Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
永六輔さんから「ともやん、地名が出てこない京都の唄を創って」と言われてできた楽曲ですね、ほんとに京都の雰囲気が感じられる名曲です。
同じ街に住んでるけど、最近あまり見ない。昔は良く道を自転車で思い切り走ってたり、画廊で知り合いの個展で歌っていたり、良く偶然出会いました。今は目の前で聞きたい!思いっきり聞きたい!高石友也さん
高石さんの歌、そして声が大好き!大好きな京都の街の風景がよみがえり聴いていて、涙が出て来ましたー素敵な歌をたくさん有難うございました🙏心よりご冥福お祈り致します🙏
50年以上も昔のことになりますが田舎からでてきて京都での学生生活。高石さんの歌よく聴きました。懐かしい 。
若い頃のすべてに反抗するような高石さんも、優しい丸顔フォークおじさんになった高石さんも全部好きです。御冥福をお祈りします。
高石さんが逝ってしまった、なんかとても大切なものを失ってしまったような、自分にとっても、今の時代にとっても。大阪での浪人時代、深夜放送の”ズバリク”で高石さんたちの音楽に出会って以来、その突き抜けるような陽気さと軽快な歌たちに、精神的にも随分助けられました。感謝しかありません。何かの折りに、ふと口ずさんでいる歌は107ソングブックの歌たちです。ご冥福をお祈りいたします。
高石ともやさん 今迄ご苦労様でした。ユニークで頭も人間性も良い人で心からお悔やみ申し上げます。歌を聴きながら涙が出る位嬉しかったです。合掌。
やはり何度聴いても胸にじーんとくる名曲です。
お悔やみ申し上げます高石ともやさんを知ったのは、フォークの好きだった主人から、主人もなくなりもうすく2年に街大好きな曲です。素敵な曲をつくってくれてありがとう
高校生の頃、近畿放送のズバリク聞いてました。宵々山コンサートも良かったです。「街」は京都の情緒溢れるとてもいい曲ですね。ご冥福お祈りいたします。
高石ともやさんの唄を聴いて自分を叱咤激励していました! 私の中では、巨星堕つ! ほんまに辛い!
この曲、好きですともやさんの微笑みあるから😊 ともやさんの声がいい。
高石さんの笑顔森山さんのすみきった声生で見たかったです。
ともやさん、長い充実した人生を駆け抜けられました、本当にお疲れ様でした。学生のころから50年以上、折に触れてともやさんの優しい歌声を聞き、癒されたり励まされたりしました。ありがとうございました。合掌
昼休み、以学館前で"若者"が歌っていて、いい歌だなぁ、京都らしい歌だなぁと、耳で聴いて覚えました。大好きな歌です。
70年代の京都祭りのテーマソングでもあったこの歌。素晴らしい歌声の2人のデュエットがよくあっている。
御冥福をお祈りします。ずいぶん前に福岡宮若市で歌を聞かせていただきましたきれいなお声でした、笑顔が素敵でした。
高石ともやさんが2024年8月17日午後3時半、膵がんのため京都市内の病院で亡くなった。82歳。ご冥福をお祈りします。たくさんの名曲をありがとうございました。最近お見かけしたのはコロナ禍前のホノルルマラソンのコース上でした。ともやさんはいつもどおりギターを片手にゆっくり走られてました
訃報を知って久々にこの曲が聴きたくなりました。僕の学生時代にはもう路面電車はなかったけど、歌詞を噛み締めてみると、これ以上に京都を称えた曲はない!世代じゃないけど、桃岩ユースで聴いてこの曲にハマった、って人は割といるかな?
日本列島ズバリリクエスト。通称「ズバリク」聞いてたなぁ。あの頃の生活はテレビよりも、ラジオが中心だった。子供ながらにも聞きながら、手を動かして何らかの作業をしてたんだよなぁ。高石ともやの柔らかい声、今聞いても、やっぱりいいねぇ~。
高石ともやと森山良子日本のフォーク初期から活躍して来た二人だが二人でデュエットするのはこれが初めてだったのではないか、森山良子のハーモニーは流石で高石ともやのハモリも良い!宵々山コンサートで共演していればナターシャセブンとの更に素晴らしいシーンがあった筈である。
友也さん、良子さん、なんて綺麗な声❣️聞き惚れるとはこういうことですね❤
高石ともやとナターシャセブンの中で好きな歌の一つです。
突然の訃報にただただ驚いています。新しいフォークの導き手でした。「一人の手」、「学校でなにを習ったの」、「友よ」が好きでした。今回ほかの方の「街」が好きというコメントがあり、さっそく聴いてみました。私も好きになりました。謹んでご冥福をお祈りします。
高石ともやさんの歌声、笑顔は不思議と心を穏やかにしてくれました忘れる事のない私の人生の1ページのお一人です 合掌
高石友也さんが亡くなられたこと 初めて知りました。子供達が小さい頃夏のコンサート(岐阜県中津川)にも何度か行き、一緒に歌ったことを思い出します。謹んで心より御冥福を お祈り致します
40年も前になるかな。大学の卒業式直前に『サプライズで歌うから』と歌詞を渡され、式終了直前に学科の学生総立ちで歌ったのはホンマに良い思い出。学費を捻出するのにバイトばかりで、あまり行けとらんかったけど、あの季節は今も尚愛おしい。
高石さんと面識はありませんが、高石さんに近い人と親しく、いろんな話を聞かせて貰いました。中でも高石さんは演歌がお上手だったとか。この街という曲、聞くたびに若い頃の好きだった人、京都人のMさん、彼女の事を必ず思い出します。今、どうされているかと思うことも。
高石さん、なくなったときき、おどろきました。いえ、私の心では生きています。ずっとあたたかい心をもって、あなたの歌をともしていきます。
🇯🇵のフォークも実に素晴らしい❗
こういう歌こそ後世に残したい。
本当にそう思います
宵宵宮のコンサート、遠い日の思い出です。でも、忘れません。ありがとうございました。
中学生ですこの曲聴いてる時体全体が癒されます。
京都の地名は一つも入っていない、京都を歌い上げた名曲。後半のメロディは木田さんだったかな?青春時代の想い出です。
懐かしい。小4の時、担任に教えてもらった歌。文集にも掲載された。このメロディ、詞、35年経った今でも覚えてる。当時は熱い先生が多かった。思い出すと胸が熱くなる。
懐かしい!「テレビ予備校」のエンディングテーマでしたよね。よく見ていましたよー!
大学通り流れる川〜♪懐かしいですね。私も観ていました。因みに歌詞中の大学は立命館大学をイメージしているらしいです。
亡くなりました。とても悲しいです。中学・高校のときに、深夜ラジオでよく聴いていたし、ギターでコードを弾いて歌いました。R.I.P.
森山良子の声すばらしい‼️
高石ともやの声もいい。
私の大好きな京都を唄ったとっても素晴らしい曲😀カラオケで練習中です🎤🍺
松浦陸さん私もこの曲には思い出がありますしこの曲が私の合唱人としての私の20歳以降の人生の原点と言っても過言ではありません。
初めて聞かせて頂きました❤
ただの1つも地名を出さないのに、どこががわかる秀逸のご当地ソングとあの永六輔さんが絶賛したという名曲。逆に、同じ京都でもあちらこちらに置き換えることのできる、素晴らしい楽曲でもあります。
京都祭りのテーマソングの依頼を受けた高石さんは、地名を出さないで京都の歌を作ろうと思った。?みたいな話をずっと前にどこかで読んだ気がします。高石さんの歌の中で特に好きな曲の一つです。
綺麗な、メロディ、ありがとう
そうなんだよね。そうそう。
この曲は学生生活の分岐点かつ今の原点の曲です。36年前、立命館大学入学直後、応援団からの相当強引な勧誘を避けるため避難した鉄道研究会になぜかその後お世話になるのですが実はそこにはドラマがあり鉄研に入る為新歓会場に向かう途中、また応援団からの勧誘を受け、漸く交わしたのも束の間存心館(そこが会場)に入った直後、今度は合唱団「若者」さんの美人のお姉さんから熱心な、それでいて少しも強引で無い誠実そのものの誘いを受け、時間があった事もありそちらに行ったものの、その頃には鉄研に入る気になっていたので、一度抜けて「必ず戻ります」と言って鉄研に行き、説明後、そこにいた全員が入会後花見に行く中、ただ一人入会を保留にして若者さんの会場に戻り、再度説明を受けました。そしていよいよ意思表明を迫られた時せめて自分の順番は一番最後にして欲しい。と言って熟考タイムここで決心がグラグラ揺れたのですが結局入学式で宣言した鉄研入会を決め若者の皆さんにもう泣きながら断りを入れました。この曲はその時聴いた曲です。ちなみにこの話には更に続編、この続編こそが今日の私が合唱に関わる原点になったのですが(ちなみにその間、マルクス経済研究会が応援団級の強引さで横槍入れた為、内紛もあって鉄研入会が再度保留になった外伝もあるが😅)翌々日夕方、今度は新歓コンパのお誘いを受け又若者さんの皆さんと四条大宮の会場に移動私自身一度断った私をなぜ?と言う疑問があったのでその疑問をぶつけたのですが、帰ってきたのはおっとう(私のあだ名)が絶対戻ってくると信じていたし、その気持ちは今もこれからも変わらない。とまで言われなんなら私(勧誘してくれた女性)と中に鉄研作りましょうか?と物凄い発言も飛び出しました。結局この「街」を泣きながら歌って散会したのですが別れ際もし鉄研が嫌になったらいつでも来てね。私達はいつでも歓迎するからとまで言われもう申し訳無くて飲んだ酒全部涙に流して帰宅した。そんな思い出のある曲です。
森山良子さん歌うますぎ。
声が素晴らしい。永さんも、!
ともやさん、ご冥福をお祈りします🙏
京都に出てきて先輩に教えてもらった歌。路面電車が走るのが最後だったな…。京都に住んで45年…結婚して息子を二人産んで…この街が大好きです❤️
この曲こそ紅白のトリで歌って欲しい曲です。
大学通りは京都大学、流れる川は鴨川、走る路面電車は市電、背の低い山は吉田山、そして君と僕の明日。曲の終盤になるといつも涙ぐむ自分がいます。京都生まれの京都育ち、まさに私の青春の歌です。
山影の細い道は、哲学の道?
@@りんろん-b1n詞を書いた永六輔さん、デュークエイセスの「女ひとり」では場所・名称を入れましたが、この曲の詞には一切それらを入れませんでした(京都人にとっては京都ですが)。山影の細い道はやはり哲学の道でしょうね(笑)
昨晩、一年の締めくくりに恒例のコンサートでこの歌をシングアウト。
立命のキャンパスで歌った。路面電車が走ってた最後の時代。
私が立命館大学入学後校歌より先に覚えて泣きながら歌った曲です。
私は1981年同大に入学し この歌に出会い京都市の女性と出逢いその後結婚し40年余り今だにこの歌が私どもの心の歌になってます。by青森市
私も 立命の衣笠グランドであったコンサートに行った記憶があります!学祭でしたでしょうか?私は中学生でしたが 印象に残る良いコンサートでした。同じときだったかもしれませんね。
高石ともやさんのご冥福をお祈りします。
美声デュオ!🥰
君がいればどの町でも好き。
「NHKみんなのうた」で放送されないかなあ。
シェアさせて戴きます。
アニ~~~!
プラタナスの道も背の低い山もあるけれど路面電車はもうない。
京都人の家内が「京都の当時の風景」と後年言ってましたね。
地名がないけど京都のご当地ソング、いけずにもほどがある⁉️
思い出したくない思い出が、、、、
でも坂庭省吾はいない(涙)
ご冥福をお祈りします。
すみません、やっぱり直太朗は良子を超えられません…。
歌ってさあ、こういうのを言うのね。歌っていいね。
今の京都にはないのでは? 市政?
経済界
高石ともやさんの『受験生ブルース♪』がヒットした時代、受験戦争で4当5落と言われ、4時間の睡眠なら合格、5時間なら落ちるとの例えかあったくらいで、徹夜で勉強し、国立大学に合格しました。高校時代はフォークダンスの授業が校庭であり、好きな女学生と手を繋いだ時はドキドキが止まりませんでした 笑。高石さんはフォークソングの先駆者でした。直後、フォーククルセダーズや森山良子さんが大人気になりました。親に金を出してもらいギターを買いました 笑。この頃、ベトナム戦争もあり、反戦のフォークソングも流行りました。森山良子さんのリサイタルが名古屋であると必ずいきました。『さとうきび畑♪』に涙し、ラストソングの『今日の日はさようなら♪』を聞いて涙していました。お二人の歌を聞いて、青春がよみがえりました。我が青春悔いなしです。ありがとうございます‼️
高石ともやさんのご冥福をお祈りいたします。
永六輔さんから「ともやん、地名が出てこない京都の唄を創って」と言われてできた楽曲ですね、ほんとに京都の雰囲気が感じられる名曲です。
同じ街に住んでるけど、最近あまり見ない。昔は良く道を自転車で思い切り走ってたり、
画廊で知り合いの個展で歌っていたり、良く偶然出会いました。
今は目の前で聞きたい!
思いっきり聞きたい!
高石友也さん
高石さんの歌、そして声が大好き!大好きな京都の街の風景がよみがえり聴いていて、涙が出て来ましたー
素敵な歌をたくさん有難うございました🙏
心よりご冥福お祈り致します🙏
50年以上も昔のことになりますが田舎からでてきて京都での学生生活。高石さんの歌よく聴きました。懐かしい 。
若い頃のすべてに反抗するような高石さんも、優しい丸顔フォークおじさんになった高石さんも全部好きです。御冥福をお祈りします。
高石さんが逝ってしまった、なんかとても大切なものを失ってしまったような、自分にとっても、今の時代にとっても。大阪での浪人時代、深夜放送の”ズバリク”で高石さんたちの音楽に出会って以来、その突き抜けるような陽気さと軽快な歌たちに、精神的にも随分助けられました。感謝しかありません。何かの折りに、ふと口ずさんでいる歌は107ソングブックの歌たちです。ご冥福をお祈りいたします。
高石ともやさん 今迄ご苦労様でした。ユニークで頭も人間性も良い人で心からお悔やみ申し上げます。歌を聴きながら涙が出る位嬉しかったです。合掌。
やはり何度聴いても胸にじーんとくる名曲です。
お悔やみ申し上げます
高石ともやさんを知ったのは、フォークの好きだった
主人から、主人もなくなりもうすく2年に
街大好きな曲です。
素敵な曲をつくってくれて
ありがとう
高校生の頃、近畿放送のズバリク聞いてました。宵々山コンサートも良かったです。「街」は京都の情緒溢れるとてもいい曲ですね。ご冥福お祈りいたします。
高石ともやさんの唄を聴いて自分を叱咤激励していました! 私の中では、巨星堕つ! ほんまに辛い!
この曲、好きです
ともやさんの微笑みあるから😊
ともやさんの声がいい。
高石さんの笑顔森山さんのすみきった声生で見たかったです。
ともやさん、長い充実した人生を駆け抜けられました、本当にお疲れ様でした。
学生のころから50年以上、折に触れてともやさんの優しい歌声を聞き、癒されたり励まされたりしました。
ありがとうございました。合掌
昼休み、以学館前で"若者"が歌っていて、いい歌だなぁ、京都らしい歌だなぁと、耳で聴いて覚えました。
大好きな歌です。
70年代の京都祭りのテーマソングでもあったこの歌。
素晴らしい歌声の2人のデュエットがよくあっている。
御冥福をお祈りします。ずいぶん前に福岡宮若市で歌を聞かせていただきましたきれいなお声でした、笑顔が素敵でした。
高石ともやさんが2024年8月17日午後3時半、膵がんのため京都市内の病院で亡くなった。82歳。ご冥福をお祈りします。たくさんの名曲をありがとうございました。最近お見かけしたのはコロナ禍前のホノルルマラソンのコース上でした。ともやさんはいつもどおりギターを片手にゆっくり走られてました
訃報を知って久々にこの曲が聴きたくなりました。
僕の学生時代にはもう路面電車はなかったけど、歌詞を噛み締めてみると、これ以上に京都を称えた曲はない!
世代じゃないけど、桃岩ユースで聴いてこの曲にハマった、って人は割といるかな?
日本列島ズバリリクエスト。通称「ズバリク」聞いてたなぁ。
あの頃の生活はテレビよりも、ラジオが中心だった。
子供ながらにも聞きながら、手を動かして何らかの作業をしてたんだよなぁ。
高石ともやの柔らかい声、今聞いても、やっぱりいいねぇ~。
高石ともやと森山良子
日本のフォーク初期から活躍して来た二人だが二人でデュエットするのはこれが初めてだったのではないか、森山良子のハーモニーは流石で高石ともやのハモリも良い!宵々山コンサートで共演していればナターシャセブンとの更に素晴らしいシーンがあった筈である。
友也さん、良子さん、なんて綺麗な声❣️聞き惚れるとはこういうことですね❤
高石ともやとナターシャセブンの中で好きな歌の一つです。
突然の訃報にただただ驚いています。
新しいフォークの導き手でした。
「一人の手」、「学校でなにを習ったの」、「友よ」が好きでした。
今回ほかの方の「街」が好きというコメントがあり、さっそく聴いてみました。私も好きになりました。
謹んでご冥福をお祈りします。
高石ともやさんの歌声、笑顔は不思議と心を穏やかにしてくれました
忘れる事のない私の人生の1ページのお一人です
合掌
高石友也さんが亡くなられたこと 初めて知りました。子供達が小さい頃夏のコンサート(岐阜県中津川)にも何度か行き、一緒に歌ったことを思い出します。
謹んで心より御冥福を お祈り致します
40年も前になるかな。大学の卒業式直前に『サプライズで歌うから』と歌詞を渡され、式終了直前に学科の学生総立ちで歌ったのはホンマに良い思い出。学費を捻出するのにバイトばかりで、あまり行けとらんかったけど、あの季節は今も尚愛おしい。
高石さんと面識はありませんが、高石さんに近い人と親しく、いろんな話を聞かせて貰いました。中でも高石さんは演歌がお上手だったとか。
この街という曲、聞くたびに若い頃の好きだった人、京都人のMさん、彼女の事を必ず思い出します。
今、どうされているかと思うことも。
高石さん、なくなったときき、おどろきました。いえ、私の心では生きています。ずっとあたたかい心をもって、あなたの歌をともしていきます。
🇯🇵のフォークも実に素晴らしい❗
こういう歌こそ後世に残したい。
本当にそう思います
宵宵宮のコンサート、遠い日の思い出です。
でも、忘れません。
ありがとうございました。
中学生ですこの曲聴いてる時体全体が癒されます。
京都の地名は一つも入っていない、京都を歌い上げた名曲。
後半のメロディは木田さんだったかな?
青春時代の想い出です。
懐かしい。小4の時、担任に教えてもらった歌。文集にも掲載された。このメロディ、詞、35年経った今でも覚えてる。当時は熱い先生が多かった。思い出すと胸が熱くなる。
懐かしい!
「テレビ予備校」のエンディングテーマでしたよね。
よく見ていましたよー!
大学通り流れる川〜♪懐かしいですね。私も観ていました。
因みに歌詞中の大学は立命館大学をイメージしているらしいです。
亡くなりました。とても悲しいです。中学・高校のときに、深夜ラジオでよく聴いていたし、ギターでコードを弾いて歌いました。
R.I.P.
森山良子の声すばらしい‼️
高石ともやの声もいい。
私の大好きな京都を唄ったとっても素晴らしい曲😀カラオケで練習中です🎤🍺
松浦陸さん
私もこの曲には思い出がありますし
この曲が私の合唱人としての
私の20歳以降の人生の原点
と言っても過言ではありません。
初めて聞かせて頂きました❤
ただの1つも地名を出さないのに、どこががわかる秀逸のご当地ソングとあの永六輔さんが絶賛したという名曲。逆に、同じ京都でもあちらこちらに置き換えることのできる、素晴らしい楽曲でもあります。
京都祭りのテーマソングの依頼を受けた高石さんは、地名を出さないで京都の歌を作ろうと思った。?みたいな話をずっと前にどこかで読んだ気がします。高石さんの歌の中で特に好きな曲の一つです。
綺麗な、メロディ、ありがとう
そうなんだよね。そうそう。
この曲は学生生活の分岐点かつ今の原点の曲です。
36年前、立命館大学入学直後、応援団からの相当強引な勧誘を避けるため避難した鉄道研究会になぜかその後お世話になるのですが
実はそこにはドラマがあり
鉄研に入る為新歓会場に向かう途中、また応援団からの勧誘を受け、漸く交わしたのも束の間
存心館(そこが会場)に入った直後、今度は合唱団「若者」さんの美人のお姉さんから熱心な、それでいて少しも強引で無い誠実そのものの誘いを受け、時間があった事もありそちらに行ったものの、その頃には鉄研に入る気になっていたので、一度抜けて「必ず戻ります」と言って鉄研に行き、説明後、そこにいた全員が入会後花見に行く中、ただ一人入会を保留にして若者さんの会場に戻り、再度説明を受けました。
そしていよいよ意思表明を迫られた時
せめて自分の順番は一番最後にして欲しい。
と言って熟考タイム
ここで決心がグラグラ揺れたのですが
結局入学式で宣言した鉄研入会を決め
若者の皆さんにもう泣きながら断りを入れました。
この曲はその時聴いた曲です。
ちなみにこの話には更に続編、この続編こそが今日の私が合唱に関わる原点になったのですが(ちなみにその間、マルクス経済研究会が応援団級の強引さで横槍入れた為、内紛もあって鉄研入会が再度保留になった外伝もあるが😅)
翌々日夕方、今度は新歓コンパのお誘いを受け
又若者さんの皆さんと四条大宮の会場に移動
私自身
一度断った私をなぜ?
と言う疑問があったので
その疑問をぶつけたのですが、帰ってきたのは
おっとう(私のあだ名)が絶対戻ってくると信じていたし、その気持ちは今もこれからも変わらない。
とまで言われ
なんなら私(勧誘してくれた女性)と中に鉄研作りましょうか?
と物凄い発言も飛び出しました。
結局
この「街」を泣きながら歌って散会したのですが
別れ際
もし鉄研が嫌になったらいつでも来てね。私達はいつでも歓迎するから
とまで言われ
もう申し訳無くて飲んだ酒全部涙に流して帰宅した。
そんな思い出のある曲です。
森山良子さん歌うますぎ。
声が素晴らしい。永さんも、!
ともやさん、ご冥福をお祈りします🙏
京都に出てきて先輩に教えてもらった歌。
路面電車が走るのが最後だったな…。
京都に住んで45年…結婚して息子を二人産んで…この街が大好きです❤️
この曲こそ紅白のトリで歌って欲しい曲です。
大学通りは京都大学、流れる川は鴨川、走る路面電車は市電、背の低い山は吉田山、そして君と僕の明日。曲の終盤になるといつも涙ぐむ自分がいます。京都生まれの京都育ち、まさに私の青春の歌です。
山影の細い道は、哲学の道?
@@りんろん-b1n詞を書いた永六輔さん、デュークエイセスの「女ひとり」では場所・名称を入れましたが、この曲の詞には一切それらを入れませんでした(京都人にとっては京都ですが)。山影の細い道はやはり哲学の道でしょうね(笑)
昨晩、一年の締めくくりに恒例のコンサートでこの歌をシングアウト。
立命のキャンパスで歌った。路面電車が走ってた最後の時代。
私が立命館大学入学後
校歌より先に覚えて泣きながら歌った曲です。
私は1981年同大に入学し この歌に出会い京都市の女性と出逢いその後結婚し40年余り今だにこの歌が私どもの心の歌になってます。by青森市
私も 立命の衣笠グランドであったコンサートに行った記憶があります!学祭でしたでしょうか?
私は中学生でしたが 印象に残る良いコンサートでした。
同じときだったかもしれませんね。
高石ともやさんのご冥福をお祈りします。
美声デュオ!🥰
君がいればどの町でも好き。
「NHKみんなのうた」で放送されないかなあ。
シェアさせて戴きます。
アニ~~~!
プラタナスの道も背の低い山もあるけれど路面電車はもうない。
京都人の家内が「京都の当時の風景」と後年言ってましたね。
地名がないけど京都のご当地ソング、いけずにもほどがある⁉️
思い出したくない思い出が、、、、
でも坂庭省吾はいない(涙)
ご冥福をお祈りします。
すみません、やっぱり直太朗は良子を超えられません…。
歌ってさあ、こういうのを言うのね。歌っていいね。
今の京都にはないのでは? 市政?
経済界
高石ともやさんの『受験生ブルース♪』がヒットした時代、受験戦争で4当5落と言われ、4時間の睡眠なら合格、5時間なら落ちるとの例えかあったくらいで、徹夜で勉強し、国立大学に合格しました。高校時代はフォークダンスの授業が校庭であり、好きな女学生と手を繋いだ時はドキドキが止まりませんでした 笑。高石さんはフォークソングの先駆者でした。直後、フォーククルセダーズや森山良子さんが大人気になりました。親に金を出してもらいギターを買いました 笑。この頃、ベトナム戦争もあり、反戦のフォークソングも流行りました。森山良子さんのリサイタルが名古屋であると必ずいきました。『さとうきび畑♪』に涙し、ラストソングの『今日の日はさようなら♪』を聞いて涙していました。お二人の歌を聞いて、青春がよみがえりました。我が青春悔いなしです。
ありがとうございます‼️
高石ともやさんのご冥福をお祈りいたします。