Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
イラストでひたすらボケかましてきてナレーションがひたすら淡々と真面目に語るから温度差で脳がバグりますよwww
ご視聴ありがとう御座います!狙い通りです!笑ボケはスルーされたらどうしようと思いながらも、ついつい入れてしまうんです。病気ですね笑しかもボケの内容が古い。。。ご笑納ください!今後ともよろしくお願いいたします!!
欠史八代との境目のお話ですかね
今回も勉強になりました✨もっと伸びて欲しいチャンネルです!
ご視聴ありがとう御座います!そのように言って頂けると、とても励みになります!!動画のアップをもっと増やせるように努力していきますので、今後とも応援よろしくお願いいたします!
ややややこうしゅうございましたが、それとなく参考となりました。
ご視聴ありがとう御座います!ややこしかったですか笑まだまだ拙い動画ですので、そこはご容赦を!
崇神天皇の時代の創立されたという気多大社(石川県羽咋市、本殿開門してる)、御祭神、大国主神へ行ってきました。結城屋チャンネルさんのおかげで楽しめました。今後も動画を楽しみにしています。
ご視聴ありがとう御座います!良いですね!僕も行ってみたいです!!結城屋の動画のおかげで楽しめたなんて、最高の誉め言葉です!有難うございます!!能登國一宮ですよね!能登方面も大国主伝承が多い土地ですよね。素戔嗚尊も!こちらこそ、今後ともよろしくお願いいたします!!
倭大国魂神社はなぜ四国阿波の美馬に有って、その近くに天皇と云う地名まで存在してると思われますか?
ご視聴ありがとう御座います!四国という土地の古代史は、改めて掘り下げたいと思っていますので、その動画でお答え出来るように取り組みます。その節は改めてコメントを頂戴できると嬉しいです。よろしくお願いいたします!
返信ありがとうございます阿波は調べれば調べるだけ、不思議すぎて絶対に何か有ると思います。もし考察していただけるなら①諏訪神社・出雲神社・樫原神社・鴨神社・下加茂神社・住吉神社・八幡神社などの 由緒神社の元宮式内社がなぜ阿波にあるのか。②伊邪那岐の式内社神社は数社あるが、早くに亡くなった伊邪那美の式内社神社は、なぜ阿波にしか存在しないのか。③阿波は昔、山側をソラ(空)海側をイズモ(伊豆毛)と呼んでいて、 式内社の阿波宅宮神社には、日本の盆踊りの発祥になったと言われる古い踊りがあり、 その歌詞は「伊豆毛の国の伯母御の宗女、御年十三ならせます、こくちは壱字とおたしなむ」 と、卑弥呼の次に13歳で女王になったトヨの歌がなぜ阿波の海沿いの式内社に存在するのか。④新羅の日本人王(だっかい にしきん)の出生地は、倭国の東北千里の多婆那国と 三国史記に記載有りますが、多婆那国は京丹後から能登半島の日本海側のどこかと 比定されているので、方角距離から倭国は阿波しかあてはまらない。⑤魏志倭人伝の「邪馬台国には(丹)水銀朱が取れる山が有る」と明記されていて、 この時代に日本で(丹)水銀朱が採掘できたのは阿波の若杉山水銀朱採掘跡の一か所だけ。⑥最古の前方後円墳と言われている奈良ホケノ山古墳よりも古い 阿波の萩原2号墓はホケノ山と全く同じ構造なのに阿波に有るというだけで、何故古墳とされないのか。 プロの観点で是非これらの解明もお願いいたします。
@@猿飛サスケ-u8g さまどの項目も1つの深掘動画に出来るほどのディープな内容ですね。僕の四国に関してのアプローチはまだ明確になっていませんが、オオゲツヒメが引っかかっています。それと、伊邪那美に関しても、丹に関しても、ちょっと別の考察があるので、そこにもいずれ触れてゆきます。四国と淡路の関連も気になるところですし、四国→倭か倭→四国なのかも、慎重に考察する必要があると考えています。式内社はあくまでヤマト王権サイドの格付けなので、もっと俯瞰で見てみようかとは思っていますが、おっしゃる内容はとても気になるところですよね!古墳と方形墓の境目も、なかなかの微妙さなので、どのポイントから見てゆくかで輪郭はかなり違って見えてくると思います。これは四国だけでシリーズになっちゃいそうですね!!頑張ります!
邪馬台国阿波説などの動画も、あれやこれや見ていますが、どれもあまり深く考察していないので、結城屋さんの考察力にすごく期待しています、頑張って下さい。
@@猿飛サスケ-u8g さま有難うございます!頑張ります!!
大変だと思いますが動画アップ楽しみにしてます!✨
こちらもご視聴ありがとう御座います!はい!ありがとう御座います!できるだけ多くの動画をあげてゆけるように頑張ります!!
日本史に疎い私には初めての話で、大変おもしろかったです。古代日本史の理解がずいぶん進みました、ありがとうございました。
ご視聴ありがとう御座います!こちらこそ、楽しんで頂けたのでしたら嬉しいです!「崇神の時代」は後編もありますので、ぜひご覧になって下さい。更に続編が、「彦坐王(前編)」「日子坐王(後編)」です!
わかりやすいありがとうございます。
ご視聴ありがとう御座います!分かりやすいといった頂けるのが一番励みになります!次はボケに突っ込んでくださると、一番喜びます笑拙い動画ではございますが、結城屋の動画をどうぞよろしくお願いいたします。
いちばんおもしろい
ご視聴ありがとう御座います!崇神の時代は前後編で力作なので、楽しんで頂けたなら嬉しいです!
【深掘解説】古代豪族chapter-02 を探しましたが、無いようですね?
あります笑
恭順出来なかったタケハニヤスヒコやナガスネヒコには哀愁がある@_@。。。
ご視聴ありがとう御座います!そうなんですよ!共感しちゃうんですよね。滅びの美学というか。敗者の美学というか。そんな人物にスポットを当ててゆければと思っています。まだまだ拙い動画では有りますが、結城屋の動画をどうぞよろしくお願いいたします。
他の一族の神々を自らが崇める → 諡が崇神 というのはしっくりきます。また、他の一族の神を崇めるというのは御霊信仰にも通じますね。
ご視聴ありがとう御座います!ミマキイリビコ崇神天皇が奉斎の禅譲を行っていたというのは、あくまで僕の考察ですが、しっくり来てくださったなら嬉しいです。確かに御霊信仰の原点といえるかもしれないですね。日本は御霊信仰が根付いていて、しばしば国政にまで影響する国ですから、崇神天皇がその基礎を作ったとなると、浪漫を感じますね!
記紀に殆ど記述がない欠史8代から崇神の時代について、よくここまで調べてストーリーをたてられましたね。ストーリーの完成度が高く、とても面白かったですこの時代に関し、私はちょっと違った解釈をしていて、欠史8代は1つの大王家の歴史ではなく、同時期に関西にいた複数の有力豪族の王を神武の子孫として結びつけた創作ではないかと考えています。開化から崇神への疑問も、別の豪族の王だと見れば自然ですまた、アマテラスは女神・女王文化を持った九州出身のニギハヤヒ一族(後の物部氏)の女神で、崇神は別の宗教を持った別の豪族の王だった為に、アマテラスを宮中から追い出したのだろうと考えています崇神はアマテラスを宮中から外に出して伊勢に祀り、式年遷移まで行って厳重に封印していますので、おそらくアマテラスは崇神一族の神ではなく、祟り神です崇神の一族は過去に、ニギハヤヒ一族の神から祟られる様な歴史があったのでしょう。出雲のオオクニヌシも同様の祟り神です崇神の宗教は鏡と前方後円墳で、四道将軍を派遣して全国を教化したために、各地に広まったのだと思いますただ、5世紀に崇神王朝から神功応神の河内王朝に移った為に、前方後円墳で崇神族が行っていた鏡の宗教も、途絶えてしまったのだと思います
こちらもご視聴ありがとう御座います!欠史八代が同時代の別々の王だった説、実は僕も充分にあり得る説だと思っています。むしろその方が辻褄が合う事も多々ありますし、例えば長髄彦は綏靖(何の根拠もない例えです)とか、当てはめていくことも可能だと思っています。結城屋の動画では、記紀に則って順に紐解く方の説に振ってみました。こちらの説にした大きな理由は、やはりハエノキミの存在が大きいですね。神武から開化までの九人の大王を9世代と考えるか否かによって、ヤマトのスタートから崇神までの期間が大幅に変わってきます。そこに磯城県主の各大王によっての立ち位置の違いが、同時代ではしっくりこなかったのです。それでもなお、欠史八代は同時代の豪族説はまだ否定していません。今の豪族シリーズをまとめた後、こっちの説も掘り下げられたらと思います。とても有意義なコメント、嬉しいです!今後ともこうしたコメントをお待ちしておりますので、よろしくお願いいたします!
桃太郎の元になったお話もありましたね~
ご視聴ありがとう御座います!今回の動画に一瞬だけ出てくる「彦五十狭芹彦命」が、桃太郎のモデル説のあるお方ですね!桃太郎は吉備國征伐を鬼退治に見立てたのと、桃でお爺さんお婆さん絶倫伝説が混ざってできた昔話みたいですね!昔話の元ストーリーが古事記から来ているのは沢山有るので、いずれ動画にして紹介します!
大神神社では、今でも“三輪暦”があるそうですよ。この三輪暦を監修していた方が発見した小惑星に[オオミワ]っと命名しました。あと、三嶋暦は、河合家の祖が山城の賀茂家から造暦を習い、事代主命と大山祇命の2柱を勧請して三嶋に移り三嶋神社を作りました。そこには、造暦用の私設天文台があったとか。
ご視聴ありがとう御座います!三輪暦、凄く気になります。古代の天文学にも様々な秘密が隠されているに違いないですよね!僕はまだまだ勉強不足ですが、暦や天文学もいずれ掘り下げてみたいです。今後ともこうした知識を伝授頂けると嬉しいです!引き続き結城屋の動画を、どうぞよろしくお願いいたします!
精華町にこんな悲しいお話があったのですね。武埴安彦は天皇の兄である訳ですから後ろ盾の母方(実家)の力の衰えのせいで征伐されてしまったのですね。古代では山背という地は、悲しいことが多いですね。私の実家なのに・・・
ご視聴ありがとう御座います!武埴安彦は今でも清華町の人々に慕われていると聞いています。それだけ長い間、敗将が慕われているには、何かしらの理由があるに違いありません。それだけ地元に愛され続けるなんて、凄いですよね。僕はそんな武埴安彦が好きです。もしかしたら武埴安彦の子孫がひっそりと血脈を繋いでいて、今もなお続いているのかもしれません。そんなことを創造すると、浪漫が止まりませんね!清華町ご出身とのことでしたが、素敵なところでお生まれになったのですね。
Merci pour votre nouvelle vidéo 👌🏻Ça serait super si il y avait les sous titres en français, je m'intéresse à la culture et a l'histoire du Japon ✨
Merci d'avoir regardé ma vidéo.Je suis content que les français s'intéressent à ma vidéo.Et je suis content que tu aimes le Japon !Sous-titres en français.je vais faire un effort !
@@nihonshi merci pour avoir répondu à mon message 🙂Je m'intéresse à l'archéologie non-officielle, car je pense que l'humanité a un passé commun !
なんかちょいちょい変な音声入るのはボケなんですか?真面目に聞いていたい😢
ご視聴ありがとう御座います!すみません!この動画はちょうど一年くらい前に作った動画なのですが、この時期は「ボケ」に力を入れてまして。。。最近は極力控えめにボケるようにしているので、昔の動画に関してはご笑納くだされば幸いです。
宮崎(日向の国)の一の宮が、出雲神のオオナムチを祀る都農神社であるのはどうしてなのだろうと思っていましたが、ひとつの考え方を知れたように思います。自らの神を祀ることを許すことが、支配を受け入れることになるとは、なんとも独特な価値観ですね。
ご視聴ありがとう御座います!恐らくですが古代の神々はもともと細かい地祖魂がアニミズム的な統合を経て形作られていると思っています。これは日本に限ったことでなく、世界中の神々が多様な側面を持っているのも同じ理由だと思っています。例えばゼウスが雷、天候、牡牛、鷲、金、好色、樫木などシンボルが多いのも、ヨーロッパ各地で色々な伝承があるのも、元々は別々のローカルな神様が、「それはゼウスだ」と統合されていったのではないでしょうか。日本は幸いにも後に入ってくる仏教やキリスト教もアニミズム的に解釈していったので、今日に至っているのだと思います。逆にギリシャ神話や北欧神話は有名ですが、現在宗教や信仰としてはどうなっているのか、日本人としては興味深いですよね。まだまだ拙い動画ではございますが、今後とも結城屋の動画をどうぞよろしくお願いいたします!
丁寧にありがとうございます。アニミズムの視点をいっぺん徹底してみると、これまで文献史料だけでは気づかなかったことが、いろいろ見えてくるのかもしれませんね。ぜひ、思う存分、やってください。また、自らちょっとちがうなということに気づかれた時は、どんどん修正していく仕組みを持つと、気楽にやれるかと思います。楽しみにしております。
@@SKYBLUE35700 有難うございます!励みになります!そうなんですよね。掘り下げてゆく過程で、以前の考えが間違っていたことに気付くことも多々あるのですが、動画にアップしているとどうやって修正するか悩むことがあります。考察の修正の仕組みを作るのは重要ですね!貴重なアドバイス、とても感謝いたします!これからもこうしたアドバイスを頂けると心強いので、引き続きよろしくお願い致します。
徳島県吉野川市川島町には 伊加加志神社 という崇神天応の実母「伊加賀色許売命」を祭る神社が全国で唯一ここだけに存在しています。何故、奈良にではなく阿波に崇神天皇の母を祭る神社があるんでしょうか?
ご視聴ありがとう御座います!四国とヤマト王権の関りは、複雑で謎も多いですね。高天原神話にその謎が隠されていると思っています。伊加賀色許売命を祀る神社が徳島にあってもなんらおかしくは無いですが、阿波だけにある点については考察の余地がありますね。まず、本当に徳島だけにしかないのかの検証が必要だと思います。可能性として、①他所の伊加賀色許売命を祀る神社が廃社になっている。②伊加賀色許売命とは別のお名前で祀られている。③伊加賀色許売命というお名前のかたは複数名居る。上記は充分に考えられる、徳島だけという事象を覆せる内容だと思います。検証していないので今のところ確かなことは申し上げられないですが、伊加賀色許売命は他所でも祀られていたと思っています。ですが、徳島が何かしらの縁の地であるとも思っています。四国はいずれ深掘りしようと思っていますので、改めて検証させてください!
@@nihonshi 伊加加志神社の境内には崇神天皇を祭る神社もありますので、祭神は崇神天皇の母で間違いないと思います。
あと、イカガシと言う名前はどうやら地名が語源のようです。現在の伊加加志神社は元々在った場所から少し南に移転されたものだそうですが、その元々の場所が現在でもイカガシという地名で呼ばれています。
@@nihonshi 崇神天皇の母が徳島にだけしか祭られていない理由として、従来の記紀の解釈が実は根本から間違っていた・・・という考えも付け加えてくれれば幸いです。
乎~!動画有難う御座います。普通の記紀の解釈ですね👍実に解り易い。事代主の皇子が天日方奇日方で奧さんは、日向姫ですね。三輪族の伝承があります。サヌ皇子の義兄ですから、サヌは日向に義兄を迎えに行ったのかも?そして妹と結婚ですから、事代主や五十鈴姫は、三輪に住んでいたのかも?最大の銅鐸が出るのは、滋賀県の野洲。天御影神エリアですね。前置きです。10代様を『崇める』隠語と考えた場合は、『阿賀太郎坊宮』の主の可能性がありますよね?五十鈴、五十鈴依姫、事代主『ごと/510』文字をかえながら、五十系列にしているのかも?瑞祥地名前の漢字の使い方をするなら、ウツシコメ『五津倭米』イツセ『五津瀬』五系列の皇后で刺国若姫『さしくに・五倭国若姫』倭は、倭文神で『シドリ』と音訳指定してますから、『シ』を理解しないと記紀は、解析出来ないのかも?五十が『五十嵐』の『いがらし』の『いが/伊賀』なら天之冬衣神の頃から、北部九州~山形南部~伊賀国まで、統治下にあり、大国主神は石川県生まれ。動画に戻りますが、太郎坊にいた10代様は、安定している、伊賀の敢國神社の主『叔父さんで義父』に四道将軍の主席を任せてるんですが、三輪が攻撃される情報をキャッチして、三輪を救援したのかも?しれませんね。気多大社・氣多大社。〆は、合計の意味ですから、和広がるの意味で気。多は、神八井耳の多氏後、米が広がるの意味で氣。『米』は、音訳の『メ』。『メ・目』ですから、天照大神の紋章(笑)米に〇は、太郎坊の神紋で、車輪紋、見た目は、舵輪に見えますけど。ウツシ米・イカガシ米は、『氣多大社』の天之冬衣神系列の娘?伊勢で11代様が祀るんだから、父や母や爺さん・婆さんが、天照大神の系列なんでしょうかね(笑)古代史は、書いてる事の『審議』が大切ですね。
いつもご視聴ありがとう御座います!言語学的なアプローチはすごく参考になります。上代語をもっと勉強したいです!コメはコとメで分けて考えていましたが、米というのは目から鱗です。ということは一概に女性とは限らないわけですね。オオビコノミコトは、きっとお名前が別にあると前から考えていました。だってあまりにもニックネームっぽいので。でも手を付けるとまた深い沼にハマりそうで笑色々と貴重なお話し、有難うございました!今後ともよろしくお願いいたします!!
@@nihonshi 様中国の歴史書には、【奴】彼の意味。だから?日本の歴史書は、【私】の意味を使ったのかも?【米】は、my【私】ですかね(笑)息長氏のホンタワケは、【応】を使いますが、心があるけど、【自】は何処に。【鼻】の原字は、【自】それは、【私】を指すときに、指で鼻を指したから、【わたし】だそうです。【和多氏】かな?(笑)髪の毛→若ミケヌ【神家】鼻→ホンタワケ耳→多氏頬→火火出見目→米口→3つでホンタワケ眉毛?だれ?そして、波の下、【垂】は、【下】の意味。なぎさ、のフキアエズ帝やサヌの波のから11代様で、波下【ハゲ】徳を使うのも、【トク/禿】?だから?波下は、海なので、海から生まれた、ホンタワケ(笑)波下の大王家!サヌの母は、竜宮城の乙姫だったような(笑)記紀の参加者の親父ギャグ好きですよ。妄想ですけど(笑)諏訪大社の話で、体の部分は、関係ねーと言ってお仕置きされてましたね?関係あるのかな?(笑)
ボケを詰め込みすぎやろw
ご視聴ありがとう御座います!この動画の1本前の動画が、ボケ無し回だったんですよ。なので反動で詰め込みました笑今後もどんどんボケを詰め込んでゆきますので、ツッコミお願いいたします!
こんにちは☀️内容が濃くて数回視聴しましたよ😂崇神天皇は考古学では実在した根拠になる資料が発見されてないですが、神話上キーパーソンですね。(箸墓古墳は崇神天皇陵説有り)八百万神を奉る神道の基礎を造ったのが崇神天皇でしょうか?私は八岐大蛇さんの邪馬台国=越前説を支持してますが、そちらの説と合わせて見てもこの時代の天皇の行動に違和感がないと思いました。この時代、まだ奈良湖はありましたね。八岐大蛇さん説ではマキ向(漢字変換できない😭)は開拓の拠点だったそうですが、当時の奈良南部が未開拓だった事を考慮すれば、妃の系統が代わったり、開化天皇の宮が奈良北部だったり、崇神天皇がまた戻って来た事にも説明が付くと思います。おそらく開拓は容易に進まなかったのではないでしょうか?開拓を容易にするため鉄製?の工具·治水技術を持っていた豪族·ニギハヤヒ一族と婚姻を結ぶ為、いったん開化天皇は宮を北部に置いて、そして崇神天皇でまた開拓を再開する為に戻って来たのではないかと考えました。他にも色々な感想があるのですが、(内容濃い~)くどい長文になりそうなので、このくらいで止めます。(ネタに突っ込む暇がなかった…2F可愛いゾ😶)
ご視聴ありがとう御座います。さすが、造詣が深いですね!奈良湖(と仮に呼びます)は奈良盆地全体が縄文時代末期頃まで海水が侵入していたと考えられています。ちょうど海面が現代よりも上昇していた時期ですし、多くの縄文遺跡もその外枠に沿って見つかっています。縄文末期から弥生時代にかけて徐々に水が引いてゆき、2世紀頃には池が点在しているような状態だったのではないかと推測されます。2世紀頃の遺跡や遺物は奈良盆地全域から出土していますので。しかしながらどうやら奈良盆地は穀倉地帯としてはあまり良好な土地では無かったようで、それも元入海だったことが原因なのかもしれませんね。そのせいで、倭王権は外征に踏み切ったのだと思います。崇神天皇は後に農業用池の造成を行うなどの治水工事を行っていますが、欽明天皇の歌に「キラキラした水面」が表現されるなど、上古の奈良盆地は水が不足していたのか、豊富だったのか、謎ですね笑崇神天皇の頃は、農業用水は不足していたのでしょう。いろいろと分からないことを想像のパーツで埋めてゆくのは、愉快ですね!引き続き、応援よろしくお願いします!
@@nihonshi さん奈良盆地の詳しい解説ありがとうございます✨あるRUclipsrさんの藤原京跡地を散策している動画を見ると、現代のインフラ技術でも、水捌けが悪いとの事でした。そりゃあ疫病も流行るでしょう。湿気が多くて…結城屋さんの今回の動画を見て、邪馬台国=畿内説も案外棄てたものでもない気がしてきました。そんなに大変な努力をして奈良を開拓したのには何か理由があったはず!大陸から侵入され難く、尚且つ日本海側との交通の便が良い所に都を置きたかったのではないか?と思いました。(九州北部→丹後半島から大陸の交易品、越前から琵琶湖を通って米)後編楽しみにしております!🤗
こう考えるとどうですか?①邪馬台国は国名ではなく地域。日本列島全体的に邪馬台国で、邪馬台国の中の筑紫や倭や越前なのでは?中華から見た印象なので、こうしたザックリ感は案外あるのかも。②邪馬台国は移動していた。大王がころころ移動しているように、邪馬台国も時により移動しているのかも。遷都みたいな。それか、邪馬台国が王都的な意味合いだとか。③邪馬台国が沢山あった。邪馬台=山門とも言われているので、山裾にある國は概ね邪馬台国って認識の可能性。僕的には邪馬台国は中華から見た日本列島の朧げな記録なので、邪馬台国がどこだかを規定するのは無理があると思っています。ジパングの方がしっくりきます笑どこまでが倭だったのかも、現代の日本人のイメージとは異なっていますし、そもそも現代と国境線も全然違いますからね。もっとグローバルに倭国を考えると、案外邪馬台国は日本列島内ではないかも。この時代のヤマト王権のお話も、まだ一地方の小競り合いですし、小競り合いの勝者が朝廷として君臨したに過ぎないわけで、ミステリーでは有りますがファンタジーでは無いのです。僕は邪馬台国はファンタジーだと思っています。あくまで僕個人の意見です笑「なので邪馬台国はどこだ!?」的な深掘りは恐らくしないと思います。そんな結城屋の動画ですが、今後ともご贔屓にお願いします!!
@@nihonshi さんあちこちにヤマトの地名があるなら、地域ではなく、民族の名称ではないでしょうか?🤔日ユ同祖論の久保有政さんの説では、ヤマトはヘブル語で『ヤーの民』の意味の“ヤーマトゥ”の日本語発音だそうな。天皇や大和民族が古代ユダヤ人の子孫かどうかはさておき、ヤハウェ信仰が日本にも伝わって来ていた可能性もあるかと。縄文時代の土偶も、素材やデザインが多少違っていても同じコンセプトと思われる像が、驚くほど広範囲で世界中から出土してますし、逆輸入もあったと思います。そう考えるとヤマトは血統による民族というより、信仰による民族?一神教を多神教にしたのが崇神天皇でしょうか?神道の変化に伴って、ヤマトの音に漢字で意味付けしていったなら、邪馬台、倭、山門、最終的に大和、の変化も納得出来る気がします。
なんか現代日本人の感覚では腑に落ちない感じがしますね。なんか感覚が西洋思考が元になっている様に感じます。現在のような多神になるのにこの時代、他の神を排除しようするような思考があったのか凄く疑問に感じます。そのような感じで時代が流れて果たして今のような多神の感覚が育つでしょうか。現代でも山の神、海の神、また火の神や水の神など八百万の神にどうのように変遷していくのかイメージできません。
ご視聴ありがとう御座います。仰る通り、西洋の宗教変遷は「神を統一」してゆくイメージです。ギリシア神話や北欧神話など、地域密着型の神話レベルのお話は日本と同様に八百万感が有りますが、やはり他の宗教の神は「邪神」扱いされることが多々あります。日本の場合、古くは素戔嗚の時代から磐余彦の宗教革命に至るまで、「神の統一」ではなく「神を従えてゆく」という手法を取っています。だから神は排除されることなく、数を減らさず、神々の性質は本来の祀られていた姿に回帰するんですよね。本来の祀られていた姿というのが、例えばその地域では「治水」が重要であったならば、そこの和魂は水を湛えた神のお姿で、荒魂は洪水などの姿をしていることでしょう。古代日本の「神」の感覚は、現代人のイメージする神様よりずっとパーソナルです。どちらかといえば「ご先祖様」に近い感覚です。ご先祖様ですから、一族しか面倒を見て下さらないのが普通なのです。それが縄文後期から弥生初期あたりに少しずつコミュニティが大きくなってくるにつれて、ご先祖様の担当範囲が大きくなります。やがて国ひとつ担当されるようなご先祖のリーダーが誕生するわけで、そのご先祖の大御所がその地域で崇めている「水」だとか「山」だとか「太陽」などと融合して、神様になるんです。正確に言うと、神様ではなく御霊なんですけどね。こうして国レベルの神様が現れ始め、ご先祖由来の神様だから親兄弟もいらっしゃって、どんどん神様が増えてゆくんです。そして国と国が争うとき、平和的解決のために「信仰の禅譲」を始めたのが、日向族だったのだと思っています。「信仰の禅譲」というのはつまり、敗戦国側が自分たちを守っている御霊を差し出すというか、御霊に戦勝国側も担当させるというか、戦勝国側の御霊がより神に近いと認めるというか、とにかくそんな感じだったと思います。ですので「信仰の禅譲」で軍門に下れば、滅ぼされずに配下に組み込まれたのだと思います。そうすることによって敗戦国側の御霊は少しづつ権力を失います。しかし信仰自体が消滅したわけでは無いので、やがて本来の「水の精霊」に近い姿で人々に信仰され続けたのでしょう。ですから日本は八百万の神々がいらっしゃるんです。アニミズムの動画もアップしていますので、よかったらそちらもご覧になってみてください。今後ともどうぞよろしくお願いいたします!
イラストでひたすらボケかましてきてナレーションがひたすら淡々と真面目に語るから温度差で脳がバグりますよwww
ご視聴ありがとう御座います!
狙い通りです!笑
ボケはスルーされたらどうしようと思いながらも、ついつい入れてしまうんです。
病気ですね笑
しかもボケの内容が古い。。。
ご笑納ください!
今後ともよろしくお願いいたします!!
欠史八代との境目のお話ですかね
今回も勉強になりました✨
もっと伸びて欲しいチャンネルです!
ご視聴ありがとう御座います!
そのように言って頂けると、とても励みになります!!
動画のアップをもっと増やせるように努力していきますので、今後とも応援よろしくお願いいたします!
ややややこうしゅうございましたが、それとなく参考となりました。
ご視聴ありがとう御座います!
ややこしかったですか笑
まだまだ拙い動画ですので、そこはご容赦を!
崇神天皇の時代の創立されたという気多大社(石川県羽咋市、本殿開門してる)、御祭神、大国主神へ行ってきました。結城屋チャンネルさんのおかげで楽しめました。今後も動画を楽しみにしています。
ご視聴ありがとう御座います!
良いですね!僕も行ってみたいです!!
結城屋の動画のおかげで楽しめたなんて、最高の誉め言葉です!
有難うございます!!
能登國一宮ですよね!
能登方面も大国主伝承が多い土地ですよね。
素戔嗚尊も!
こちらこそ、今後ともよろしくお願いいたします!!
倭大国魂神社はなぜ四国阿波の美馬に有って、その近くに天皇と云う地名まで存在してると思われますか?
ご視聴ありがとう御座います!
四国という土地の古代史は、改めて掘り下げたいと思っていますので、その動画でお答え出来るように取り組みます。
その節は改めてコメントを頂戴できると嬉しいです。
よろしくお願いいたします!
返信ありがとうございます
阿波は調べれば調べるだけ、不思議すぎて絶対に何か有ると思います。
もし考察していただけるなら
①諏訪神社・出雲神社・樫原神社・鴨神社・下加茂神社・住吉神社・八幡神社などの
由緒神社の元宮式内社がなぜ阿波にあるのか。
②伊邪那岐の式内社神社は数社あるが、早くに亡くなった伊邪那美の式内社神社は、なぜ阿波にしか存在しないのか。
③阿波は昔、山側をソラ(空)海側をイズモ(伊豆毛)と呼んでいて、
式内社の阿波宅宮神社には、日本の盆踊りの発祥になったと言われる古い踊りがあり、
その歌詞は「伊豆毛の国の伯母御の宗女、御年十三ならせます、こくちは壱字とおたしなむ」
と、卑弥呼の次に13歳で女王になったトヨの歌がなぜ阿波の海沿いの式内社に存在するのか。
④新羅の日本人王(だっかい にしきん)の出生地は、倭国の東北千里の多婆那国と
三国史記に記載有りますが、多婆那国は京丹後から能登半島の日本海側のどこかと
比定されているので、方角距離から倭国は阿波しかあてはまらない。
⑤魏志倭人伝の「邪馬台国には(丹)水銀朱が取れる山が有る」と明記されていて、
この時代に日本で(丹)水銀朱が採掘できたのは阿波の若杉山水銀朱採掘跡の一か所だけ。
⑥最古の前方後円墳と言われている奈良ホケノ山古墳よりも古い
阿波の萩原2号墓はホケノ山と全く同じ構造なのに阿波に有るというだけで、何故古墳とされないのか。
プロの観点で是非これらの解明もお願いいたします。
@@猿飛サスケ-u8g さま
どの項目も1つの深掘動画に出来るほどのディープな内容ですね。
僕の四国に関してのアプローチはまだ明確になっていませんが、オオゲツヒメが引っかかっています。
それと、伊邪那美に関しても、丹に関しても、ちょっと別の考察があるので、そこにもいずれ触れてゆきます。
四国と淡路の関連も気になるところですし、四国→倭か倭→四国なのかも、慎重に考察する必要があると考えています。
式内社はあくまでヤマト王権サイドの格付けなので、もっと俯瞰で見てみようかとは思っていますが、おっしゃる内容はとても気になるところですよね!
古墳と方形墓の境目も、なかなかの微妙さなので、どのポイントから見てゆくかで輪郭はかなり違って見えてくると思います。
これは四国だけでシリーズになっちゃいそうですね!!
頑張ります!
邪馬台国阿波説などの動画も、あれやこれや見ていますが、どれもあまり深く考察していないので、結城屋さんの考察力にすごく期待しています、頑張って下さい。
@@猿飛サスケ-u8g さま
有難うございます!
頑張ります!!
大変だと思いますが動画アップ楽しみにしてます!✨
こちらもご視聴ありがとう御座います!
はい!ありがとう御座います!
できるだけ多くの動画をあげてゆけるように頑張ります!!
日本史に疎い私には初めての話で、大変おもしろかったです。古代日本史の理解がずいぶん進みました、ありがとうございました。
ご視聴ありがとう御座います!
こちらこそ、楽しんで頂けたのでしたら嬉しいです!
「崇神の時代」は後編もありますので、ぜひご覧になって下さい。
更に続編が、「彦坐王(前編)」「日子坐王(後編)」です!
わかりやすい
ありがとうございます。
ご視聴ありがとう御座います!
分かりやすいといった頂けるのが一番励みになります!
次はボケに突っ込んでくださると、一番喜びます笑
拙い動画ではございますが、結城屋の動画をどうぞよろしくお願いいたします。
いちばんおもしろい
ご視聴ありがとう御座います!
崇神の時代は前後編で力作なので、楽しんで頂けたなら嬉しいです!
【深掘解説】古代豪族chapter-02 を探しましたが、無いようですね?
あります笑
恭順出来なかったタケハニヤスヒコやナガスネヒコには哀愁がある@_@。。。
ご視聴ありがとう御座います!
そうなんですよ!
共感しちゃうんですよね。
滅びの美学というか。
敗者の美学というか。
そんな人物にスポットを当ててゆければと思っています。
まだまだ拙い動画では有りますが、結城屋の動画をどうぞよろしくお願いいたします。
他の一族の神々を自らが崇める → 諡が崇神 というのはしっくりきます。
また、他の一族の神を崇めるというのは御霊信仰にも通じますね。
ご視聴ありがとう御座います!
ミマキイリビコ崇神天皇が奉斎の禅譲を行っていたというのは、あくまで僕の考察ですが、しっくり来てくださったなら嬉しいです。
確かに御霊信仰の原点といえるかもしれないですね。
日本は御霊信仰が根付いていて、しばしば国政にまで影響する国ですから、崇神天皇がその基礎を作ったとなると、浪漫を感じますね!
記紀に殆ど記述がない欠史8代から崇神の時代について、よくここまで調べてストーリーをたてられましたね。ストーリーの完成度が高く、とても面白かったです
この時代に関し、私はちょっと違った解釈をしていて、欠史8代は1つの大王家の歴史ではなく、同時期に関西にいた複数の有力豪族の王を神武の子孫として結びつけた創作ではないかと考えています。開化から崇神への疑問も、別の豪族の王だと見れば自然です
また、アマテラスは女神・女王文化を持った九州出身のニギハヤヒ一族(後の物部氏)の女神で、崇神は別の宗教を持った別の豪族の王だった為に、アマテラスを宮中から追い出したのだろうと考えています
崇神はアマテラスを宮中から外に出して伊勢に祀り、式年遷移まで行って厳重に封印していますので、おそらくアマテラスは崇神一族の神ではなく、祟り神です
崇神の一族は過去に、ニギハヤヒ一族の神から祟られる様な歴史があったのでしょう。出雲のオオクニヌシも同様の祟り神です
崇神の宗教は鏡と前方後円墳で、四道将軍を派遣して全国を教化したために、各地に広まったのだと思います
ただ、5世紀に崇神王朝から神功応神の河内王朝に移った為に、前方後円墳で崇神族が行っていた鏡の宗教も、途絶えてしまったのだと思います
こちらもご視聴ありがとう御座います!
欠史八代が同時代の別々の王だった説、実は僕も充分にあり得る説だと思っています。
むしろその方が辻褄が合う事も多々ありますし、例えば長髄彦は綏靖(何の根拠もない例えです)とか、当てはめていくことも可能だと思っています。
結城屋の動画では、記紀に則って順に紐解く方の説に振ってみました。
こちらの説にした大きな理由は、やはりハエノキミの存在が大きいですね。
神武から開化までの九人の大王を9世代と考えるか否かによって、ヤマトのスタートから崇神までの期間が大幅に変わってきます。
そこに磯城県主の各大王によっての立ち位置の違いが、同時代ではしっくりこなかったのです。
それでもなお、欠史八代は同時代の豪族説はまだ否定していません。
今の豪族シリーズをまとめた後、こっちの説も掘り下げられたらと思います。
とても有意義なコメント、嬉しいです!
今後ともこうしたコメントをお待ちしておりますので、よろしくお願いいたします!
桃太郎の元になったお話もありましたね~
ご視聴ありがとう御座います!
今回の動画に一瞬だけ出てくる「彦五十狭芹彦命」が、桃太郎のモデル説のあるお方ですね!
桃太郎は吉備國征伐を鬼退治に見立てたのと、桃でお爺さんお婆さん絶倫伝説が混ざってできた昔話みたいですね!
昔話の元ストーリーが古事記から来ているのは沢山有るので、いずれ動画にして紹介します!
大神神社では、今でも“三輪暦”があるそうですよ。この三輪暦を監修していた方が発見した小惑星に[オオミワ]っと命名しました。あと、三嶋暦は、河合家の祖が山城の賀茂家から造暦を習い、事代主命と大山祇命の2柱を勧請して三嶋に移り三嶋神社を作りました。そこには、造暦用の私設天文台があったとか。
ご視聴ありがとう御座います!
三輪暦、凄く気になります。
古代の天文学にも様々な秘密が隠されているに違いないですよね!
僕はまだまだ勉強不足ですが、暦や天文学もいずれ掘り下げてみたいです。
今後ともこうした知識を伝授頂けると嬉しいです!
引き続き結城屋の動画を、どうぞよろしくお願いいたします!
精華町にこんな悲しいお話があったのですね。武埴安彦は天皇の兄である訳ですから後ろ盾の母方(実家)の力の衰えのせいで征伐されてしまったのですね。古代では山背という地は、悲しいことが多いですね。私の実家なのに・・・
ご視聴ありがとう御座います!
武埴安彦は今でも清華町の人々に慕われていると聞いています。
それだけ長い間、敗将が慕われているには、何かしらの理由があるに違いありません。
それだけ地元に愛され続けるなんて、凄いですよね。
僕はそんな武埴安彦が好きです。
もしかしたら武埴安彦の子孫がひっそりと血脈を繋いでいて、今もなお続いているのかもしれません。
そんなことを創造すると、浪漫が止まりませんね!
清華町ご出身とのことでしたが、素敵なところでお生まれになったのですね。
Merci pour votre nouvelle vidéo 👌🏻
Ça serait super si il y avait les sous titres en français, je m'intéresse à la culture et a l'histoire du Japon ✨
Merci d'avoir regardé ma vidéo.
Je suis content que les français s'intéressent à ma vidéo.
Et je suis content que tu aimes le Japon !
Sous-titres en français.
je vais faire un effort !
@@nihonshi merci pour avoir répondu à mon message 🙂
Je m'intéresse à l'archéologie non-officielle, car je pense que l'humanité a un passé commun !
なんかちょいちょい変な音声入るのはボケなんですか?
真面目に聞いていたい😢
ご視聴ありがとう御座います!
すみません!
この動画はちょうど一年くらい前に作った動画なのですが、この時期は「ボケ」に力を入れてまして。。。
最近は極力控えめにボケるようにしているので、昔の動画に関してはご笑納くだされば幸いです。
宮崎(日向の国)の一の宮が、出雲神のオオナムチを祀る都農神社であるのはどうしてなのだろうと思っていましたが、ひとつの考え方を知れたように思います。自らの神を祀ることを許すことが、支配を受け入れることになるとは、なんとも独特な価値観ですね。
ご視聴ありがとう御座います!
恐らくですが古代の神々はもともと細かい地祖魂がアニミズム的な統合を経て形作られていると思っています。
これは日本に限ったことでなく、世界中の神々が多様な側面を持っているのも同じ理由だと思っています。
例えばゼウスが雷、天候、牡牛、鷲、金、好色、樫木などシンボルが多いのも、ヨーロッパ各地で色々な伝承があるのも、元々は別々のローカルな神様が、「それはゼウスだ」と統合されていったのではないでしょうか。
日本は幸いにも後に入ってくる仏教やキリスト教もアニミズム的に解釈していったので、今日に至っているのだと思います。
逆にギリシャ神話や北欧神話は有名ですが、現在宗教や信仰としてはどうなっているのか、日本人としては興味深いですよね。
まだまだ拙い動画ではございますが、今後とも結城屋の動画をどうぞよろしくお願いいたします!
丁寧にありがとうございます。アニミズムの視点をいっぺん徹底してみると、これまで文献史料だけでは気づかなかったことが、いろいろ見えてくるのかもしれませんね。ぜひ、思う存分、やってください。また、自らちょっとちがうなということに気づかれた時は、どんどん修正していく仕組みを持つと、気楽にやれるかと思います。楽しみにしております。
@@SKYBLUE35700 有難うございます!
励みになります!
そうなんですよね。
掘り下げてゆく過程で、以前の考えが間違っていたことに気付くことも多々あるのですが、動画にアップしているとどうやって修正するか悩むことがあります。
考察の修正の仕組みを作るのは重要ですね!
貴重なアドバイス、とても感謝いたします!
これからもこうしたアドバイスを頂けると心強いので、引き続きよろしくお願い致します。
徳島県吉野川市川島町には 伊加加志神社 という崇神天応の実母「伊加賀色許売命」を祭る神社が全国で唯一ここだけに存在しています。
何故、奈良にではなく阿波に崇神天皇の母を祭る神社があるんでしょうか?
ご視聴ありがとう御座います!
四国とヤマト王権の関りは、複雑で謎も多いですね。
高天原神話にその謎が隠されていると思っています。
伊加賀色許売命を祀る神社が徳島にあってもなんらおかしくは無いですが、阿波だけにある点については考察の余地がありますね。
まず、本当に徳島だけにしかないのかの検証が必要だと思います。
可能性として、
①他所の伊加賀色許売命を祀る神社が廃社になっている。
②伊加賀色許売命とは別のお名前で祀られている。
③伊加賀色許売命というお名前のかたは複数名居る。
上記は充分に考えられる、徳島だけという事象を覆せる内容だと思います。
検証していないので今のところ確かなことは申し上げられないですが、伊加賀色許売命は他所でも祀られていたと思っています。
ですが、徳島が何かしらの縁の地であるとも思っています。
四国はいずれ深掘りしようと思っていますので、改めて検証させてください!
@@nihonshi
伊加加志神社の境内には崇神天皇を祭る神社もありますので、祭神は崇神天皇の母で間違いないと思います。
あと、イカガシと言う名前はどうやら地名が語源のようです。現在の伊加加志神社は元々在った場所から少し南に移転されたものだそうですが、
その元々の場所が現在でもイカガシという地名で呼ばれています。
@@nihonshi
崇神天皇の母が徳島にだけしか祭られていない理由として、従来の記紀の解釈が実は根本から間違っていた・・・という考えも
付け加えてくれれば幸いです。
乎~!動画有難う御座います。普通の記紀の解釈ですね👍実に解り易い。
事代主の皇子が天日方奇日方で奧さんは、日向姫ですね。三輪族の伝承があります。
サヌ皇子の義兄ですから、サヌは日向に義兄を迎えに行ったのかも?そして妹と結婚ですから、事代主や五十鈴姫は、三輪に住んでいたのかも?
最大の銅鐸が出るのは、滋賀県の野洲。天御影神エリアですね。
前置きです。
10代様を『崇める』隠語と考えた場合は、『阿賀太郎坊宮』の主の可能性がありますよね?
五十鈴、五十鈴依姫、事代主『ごと/510』文字をかえながら、五十系列にしているのかも?
瑞祥地名前の漢字の使い方をするなら、
ウツシコメ『五津倭米』
イツセ『五津瀬』
五系列の皇后で
刺国若姫『さしくに・五倭国若姫』
倭は、倭文神で『シドリ』と音訳指定してますから、『シ』を理解しないと記紀は、解析出来ないのかも?
五十が『五十嵐』の『いがらし』の『いが/伊賀』なら天之冬衣神の頃から、北部九州~山形南部~伊賀国まで、統治下にあり、大国主神は石川県生まれ。
動画に戻りますが、太郎坊にいた10代様は、安定している、伊賀の敢國神社の主『叔父さんで義父』に四道将軍の主席を任せてるんですが、三輪が攻撃される情報をキャッチして、三輪を救援したのかも?しれませんね。
気多大社・氣多大社。
〆は、合計の意味ですから、和広がるの意味で気。多は、神八井耳の多氏
後、米が広がるの意味で氣。『米』は、音訳の『メ』。『メ・目』ですから、天照大神の紋章(笑)
米に〇は、太郎坊の神紋で、車輪紋、見た目は、舵輪に見えますけど。
ウツシ米・イカガシ米は、『氣多大社』の天之冬衣神系列の娘?
伊勢で11代様が祀るんだから、父や母や爺さん・婆さんが、天照大神の系列なんでしょうかね(笑)
古代史は、書いてる事の『審議』が大切ですね。
いつもご視聴ありがとう御座います!
言語学的なアプローチはすごく参考になります。
上代語をもっと勉強したいです!
コメはコとメで分けて考えていましたが、米というのは目から鱗です。
ということは一概に女性とは限らないわけですね。
オオビコノミコトは、きっとお名前が別にあると前から考えていました。
だってあまりにもニックネームっぽいので。
でも手を付けるとまた深い沼にハマりそうで笑
色々と貴重なお話し、有難うございました!
今後ともよろしくお願いいたします!!
@@nihonshi 様
中国の歴史書には、【奴】彼の意味。
だから?日本の歴史書は、【私】の意味を使ったのかも?
【米】は、my【私】ですかね(笑)
息長氏のホンタワケは、【応】を使いますが、
心があるけど、【自】は何処に。【鼻】の原字は、【自】それは、【私】を指すときに、指で鼻を指したから、【わたし】だそうです。【和多氏】かな?(笑)
髪の毛→若ミケヌ【神家
】
鼻→ホンタワケ
耳→多氏
頬→火火出見
目→米
口→3つでホンタワケ
眉毛?だれ?
そして、
波の下、【垂】は、【下】の意味。
なぎさ、のフキアエズ帝やサヌの波のから11代様で、波下【ハゲ】徳を使うのも、【トク/禿】?だから?波下は、海なので、海から生まれた、ホンタワケ(笑)
波下の大王家!
サヌの母は、竜宮城の乙姫だったような(笑)
記紀の参加者の親父ギャグ好きですよ。
妄想ですけど(笑)
諏訪大社の話で、
体の部分は、関係ねーと言ってお仕置きされてましたね?関係あるのかな?(笑)
ボケを詰め込みすぎやろw
ご視聴ありがとう御座います!
この動画の1本前の動画が、ボケ無し回だったんですよ。
なので反動で詰め込みました笑
今後もどんどんボケを詰め込んでゆきますので、ツッコミお願いいたします!
こんにちは☀️
内容が濃くて数回視聴しましたよ😂
崇神天皇は考古学では実在した根拠になる資料が発見されてないですが、神話上キーパーソンですね。(箸墓古墳は崇神天皇陵説有り)
八百万神を奉る神道の基礎を造ったのが崇神天皇でしょうか?
私は八岐大蛇さんの邪馬台国=越前説を支持してますが、そちらの説と合わせて見てもこの時代の天皇の行動に違和感がないと思いました。
この時代、まだ奈良湖はありましたね。八岐大蛇さん説ではマキ向(漢字変換できない😭)は開拓の拠点だったそうですが、当時の奈良南部が未開拓だった事を考慮すれば、妃の系統が代わったり、開化天皇の宮が奈良北部だったり、崇神天皇がまた戻って来た事にも説明が付くと思います。
おそらく開拓は容易に進まなかったのではないでしょうか?開拓を容易にするため鉄製?の工具·治水技術を持っていた豪族·ニギハヤヒ一族と婚姻を結ぶ為、いったん開化天皇は宮を北部に置いて、そして崇神天皇でまた開拓を再開する為に戻って来たのではないかと考えました。
他にも色々な感想があるのですが、(内容濃い~)くどい長文になりそうなので、このくらいで止めます。(ネタに突っ込む暇がなかった…2F可愛いゾ😶)
ご視聴ありがとう御座います。
さすが、造詣が深いですね!
奈良湖(と仮に呼びます)は奈良盆地全体が縄文時代末期頃まで海水が侵入していたと考えられています。
ちょうど海面が現代よりも上昇していた時期ですし、多くの縄文遺跡もその外枠に沿って見つかっています。
縄文末期から弥生時代にかけて徐々に水が引いてゆき、2世紀頃には池が点在しているような状態だったのではないかと推測されます。
2世紀頃の遺跡や遺物は奈良盆地全域から出土していますので。
しかしながらどうやら奈良盆地は穀倉地帯としてはあまり良好な土地では無かったようで、それも元入海だったことが原因なのかもしれませんね。
そのせいで、倭王権は外征に踏み切ったのだと思います。
崇神天皇は後に農業用池の造成を行うなどの治水工事を行っていますが、欽明天皇の歌に「キラキラした水面」が表現されるなど、上古の奈良盆地は水が不足していたのか、豊富だったのか、謎ですね笑
崇神天皇の頃は、農業用水は不足していたのでしょう。
いろいろと分からないことを想像のパーツで埋めてゆくのは、愉快ですね!
引き続き、応援よろしくお願いします!
@@nihonshi さん
奈良盆地の詳しい解説ありがとうございます✨
あるRUclipsrさんの藤原京跡地を散策している動画を見ると、現代のインフラ技術でも、水捌けが悪いとの事でした。そりゃあ疫病も流行るでしょう。湿気が多くて…
結城屋さんの今回の動画を見て、邪馬台国=畿内説も案外棄てたものでもない気がしてきました。
そんなに大変な努力をして奈良を開拓したのには何か理由があったはず!
大陸から侵入され難く、尚且つ日本海側との交通の便が良い所に都を置きたかったのではないか?と思いました。(九州北部→丹後半島から大陸の交易品、越前から琵琶湖を通って米)
後編楽しみにしております!🤗
こう考えるとどうですか?
①邪馬台国は国名ではなく地域。日本列島全体的に邪馬台国で、邪馬台国の中の筑紫や倭や越前なのでは?
中華から見た印象なので、こうしたザックリ感は案外あるのかも。
②邪馬台国は移動していた。大王がころころ移動しているように、邪馬台国も時により移動しているのかも。遷都みたいな。それか、邪馬台国が王都的な意味合いだとか。
③邪馬台国が沢山あった。邪馬台=山門とも言われているので、山裾にある國は概ね邪馬台国って認識の可能性。
僕的には邪馬台国は中華から見た日本列島の朧げな記録なので、邪馬台国がどこだかを規定するのは無理があると思っています。
ジパングの方がしっくりきます笑
どこまでが倭だったのかも、現代の日本人のイメージとは異なっていますし、そもそも現代と国境線も全然違いますからね。
もっとグローバルに倭国を考えると、案外邪馬台国は日本列島内ではないかも。
この時代のヤマト王権のお話も、まだ一地方の小競り合いですし、小競り合いの勝者が朝廷として君臨したに過ぎないわけで、ミステリーでは有りますがファンタジーでは無いのです。
僕は邪馬台国はファンタジーだと思っています。
あくまで僕個人の意見です笑
「なので邪馬台国はどこだ!?」的な深掘りは恐らくしないと思います。
そんな結城屋の動画ですが、今後ともご贔屓にお願いします!!
@@nihonshi さん
あちこちにヤマトの地名があるなら、地域ではなく、民族の名称ではないでしょうか?🤔
日ユ同祖論の久保有政さんの説では、ヤマトはヘブル語で『ヤーの民』の意味の“ヤーマトゥ”の日本語発音だそうな。天皇や大和民族が古代ユダヤ人の子孫かどうかはさておき、ヤハウェ信仰が日本にも伝わって来ていた可能性もあるかと。
縄文時代の土偶も、素材やデザインが多少違っていても同じコンセプトと思われる像が、驚くほど広範囲で世界中から出土してますし、逆輸入もあったと思います。
そう考えるとヤマトは血統による民族というより、信仰による民族?一神教を多神教にしたのが崇神天皇でしょうか?神道の変化に伴って、ヤマトの音に漢字で意味付けしていったなら、邪馬台、倭、山門、最終的に大和、の変化も納得出来る気がします。
なんか現代日本人の感覚では腑に落ちない感じがしますね。なんか感覚が西洋思考が元になっている様に感じます。現在のような多神になるのにこの時代、他の神を排除しようするような思考があったのか凄く疑問に感じます。そのような感じで時代が流れて果たして今のような多神の感覚が育つでしょうか。現代でも山の神、海の神、また火の神や水の神など八百万の神にどうのように変遷していくのかイメージできません。
ご視聴ありがとう御座います。
仰る通り、西洋の宗教変遷は「神を統一」してゆくイメージです。
ギリシア神話や北欧神話など、地域密着型の神話レベルのお話は日本と同様に八百万感が有りますが、やはり他の宗教の神は「邪神」扱いされることが多々あります。
日本の場合、古くは素戔嗚の時代から磐余彦の宗教革命に至るまで、「神の統一」ではなく「神を従えてゆく」という手法を取っています。
だから神は排除されることなく、数を減らさず、神々の性質は本来の祀られていた姿に回帰するんですよね。
本来の祀られていた姿というのが、例えばその地域では「治水」が重要であったならば、そこの和魂は水を湛えた神のお姿で、荒魂は洪水などの姿をしていることでしょう。
古代日本の「神」の感覚は、現代人のイメージする神様よりずっとパーソナルです。
どちらかといえば「ご先祖様」に近い感覚です。
ご先祖様ですから、一族しか面倒を見て下さらないのが普通なのです。
それが縄文後期から弥生初期あたりに少しずつコミュニティが大きくなってくるにつれて、ご先祖様の担当範囲が大きくなります。
やがて国ひとつ担当されるようなご先祖のリーダーが誕生するわけで、そのご先祖の大御所がその地域で崇めている「水」だとか「山」だとか「太陽」などと融合して、神様になるんです。
正確に言うと、神様ではなく御霊なんですけどね。
こうして国レベルの神様が現れ始め、ご先祖由来の神様だから親兄弟もいらっしゃって、どんどん神様が増えてゆくんです。
そして国と国が争うとき、平和的解決のために「信仰の禅譲」を始めたのが、日向族だったのだと思っています。
「信仰の禅譲」というのはつまり、敗戦国側が自分たちを守っている御霊を差し出すというか、御霊に戦勝国側も担当させるというか、戦勝国側の御霊がより神に近いと認めるというか、とにかくそんな感じだったと思います。
ですので「信仰の禅譲」で軍門に下れば、滅ぼされずに配下に組み込まれたのだと思います。
そうすることによって敗戦国側の御霊は少しづつ権力を失います。
しかし信仰自体が消滅したわけでは無いので、やがて本来の「水の精霊」に近い姿で人々に信仰され続けたのでしょう。
ですから日本は八百万の神々がいらっしゃるんです。
アニミズムの動画もアップしていますので、よかったらそちらもご覧になってみてください。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします!