しびれるプロ野球~昭和46年日本シリーズ第3戦1-0で阪急リードの9回裏ツーアウト3塁1塁、ピッチャー山田、バッター王~NHKスポーツ大陸より
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- Опубликовано: 21 окт 2024
- 巨人VS阪急の日本シリーズ。この年のシリーズは、主力に衰えが見られるジャイアンツに対して、山田、福本、加藤らが力をつけてきた阪急が有利との下馬評だった。1勝1敗で迎えた第3戦、舞台は巨人の本拠地後楽園球場に移る。阪急の先発は、この年22勝を挙げた若きエース山田。アンダーハンドからの浮き上がる速球に巨人打線は手も足も出ず、8回を終わってわずか2安打。そして9回。それまで完璧な投球を続けていた山田が、2アウト3塁1塁で王を迎える。山田と王、当時の心理状態に迫る!
打たれた後の山田さん
失礼だけど、絵になりすぎ!
カッコ良すぎる。
学校で巨人ファンの先生と見てました。
このとき、その先生が「これぞ巨人」といったのが忘れられない。
両チームのユニホームが格好いいよね。地味でチャラチャラしたところがなく。
ここ数年の、水色だの黄色だのユニ見ると
アマチュア野球に見える笑笑
腰を落としたまま立ち上がれない背番号17。
ご当人にとっては痛恨の一球だったろうが、球史に残る泣けるワンシーンだ。
これぞエースと4番の真っ向勝負⚾
打たれた後が
最高の名シーン
王さんの引退後のインタビューで、868本に入ってない、このホームランが最も印象に残ってると言ってたな
日本シリーズの流れを変えたというこの試合。 西本監督も、大毎・阪急・近鉄 結局、日本一にはなれなかった悲運の監督だった。
西本さんの凄いところは、異なる弱いチームで複数回優勝をさせたこと。
監督として長嶋なんかとは次元が違う。
王でも足元に及ばない。
巨人ファンでも阪急ファンでもなかったけどこの試合で山田投手のファンになった阪神ファンです😂⚾
落ちついた実況がいいですね。
今のアナウンサーなら絶叫してそう。
西本幸雄監督は、【サヨナラホームラン打たれたあと】、山田久志投手に【ご苦労やった。ええ試合やったで】と慰めたそうです。
その後、「ヤマ 帰ろうか」と言ったそうだ
なんか泣けてくるな
無茶苦茶かっこいい闘将西本監督
鉄拳制裁もする厳しい方らしいけど、こういう方のもとで働きたいものです。
打った瞬間にもうアナウンサーがさよならホームランと言っていますね。
すごい打球だったことがわかります。
山田さんはマウンド上にへたり込んでしまい。
西本監督がマウンドまでいらして
「ご苦労さんやったな。帰ろうか」
そう言ってくださるまで立てなかったとか。
巨人ファンだった少年時代
昭和51.52年の阪急の強さに涙しました。この経験が山田投手を大きくさせたのだと痛感します。
1発の怖さ、1球の大切さがこのシリーズに出た。
1976年の日本シリーズ第六戦を風邪で小学校休んだのにみてました。あんな勝ち方したのに翌日負けてしまい、阪急の強さが)わかりました。
確かに1976,1977の阪急は別のチームのように強かった。1978のヤクルト戦は巨人に連覇し、パ・リーグ四連覇の奢りで負けたtと思います。
中学生だった。仮病を使って家でTVを見ていた。ホームランの打席で解説していた、青田昇が、この山田っていう若い投手は、いい度胸している。王が当たっていないから内角にストレートをドンドン投げ込んで来る。と言っていた矢先だったと記憶している。
王さんの一振り後、アナウンサーのサヨナラホーマの連呼。
そして、山田さんがマウンドで膝まずくシーンですが、このビデオを何度も見ているけれど、その自分の気持ちに変化が有りました。
山田久志カッコエエです。最高に❗
1988年ドジャースギブソンがワールドシリーズ9回逆転サヨナラ本塁打。アナウンサーは30秒間沈黙。ワァワァ騒げばいいってもんじゃないと思います。
当時のことは記憶に残っているけれど、今こうして改めて映像を見てみると打たれた後の山田のマウンドにうずくまるシーンが印象的です。忘れてはならないのは長嶋が執念でヒットを打ち王に打順を回したこと。そして王の打撃は最早神が乗り移ったというしかないですね。プロ野球史に残る名勝負です。
山田久志さん超ハンサム!!
俳優さん並みにカッコいい!!
ピッチングも正々堂々として侍でしたね山田久志さん
王選手のホームランを打たれてから、山田投手の人生が変わって行きました。打たれた瞬間、立ち上がることができず、監督や福本選手らに抱えられながら、ベンチに戻りました。展覧試合の村山実が最高です。
凄いな···山田さんはここから10年ぐらい経って落合さんとも名勝負を繰り広げて···。
レジェンドに育てられレジェンドになり、レジェンドを育てたんですね···
素晴らしい見解ですね。勉強になりました。
仰る通り。並の投手なら自信喪失して潰れていたかも知れない。だが山田投手はここから見事に立ち直ってパリーグを代表する投手となった。まさしく尊敬に値する❗
山田久志「日本シリーズで初めて巨人に勝って日本一になったとき、当時のチームメイトは巨人に勝って日本一になったって大喜びしてたけど、ONが揃った巨人に勝ったわけじゃないからそこまでの感激はなかった。」
次元さん、V9の時に川上さんに西本さんは勝つチャンスがありましたがプレーオフで負けました。あれが前期、後期でなかったら三年連続6回目の川上巨人と西本阪急だったでしょう。
ところで山田が調子を崩したのは柴田へのフォアボールでなく長嶋さんのヒットの方が大きいと思います。あれでコントロールが崩れた感じがします。長嶋さんの全盛期だと長嶋さんがサヨナラツーランを決めていたと思います。
やはり長嶋さんのインパクトは王さん以上と思います。これほど勝負強い人はもう出てこないでしょう。
@@20105721
長嶋は全てで落合に劣りますよ。
長島の信者さん乙
親父が言うてましたけどゲッツーのシゲと良く言うてました。
@@arizono2
長嶋には「さん」付けだしね笑
まぁ、「~でしょう」「思います」だらけの文章なら
小学生でも書けますから笑笑
私は還暦過ぎたオッサンだけど、自分が見たプロ野球のピッチャーで山田さん以上のピッチャーはいない。昔、日米野球でシンシナティレッズが来日した時にレッズの監督が「山田を連れて帰りたい」と言ったのを今でも覚えてる。
山田さんには失礼かも知れないけど、こんなカッコいい敗戦投手はいないよ。
山田のアンダースローは世界一カッコイイと思う
私は野球部OBではありませんが、当時野球部の奴らが山田さんの真似を
勝者には何もやるなというのは正にこの試合でしたね~こんなにカッコいい敗者はいない😮😢
小学生のとき、学校から帰ってテレビつけたら、長嶋がヒットを打つ場面だった。王が期待どおりに一発打ったシーン以上に、実況の【山田動けません】って言う声が未だに耳に残ってる。とにかく、各球団に最後まで投げるエースがいた時代だった。
この当時は、完投、なか三日なんて当たり前でしたね。してみると、一週間に一日しか投げない今のピッチャーはホントに楽だとおもうのはわたしだけでしょうか?
まったく同感です👍
それでいて給料は高い。今の選手は恵まれている。誰とは言わないがハングリーさに欠けていて何か物足りないんだよな~
短期決戦はどこで流れが変わるか全く分からないとつくづく思います。
回顧漫画で西本監督は落ち込む山田投手にご苦労さん。いい勝負を見させてもらったと声を掛けていました。
王選手が生涯最高のホームランと後日談で言っていた。
山田久志サブマリンでワインドアップやマウンドでのしぐさ佇まいカッコいい!!
名勝負中の名勝負。
王さんの恐ろしさがひしひしと伝わってきました。
からだが重くなるっていう言葉、実感こもってますよね!
やっぱり世界の王は伊達じゃない❗👍😉
普段チャンスに弱いからね
王は日本シリーズMVP一度もない
オラは小学1年生の時、王さんはホームラン王だから「王」って名前なのかと思ってたw
役者が揃ったからこそ、今に語り継がれる名勝負になりましたね。
王さんも「セットポジションになればあるいは」と思ったそうですが。
この打席の前、ウェイティングサークルで素振りをしていた王さんが笑っている表情を映し出した映像を視たことがある。楽しんでいたのか? はたまた余裕の表情だったのか・・やはり凄い人だわ。
後年、このサヨナラホームランを打たれたことで山田投手は伝家の宝刀シンカーを覚えました。
山田投手は、9回の王選手に対する時だけ、ボールを置きにいったような腕の振りですね。これが、ギリギリのプレッシャーなのかもしれませんね。
体が重くなる…っていうのが、本人しか分からない実感ですよね!
この年不調だった王さんですが39本ホームラン打ってるんですよね。次元が違いすぎる
特に後半戦は酷かった。
打率は2割5分ぐらいで、ホームランも12本ぐらいだったんじゃないかな。
その年、長嶋は6度目の首位打者で、後半戦は3割5分打ったんじゃないかな。
ここでパパに打たせてくださいと王さんの娘さんが祈っていたと言うエピソードがあるほど
30年ちょい前、Nunberの「白球伝説」っていう特集で、このホームランが取り上げられてましたね。
記事のキャプションが、「その時、確かに球場が揺れた」だったかな。
緊迫した試合の、たった1球のドラマを表す、名文句だと今でも思うし、それだけの凄い試合ですね。
「その時、球場は確かに揺れた」でした。
この試合覚えています。まさに起死回生の王さんの一発でしたね。
優勝の瞬間、私は父と叔父と一緒に一塁側のスタンドにいました。6歳の時です。ただ、私はレフトスタンドの向こうにあったスカイパラシュートに夢中でした。今は亡き父が嬉しそうな顔をしてたのはよく憶えています。50年以上前の映像が見られるなんて素晴らしいですね。
山田久の悔しがる姿が絵になる。
山田「久」ではない!
山田「久志」や!
日本一カッコいい打たれた後の姿
ここ一番って言う時のONの集中力は凄いですね。
7:23 フライは全部黒江さんに取らせる長嶋さん🤣
そうですね。長嶋さんは足が衰えていたようで、それを自覚していたので後ろに飛んだフライは深追いせずにショートに任せていたようです。
とんでもない野球やってるな…
これは極限の野球ですよ
1971年の王はホームラン39本。その年52試合で26本のホームランを打っていた王。王の最もホームランを打ったシーズン記録の55本を越えるホームランが予想されたが、残りの試合で、わずか13本しか打てなかった。後半の王は王の現役生活で最も大きなスランプだった。日本シリーズのシーン。小6でテレビでみていたが、山田の直球は凄かった。だから、9回裏の1死後の4球の柴田、2死後のセンター前の長島、2死1、3塁のスリーランの王。心臓がドキドキしてみてました。一生の思いでです。
今の巨人に見せてやりたいですね❗️
貴重な映像をありがとうごさいます!
王さんのホームランは、もちろん素晴らしいです。でも、この勝利は、山田さんがいみじくも言われている巨人の強さがもたらしたものです。柴田さんのフォアボール、長嶋さんの粘りのバッティング、柴田さんの三塁までの進塁が、山田さんを追い込み、王さんのホームランに繋がったと思います。川上さんのベンチ前での叱咤激励も効いていると思います。
これは阪急にも、上田監督の時に、長打だけではなく、走塁や進塁打などで、1点でも多く取りに行く野球でした。
つくづく 恐ろしいチームですね V9 当時の 巨人!!
これ、テレビで見てました。飛び上がって喜んだ。
9回2アウト1,3塁で王さん。現代野球なら100%歩かせて、次で勝負かな。それで勝負行く昭和の野球はやっぱ好きだな。山田さんのサブマリンと強気のピッチング最高。
この年王さんはスランプと言っているが1971年は打率こそ.276だが39本塁打101打点で本塁打王と打点王の2冠ですからやっぱり凄いです❗
この年MVPは長嶋だが 首位打者でセ唯一の3割打者だったよーな
ONの時代って著しい投高打低時代だからね。落合が3割5分50本で3冠取ってた時代なら、王さんは3割7分60本とか打ってそうだ。
@@二階堂進-t4d 王さんが今の時代にいてボールがよく翔ぶ東京ドームを本拠地でプレーしていたなら毎年60本塁打は打っていたでしょう🙆
@@山根徹治 70年は王が首位打者ですが3割打者は王だけです 74年くらいまでは3割打てる選手はセ・リーグには毎年4、5人しかいませんでした その二人が基本ONだからONはずば抜けた選手でしたね
1971年のシーズンは❛王貞治レベル❜ではスランプ。毎年目標にしていた❛シーズン40本❜に遂に届かなかった。シーズン中何試合も本塁打がでず苦しんでいた❢
なにこれ❗️❗️現実に生きる醍醐味だ❗️❗️❗️❗️
その後、山田さんはセ・リーグの中日で監督をやり、王さんはパ・リーグに行ってダイエーで監督、ソフトバンクで会長やってる。人生いろいろですねー。
西本監督は、打たれてマウンドに膝まずく山田に
「ご苦労さん..帰ろうか..」
と労ったそうです。
さらに、今日は好きなだけ飲んでこいとと伝えたそうです。
それで打撃不振でも、ホームラン王と打点王の2冠を取った王会長は、凄い。
王会長でない、王選手
ホンマに「世界の王」やな‼️
偶然なんですが、父の🚗のカーラジオでこの瞬間を聞いていました。巨人って凄いなって思いました。でも、山田さんの思いはその後に、日本シリーズで巨人を2年連続退けた。
スーパースターとは、こんな人の事だな、王貞治👍
打った相手が山田久志だから球史に残りました。
この試合後楽園球場で見ていました。偶然行ったのですがいい試合に行かせてもらったと思います。
有難う御座います。
いやーぁ(^^)このシーンはしびれました。
またこう言うジャイアンツを見たいです。
シェアします。
この試合はしびれましたね!
当時は先発完投が当たり前でしたから、こういうドラマチックな結末もありでしたね!
日本シリーズ通算最多敗戦9は
チームを背負う本当のエースで
ないとできない称号
ただ、山田久志投手は、オールスター戦は12勝0敗です。
北別府さんも勝てなかったなぁ
仰る通り。この場面敬遠四球で次打者末次との勝負という手もあったが、敢えて王さんに真っ向勝負を挑んだ山田投手に敬意を表したい。この後パリーグを代表する大投手となったのは至極当然である❗😑
斎藤雅樹も大して勝ってないね。
防御率も悪いし。
この試合は、まさに野球というゲームの❝怖さ❞を思い知らされた一戦だった。日米野球で来日経験もある、元メジャーリーグ捕手のティム•マッカーバー氏が語っていた。「野球というゲームは、時として最後の最後に❝誰か❞の心を打ち砕く様デザインされている」まさしくその通り。名言である❗😲
巨人が日本がみんなが熱くて元気なこの頃 まだ小3で元気な大人たちを見てた時代 一瞬でも行けるなら行ってみたいですね^_^
アンチ巨人の俺はこのころ知らなくて幸せ!!巨人が強かったら日本中が熱いなんて、おまえどこのファン??まさかあほボケカスの●●ファンやないやろのお~??俺の地域に住んでみろ、、昭和も平成も令和のころもそんなこと言ったらす巻きにされて●●湾のヘドロの中に突き落とされてしまうで、日本中やのうて東京近郊やろう??V9のころなんてうちらの周りは、アンチ巨人ばかりで日本シリーズ巨人が勝ったらみんなテレビ消してたと、俺のオヤジも祖父もいうとったで
柴田さんはこのホームランは1番よく覚えていると言っていますね。覚えているホームランは2つ。自分が打った初ホームランとこの時のホームラン。打球も覚えていると。
王さんに打たれた事が成長のきっかけになったと言ってましたね
巨人ファンなのでやった〜!ですがリアルタイムでは観てなかったです。
懐かしい〜
阪急の山田は安定したエースだった。26勝7敗の年は忘れられない!
1976年のシーズンでしたね。
この年はシンカーを駆使した年でしたよ。
@@TMICHI 同じチームの足立から盗んだシンカーですね?
年々下降気味だったところに山口高志が出てきて75年に15勝で並ばれて、其処から奮起したのは凄い。
この年も凄いけど、この翌年はレギュラーシーズン、プレーオフ、日本シリーズの全てでMVPを獲得してる。これもエグイよ⚾
阪急の全盛期ですよね。山田、山口、福本、長池、加藤、蓑田、ウィリアムズ、マルカーノ、
山田投手は、本当は巨人ドラフト1位候補だったんだけど、当時の川上監督がアンダースロー投手じゃダメって事で指名しなかったんだよな。今更ながら指名して欲しかった!
山田は、この悔しさを、黄金期に生かせた。王さんは、流石、繋げた柴田、長嶋は、見事。
色んな意味で、たまらん。
絶好調🎵⚾🧢で「怖いもの知らず」究極のサブマリン投手山田久志がたった一発の逆転サヨナラ3ランで敗戦投手か…。打ったのは当時山田とは逆に絶不調だった世界の王貞治。まさにしびれる勝負だな~。
あの山田投手でさえ、王さんに打たれるとは、さすが世界のホームラン王の貫禄ですね。
王が印象に残るホームラン3本挙げてって聞かれると、このホームラン挙げるからな。あとは756号とプロ入り初ホームラン。
長嶋茂雄さんの打球が、抜けた時、西本さんは、大橋獲得決めたみたいです
オジサン、10歳でした。瞬間覚えてます。山田さんの画像です。後にラジオCMにもなった伝説のシーンです。今はドジャース戦しか見てないですが、RUclipsのおかげで童心に帰れました。
しかし、山田という投手は、体を傾けたオーバースローだったということが、改めてよくわかりました。凄い球ですね。ああいうアンダースローのピッチャーは、その後見てないです。
今で言うと?、山田久志に投げ方が似てるとしたら?、ソフトバンクの高橋礼でしょうか。
本人が「私は手首を立てて投げるので(足立さんのような)アンダースローの投手ではない」と話しています。
不調でシーズン39本打つ男w
次元が違いすぎる
30本打ってるのに引退する男ですからね
@@rindaya99
それは終身打率3割切りたくなかったから
@@arizono2
そう。生涯打率で3割切りたくなかったからというのは
有名な話。
しかしなぁ、王さんのインタビューの中で「今年調子悪かったでしょ。」って言っていたから調べてみたら、
.276 39HR 101打点。OPS1.032 出塁率.435…まぁ確かに長打率は前年度の.713~.597になっていたりするけど、
この成績で調子悪かったって言われるのも凄いな。正直言ってこの成績、今ならシーズンMVPだよ。
やっぱり、王さんは凄い、凄い、凄すぎる。
山田久志さんもこの試合があったから1976年からの3年連続パ・リーグMVPもあったと思います。
王の逆転サヨナラ3ランで巨人が土壇場で大逆転劇をした今も永遠に語り継がれる多くの野球ファンの間に深く印象に残る試合だったのを覚えている。
この試合勝っていれば、阪急は連勝。流れを掴んでいたかもしれなかった。勝負の流れは一瞬で変わってしまう。
9安打7四球を得ながら1-2で敗れた第1戦と、この試合を勝っていれば打倒巨人は5年早く実現したのに。山田は7回途中まで投げた第2戦から中1日の快投だったが最後に落とし穴が…
以後、巨大化した王貞治がベースを回る夢で長年うなされたほどの衝撃だった
シビレました。山田も王も凄すぎて。
このシリーズで注目されてるのは、この「伝説の一打」と福本の封じ込めだけど、一番の敗因は「打線の沈黙」だと思う。
だって、焦点の第3戦は川上ですら「今日は駄目かも…。」って思ったんだよね。
でも、あんなに快投してた山田にリードがたったの「1点」…(涙)。
当日の山田の調子からして、読売は、
リード1点→士気低下(史実)
リード2点→士気喪失
リード3点以上→潰走
となった筈。
もし加藤や長池が爆発してたら、
盗塁がしにくくなっても、福本が二塁打以上の長打を量産出来てたら、
全然違った筈だよ。
第1戦も試合を作った足立を見殺しにして、まともに打ち合ったのは第2戦だけ。
最終戦も、試合を作ってた米田の脚を、エラー絡みで引っ張ってぶち壊しにしてる動画が昔あったし、勿論打線は沈黙…。
これじゃあなぁ…。
初挑戦の昭和42・3年辺りと比べてこの頃になると、経験差や能力差はそんなに感じられず、阪急にもやられたらやり返せる粘り強さが、リードしてたらそれを維持出来るしぶとさが、見てて受け取れる。
でも加藤が「あの頃はよっぽど有利にでもならない限り、勝利の女神が微笑んでくれなかった。」って言ってるように、この差は何なのかね。
読売一辺倒の時代のせいかな?…。
日本人って判官贔屓が好きな筈なのにね。
36年前の10.19なんか、日本中から近鉄に同情票が行ったのになぁ。そろそろ読売負けろって思う人いなかったのかな?
でも、これ阪急取ってたら大金星だよ。翌日は足立。
最終日となった米田も、この頃になると、投げ勝てたり試合を作れるようになって、初期よりかは進歩してるから、最悪後楽園でシリーズ終わったかも。
野球どころか、日本戦後史が動いた一瞬になっただろうなぁ。
この時、王さんはクイックモーションの山田ならタイミング合うので、柴田さんに何があっても出塁せよとたのんだそうだ。
V9時代はずっと巨人ファンだったが、この日山田投手のピッチングは完璧で「今日はやられたな」思った。だが山田投手自身も語っている様に柴田を歩かせて状況が変わった。何とか二死は取ったが続く長嶋の打球がシフトの逆を付いて中前打となる。もし遊撃手阪本が定位置で守っていたら試合終了となっていた筈だ。野球の怖さを思い知らされたというか、まさに❝勝負は下駄を履く迄わからない❞の諺通りの試合だった。
さすが王会長
役者だね〜…王さん、素晴らし過ぎる。長嶋さんは超イケメンだし。
世界の王さんもなかなか色男ですよ❗
長島さんは?、イケメン?つていうより、どちらかと言うと?、顔がかなり濃いように思えます。
山田投手の投球フォームは今見てもかっこいい。
渡辺俊介の方が低いが、フォームはこっちの方が好き。
北出アナ、西田アナの実況は懐かしいが、この試合はTBSの石井智アナで聴きたいです。
「山田動けない、山田動けません」打たれた投手を描写した名実況でした。
失礼しました。実況は岡田実アナでした。
@@wcjapan 1988年WSドジャースギブソン9回2死から逆転2ラン。アナウンサーギブソンホームに帰って来るまで沈黙。さて、わぁわぁ騒ぎ立てる日本のアナウンサーとどちらがよろしいんでしょうか。
石井アナはラジオの担当だったので・・・・
巨人V9時代、ラジオのプロ野球中継は殆どTBSを聴いていました。この試合を担当していた石井智氏を始め渡辺謙太郎氏、岡部達氏等々、あの当時は多彩な表現力を持ったアナウンサー達が揃っていました。
一番カッコいいのは王でも長嶋でもない、真っ向勝負の山田久志!
王に決まっているやろ
@@松本浩一-h1n 自分は巨人ファンだし、王さんや長嶋さんのファンでもある。しかしこの名場面を演出できたのは、山田さんが王さんに勝負してくれたから、歩かせても良かったわけだから、だからそんな山田久志がカッコいいと思っただけさ。
@@松本浩一-h1n
王はチャンスに弱いし事実日本シリーズMVP一度も取ってない
その通り‼️
でも勿論、三冠王も獲ってるし「王氏がチャンスに弱い」とは思わない⚾!
8回まで被安打2、失点0で9回裏にサヨナラホームランは劇的過ぎます
リアルタイムで観てました。確か翌日のスポーツ紙の山田のコメントが「給料の差や」だったと記憶してます。
山田投手も南海の杉浦投手と甲乙つけ難いアンダースローの名投手だと思います。当時の巨人はなんだかんだ言っても目に見えない力があったのでしょう。相手の方から崩れてくれるみたいな。今の巨人軍は自分から崩れてますからね。
両チームの第二戦の先発投手が、中1日で第三戦のマウンドに立つなんて、時代とはいえ考えられないよ、
この試合TVで見てました。
思えばこの年ぐらいから巨人ファンになったのかなー。
6:48 日本シリーズの歴史に残る一枚の写真だと思います。
西本監督は「東映の大橋なら、長嶋の打球を捕れていたのでは…」と考え、阪本・岡村と東映の大橋・種茂という2対2、史上初の同一リーグ同一ポジションのトレードが敢行された。
この試合、当時学生だった私は講義が終わった帰り道に何気に野球が観たくなり友人とふたりでレフト側スタンドにいました。王選手の糸を引くような弾丸ライナーが脳裏に焼き付いています。マウンドにはいつまでも動かない山田投手の姿が印象的でした。最近RUclipsで柴田氏、山田氏の談話を見ていてら柴田氏の興味深い話が聞けました「あれは、単独盗塁だったんですよ。長島さんがヒット・エンド・ランと勘違いしてボール球を無理やり打ちにいったんです」もし、長島選手が勘違いしていなかったら・・・どうなっていたんでしようかね。
やっぱりジャイアンツは強いな(昔の)💪🤭
山田投手はこの時すでにエースの風格十分だが当時はまだ23か24歳だったと思う。
6:48 勝負の世界を捉えた、切なくも最高の写真だ。
前評判は阪急だったんですね。巨人も相当力が落ちてきた頃です。それでもあと二年日本一なる凄さ。V3だって滅ったない偉業なのに。
しかし山田さんもこのときのショックからシンカーを覚えていったんじゃなかったでしょうか。
足立さんはあるとき急に
「わしのシンカーの握りはこうや」
とそれだけ見せてくれたとか。
山田久志曰く「足立さんはシンカーを教えてくれなかった。よく考えると足立さんは手首を寝かせて投げるけど、私は手首を立てて投げる。結局自分で工夫しろという事ですね。私のシンカーは山田久志のシンカーになりました」直接山田久志本人から聞いた話です。