RIDE ON J-WALK. 1986~SUZUKA 8 hours

Поделиться
HTML-код
  • Опубликовано: 14 янв 2025

Комментарии • 6

  • @鈴木正人-g3c
    @鈴木正人-g3c 4 года назад +6

    💿の音源は81年か82年でしたね。
    ポップの話しが聞けるなんて、今ではホント貴重ですね🏍️

  • @petitoyaji1968pro
    @petitoyaji1968pro 2 года назад +2

    わぁ 風よ鈴鹿へ〜って曲しか知らなかったから、先輩にふと聞いたこの曲を検索したら・・・ 知らなかったです♪

  • @豆ひよこ-j1b
    @豆ひよこ-j1b 2 года назад +2

    寮を抜け出して深夜の246を疾走していた頃がなつかしい

  • @tomk837
    @tomk837 5 лет назад +7

    若い頃に戻ってみたいな・・・

  • @vespamandarinia105
    @vespamandarinia105 2 года назад +3

    「柳ジョージとレイニーウッド」のバックバンドをしていた初期のメンバーが、「お前ら十分実力着いたから独立しろ」と言われてメジャーデビューしました。
    当時のプロデューサーに「佐渡(サト)」さんがいて、たまり場のバイク屋の社長の知り合いでした。
    私は「佐藤」なので、よく、「サト」と呼ばれると勘違いしてました。
    佐渡さん、ある意味かなりヤバい人でした。
    DUCATI900MH(マイク・ヘイルウッド・レプリカ)に満足出来ず、事もあろうに…
    RZ350をカリカリにチューンしてもらい、自爆事故を起こすも生還。
    当時のJ-Walkは、バンド活動と並行して、J-Walk Factory(赤地にイタリアントリコロールの同心円のシンボルマーク、ただし、黄色の代わりに金色)と言うレーシングチームのサポートのようなこともしていました。
    佐渡さん、クォーターマイル(ゼロヨン)に挑戦する為に渡米し、中古のマシンの試(死)乗をしました。
    オーナーは素人には、載せらないと突っぱねましたが、「壊したら修理代出す」と言い強行しました。
    しかし、スタート直後に横転し発火炎上。
    本人はほぼ無傷でしたが、マシンは全損。
    修理代どころか、程度の同じマシンを購入する為のお金を払う羽目になりました。
    「鈴鹿8時間耐久レース」にも、「Honey Bee Racing(プライベータだが当時はかなり有力)」にJ-Walkカラーのマシンを提供していたはずです。たしか、HONDA VFR750(RC30?)をチューンしてもらっていたはずです。
    でも、バンドとしての実力は本物。
    中村洸一が、薬物に手を出さなければ、あの歌声がもっと聴けたのに、残念。

    • @つるやすひろ
      @つるやすひろ 2 года назад +2

      そうなんですね、初期J-Walkの楽曲には車のイメージが強いですよね。EXITに収録されていたKIDSの世界観なんかもう憧れまくりました。初期メンバー長島進さんのクレジットがある作品がまったく聞けないのですが何かあったのでしょうか?