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秀吉と弥助を同列で論じるのは、完全無欠のどあほうです。少なく見積もっても、天文23年~天正10年(1554~1582年)の30年弱仕え続けて実績を出し続けていたという超古参ですからね?
てか秀吉はそれこそ足軽スレスレの中間(最新から足軽相当説もあるんだっけ?)からキッチリ功績立てて出世してるからなぁ。天下人になってから普通に持ち上げ工作してるから分かりにくくなってるのはそうだけど、美濃攻略時の功績もハンパない(墨俣構築維持だけじゃなくて美濃国人衆の攻略もやってる)からそりゃ老中級だわなと。
弥助はバレンティンじゃなくてつば九郎だよね。ユニを着てる人気のあるヤクルトの一員なのは間違いないが、選手ではない。
つば九郎はちゃんと球団から給料をもらってるしユニホームを着て球場で活躍する事もあるしマウンドにもバッターボックスにも立つことがあるが、選手としての給料じゃないし試合でバッターボックスに立った訳ではないし選手のようにユニフォームに対しての制限もないつば九郎は選手なのかどうかという議論と弥助は侍かどうかの議論は似ているつば九郎を選手と認めると選手の定義が揺らぐことになる
@@川上昇 んで『つば九郎は不名誉な存在で都合が悪い』『だから選手…いいや景気良くバレンティンって事で押し通そう!』になるのが本当に酷い
「一般化」は確かに大事。ようするに「普通に状況を考えてみた場合に違和感が生じないか」だもの。あの時代であれ、現代であれ、残っている一次資料に数行しかない弥助を見た場合、「彼が本当に侍だった」であれば、弥助が取る行動は二択しか無くなる。1.明智の仲間になる2.侍として討タヒするか切腹するまた、「弥助が侍だった」場合だと明智のような身分の者が取る行動も二択。1.弥助を仲間に引き入れる2.その場で処分(仇討回避の為)両方に当てはまらず、一次資料から読み取れた上で「違和感無く考えられる」のは「弥助は侍ではなかった(脅威ではなかった)ので、降伏し、南蛮寺に返された」
平山氏は、論破諦めたみたいで恫喝しまくってますな(笑)
典型的なアカだよね。これからは集合知で、トラロープを買いにいくまで追い詰めていい、そうすれば次の世代にポストが空く
アレはスクショして、所属大学に問い合わせていいと思う。夏休みだけど···
@@Makeneko-w5p 学校再開まで二週間半すね
誰彼構わずレスバした結果、歴史畑の人間が沢山紛れてて論破されまくった・・・という前回の失敗から多少は学んだみたい失言した相手に後手で仕掛ける方式かつ、引用リプを多用することで信者を呼び寄せ援護させる戦法に切り替えてるまあそれでも形勢不利になって逃げてるシーンあったけど・・・
@@801-f8s 図書館はやってるから、論文実在するかは確認できるはず。
平山氏をはじめとする、岡氏擁護派もこうやって順序立てて説明すれば炎上せんかっただろうに…
ただのロジカルシンキングなのにね…
言語学畑では無理ですよ。だってあれ、徹頭徹尾「印象とニュアンスの解釈だけ」の学問なのですから。既に固定された範囲であれば、必要なのは辞書であって学者・研究者ではない分野です。
言語とコミュ二ケーションの学問のはずなのに、言葉の通じない不思議。ビューンと来た球をバーンとうつというか、戸田奈津子かよというか……
いやいや、知識と肩書をUBI(ロックリー)養護の手段として使ってるだけだからね既定路線だよ
あれは、基本的、常識的な論理をおろそかにしながら、学術の権威を振りかざして、我田引水的行為をしてしまったから、一気に一般人に「闘志」をかき立ててしまいましたよ。「一般人」といっても、文学部で日本史や国文学を専攻した学士、修士や、地方史など特定分野に詳しい在野の研究者たちも少なくないのに。
うわ分かりやすくて凄い為になる。ありがてぇ。確か当時のポルトガル事典(日葡辞書)では武士を軍人、侍を貴人と訳してたので定義が曖昧になったとはいえ武士より侍のほうが狭義だった可能性は高いですね。
アサクリ問題は多岐にわたって複雑だけど、日本の文系アカデミック研究がこれでいいのか…みたいな問題もありそう
11:00 で武田家の文書の「例外」で、起請文に姓名の無い事例に言及があります。これについては、ある番組のコメ欄で、その起請文と一族の具体名を挙げて、それは特定の一族の人名が列挙されている個所であり、自明であるから省略されただけ、という指摘をされる方がいらっしゃいました。確か、自分でも検索してみて、なるほどと思った記憶がありますが、今思い出せるほど定かではありません。常識的には、侍は与力の場合を含めて、どこかの家中に帰属し仕えているものだから、主家に姓名があるように、その人にも姓名がなくては、その人の社会的立場はなくなってしまうように思います。
平山氏があげていた生島足島神社起請文ですね。義信事件で揺らいだ家中の統制のための起請文で、武田家の有力家臣が提出しています。ご指摘のコメントを私も拝見しましたが趣旨は、(1)一党の起請文なので姓が省略された。代表者名が半右衛門「尉」と通称であるのが傍証。(2)おそらく原大隅守虎吉(通称 半右衛門尉)の原一党。原大隅は千葉原氏の出で甲斐の土着ではないので、信濃で在番をしています。平山氏は信濃の小泉重永の郎党なので陪臣の比較的下位の士分ではないかとしていましたが、武田家では馬上侍でも与力なら郎党と称することがあるので、下位の士分とは断言できませんし、起請文のそもそもの趣旨に反します。名字が無いのは83通の起請文の1通だけで、他の起請文は苗字が違う侍が記載しているのがほとんどです。少なくとも平山氏の「名字のない侍は普通にいた」主張は検証不足で断言はできません。
@@junokamoto-q5d 解説、ありがとうございます。専門、非専門を問わず詳しい方々が多いので、心強いです。
@@junokamoto-q5d ありがとうございます。この解説ではっきりしました。
私の知っている歴史家の方が言ってました。歴史に関わり専門性が高くなれば高くなるほど、自分の頭の中の歴史に関する知識が固定化してしまい、こんな事例があるから、これもそうだろうと決めつけてしまいがちになると
渡邊大門さんも記事でほぼ同じ事を言ってました。しかも専門家(確定しない事は断言しない)としてはかなり強めの表現でした。
この動画に対して、弥助侍派は「戦国時代の侍の定義は曖昧だから、弥助は侍と言っていい」って感じの論調なんだよなぁ社会的地位を持っただけの人が定義を引っ掻き回して都合のいい解釈で発言し、それをもって史実と主張して何らかの利益を得ている集団が居るような構図が気持ち悪い
だから逆を考えるんだよね弥助=侍を一般化してしまうと同じ待遇の他の人たちまで侍という事になってしまう秀吉の例でも秀吉を侍として取り立てたのではなく侍だった秀吉を取り立てた事になる訳で色んな事に矛盾が出てきておかしくなるつまり一般化できないという事になる
武士かは不明だけど、擁護派が主張するような身分が高い侍ではないという……ただ記録からすると、『弥助は武士じゃないほうが本人の名誉守られる』ってコメントがしっくりくるんだよね…
@@蛍月夜に君の名を伝説の侍が、相手側の大将から「問題にならん!」と放逐されていて、めっちゃ恥ずかしいんだが。当時の侍は生死や怪我云々より、名誉や勲功、武勲を重んじた筈なんだけどね。一番槍なんて死ぬ確率が高いのに、皆が目指すんだから。
まず弥助侍派やめて?そんな今出来た集団に市民権与えないでくれない?
でも実際、そうだからな武士という括りの中では侍と武士は明確な違いがあるけど一般人からみたら全部まとめて武士って言っていた時代だし現代だって侍映画やドラマの主人公も浪人や町奉行の同心(身分は足軽)、剣客とか身分的に侍じゃない人を侍と言ってるから侍=戦士、剣士、傭兵という意味で受け取ったとしても無理もないことそういう意味での『弥助は侍』なら間違いとも言い切れない。信長公記の尊経閣文庫版の記述は弥助が武士扱いだったことを示していることは学者の呉座勇一や平山優も一致しているのだから『弥助は武士(あるいは武士扱いされていた)だけど侍(殿と呼ばれる上級武士)ではない』というのは共通認識だと思うこの問題の本質は弥助が侍かどうかではなく日本人の知らない所で日本の歴史のデマが拡散されてることだと思う。弥助は侍じゃないというのではなく弥助は英雄じゃない最強の存在じゃないという方向で否定しないといつまでたっても問題の根本にたどり着けないし、海外での弥助も永遠に誤解されたままになってしまう
平山氏は他の研究者から、恣意的な拡大解釈が過ぎる。と指摘されてたのを見た覚えが…
国衆ってそもそも群規模であっても戦力を提供できる程度には支配階級の人達なのでそこに弥助を同列に当てはめるのは乱暴だなぁって感じですよねー
まあ知識をぶつける事で、とりあえず黙らせようとしてるだけだからなぁ本気でそう思ってる訳ではないと思う目的のための手段だよだからバカみたいなことが言えるんだよ崇高な目的の為に知識と権威を手段として使ってるので俺は馬鹿じゃないと言いたいんだよ
私が理解出来ないのは、二次史料でしかないイエズス会の日本年報を根拠とすることです。他の史料で裏付けられていない事柄に関しては、妄想のネタ以上にはなり得ないと思うのですが。
とても論理的で私のような無学な者でも、分かりやすくなるほどと納得出来る内容でした。学者や研究者というのはこのように論理立てて説明するもの、もしくはするべきと思ってましたが…
すばらしい…この件でモヤモヤしてた部分を気持ちよく整理してくれたなぁと思います!ひとつだけ…定義づけは持論の展開において重要ですが、他者との議論にはそれをふまえて、前提条件の統一、をしなくては…と思います前提条件をどう統一するかでまずひと議論あって、そこから本題…が、建設的なディスカッションのあり方かなぁと「徴兵されて石つぶてをもって参戦した農民」も「侍は侍」とする方がいれば、その時点で議論はかみ合わなくなるんですよね…「侍か否か」の前に「論に参加する全員で侍をどう定義するか」を議論すべきなのにそれがすっとんでるそれがこの件の気持ち悪さの一つでしょうね…ロックリー氏・岡氏などにみられる史料提示の不備はもう…いうまでもないことですが…
捕縛された後は南蛮寺に送られたとあるから光秀側からも信長勢の重要な家臣、配下とは見なされてなく放逐しても無問題なただの召使いくらいの地位でしかなかったんかと。
同意。擁護派は“弥助は地位が高い侍”って主張してるけど、そんな立場だったら間違いなく本能寺でやられてるはずなんだよね。やられてなくても、そんな地位の人が本能寺にいて主君である信長を守れなかったとか不名誉でしかないのに。
正直、弥助問題って外人が「名のある武士や人物から功績や武勲、立場を奪って弥助に与えてこれが史実!日本人が反論してる?なりすましっすよwだってこれが真実なんだから!」って調子に乗って日本の歴史改竄してたことが問題なのであって、その辺を全く知りもしないで侍かどうかって話だけ割って入って来た学者先生たちは正直ノイズでしかないんだよな日本人が「厳密には違うけど、侍って言ってもいいのでは?」なんて言ったが最後海外で「弥助は侍!日本最古で最強の黒人侍!日本のトップに上り詰めて日本人はみんな弥助が大好き!俺たちは正しい歴史を知ってる!」って実際に変換されてるので、責任取って拡散されたツイートや動画に一個ずつコメントつけて修正してこいよってなるんですよ。
我々なんかは薄々知ってはいたけども、外国人が平均的にはかなりのア...物知らずだということを、学者先生は認識しておられないようなんですねだからまさか弥助を侍と言ってもそんな曲解されるわけないって考えてるので、そもそこを理解してもらわないと何にもならんのです
@@荒ぶるおじさん-k1f 実際、みるまであのレベルだと思ってなかったよ。なかなかショッキングだったね。
@@ny6233どっかでも言いましたけど、弥助が侍かどうか疑わしいって言ったら、外国人に弥助のアニメ見たことないのかって言われましたからねw
文系博士というと、某岡氏もだからなあ……ああいう人がいると、文系博士とか東大史料編纂所とかの看板がトンデモ系やガッカリ系に思えて困るよね。
8:43 理系の国公立出身だけどこれ卒論の時に耳タコレベルで言われたわ。博士どころか学士レベルでも常識だと思ってた。
同感だわ。こう思いますで論文書かれて提出されたら書き直せだよね。
学士どころか専門系の高校ですら基本は同じじゃないかな・・・
確証バイアスに陥る可能性については、いくら心配してもし過ぎる事は無い。直観、ひらめきの類を語る自由は誰にでもあるが、肩書きと部分的な専門知識を使って証拠の乏しい仮説に信憑性を底上げする行為は学術的な誠実さに欠ける行為だろう。悪意は無いのだろうけど、であればこそ、学究の徒としての自覚を欠いていそうに見える。個人的な思いをきちんと切り分けず、全てを同一平面上に置いて語った安直さによって、コンテンツとしての弥助は既に死んでしまったも同然だ。弥助推しの人達らは自分達の軽率さを悔やむでもなく、自分達の解釈を受け入れない社会の方を恨む他責思考に寄っているのが一番救えない。
うわぁぁ僕の経歴を否定するなぁぁぁぁぁっ!って感じの人見たなアンチ黙らせるなら証拠出しゃ一発なのにな
経歴だけじゃなく顔も真っ赤と
ポニー・キャニオンのお笑い芸人さんの事かな?笑
弥助が、侍か否かという身分(状態)よりも、勝手な思いなしで歴史上の活躍をさせていること(行動)の方が、何よりも問題。身分という些末な点の争いよりも、勝手に延長して歴史上の線にしていることが、一番まずい。 信長の首を預かったとか、子孫が幕末にいたとか、勝手な延長を事実として流布している。苦労したであろう弥助には悪いが、日本の歴史が大きな川の流れとすれば、大局の流れには全く影響しない河原の小石でしかない。
知識を還元するのも教育者の仕事。研究者はコミュニティーに還元しないとダメ。素晴らしい信念です。ありがとうございました。
個人的に侍って若党とか徒士程度以上で、現代だと伍長(Corporal)とか下士官(Noncommissioned Officer)以上だと思ってる、勿論、戦国時代と今の軍隊の階級は違うから、単純比較できないだろうけど(というか現代でも国ごとに階級が違うし。) その上で、いくら体格が良くても文字の読み書きどころか、言葉も怪しい奴が15ヶ月で下士官に、しかも日本で伝説になるレベルになれるかというと...
知識のある人が知識のない人に対して、定義づけやその一般化を考慮しないで議論をするのは、ある種の「暴力」少なくとも卑怯な振舞いと感じた。わかりやすい動画をありがとうございます。
非常に論理的で納得できる解説でした。わかりやすい説明ありがとうございました。
全く持って同感。通常戦闘しないものが非常時に自衛のために戦ったとしても戦闘員と呼ばないように、たとえ明智兵と戦ったとはいえ弥助は武士とは言えない。
動画勉強になりました。ありがとうございました。「侍」という言葉の定義づけは大事ですね。今回の場合は問題が海外にまで広がっているのを考えると、「Samurai」や「Samurai Warrior」についての定義づけも一般化できるレベルにまで必要なんでしょうかね。もっと英語を勉強しておくべきだったなあとつくづく感じる今日この頃です。
定義付けと一般化が可能なのか いい知識をいただきました
捕縛した明智の対応が大きい。最も大きい扱い「人でなし」ゆえに「返却」で、そこまで素晴らしい人物なら返却元で日誌などに名前が残ってそうなものだwww ないんだけどね
なるほど一般化ですか。例の一派の主張は”弥助は伝説の侍である”だが、侍であるという点ですら、直ぐに無理筋だろという声が多くの日本人から上がった。残された1次情報から一般化して説明できる侍の定義に含めるには無理があるからですね。日本人個々が持つ”常識”から直感的に、いやいや侍は無理あるだろ、と多くの人が声をあげた訳ですが、直感が正しかったことが裏付けられつつあるのは大変興味深いです。
興味深い説明で面白かったです。侍の定義のところ自分でもよくわからなかったので。個人的には安土桃山時代の侍と具体的に記載された人々の事例と身分、それに比べて弥助がどうだったのかって話を知りたいけどどこにもないんだよなあ。
全く同感ですね。武士待遇ではあっただろうけど、侍(ソルジャー)として召し抱えられたかと言うと違和感しかない。見ず知らずの異国人に住む場所と扶持を与えるのは、自然で当たり前のはず、身寄りのない異国人なんだから。鞘巻に関しても、太刀ではなかった事が有力で、余興などで、信長を喜ばせ褒美の品を得たと考えるのが自然。
侍の定義って言うけど侍は戦国時代でも武士の上流階級だし上流階級であれば家名がある。それにたかだか1年ちょいしか仕えてないペーペーがいきなり上級武士になるってどんな功績をあげたらいいんだよ(笑)
この手の証明って理性のある人同士じゃないと難しいよね。例えば秀吉は侍だけど一般化されないじゃないか!とか無茶苦茶な論理持ち出したりしそうだし……自論とすれば定義が曖昧っていうより、その当時はキチンとした定義がない。だからその当時にきっちり侍という位に表記されてる人のみ侍じゃね?ってカンジ???
まぁ、記録が乏しいんで結局は「断定できる根拠がないので不明」としか言いようが無いですわな。特に海外だと大名に仕えた=武士みたいなイメージがあるのでしょうけど、実際には芸能人・文化人の非戦闘員枠もいたわけで、集団戦が基本である事も踏まえると、直接戦闘に参加したとはちょっと考え難い。
実のところ、戦に参加して「侍として高い地位を得るほどの功績は残していない」と言える証拠ならあるんですよ。論功行賞としてそれぞれの戦闘の功労者は必ず記録するので、そこに名前が出ていない時点でね。
戦国期の侍については、畿内の惣村研究で惣村上層の土豪(地侍)が領主と軍役関係結んで侍衆を称したことから、侍→侍衆→侍身分=武士=侍というのがあった記憶があります。ただ、学術的に侍身分というならともかく、一般的に侍身分なんてどうなるかいうと…
わかり易かった!
弥助を侍かどうか断定できない、ではなく侍である(あるいは一部の侍に定義される分類として受容できる)、とする学者に対して今回思うのは・サイバー空間でどの立場から物を言いたいのかがわからない(個人的立場から物を言うかと思えば「漢文も読めないのに」「論文の読み方もわからない」と学者としての立場を振りかざしてみたり、かといえば学者でありながら質問者へ「しらねーよ、頭いいんでしょ」や「キモいおじさん」などと言うのは公私のラインをその時時によって往復しているように見える。正直学問の敗北だと思う。わからない者に教えることができない学問は、つまりは釈迦に説法をすることしかできない無用の長物ではなかろうか?・歴史学界においてはコストパフォーマンス的にも「とんでも歴史」を批判することはほぼないし、学会・学者ともにその責任も負っていないという。では真実性の担保は誰がになうこともないのではないか?文部科学省はあくまで官僚であって学者ではないし専門研究機関でもないし。・歴史学者の定義があまりにもあやふやすぎる。談合や派閥を組まれたら阻止するシステムが存在するのか?学者の人品に期待するのは、今回の騒動で出てきた顔ぶれを見てもそうだし、上述した理由含めて聖域化しているのではないか?と疑わざるを得ない。人文学への批判まではしたくないですが、少なくとも歴史学界には根深い疑念が残っています…。
自称学者さんたちが属する狭い界隈では「ぼくのかんがえたさいきょうのやすけ」も学術的に通用してたんでしょうねで、界隈から一歩外に出てみたら全く通用せずボロ負け正に井の中の蛙大海を知らずな事例 道徳の教科書に載せるべき
・Aは◯◯社に7年務めていくつかプロジェクトを成功させ課長になった。・だから■■社の海外枠の新卒社員Bも課長のはずである。まぁ普通に考えて「何言ってんだお前」ってなりますやね扶持や私宅の件も「金も身よりもなく言葉も通じない目立つ人間」設定に目が行ってるかどうかや、私宅の規模にも齟齬がありそうですね
とても論理的でわかりやすかったです。最初は懐疑的でしたが理路整然としていて筋が通っていて納得ができました。ありがとうございました。
江戸時代で侍が旗本以上を指す高級武士に定義されているので、戦国時代限定で定義が変なんですよね前後の時代で高級武士扱いなのに、戦国時代では各大名判断で侍にしていいというのは身分の火事場泥棒に近い大荒れの時代を挟んでもなお江戸で高級武士として定義付けられているので、武士の中でも特別枠というのは当時でもブレなかったと考えるのが自然に思えますし、将軍のように侍を定義付けられる存在がいなかった当時は、侍という身分そのものが曖昧というか存在しなかったと極論することも出来そうな気がしますそもそも弥助は侍以前に武士だったのかも怪しいので、武士の上澄みである侍だった可能性は限りなく低いと言えると個人的には考えます
問題は侍の定義付けも一般化もされないままに議論が行われていて、ロックリー氏やUBIの言う弥助は伝説的な侍って言葉が1人歩きしてる事なんですね。とても勉強になりました。ありがとうございます。
私も弥助は侍では無い派ですね。(素人ですが)で、自分なりに出た感想は「信長のアクセサリー」でした。見て!珍しい曜変天目茶碗!(ドヤァ)見て!新しく手に入れた光忠の刀!(ドヤぁ)見て!コイツ(弥助)珍しいだろ!(ドヤァ)ていう、感じでした。
私も弥助=侍説には否定派ですが、アクセサリー説はちょっと違うと思いますね確かに、宣教師からは「献上」されたのだから、その時点では物品扱いだったでしょうしかし、モノとして献上された弥助に対し、信長は棒禄、屋敷、刀を与え家臣としていますちゃんと人間扱いしているわけです。もちろん、非戦闘員ですから侍扱いではありませんがその後、本能寺の変で弥助が投降するまでに一定の抵抗を試みたのは、自信を人間扱いしてくれた信長への「忠義」もあったのでしょう鳥居強右衛門のように命を懸けた「忠義」であれば、たとえ足軽であっても認定侍でもよいかと思いますが、そこまでではないのでやはり侍ではなかったとちなみに鳥居強右衛門の子孫は、侍として扱われ、徳川の旗本になっていますというか、アクセサリーだの珍獣だのって言うから、外国人や歴史に詳しくない日本人やからは「やっぱレイシストが暴れてるだけじゃん」てなっちゃう
うぽつです!前回の動画もそうでしたが、頭がいい人って知識がない人にも伝わるような説明が上手いんだな〜と改めて感じました…!
結局、定義を行うときは「そうだった例」と「そうじゃなかった例」を知っている・洗っていく必要があるのよね。1つだけ挙げてもしゃーない
浅学故そもそも侍ってなんだ…?というところでこの動画に出会いました。期待以上だったので先の動画も見てみようと思います。ありがとうございました。
弥助が侍だったらアケッチーに捕まった時に少なくとも投獄か、もしくは確実に天国に送られてたからこの部分で侍じゃなかったってはっきりわかるのになんで侍にしたがる連中がいるのかがわからない。あと武器を引き渡し、命を助けるといわれて投降した時点でもわかるだろうに名誉的な侍にもなれない。主君の仇討を忘れた時点で偉大な侍にはなれないのさ
なるほどねぇ。お菓子とか、なんか感情だけで好き勝手言ってるアカデミアが多すぎて、文系終わってんだろとうんざりしてたんだけど、文系にも一応のルールがあるんやね。
ご都合定義で侍と言いきる→一般人が思い浮かべる侍とは大違いだが売るときは一般が持つ侍イメージを利用して商売。詐欺上手ですな。
文系視点だろうが、理系視点だろうが、解説されている見解になるよなぁ。こうだったのでは?という着眼はあったとしても、これで史実事実なんてとてもじゃないけど言えないよな。学問に対する侮辱だよ。
私はきちんと学んだわけでもないし博士号もないですが、姓もなく召し抱えられた期間も短く戦に出て功を上げた記録もない弥助は侍ではないと思います記録が残っているかどうかが判断基準だと思うので自作の物語を史実だと吹聴する鳥取トムは許せない
本来の侍の定義では、御家人・国人クラスでないと侍にはならないので弥助が侍には当たるはずがない(それを言い出すと戦国時代の大半の自称侍が侍ではないことになるが)。1:43 地侍クラスなら公式な姓が無いのも大勢いたというか、名乗っているのも大半は勝手に名乗っているだけ。地侍は本来は侍に当たるはずがないが、この時代には侍と主張していたのが多いし、現代人は侍扱いしているから。
平山氏は苗字を今の考え方で名前の一部としか見ていないから、ああいう答えになる当時の苗字には出身地や身分を表す意味も有るから出身地のはっきりしている国衆には苗字の無い人も居るってだけで「弥助が苗字が無いけど侍」の答えにはならない
ワイはこう例えている。弥助問題を現在の大学組織に当てはめれば簡単〇〇大学(織田家) 大学総長(信長) 教授会・表向(宿老・家老) 各学部・研究科(武将) 事務総長・奥向(小物頭) 庶務(同胞衆) 用度(小物、『弥助』)たしかに弥助は大学の『教職員』として〇〇大学に属しているが、教員(侍・武士)ではない
なるほど、、とても参考になりました。質問なのですが、侍ではなくても武士という身分ではあったのでしょうか?
弥助が「戦闘能力」を評価されて召し抱えられたのでは無さそうですね。もし戦闘能力(武力以外も含む)が高ければ本能寺の後、いずれかの武将がスカウトしていたはず。山崎合戦の時、弥助は、まだ南蛮寺にいたのかなあ? 戦闘能力を「売り」にできるなら、秀吉のところに馳せ参じると思いますね。
賢い人は自分に不備が見つかればその対策に向け即撤退しますその場凌ぎの言い訳して噛み付いてくる場合とても賢い人とは言えませんね
平山氏が秀吉を例に上げてるけど、秀吉と弥助とでは時代背景違うくね?と言う疑問があるんだけど、そのへんはどうなんだろうか。
とても判り良き👍👏💯
個人の感覚としてはノッブが弥助を従者として連れ回すのに不都合のないように、お体裁で形だけ武士格になるように配慮したってところだと思いますまあそのまま長期で仕えていれば何らか出世したかもしれませんが、ノッブがいなくなった以上あくまでも「かもしれない」でしかないのだけど
擁護派はものの見事にこの辺りを無視してるんだよなぁ…自説としていうだけならともかく、それを全員に押し付けるから反発されてる…推論だし、意見が研究家でも分かれてるんだから一般化しなければそこまで燃えなかったのに。
戦国時代には武将が身に着けるべき武芸四問と言うものがあったし侍もある程度の武芸を身に着けてる必要はありそうな気もするんだよね武芸四問は剣術、弓術、砲術(鉄砲)、馬術だったかな有名な竹千代も人質でありながら(人質ではなかった説もある)一流の教養と武芸を身につけさせられてたロックリーの設定では弥助は奴隷ではなく宣教師のボディガードであって信長の前に現れた時にはすでに渡り歩いた国々で戦火を潜り抜けた猛者であってそこも含め信長に気に入られたという事になっているロックリー的にも弥助が日本にいた期間に侍としての何かを身に着けたとしてしまうと無理がありすぎるので宣教師のボディガードだったという設定にしたと思われる海外では弥助は戦闘力が高かったという前提で弥助は侍だったという事になってしまってる弥助が侍か否か以前の設定からもう狂ってしまってて弥助は侍でもいいとしてしまうと弥助は伝説の侍にされてしまうという状況ロックリーはほんととんでもない事をしてくれたよ
あと彼が捏造した弥助最強の伝説サムライ説は必然的に日本人が黒人に人権与えてた証明になるでも黄色人種の国が白人より人権意識が優れてたなんて断じて認められないから「宣教師は反対してたけど黒人奴隷が日本で流行ってた説」を唐突に出してきたんじゃないかと思ってる
殿中でござるの声に怯え、信長の刀を持ち逃げした伝説の黒人芸人弥助の物語。
箔をつけてもらっても武士かどうか疑わしい弥助と大学の肩書きは立派だけど歴史研究の権威かは疑わしい知識人たち
動画内容とは関係なくなってしまうけど弥助=サムライっていう虚構は本来とても魅力的だし、そういう設定のマンガがあったら読んでみたいくらいゲームで実現させるなら、例えばウィザードリィみたいにキャラのクラスとして「サムライ」があってゲームの中の弥助がそうだ、というだけなら多くの日本人も面白いと思って受け入れてくれたかもしれないのにね今回の出来事によって、弥助=サムライという一つの魅力的な虚構が日本人にとって忌むべきものとなり、創作の設定としても失われてしまうかもしれないと思うと悲しい
分かりやすい
情報があまりに少なすぎて何者とも断定できない。
奴隷でしょ。 奴隷って記述があって、それを裏付ける記述しかないんだから。みんな事実から目をそらしすぎ。
弥助が取り立てられて武士または侍の身分相当まで引き立てたと言うなら、適当な家の養子にするかファミリーネームを与えるくらいの配慮はすると思うのです。ただ、弥助が武士や侍の身分でなくとも侍や武士のように心掛け振る舞っていていかにもその身分のように感じられるように見えた可能性はありますが、そういう文献はあるのでしょうか?
「それって、あなたの感想ですよね?」「いえ、一般論ですけど…。」
逃亡した末に落ち武者狩りに襲われて死んだとかならギリギリ武士かもしれん野盗に襲われたとほぼ同義だけど
弥助はスペース百済の元ジェダイのスシ・ジェンダー暗黒教だというシルクロードニンジャ事実を知らないのかこれには流石の拙者もにが笑い
私は侍でも武士でもないと思ってますが。秀吉の身分統制令で江戸時代の若党という武家奉公人の身分のことを侍って表記されていたらしいのですが。それを元に弥助は侍っていう人はいるかもしれない。まあでも身分統制令は秀吉の時代ですし、この人らの侍って上位の武士身分をさすみたいですしそれはないですかね。
長時間戦っていて武勇優れていたなら首切りか、取り立てているのが戦国の世。
平山さんは著書の中身もとんちんかんな論理展開や妄想マシマシなんで、エンタメとして見たらまあまあ面白いですよ
明らかに今回議論されてる侍は信長に仕えた高位の武士かどうかだから、弥助侍派の「戦国時代の侍の定義は曖昧だから、弥助は侍と言っていい」は土俵にすら立ってないと思ってる。戦国以前と比べるとあいまいなのは確かだが議論するなら、ちゃんと文脈呼んでから声上げてねで終わり。
ビートたけしの『首』はみましたか?バリバリ弥助でてきますよ~ もちろん侍です😂
俺は歴史素人なので聞きたいんだが、歴史の解釈って「Aは9割の確率でBと言える」みたいなものを積み上げていくものだと思うんだが、それ積み上げれば積み上げるほど薄まっていかないのか?0.9*0.9*0.9...みたいになったらもはやA≠Zってことにならない?歴史学者ってそれにどう折り合いつけてるの?
当然の話だが定義の変遷はいきなりとは行かず、徐々に広がっていってるもの下手をすれば室町幕府創設の時からスタートしてる
秀吉の御伽衆の様なものだろう。曽呂利新左衛門みたいな。侍の身分で言えば応仁の乱以後、系図とかもかなりめちゃくちゃになっていた事は確かだが、「七人の侍」で三船敏郎が演じた菊千代の様に、大の大人が幼名ではすぐ詐称がバレる。弥助もそれっぽい苗字を貰っていれば侍と名乗れるのだが。愛知には鬼頭姓が多いが、これは鬼と異名を持つ野武士団の首領を家臣に取り立てて、鬼頭姓を与えた事から始まっているらしい。
結局のところ資料が少なくて判別しないというところに行きつきそうな気が…。
苗字帯刀が 出来て 初めて侍を 名乗れる‼️‼️
本能寺で戦ったら中間衆ですら討ち死にしてるのに、そもそも本能寺に居たかすら定かでは無い弥助を、戦ったから侍認定する岡って人も居るしなぁいや確かにイエズス会のアレには書いてあるけど、それを正しいとすると矛盾が出てくるのよな何故戦闘が起きてすらいない妙覚寺で捕まってんのよと
勉強になります。特に「一般化できるか」にはそう思います。「弥助は、当時の日本社会で唯一無二の人物です。黒人で織田信長に雇われた人物、他にはいません。その人物が「侍」になったとすれば、記録されるはずです、「信長に『侍』として召し抱えられ記録にのこっていない人は大勢いる」と思います。一般化できます。しかし、それを唯一無二の弥助に当てはめるのはどうでしょうか。必ず記録されると思います。もちろん、その記録が無くなってしまったことはあり得るかもしれません。
ノブノブ、意外と公共福祉大事にしてたから難民保護みたいなもんでわ?ッテオモウ
どうも苗字がないからの出元が左派っぽいんですよね・・・ここが右派じゃないと分かったらどうなりますかね?やはり私が最初に述べたとおり、左派同士の内ゲバだったという指摘が合っていた事になるんですが・・・
秀吉と同じはすでに破綻してるのは笑った(笑)秀吉は「豊臣"朝臣関白"羽柴秀吉」と最終的に朝廷から官職名を得てるから侍なんよね(木下藤吉郎時代は武士)武士は職業軍人(兼業軍人もいる)だから名字が無いものも多いです。ヨーロッパ的に言えば「騎士」と「兵士・傭兵」の違いですね
「一般化」とか順序立てを大事にして誤謬や詭弁がない議論なんてネットでは望むべくもないねんな..ましてやXでね..
侍だったかもしれないが、武士ではない
弥助が侍かどうかは最早どうでもいいことで、海外ではSamuraiは貴族という感覚ですが、現代日本では侍が黒澤明監督「七人の侍」のように下級武士のイメージがあること。イメージが違うので外国人と話しても何時までも噛み合いません。岡先生や平山先生は弥助が侍と言ってもいいのではないか?呉座先生や大門先生は侍だっとは断定できないとおっしゃるが、外国人には日本の一部学者が弥助はSamuraiと言ってるので彼はスーパーな武士でロックリーの言う通り超人的な活躍をした証と受け取ること。KYで英語がよくわかっていない学者はスルーしていただきたい
侍の定義について、=貴人扱いの高級武士の様に考えている人が多いようだけど当該呼称が出現した平安時代は荘園や地方から京に呼び込まれた貴族の私的戦力だって忘れてないですか?その地位は当然高くありませんでした。棟梁と言われる人物でも国司に補任されれば良い方だったと思います。なので、家格秩序自体が崩壊した室町末期において俸録を貰い身近くに仕えた時点で広い意味で侍と呼ぶ事自体は問題ないと思われます。問題なのは戦功があったとか優れた戦士だったとか黒人は崇められたとかそう言う史料に無い大嘘なのであって、どうとでもとれる部分は重要じゃないと思うんですが。
まず動画を見て1番に思った事は重要と言ってる「戦国時代の侍」の定義について専門家の見解を確認しないのは何で?という点まあ専門家の意見を確認すると「地侍」と呼ばれる村の侍が一般化してる事から「戦国時代の侍」定義を幅広く設定してる説が有ったりするので目を瞑ったのかもしれませんが…(平山先生や呉座先生はそういった前提で話していたりします)
医大や看護婦学校みたいな大学に日本史の特任教授ってどんな仕事なん?w山梨県やエスエス製薬に恥かかせたいのか?w
身分の低い者を取り立てるのは戦国時代で一般的でなはく、織田信長特有のケースであり、他の戦国大名では存在しない。秀吉は極めて例外中の例外だ。国衆の家臣は「武士」であっても「侍」ではない。そんなことも分からない学者が居るってw
トーマスロックリーの功績は侍とは何ぞやということを日本国民に知らしめたことだな。改竄ロックリーもある意味では日本歴史学の功労者とも言える。岡美穂子もな。東大准教授ってあの程度の者なのかとね。
あの、左翼ですか?
@@英博木村 いや、ノンポリです!!若い頃は良心的左翼、ネットをやりだしてネトウヨ。でも元々ノンポリです。
コメント職人を職人として敬うかどうか? AI絵師を絵師として敬うかどうか? どちらも、もちろんリスペクトしてる方々がいる。 てか、論理的に考えるなら15ヶ月で侍になれるなら侍だろうし、そんなものは侍でないとするなら侍じゃないんじゃね?って思う。 昨日バイトに受かったばかりの素人を「寿司職人」と言うかどうか。3ヶ月くらいスシローでバイトしてれば寿司職人なのか。3年くらい修行した板前を寿司職人と呼ぶのか、そーゆー次元の話かなぁ、と。
健康科学大学って何?w
侍は侍でしょ武士ではなかったそれだけちゃんと戦国時代の考え方でもの考えんとあかんわ
弥助さんはみるからに特殊な立場だったから好遇されても周りが納得してたわけで、あと5年くらい信長につかえて、戦で頑張って、嫁さんもらって苗字と立場もらえたら違ったのだろうね
秀吉と弥助を同列で論じるのは、完全無欠のどあほうです。
少なく見積もっても、天文23年~天正10年(1554~1582年)の30年弱仕え続けて実績を出し続けていたという超古参ですからね?
てか秀吉はそれこそ足軽スレスレの中間(最新から足軽相当説もあるんだっけ?)からキッチリ功績立てて出世してるからなぁ。
天下人になってから普通に持ち上げ工作してるから分かりにくくなってるのはそうだけど、美濃攻略時の功績もハンパない(墨俣構築維持だけじゃなくて美濃国人衆の攻略もやってる)からそりゃ老中級だわなと。
弥助はバレンティンじゃなくてつば九郎だよね。ユニを着てる人気のあるヤクルトの一員なのは間違いないが、選手ではない。
つば九郎はちゃんと球団から給料をもらってるし
ユニホームを着て球場で活躍する事もあるし
マウンドにもバッターボックスにも立つことがある
が、選手としての給料じゃないし
試合でバッターボックスに立った訳ではないし
選手のようにユニフォームに対しての制限もない
つば九郎は選手なのかどうかという議論と
弥助は侍かどうかの議論は似ている
つば九郎を選手と認めると選手の定義が揺らぐことになる
@@川上昇 んで『つば九郎は不名誉な存在で都合が悪い』『だから選手…いいや景気良くバレンティンって事で押し通そう!』になるのが本当に酷い
「一般化」は確かに大事。
ようするに「普通に状況を考えてみた場合に違和感が生じないか」だもの。
あの時代であれ、現代であれ、残っている一次資料に数行しかない弥助を見た場合、
「彼が本当に侍だった」
であれば、弥助が取る行動は二択しか無くなる。
1.明智の仲間になる
2.侍として討タヒするか切腹する
また、「弥助が侍だった」場合だと明智のような身分の者が取る行動も二択。
1.弥助を仲間に引き入れる
2.その場で処分(仇討回避の為)
両方に当てはまらず、一次資料から読み取れた上で「違和感無く考えられる」のは
「弥助は侍ではなかった(脅威ではなかった)ので、降伏し、南蛮寺に返された」
平山氏は、論破諦めたみたいで恫喝しまくってますな(笑)
典型的なアカだよね。これからは集合知で、トラロープを買いにいくまで追い詰めていい、そうすれば次の世代にポストが空く
アレはスクショして、所属大学に問い合わせていいと思う。
夏休みだけど···
@@Makeneko-w5p 学校再開まで二週間半すね
誰彼構わずレスバした結果、歴史畑の人間が沢山紛れてて論破されまくった・・・という前回の失敗から多少は学んだみたい
失言した相手に後手で仕掛ける方式かつ、引用リプを多用することで信者を呼び寄せ援護させる戦法に切り替えてる
まあそれでも形勢不利になって逃げてるシーンあったけど・・・
@@801-f8s 図書館はやってるから、論文実在するかは確認できるはず。
平山氏をはじめとする、岡氏擁護派もこうやって順序立てて説明すれば炎上せんかっただろうに…
ただのロジカルシンキングなのにね…
言語学畑では無理ですよ。
だってあれ、徹頭徹尾「印象とニュアンスの解釈だけ」の学問なのですから。
既に固定された範囲であれば、必要なのは辞書であって学者・研究者ではない分野です。
言語とコミュ二ケーションの学問のはずなのに、言葉の通じない不思議。
ビューンと来た球をバーンとうつというか、戸田奈津子かよというか……
いやいや、知識と肩書をUBI(ロックリー)養護の手段として
使ってるだけだからね既定路線だよ
あれは、基本的、常識的な論理をおろそかにしながら、学術の権威を振りかざして、我田引水的行為をしてしまったから、一気に一般人に「闘志」をかき立ててしまいましたよ。「一般人」といっても、文学部で日本史や国文学を専攻した学士、修士や、地方史など特定分野に詳しい在野の研究者たちも少なくないのに。
うわ分かりやすくて凄い為になる。ありがてぇ。
確か当時のポルトガル事典(日葡辞書)では武士を軍人、侍を貴人と訳してたので定義が曖昧になったとはいえ武士より侍のほうが狭義だった可能性は高いですね。
アサクリ問題は多岐にわたって複雑だけど、日本の文系アカデミック研究がこれでいいのか…みたいな問題もありそう
11:00 で武田家の文書の「例外」で、起請文に姓名の無い事例に言及があります。これについては、ある番組のコメ欄で、その起請文と一族の具体名を挙げて、それは特定の一族の人名が列挙されている個所であり、自明であるから省略されただけ、という指摘をされる方がいらっしゃいました。確か、自分でも検索してみて、なるほどと思った記憶がありますが、今思い出せるほど定かではありません。常識的には、侍は与力の場合を含めて、どこかの家中に帰属し仕えているものだから、主家に姓名があるように、その人にも姓名がなくては、その人の社会的立場はなくなってしまうように思います。
平山氏があげていた生島足島神社起請文ですね。義信事件で揺らいだ家中の統制のための起請文で、武田家の有力家臣が提出しています。ご指摘のコメントを私も拝見しましたが趣旨は、(1)一党の起請文なので姓が省略された。代表者名が半右衛門「尉」と通称であるのが傍証。(2)おそらく原大隅守虎吉(通称 半右衛門尉)の原一党。
原大隅は千葉原氏の出で甲斐の土着ではないので、信濃で在番をしています。平山氏は信濃の小泉重永の郎党なので陪臣の比較的下位の士分ではないかとしていましたが、武田家では馬上侍でも与力なら郎党と称することがあるので、下位の士分とは断言できませんし、起請文のそもそもの趣旨に反します。名字が無いのは83通の起請文の1通だけで、他の起請文は苗字が違う侍が記載しているのがほとんどです。少なくとも平山氏の「名字のない侍は普通にいた」主張は検証不足で断言はできません。
@@junokamoto-q5d 解説、ありがとうございます。専門、非専門を問わず詳しい方々が多いので、心強いです。
@@junokamoto-q5d ありがとうございます。この解説ではっきりしました。
私の知っている歴史家の方が言ってました。
歴史に関わり専門性が高くなれば高くなるほど、自分の頭の中の歴史に関する知識が固定化してしまい、こんな事例があるから、これもそうだろうと決めつけてしまいがちになると
渡邊大門さんも記事でほぼ同じ事を言ってました。
しかも専門家(確定しない事は断言しない)としてはかなり強めの表現でした。
この動画に対して、弥助侍派は「戦国時代の侍の定義は曖昧だから、弥助は侍と言っていい」って感じの論調なんだよなぁ
社会的地位を持っただけの人が定義を引っ掻き回して都合のいい解釈で発言し、それをもって史実と主張して何らかの利益を得ている集団が居るような構図が気持ち悪い
だから逆を考えるんだよね
弥助=侍を一般化してしまうと同じ待遇の他の人たちまで侍という事になってしまう
秀吉の例でも秀吉を侍として取り立てたのではなく侍だった秀吉を取り立てた事になる訳で
色んな事に矛盾が出てきておかしくなる
つまり一般化できないという事になる
武士かは不明だけど、擁護派が主張するような身分が高い侍ではないという……
ただ記録からすると、『弥助は武士じゃないほうが本人の名誉守られる』ってコメントがしっくりくるんだよね…
@@蛍月夜に君の名を伝説の侍が、相手側の大将から「問題にならん!」と放逐されていて、めっちゃ恥ずかしいんだが。
当時の侍は生死や怪我云々より、名誉や勲功、武勲を重んじた筈なんだけどね。
一番槍なんて死ぬ確率が高いのに、皆が目指すんだから。
まず弥助侍派やめて?
そんな今出来た集団に市民権与えないでくれない?
でも実際、そうだからな
武士という括りの中では侍と武士は明確な違いがあるけど一般人からみたら全部まとめて武士って言っていた時代だし
現代だって侍映画やドラマの主人公も浪人や町奉行の同心(身分は足軽)、剣客とか身分的に侍じゃない人を侍と言ってるから
侍=戦士、剣士、傭兵という意味で受け取ったとしても無理もないこと
そういう意味での『弥助は侍』なら間違いとも言い切れない。
信長公記の尊経閣文庫版の記述は
弥助が武士扱いだったことを示していることは学者の呉座勇一や平山優も一致しているのだから
『弥助は武士(あるいは武士扱いされていた)だけど侍(殿と呼ばれる上級武士)ではない』
というのは共通認識だと思う
この問題の本質は弥助が侍かどうかではなく
日本人の知らない所で日本の歴史のデマが拡散されてることだと思う。
弥助は侍じゃないというのではなく
弥助は英雄じゃない最強の存在じゃないという方向で否定しないと
いつまでたっても問題の根本にたどり着けないし、海外での弥助も永遠に誤解されたままになってしまう
平山氏は他の研究者から、恣意的な拡大解釈が過ぎる。と指摘されてたのを見た覚えが…
国衆ってそもそも群規模であっても戦力を提供できる程度には支配階級の人達なので
そこに弥助を同列に当てはめるのは乱暴だなぁって感じですよねー
まあ知識をぶつける事で、とりあえず黙らせようとしてるだけだからなぁ
本気でそう思ってる訳ではないと思う
目的のための手段だよ
だからバカみたいなことが言えるんだよ
崇高な目的の為に知識と権威を手段として使ってるので
俺は馬鹿じゃないと言いたいんだよ
私が理解出来ないのは、二次史料でしかないイエズス会の日本年報を根拠とすることです。他の史料で裏付けられていない事柄に関しては、妄想のネタ以上にはなり得ないと思うのですが。
とても論理的で私のような無学な者でも、分かりやすくなるほどと納得出来る内容でした。
学者や研究者というのはこのように論理立てて説明するもの、もしくはするべきと思ってましたが…
すばらしい…この件でモヤモヤしてた部分を気持ちよく整理してくれたなぁと思います!
ひとつだけ…
定義づけは持論の展開において重要ですが、他者との議論にはそれをふまえて、前提条件の統一、をしなくては…と思います
前提条件をどう統一するかでまずひと議論あって、そこから本題…が、建設的なディスカッションのあり方かなぁと
「徴兵されて石つぶてをもって参戦した農民」も「侍は侍」とする方がいれば、その時点で議論はかみ合わなくなるんですよね…
「侍か否か」の前に「論に参加する全員で侍をどう定義するか」を議論すべきなのにそれがすっとんでる
それがこの件の気持ち悪さの一つでしょうね…
ロックリー氏・岡氏などにみられる史料提示の不備はもう…いうまでもないことですが…
捕縛された後は南蛮寺に送られたとあるから光秀側からも信長勢の重要な家臣、配下とは見なされてなく
放逐しても無問題なただの召使いくらいの地位でしかなかったんかと。
同意。
擁護派は“弥助は地位が高い侍”って主張してるけど、そんな立場だったら間違いなく本能寺でやられてるはずなんだよね。
やられてなくても、そんな地位の人が本能寺にいて主君である信長を守れなかったとか不名誉でしかないのに。
正直、弥助問題って外人が「名のある武士や人物から功績や武勲、立場を奪って弥助に与えてこれが史実!日本人が反論してる?なりすましっすよwだってこれが真実なんだから!」って調子に乗って日本の歴史改竄してたことが問題なのであって、その辺を全く知りもしないで侍かどうかって話だけ割って入って来た学者先生たちは正直ノイズでしかないんだよな
日本人が「厳密には違うけど、侍って言ってもいいのでは?」なんて言ったが最後海外で「弥助は侍!日本最古で最強の黒人侍!日本のトップに上り詰めて日本人はみんな弥助が大好き!俺たちは正しい歴史を知ってる!」って実際に変換されてるので、責任取って拡散されたツイートや動画に一個ずつコメントつけて修正してこいよってなるんですよ。
我々なんかは薄々知ってはいたけども、外国人が平均的にはかなりのア...物知らずだということを、学者先生は認識しておられないようなんですね
だからまさか弥助を侍と言ってもそんな曲解されるわけないって考えてるので、そもそこを理解してもらわないと何にもならんのです
@@荒ぶるおじさん-k1f 実際、みるまであのレベルだと思ってなかったよ。なかなかショッキングだったね。
@@ny6233どっかでも言いましたけど、弥助が侍かどうか疑わしいって言ったら、外国人に弥助のアニメ見たことないのかって言われましたからねw
文系博士というと、某岡氏もだからなあ……
ああいう人がいると、文系博士とか東大史料編纂所とかの看板がトンデモ系やガッカリ系に思えて困るよね。
8:43 理系の国公立出身だけどこれ卒論の時に耳タコレベルで言われたわ。
博士どころか学士レベルでも常識だと思ってた。
同感だわ。こう思いますで論文書かれて提出されたら書き直せだよね。
学士どころか専門系の高校ですら基本は同じじゃないかな・・・
確証バイアスに陥る可能性については、いくら心配してもし過ぎる事は無い。
直観、ひらめきの類を語る自由は誰にでもあるが、肩書きと部分的な専門知識を使って証拠の乏しい仮説に信憑性を底上げする行為は学術的な誠実さに欠ける行為だろう。
悪意は無いのだろうけど、であればこそ、学究の徒としての自覚を欠いていそうに見える。
個人的な思いをきちんと切り分けず、全てを同一平面上に置いて語った安直さによって、コンテンツとしての弥助は既に死んでしまったも同然だ。
弥助推しの人達らは自分達の軽率さを悔やむでもなく、自分達の解釈を受け入れない社会の方を恨む他責思考に寄っているのが一番救えない。
うわぁぁ僕の経歴を否定するなぁぁぁぁぁっ!
って感じの人見たな
アンチ黙らせるなら証拠出しゃ一発なのにな
経歴だけじゃなく顔も真っ赤と
ポニー・キャニオンのお笑い芸人さんの事かな?笑
弥助が、侍か否かという身分(状態)よりも、勝手な思いなしで歴史上の活躍をさせていること(行動)の方が、何よりも問題。
身分という些末な点の争いよりも、勝手に延長して歴史上の線にしていることが、一番まずい。 信長の首を預かったとか、子孫が幕末にいたとか、勝手な延長を事実として流布している。
苦労したであろう弥助には悪いが、日本の歴史が大きな川の流れとすれば、大局の流れには全く影響しない河原の小石でしかない。
知識を還元するのも教育者の仕事。研究者はコミュニティーに還元しないとダメ。素晴らしい信念です。ありがとうございました。
個人的に侍って若党とか徒士程度以上で、現代だと伍長(Corporal)とか下士官(Noncommissioned Officer)以上だと思ってる、勿論、戦国時代と今の軍隊の階級は違うから、単純比較できないだろうけど(というか現代でも国ごとに階級が違うし。)
その上で、いくら体格が良くても文字の読み書きどころか、言葉も怪しい奴が15ヶ月で下士官に、しかも日本で伝説になるレベルになれるかというと...
知識のある人が知識のない人に対して、定義づけやその一般化を考慮しないで議論をするのは、ある種の「暴力」少なくとも卑怯な振舞いと感じた。
わかりやすい動画をありがとうございます。
非常に論理的で納得できる解説でした。
わかりやすい説明ありがとうございました。
全く持って同感。通常戦闘しないものが非常時に自衛のために戦ったとしても戦闘員と呼ばないように、たとえ明智兵と戦ったとはいえ弥助は武士とは言えない。
動画勉強になりました。ありがとうございました。
「侍」という言葉の定義づけは大事ですね。今回の場合は問題が海外にまで広がっているのを考えると、「Samurai」や「Samurai Warrior」についての定義づけも一般化できるレベルにまで必要なんでしょうかね。もっと英語を勉強しておくべきだったなあとつくづく感じる今日この頃です。
定義付けと一般化が可能なのか いい知識をいただきました
捕縛した明智の対応が大きい。
最も大きい扱い「人でなし」ゆえに「返却」
で、そこまで素晴らしい人物なら返却元で日誌などに名前が残ってそうなものだwww ないんだけどね
なるほど一般化ですか。
例の一派の主張は”弥助は伝説の侍である”だが、侍であるという点ですら、直ぐに無理筋だろという声が多くの日本人から上がった。残された1次情報から一般化して説明できる侍の定義に含めるには無理があるからですね。日本人個々が持つ”常識”から直感的に、いやいや侍は無理あるだろ、と多くの人が声をあげた訳ですが、直感が正しかったことが裏付けられつつあるのは大変興味深いです。
興味深い説明で面白かったです。侍の定義のところ自分でもよくわからなかったので。
個人的には安土桃山時代の侍と具体的に記載された人々の事例と身分、
それに比べて弥助がどうだったのかって話を知りたいけどどこにもないんだよなあ。
全く同感ですね。
武士待遇ではあっただろうけど、侍(ソルジャー)として召し抱えられたかと言うと違和感しかない。
見ず知らずの異国人に住む場所と扶持を与えるのは、自然で当たり前のはず、身寄りのない異国人なんだから。
鞘巻に関しても、太刀ではなかった事が有力で、余興などで、信長を喜ばせ褒美の品を得たと考えるのが自然。
侍の定義って言うけど侍は戦国時代でも武士の上流階級だし上流階級であれば家名がある。
それにたかだか1年ちょいしか仕えてないペーペーがいきなり上級武士になるってどんな功績をあげたらいいんだよ(笑)
この手の証明って理性のある人同士じゃないと難しいよね。
例えば秀吉は侍だけど一般化されないじゃないか!とか無茶苦茶な論理持ち出したりしそうだし……
自論とすれば定義が曖昧っていうより、その当時はキチンとした定義がない。
だからその当時にきっちり侍という位に表記されてる人のみ侍じゃね?ってカンジ???
まぁ、記録が乏しいんで結局は「断定できる根拠がないので不明」としか言いようが無いですわな。
特に海外だと大名に仕えた=武士みたいなイメージがあるのでしょうけど、実際には芸能人・文化人の非戦闘員枠もいたわけで、集団戦が基本である事も踏まえると、直接戦闘に参加したとはちょっと考え難い。
実のところ、戦に参加して「侍として高い地位を得るほどの功績は残していない」と言える証拠ならあるんですよ。
論功行賞としてそれぞれの戦闘の功労者は必ず記録するので、そこに名前が出ていない時点でね。
戦国期の侍については、畿内の惣村研究で惣村上層の土豪(地侍)が領主と軍役関係結んで侍衆を称したことから、侍→侍衆→侍身分=武士=侍というのがあった記憶があります。ただ、学術的に侍身分というならともかく、一般的に侍身分なんてどうなるかいうと…
わかり易かった!
弥助を侍かどうか断定できない、ではなく侍である(あるいは一部の侍に定義される分類として受容できる)、とする学者に対して今回思うのは
・サイバー空間でどの立場から物を言いたいのかがわからない(個人的立場から物を言うかと思えば「漢文も読めないのに」「論文の読み方もわからない」と学者としての立場を振りかざしてみたり、かといえば学者でありながら質問者へ「しらねーよ、頭いいんでしょ」や「キモいおじさん」などと言うのは公私のラインをその時時によって往復しているように見える。正直学問の敗北だと思う。わからない者に教えることができない学問は、つまりは釈迦に説法をすることしかできない無用の長物ではなかろうか?
・歴史学界においてはコストパフォーマンス的にも「とんでも歴史」を批判することはほぼないし、学会・学者ともにその責任も負っていないという。では真実性の担保は誰がになうこともないのではないか?文部科学省はあくまで官僚であって学者ではないし専門研究機関でもないし。
・歴史学者の定義があまりにもあやふやすぎる。談合や派閥を組まれたら阻止するシステムが存在するのか?学者の人品に期待するのは、今回の騒動で出てきた顔ぶれを見てもそうだし、上述した理由含めて聖域化しているのではないか?と疑わざるを得ない。
人文学への批判まではしたくないですが、少なくとも歴史学界には根深い疑念が残っています…。
自称学者さんたちが属する狭い界隈では「ぼくのかんがえたさいきょうのやすけ」も学術的に通用してたんでしょうね
で、界隈から一歩外に出てみたら全く通用せずボロ負け
正に井の中の蛙大海を知らずな事例 道徳の教科書に載せるべき
・Aは◯◯社に7年務めていくつかプロジェクトを成功させ課長になった。
・だから■■社の海外枠の新卒社員Bも課長のはずである。
まぁ普通に考えて「何言ってんだお前」ってなりますやね
扶持や私宅の件も「金も身よりもなく言葉も通じない目立つ人間」設定に目が行ってるかどうかや、私宅の規模にも齟齬がありそうですね
とても論理的でわかりやすかったです。最初は懐疑的でしたが理路整然としていて筋が通っていて納得ができました。ありがとうございました。
江戸時代で侍が旗本以上を指す高級武士に定義されているので、戦国時代限定で定義が変なんですよね
前後の時代で高級武士扱いなのに、戦国時代では各大名判断で侍にしていいというのは身分の火事場泥棒に近い
大荒れの時代を挟んでもなお江戸で高級武士として定義付けられているので、武士の中でも特別枠というのは当時でもブレなかったと考えるのが自然に思えますし、将軍のように侍を定義付けられる存在がいなかった当時は、侍という身分そのものが曖昧というか存在しなかったと極論することも出来そうな気がします
そもそも弥助は侍以前に武士だったのかも怪しいので、武士の上澄みである侍だった可能性は限りなく低いと言えると個人的には考えます
問題は侍の定義付けも一般化もされないままに議論が行われていて、ロックリー氏やUBIの言う弥助は伝説的な侍って言葉が1人歩きしてる事なんですね。
とても勉強になりました。
ありがとうございます。
私も弥助は侍では無い派ですね。(素人ですが)
で、自分なりに出た感想は「信長のアクセサリー」でした。
見て!珍しい曜変天目茶碗!(ドヤァ)
見て!新しく手に入れた光忠の刀!(ドヤぁ)
見て!コイツ(弥助)珍しいだろ!(ドヤァ)
ていう、感じでした。
私も弥助=侍説には否定派ですが、アクセサリー説はちょっと違うと思いますね
確かに、宣教師からは「献上」されたのだから、その時点では物品扱いだったでしょう
しかし、モノとして献上された弥助に対し、信長は棒禄、屋敷、刀を与え家臣としています
ちゃんと人間扱いしているわけです。もちろん、非戦闘員ですから侍扱いではありませんが
その後、本能寺の変で弥助が投降するまでに一定の抵抗を試みたのは、自信を人間扱いしてくれた信長への「忠義」もあったのでしょう
鳥居強右衛門のように命を懸けた「忠義」であれば、たとえ足軽であっても認定侍でもよいかと思いますが、そこまでではないのでやはり侍ではなかったと
ちなみに鳥居強右衛門の子孫は、侍として扱われ、徳川の旗本になっています
というか、アクセサリーだの珍獣だのって言うから、外国人や歴史に詳しくない日本人やからは「やっぱレイシストが暴れてるだけじゃん」てなっちゃう
うぽつです!前回の動画もそうでしたが、頭がいい人って知識がない人にも伝わるような説明が上手いんだな〜と改めて感じました…!
結局、定義を行うときは「そうだった例」と「そうじゃなかった例」を知っている・洗っていく必要があるのよね。
1つだけ挙げてもしゃーない
浅学故そもそも侍ってなんだ…?
というところでこの動画に出会いました。期待以上だったので先の動画も見てみようと思います。
ありがとうございました。
弥助が侍だったらアケッチーに捕まった時に少なくとも投獄か、もしくは確実に天国に送られてたからこの部分で侍じゃなかったってはっきりわかるのになんで侍にしたがる連中がいるのかがわからない。
あと武器を引き渡し、命を助けるといわれて投降した時点でもわかるだろうに名誉的な侍にもなれない。主君の仇討を忘れた時点で偉大な侍にはなれないのさ
なるほどねぇ。お菓子とか、なんか感情だけで好き勝手言ってるアカデミアが多すぎて、文系終わってんだろとうんざりしてたんだけど、文系にも一応のルールがあるんやね。
ご都合定義で侍と言いきる→一般人が思い浮かべる侍とは大違いだが売るときは一般が持つ侍イメージを利用して商売。詐欺上手ですな。
文系視点だろうが、理系視点だろうが、解説されている見解になるよなぁ。
こうだったのでは?という着眼はあったとしても、これで史実事実なんてとてもじゃないけど言えないよな。学問に対する侮辱だよ。
私はきちんと学んだわけでもないし博士号もないですが、姓もなく召し抱えられた期間も短く戦に出て功を上げた記録もない弥助は侍ではないと思います
記録が残っているかどうかが判断基準だと思うので自作の物語を史実だと吹聴する鳥取トムは許せない
本来の侍の定義では、御家人・国人クラスでないと侍にはならないので弥助が侍には当たるはずがない(それを言い出すと戦国時代の大半の自称侍が侍ではないことになるが)。
1:43 地侍クラスなら公式な姓が無いのも大勢いたというか、名乗っているのも大半は勝手に名乗っているだけ。地侍は本来は侍に当たるはずがないが、この時代には侍と主張していたのが多いし、現代人は侍扱いしているから。
平山氏は苗字を今の考え方で名前の一部としか見ていないから、ああいう答えになる当時の苗字には出身地や身分を表す意味も有るから出身地のはっきりしている国衆には苗字の無い人も居るってだけで「弥助が苗字が無いけど侍」の答えにはならない
ワイはこう例えている。弥助問題を現在の大学組織に当てはめれば簡単
〇〇大学(織田家)
大学総長(信長)
教授会・表向(宿老・家老)
各学部・研究科(武将)
事務総長・奥向(小物頭)
庶務(同胞衆)
用度(小物、『弥助』)
たしかに弥助は大学の『教職員』として〇〇大学に属しているが、教員(侍・武士)ではない
なるほど、、とても参考になりました。
質問なのですが、侍ではなくても武士という身分ではあったのでしょうか?
弥助が「戦闘能力」を評価されて召し抱えられたのでは無さそうですね。もし戦闘能力(武力以外も含む)が高ければ本能寺の後、いずれかの武将がスカウトしていたはず。
山崎合戦の時、弥助は、まだ南蛮寺にいたのかなあ? 戦闘能力を「売り」にできるなら、秀吉のところに馳せ参じると思いますね。
賢い人は自分に不備が見つかればその対策に向け即撤退します
その場凌ぎの言い訳して噛み付いてくる場合とても賢い人とは言えませんね
平山氏が秀吉を例に上げてるけど、秀吉と弥助とでは時代背景違うくね?と言う疑問があるんだけど、そのへんはどうなんだろうか。
とても判り良き👍👏💯
個人の感覚としてはノッブが弥助を従者として連れ回すのに不都合のないように、お体裁で形だけ武士格になるように配慮したってところだと思います
まあそのまま長期で仕えていれば何らか出世したかもしれませんが、ノッブがいなくなった以上あくまでも「かもしれない」でしかないのだけど
擁護派はものの見事にこの辺りを無視してるんだよなぁ…
自説としていうだけならともかく、それを全員に押し付けるから反発されてる…
推論だし、意見が研究家でも分かれてるんだから一般化しなければそこまで燃えなかったのに。
戦国時代には武将が身に着けるべき武芸四問と言うものがあったし侍もある程度の武芸を身に着けてる必要はありそうな気もするんだよね
武芸四問は剣術、弓術、砲術(鉄砲)、馬術だったかな
有名な竹千代も人質でありながら(人質ではなかった説もある)一流の教養と武芸を身につけさせられてた
ロックリーの設定では弥助は奴隷ではなく宣教師のボディガードであって信長の前に現れた時にはすでに渡り歩いた国々で戦火を潜り抜けた猛者であってそこも含め信長に気に入られたという事になっている
ロックリー的にも弥助が日本にいた期間に侍としての何かを身に着けたとしてしまうと無理がありすぎるので宣教師のボディガードだったという設定にしたと思われる
海外では弥助は戦闘力が高かったという前提で弥助は侍だったという事になってしまってる
弥助が侍か否か以前の設定からもう狂ってしまってて弥助は侍でもいいとしてしまうと弥助は伝説の侍にされてしまうという状況
ロックリーはほんととんでもない事をしてくれたよ
あと彼が捏造した弥助最強の伝説サムライ説は必然的に日本人が黒人に人権与えてた証明になる
でも黄色人種の国が白人より人権意識が優れてたなんて断じて認められないから「宣教師は反対してたけど黒人奴隷が日本で流行ってた説」を唐突に出してきたんじゃないかと思ってる
殿中でござるの声に怯え、信長の刀を持ち逃げした伝説の黒人芸人弥助の物語。
箔をつけてもらっても武士かどうか疑わしい弥助と大学の肩書きは立派だけど歴史研究の権威かは疑わしい知識人たち
動画内容とは関係なくなってしまうけど
弥助=サムライっていう虚構は本来とても魅力的だし、そういう設定のマンガがあったら読んでみたいくらい
ゲームで実現させるなら、例えばウィザードリィみたいにキャラのクラスとして「サムライ」があってゲームの中の弥助がそうだ、
というだけなら多くの日本人も面白いと思って受け入れてくれたかもしれないのにね
今回の出来事によって、弥助=サムライという一つの魅力的な虚構が日本人にとって忌むべきものとなり、創作の設定としても失われてしまうかもしれないと思うと悲しい
分かりやすい
情報があまりに少なすぎて
何者とも断定できない。
奴隷でしょ。 奴隷って記述があって、それを裏付ける記述しかないんだから。みんな事実から目をそらしすぎ。
弥助が取り立てられて武士または侍の身分相当まで引き立てたと言うなら、適当な家の養子にするかファミリーネームを与えるくらいの配慮はすると思うのです。ただ、弥助が武士や侍の身分でなくとも侍や武士のように心掛け振る舞っていていかにもその身分のように感じられるように見えた可能性はありますが、そういう文献はあるのでしょうか?
「それって、あなたの感想ですよね?」「いえ、一般論ですけど…。」
逃亡した末に落ち武者狩りに襲われて死んだとかならギリギリ武士かもしれん
野盗に襲われたとほぼ同義だけど
弥助はスペース百済の元ジェダイのスシ・ジェンダー暗黒教だというシルクロードニンジャ事実を知らないのか
これには流石の拙者もにが笑い
私は侍でも武士でもないと思ってますが。秀吉の身分統制令で江戸時代の若党という武家奉公人の身分のことを侍って表記されていたらしいのですが。それを元に弥助は侍っていう人はいるかもしれない。まあでも身分統制令は秀吉の時代ですし、この人らの侍って上位の武士身分をさすみたいですしそれはないですかね。
長時間戦っていて武勇優れていたなら首切りか、取り立てているのが戦国の世。
平山さんは著書の中身もとんちんかんな論理展開や妄想マシマシなんで、エンタメとして見たらまあまあ面白いですよ
明らかに今回議論されてる侍は信長に仕えた高位の武士かどうかだから、
弥助侍派の「戦国時代の侍の定義は曖昧だから、弥助は侍と言っていい」は土俵にすら立ってないと思ってる。
戦国以前と比べるとあいまいなのは確かだが議論するなら、ちゃんと文脈呼んでから声上げてねで終わり。
ビートたけしの『首』はみましたか?バリバリ弥助でてきますよ~ もちろん侍です😂
俺は歴史素人なので聞きたいんだが、歴史の解釈って「Aは9割の確率でBと言える」みたいなものを積み上げていくものだと思うんだが、それ積み上げれば積み上げるほど薄まっていかないのか?0.9*0.9*0.9...みたいになったらもはやA≠Zってことにならない?歴史学者ってそれにどう折り合いつけてるの?
当然の話だが定義の変遷はいきなりとは行かず、徐々に広がっていってるもの
下手をすれば室町幕府創設の時からスタートしてる
秀吉の御伽衆の様なものだろう。
曽呂利新左衛門みたいな。
侍の身分で言えば応仁の乱以後、系図とかもかなりめちゃくちゃになっていた事は確かだが、「七人の侍」で三船敏郎が演じた菊千代の様に、大の大人が幼名ではすぐ詐称がバレる。
弥助もそれっぽい苗字を貰っていれば侍と名乗れるのだが。
愛知には鬼頭姓が多いが、これは鬼と異名を持つ野武士団の首領を家臣に取り立てて、鬼頭姓を与えた事から始まっているらしい。
結局のところ資料が少なくて判別しないというところに行きつきそうな気が…。
苗字帯刀が 出来て 初めて侍を 名乗れる‼️‼️
本能寺で戦ったら中間衆ですら討ち死にしてるのに、そもそも本能寺に居たかすら定かでは無い弥助を、戦ったから侍認定する岡って人も居るしなぁ
いや確かにイエズス会のアレには書いてあるけど、それを正しいとすると矛盾が出てくるのよな
何故戦闘が起きてすらいない妙覚寺で捕まってんのよと
勉強になります。特に「一般化できるか」にはそう思います。
「弥助は、当時の日本社会で唯一無二の人物です。黒人で織田信長に雇われた人物、他にはいません。その人物が「侍」になったとすれば、記録されるはずです、「信長に『侍』として召し抱えられ記録にのこっていない人は大勢いる」と思います。一般化できます。しかし、それを唯一無二の弥助に当てはめるのはどうでしょうか。必ず記録されると思います。もちろん、その記録が無くなってしまったことはあり得るかもしれません。
ノブノブ、意外と公共福祉大事にしてたから難民保護みたいなもんでわ?ッテオモウ
どうも苗字がないからの出元が左派っぽいんですよね・・・ここが右派じゃないと分かったらどうなりますかね?
やはり私が最初に述べたとおり、左派同士の内ゲバだったという指摘が合っていた事になるんですが・・・
秀吉と同じはすでに破綻してるのは笑った(笑)
秀吉は「豊臣"朝臣関白"羽柴秀吉」と最終的に朝廷から官職名を得てるから侍なんよね
(木下藤吉郎時代は武士)
武士は職業軍人(兼業軍人もいる)だから名字が無いものも多いです。
ヨーロッパ的に言えば「騎士」と「兵士・傭兵」の違いですね
「一般化」とか順序立てを大事にして誤謬や詭弁がない議論なんてネットでは望むべくもないねんな..ましてやXでね..
侍だったかもしれないが、武士ではない
弥助が侍かどうかは最早どうでもいいことで、海外ではSamuraiは貴族という感覚ですが、現代日本では侍が黒澤明監督「七人の侍」のように下級武士のイメージがあること。イメージが違うので外国人と話しても何時までも噛み合いません。
岡先生や平山先生は弥助が侍と言ってもいいのではないか?呉座先生や大門先生は侍だっとは断定できないとおっしゃるが、外国人には日本の一部学者が弥助はSamuraiと言ってるので彼はスーパーな武士でロックリーの言う通り超人的な活躍をした証と受け取ること。KYで英語がよくわかっていない学者はスルーしていただきたい
侍の定義について、=貴人扱いの高級武士の様に考えている人が多いようだけど当該呼称が出現した平安時代は荘園や地方から京に呼び込まれた貴族の私的戦力だって忘れてないですか?その地位は当然高くありませんでした。
棟梁と言われる人物でも国司に補任されれば良い方だったと思います。
なので、家格秩序自体が崩壊した室町末期において俸録を貰い身近くに仕えた時点で広い意味で侍と呼ぶ事自体は問題ないと思われます。
問題なのは戦功があったとか優れた戦士だったとか黒人は崇められたとかそう言う史料に無い大嘘なのであって、どうとでもとれる部分は重要じゃないと思うんですが。
まず動画を見て1番に思った事は
重要と言ってる「戦国時代の侍」の定義について専門家の見解を確認しないのは何で?という点
まあ専門家の意見を確認すると「地侍」と呼ばれる村の侍が一般化してる事から「戦国時代の侍」定義を幅広く設定してる説が有ったりするので目を瞑ったのかもしれませんが…
(平山先生や呉座先生はそういった前提で話していたりします)
医大や看護婦学校みたいな大学に日本史の特任教授ってどんな仕事なん?w山梨県やエスエス製薬に恥かかせたいのか?w
身分の低い者を取り立てるのは戦国時代で一般的でなはく、織田信長特有のケースであり、他の戦国大名では存在しない。秀吉は極めて例外中の例外だ。国衆の家臣は「武士」であっても「侍」ではない。そんなことも分からない学者が居るってw
トーマスロックリーの功績は侍とは何ぞやということを日本国民に知らしめたことだな。
改竄ロックリーもある意味では日本歴史学の功労者とも言える。岡美穂子もな。東大准教授ってあの程度の者なのかとね。
あの、左翼ですか?
@@英博木村 いや、ノンポリです!!
若い頃は良心的左翼、ネットをやりだしてネトウヨ。でも元々ノンポリです。
コメント職人を職人として敬うかどうか? AI絵師を絵師として敬うかどうか? どちらも、もちろんリスペクトしてる方々がいる。 てか、論理的に考えるなら15ヶ月で侍になれるなら侍だろうし、そんなものは侍でないとするなら侍じゃないんじゃね?って思う。 昨日バイトに受かったばかりの素人を「寿司職人」と言うかどうか。3ヶ月くらいスシローでバイトしてれば寿司職人なのか。3年くらい修行した板前を寿司職人と呼ぶのか、そーゆー次元の話かなぁ、と。
健康科学大学って何?w
侍は侍でしょ
武士ではなかったそれだけ
ちゃんと戦国時代の考え方でもの考えんとあかんわ
弥助さんはみるからに特殊な立場だったから好遇されても周りが納得してたわけで、
あと5年くらい信長につかえて、戦で頑張って、嫁さんもらって苗字と立場もらえたら違ったのだろうね