、尊氏は強かに次の戦いに向けて着々と事を進めている…どちらが勝利するか、火を見るより明らかだ。
権力に溺れ堕落して見るべき物すら見えなくなった者たちをズバリ指摘する親房を「如何にもその通り」と内心聴いていた正成。が、連中が今度は新田義貞を持ち上げ出していとも簡単に煽てに乗せられる浅はかな義貞を見て「足利に対抗すべき武家の代表がこの程度の男か」と露骨に失望の表情を見せる正成😅
曾祖父さんは北畠顕家を祀った霊山神社の宮司やってた。
明治憲法草案の時に、伊藤博文が国民の権利を盛り込もうとしたら公家が「国民に権利なんて与える必要なんて無い」と反対した。伊藤は「権利を与えなければ義務を負わせる事も出来ない」と反論。
なんとまぁ北畠顕家役 後藤久美子さんの美少年ぶりよ
流石戦う公家、北畠家。後に伊勢国司大名になって名を馳せる。
この話と直接は関係ありませんが、津軽に浪岡御所というところがありまして、当時は北畠の末裔が住んでいたことを知りました。津軽右京亮に滅ぼされましたが。
@@gonkiciyamyam7222 ありがとうございます
器でも無い、、新田に勾当内侍あてがい武門を蔑ろにしたこと、、後醍醐の不明、、十善大王の器になし、、だから後醍醐統は絶えた。
足利を追って滅ぼすまで追い詰めなければならなかったのに😢
後醍醐といい後白河といいワンポイントでみくらいにつかれた人は地位に固執するから世が乱れる。
後醍醐も大覚寺とうの傍流なのに
This made me miss real daikas even more after watching "Dear Radiance - 光る君へ"
帝「かずけとらせる」
顕家が蘭陵王を舞ったときも衣を下賜してた。
人生で一度は言ってみたい「かずけとらせる」
@@39thankyou
福島弁で、〜のせいにする のを、
「かずける」って言います。
親房卿、あの坊門にももっとガツンと言ってやって下さいよ。
足利勢を九州まで追撃もせず、宴に侍る慮外者義貞
播磨で足止め喰らったからね
赤松軍に
@猫のダヤン さん
それは足利勢が九州を発って東進してきた時ですから
それ以前に、足利勢が九州へ敗走したのを何故追撃しなかったのか、という事です
@@UJISADA
北畠顕家があとで、その事について後醍醐帝に談判状突きつけましたね。
義貞公、居たたまれなかったでしょうね
足利尊氏みたく、何度も復活する武将の方が珍しいからね。仕方ないかも。
追撃したとして決定的勝利いや殲滅し切らないと、やがては足利に逆転されるのだろうな、格、器量、人望、足利と新田ではかなりの差がある。しかしそういった全てを覆して自分の人生を作るのが英雄、新田にはそれが無かったんだろうな。
宮崎ますみ
しかし大覚寺も腐敗してどうにもならん。
新田も落ちぶれたな
後醍醐天皇ってやっぱダメ人間だわ
@@masato9995
+腐った公家たち
建武の親政が崩壊したのは、さもありなん…だ。
ですね。
だからこその、先の昭和時代を終えての...。
約2年後の1991(平成3)年、本放送...。
「本格的禁忌解禁」
第1作目となったのでしょう。
また気になってしまって...。
この1991(平成3)年1月6日日曜日から12月8日日曜日まで全49回放送...。
吉川英治『私本太平記』原作・池端俊策チーフ脚本・佐藤幹夫チーフ演出・NHK大河ドラマ第29作目『太平記』...。
先の第二次世界大戦の最中の太平洋戦争当時の『皇国史観」の「弊害」の一端として...。
後醍醐天皇君臨の南朝を「正統」...。
室町幕府初代将軍.足利尊氏は、時の帝.後醍醐天皇に背いた「国賊.逆賊.朝敵」...。
河内.金剛山.西.千早赤坂村.豪族.楠木正成は、時の帝.後醍醐天皇に捧げた「忠臣.軍神.英雄」...。
「やりたい企画」実現の代償として...。
南朝方の皇族や武将の祀られている諸神社や神社本庁、そして保守系政治家などへの根回し...。
慎重に行わざるを得なかった結果としての本放送...。
ここまでの"蓄積"...。
まさに大きいもの...。