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「光る君へ」に学ぶ日本史 紫式部の娘藤原賢子 天皇の乳母となって母を越えた大弐三位 女房の恋愛や出産は夢をかなえる手段 Genji Japan
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- Опубликовано: 13 июл 2024
- 藤原賢子は、紫式部と宣孝の一人娘だが、母と同じく宮中の彰子に仕えた。多くの男性貴族と浮き名を流した賢子だが、後冷泉天皇の乳母に抜てきされ、裕福な受領・高階成章の北の方となり・・
作曲 秋山裕和
www.hmix.net/
#光る君へ #日本史 #nhk大河ドラマ
派手好きで社交的な女性ってイメージが強いですね、宣孝に似たのかな。
そのようですね
賢子という名から、頭の良い女性を想像されるが、実際そうだったのでしょうか?私見にすぎないが、母親程漢籍に優れて、男勝りなほどの学問があったようには思えない。賢子レベルの女性なら、宮中では珍しくなかったのではないのか?天皇の乳母だの大弐の三位だのになれたのは、母親の土台と、やはり道長の子供だったからということが影響しているのではないのか?と思ってしまう。
親の七光りがあったんでしょうね!
賢子さんは、学問的な賢さより、恋愛の駆け引きが上手く、親のコネも上手く使って自らの冠位を上げ、天皇の乳母も勤め上げ、受領の妻となって経済的にも豊かになったであろう点から、処世術に長けた、十分頭の切れる女性だったのだろうと思いました。紫式部より和泉式部に近い気がしました。
紫式部が賢子に、そのように生きた方が幸せになれる、と教えたふしがありますよね!
賢子は頭の良い女(お勉強が出来るというより)人付き合いが、上手く、敵を作らない人柄。もちろん恋愛上手、
あと、人物観察にも長けていたんだと思うな~
母親よりも父親似ですね!
賢子が道長の子なら頼旨は腹違いの兄になりますよね。
ドラマでは賢子の幼少期を落井さん、成人してからを吉高さんが演じてくれるなら嬉しい。
昔は近親婚が多かったのであり得るかも、ですね!
紫式部と藤原道長の出会いはいつだったのか?父親が道長なら、ドラマのように二人の出会いは賢子が生まれる以前でなければならない。実際には式部は、年長の道長より少しばかり歳下である。
ドラマではカタコと呼ばれるが、本当はよしこと読むのでは?昔の教科書は女性の名前は音読みだった。あの当時の読み方なら、ふじわらのケンシ?
読み方はいろいろあるようですね
道兼が式部の母ヲアヤメタのは創作でしょうけど😅
どうもそのようですね!
賢子の実の父が誰であるか気になります。
誰なんでしょうかねえ
紫式部の母親を殺したのは道兼って記録はどこにも無いらし、だから大河ドラマの作者の創作
でしょうね!
あれは必要なかった
ここではカタコとしていますが、カタイコとする学者さんもいますね。
いろんな呼び方があるようですね!