Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
こういう動画が伸びてくれると楽しくなりますね
本当ですね!我々の真価が問われますね!笑しんこう
『食べる』ということにもっと集中して、その行為と自分の心の在り方を深く落とし込んでいきたいと思いました
ありがとうございます!食と向き合うきっかけになれば幸いです!
すごく勉強になりました。ありがとう!
こちらこそありがとうございます!しんこう
👏👏👏👏👏👏
よい学びになりました。数多の命や手間のかかった食事には感謝と覚悟をもって向き合いたいと思います。今までながら食べをしていた自分が恥ずかしい。多くの人にこの教えを知ってほしいです。ありがとうございました。
ありがとうございます。忙しい会社では昼食もパソコン作業しながらと聞いたことがあります。食事と向き合える時間は現代人にとって貴重なものなのかもしれないですね!しんこう
実家の居間にも「五観の偈」が額縁に入って飾られています。なぜ飾られているのかと思い調べたら、実家の菩提寺が曹洞宗の寺院で、秩父札所巡り13番目の旗下山慈眼寺(キカサンジゲンジ)でした。不思議なつながりがあると感じました。
それは素晴らしいですね!ぜひそのご縁を大切になさってください!しんこう
五観の偈も、現在を基軸に縁起を語られていることを学び、改めて曹洞宗の教えの清廉さに感じ入っております。僧侶の方が一生のテーマとして考え続けていく深淵な世界の入口でもあるのかとも思い至りました。今後、その世界がどの様に広がり深まっていくのか、引き続きご教示頂ければ嬉しい限りです😌✨きっと心豊かになる発見の旅でしょうから、、、🙏✨
そうですね。五観の偈そのものがそういう意図で書かれたかはわかりませんが、曹洞宗の立場からはこう読み取れるなと考えております。ぜひ最後までお付き合いください!しんこう
食事前の言葉のゴカンのゲ(変換出ない)は凄いと感じました。僕には「QOLの高い食事をするための心構えの奥義」と感じました。僕は現代に合った意訳をこう考えました・食材と作られた手間に感謝して食べます。・自分の普段の生活は良い生き方が出来ているか思い出して振り返ってみます。・心を平穏に保って欲や感情を抑えて、貪るなどといった食べ方をしません。・欲望のためではなく、良い薬として健康のために食べます。・自分なりの良い生き方を模索する一環として、今からこの食事を食べます。現代でも通用する温故知新の素晴らしい食事の心構えだとだと思いました。
自分なりの良い生き方を模索する「一環」ではないような気がします!仏道を全うするために食べるんだ!という誓願なので、食べた後の人生に対する所信表明なんですよね。QOLに関しては、クオリティなんてもので表す以前に人生があることは当たり前じゃない、とか天邪鬼なことを考えてしまうぼくです。笑熱心に向き合っていただきありがとうございます!しんこう
@@zenkatsu 僕はまだ理解が足りてないようですね 参考になります ありがとうございます!
いえいえ!ご自身の解釈を持たれるのは素晴らしいことだと思います!ぼくもまだまだ解釈が変化していくことがありますので、常に考え続けていきたいですね!しんこう
11:58
酒を飲みながら,葬祭会館で唱えるやつだ! という感覚で気軽に見たのですが,つまみのいかり豆をじっと見つめてしまいました。彼の来処…ソラマメはもちろん,この塩味の塩は一体? 食事だけに限らず,このモニターは,このスピーカーは…
葬祭会館で唱えるんですか!それはいいことですね!結局肉か野菜かではなく、全てのいのちを受け取るという責任なんですよね!スピーカーまで想像がはたらいたのは素晴らしいです👏しんこう
税金払えよ坊さん
コメントありがとうございます!毎月所得税も住民税も払ってますよー!年度末には確定申告もしてます!おそらくお布施が非課税なことをお聞きになったんですね!ただそれはお寺という法人に入るだけでなんですよね。その代わり宗費という宗派内での税金みたいなものもあります!しんこう
縁をいただくというお話、子供の頃に母親が食事について似たような話をしてくれたことを思い出しました。この動画で語っていた「一つには功の多少を計り来処を量る」の部分について、俗にヴィーガンと呼ばれる人達に耳にタコが出来るくらい聞かせたい言葉ですね。ただ動物があーだこーだと騒ぎ立てて、植物には大して感謝することなく平気で食べてるというイメージが強いので…(あくまでも私個人の考えですが)
縁をいただくというお話を子供の頃に母親が食事について似たような話をしてくれたこと、ヒップホップ仏教でしんこうさんが重重無尽の縁起について話していたことを思い出しました。この動画で語っていた「一つには功の多少を計り来処を量る」の部分について、俗にヴィーガンと呼ばれる人達に耳にタコが出来るくらい聞かせたい言葉ですね。ただ動物があーだこーだと騒ぎ立てて、植物には大して感謝することなく平気で食べてるというイメージが強いので…(あくまでも私個人の考えですが)
こういう動画が伸びてくれると楽しくなりますね
本当ですね!
我々の真価が問われますね!笑
しんこう
『食べる』ということにもっと集中して、その行為と自分の心の在り方を深く落とし込んでいきたいと思いました
ありがとうございます!
食と向き合うきっかけになれば幸いです!
すごく勉強になりました。ありがとう!
こちらこそありがとうございます!
しんこう
👏👏👏👏👏👏
よい学びになりました。数多の命や手間のかかった食事には感謝と覚悟をもって向き合いたいと思います。今までながら食べをしていた自分が恥ずかしい。多くの人にこの教えを知ってほしいです。ありがとうございました。
ありがとうございます。
忙しい会社では昼食もパソコン作業しながらと聞いたことがあります。
食事と向き合える時間は現代人にとって貴重なものなのかもしれないですね!
しんこう
実家の居間にも「五観の偈」が額縁に入って飾られています。
なぜ飾られているのかと思い調べたら、実家の菩提寺が曹洞宗の寺院で、秩父札所巡り13番目の旗下山慈眼寺(キカサンジゲンジ)でした。
不思議なつながりがあると感じました。
それは素晴らしいですね!
ぜひそのご縁を大切になさってください!
しんこう
五観の偈も、現在を基軸に縁起を語られていることを学び、改めて曹洞宗の教えの清廉さに感じ入っております。僧侶の方が一生のテーマとして考え続けていく深淵な世界の入口でもあるのかとも思い至りました。
今後、その世界がどの様に広がり深まっていくのか、引き続きご教示頂ければ嬉しい限りです😌✨きっと心豊かになる発見の旅でしょうから、、、🙏✨
そうですね。五観の偈そのものがそういう意図で書かれたかはわかりませんが、曹洞宗の立場からはこう読み取れるなと考えております。
ぜひ最後までお付き合いください!
しんこう
食事前の言葉のゴカンのゲ(変換出ない)は凄いと感じました。
僕には
「QOLの高い食事をするための心構えの奥義」と感じました。
僕は現代に合った意訳をこう考えました
・食材と作られた手間に感謝して食べます。
・自分の普段の生活は良い生き方が出来ているか思い出して振り返ってみます。
・心を平穏に保って欲や感情を抑えて、貪るなどといった食べ方をしません。
・欲望のためではなく、良い薬として健康のために食べます。
・自分なりの良い生き方を模索する一環として、今からこの食事を食べます。
現代でも通用する温故知新の素晴らしい食事の心構えだとだと思いました。
自分なりの良い生き方を模索する「一環」ではないような気がします!
仏道を全うするために食べるんだ!という誓願なので、食べた後の人生に対する所信表明なんですよね。
QOLに関しては、クオリティなんてもので表す以前に人生があることは当たり前じゃない、とか天邪鬼なことを考えてしまうぼくです。笑
熱心に向き合っていただきありがとうございます!
しんこう
@@zenkatsu 僕はまだ理解が足りてないようですね 参考になります ありがとうございます!
いえいえ!ご自身の解釈を持たれるのは素晴らしいことだと思います!
ぼくもまだまだ解釈が変化していくことがありますので、常に考え続けていきたいですね!
しんこう
11:58
酒を飲みながら,葬祭会館で唱えるやつだ! という感覚で気軽に見たのですが,つまみのいかり豆をじっと見つめてしまいました。彼の来処…ソラマメはもちろん,この塩味の塩は一体? 食事だけに限らず,このモニターは,このスピーカーは…
葬祭会館で唱えるんですか!それはいいことですね!
結局肉か野菜かではなく、全てのいのちを受け取るという責任なんですよね!
スピーカーまで想像がはたらいたのは素晴らしいです👏
しんこう
税金払えよ坊さん
コメントありがとうございます!
毎月所得税も住民税も払ってますよー!
年度末には確定申告もしてます!
おそらくお布施が非課税なことをお聞きになったんですね!ただそれはお寺という法人に入るだけでなんですよね。
その代わり宗費という宗派内での税金みたいなものもあります!
しんこう
縁をいただくというお話、子供の頃に母親が食事について似たような話をしてくれたことを思い出しました。
この動画で語っていた「一つには功の多少を計り来処を量る」の部分について、俗にヴィーガンと呼ばれる人達に耳にタコが出来るくらい聞かせたい言葉ですね。
ただ動物があーだこーだと騒ぎ立てて、植物には大して感謝することなく平気で食べてるというイメージが強いので…(あくまでも私個人の考えですが)
縁をいただくというお話を子供の頃に母親が食事について似たような話をしてくれたこと、ヒップホップ仏教でしんこうさんが重重無尽の縁起について話していたことを思い出しました。
この動画で語っていた「一つには功の多少を計り来処を量る」の部分について、俗にヴィーガンと呼ばれる人達に耳にタコが出来るくらい聞かせたい言葉ですね。
ただ動物があーだこーだと騒ぎ立てて、植物には大して感謝することなく平気で食べてるというイメージが強いので…(あくまでも私個人の考えですが)