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肥薩おれんじ鉄道線がまだ鹿児島本線だったあの頃(平成9年5/25㈰撮影)の貴重な動画、本当にありがとうございました!鹿児島中央駅がまだ西鹿児島駅だったのが、時代を感じさせられますね!いつまでも永久保存したいと思います!
@user-jf4wb8wl4bさん、コメントありがとうございます。西鹿児島駅から鹿児島中央駅へ改名されて来年で早20年、寝台特急「はやぶさ」や787系「つばめ」が当たり前のように来鹿していたあの頃が懐かしいですよね!
地元 鹿児島県の懐かしい景色を見せてくれて本当に感謝します ありがとう。✨
@2006noboさん、コメントありがとうございます。拙い動画ですが懐かしんでいただき幸いです。
まさに‼️昔はほんとよかった‼️
hiroshi nishiさん、コメントありがとうございます。
寝台同士のすれ違いがいいですね。
taku ueさん、コメントありがとうございます。白昼堂々の「はやぶさ」良かったです!
上りと下りの寝台特急はやぶさが、すれ違うシーンが見れて感激です。特急つばめの9両編成は、今でも色褪せないかっこ良さがあります。レンタルレイアウトを利用して、当時を思い出し、Nゲージで再現して走らせる。
Boke新人おっさんさん、コメントありがとうございます。実車は過去のものとなってしまいましたが、模型の世界で再現していただきあの頃を懐かしんでください。
「はやぶさ」同士のすれ違い、良いですね。もう見ることはかなわないのですが、幸いというかなんというかこの動画が撮影される10年ほど前に仕事で岩国に行った帰りに「はやぶさ」に乗車したことがあり、それが「はやぶさ」乗車の最初で最後となりました。今の寝台と違い、いかにも国鉄国鉄した感じの素っ気ないエクステリアでしたが、それでも乗車できた時は大喜びでした。今はこういう何気ない寝台列車が無くなってしまい残念ですね。東京駅のホームで見る「西鹿児島」のサボとトレインマークは憧れでもありました。24系25形も懐かしいという言葉が付くようになってしまいました。787系は昨年まで九州に修学旅行に行っている学校さんがあり、その修学旅行に同行した際に班行動の撮影時、博多駅で散々撮影してきましたが、こちらも学校さんが修学旅行の行先を九州から関西に変えてしまったので残念至極です。
内山千詔さん、コメントありがとうございます。「はやぶさ」同士のすれ違い撮影ができた時にはダイヤの正確さを痛感してました。名門特急「つばめ」と「はやぶさ」、その時々の思い出がよみがえりますね。修学旅行の行先まで変わり時代の流れを感じます!
下りは深夜の三宮辺と終点間近の2か所で上りとすれ違う通常なら上下2本で済むハズやけど何せ1000㎞をラクに越える長距離列車やさけ2本では追いつかへん
懐かしすぎてキュンキュン。
F WAさん、コメントありがとうございます。私も嬉しすぎてキュンキュン!
新幹線が出来てスピードアップはしたけれど、東京から鹿児島まで一本で行けたはやぶさがなくなって却って不便になりました。
侍さん、コメントありがとうございます。仰るとおりですね!新幹線で時間短縮はありがたいですが、ゆったり寝台利用ができなくなったのは残念ですね。
今晩は。動画投稿、ありがとうございます。本当に懐かしい動画ですね。783系有明の頃、こんな事がありました。あの、伝説の「九州グリーン豪遊券」で旅が出来た頃、たまたま下り有明のグリーン車、1号車1番C席が博多~西鹿児島まで取れた事があります。何処の駅か忘れましたが、運転停車中に上り「はやぶさ」が通過しました。この時、何気なく挙手の礼をしたのですが、隣の席のおばさんがビックリしていました。その後、色々なお話をきいたのですが、当時のはやぶさは編成の短さ(6両編成)が災いして、多客期には寝台券が取れず、プラチナチケット状態だったそうです。この動画を拝見して、そんな懐かしい事を思い出しました。新幹線何か作って、何が面白いんだか…。
田中政一さん、コメントありがとうございます。こんばんは、有明のグリーン車1号車1番C席、これもなかなかのプラチナチケットでしたね!「挙手の礼」行動に猫鉄動楽は最敬礼いたします。道中に隣席の方とお話しができるのもテツ旅の醍醐味ですよね。「はやぶさ」の寝台券入手困難な時期がJR時代にもあったとは以外でした!
@@猫鉄動楽 様コメントありがとうございます。挙手の礼まで、褒めていただき光栄です。783系のグリーン車での、もう一つの思い出ですが、当時、自分が乗った列車がすれ違った後に、最後部に向けて写真を撮っていました。すると、車掌(鹿児島車掌区)が、手招きで私を呼びました。あまりにもシャッターを切っていて、車掌さんも写してしまい怒られる‼️と思いきや…。なんと、「博多の手前まで、この中(運転席)で写真を撮ってよかよ。」と、言ってくれました。これには、大喜びで博多の手前まで存分に写真を撮りました。当時はまだ、民営化直後のおおらかな時代で、こんな車掌さんが沢山いたものです。急行「えびの」の宮崎車掌区の車掌も、大畑から矢岳ループ迄は、ファンを運転席に入れてファンサービスをしていたものです。因みに、当時発売されていたオレンジカードは、宮崎車掌区の物はレア価値があり、博多にえびのが着くとファンが車掌から、1000円券を100枚単位で買っていたそうです。当時の「はやぶさ」も、東京駅に着くと博多車掌区の車掌が、ファンに取り囲まれていたそうです。その他、車掌の休養室で、下関車掌区や他の車掌のオレンジカードを交換していた事もあるそうです。昔は、良かったですね。
@田中政一 様今では考えられない営業列車の運転席へのお招き、車掌さんの粋な計らいは古き良き時代の貴重な思い出となりましたね!あの頃は乗車記念に個性あるオレンジカードを購入するのもテツ旅の楽しみのひとつでもありましたが、当時は嬉しいエピソードがたくさんあったのですね!!
昔の夜行列車の一部は、道中に2度反対方向から来る同じ列車とすれ違ってたなんて、今では考えられないですよね!
潤野一彌さん、コメントありがとうございます。仰る通り、とても今では考えられない時代でした!
この時代の牛ノ浜~薩摩高城は国道3号に沿う+山側からやと海をバックに列車狙えるからカメラマンがワンサカ来てたとこでしたね早朝に下り急行・朝に下り(それ以前は明星)・昼に上下の 夜に上り・上り その間は787・783 普通は熊本か福岡南部の銀水まで475 川内までやと717(713は長崎・佐世保線ほぼ専任)とキハ47/40・キハ58/28(指宿枕崎線の間合い・非ワンマン) 贅沢でしたねぇ 川内までは鹿児島市ベッドタウンやから今(コロナ禍以前)より案外本数多かったですね 川内以北阿久根市内はノンキな田舎町(笑) 西鹿児島手前でチラと眺める鹿児島運転所(工場併設)…鹿児島線に近いとこの留置線にジョイトレのらくだが「臨団(臨時団体列車)に俺呼ばんか!」札掲げて昼寝中な風情で止まってたし 懐かしいなぁ 日豊線との違いは快速無かったことですね 日豊線は快速いてました
Kitamura5さん、コメントありがとうございます。仰る通り牛ノ浜~薩摩高城にかけては昔から肥後二見〜肥後田浦に並ぶ絶景ポイントで、今では「36ぷらす3」効果で再び脚光を浴びてます。また、九州新幹線部分開業前は優等列車や川内行き普通列車も多かったですね。『ジョイトレのらくだが「臨団(臨時団体列車)に俺呼ばんか!」札掲げて昼寝中』←まさにその通りでした(笑)
こんばんは。つばめ号!懐かしいな!博多から串木野迄全部いい事で帰省することなかったね。最後のリレ−つばめでの帰省は、人目を憚らず泣いての乗車でした。当時を思い出し動画が二重にめ三重にも……見えてきました。ありがとうございました。
ハル坊さん、コメントありがとうございます。八房川の鉄橋を渡る貨物列車もさり気なく入れてみました。この頃の「つばめ号」でのご帰省、ご察し申し上げます・・・。
懐かしく拝見しました。はやぶさ号は24系25形基本7+増結8両時代ですね。私は熊本まで(熊本から)個室利用が多かったです。それ以南は2~3回、個室の券でBネの空席に乗せてもらえるようになっていて、車掌さんもその旨、了解してくれました。24系はやぶさ、なはも、787系の登場時のつばめも、今では、鉄道模型でしか再現できない光景ですね。
たかはし大アカさん、コメントありがとうございます。仰る通り「はやぶさ」は24系25形基本7(鹿児島)で増結8両(熊本)の時代です。個室が連結されない熊本以南では個室券でBネの空席が利用できるようになっていたとは、知らなかったです!787系は「36ぷらす3」にグレードアップして帰ってきましたが、やはりあの頃の思い出は鉄道模型で忠実に再現ですね。
こんばんは。『はやぶさ』と『富士』は白昼の九州の末端部で行き違いの顔合わせがあるということで違和感ある光景ですが、黄金比と言われる時間帯を超えて下りは前日発列車なので長距離の証であるように思います。JR九州の24系はカニ24が基本番台、オハネ25が100番台に統一され『北斗星』用編成に比べ画一的なイメージですが、鹿児島所属車に半流線形のオハネフ25基本番台が在籍して国鉄時代に使用されなかった車両なので見た際は新鮮でした。
総武本線沿線のアラフォーチャンネルさん、コメントありがとうございます。私は国鉄時代だったと思いますが、『はやぶさ』・『富士』でカニ24の100番代車が南下してきた事がありました。普段見れない車両が見れるととても新鮮ですよね。
この頃は色々な電車や寝台特急が走っていて踏切が鳴っている度に楽しみにして、近くで止まって電車が来るのを見ていました。😊今では新幹線が主流になっていて、電車もワンマンが増え、この頃としたら鉄道ファンの僕にとってなんだか物足りない感じがしますね😓時代の流れもあるのでしょうが・・・😓もう一度たくさんの電車が走っていた時代に戻って色々な電車に乗りたいですね😃無理でしょうが・・・😅
柳迫大輔さん、コメントありがとうございます。私も踏切が鳴ると何か来ると思ってワクワクして待っていたものでした。時代の流れで高速化・合理化・統一化され、鉄道ファン的には物足りない時代になっていますが、あの頃が懐かしくなりましたら、またここに戻って来てくださいね!
@@猫鉄動楽 はい、ありがとうございます😆
猫鉄道楽さま…今晩わ…そしてお疲れ様です今回も懐かしい動画をありがとうございました末期のはやぶさ号ですかねオハネ+オハネフの5両編成…なは号との共通運用…100台と0番台が交互に編成に入っていますつばめ787系は9両編成…昔の国鉄編成並みの長さですよ今じゃあ考えられないです本年度も懐かしい動画をよろしくお願いしまします
満永実昭さま、コメントありがとうございます。今年もよろしくお願いします。末期の「はやぶさ」で1両減車の閑散期運用です。787系「つばめ」デビュー当時の9両編成は国鉄時代の「有明」を彷彿とさせる編成長で迫力がありましたね!
787系はじめは9両編成とは流石に長いですね。
鉄道大好きヒーロー大好きオデッセイさん、コメントありがとうございます。デビュー当時の9両編成は見応えも十分でした!
787系の9両は、繫忙期だけですね。時折10?,12両?編成になることもありました。通常は、7両編成(787系)でした。
寝台特急はやぶさ懐かしいです
ブルーサンダーさん、懐かしんでいただきありがとうございます。
@@猫鉄動楽 コメントありがとうございます、787系のつばめ時代にはビュッフェがありましたね
@@猫鉄動楽 昔は寝台特急さくらみずほはやぶさ彗星あかつきもありましたね、現在は新幹線の名前になってしまいましたね
@@猫鉄動楽 寝台特急月光号もありましたね、僕は寝台特急 特急月光号は鉄道雑誌で知りました
幼稚園の頃夕方有楽町駅のホームで九州方面に向かう寝台特急を見た事があり非常に懐かしいです
この時期の鹿児島本線のスターは787系つばめ号だったから鹿児島本線の特急を使う人のほとんどはこの787系つばめ号を使ってたんだね。
Poron Yumenoさん、コメントありがとうございます。仰る通りです。復活した名門特急”つばめ”は鹿児島本線のスターとなりました!
九州新幹線開業後も、鹿児島本線全線を残して欲しかったので、一部を肥薩おれんじ鉄道は設立も開業も必要なしでいて欲しかったです。
高尾敏寛さん、コメントありがとうございます。新幹線と引き換えにされる事なく、並行在来線もそのまま残して欲しかったですね!
九州新幹線含む整備新幹線開通時における並行在来線の扱いで1996年12月25日の「整備新幹線の取扱いについて 政府与党合意」で「建設着工する区間の並行在来線については、従来どおり、開業時にJRの経営から分離することとする」がネックですわな せやけど実際問題八代~川内の移動が平均して他より多かったか?いうと少なかったんで 経営面で苦しいJR九州としては「新幹線開通して…並行する赤字見込まれる在来線区間自社維持はただでさえ苦しい経営更に苦しめる」言い分あって 「区間廃止→バス転換アカン(本数激減する)けど三セクやったら運賃高うなるけどダイヤは何とかしてくれるやろう」「電車からディーゼルなっても貨物あるし線路使用料と電気代はJR貨物負担なるやろう」いう思惑あったはずですわ 事実転換後の出資者にJR貨物が名前連ねてますしかというて線路などの施設は熊本・鹿児島両県が第三種鉄道事業者(アパートでいえば大家)として保有・JR九州は第二種鉄道事業者(アパートでいえば入居者)としてその線路を使用して鉄道事業を営む「上下分離方式」採ったら「施設使用料高うてかなんわ」なって八代~川内間にナンボか加算の加算運賃(八代以北各駅乗車~川内以南下車の場合通し運賃+加算運賃)なるやろうし…まぁ結局利用者が応分負担なるんです もし上下分離なった後36ぷらす3がでけてツアー組まれてとか八代~川内間に温泉沸いて施設でけたとか黒字でけそな場合でも「黒字は一時的やのうてコンスタントに収入見込める場合」が前提ですから運賃面でいえば三セク転換でも上下分離でも大差なかったかと思います
@Kitamura5さん、コメントありがとうございます。JR九州から経営分離される事なくそのまま残して欲しかった並行在来線、沿線利用者の方々が一番不便な思いをされているのではと思います。いろんな事情があって三セク化されたわけですが、架線を残した事でJR貨物と「36ぷらす3」の運行に繋がっているので、それは良かったですね!
この区間を定期で通るのが貨物だけになるという本線の第3セクター化ではよくあるパターンですね
華宴さん、コメントありがとうございます。残念ながら仰る通りですね!
8両編成ぐらいになると迫力が出ますね。 今のきりしまは4両編成でさみしい
Saka-Works Travelさん、コメントありがとうございます。787系フル編成の時代は迫力満点でした!
@@猫鉄動楽 ですよね 勢いを感じました😁
@Saka-Works Travelさん、ありがとうございます(=^ェ^=)
この頃はヨコカルと西鹿児島行きはやぶさ号の末期だ。ヨコカルは9月30日、西鹿児島行きはやぶさは11月28日を最後に廃止されました。
@poronyumeno3904さん、コメントありがとうございます。仰る通りで、どちらも日本の鉄道史上に残る大きな廃止でしたね!
特急つばめは八代以南は120〜130km出ていました?八代までは出ていたと思いますけど
@user-qr4zp5oj7vさん、コメントありがとうございます。783系&787系特急つばめの130km/h運転は八代迄でそれ以南は最高速度110km/h運転でしたよ!
@@猫鉄動楽 やはり八代以南は最高速度下がっていたんですね。
九州新幹線開業後は元の95km/h運転に戻りました。
はやぶさにつばめどちらも新幹線の名前
鉄道大好きヒーロー大好きオデッセイさん、コメントありがとうございます。仰る通りで、どちらも新幹線の名前になってしまいましたね!
肥薩おれんじ鉄道が鹿児島本線だった時代だね。
トミカ大好き8270さんさん、コメントありがとうございます。正に!その鹿児島本線の時代ですね。
36ぷらす3とは違って本物の特急つばめのペースで走る787系w
shosei nggouさん、コメントありがとうございます。『思い出の787系』が『36ぷらす3』となって16年ぶりに走り出すとは・・・嬉しいですね!
観光列車やあれへんねん そら飛ばすわなぁ(笑)
列車行き合いあり!しかし!
@user-zx5hm9eq6tさん、コメントありがとうございます。
やっぱり九州に新幹線は不要でした。残念です。
Ikuo kajitaさん、コメントありがとうございます。
不要ってことはないですよ。当時の鎌田鹿児島県知事が、奔走していたのを覚えていますから。これがなかったら、熊本にも新幹線は、来てないでしょうね。ただ、八代以南の鹿児島本線が、単線で軟弱地盤軌道なのが、災いしましたね。長距離の在来線の衰退を、招いたことは残念です。
博多〜鹿児島中央は300km以上離れてたし、新幹線ができて良かったやろ
肥薩おれんじ鉄道線がまだ鹿児島本線だったあの頃(平成9年5/25㈰撮影)の貴重な動画、本当にありがとうございました!鹿児島中央駅がまだ西鹿児島駅だったのが、時代を感じさせられますね!いつまでも永久保存したいと思います!
@user-jf4wb8wl4bさん、コメントありがとうございます。
西鹿児島駅から鹿児島中央駅へ改名されて来年で早20年、寝台特急「はやぶさ」や787系「つばめ」が当たり前のように来鹿していたあの頃が懐かしいですよね!
地元 鹿児島県の懐かしい景色を見せてくれて
本当に感謝します ありがとう。✨
@2006noboさん、コメントありがとうございます。
拙い動画ですが懐かしんでいただき幸いです。
まさに‼️昔はほんとよかった‼️
hiroshi nishiさん、コメントありがとうございます。
寝台同士のすれ違いがいいですね。
taku ueさん、コメントありがとうございます。
白昼堂々の「はやぶさ」良かったです!
上りと下りの寝台特急はやぶさが、すれ違うシーンが見れて感激です。
特急つばめの9両編成は、今でも色褪せないかっこ良さがあります。
レンタルレイアウトを利用して、当時を思い出し、Nゲージで再現して走らせる。
Boke新人おっさんさん、コメントありがとうございます。
実車は過去のものとなってしまいましたが、模型の世界で再現していただきあの頃を懐かしんでください。
「はやぶさ」同士のすれ違い、良いですね。もう見ることはかなわないのですが、幸いというかなんというかこの動画が撮影される10年ほど前に仕事で岩国に行った帰りに「はやぶさ」に乗車したことがあり、それが「はやぶさ」乗車の最初で最後となりました。今の寝台と違い、いかにも国鉄国鉄した感じの素っ気ないエクステリアでしたが、それでも乗車できた時は大喜びでした。今はこういう何気ない寝台列車が無くなってしまい残念ですね。東京駅のホームで見る「西鹿児島」のサボとトレインマークは憧れでもありました。
24系25形も懐かしいという言葉が付くようになってしまいました。
787系は昨年まで九州に修学旅行に行っている学校さんがあり、その修学旅行に同行した際に班行動の撮影時、博多駅で散々撮影してきましたが、こちらも学校さんが修学旅行の行先を九州から関西に変えてしまったので残念至極です。
内山千詔さん、コメントありがとうございます。
「はやぶさ」同士のすれ違い撮影ができた時にはダイヤの正確さを痛感してました。
名門特急「つばめ」と「はやぶさ」、その時々の思い出がよみがえりますね。
修学旅行の行先まで変わり時代の流れを感じます!
下りは深夜の三宮辺と終点間近の2か所で上りとすれ違う
通常なら上下2本で済むハズやけど何せ1000㎞をラクに越える長距離列車やさけ2本では追いつかへん
懐かしすぎてキュンキュン。
F WAさん、コメントありがとうございます。
私も嬉しすぎてキュンキュン!
新幹線が出来てスピードアップはしたけれど、東京から鹿児島まで一本で行けたはやぶさがなくなって却って不便になりました。
侍さん、コメントありがとうございます。
仰るとおりですね!新幹線で時間短縮はありがたいですが、ゆったり寝台利用ができなくなったのは残念ですね。
今晩は。
動画投稿、ありがとうございます。
本当に懐かしい動画ですね。
783系有明の頃、こんな事がありました。
あの、伝説の「九州グリーン豪遊券」で旅が出来た頃、たまたま下り有明のグリーン車、1号車1番C席が博多~西鹿児島まで取れた事があります。
何処の駅か忘れましたが、運転停車中に上り「はやぶさ」が通過しました。
この時、何気なく挙手の礼をしたのですが、隣の席のおばさんがビックリしていました。
その後、色々なお話をきいたのですが、当時のはやぶさは編成の短さ(6両編成)が災いして、多客期には寝台券が取れず、プラチナチケット状態だったそうです。
この動画を拝見して、そんな懐かしい事を思い出しました。
新幹線何か作って、何が面白いんだか…。
田中政一さん、コメントありがとうございます。
こんばんは、有明のグリーン車1号車1番C席、これもなかなかのプラチナチケットでしたね!
「挙手の礼」行動に猫鉄動楽は最敬礼いたします。
道中に隣席の方とお話しができるのもテツ旅の醍醐味ですよね。
「はやぶさ」の寝台券入手困難な時期がJR時代にもあったとは以外でした!
@@猫鉄動楽 様
コメントありがとうございます。
挙手の礼まで、褒めていただき光栄です。
783系のグリーン車での、もう一つの思い出ですが、当時、自分が乗った列車がすれ違った後に、最後部に向けて写真を撮っていました。
すると、車掌(鹿児島車掌区)が、手招きで私を呼びました。
あまりにもシャッターを切っていて、車掌さんも写してしまい怒られる‼️と思いきや…。
なんと、「博多の手前まで、この中(運転席)で写真を撮ってよかよ。」と、言ってくれました。
これには、大喜びで博多の手前まで存分に写真を撮りました。
当時はまだ、民営化直後のおおらかな時代で、こんな車掌さんが沢山いたものです。
急行「えびの」の宮崎車掌区の車掌も、大畑から矢岳ループ迄は、ファンを運転席に入れてファンサービスをしていたものです。
因みに、当時発売されていたオレンジカードは、宮崎車掌区の物はレア価値があり、博多にえびのが着くとファンが車掌から、1000円券を100枚単位で買っていたそうです。
当時の「はやぶさ」も、東京駅に着くと博多車掌区の車掌が、ファンに取り囲まれていたそうです。
その他、車掌の休養室で、下関車掌区や他の車掌のオレンジカードを交換していた事もあるそうです。
昔は、良かったですね。
@田中政一 様
今では考えられない営業列車の運転席へのお招き、車掌さんの粋な計らいは古き良き時代の貴重な思い出となりましたね!
あの頃は乗車記念に個性あるオレンジカードを購入するのもテツ旅の楽しみのひとつでもありましたが、当時は嬉しいエピソードがたくさんあったのですね!!
昔の夜行列車の一部は、道中に2度反対方向から来る同じ列車とすれ違ってたなんて、今では考えられないですよね!
潤野一彌さん、コメントありがとうございます。
仰る通り、とても今では考えられない時代でした!
この時代の牛ノ浜~薩摩高城は国道3号に沿う+山側からやと海をバックに列車狙えるからカメラマンがワンサカ来てたとこでしたね
早朝に下り急行・朝に下り(それ以前は明星)・昼に上下の 夜に上り・上り その間は787・783 普通は熊本か福岡南部の銀水まで475 川内までやと717(713は長崎・佐世保線ほぼ専任)とキハ47/40・キハ58/28(指宿枕崎線の間合い・非ワンマン) 贅沢でしたねぇ 川内までは鹿児島市ベッドタウンやから今(コロナ禍以前)より案外本数多かったですね 川内以北阿久根市内はノンキな田舎町(笑)
西鹿児島手前でチラと眺める鹿児島運転所(工場併設)…
鹿児島線に近いとこの留置線にジョイトレのらくだが「臨団(臨時団体列車)に俺呼ばんか!」札掲げて昼寝中な風情で止まってたし 懐かしいなぁ
日豊線との違いは快速無かったことですね 日豊線は快速いてました
Kitamura5さん、コメントありがとうございます。
仰る通り牛ノ浜~薩摩高城にかけては昔から肥後二見〜肥後田浦に並ぶ絶景ポイントで、今では「36ぷらす3」効果で再び脚光を浴びてます。
また、九州新幹線部分開業前は優等列車や川内行き普通列車も多かったですね。
『ジョイトレのらくだが「臨団(臨時団体列車)に俺呼ばんか!」札掲げて昼寝中』←まさにその通りでした(笑)
こんばんは。
つばめ号!懐かしいな!博多から串木野迄
全部いい事で帰省することなかったね。
最後のリレ−つばめでの帰省は、人目を憚らず泣いての乗車でした。
当時を思い出し動画が
二重にめ三重にも……
見えてきました。
ありがとうございました。
ハル坊さん、コメントありがとうございます。
八房川の鉄橋を渡る貨物列車もさり気なく入れてみました。
この頃の「つばめ号」でのご帰省、ご察し申し上げます・・・。
懐かしく拝見しました。はやぶさ号は24系25形基本7+増結8両時代ですね。私は熊本まで(熊本から)個室利用が多かったです。それ以南は2~3回、個室の券でBネの空席に乗せてもらえるようになっていて、車掌さんもその旨、了解してくれました。24系はやぶさ、なはも、787系の登場時のつばめも、今では、鉄道模型でしか再現できない光景ですね。
たかはし大アカさん、コメントありがとうございます。
仰る通り「はやぶさ」は24系25形基本7(鹿児島)で増結8両(熊本)の時代です。
個室が連結されない熊本以南では個室券でBネの空席が利用できるようになっていたとは、知らなかったです!
787系は「36ぷらす3」にグレードアップして帰ってきましたが、やはりあの頃の思い出は鉄道模型で忠実に再現ですね。
こんばんは。
『はやぶさ』と『富士』は白昼の九州の末端部で行き違いの顔合わせがあるということで違和感ある光景ですが、黄金比と言われる時間帯を超えて下りは前日発列車なので長距離の証であるように思います。
JR九州の24系はカニ24が基本番台、オハネ25が100番台に統一され『北斗星』用編成に比べ画一的なイメージですが、鹿児島所属車に半流線形のオハネフ25基本番台が在籍して国鉄時代に使用されなかった車両なので見た際は新鮮でした。
総武本線沿線のアラフォーチャンネルさん、コメントありがとうございます。
私は国鉄時代だったと思いますが、『はやぶさ』・『富士』でカニ24の100番代車が南下してきた事がありました。
普段見れない車両が見れるととても新鮮ですよね。
この頃は色々な電車や寝台特急が走っていて踏切が鳴っている度に楽しみにして、近くで止まって電車が来るのを見ていました。😊今では新幹線が主流になっていて、電車もワンマンが増え、この頃としたら鉄道ファンの僕にとってなんだか物足りない感じがしますね😓時代の流れもあるのでしょうが・・・😓もう一度たくさんの電車が走っていた時代に戻って色々な電車に乗りたいですね😃無理でしょうが・・・😅
柳迫大輔さん、コメントありがとうございます。
私も踏切が鳴ると何か来ると思ってワクワクして待っていたものでした。
時代の流れで高速化・合理化・統一化され、鉄道ファン的には物足りない時代になっていますが、あの頃が懐かしくなりましたら、またここに戻って来てくださいね!
@@猫鉄動楽 はい、ありがとうございます😆
猫鉄道楽さま…今晩わ…
そしてお疲れ様です
今回も懐かしい動画をありがとうございました
末期のはやぶさ号ですかね
オハネ+オハネフの5両編成…
なは号との共通運用…100台と0番台が交互に編成に入っています
つばめ787系は9両編成…昔の国鉄編成並みの長さですよ
今じゃあ考えられないです
本年度も懐かしい動画をよろしくお願いしまします
満永実昭さま、コメントありがとうございます。今年もよろしくお願いします。
末期の「はやぶさ」で1両減車の閑散期運用です。787系「つばめ」デビュー当時の9両編成は国鉄時代の「有明」を彷彿とさせる編成長で迫力がありましたね!
787系はじめは9両編成とは流石に長いですね。
鉄道大好きヒーロー大好きオデッセイさん、コメントありがとうございます。
デビュー当時の9両編成は見応えも十分でした!
787系の9両は、繫忙期だけですね。時折10?,12両?編成になることもありました。通常は、7両編成(787系)でした。
寝台特急はやぶさ懐かしいです
ブルーサンダーさん、懐かしんでいただきありがとうございます。
@@猫鉄動楽 コメントありがとうございます、787系のつばめ時代にはビュッフェがありましたね
@@猫鉄動楽 昔は寝台特急さくらみずほはやぶさ彗星あかつきもありましたね、現在は新幹線の名前になってしまいましたね
@@猫鉄動楽 寝台特急月光号もありましたね、僕は寝台特急 特急月光号は鉄道雑誌で知りました
幼稚園の頃夕方有楽町駅のホームで九州方面に向かう寝台特急を見た事があり非常に懐かしいです
この時期の鹿児島本線のスターは787系つばめ号だったから鹿児島本線の特急を使う人のほとんどはこの787系つばめ号を使ってたんだね。
Poron Yumenoさん、コメントありがとうございます。
仰る通りです。復活した名門特急”つばめ”は鹿児島本線のスターとなりました!
九州新幹線開業後も、鹿児島本線全線を残して欲しかったので、一部を肥薩おれんじ鉄道は設立も開業も必要なしでいて欲しかったです。
高尾敏寛さん、コメントありがとうございます。
新幹線と引き換えにされる事なく、並行在来線もそのまま残して欲しかったですね!
九州新幹線含む整備新幹線開通時における並行在来線の扱いで1996年12月25日の「整備新幹線の取扱いについて 政府与党合意」で「建設着工する区間の並行在来線については、従来どおり、開業時にJRの経営から分離することとする」がネックですわな
せやけど実際問題八代~川内の移動が平均して他より多かったか?いうと少なかったんで 経営面で苦しいJR九州としては「新幹線開通して…並行する赤字見込まれる在来線区間自社維持はただでさえ苦しい経営更に苦しめる」言い分あって 「区間廃止→バス転換アカン(本数激減する)けど三セクやったら運賃高うなるけどダイヤは何とかしてくれるやろう」「電車からディーゼルなっても貨物あるし線路使用料と電気代はJR貨物負担なるやろう」いう思惑あったはずですわ 事実転換後の出資者にJR貨物が名前連ねてますし
かというて線路などの施設は熊本・鹿児島両県が第三種鉄道事業者(アパートでいえば大家)として保有・JR九州は第二種鉄道事業者(アパートでいえば入居者)としてその線路を使用して鉄道事業を営む「上下分離方式」採ったら「施設使用料高うてかなんわ」なって八代~川内間にナンボか加算の加算運賃(八代以北各駅乗車~川内以南下車の場合通し運賃+加算運賃)なるやろうし…まぁ結局利用者が応分負担なるんです
もし上下分離なった後36ぷらす3がでけてツアー組まれてとか八代~川内間に温泉沸いて施設でけたとか黒字でけそな場合でも「黒字は一時的やのうてコンスタントに収入見込める場合」が前提ですから運賃面でいえば三セク転換でも上下分離でも大差なかったかと思います
@Kitamura5さん、コメントありがとうございます。
JR九州から経営分離される事なくそのまま残して欲しかった並行在来線、沿線利用者の方々が一番不便な思いをされているのではと思います。
いろんな事情があって三セク化されたわけですが、架線を残した事でJR貨物と「36ぷらす3」の運行に繋がっているので、それは良かったですね!
この区間を定期で通るのが貨物だけになるという本線の第3セクター化ではよくあるパターンですね
華宴さん、コメントありがとうございます。
残念ながら仰る通りですね!
8両編成ぐらいになると迫力が出ますね。 今のきりしまは4両編成でさみしい
Saka-Works Travelさん、コメントありがとうございます。
787系フル編成の時代は迫力満点でした!
@@猫鉄動楽 ですよね 勢いを感じました😁
@Saka-Works Travelさん、ありがとうございます(=^ェ^=)
この頃はヨコカルと西鹿児島行きはやぶさ号の末期だ。ヨコカルは9月30日、西鹿児島行きはやぶさは11月28日を最後に廃止されました。
@poronyumeno3904さん、コメントありがとうございます。
仰る通りで、どちらも日本の鉄道史上に残る大きな廃止でしたね!
特急つばめは八代以南は120〜130km出ていました?
八代までは出ていたと思いますけど
@user-qr4zp5oj7vさん、コメントありがとうございます。
783系&787系特急つばめの130km/h運転は八代迄でそれ以南は最高速度110km/h運転でしたよ!
@@猫鉄動楽 やはり八代以南は最高速度下がっていたんですね。
九州新幹線開業後は元の95km/h運転に戻りました。
はやぶさにつばめどちらも新幹線の名前
鉄道大好きヒーロー大好きオデッセイさん、コメントありがとうございます。
仰る通りで、どちらも新幹線の名前になってしまいましたね!
肥薩おれんじ鉄道が鹿児島本線だった時代だね。
トミカ大好き8270さんさん、コメントありがとうございます。
正に!その鹿児島本線の時代ですね。
36ぷらす3とは違って本物の特急つばめのペースで走る787系w
shosei nggouさん、コメントありがとうございます。
『思い出の787系』が『36ぷらす3』となって16年ぶりに走り出すとは・・・嬉しいですね!
観光列車やあれへんねん そら飛ばすわなぁ(笑)
列車行き合いあり!しかし!
@user-zx5hm9eq6tさん、コメントありがとうございます。
やっぱり九州に新幹線は不要でした。残念です。
Ikuo kajitaさん、コメントありがとうございます。
不要ってことはないですよ。
当時の鎌田鹿児島県知事が、奔走していたのを覚えていますから。これがなかったら、熊本にも新幹線は、来てないでしょうね。
ただ、八代以南の鹿児島本線が、単線で軟弱地盤軌道なのが、災いしましたね。
長距離の在来線の衰退を、招いたことは残念です。
博多〜鹿児島中央は300km以上離れてたし、新幹線ができて良かったやろ