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池上線も好きなんだけど、こののんだぐれ、めちゃめちゃ好きで昔よく歌ってました😊
池上線、千登勢橋もすきですがのんだくれがいちばん好きですね~。気持ちが入り込んでしまういい曲です!
僕は鬼無里の道が一番でのんだくれは二番めやね…👍
今でも現役と伺い嬉しく思っています。オーディオマニアなのですが、この頃のレコードはしっかり製作されています。と思っています。目白通りが聞きたいです。
今でも、池上線を唄ってくださるだけで幸せです。
のんだくれあの人を誰も飲んだくれと悪口を並べ毛嫌いするけど浴びる程酒を飲み続けるそれなりの訳を知ってる昔々の話だけど可愛い恋人と暮らしてたその娘が ふらりと消えて永く行方が知れなかった帰った時は 二年前で白いひつぎと冷たい身体あの人はそして飲んだくれてかなしみを今も聞いてる遺書さえもなくて果てた姿 狂った様に泣いてた あの人私にはとても飲んだくれとあの人を悪く言えない昔々の話だけど可愛い恋人と暮らしてたその娘が どこかで死んでバカな奴だと 繰返した失くした愛は 二年前で時の流れに 背中を向けたあの人はそして飲んだくれてかなしみを今も 聞いてる作詞 佐藤順英作曲 西島三重子編曲 馬飼野俊一歌唱 西島三重子
佐藤順英さんは「池上線」の作詞もしていますね。
@@宍戸英俊-p1q 鬼無里の道も同じトリオの作ですよ…一番好きな曲です。👍
思う事があります。
50年 か 涙さえ忘れてしまうよな 50光年の隔たり
半世紀近く、この曲の歌手をさがしていた。名曲。
つらい歌だでも心に刺さる
半世紀も前のこの曲だが未だに輝きを失っていない。その訳はメロディーの秀逸さもさることながら、それ以上にいわゆる「詩」だろう。10世紀前後の西洋では聖書の文言にメロディーを付け、グレゴリオ聖歌として牧師たちが歌いながら信者を啓蒙したのだ。きちんとした「詩」が最初にあり、にそれにぴったりとしたメロディーを当てることで「詩」が「歌詞」に変貌する。歌とはそもそもこうあるべきもので、この曲も歌詞を文字に落とし込めば、飲んだくれるその訳がちゃんと分かるように出来ているのだが、そんなことは昔の曲なら当前だった。それが今はどうだ、歌詞を文字で書いてみても全く意味を持たない、ただメロディーと言うかむしろリズムだけが一人歩きした音楽が氾濫している。そんな音楽が50年後も残るはずがないことは論を待たない。
昭和は良かった。
西島三重子さんのデビュー曲のようですね。
「ようですね。」 正しい日本語を小学生からやり直しですね。不愉快です。
デビュー曲であり、その前の何かのコンクールで西島さんの姉の友達と一緒に優勝した曲らしい…なので、作詞も本人がされたと思ってましたが…🤔
のんだくれになりたい
池上線も好きなんだけど、こののんだぐれ、めちゃめちゃ好きで昔よく歌ってました😊
池上線、千登勢橋もすきですがのんだくれがいちばん好きですね~。気持ちが入り込んでしまういい曲です!
僕は鬼無里の道が一番でのんだくれは二番めやね…👍
今でも現役と伺い嬉しく思っています。オーディオマニアなのですが、この頃のレコードはしっかり製作されています。と思っています。目白通りが聞きたいです。
今でも、池上線を唄ってくださるだけで幸せです。
のんだくれ
あの人を誰も飲んだくれと
悪口を並べ毛嫌いするけど
浴びる程酒を飲み続ける
それなりの訳を知ってる
昔々の話だけど
可愛い恋人と暮らしてた
その娘が ふらりと消えて
永く行方が知れなかった
帰った時は 二年前で
白いひつぎと冷たい身体
あの人はそして飲んだくれて
かなしみを今も聞いてる
遺書さえもなくて果てた姿
狂った様に泣いてた あの人
私にはとても飲んだくれと
あの人を悪く言えない
昔々の話だけど
可愛い恋人と暮らしてた
その娘が どこかで死んで
バカな奴だと 繰返した
失くした愛は 二年前で
時の流れに 背中を向けた
あの人はそして飲んだくれて
かなしみを今も 聞いてる
作詞 佐藤順英
作曲 西島三重子
編曲 馬飼野俊一
歌唱 西島三重子
佐藤順英さんは「池上線」の作詞もしていますね。
@@宍戸英俊-p1q 鬼無里の道も同じトリオの作ですよ…一番好きな曲です。👍
思う事があります。
50年 か 涙さえ忘れてしまうよな 50光年の隔たり
半世紀近く、この曲の歌手をさがしていた。名曲。
つらい歌だ
でも心に刺さる
半世紀も前のこの曲だが未だに輝きを失っていない。その訳はメロディーの秀逸さもさることながら、それ以上にいわゆる「詩」だろう。10世紀前後の西洋では聖書の文言にメロディーを付け、グレゴリオ聖歌として牧師たちが歌いながら信者を啓蒙したのだ。きちんとした「詩」が最初にあり、にそれにぴったりとしたメロディーを当てることで「詩」が「歌詞」に変貌する。歌とはそもそもこうあるべきもので、この曲も歌詞を文字に落とし込めば、飲んだくれるその訳がちゃんと分かるように出来ているのだが、そんなことは昔の曲なら当前だった。それが今はどうだ、歌詞を文字で書いてみても全く意味を持たない、ただメロディーと言うかむしろリズムだけが一人歩きした音楽が氾濫している。そんな音楽が50年後も残るはずがないことは論を待たない。
昭和は良かった。
西島三重子さんのデビュー曲のようですね。
「ようですね。」 正しい日本語を小学生からやり直しですね。不愉快です。
デビュー曲であり、その前の何かのコンクールで西島さんの姉の友達と一緒に優勝した曲らしい…なので、作詞も本人がされたと思ってましたが…🤔
のんだくれになりたい