秦河勝は虚舟で『神』となり『生島』の東岸に漂着した…

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  • Опубликовано: 15 окт 2024

Комментарии • 20

  • @user-warauakabeko
    @user-warauakabeko 4 месяца назад +9

    ありがとうございます😊幸せです❤
    感謝してます😂めでたい🎉めでたい🎉😊😂

  • @れおママ
    @れおママ 4 месяца назад +8

    ありがとうございます😊

  • @たま-v2e
    @たま-v2e 19 дней назад +1

    母方の江戸後期の先祖が判明し特別な人物でネットで古代からの家系が分り秦牛万呂、弁正、秦朝元が先祖と確認出来ました。最近、彼らの先祖が秦河勝、弓月君と他のサイトの家系図で分かりました。
    蘇我馬子は直系ですが聖徳太子は傍系先祖でした。
    詳しいお話を有難う御座いました。😊

  • @sachikoda146
    @sachikoda146 4 месяца назад +6

    ありがとうございます❤😊

  • @mecom3450
    @mecom3450 4 месяца назад +2

    使徒トマスがインドで布教したという歴史上のエピソードが仏耶一元論の基盤の一つになっています。
    動画で教えていただいた高野山奥之院にいつか彼女の墓参りに行きたいと思います。
    ちなみに2024年に刊行されたちくま新書『隠された聖徳太子』でもゴルドン夫人が言及されています。

  • @チョコ-x2e
    @チョコ-x2e 4 месяца назад +5

    この度も有難うございます🙏
    ただ今回は私にとって は、とても難解でした🤔ダビデの星と五芒星⭐️は、何処か似てませんか?すみません!もっと勉強します😅謎が多い程、面白い✨今世で解き明かせたら☺️

  • @hiroyukit6718
    @hiroyukit6718 4 месяца назад +3

    深いですね。応神天皇もまた気比氏と戸籍を交換したとの記録があり、呂氏だろうとの推測がなされますから、応神天皇も秦氏も源流は同じですかね。

  • @正高-h2y
    @正高-h2y 3 месяца назад +1

    秦河勝が漂着したのは坂越湾から半島を隔てた東隣、相生湾であるとの説もあります。そのことを記した石碑が相生市那波南本町の相生中央公園にあり、その近くにも大避神社があります。

  • @石井健次-h1n
    @石井健次-h1n 4 месяца назад +3

    上宮太子と法隆寺と言う本に出ているかもね。これと飛鳥文化と宗教争乱を近い内にアマゾンでポチる予定です。

  • @チョコ-x2e
    @チョコ-x2e 4 месяца назад +4

    虚船🚢に乾杯🎉

    • @チョコ-x2e
      @チョコ-x2e 4 месяца назад

      何故か?家にマカバ⭐️とゆう六芒星✡️があります💦勿論、レプリカです😅
      ユダヤ人にとっては迫害の⭐️😭

    • @kamitabi
      @kamitabi  4 месяца назад +1

      何時もありがとうございます。
      様々なご意見に対応するがあまり、表現が上手く出来無かった様に思えます。
      もっとご理解頂ける作品になりますよう努力して参ります。
      頑張ります!

    • @チョコ-x2e
      @チョコ-x2e 4 месяца назад

      とんでもございません💦
      私の知識が及ばないだけですので気にしないで下さいね☺️
      深く探れば探る程にそれに相応の知識が必要なものです💡私なんか毎回、手探りですが楽しいしアップされるのが楽しみで仕方ありません👏

  • @mr_yo_Japan
    @mr_yo_Japan 4 месяца назад +3

    明治維新、特に神仏分離は日本史に対する冒涜でしかなかったようにも思います。
    仏教とキリスト教、個人的には日蓮宗(及びその末葉)とキリスト教の類似性を感じています。

  • @鷹の爪団員Tだぜ
    @鷹の爪団員Tだぜ 2 месяца назад +1

    虚舟伝説
    常陸の国の浜に不思議な船が漂着した
    鉄鍋の様な型をしてギヤマン{硝子}で覆われ中に赤毛で異国の衣装を着た高貴な女性がいて文箱の様なモノを持ち決して見せようとしない
    村人は役人に届け様としたが長老が関わり合いに成るなと警告したので漁船で沖合まで引っ張り流した
    これは曲亭馬琴{別名、滝沢馬琴→里見八犬伝の戯作者}
    が夜兎会{当時のインテリ層が集まり面白い話珍しい話を披露する会}
    で語った漂着者を元にした創作話しで在る
    登場した女性は西域王国から中華王朝に輿入れした王女で箱には皇帝に捧げる蚕が入っていた伝説を巧みに取り込んだ
    この有名なUFO状の乗り物は話しを聞いた瓦版屋{当時の東スポ}が絵師に描かせたモノが有名になった 
    同時に掲載されたナゾの文字は西域の文字が伝わるに連れ変化して記号の様になったと云われる
    虚舟伝説は日本中にあり新潟や山陰、九州、瀬戸内海などで多く伝わる
    近年は明治期神戸に流れ付いた話しまで在る😮
    秦河勝とはまるで関係無い伝説で在る

  • @綾部邦彦
    @綾部邦彦 4 месяца назад

    元は日本人(縄文からそれ以前)の一部が大陸に移動し、精神文化や金採掘技術や金属加工を伝えたのが先だと言われる説があり、その文化が発展し再び日本に一部か戻ったのが秦氏でしょう。
    それ以前には、ウガヤフキアエズ朝がある。ウガヤフキアエズ朝から考察すべきです。

    • @socks_cat356
      @socks_cat356 4 месяца назад

      西日本にいた海洋民族(恐らく秦一族)は、中東と貿易をしていたようです。
      ある時、中東の争いで貿易相手の北イスラエルの国王がアッシリアに滅ぼされ
      王族が捕囚されました。そこで、海洋民族は王族を助け出したのだそうです。
      すると王が、「これから私を助けてくれた日本人と一緒に船で東を目指すんだ、
      東の国にとても安全な国がある、そこに新しい平和な国を作っておくから、みんなも東を目指してくれ」と十氏族達の前で言ったとのこです。
      それが旧約聖書に書かれている「約束の地」
      そして、大国主命と王の娘が結婚し、天皇家となったそうです。
      いわゆる天孫降臨。
      伊勢神宮の語り部の方が言われてました